送別の晩餐会①~下準備~
2025.6/13 更新分 1/1
城下町の晩餐会から、二日後――青の月の九日である。
《青き翼》を送別する晩餐会は、その日に開催されることになった。
このたびも、隔日で新たなイベントが開催されることになったのだ。《銀の壺》を歓迎する祝宴から開始された一日置きのイベントも、これでついに五回目となるわけであった。
しかしそんな運命の悪戯も、これにて打ち止めである。
何せ、明日は家長会議であり、明後日には東の王都の使節団が到着するのだ。今日からは隔日でなく、三日連続で慌ただしく過ごすことが決定されているのだった。
「まさか本当に、《銀の壺》ともども晩餐会なんぞに招待されるとはね。俺は何だか、神様に内心を見透かされたような心地だよ」
その日の屋台の営業中にそんな言葉を告げてきたのは、建築屋のメイトンであった。
「それとも、まさか……アスタが俺のために、あれこれ手を回したわけじゃないよな?」
「もちろんです。南と東の関係性に口出しするなんて、そんな大それたことはできませんよ」
「そっか。それなら、よかったよ。アスタにそんな真似をさせたら、俺がおやっさんにどやされちまうからな」
メイトンが苦笑しながら頭をかくと、おやっさんがその肩を小突いた。
「願いがかなったらかなったで、またぐずぐずと文句を言っておるのか。お前さんも、ずいぶんみみっちい男になったもんだな」
「そんなことねえよ。そもそも俺は、貴族様の晩餐会なんかに招かれたいと願ってたわけじゃないんだからな」
「森辺の民も招かれているのなら、不満はなかろうが? 羽目を外して、貴族の不興を買うのではないぞ」
そんな風に言ってから、おやっさんは俺のことをじろりとにらみつけてきた。
「とはいえ、俺もたいそう奇妙な心地だぞ。……やはり今日は、シュミラル=リリンも招かれておるのか?」
「はい。シュミラル=リリンも、《銀の壺》の一員ですからね。貴族からの招待を、族長たちが受諾しました」
「そうか。どちらかといえば、あいつの伴侶や赤子と懇意にさせてもらいたいところだがな」
おやっさんの珍しい軽口に、俺は「あはは」と笑ってしまった。
「きっとヴィナ・ルウ=リリンも、おやっさんたちに会いたがっていると思いますよ。次の機会には、リリンの家に招いてもらったら如何ですか?」
「ふん。招かれる側が注文をつけられるものか。俺はメイトンほど、不遜ではないのでな」
「だから俺だって、そんなんじゃねえって。いい加減に、勘弁してくれよ」
メイトンは困り顔で、また頭をかく。しかしまあ、俺としては微笑ましい交流の範疇であった。
「おやっさんたちは、何をのんびりしてるんだい? そろそろ中天になっちまうぞ?」
アルダスの呼びかけに、おやっさんたちは大慌てで食堂に向かっていった。中天からは、向かいのスペースで傀儡の劇が開始されるのだ。十日間の予定で開始されたリコたちの特別興行も、いよいよ大詰めという時期であった。
その後はリコの澄みわたった声を聞きながら、屋台の商売に励む。
ただし、傀儡の劇が行われている間は客足もおおよそ止まってしまう。そうして中天のラッシュが終演後にずれこむというのも、ここ最近の通例であった。
「今日もまた、わたしが知らない御伽噺であるようです。ここからでは声しか聞くことはできませんが、胸が弾んでなりませんね」
隣の屋台で働くダゴラの女衆が、こっそりそんな言葉を告げてくる。俺は心から「そうだね」と同意することになった。
『森辺のかまど番アスタ』は最初の三日間で公演を終えて、それ以降はさまざまな演目がお披露目されている。しかしどのような演目であっても、リコたちの人気に変わりはない。それぐらい、リコたちの手腕には磨きがかけられていた。
「でも、明日は家長会議で屋台も休みですし、《青き翼》の方々もジェノスを出立してしまうのですよね? それでもリコたちは、舞台を開くのでしょうか?」
「うん。それでどれぐらいのお客が集まるのかを確かめたいって言ってたよ。一日ぐらいは稼ぎが少なくても、問題はないんだろうしね」
「そうですか。あれだけ立派な劇であれば、屋台がなくともお客が集まるのかもしれませんね」
そんな言葉を交わしている間に演目が終了して、お客が屋台になだれこんできた。
その中には、見知った顔が数多く入り混じっている。建築屋の面々は食事をしながら観劇していたが、《銀の壺》や《青き翼》の面々はこれからであった。
しかしこちらも大忙しであるため、なかなかゆっくり言葉を交わすいとまはない。それに、夜には晩餐会でご一緒できるのだ。俺は寂寥感を覚えることなく、笑顔で応対することができた。
やがて終業時間が近づくと、護衛役の狩人たちが森辺からやってくる。
けっきょく今回も、料理と菓子をひと品ずつ供することになったのだ。まあ、主催者がリーハイムで、オディフィアの参席も決定したので、それが自然の摂理というものであった。
「アイ=ファには毎回、苦労をかけちゃうな。こんなに狩人の仕事を休むのは、不本意だろう?」
料理を売り切った俺が後片付けをしながら呼びかけると、アイ=ファは凛々しい面持ちで「案ずるな」と応じた。
「まるまる仕事を休んだ日はごく限られているし、罠の見回りだけでも何頭かのギバを捕らえることができている。……そもそもお前とて招かれている身であるのだから、お前が詫びる必要はあるまい?」
「うん。だけど一昨日の晩餐会なんかは、俺がたきつけた結果だしさ」
「あれはフェルメスと絆を深めるための行いであったのだから、なおさら詫びる必要はない。……あの短い時間でも、語らった甲斐はあるのだろうしな」
と、アイ=ファは目もとで微笑んだ。
アイ=ファも一昨日の晩餐会で、得るものがあったのだろう。そのためにこそ、俺たちはフェルメスとの晩餐会を企画したのだった。
「今日もフェルメスは参席するはずだけど、ゆっくり語らう時間はなかなか取れないんだろうしな。俺自身、話したい相手がたくさんいすぎて困っちゃうよ」
「《銀の壺》と建築屋が居揃っている上に、《青き翼》とはこれでお別れなのだからな。せいぜい後悔のないように、励むがいい」
そうして後片付けを終えて、青空食堂の始末もつけたならば、いざサトゥラス伯爵家の屋敷である。
が、まずは城下町の当番であった面々を待たなくてはならない。屋台の返却は帰宅する組におまかせして、俺たちは無人の青空食堂で待機することになった。
ほんの数分ていどで、街道の北側からバルシャの運転する荷車がやってくる。
本日の当番は、こちらがユン=スドラとレイ=マトゥア、ルウ家がレイナ=ルウとマァムの女衆だ。マァムの女衆は、研修を終えてから初めての当番であった。
「お疲れ様。今日も何事もなかったかな?」
「はい。客足にも変化はありません。どちらかというと、ますますお客が増えそうな気配でしたね」
「わたしも、そう思いました! それに、評判を聞いて初めて足を運んだというお客もおられましたよ!」
城下町で商売を始めてから、あと十日足らずでふた月という日取りになる。それでもまだ新規のお客が増えているというのは、心強い限りであった。
「それじゃあ俺たちは、次の仕事に取りかかるよ。今日はゆっくり休んで、明日の家長会議に備えてね」
「はい! 明日が楽しみですね!」
今日は族長筋を中心にメンバーが固められたので、ユン=スドラもレイ=マトゥアも参席できなかったのだ。しかし、明日の家長会議のかまど仕事には抜擢されているので、どちらも意欲は十分であった。
こちらにはレイナ=ルウだけが居残って、荷車は街路の向こうに消えていく。
レイナ=ルウは早くも気合の入った面持ちで、一礼した。
「では、出発しましょう。作業時間は、三刻足らずですからね」
本日はサトゥラス伯爵家の主催となったので、レイナ=ルウに取り仕切り役をお願いしたのだ。頼もしいリーダーの先導によって、俺たちはサトゥラス伯爵家の屋敷を目指した。
いつも通り、かまど番と護衛役がそのまま晩餐会の参席者となる。俺とアイ=ファ、レイナ=ルウとジザ=ルウ、ララ=ルウとシュミラル=リリン、リミ=ルウとルド=ルウ、ヤミル=レイとラウ=レイ、ツヴァイ=ルティムとガズラン=ルティム、トゥール=ディンとゼイ=ディン、スフィラ=ザザとゲオル=ザザ、サウティ分家の末妹とダリ=サウティという顔ぶれで、総勢は十八名だ。
なんだかんだで、今日の参席者は百名にも及ぶらしい。それが屋敷の大広間の最大収容人数であるのだろう。もとより使い道の少なかった宿場町の屋敷は、それほど規模も大きくないのだ。ただしリーハイムの意向で厨は立派に改装されたので、おまけの俺たちがこれだけの人数でも何とか支障は出ないはずであった。
「基本の献立は、料理長が仕上げるんだよね? レイナ=ルウも、楽しみだろう?」
「はい。あのお方は、ヴァルカスやティマロともまた異なる手腕をお持ちですので」
と、レイナ=ルウは気合の入った面持ちのまま微笑んだ。
「そういえば、ヴァルカスたちにもなかなか会う機会がありませんでしたね。明後日にはお会いできるのでしょうから、とても楽しみです」
東の王都の使節団が持ち込む新たな食材のお披露目会には、もちろん名だたる料理人が集結するのだろう。もちろん俺としても楽しみなところであったが、まずは本日の晩餐会と明日の家長会議を無事に乗り越えなければならなかった。
「あ、シュミラル=リリン。ラダジッドたちが晩餐会で会えるのを楽しみだと仰っていましたよ」
街路を歩きながら俺が告げると、シュミラル=リリンは嬉しそうに「はい」と微笑んだ。
「私、気持ち、同様です。四日前、リリンの家、招いたばかりですが、話、尽きません」
「うんうん。それが当然の話ですよね」
「はい。ですが、来月、ともに、旅立ちます。今、森辺の同胞、絆、深めるべき、自覚しています」
来月にはシュミラル=リリンも《銀の壺》の一員としてジェノスを出立し、半年がかりの行商に励むのだ。俺としても物寂しい限りであったが、そのときには笑顔で見送る所存であった。
そうして屋敷に到着したならば、守衛の簡単なチェックを受けて入場する。
《青き翼》に干し肉と腸詰肉の料理を味わってもらった試食の晩餐会以来、およそ二十日ぶりの来訪である。その前には建築屋を慰労する晩餐会にも招待されているし、この屋敷をもっと活用したいというリーハイムの願いは順調に成就しているようであった。
「にしても、わざわざ東と南の連中を同じ場所に集めるなんてなー。貴族連中も、ずいぶん遠慮がなくなってきたじゃねーか」
浴堂にて、ルド=ルウが装束を脱ぎ捨てながらそのように言い出した。
俺と同じ場で今日の晩餐会について知らされたガズラン=ルティムが、落ち着いた面持ちで「ええ」と応じる。
「ですが、《銀の壺》と建築屋であれば万が一にも諍いが起きる恐れはないでしょう。手始めの一手としては、理想であるように思います」
「あー。復活祭なんかでは、あいつらも仲良く騒いでたもんなー。そもそも戦に関わってねー人間がいがみあう理由はねーんだろうけどさ」
「それは私も同感ですが、王国の民としての意識が低いあらわれであるのかもしれません。我々は、森辺の民としても王国の民としても間違いのない道を探す必要があるのでしょうね」
「いちいちややこしく考えるやつだな! 町の人間でも、そうまで頭を悩ませてはいないように思うぞ!」
豪放に笑いながら、ラウ=レイがガズラン=ルティムの背中を引っぱたく。
まあ、ラウ=レイの物言いは乱暴であるが、彼は彼で感性にもとづく鋭い目を持っているのだ。俺たちは、知性も理性も感性もおろそかにすることなく、正しい道を模索しなければならないはずであった。
そうして身支度を終えた俺たちは、女衆と合流したのちに厨を目指す。
そちらには、本日も五名の料理人が待ちかまえていた。すなわち、プラティカとニコラ、セルフォマとカーツァ、そしてカルスという顔ぶれである。
「みなさん、お疲れ様です。今日は参席できるそうで、何よりでしたね」
「はい。東の民として、規範、示せるように、励みます。……ゲルドの民、私のみですので、責任、感じています」
もともと凛々しいプラティカが、普段よりも張り詰めた面持ちをしている。
すると、心優しきアイ=ファが目もとで微笑みかけた。
「お前はこれまでも、立派に規範を示せていたはずだ。気負うことなく、自然に振る舞うがいい」
「はい。助言、感謝しています」
「助言ではなく、なだめているつもりなのだが……まあ、お前はどれだけ気負ったとしても、失敗を犯すことはあるまいな」
そんな一幕を経て、俺たちは厨に踏み込むことになったが――そちらには、大変な熱気がたちこめていた。サトゥラス伯爵家の料理長の指示のもと、たくさんの人々が調理に取り組んでいるのだ。立派に改装された厨も、俺たちが入室することでキャパオーバーを起こしてしまいそうだった。
「お待ちしておりました、森辺の皆様方。あちらの卓を片付けておきましたので、自由にお使いください」
と、俺たちに気づいた料理長が、優雅な笑みをたたえて近づいてくる。彼自身が貴族であるかのような、恰幅のいい男性だ。
「お忙しい中、ありがとうございます。そちらのお邪魔にならないように取り計らいますので、どうぞよろしくお願いいたします」
取り仕切り役として、レイナ=ルウが挨拶を返す。
料理長は悠揚せまらず、「いえいえ」と応じた。
「また森辺の方々の料理と菓子を拝見できるのは、ありがたい限りです。このたびも、わたしと二名の副料理長には味見をお願いできますでしょうか?」
「もちろんです。忌憚のないご意見をよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
そうして挨拶は無事に終了したが、扉の外では狩人たちが騒いでいる。どうやら誰が厨に踏み入るかでもめているようだ。
「アイ=ファはいつも、アスタのそばでふんぞりかえっているではないか! たまには、場所を譲るがいい!」
「あー、だけどアイ=ファは、まだアスタをサンジュラたちにさらわれたことを忘れてねーんだろうしなー。それなら俺も、文句をつけられる立場じゃねーよなー」
「そのように古い話を蒸し返す必要はない。家人をそばから見守りたいというのは、誰にとっても当然の話であろうが?」
厨に入れる人間に限りがあるため、もめてしまっているのだろう。そしてそこにラウ=レイがいるために、いっそう過熱してしまうようであった。
その末に、俺が森辺にもたらした手遊び――『モルガの三すくみ』こと、じゃんけん大会が開始される。ただし、それに参加したのはアイ=ファとラウ=レイとルド=ルウに、ひやかしのゲオル=ザザのみであった。
その勝者となったのは、アイ=ファとルド=ルウである。
森辺の狩人にとってのじゃんけんは、手の形の変化を読み取る動体視力の勝負であるのだ。ラウ=レイが「くそー!」と猛烈に悔しがっていると、ルド=ルウが頭をかきながらなだめた。
「一刻ぐらいで交代してやるから、そんなに騒ぐなよ。ジザ兄、ラウ=レイをよろしくなー」
「うむ。そちらも手抜かりのないようにな」
ということで、俺たちはあらためて入室した。
九名のかまど番と二名の護衛役、そして五名の見学者だ。それだけで、俺たちにあてがわれたスペースはいっぱいになってしまった。
「これでもきっと半分がたの料理は、城下町で仕上げて持ち込むのでしょう。あちらの料理は、ただでさえ手間がかかりますからね」
「なるほど。さすがレイナ=ルウは、事情通だね」
「はい。あくまで、サトゥラス伯爵家に限ってのことですが」
そんな言葉を交わしつつ、俺たちも下準備をスタートさせた。
本日は、俺もレイナ=ルウの指揮で働く助手の身分である。トゥール=ディンとリミ=ルウとスフィラ=ザザは完全に別動隊で菓子作りに励むので、六名で百名分の料理を一種だけ仕上げるわけであった。
「アスタとヤミル=レイはギバ肉、他の方々は野菜の切り分けをお願いいたします。野菜の切り方に関しては、わたしが手本を示しますので」
レイナ=ルウのてきぱきとした指示に従って、俺たちは作業を進めていく。
ギバのバラ肉を切り分けながら、俺は同じ組となったヤミル=レイに笑いかけた。
「《青き翼》の方々とも、早々にお別れすることになってしまいましたね。あの晩餐会以降、如何ですか?」
「……如何って? そんな漠然とした問いかけには、答えようがないわね」
「いや、まあ、具体的にどうこうという話はないでしょうし……他の方々と思い出話をする機会なんかはなかったんですか?」
「みんな別々の家で暮らしているのだから、そんな機会があるわけないでしょう? たまに出くわしても、こうして働くばかりだしね」
ツヴァイ=ルティムも、レイナ=ルウの指揮で野菜を切り分けているのだ。その姿を横目で確認してから、俺は「なるほど」と応じた。
「言われてみれば、そうですよね。余計なことばかり言ってしまって、申し訳ありませんでした」
「何も謝られる筋合いはないわよ。もう、面倒な人ね」
と、ヤミル=レイはクールに肩をすくめた。
「今さらズーロ=スンの話を聞かされたって、心を乱す人間はいないわよ。ズーロ=スンの人が変わったというのは、もう何年も前に知れていることなのだからね」
「ええ。ズーロ=スンは、立派ですよね。俺も再会する日が楽しみです」
「……だから、そんな話に興じるつもりはないと言っているのよ」
ヤミル=レイは、つんとそっぽを向いてしまう。
しかしまあ、彼女が素っ気ないのはいつものことだ。その切れ長の目にも取り立てて苛立ちの光は浮かべられていなかったので、俺はほっとした。
「あの日に何度も取り沙汰されていたように、わたしたちの間に家族らしい絆など存在しなかったのよ。同じ家に住む他人のような関係だったのだから、何を聞かされても心を乱す理由はないということね」
そんな風に言ってから、ヤミル=レイは妖艶に微笑んだ。
「まあ、赤の他人でありながらファの家人に成り上がったあなたには、釈然としないのかしら? あなたたちは、同じ家に住んでいるだけで深い絆を結ぶことがかなったのですものね」
「それには、相性だって関係するはずですよ。ヤミル=レイだって、ラウ=レイと同じ家で暮らすことで絆を深めてきたんでしょう?」
「ふん。あなたたちのように睦まじい関係とは、比べるべくもないけれどね。……そしてスン家では、相性の介在する余地もなかったということよ。誰もが目や耳をふさいで生きていたのだから、絆なんて深まりようがないわ」
俺は「なるほど」と応じたが、内心では別のことを考えていた。確かにスン家の人々は心を閉ざして生きていたのかもしれないが――このヤミル=レイだけは、その鋭い目ですべてを見透かしていたのではないかと思うのだ。
(少なくとも、ヤミル=レイは目や耳をふさいではいなかったんだろう。ただ、口を閉ざしていただけなんだ)
そうしてヤミル=レイは、スン家を救う道を懸命に模索し――その末に、破滅の道を選んだのではないかと思われた。
自分と家長のズーロ=スン、ザッツ=スンと腹心であったテイ=スン、そして悪さをしていたディガ=ドムとドッドの六名で罪を背負い、残りの家族と分家の家人だけでも救おうとした。それで俺とアイ=ファに雑な罠を仕掛けて、自滅しようとしたのではないか――俺は、そんな風に思っているのだ。
しかしその後に運命は変転して、ズーロ=スンだけが大罪人として王国の裁きを受けることになった。ヤミル=レイが背負おうとしていた罪は、ズーロ=スンが持ち去っていったのだ。
しかしもちろんヤミル=レイたちも、それぞれ罪を贖っている。本来の家族と血の縁を絶たれて、他なる氏族の家人として心正しく生きていく。それが、ズーロ=スンを除く面々に与えられた共通の罰であったのだ。
今でこそレイ家の立派な家人として活躍しているヤミル=レイであるが、当時は針のむしろであったのだろう。そもそも家長のラウ=レイからして、ヤミル=レイに甘い顔は見せていなかったのだ。ラウ=レイは早々にレイの氏を与えていたが、それ以外の部分では容赦なくヤミル=レイを指導していたはずであった。
あとはやっぱり、ザッツ=スンとテイ=スンである。
彼らこそ、スン家の罪を背負って滅んだ身であった。とりわけテイ=スンなどは、陰でアイ=ファに救いの手をのばしながら、ザッツ=スンに殉じて魂を返すことになったのだ。
テイ=スンが俺を人質に取って、狂乱する姿――そして、その後に穏やかな眼差しで死んでいった姿を、ヤミル=レイたちは目にしていない。
だから俺はある種の責任感を抱えているつもりであったし、そのさまを傀儡の劇で見事に再現したリコたちに深い感謝の念を抱いていたのだった。
「……あの家長会議から、明日で丸三年が経つんですね」
俺がそんなつぶやきをこぼすと、ヤミル=レイは芝居がかった調子で溜息をついた。
「今度は、何よ? どうしても、わたしから感傷めいた言葉を引き出そうという算段なのかしら?」
「いえいえ。俺が勝手に、感傷にひたっているだけです。ヤミル=レイは、そこに深く関わっているお人ですからね」
「……そんな感傷にひたるのは、一日ばかり早いでしょうよ。うかうかしていると、レイナ=ルウにどやされるわよ?」
「あはは。それは何としてでも、回避しないといけませんね」
やっぱり俺は、青の月に特別な思い入れを抱いているのだろう。家長会議が明日に迫っているため、それに拍車が掛けられているのかもしれなかった。
しかしヤミル=レイの言う通り、今は目の前の仕事に集中しなければならない。
この後は、貴族と《銀の壺》と建築屋と《青き翼》が入り乱れる晩餐会が待ちかまえているのだ。その場には、感傷にひたるいとまもない熱気が待ちかまえているはずであった。




