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異世界料理道  作者: EDA
第九十五章 さらなる再会
1632/1695

城下町の晩餐会②~掟と因習~

2025.6/11 更新分 1/1

 下りの五の刻の半――無事に料理を完成させた俺たちは、お召し替えを済ませた上で晩餐会の会場を目指すことになった。


 本日は晩餐会であるので、準備されていたのは準礼装だ。

 これは以前にデルシェア姫から贈られた品であり、宴衣装に比べればシックな印象であるが、十分に上等で瀟洒な仕立てである。また、男女ともに胸から上に装飾が集中しているのが特徴であった。


 男性陣は大きな襟にだけ豪奢な刺繍が施されており、あとは金色の飾りボタンや襟と裾のちょっとした刺繍が上品に彩りを添えている。

 女性陣は大きく開かれた胸もとが半透明の生地、もしくは可憐なフリルで覆われており、ふわりと広がったスカートの裾が実に優美である。


 しかしまた、この半透明の生地というやつは南の民のように肌が白いと上手い具合に素肌の印象をぼやかすようであるのだが、褐色の肌をした森辺の女衆は逆に色香が強調されてしまう。ひさびさの準礼装を纏ったアイ=ファの美麗さに、俺はずいぶん胸を高鳴らせることになってしまった。


 準礼装では装飾品を控える習わしであるので、アイ=ファは俺が贈った髪飾りと首飾りしか装着していない。しかし、アイ=ファは髪をおろすだけで女性らしい魅力がはねあがるし、けっきょくはどのような格好でも俺を魅了してやまないのだった。


「みなさん、お疲れ様でした。どうぞお座りください」


 広間に足を踏み入れると、本日の主役であるフェルメスが笑顔で出迎えてくれた。

 その左右には、すでに貴族の側の参席者が着席している。従者のジェムド、ポルアースとメリム、エウリフィアとオディフィアという顔ぶれだ。


 十名で編成された森辺の一行は、その正面の席に案内される。

 当然のように、俺とアイ=ファはフェルメスの組の正面、トゥール=ディンとゼイ=ディンはオディフィアの組の正面だ。こちらのほうが大人数であるため、貴族の側は二名ずつでゆったりと配置されていた。


「本日は、アスタからの提案をいただいた僕が晩餐会を主催することになりました。外様の僕がこのような立場を担うのは僭越な限りですが、どうぞご容赦ください」


 可憐な乙女のごとき微笑みをたたえながら、フェルメスはそのように言いつのった。

 フェルメスはほとんど装飾のない淡い紫色の長衣を纏い、亜麻色の長い髪をゆったりとまとめているのみであるが、何せもともとが絶世の麗人であるため、誰よりも印象的である。俺はこの三年余りでさまざまな相手と交流を深めてきたつもりであるが、いまだにフェルメスよりも美麗かつ繊細な容姿をした男性と巡りあったことはなかった。


「フェルメス殿が晩餐会を主催するなんて、本当に珍しいことですものね。ご招待いただき、心より光栄ですわ。ねえ、オディフィア?」


「はい。フェルメスどのに、ふかくかんしゃいたします」


 と、オディフィアは貴婦人らしい言葉とともに、フェルメスへと目礼を送る。

 フェルメスはやわらかな面持ちのまま、「いえ」と応じた。


「何も格式張った会ではありませんので、オディフィアもどうぞおくつろぎください。トゥール=ディンと心置きなく交流を深めていただけたら、僕も嬉しく思います」


 オディフィアは「ありがとうございます」とお行儀よく返事をしてから、きらきらと光る灰色の瞳をトゥール=ディンのほうに転じる。それでトゥール=ディンが笑顔を返すと、オディフィアの瞳はいっそう星のようにきらめいた。


「それでは挨拶はこれぐらいにして、まずはアスタたちの心尽くしを味わわさせていただきましょう」


「はい。本日は様式にこだわる必要はないと言っていただけたので、六種の料理を三種ずつお出しすることにしました」


 そんなやりとりが合図となって、三種の料理が運ばれてきた。

 まずは軽めに、前菜と副菜と汁物料理だ。そして、それとは別に特別仕立てのひと皿も持ち出された。


「ちょっと不調法かもしれませんが、基本の六皿とは別にギバ料理も準備させていただきました。そちらはお気の向いた御方だけご賞味ください」


「つまり、基本の六皿には獣肉が使用されていないということですね。アスタの心づかいには、心から感謝しています」


 と、フェルメスは本当に嬉しそうに微笑んだ。


「本来は、ギバ料理こそがアスタの領分であるのですからね。どうぞ僕にはかまわずに、みなさんは思うぞんぶんギバ料理をお楽しみください」


「もちろんです。でも、アスタ殿がギバ料理ならぬ品をこれだけ準備するのは珍しいことですので、そちらも興味深い限りですね」


 ポルアースはにこにこと笑いながら、そんな風に言ってくれた。隣のメリムも、それに負けない無邪気さで微笑んでいる。


「ただ、こちらの前菜は……なんだか、菓子のようだねぇ」


「はい。そちらはみなさんもご存じの、煎餅という菓子になります。新しい味付けを考案できたので、本日お披露目することにしました」


 アイ=ファからの要請で頭をひねることになった、新作の煎餅である。

 生地そのものがほんのり桜色をしているので、甘い菓子に見えたのだろう。期待の面持ちでそれをかじったポルアースは、「ほう!」と声を張り上げた。


「意外や意外、まったく甘くないのだね! マロールの風味が、実に豊かだ!」


「はい。そちらの品は、甲冑マロールの殻から取った出汁を生地に練り込んでみました」


 甲冑マロールとは、クルマエビのごとき食材である。そちらは甲冑のように分厚い殻ごと買いつけられているので、前々から活用の手段を模索していたのだった。


 それが実を結んだのは、圧力鍋の恩恵である。圧力鍋でしっかり煮込むと、甲冑マロールの殻からは実に濃厚な出汁が取れたのだ。その出汁に塩や砂糖やタウ油などを加えた上でシャスカを炊く水に使い、煎餅に仕上げた次第であった。


 俺の故郷ではえびせんというものが人気を博していたし、中華やエスニック料理では添え物として出されていたように記憶している。それで俺もとりあえず、前菜として取り扱うことにしたのだ。


 もとより俺は煎餅に関して、ジバ婆さんでも無理なく口にできるように軽やかな食感を目指していた。それがまた、エビのごときマロールの風味とこよなく調和したのだ。さくさくとした食感でふわりとマロールの風味が広がるこちらの品は、前菜として相応しいのではないかと思われた。


「トゥール=ディンが甘いせんべいを考案したと思ったら、アスタはまったく甘くないせんべいを考案したんだね。ほんと、色んなことを思いつくもんだなぁ」


 この場で初めてマロール煎餅を口にしたララ=ルウは、愉快そうに笑いながらそう言った。最近は貴族の前で礼儀正しい口調を使うことも多いララ=ルウであるが、本日はいつも通りの元気さで臨むようだ。


 ともあれ、貴族の陣営も森辺の陣営も満足そうにマロール煎餅を食してくれている。新たな煎餅の開発をせっついていたアイ=ファもひと口目には意外そうな顔を見せていたが、その後は満足そうに目を細め――そして、卓の下でこっそり俺の足を優しく蹴ってきたのだった。


「こちらは本当に、食感と風味の調和が素晴らしいと思います。……甘くない菓子ですけれど、オディフィアもお気に召したのではないですか?」


 トゥール=ディンが温かな笑顔で呼びかけると、オディフィアは「うん」とうなずいた。


「しょくごのおかしにこれをだされたら、オディフィアはがっかりしちゃうとおもうけど……そうじゃなかったら、すごくおいしい」


「そうですよね。甘い菓子と一緒にこちらを出されたら、食後でも不満はないのではないでしょうか?」


「うん。それなら、うれしいとおもう」


 そう言って、オディフィアは俺のほうに向きなおってきた。

 人形のごとき無表情だが、その灰色の瞳はきらきらと輝いている。俺は、心からの笑顔を返すことにした。


「この素晴らしい前菜のおかげで、いっそう空腹になってしまったようだよ! さっそく、他の料理もいただこうかな!」


 うきうきと声を弾ませるポルアースの前に、侍女が小皿に取り分けた汁物料理を供する。そちらはカニのごときゼグとキムチのごときチット漬けを使った、キムチカニ鍋のごとき品であった。


 アイ=ファやオディフィアのために辛みは抑えているが、海草の他にトビウオのごときアネイラやホタテガイモドキの出汁も合わせて、濃厚な味わいに仕上げている。具材はゼグとホタテガイモドキの他に、ツナフレークのごときジョラのつみれ、イカタコのごときヌニョンパ、ハクサイのごときティンファ、長ネギのごときユラル・パ、ニラのごときペペ、モヤシのごときオンダ、豆腐のごとき凝り豆、ブナシメジモドキ、シイタケモドキと、奇をてらわずに王道で攻めていた。


 また、基本の味付けではタウ油と魚醤と貝醬を駆使しており、隠し味には複雑な香気を有する香草キバケも使用している。ギバ肉がなくとも物足りなくならないようにと、俺は魚介のキムチ鍋の最高峰を目指そうという心意気でこちらの料理を仕上げたのだった。


 そして副菜は、イクラのごときフォランタの魚卵と大葉のごときミャンを添えた、凝り豆の冷ややっこである。前半の三種では汁物料理を主体にして、前菜と副菜で脇を固めた格好であった。


 なお、森辺の同胞のために準備したギバ料理は、甘辛く仕上げたバラ肉とダイコンのごときシィマの煮つけである。他の料理と印象がかぶらないように、バランスを考慮したひと品であった。


 しばらくは、それらを食しながら歓談の時間が続けられる。

 本日は、その歓談こそが主体であった。


「アスタに晩餐会を提案されて、僕は本当に嬉しかったのですが……その反面、別れの日が近づいているという実感を抱かされてしまいますね」


 フェルメスがちょっと芝居がかった仕草で切なげに息をつくと、エウリフィアが如才なく相槌を打った。


「オーグ殿が王都に出立して、もうすぐふた月ですわね。新たな外交官がすぐさま派遣されたのなら、もういつ到着してもおかしくないのでしょうけれど……フェルメス殿の任期がのびる可能性は、少しも存在しないのかしら?」


「どれだけ楽観的に考えても、それはありえないように思います。僕の任期は、すでに大幅に延長されていますし……ただでさえ、僕はジェノスびいきの人間と見なされているでしょうからね。そのような人間を長期にわたって滞在させたならば、癒着の危険が生じると見なされることでしょう」


「フェルメス殿はジェノスのために、何かと骨を折ってくださいましたものね。それに何より、アスタにご執心ですし」


「でもフェルメス殿は、アスタ殿に対しても公正でありましたよ。そもそもアスタ殿は間諜でも何でもなかったのですから、フェルメス殿の擁護はきわめて正当であったということです」


 ポルアースも、フェルメスを力づけるような笑顔でそのように言いたてた。

 一年半以上も滞在したことで、フェルメスは数多くの相手と信頼関係を結ぶことがかなったのだろう。それに、邪神教団や東の王家にまつわる騒乱を筆頭に、フェルメスは数々の場面でジェノスを救っていたのだった。


「ジェノスがさまざまな騒動に見舞われるのは、大陸の要所である証です。アスタの存在を抜きにしても、これほど興味深い地は他にそうそう存在しないことでしょう。許されるならば、僕はジェノスに永住したいぐらいです」


 フェルメスのそんな言葉に、アイ=ファがぴくりと反応した。


「それは……やはり、かなわぬ所業なのであろうか?」


「はい? 所業とは、永住についてでしょうか?」


「うむ。あなたは王都に待たせている家族もいないのであろう? それで本人が望んだとしても、ジェノスに居を移すことはかなわないのであろうか?」


 フェルメスはあどけなく微笑みながら、小首を傾げた。


「アイ=ファは本気で、僕がジェノスに永住することを望んでおられるように見受けられますが……もしも本当にそのような事態に至ったならば、げんなりしてしまうのではないでしょうか?」


「そのようなことはない。まあ確かに、あなたは難しい面を持つ相手であるが……だからこそ、長きの時間をかけてしっかりと交流を深めたいのだ。あなたがジェノスに留まってくれたならば、私は心より得難く思う」


 凛然と語るアイ=ファに、フェルメスはどこかくすぐったそうな顔をした。


「あれだけ僕を忌避していたアイ=ファにそのように言っていただけるのは、ありがたい限りです。でも……それは、かなわぬ話なのです」


「ふむ。西の王が、それを許さぬのであろうか?」


「王陛下ばかりでなく、王都の因習が許さないでしょう。僕はこれでも、五大公爵家の末席に控える身ですので……そんな人間が辺境の地に移り住むなどというのは、王国の伝統をないがしろにする行いであるのです」


「そうか。ティカトラスなどは、伝統や習わしとも無縁のように見えてしまうのだが」


「それはティカトラス殿が、ご自身の力だけで身を立てる才覚をお持ちであるからです。僕などには、とうてい真似できません」


 と、フェルメスの笑顔に建前のフィルターがかけられたように感じられた。

 アイ=ファは、きゅっと眉をひそめる。


「ティカトラスを引き合いに出したのは、不相応であったであろうか? しかし才覚というのならば、あなたは決してティカトラスに負けていないはずだ」


「いえ。ティカトラス殿は、何より商売人としての才覚に秀でておられます。学士あがりの僕とは、そもそも才覚の質が根本から異なっているのですよ」


「ですがそれは、どちらが上という話でもないでしょう?」


 ポルアースが取りなすように口をはさむと、フェルメスは「いえ」と繰り返した。


「商売人と学士では、方向性が正反対です。……ガズラン=ルティムには、その意味がおわかりでしょうか?」


「私などには、計り知れない謎かけであるように思いますが……フェルメスは先刻、身を立てるという言葉を使っておられました。そこから察せられるのは、銅貨を稼ぐすべという意味合いでしょうか?」


 ガズラン=ルティムが落ち着いた態度で応じると、フェルメスは嬉しそうに微笑んだ。建前のフィルターが、やや薄らいだようである。


「端的に言えば、その通りです。ティカトラス殿があれだけの自由を許されているのは商売人としての才覚でもって莫大な富を築き、王都に大きく貢献しているためであるのです。いっぽう僕がどれだけの書物を読みあさって机上の知識を積み上げようとも、一枚の銅貨も得ることはかないません」


「ですがフェルメスはその知略でもって、数々の災厄を退けてくださいました。それは数多くの人間の生活を守ったということなのですから、莫大な富を生み出すのと同じ力なのではないでしょうか?」


「僕がそれだけの発言権と決定権を手にしているのも、貴族という立場あってのことです。僕が王都を出奔して貴族としての身分を失ったならば、無力な学士くずれに過ぎないということですね」


 すると、エウリフィアが「あら」と声をあげた。


「でしたら、ジェノスで貴族の伴侶を娶るというのは如何かしら? フェルメス殿に魅了されている貴婦人など、数えきれないぐらい存在するはずですわよ?」


 それは軽口の類いであるようだが、エウリフィアの瞳は興味深げにきらめいている。きっと、本音が含まれている軽口であるのだ。しかしフェルメスはゆったりと微笑みながら、「いえ」と応じた。


「それもまた、かなわぬ夢であるのです。僕は……王都に命運を握られている身ですので」


「命運? ちょっと物騒なお言葉ですわね」


「はい。みなさんの温情に報いるために、僕も正直にお話ししましょう。……僕はみなさんが思っておられるよりも、ずっと虚弱な身であるのです。僕は王都から届けられる薬なくしては、数年と生きられない身であるのですよ」


 俺は思わず息を呑み、アイ=ファはぐっと身を乗り出した。


「あなたは事あるごとに、熱を出して臥していた。あなたは何か、重い病魔を抱えているのか?」


「病魔……というよりも、ひたすら虚弱であるのです。薬がなければ数年も生きられないほどに、ですね」


 フェルメスは、何かの精霊のように微笑んだ。

 もはや、本音か建て前かもわからない。超然とした、人ならぬ身であるかのようだ。出会った当時、フェルメスはこういった表情を見せることが少なくなかった。


「その薬はきわめて高額である上に、王都の『賢者の塔』でしか調合することがかないません。もしも僕がヴェヘイム公爵家を捨てて、他なる土地に逃げのびようと考えたならば……見せしめとして、薬の処方も禁じられてしまうことでしょう」


「それが……王都の習わしだというのか?」


「はい。王家に次ぐ格式である五大公爵家の人間には、貴族としての規範が求められるのです。そこから逸脱するには、ティカトラス殿のような才覚と……そして、健康な肉体が必要であるということですね」


 そんな風に言ってから、フェルメスはくすりと笑った。


「みなさんの温情にほだされて、ついいらない話を口走ってしまいました。どうかみなさんは、王都や王家に叛心などを抱きませんように。……それでは、僕が愛するジェノスが失われてしまいかねませんので」


「しかし、薬を盾に自由を縛るなど、決して許されることではあるまい」


 アイ=ファが厳しい面持ちで応じると、フェルメスは困ったように微笑んだ。これは、本心からの笑顔であるようだ。


「ですがそれは、個人の感情や思惑で生じる現象ではありません。これまでに積み重ねてきた、王都の歴史……王都の因習が、人々を動かすのです。言ってみれば、森辺の方々が森辺の掟に縛られるようなものであるのですよ」


「我々が、掟でもって自由を縛っていると?」


「誤解を恐れずに言うならば、その通りです。たとえば……堕落するのも個人の自由であるという主張を、森辺の掟で許すことは可能でしょうか?」


 アイ=ファは狩人の眼差しとなって、フェルメスの笑顔をにらみ据える。

 フェルメスはむしろ楽しげに微笑みながら、言葉を重ねた。


「森辺には、数々の厳しい掟が存在します。無断で他者の家に踏み入ったならば足の指を切り落とすだとか、家人ならぬ異性の裸身を目にしたならば目玉をくりぬくだとか、森の恵みに手をつけたならば頭の皮を剥ぐだとか……外界の人間にとって、それはあまりに厳しい取り決めであると見なされることでしょう。ですが、森辺で生きる人間にとって、それは疑う余地もない絶対の掟であるのです」


「……王都の人間も、それと同じように因習というものを絶対としているということでしょうか?」


 ガズラン=ルティムが静かに問いかけると、フェルメスはいっそう楽しそうな顔をした。


「まさしく、その通りです。公爵家の人間が王都を出奔するというのは、それだけ重い罪であるのです。まあ、罪人として捕縛されることはないでしょうが……薬の処方を禁じるぐらいには、重い罪であるということですね」


「なるほど……自由気ままに振る舞うティカトラスは、その罪を贖えるだけの恩恵を王都にもたらしているということですか」


「はい。言ってみれば、アスタと同じような立場であるのでしょう」


 アイ=ファが「なに?」と眉を吊り上げると、フェルメスはまたくすくすと笑った。


「森辺において、男衆は狩人として生きることを義務づけられています。アスタがそれを免除されているのは、料理人として並々ならぬ力を発揮して、森辺に豊かな生活をもたらしているためでしょう? ティカトラス殿も貴族としては正しい責務を果たしておりませんが、商売人として躍進することで許されているということです」


 アイ=ファはフェルメスの真意を探ろうとばかりに、押し黙る。

 すると、ガズラン=ルティムがアイ=ファに微笑みかけた。


「私には、おおよそ理解できたように思います。狩人には狩人の、貴族には貴族の責任があるということですね。また、故郷を捨てようとする人間に情けをかけられないというのは、森辺も王都も変わりはないのではないでしょうか?」


「……たとえ森辺を捨てようとする人間がいたとしても、薬を渡すことを禁じるような真似はしないと思うのだが……」


「ではそれを、ギバ肉に置き換えてみてはどうでしょう? ギバ肉を口にしないと何年も生きられないような人間が、森辺を捨てたのちにもギバ肉を手にしたいと願うのです。我々はそのような人間にも情けをかけて、ギバ肉を渡すのでしょうか?」


 アイ=ファが再び押し黙ると、ガズラン=ルティムは穏やかな口調でたたみかけた。


「また、聖域を捨てたディアのことを考えてみてください。故郷を捨てるには、彼女ぐらいの覚悟が必要であるはずです。フェルメスが王都の薬をあてにしながら王都を捨てるというのは、あまりに覚悟がない所業なのではないでしょうか?」


「まさしく、その通りです」


 と、フェルメスがあどけない笑顔になりながら発言した。


「さらに言うならば、かつての僕が『賢者の塔』で学士になれたのも、公爵家の家人という身分あってのことであるのです。みなさんが賞賛してくださる僕の知識というものも、王都の貴族という立場あってのものなのですよ。そんな僕が王都を捨てるというのは、やはり裏切り行為であるのでしょう。それで薬を手にできなくなっても、恨むのは筋違いであるように思います」


「……そうか。私はあなたやガズラン=ルティムほど聡明ではないので、きっと公正さを欠いているのだろう」


 アイ=ファはすっくと背筋をのばして、これまで以上に凛々しい面持ちとなった。


「その上で、私はやっぱり王都の因習などというものが正しいとは思えん。たとえ森辺を捨てた人間でも、その者が他なる地で大きな役目を果たしているのならば……私は、ギバ肉を渡したいと思う」


 フェルメスは、虚を突かれた様子で目を見開いた。

 そして今度は、眠気をこらえる幼子のような顔で微笑む。


「それが、アイ=ファの理念なのですね。あなたはいくぶん公正さに欠けているかもしれませんが……純真で、強靭です。どうかアイ=ファは石の都の因習などにはとらわれず、森辺の民としての誇りを重んじてもらいたく思います」


「それではきっと、外界の民と正しく絆を深めることも難しいのであろうな。しかし、あなたとは正しい絆を結びたいと願っている」


「そのように言っていただけるだけで、僕は幸いです。自分にそのような価値があるのかと、疑わしくなるほどですね」


 そんな風に言ってから、フェルメスは他なる面々に視線を巡らせた。


「食事のさなかに、つい長々と語らってしましました。心よりのお詫びを申しあげます」


「ふん。何も詫びる必要はなかろう。今日は、フェルメスと絆を深めるための集まりであるのだからな」


 ゲオル=ザザがギバの煮つけをかじりながら応じると、チム=スドラも「うむ」と首肯した。


「俺などは口をはさむこともままならんが、興味深く聞いている。……やはり今日は、家長ライエルファムに参じてもらうべきだったな」


「ライエルファム=スドラには、あんたたちから話を聞かせてあげてよ。あのお人がどんな風に考えるのか、あたしも気になるからさ」


 そう言って、ララ=ルウは白い歯をこぼした。


「でも、あたしもすごく興味深かったよ。その調子で、どんどん語らってほしいところだけど……オディフィアなんかは、ちょっぴり退屈だよね」


 いきなり水を向けられたオディフィアは無表情のまま、慌てた様子でぷるぷると首を振った。


「オディフィアにはむずかしくて、よくわからないけど……でも、みんなといっしょにきいてたい」


「あはは。みんなじゃなくて、トゥール=ディンなんじゃないの?」


「ううん。みんな」と、オディフィアは言い張った。彼女はトゥール=ディンばかりでなく、トゥール=ディンが大切に思う森辺の同胞のことも大切に思っているのだ。


 トゥール=ディンは心配げな面持ちで、ユン=スドラやポルアースは真剣な面持ちをしている。メリムやゼイ=ディンは余人の邪魔にならぬよう、穏やかな面持ちで息をひそめている様子だ。

 そんな人々の姿を確認してから、俺はひさしぶりに発言した。


「俺も思わず、聞き入ってしまいました。それでけっきょく、フェルメスは……王都に戻る覚悟を固めておられるのですよね?」


「ええ。それでも未練を持っていないと思われるのは物寂しいので、ついつい言葉を重ねてしまいました」


 と、フェルメスは可憐な乙女のように微笑んだ。


「僕は本当にジェノスに永住したいぐらいの気持ちですが、王都の因習がそれを許さないことをわきまえていますし、その運命を許容しようという覚悟を固めています。ですから、残された時間でみなさんと可能な限り、絆を深めさせていただきたく思っています」


 それが、フェルメスの本音であるのだろう。

 こんなに複雑な人柄をしたフェルメスを心から信用できるというのは、幸いな話である。俺はその喜びを噛みしめながら、「はい」と笑顔を返すことにした。

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― 新着の感想 ―
フェルメス最推しキャラだから会えなくなるの寂しい! ギバ肉を渡すアイ=ファのようにお薬作ってよー!!
最初の頃は、アスタの来歴を探るマッドな学者モドキかな、とも思ったもんだが、胸襟を開いてからは、その知略(策謀はほぼ無し)に助けられる事が多数あった。 それこそ話の流れにあったように、ティカトラスには出…
そちらの世界だけでなく、どの組織や社会でもいずれ起き得る話てしたね。ルールは守りにも縛りにもなり得るから常に全員に完璧な対応できないと思いますけど、そこにも様々な見方ありますよね。すごく思い浸る話でチ…
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