送別の晩餐会③~星の行方~
2025.6/15 更新分 1/1
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
しばらく若き貴婦人のお相手をしたのち、俺たちは卓を移動することにした。
シュミラル=リリンたちとも、ひとまずここでお別れである。こちらはすでに六名連れであり、これ以上の同行は難しいぐらい大広間は混雑していた。
しかし視線を巡らせると、《青き翼》の面々の所在は確認できる。彼らはいずれも並外れた巨体であるため、人混みからにゅっと頭が突き出ているのだ。小柄なギーズだけは発見できないが、彼は団長のドゥルクに付き添っているのだろう。竜神の民はいずれも二名ずつに分かれて、それぞれ大広間を巡っていた。
「あら、アスタ。意外に早くお会いできたわね」
次なる卓に到着すると、そちらには見慣れた面々が集っていた。リフレイアとサンジュラ、アラウトとサイ、建築屋の団員が三名といったところである。料理番のカルスは別行動を取っているようで、侍女のシフォン=チェルは料理を食せない従者の立場として主人のかたわらに控えていた。
「どうも、お疲れ様です。リフレイアは、席に着かれていなかったのですね」
奥の座席に着席しているのは、おもに伯爵家以上の身分にある貴族たちであったのだ。リフレイアはすました顔で「ええ」と応じながら、サンジュラとシフォン=チェルのほうを指し示した。
「わたしはこれでも、異国の民と関わりの深い立場であるつもりなのよ。だから、今日のような日には率先して動くべきだろうと考えたの」
サンジュラは西と東の混血であり、シフォン=チェルは北から南に神を移した立場であったのだ。確かに、これほど異国とゆかりの深い従者を引き連れている貴族は、リフレイアの他に心当たりがなかった。
「なるほど。だから今日は、サンジュラも正式な参席者に抜擢されたわけですか?」
「そうよ。貴族がらみの集まりでは、いつも物陰にひそんでいるものね。今日はムスルと、その役割を交代してもらったのよ」
その役割をどのように受け止めているのか、サンジュラはいつも通りの穏やかな微笑をたたえたまま無言である。その代わりに、建築屋の若い団員が陽気な声をあげた。
「噂には聞いてたけど、この従者さんがアスタをさらった張本人なんだってな。きっちり和解できたようで、何よりだよ」
その口ぶりからして、もう傀儡の劇に関して取り沙汰されていたらしい。まあ、リフレイアとアラウトがそろっていれば、真っ先に話題に出しそうなところであった。
「で、この従者さんは東の血をひいてるけど、生まれながらに西方神の子なんだってな。だったら、俺たちが避ける必要もないってこった」
「でも、西で育った西の民のわりには、しゃべりかたまで東の民そのままだよな?」
もうひとりの団員が遠慮なく質問をぶつけると、サンジュラは同じ笑顔のまま「はい」と首肯した。
「私、母、育てられたため、東の言葉、覚えました。そののち、西の言葉、学んだのです」
「ふうん? 西の地で、東の民の母親に育てられたってのかい?」
「はい。母、西の民、買われた身でした。母、魂、返すまで、外出、禁じられていたのです」
サンジュラの思わぬ返答に、建築屋の面々は言葉を失う。
するとリフレイアが、穏やかな面持ちで発言した。
「異国の女性を銀貨で買って屋敷に閉じ込めるだなんて、あまりに非道なやり口よね。どうか南の方々には、西の民を見損なわないでいただきたいものだわ」
「え、ええ。そりゃもちろん、どこの王国にだってしょうもない人間はいるもんでしょうよ」
建築屋のひとりが頭をかきながら応じると、リフレイアは「ありがとう」と微笑んだ。
その非道でしょうもない人間というのが、おそらくサイクレウスのことであるのだ。しかし、リフレイアが内心を押し殺している様子はなかった。
(まあ、リフレイアはそういうサンジュラの過去をすべてわきまえた上で、一緒にいるんだろうからな)
きっとリフレイアはそういった話をすべて呑み込んだ上で、大きな成長を果たしたのだ。リフレイアは実に立派なたたずまいであったし、アラウトも温かい目で見守っていた。
「あとは、シフォン=チェルもこちらの方々とはちょっとしたご縁をお持ちなのよね」
「ああ、エレオ=チェルは、バランのおやっさんの弟さんであるデルスのもとで働いているんですよね」
「そうそう。俺たちなんかはデルスと大したつきあいはねえけど、やっぱり感慨深いもんだよ」
そのように語る建築屋のひとりは、とても明るい眼差しでシフォン=チェルを見つめる。シフォン=チェルも彼女の兄であるエレオ=チェルも、いまや彼らの同胞であるのだ。シフォン=チェルもまた、ゆったりとした笑顔で目礼を返した。
「そちら、じょせい、うつくしいです。ラキュアなら、こんぎ、もうしいれ、たくさんです」
マドがにこにこと笑いながら声をあげると、建築屋のひとりが苦笑を浮かべつつ振り返った。
「お前さんは、俺たちよりも遠慮がねえな。このお人は、こちらの姫君の侍女さんなんだぜ?」
「はい。うつくしさ、ほめる、きんきですか? でしたら、おわびします」
「いえ。従者が賞賛されるのは、主人にとっても光栄な限りよ」
リフレイアが笑顔で取りなして、マドとバルファロと建築屋の面々を見回した。
「あなたがたとはどちらも森辺の祝宴でご一緒しているけれど、同時にお相手するのは初めてのことよね。とても得難く思うわ」
「まったくですね。森辺の祝宴ではどうしても森辺の民の割合が高くなるので、客人同士で語らう機会が減ってしまうのでしょう」
俺がそのように答えると、リフレイアは「そうね」と微笑んだ。今日は、ひときわ笑顔が多いようだ。
「でも、森辺の方々との語らいも楽しくてならないのだから、致し方ないわね。そうして今日の晩餐会は、それとも趣の異なる楽しさだわ」
「はい。もりべ、しゅくばまち、どちらも、たのしいです」
それだけの言葉を交わしてから、俺たちはようやく卓の料理を味わうことになった。
こちらも料理長の心尽くし、ギバ肉のソテーである。しかしもちろんギバ料理においても料理長の手腕は如何なく発揮されており、香草キバケの複雑な香気がふんだんに盛り込まれた派手派手しい味わいであった。
「こちら、あじ、びっくりです。……リフレイア、びみ、おもいますか?」
「そうね。城下町ではこういう複雑な味わいが流行していたから、ジェノスの貴族で文句をつける人間はいないのじゃないかしら。でもやっぱり、森辺の料理が恋しくなってしまうところよね」
「はい。アスタのりょうり、こいしいです」
「あはは。でも、今日の料理はレイナ=ルウの取り仕切りですよ。もちろん、どなたにもご満足いただけるかと思いますけれど」
そして、マドよりも焦れた顔になっているのは、アイ=ファである。城下町の料理にもだいぶん慣れてきたアイ=ファであるが、やっぱり森辺のギバ料理を求める気持ちを消し去ることはかなわないのだ。ルド=ルウあたりも料理長の面目を慮って、口をつぐんでいるのではないかと思われた。
それでもしばらくはリフレイアたちとの歓談を楽しんでから、俺たちは移動を開始した。
その道中で、アイ=ファがこっそり俺に告げてくる。
「リフレイアは、見るたびに成長しているようだな。実に心強く思う」
「ああ。リフレイアも苦労してきた身だからな。もう立派な当主だと思うよ」
「うむ。そういえば、この場で当主という立場であるのはリフレイアのみであるのだな」
確かにこういう若い貴族が集う会においては、リフレイアがジェノスの貴族としてもっとも高い身分になるのだ。それでいて、年齢はオディフィアの次に若いのであろうから、ずいぶんな重責を担っているのではないかと察せられた。
「……しかしまた、それは婚儀を挙げるまでのかりそめの身分であるという話であったな。であれば、我が子が育つまで家長の座を担ったジバ婆のようなものなのであろうな」
「うん。でも、立派なことに変わりはないよな」
「何を言う。私は、ひときわ立派だと思っているぞ」
冗談めかして言いながら、アイ=ファは目もとで微笑んでいた。つまり、ジバ婆さんを引き合いに出すぐらい、リフレイアを立派だと感じたのだろう。俺としても、まったくもって異存はなかった。
そうして俺たちは間にひとつの卓をはさんで、ようやく森辺の料理の卓に行き当たったが――そちらは、とりわけ賑やかであった。ラウ=レイにヤミル=レイ、ドゥルクとギーズ、ティカトラスにデギオンにヴィケッツォという面々が寄り集まっていたのだ。まあ、その中で賑やかさを担っているのは、おもにラウ=レイとティカトラスであった。
「おお、ようやく出くわしたな! うかうかしていると、森辺の料理を食い尽くされてしまうぞ!」
「百人分の料理が、そう簡単になくなるかよ。でもラウ=レイは、もうちっと遠慮しろよなー」
ラウ=レイを前にすると、ルド=ルウのほうが大人びて見えてしまう。そして、ラウ=レイよりも稚気にあふれかえっているのは、すでにいい歳であるティカトラスであった。
「おお、アイ=ファ! 今日も宴衣装でないのは残念な限りだけれども、やはり君の輝かしさには目が眩んでならないね!」
ついにティカトラスも、ドゥルクの前で遠慮をする方針を取りやめたようである。そしてドゥルクはティカトラスの軽口に憤慨する様子もなく、ヴィケッツォのかたわらでにこにこと笑っていた。
《青き翼》を森辺に招いた祝宴以降、俺がドゥルクとヴィケッツォの対面を間近から見るのは初めてのこととなる。ヴィケッツォは相変わらず不愛想な面持ちであったが、ドゥルクのほうはご満悦の様子なので何よりであった。
「ああ、バルファロの面倒はマドが見てくれていたのかい。世話をかけちまって、悪かったね」
ギーズの言葉に、マドは笑顔で「いえ」と応じる。
「おかげで、アスタ、アイ=ファ、いっしょです。わたし、たのしいです」
「そいつは何よりだったね。……アスタの旦那にアイ=ファの姐さんも、世話をかけちまってすいやせん」
「いや。今日はそちらを見送る送別の会なのだから、世話を焼くのが当然であろう」
凛々しい面持ちで応じつつ、アイ=ファはさっそく料理を手にした。
本日の献立は、ピリ辛のタラパシチューである。主役となるのはギバのバラ肉と牡蠣のごときドエマで、レイナ=ルウがこれまでに培ってきたギバ肉と魚介の調和の手腕が如何なく発揮されていた。
なおかつこちらのシチューには、複雑な香気を持つキバケと、トリュフに似たアンテラも積極的に使われている。アンテラはレテンの油に香りを移された上で、たっぷり添加されているのだ。きわめてオイリーな仕上がりであるが、タラパの酸味や香草によって清涼感が補充されて、またとない味わいを完成させていた。
「アイ=ファたちも、すっかりラキュアの面々と打ち解けたようだね! まあ、おたがいの純真なる気性を考えれば、それも当然のことだろうけどさ!」
アイ=ファと語らうのはちょっとひさびさであるためか、ティカトラスもご機嫌の様子だ。まあ、こちらも無邪気さはマドたちに負けていないのだが、根底に色欲というものが残されているためか、アイ=ファの対応は素っ気なかった。
「そちらもドゥルクと絆を深めることができたようで、何よりであったな。まあ、私としてはドゥルクに遠慮しているぐらいのほうが、扱いやすいのだが」
「あっはっは! それでは半分がた本音を隠しているようなものだからね! すべての真情をさらしてこそ、真なる絆が結べるというものさ!」
ドゥルクに肖像画を捧げた際とは、別人のような振る舞いである。しかしまあ、この振れ幅の大きさこそがティカトラスであるのだろう。
「……そちらもそちらで、絆が深まったようだな」
アイ=ファに視線を向けられたヴィケッツォは、むっつりとした顔で「ええ」と応じた。
「ですがべつだん、やましい関係ではありません。どうぞ誤解のなきように」
「誰もそのような話を勘ぐっておらんぞ。ドゥルクの真情を疑う者はおるまい」
ドゥルクの真情とは、母親に瓜二つであるヴィケッツォに恋情を抱いているわけではない、ということであろう。ドゥルクがヴィケッツォの母親に恋い焦がれていたのは二十年ばかりも昔の話であり、現在の彼らは親子ほども年齢が離れているのだ。
そんなドゥルクがヴィケッツォに向けているのは――それこそ、親子の情に似た思いであるのだろうか。若輩者の俺には実感しがたいところであるが、何にせよドゥルクの青い瞳にあふれかえるのは愛しい我が子を見守るような温かい輝きであった。
「それにしても、大層な賑わいでやすねぇ。このお屋敷では、こんな騒ぎも珍しくねえんで?」
「いえ。こちらの屋敷がこういう形で使われるようになったのは、ここ最近の話なんですよ。俺自身、まだ数えるほどしかお招きされたこともありませんしね」
「そうなんですかい。ますます恐縮しちまいやすねぇ」
「恐縮する必要はありませんよ。これは《青き翼》を中心にして実現した集まりなんですからね。みなさんがさまざまな相手と交流を深めたからこそ、こんなに立派な会になったんだと思いますよ」
「へへ。もったいねえお言葉で」
ギーズはにまにま笑いながら薄くなりかけた頭を撫で回すと、何気ない風にアイ=ファのほうを振り返った。
「ところで、アスタの旦那に商売の話でうかがいたいことがあったんでさあ。ちっとばっかり、旦那をお借りしても許されやすかい?」
「うむ? この場で語れぬような話であるのか?」
「いえいえ。ただ、横やりを入れられるのも面倒なもんで、二人きりでちゃちゃっと片付けてえんでやすよ」
アイ=ファは疑わしそうにギーズの笑顔を見据えてから、俺の耳もとに唇を寄せてきた。
「どうにもこやつは、本心が見えにくい。まあ、悪心を抱いていることはなかろうが……くれぐれも、油断するのではないぞ」
「わかったよ。何を話したかは、あとできっちり報告するからな」
俺も今さら、ギーズの真情を疑うことはない。それに本日は貴族も集う会であるため、ひときわ入念にボディチェックされているはずであるのだ。ギーズがどのような魂胆であろうとも、物理的な危険は決して存在しないはずであった。
そうして俺とギーズは人垣を離れて、壁際で身を寄せる。
もといた場所に背中を向けながら、ギーズは小声で語り始めた。
「話というのは、他でもありやせん。俺らが買いつけたギバ肉についてでやすが……こいつの売り値は、俺らに一任してもらえやすかい?」
「はい? それはもちろん、どのような値をつけようともそちらの自由ですよ。ただ、あんまり高額にしてしまうと、買い手がつかなくなってしまうんじゃないですか?」
「いえいえ。それより、値引きの話でさあ。もしも売れ残っちまった場合は腐る前に売りさばかなきゃならねえんで、損する覚悟で値引きする必要も出てくるんでやすよ」
「ああ、そういうことですか。そちらに関しても、問題はありませんよ。もともと干し肉や腸詰肉は割高なんで、どれほど値引きしてもギバ肉が安物だという印象にはならないでしょうからね」
「承知しやした。ま、ギバ肉が売れ残ることはねえと踏んでるんでやすが、いちおう確認させてもらいたかったんでさあ」
そこでギーズが口を閉ざしたので、俺はきょとんとしてしまった。
「えーと、お話というのは、それだけですか? べつだん、人の横やりを気にするような内容ではなかったように思うのですが……」
「ええ、ええ。でも、虚言は罪でやしょう? 旦那を引っ張り出すために、商売の話をひねりだしたんでさあ」
そう言って、ギーズはにんまり微笑んだ。
「実は、こいつをお渡ししたかったんでやすよ。おっと、他の連中に見つからねえように、お気をつけて」
ギーズは懐から小さな袋を取り出し、その中身を自分の手の平に転がした。
不思議な色合いにきらめく、指輪である。おそらく金属なのであろうが水晶のように光を反射して、得も言われぬ美しさを現出させている。形状はCの字で、細身であるために彫刻なども施されていないが、そのきらめきだけで十分な美しさであった。
「素敵な品ですね。でも、どうしてこれを俺に?」
「旦那には、さんざん世話になりやしたからね。さっきは俺たちが踏ん張ったおかげで成果をあげられたんだってお言葉をいただきやしたが、どうも俺としては旦那のおかげだって気分が抜けねえんでやすよ」
「いえ、そんなことはないと思いますよ。俺が特別、みなさんのお世話を焼く場面はなかったでしょう?」
「それでも、そんな気分が抜けねえんでやすよ。そもそもこのジェノスってのは旦那を中心に結束してるもんだから、俺たちはその尻に乗っかったような心地なんでさあね」
そんな風に言ってから、ギーズは空いているほうの手をぷらぷらと振った。
「って、そんな大仰な言葉を聞かされたら、旦那だって恐縮しちまうだけでやしょう。何にせよ、俺たちは旦那に感謝してるってこってす。こいつは、感謝のしるしでさあ」
「はあ……そのお気持ちはありがたいのですが、俺は指輪をはめる習慣がないのですよね。何せ、かまど番なもので」
「へへ。こいつは、女もんでやすよ。もちろん野郎でもはめられねえことはねえでしょうが、王都の外交官様ぐれえなよかなお人じゃねえと、似合いやしねえでしょう」
と、ギーズはネズミのような顔で笑った。
「旦那はいっつも、アイ=ファの姐さんに飾り物を贈ってるんでやしょう? よかったら、次の機会にはこいつをお使いくだせえ」
「ええ? でも、俺が贈り物をするのは生誕の日ぐらいですし……アイ=ファの生誕の日は、まだまだ先なのですよね」
「ふふん? 旦那は生誕の日にしか、贈り物をしてねえんで?」
「はい」と言いかけて、俺は危うく踏みとどまった。俺が最初に贈った青い石の首飾りは、生誕の日も関係なかったのだ。あれは俺が《銀の壺》の露店で発見して、あまりにアイ=ファの瞳の色合いと似ていたものだから、半ば衝動的に購入した品であった。
「べつだん、ここぞという場面まで仕舞いこんでも、かまいやしやせんよ。どう扱おうと、旦那の自由でさあ」
ギーズは得々と語りながら指輪を袋に仕舞いこみ、俺に押しつけてきた。
「じゃ、戻りやしょうか。あんまり姐さんを待たせると、痛くもねえ腹を探られちまいやすからねぇ」
俺はとりあえず胴衣の内ポケットに指輪の袋を押し込んでから、アイ=ファたちのもとに戻ることになった。
新たなシチューをすすりながら、アイ=ファは横目でにらみつけてくる。俺がそちらに曖昧な笑顔を返すと、リミ=ルウが元気に「ねーねー!」と呼びかけてきた。
「ドゥルクたちは、またいつかジェノスに戻ってくるんだってよー! よかったねー! 楽しみだねー!」
「え? そうなんですか?」
俺が思わず振り返ると、ギーズはすました顔で肩をすくめた。
「まったく、こらえ性のねえ連中でやすねえ。俺らの旅は風の吹くまま気の向くままになんで、なんも約束はできねえんでやすよ」
「でも、今のところはそういう予定だってんだろ?」
ルド=ルウも言葉を重ねると、ギーズは「そうでやすねえ」とせり出た鼻の頭をかいた。
「ま、普通に考えりゃ、そういうことになるんでやしょう。いったんジャガルに踏み込んだら、そのまんま西の王都を目指すことも難儀な話になりやすからね。ジャガルの領地で西に向かえば向かうほどゼラドが近づくんだから、なおさらでさあ」
竜神の民は、ゼラド大公国を忌避しているのである。ゼラドそのものに足を踏み込むことはもちろん、ゼラドと懇意にしている領地にも近づきたくないのだろうと察せられた。
「それに、ジェノスと王都を繋ぐ道のりに関しても、《銀の壺》のお人らのおかげでずいぶん目処が立ちやしたからね。だったら素直にジェノスまで引き返すのが、一番の得策でさあ」
「だったら、悩む必要はねーんじゃねーの?」
「誰も悩んじゃおりやせんよ。ただ、いきなり南の王都に向かおうって話になるかもしれやせんし、いっそそこから船で帰ろうなんて話にならないとも限りやせん。それぐらい気まぐれな人間の集まりなもんで、軽はずみな約束はつつしんでいただけでさあね」
「でも、きっと、やくそく、まもれます」
と、ドゥルクが笑顔でそう言った。
「わたしたち、ジェノス、だいすきです。みんな、もういちど、きたい、かんがえています。だから、やくそく、まもれます」
「ああ、そうでやすかい。ま、首領はドゥルクの親分なんでやすから、好きにしてくだせえ」
「はい。わたし、やくそくします。じき、わかりませんが、ジェノス、もどります」
「うんうん! ジェノスというのは、それだけ魅力的な土地だからね!」
と、酒杯を掲げたティカトラスが陽気な声をあげた。
「その頃にはわたしたちも出立した後だろうけれども、まあ我々はダームで再会できるからね! 十ヶ月後を、楽しみにしているよ!」
「はい。よんだいしん、みちびきです」
ドゥルクは、変わりのない笑顔をティカトラスに返す。実のところ、ドゥルクがティカトラスに笑いかけるシーンを目にするのは、俺にとって初めてのことであった。
「じゃ、そろそろ移動するかー。ここにいると、本気で料理を食い尽くしちまいそうだからなー」
ルド=ルウのそんな言葉で、俺たちはまた移動することになった。
竜神の民もメンバーチェンジはせず、マドとバルファロが追従してくる。もとの通りの、六名連れだ。その頃には、いよいよ宴もたけなわといった賑わいであった。
次なるは、菓子の卓である。
トゥール=ディンたちが作りあげたのはひと品のみであるため、他の菓子と一緒に並べられている。そしてそこには当然のように、オディフィアとエウリフィアの姿があった。
「あ、みなさんも席を離れたのですね」
「ええ。あちらの席でもトゥール=ディンの菓子をいただいたのに、オディフィアにはまったく足りなかったようね」
そのように語るエウリフィアのかたわらで、オディフィアは灰色の瞳を輝かせながら菓子を頬張っている。本日は時間が限られていたので定番のロールケーキであったが、味付けに関してはまた新たな細工が施されていた。
そんなオディフィアを見守っているのは、トゥール=ディンとゼイ=ディン、スフィラ=ザザとゲオル=ザザ、ディアルとラービス、バランのおやっさんとアルダス、プラティカとニコラ、そしてアリシュナというなかなかの大所帯であった。
「……なかなかに物珍しい組み合わせだな」
アイ=ファがそのように呼びかけると、ディアルは「ふん」と鼻を鳴らした。
「それが、今日の趣旨なんでしょ? 僕たちは、好きに菓子を楽しんでるだけさ」
「うむ。俺たちは四人で動いており、たまたまこの場で出くわしただけのことだ」
ロールケーキを口に運びながら、おやっさんもそう言った。どうやらジャガルの四名で大広間を巡っており、こちらの卓でシムの面々と行きあわせたということであるようであった。
アリシュナには同伴者もいないので、またプラティカが面倒を見ていたのだろう。二人がどれほど交流を深めたのかは謎であったが、祝宴などではこうして行動をともにすることも少なくないのだ。また、南の民がひしめいているためか、アリシュナも余興の星読みの仕事は担わされていないようであった。
そして、こうして東と南の民がおたがいを忌避することなく同じ卓で菓子や料理を楽しむというのが、本日の趣旨であるのだろう。間に貴族や森辺の民をはさみつつ、そこにはごく平穏な空気がたちこめていた。
「今日はアリシュナも、ひとりの参席者という立場なのですよね。《青き翼》の方々とは、交流を深める機会がありましたか?」
俺の呼びかけに、アリシュナは「多少」とだけ答える。
そして、何気なくアイ=ファのほうを振り返ったアリシュナは――ぐらりとよろめいて、隣のプラティカにもたれかかることになった。
「どうしました? 身体、不調ですか?」
アリシュナよりもやや小柄であるプラティカはそのしなやかな腕でしっかり支えてあげながら、けげんそうに声をかける。
「いえ」と首を振るアリシュナは、夜の湖を思わせる黒い瞳に彼女らしからぬゆらめきをたたえながら一心にアイ=ファのことを見つめていた。
「アイ=ファ……大きな変転、間近、迫っています」
「おい。勝手に人の星を読むのは、禁忌なのであろうが?」
厳しい声で応じながら、アイ=ファはアリシュナの真情を探るように目をすがめた。
「……しかし、ともあれ、落ち着くがいい。気分がすぐれぬのなら、身を休めるべきではないか?」
「はい。椅子、必要です」
と、プラティカは鋭い眼差しで壁際のほうを見た。
「とりあえず、移動します。ニコラ、こちら、お待ちください」
華奢な身体をプラティカに支えられながら、アリシュナは壁際に連れていかれる。
アイ=ファはひとつ息をついてから、エウリフィアやおやっさんたちを見回した。
「私も様子を見てこよう。晩餐の場を騒がせてしまい、申し訳なかった」
「何もアイ=ファが謝罪するような話ではないわ。でも、アリシュナがあのような姿を見せるのは初めてなので、ちょっと心配なところね」
そのように語るエウリフィアは優雅なたたずまいであるが、隣のディアルはそわそわと身を揺すっている。口で何と言おうとも、ディアルはアリシュナとそれなり以上の交流を深めてきた身であるのだ。しかし、表だってはアリシュナを思いやることもできないディアルの代わりに、俺とアイ=ファがアリシュナのもとに馳せ参じることにした。
壁際には椅子の準備がされていたので、アリシュナはそちらに座らされている。
俺たちが駆けつけると、アリシュナは目を伏せたまま静かに語った。
「アイ=ファ、アスタ、失礼しました。醜態、さらし、羞恥、限りです」
「かまわん。しかし、私の星についてむやみに語ることは控えてもらいたく思う」
アイ=ファが鋭い声音でたしなめると、アリシュナは感情の読み取れない調子で「はい」と応じた。
「星図の乱れ、あまりに、大きかったため、心、乱してしまいました。また、心、乱れることで、星の輝き、より強まります。未熟、羞恥、限りです」
「……あなた、意図なく、星、見えたのですね。その力、驚き、禁じ得ません」
プラティカもまた、アイ=ファに負けないぐらい鋭い眼差しをしている。ただしそちらには、感服の思いもにじんでいるように感じられた。
「ひとつ、確認です。アイ=ファ、星読み、願いませんか?」
アリシュナの問いかけに、アイ=ファは厳粛なる面持ちで「うむ」と応じる。
「お前の星読みの技がこれまでに数々の災厄を退けてきたことは、私も承知している。しかし私は、自らの手で運命を切り開きたいと願っている身であるのだ。星読みの力に頼ることは、つつしみたく思う」
「承知しました。では、ひとつだけ、助言、お許しください」
アリシュナは複雑な形に指先を組み合わせて、頭を垂れた。
「以前、語った通り、アイ=ファ、赤き猫の星、黒き深淵――すなわち、アスタ、寄り添っています。おそらく、星図の乱れ、アスタ、原因ですが、星、見えないため、赤き猫の星、中心、思えるのです」
「……それが、お前の言う助言か?」
「いえ。助言、これからです。……星図、これだけ、乱れるなら、アスタ、必ずや、影響、受けます。アスタ、悪夢、見舞われた日、用心、お願いいたします」
すると、俺やアイ=ファに代わって、プラティカが鋭く声をあげた。
「アスタ、悪夢、見舞われた日、飛蝗の災厄、勃発した、聞いています。ジェノス、何らかの災厄、見舞われるのでしょうか?」
「いえ。このたび、災厄、ありません。あえて、言うならば……試練です。アイ=ファ、行動、如何によって、星図、大きく、変動するのです」
そのように語りながら、アリシュナはいっそう深くうなだれた。
「私、アイ=ファ、強さ、信じています。どうか、アスタ、ともに、試練、乗り越えてください。私、あなたたち、勝利、信じています」
「……どのような試練が訪れようとも乗り越えてみせることは、約束しよう」
そう言って、アイ=ファは少しだけ眼光をやわらげた。
「そして、お前の助言も受け取った。お前がアスタの身を案じてくれていることは、ありがたく思っている」
「はい」と静かに答えたアリシュナは、そのまま動かなくなった。
プラティカはそのかたわらに寄り添いながら、俺とアイ=ファを見比べてくる。
「私、しばらく、付き添います。アイ=ファ、アスタ、お戻りください」
「うむ、頼んだぞ」
アイ=ファが颯爽ときびすを返したので、俺も慌てて追いかけた。
「なあ、アイ=ファ。今のは――」
「うむ。星読みの力に頼る気はないが……ついにまた、悪夢に見舞われる日が近づいているのやもしれんな」
そのように告げるなり、アイ=ファがこれまで見せたこともないような表情を見せた。
慈愛にあふれかえりながら、火のように猛々しい――それこそセルヴァの神像のように、二面性を秘めた笑顔である。それはどちらもまぎれもなくアイ=ファらしい表情でありながら、同時に表出するのは初めてのことであった。
「であれば、二人で手を携えて乗り越えるだけのことだ。お前も力を尽くすのだぞ、アスタよ」
「……うん、もちろんだよ」
俺はアイ=ファの優しさと猛々しさに心を翻弄されながら、それでもめいっぱいの気合を込めて返事をしてみせた。
またあの悪夢に見舞われるのかと思うと、背中にぞわぞわと悪寒が走る。しかし前回はアイ=ファのおかげで、悪夢の向こう側が見えかけていたのだ。
俺ひとりでは乗り越えられない試練でも、アイ=ファと二人ならば乗り越えられる。
俺がどれだけ無力な人間であろうとも、その一点だけは信ずることができた。
「……アイ=ファがそんな顔で戻ったら、おやっさんたちを心配させちゃうかもしれないな」
俺が気力をかき集めて軽口を叩くと、アイ=ファはふいに足を止めて、自分の顔に両手をあてがった。
「私はそれほどに、物騒な顔つきをしているか?」
「あ、だいぶ戻ったみたいだな」
俺が笑うと、アイ=ファも穏やかな感じに笑った。
その青い瞳は、強く明るく輝いている。アイ=ファは赤き猫の星であるそうだが、俺にとってはその青い星のごとききらめここそがアイ=ファそのものであった。
そうして俺たちは心の奥底に気合の炎を隠しながら、賑わいの場に舞い戻った。
送別の晩餐会は、まだまだ半ばであるのだ。たとえこの先にどのような運命が待ちかまえているとしても、俺たちは今この瞬間を二の次にすることなく懸命に生きていくしかなかった。




