城下町の晩餐会③~人として~
2025.6/12 更新分 1/1
王都の因習にまつわる重めの話が一段落した頃合いで、前半の料理もおおよそ食べきった。
空になった皿が下げられて、後半の料理が運びこまれると、ポルアースが仕切り直しとばかりに弾んだ声をあげる。
「さあ、いよいよ本番という趣だね! 僕の胃袋も、それを強く求めているようだよ!」
「あはは。後半にどっしりした献立が集中していますので、食べすぎにはご注意ください」
そのように告げながら、俺は席を立った。
「不調法ですが、俺も配膳を手伝わさせていただきます。俺のシャスカ料理の扱いは、やはり難しいものがあるようですので」
「ということは、粒のまま仕上げたシャスカだね! これはいっそう楽しみだ!」
ポルアースに笑顔を返しつつ、俺は料理がのせられた台車のほうに歩を進める。
そちらに準備されていたのは、巨大な土鍋だ。城下町の厨には、こういう気の利いた調理器具も存在するのである。それで俺は、炊き込みシャスカに着手したのだった。
炊き込みシャスカの主役となるのは、牡蠣のごときドエマである。
ドエマの戻し水も炊飯に活用しているので、魚介の風味がまんべんなく行き渡っていることだろう。あとはニンジンのごときネェノンとマツタケのごときアラルと凝り豆の油揚げだけを具材として、味付けもタウ油とニャッタの蒸留酒のみでシンプルに仕上げている。そのぶん、ドエマの存在感が際立つはずであった。
残るふた品は主菜と副菜で、甲冑マロールを主体にした中華風の焼き物料理と、ジョラの魚卵の和え物である。
マロール煎餅にはそれなりの量の殻が必要であったため、中身はこちらの主菜で使用している。クルマエビのごとき甲冑マロールの身をたっぷり使い、魚醤と貝醬とマロマロのチット漬けと、あとはニンニクのごときミャームーも使って刺激的な味わいに仕上げている。他なる具材は、長ネギのごときユラル・パ、チンゲンサイのごときバンベ、レンコンのごときネルッサ、パプリカのごときマ・プラなどである。
明太子のごときジョラの魚卵はバターのごとき乳脂と豆乳で溶いたものを、ほくほくのチャッチにまぶしている。至極簡単なひと品であるが、箸休めには最適であろうと自負していた。
「いやあ、どれも素晴らしい味わいだね! これなら、フェルメス殿もご満足でしょう?」
「ええ。ますますジェノスから離れ難い心持ちになってしまいますね」
そんな風に語るフェルメスも心から満足そうな笑顔であるため、俺も感無量であった。
(フェルメスに俺の料理を食べてもらえる機会は、そんなに多くなかったもんな)
思えばそれも、物寂しさのひとつなのかもしれない。フェルメスは一年半以上もジェノスに滞在しながら、俺の料理を口にする機会はごく限られていたのだった。
しかしこうして俺の料理を口にした際には、他の人々と変わらない笑顔を見せてくれる。
それは、俺の料理にさしたる関心を抱いていないガーデルとの、大きな差異であった。
(俺の取り柄なんて、料理だけなんだからな。俺の調理スキルに無関心で、あそこまで俺の存在に執着するっていうのは……やっぱり、普通のことじゃないんだろう)
俺がそんな思いにひたっていると、フェルメスがふわりと微笑みかけてきた。
「どうしました? 何か、気がかりなことでも?」
「あ、いえ。フェルメスが俺の料理を美味しそうに食べてくださるのが、嬉しかっただけです」
「ですがアスタは、どこか打ち沈んでいるように見えました。僕がアスタの料理に満足することで、アスタの心を沈ませてしまったのでしょうか?」
と、フェルメスはにこやかな面持ちで追及してくる。
これも貴族流の社交術なのであろうか。何にせよ、フェルメスを心配させてしまったのなら、正直に打ち明けるしかなかった。
「それで連想して、ガーデルのことを思い出していたのです。悪気があって隠したわけではありませんので、どうかご容赦ください」
「ガーデルですか。僕の存在が、ガーデルを連想させたのでしょうか?」
フェルメスは、なかなか矛先を収めてくれない。
あるいは――自分とガーデルが似た部分を持っていると自覚してのことであろうか。であれば、ますます誤解を避けなければならなかった。
「フェルメスとガーデルの違いに、思いを馳せていたのですよ。ガーデルは料理そのものに関心が薄いので、なかなか満足そうな顔を見せてくださらないのです」
「ああ、そういうことですか。まあ、料理に関心が薄い人間というのはいなくもないのでしょうが……よりにもよってそのような人間がアスタに執着するというのは、皮肉な話ですね」
さすがフェルメスは、一瞬で俺の真情を汲み取ってくれたようである。
そもそもは、フェルメス自身も俺のことを『星無き民』としてしか見なしていなかったのだ。俺の調理の手腕に関しても、この世の運命を左右する『星無き民』が持つ特別な力という認識でしかなかったのだろうと思われた。
そういう意味で、フェルメスとガーデルはよく似通っていた。俺という個人ではなく、俺に付与された属性にだけ魅了されて、執着するという、そういう立場であったのだ。
しかしフェルメスは、俺に嫌われたくないという一心でもって、わざわざ復活祭の最終日に城下町を抜け出して、俺のもとにやってきた。それで俺が真情を打ち明けると、自分なりに人間同士としての交流を深めたいと応じてくれたのである。
だから俺は、フェルメスのことを信用しているし――ガーデルとも、同じように絆を深めたいと願っているのだ。
言ってみれば、先にフェルメスと出会っていたからこそ、俺はガーデルの特異性をより深く理解できたのかもしれなかった。
「ガーデルは、なかなか病状がよくならないようだね。森辺の方々も、さぞ気に病んでいることだろう」
俺がひそかに感慨を噛みしめていると、ポルアースが真面目くさった面持ちでそう言った。
それに対して、ゲオル=ザザが「ふん」と鼻を鳴らす。
「俺はもともと、気に病んでなどおらんぞ。あやつが次に顔を見せたら、うじうじするなと尻を叩いてやりたくなるほどだ」
ゲオル=ザザは二種目のギバ料理、ミソ仕立てのギバ汁をかきこみながら不敵に微笑んだ。
「あやつはバージなる者が持ち込んだアスタの料理にも、口をつけなかったというのであろう? だったらそのままアスタのことなどはきっぱり忘れて、正しい道を探し求めるべきであろうよ」
「……ガーデルがそのように決断するのなら、私も異存はない。しかし、あやつがアスタへの執着を捨てきれずに苦しむようであれば、力を添えるつもりだぞ」
アイ=ファが厳しい声で発言すると、ゲオル=ザザは恐れ入った様子もなく肩をすくめた。
「どのように振る舞おうと、お前たちの自由だ。しかし、こんな話にうつつを抜かしていると、またオディフィアを退屈させてしまおうな」
「オディフィアは、みんなといっしょでいい。……でも、ガーデルってひとのことは、よくしらないの」
と、オディフィアが申し訳なさそうな目つきになってしまったため、俺はいくぶん慌てることになった。
「どうもすみません。今日の晩餐会に相応しい話題ではなかったですよね」
「それは僕が聞きほじった結果なのですから、アスタが謝罪するには及びません」
フェルメスはゆったりと微笑みながら、オディフィアに向きなおった。
「ガーデルという者に関しては、オディフィア姫の父君が何かと尽力してくださっていますからね。何も心配には及びませんよ」
「ええ。わたくしもオディフィアと同様にくわしい話はわきまえていないのだけれど、メルフリードのもとには毎日のように報告が届けられているようですわね」
エウリフィアも優しく微笑みながら、愛娘の髪を撫でた。
彼女であれば、ガーデルについても詳細をわきまえていそうなところであるが――きっと、オディフィアに寄り添っているのだろう。森辺の外には、優しい嘘というものも存在するのだ。
「ガーデルについては、僕も目新しい意見を持ちません。せっかくの晩餐会なのですから、もっと有意義な話題に取り組みましょう。……そういえば、例の件をアスタたちにもお伝えするべきではないでしょうか?」
フェルメスに視線を向けられたポルアースが、「おお」と手を打った。
「そうでしたそうでした。実は夕刻、東の王都の使節団の使者がジェノス城に到着したのだよ」
「え? それじゃあ間もなく、使節団も到着するのですか?」
「うん。本隊の到着は四日後、青の月の十一日になるようだ」
すると、ゲオル=ザザがまた「ははん」と鼻を鳴らした。
「よりにもよって、家長会議の翌日か。これはまた、せわしないことになりそうだな」
「そうだねぇ。このたびはまた目新しい食材を準備してくださったそうなので、できればアスタ殿にもご足労を願いたいところなのだけれども……家長会議の翌日だと、やっぱり難しくなってしまうかな?」
「いえ。家長会議の当日でなければ、べつだん問題はありません。ただ、その日も下りの二の刻までは屋台の商売があるのですよね」
「なるほど。それならせめて、新たな食材のお披露目会だけでも参席してもらえるかな? それで後日、可能なようなら、それらの食材を使って料理を準備していただきたいのだよね」
そんな風に言ってから、ポルアースはにこりと微笑んだ。
「しかしまあ、新たな食材を手にする前からそんな話を聞かされても、困ってしまうよね。こちらがそういう期待を抱えているということを念頭に置きながら、新たな食材の検分に励んでもらえたら幸いだよ」
「承知しました。どのような食材が届けられるのか、楽しみですね」
「うんうん。僕たちが楽しみにしているのは、その先に待ちかまえている美味なる料理だけれどね」
そうして話が一段落すると、今度はエウリフィアが発言した。
「そういえば、わたくしも聞いておきたいことがあったのよ。《青き翼》の方々がギバにまつわる品々を買いつけるという話は、どうなったのかしら?」
「はい。明日にはすべての品を受け渡す予定になっています」
商談の責任者たるガズラン=ルティムが返事をすると、エウリフィアは「あら」と目を見開いた。
「そちらは、もう準備できてしまったのね。大量の干し肉と腸詰肉を準備するには長きの時間がかかると聞いていたので、もう少し後になるのかと思っていたわ」
「はい。それで何か、不都合が生じるのでしょうか?」
「不都合というほどのことではないのだけれどね。あの方々はそれらの品を手にしたら、すぐにでもジャガルへと旅立ってしまうという話であったでしょう? その前に、送別の晩餐会を開きたいという声があげられているのよ」
「そうそう。《青き翼》から装飾品を買いつけた方々が、そのように願い出てきたのだよね」
と、ポルアースも会話に加わった。
「ただやっぱり、竜神の民をこういった宮殿に招くのは如何なものかという声もあってね。それでまた、宿場町にあるサトゥラス伯爵家のお屋敷を会場にしようかという話に落ち着きそうなのだよ」
「なるほど。やはり竜神の民を城下町の晩餐会に招くのは、体裁が悪いのでしょうか?」
「うん。王都の外交官が交代されるなら、僕たちも多少は身をつつしむべきだろうからね」
ポルアースが冗談めかして言うと、フェルメスも優美に微笑んだ。
「ダーム公爵領においても、竜神の民を貴族の居住区域に招くという例はなかったでしょうからね。ティカトラス殿をも上回る大胆な所業は、控えるべきであるのかもしれません」
「あはは。ジェノスの貴族はティカトラス殿よりも奔放であるなどと見なされたら、一大事でありますしね」
珍しく、フェルメスとポルアースの間で貴族らしい軽口が交わされた。
「それに、竜神の民といえども、貴族ならぬ市井の民であることに変わりはないからね。市井の民を宮殿に招くというのは、貴族の流儀を押しつけるという面もあるだろう? 森辺の方々などはこうして過不足なく対応してくれているけれども、竜神の民にそんな重荷を背負わせるのも望ましくない。そこで会場を宿場町に設定すれば、貴族が市井の民に寄り添う立場になるわけだよ」
「なるほど。それで我々も、何か力を添えられるのでしょうか?」
「力を添えるというよりは、森辺の面々にも参席を願いたいところかな。このたびの晩餐会には、《青き翼》とゆかりの深い顔ぶれを集めようという話になっているからね。《青き翼》と大きな商売に取り組んだ森辺の民は、その筆頭格であるというわけさ」
「あと、晩餐会の責任者に祀りあげられたリーハイムが、楽しいことを仰っていたわよ」
と、エウリフィアが貴婦人らしい優雅な面持ちのまま、悪戯小僧のような目つきになった。
「《青き翼》の方々は南の建築屋と東の商団とゆかりが深いようだから、いっそ両方招待したらどうかなんて仰っているの」
「え? 東と南の民を、同じ晩餐会に招待するのですか?」
城下町ではそれも珍しい話ではなかったが、これほどの大人数というのは例がないはずだ。それで俺が思わず驚嘆の声をあげると、エウリフィアは「そうなの」ところころ笑った。
「これもなかなかに、大胆な提案でしょう? リーハイムは伴侶を娶って、ますます豪気になられたようだわ」
「はあ……でも、そんな真似が許されるのですか?」
「リーハイム殿は、悪しき前例ではなくよき前例にすればいいなどと言っていたよ。城下町では東と南の貴族や王族が席をともにしているのだから、市井の民も見習うべきだろう、とね」
ポルアースは朗らかな笑顔のままであったが、その目には彼らしい熱情がたたえられていた。
「西の地において東と南の民が諍いを起こすのは禁忌とされており、貴族や王族の方々はその規範としてご立派に振る舞っておられるよね。次は市井の民に規範を示してもらえば、いっそう望ましい行く末を期待できるのではないか――といった論調であるようだよ」
「そ、それで、建築屋と《銀の壺》の方々に規範を示せ、と?」
「うん。それに彼らは森辺の屋台を通して、面識を持っているのだろう? 復活祭なんかでは、家族もまじえて酒杯を交わしていたそうじゃないか。そんな面々なら、万が一にも諍いを起こすことはないだろうと見込んでのことさ」
「ええ。言ってみれば、これも森辺の方々が紡いだ縁ということね」
エウリフィアの言葉に、ポルアースは「その通り」とうなずいた。
「交易の要と称されるジェノスにとっては、シムもジャガルも二の次にできない存在だからね。今後も諍いを起こすことなく、おたがいを尊重してもらわなくてはならない。そんな気風を高めるために、東と南の民を同じ晩餐会に招くというのは、なかなか悪くない考えであるように思うよ」
「はあ……俺としては、願ってもない話なのですが……でも、それで西の王都の反感を買ったりはしないのでしょうか?」
俺の問いかけに、フェルメスはにこりと微笑んだ。
「おそらくアスタが想像している以上に、西の王都の人間にとって異国人というのは縁遠い存在であるのですよ。何せ、シムは車で三ヶ月がかり、ジャガルは海路でしか交流のない相手なのですからね。なおかつ、異国の行商人が王城や宮殿に足を踏み入れる機会はありませんので、西の王都の貴族や王族にとっては祝典などに招待する貴賓が異国人のすべてであるのです。おそらくはジェノスの方々以上に、東と南の敵対関係というものを実感できていないことでしょう」
「よって、東と南の民を懇意にさせることにも反感を抱くことはない、ということでしょうか?」
俺よりも早くガズラン=ルティムが発言すると、フェルメスはにこやかな面持ちのまま「はい」と首肯した。
「さらに明け透けに語るならば、王陛下は東の民も南の民も忌まわしく思っておられます。東の民はあやしげなまじないの総元締め、南の民は憎きゼラド大公国に与する不埒者というお考えであられるでしょうからね。東と南の敵対関係など知ったことではないというのが、偽らざる本音なのではないかと察せられます」
「そうですか。どうも四大王国というのは――」
と、ガズラン=ルティムはそこで言葉を切って、穏やかに微笑んだ。
「いえ、何でもありません。博識なフェルメスと語らっていると、つい自分まで賢しげなことを考えてしまうようです」
「ガズラン=ルティムは、どのような考えにとらわれたのでしょうか? よろしければ、お聞かせください」
と、フェルメスは子供のように目を輝かせた。
ガズラン=ルティムは微笑んだまま、困ったように眉を下げる。
「本当に、おのれの立場を考えていない大言壮語であるのです。このような言葉は、口にするだけで不敬であるように思います」
「晩餐会の歓談で、口をつつしむ必要はありません。突拍子もない大言壮語も、場を賑やかす余興なようなものです」
「ええ。わたくしも、ガズラン=ルティムが何を思いついたのか気になるわ」
そのように語るエウリフィアのみならず、ポルアースやメリムまでもが好奇心をあらわにしている。ガズラン=ルティムはそれでもしばし逡巡していたが、やがて観念した様子で語り始めた。
「世間を知らない人間の戯れ言ですので、どうぞお聞き流しください。……西と東と南の王都は、いずれも海に面しているのだと聞き及びます。つまりそれは、いずれの王都も大陸の端に位置しているということなのですよね?」
「ええ、その通りです。ついでに言うならば、北の王都も大陸の北端に位置しておりますよ」
「そうですか。それは、それぞれの王都同士で交流を持ちにくいという事実を示しています。また、王都に限らずとも、西の王都はシムまで三ヶ月がかりという話ですし……王都が異国からもっとも遠いというのは、交流を深める支障になってしまうのではないでしょうか?」
「はい。実際に、西の王都はシムとの交流が無きに等しいですからね。ジャガルと陸路の交流が遮断されてしまったのは、ゼラド大公国が立ちはだかっているためとなりますが……そうでなくとも、南の王都まではふた月がかりです。交流を深めるには難しい距離でありましょうね」
そんな風に答えてから、フェルメスはどこか遠い目つきをした。
「でもそれは、きっと致し方のない話であるのです。そもそも四大王国というのは、王都を中心に栄えた存在であり……先人は、意図的に四つの王都を遠方に配置したのでしょうからね」
「意図的に? 何故です?」
「それは推測する他ありませんが、二つの理由が考えられます。まずは、竜神の民の襲撃に備えるためですね。以前にジェムドから伝えさせていただいた通り、我々の祖は魔術の文明を失う寸前に、竜神の民の襲撃を星見の魔術で予知していたものと思われます。それで大陸を守るために、東西南北の四方に拠点を置くことにしたのでしょう」
フェルメスはとても大切そうに、そんな言葉を紡いでいった。
「そして、もう一点は――それこそ、おたがいの存在を尊重するためだったのではないでしょうか? 大陸の民同士で諍いを起こさないように、干渉を避けるべく遠方に拠点を築いたのではないかと思われます」
「では……四大王国の人間は、王国が築かれる前から忌避し合っていたということでしょうか?」
「いえ。これはあくまで推測ですが、忌避し合うことになる行く末を予見したのではないかと思います」
「予見……それも、星見の力で?」
「いえ。理屈と感情の双方からもたらされる情報によってです」
フェルメスはガズラン=ルティムの顔を見つめながら、白魚のごとき指先を一本立てた。
「まず第一に、四大王国の民というのは明確に種族が分かれています。ジャガルとマヒュドラだけは祖を同じくする要素を備えていますが、言語が異なっているからには古きの時代に袂を分かった関係であるのでしょう。同一の種族は結束を固めることが容易である代わりに、異種族を排斥する傾向にあります。それで当初は、不干渉の立場を取るべきであろうと見なされたのではないでしょうか?」
「……それ以外にも、何か理由が?」
「はい。それでも魔術文明の時代には、諍いを起こすことなく平和な関係を保っていたのだろうと思います。念話の魔術というものを使えば意思の疎通にも不便はありませんし、空間転移の魔術を使えば遠方の相手とも容易に交流を持つことがかなうのですからね。しかし、それらの魔術が失われたならば、これまでのように異種族と寄り添うことは難しい――我々の祖は、そのように考えたのではないでしょか?」
ガズラン=ルティムはまぶたを閉ざすと、深く息をついた。
「どうしてフェルメスは、六百年以上も古きの話をそのように鮮明に語ることができるのでしょう? 私には……とうてい真似できません」
「それは僕が傲岸で、人々の営みを書物のように読みくだしているためであるのでしょう。僕にとっては、書物に書かれていることも実際に目で見たものも、大きな違いはないのです」
そう言って、フェルメスは子供のようにくすりと笑った。
「それに、どれだけ偉そうな言葉を並べたてても、すべては推論です。これだから、どれだけの知識を溜め込んでも一枚の銅貨も稼げないわけですね」
「ふん。それで銅貨を稼ぐには、傀儡の劇にでも仕立てるしかないだろうな」
と、ゲオル=ザザがひさびさに口を開いた。
「このたびはオディフィアばかりでなく、俺まで言葉を失ったぞ。いや、賢さを自慢にするスフィラやルウの三姉でさえ、口をはさむ隙がないようだな」
「うん。本当に、おとぎ話でも聞いてるような心地だったよ」
どこか夢から覚めたような面持ちで、ララ=ルウはそう言った。
その海のように青い瞳は、真っ直ぐにフェルメスを見つめている。
「それにしても……フェルメスは大変だね。そんな話を当たり前のように抱え込んでいたら、あたしは頭が破裂しちゃいそうだよ」
「机上の知識をどれだけ溜め込んでも、負担にはなりませんよ。僕はその分、実際の生活を二の次にしてしまっているのでしょうしね」
「あたしは、そうは思わないな。アスタやガズラン=ルティムと語るフェルメスは、本当に楽しそうだもん」
と、ララ=ルウは彼女らしい力強い笑顔を見せた。
「それにあたしたちは、フェルメスの知識でなんべんも助けられてるんだからね。邪神教団や東の王家にまつわる騒動や……それに、聖域の民のときだってさ。フェルメスがいなかったら、あたしたちはもっともっと大変な目にあってたと思う。フェルメスがいなくなっちゃうのが、ちょっと心配になるぐらいだよ」
「きっと占星師から見たら、僕も星のひとつに過ぎないのですよ。ジェノスにはこれだけ輝かしい星が群れ集っているのですから、僕ひとりがいなくなったところで問題はありません」
「問題ないことはないけど、それは自分たちで乗り越えないとね。あたしはこれまで、オーグばかりを頼ってきちゃったけど……もっとフェルメスともしっかり語っておくべきだったなぁ」
「それなら今日も、たくさん語らないとね」
エウリフィアがにっこり笑いながら、卓上を指し示した。
「料理も尽きて、菓子を出す頃合いだもの。残りわずかな時間、しっかり語らうとしましょう」
エウリフィアの言葉が合図となって、空になった皿が片付けられていく。そして、トゥール=ディンの取り仕切りで作られた菓子が運ばれてきた。
本日の菓子は、新作のケーキである。ピンク色をした生地にチョコレートクリームや寒天のごときノマや果実のチップなどがはさみこまれており、表面には細かく砕いたメレスのフレークがまぶされている。その美しい仕上がりに、オディフィアの瞳が星のごとくきらめいた。
ピンク色はキイチゴに似たアロウの色合いで、以前に考案したストロベリーチョコのような風味が転用されている。それをギギのチョコレートクリームと調和させるのに、長きの時間がかけられたのだという話であった。
その絶妙な味わいに、ノマやフレークの食感が彩りを添えている。果実のチップはサクランボに似たマホタリで、その優しい甘さが裏からそっと豪奢な味わいを支えているように感じられた。
「今日は本当に益体もない話にばかり興じてしまって、申し訳ありませんでした。ジェノスを離れる日が近づいているためか、僕も遠慮を忘れてしまったようです」
フェルメスが優美な微笑とともにそんな言葉を口にすると、ポルアースが「いえいえ」と応じた。
「フェルメス殿が心置きなく過ごせたのでしたら、それが一番でありますよ。確かにこのような話題は、少人数の晩餐会にこそ相応しいのでしょうしね」
「ええ、本当に。森辺の方々だって、不満はないはずよ」
「不満はないが、今日はひと言もジェムドの声を聞いていないような気がする。あなたとて、間もなくジェノスを離れてしまう身であろう?」
アイ=ファが水を向けると、ジェムドは折り目正しく一礼した。
「わたしは、従者に過ぎませんので。みなさんと同じ卓についているだけで、恐縮の限りです」
「我々にとっては、主人も従者もない。同じ席についているからには、同じように語るべきであろう」
アイ=ファが言いつのっても、ジェムドは目礼を返すばかりだ。
確かに彼こそ、交流を深め損ねた相手と言えることだろう。彼は常にフェルメスのかたわらにあるのに、私人としては一切口をきこうとしないのだ。それは、ディアルの従者であるラービスを超える徹底ぶりであった。
(聖域の族長会議でもご一緒してるのに、ジェムドはフェルメスの代理人っていう立場を最後までつらぬき通したもんな)
これほどまでに主人の影に徹するというのは、見事という他ないだろう。そしてそれがあまりに自然体であるものだから、俺はいつも声をかけそびれてしまうのだった。
「……まあ、あなたは望んでそのように振る舞っているのであろうから、私が口を出すべきではないのであろうな」
と、アイ=ファはいくぶん眼差しをやわらげた。
「それに……フェルメスにとって、あなたは欠かせぬ存在であるのだろう。どうか王都に戻った後も、フェルメスに寄り添ってもらいたく思う」
ジェムドはやはり無言のままであり、その代わりにフェルメスが口を開いた。
「僕にもジェムドにもお気遣いいただき、ありがたい限りです。アイ=ファが気分を害していないようで、僕もほっとしました」
「うむ? 私が気分を害する理由があろうか?」
「先刻は、うっかり人を星にたとえてしまいました。たとえアスタが『星無き民』であろうとも、ジェノスを支える存在のひとりであることに変わりはありません」
フェルメスがこれだけの人数の前で『星無き民』の名を口にするのは、珍しいことである。
しかしまた、ポワディーノ王子がもたらした騒乱でもって、高い身分にある貴族にとっては耳に馴染んだ言葉であるはずだ。もはやポルアースやエウリフィアの耳をはばかる必要はないのだろうと察せられた。
「……べつだん、そのていどのことで気分を害したりはしない。そもそも私は、星読みに重きを置いていないのだからな」
アイ=ファは無理をしている様子もなく、穏やかに言葉を返した。
「それに、アスタが大きな役目を果たしていることは、誰にとっても明らかであるはずだ。であれば、なおさら気にかける甲斐もあるまい」
「ええ、まったくですね。今後のアスタの活躍を自分の目で見届けられないというのは、無念の限りですが……ジェノスから届けられる報告書でもって、無聊を慰めようかと思います」
そう言って、フェルメスはにこりと微笑んだ。
それで俺は、またフェルメスとガーデルの違いを発見する。ガーデルは余所から貴族や王族がやってくるたびに、俺の身柄を奪われてしまうのではないかという妄念にとらわれてしまうようだが――フェルメスは、俺の意志や真情というものを尊重してくれるのだ。
もちろんそれは、『星無き民』たる俺がこの世をどのように動かすのか興味深く見守っている、という面もあるのだろう。
しかし今、俺を見つめるフェルメスの瞳――緑色と茶色が複雑に入り混じったヘーゼル・アイは、とてもやわらかい光をたたえている。その眼差しが、人間としての情愛を感じさせてやまないのだ。
たとえ半分は研究者としての目であっても、もう半分は人間としての目で見守ってくれている。
そんな風に信じられるようになったからこそ、俺はフェルメスに心からの笑顔を返すことがかなうのだった。




