①南よりの来訪者
2015.2/19 更新分 1/1
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そいつが俺たちの店にやってきたのは、ルウの集落で収穫の宴が催されたその翌日、青の月の28日のことだった。
俺にとっては、宿場町における屋台の商売の31日目、つまりは記念すべき4期目の初日ということだ。
第1期目――商売を初めて最初の10日間は、とにかくもう試行錯誤と暗中模索の日々であった。初日なんてわずか10食の『ギバ・バーガー』しか携えずに臨んでいたのだから、どれほどおっかなびっくりであったかも明白であろう。
その最初の10日間では予想を遥かに上回る稼ぎを叩きだすことがかない、屋台はふたつに拡張され、《南の大樹亭》における卸しの仕事を請け負うこともできた。
最終日には、合計で170食もの料理を完売させることができたのだ。
その購買層の8割近くは南と東の民であったものの、それでも出来すぎなぐらい出来すぎの結果だったと思う。
しかし、2期目などはさらなる波乱の連続であった。
途中でスン家の家長会議をはさみ、のちにはそれを発端とするザッツ=スンとテイ=スンの騒ぎが生じてしまい――城の人々への不審感、町の人々との不和と軋轢といった商売以外の部分でとてつもない労苦を背負いこむことになり、最終的には刃傷沙汰にまで発展してしまったのだ。
そんな中、おそるおそる開始した3期目は、予想よりも平穏に過ごすことがかなった。
ひょんなことからトトスを手に入れることになったり、《南の大樹亭》に続いて《玄翁亭》でも料理を卸すことになったりと、プラス面の変化も大きく見られ、不安定に揺れ動いてしまった西の民との関係性も、いちおうの均衡状態が保たれている。
店の売り上げも騒ぎの前と同程度には戻ったし、西の民に石を投げられるようなこともない。怖れや蔑みとはまた異なる、きわめて厳しい懐疑の眼差しをあびるようにはなったものの、それはむしろ好ましい変化なのだと俺はとらえている。森辺の民とは、いったいいかなる人間たちであるのか――それを知りたい、と思ってもらうことがかなったのは、相互理解の第1歩目である、と俺には思えたのだ。
そうして迎えた、第4期目の記念すべき初日。
そいつが、俺たちの前に姿を現したのだった。
◇
「へえ! ギバの屋台? ねえねえ、これって本当にギバの肉の料理なの?」
出会い方は、そんなに特別なものでもなかった。
初めてこの屋台の存在を知った人間としてはまずまずスタンダードなリアクションだったと思う。
だから俺も、これといって不審感をかきたてられることもなく、「はい、そうですよ」と応じてみせたものだった。
それでも「おや?」と思ったのは、その人物の風体が少しばかり意想外なものであったからだ。
べつだん、おかしな格好をしていたわけではない。袖なしの胴衣に、筒型の足衣、フードのついた短めの皮マントという、それは南の民に多く見られる平服姿だった。
容貌も、短めに切りそろえられた髪は濃淡まだらの褐色で、瞳は明るい緑色、肌はほんのり赤みがかった白色というもので、犬か猫みたいに色彩の統一されていない髪の色だけがちょっとばかりは珍しかったが、それでもやっぱり南の民としてはごくありふれた感じである。
だから、俺にとって意想外だったのは、まずその年齢だった。
実年齢は、もちろんわからない。ただ、俺より年長ではありえないだろう。せいぜい15、6歳だと思う。
東の王国シムほどではないにせよ、南の王国ジャガルも決して気軽に行き来できる国ではない。聞いたところによると、このジェノスからはもっとも近いジャガル最北の町ネルウィア――バランのおやっさんの故郷――まででも、およそ半月の旅程であるらしい。
で、距離が遠ければ遠いほど、旅には危険がつきまとう。
野生の獣や野盗の襲撃、それに自然の災害など、この世界における旅とは、多かれ少なかれ生命の危険をともなう行為なのである。
それゆえに、人種の坩堝であるこのジェノスの宿場町においても、女性や子どもや老人などはもちろん、あんまり若い異国人を見かける機会は少ない。
まあ、シム人などは年齢の見当がつけにくい風貌をしているし、ジャガル人の中には俺と同年代ぐらいの若者を見かけることもなくはなかったが、それにしても絶対数としてはかなり少なめなのである。
然して――この少年は、ずいぶん若かった。
若い上に、妙に華奢な体格をしていた。
俺の関心を引いた第2ポイントが、それだった。
(見たところ、160センチ未満ってところかな。まあ、南の民としては小さすぎるってわけでもないけれど…)
しかし、小柄でも体格はがっしりとしているのが、南の民のスタンダードである。長身痩躯の体型が多いシム人とは対極的に、背は低く手足は短く、その代わりに骨太で肉づきもいい、というのが俺の抱くジャガル人のイメージだ。
なおかつ、ジャガル人は俺ぐらいの年齢の若者でも実に見事な褐色の髭をたくわえていたりもしているので、ビジュアル的には、映画やゲームなどで見るドワーフのような雰囲気なのである。
だがこの少年は、髭をたくわえてもおらず、骨太の体格もしてはいなかった。
まあ、髭なんて生やしてもまったく似合いはしなかっただろう。南の民らしくきょろんと大きな目はしているものの、鼻筋や頬の線なんて女の子みたいに繊細で、顔立ち自体もずいぶん可愛らしい。森辺の集落でも案外と若い衆は中性的な容貌をしていたりもするが、それ以上に目鼻立ちは整っていて、年齢を重ねればさぞかしご婦人を悩ませる美青年に成長するだろうなあという風情なのである。
で、体格のほうも、その容貌に相応しい感じで、きわめてほっそりとしている。
特にそのむきだしになった白い腕や、革帯をしめた腰のあたりなんかは、同世代の女の子と比べても遜色ないぐらい華奢なつくりをしていた。
(どこの生まれとか関係なく、ここまで可愛らしい顔をした男の子ってのは珍しいなあ)
そんなことを考えていると、少年は軽妙なる足取りで屋台のほうに近づいてきて、鉄板の上で保温されている『ミャームー焼き』の肉をまじまじと覗きこんできた。
「ふーん、ギバの肉ねえ。そんなものを食べる人間がいるとは驚きだね! ギバの肉なんて、臭くて固くてとても食べられたものじゃないって評判だったはずだけど?」
これもまあ、西や南の民としては通例のお言葉だ。
だが、その声はまた女の子みたいにキーが高くて、声質も細かった。やたらと可愛らしい顔もしているので、スカートでも履かせれば絶対女の子と見間違えてしまうだろうなと思える。
しかし今は、そんなことより商売だ。
相方のララ=ルウはお行儀よく沈黙を守っていたので、俺は「そんなこともないのですよ」と愛想よく応じてみせた。
「それはきっと、正しい加工をされていないギバ肉を食べた誰かの評価なんです。きちんと調理されたギバの肉は、キミュスやカロンに劣る味ではないと思いますよ?」
「そんなわけないじゃーん! ほらほら、ラービス、ギバの肉の料理だってよ! すっごいよねー、こんなものを食べる人間の気が知れないよ!」
連れがいたのか、と俺はその少年の視線を追ってみる。
少年のななめ後ろには、同じような装束を纏った青年がひっそりと立ちつくしていた。
こちらは南の民らしく頑丈そうな体格をした、しかもなかなか上背もある若者だった。少年よりも頭半分以上は大きいから、まあ175センチ前後といったところか。
褐色の髪に、褐色の瞳。肌の色はやはり白く、年齢は20歳ぐらい。彫りの深い顔立ちで、下顎などはがっしりしており、実にジャガルの民らしい精悍な風貌だ。
ただし――この若者も、髭をたくわえてはいない。
やはり、ジャガルの男性のすべてに髭を伸ばす風習があるわけではないらしい。
「ねえねえ、ラービス、試しにお前がこのギバ肉の料理とかいうのを食べてみたら? 故郷の連中にいいみやげ話ができそうじゃん!」
いかにも悪戯小僧っぽい笑顔を浮かべながら、少年のほうがそんなことを言った。
ラービスと呼ばれた若者は、仏頂面でその笑顔を見返す。
「それはご命令ですか、ディアル様? だったら俺には逆らうすべもありませんが」
野太く、低い声音だった。
南の民にしてはあまり表情の動かないタイプであるらしいが、困惑と嫌悪の感情がうっすらにじみでてしまっている。
(……ふーん、ディアル様、か)
この宿場町でそのような敬称を聞くことこそ、実に珍しい事態であった。
そういえば、よく見てみると、彼らの着ているものも平服は平服だが、何となく高級なものであるように見受けられる。デザイン自体はありふれていても、襟もとや袖口にあしらわれた刺繍の具合だとか、綺麗に染めあげられた布地の色合いだとか、護身用の短剣の革鞘の見事さだとかが、さりげなく質の高さを現しているように感じられるのだ。
(貴族――って言うほどお高くとまっている感じではないけど、宿場町より石の城のほうが似合いそうな身なりだな)
ともあれ、ラービスなる若者の返答が意に沿わなかったのか、ディアルと呼ばれた少年は不満げに眉を寄せて「つまんねーやつ!」と言い捨てた。
生まれは裕福なのかもしれないが、気品や礼節とは無縁の少年であるらしい。
「でも本当に、ギバの肉は美味しいですよ? 南の民でもお得意様はとても多いんです。よかったらご試食してみませんか?」
そう言って、最近ほとんど出番のなかった試食用の木皿を取り上げようとすると、「冗談やめてよー」と笑われてしまった。
「僕がそんなもん食べると思う? だいたい宿場町の料理なんて、安い以外に取り柄はないじゃんか? あげくの果てにギバの肉だなんて、銅貨をもらっても食べる気にはなれないね!」
「そうですか。それは残念です」
語るに落ちるというか何というか、やっぱり彼らは宿場町の宿泊客ではないらしい。旅の途中でぶらりと寄ったのか、これから城下町にでも向かうところなのか、とにかく俺のような庶民とはご縁のない方々であらせられるようだ。
それならそれでお引き取り願うしかないが、何故かしら彼らはその場にたたずんだまま、いっこうに立ち去ろうとしなかった。
「ねえ、あんたって西の民だよね? どうして西の民が森辺の民なんかと一緒に商売やってんの? 西の民は、南の民より森辺の民を嫌ってるんじゃなかったっけ?」
細い腕を細い腰にあて、少なからず傲岸な目つきで、少年ディアルが俺の顔を見つめてくる。
きらきらとよく光る、まるで翡翠みたいに綺麗なグリーンの瞳だ。
「……そんなにおかしな話ですかね? そもそも森辺の民だって、西方神セルヴァに魂を捧げた西の民の一員ですよ?」
「そんなの、建前じゃん! どうせそいつらには神を崇める知性なんてないんでしょ? いいから、僕の質問に答えてよ」
どうにも不遜に過ぎる少年である。
しかし、このていどの罵言で動じる森辺の民ではないらしく、ララ=ルウはそっぽを向いたまま素知らぬ顔をしている。
俺としても、内心の反感は胸の下に抑えこんでおく他ないようだ。
「どうしてと言われても困りますね。確かに俺は森辺の生まれではありませんが、家人と認められて、森辺で暮らしている身なんです。そうして暮らしていくうちに、この商売を始めることになっただけですよ」
「ふーん、変なの! それに、その堅苦しい喋り方やめてくれない? あんた、僕より年上でしょ?」
またこの問答か、と俺は内心で溜息をつく。
「年齢はこの際、関係ありません。お客様に無礼な口をきくわけにはいきませんので」
「客じゃないじゃん。心配しなくても、僕がこの先ギバ肉の料理を買うことなんて絶対ありえないから!」
そう言って、少年は楽しそうにけらけらと笑った。
耳をふさげば実に可愛らしい笑顔に見えるのだろうが、俺のストレスは蓄積される一方だ。
すると――まるでそれを癒しに来たかのようなタイミングで、北の方角から歩いてくる一団があった。
シュミラル率いる《銀の壺》の面々である。
「いらっしゃいませ! お待ちしてましたよ、シュミラル」
「……私、待っていたですか?」
フードをはねのけて銀髪をあらわにした東の民の若者は、ほんの少しだけ首を傾げた。
俺は『ミャームー焼き』の作製をララ=ルウに一任し、足もとに置いておいた巨大な袋を屋台の脇に移動させる。
「お約束の干し肉です。期日のぎりぎりになってしまって申し訳ありませんでした」
それはシュミラルから依頼を受けていた、40キロ分の干し肉であった。
本来であればもうちょっと早い時期に引き渡す予定であったのだが。実はスドラ家に頼んでいた干し肉の出来がいまいちで――というか、スドラ家では使う香草の割合がずいぶん他の氏族と異なっており、あまり好ましくない風味が強くなってしまっていたので、急遽作りなおすことになってしまったのである。
家によっては干し肉の味が異なることもありうる。そんな当たり前のことに気づくことのできなかった、これは俺側のミスだ。だから、恐縮のあまり泣きそうになってしまったリイ=スドラをなだめて、香草の割合の手ほどきをして、何とかかんとか完成にまでこぎつけることがかなったのだった。
巨大な袋の中身を確認し、シュミラルは嬉しそうに目を細める。
「ありがとうございます。銅貨、払います」
代金は、しめて白銅貨60枚だ。
商売人の約束事として、俺がシュミラルの前でその枚数を数えていると、まだ姿を消していなかった少年ディアルが「へーえ」と面白くなさげな声をあげた。
「ずいぶん羽振りのいいシム人だね。あんた、北のほうから歩いて来たみたいだけど、もしかしたら城下町でも商売してんの?」
シュミラルは、悠揚せまらずそちらを振り返る。
「はい。私、《銀の壺》、シュミラル=ジ=サドゥムティーノです」
「名乗らなくていいよ。僕はシム人なんかに名乗るつもりはないから」
と、少年は実に憎たらしい感じで舌を出した。
これにはさすがに、俺のほうがカチンときてしまう。
「あの、こちらは俺の店のお客様であると同時に、大事な友人でもあるんです。失礼な口をきくのはやめていただけませんか?」
「何だよあんた、シム人なんかの肩を持つの? ま、ギバの臭い肉なんかを喜んで食べるのはシム人ぐらいなんだろうけどねー」
俺は思わず、そちらに詰め寄ろうとしてしまった。
それをシュミラルに、柔らかく押し留められる。
そうしてシュミラルは、反抗的に緑色の目を燃やしている少年を静かに見つめ返した。
「争い、やめましょう。南の民、東の民、西の王国で争う、禁じられています」
「ふん! だったらあんたたちは大人しく東の領土にひっこんでなよ! 西の王国とのつきあいは、ジャガルのほうが長いんだからね! あんたたちにでかい顔をされると、こっちは腹立たしくて仕方ないんだよ!」
宿場町で商売を始めた当初は、アルダスたちやこの《銀の壺》との間でも、険悪な空気が流れることは少なくなかった。それが平穏な関係性に落ち着いたのは、ひとえに俺の商売の邪魔にならないように、という暗黙のルールが生じたためであるのだ。
だからきっと、敵対国であるというシムとジャガルの民がこのように言い争うのも、決して珍しい光景ではないのだろう。
それは頭では理解できるのだが――やっぱり、見ていて気持ちのいいものではない。一方的に誹謗されているのがシュミラルとあっては、なおさらだ。
「……すみません。私たち、帰ります」
そう言って、シュミラルは俺のほうに小さく頭を下げてきた。
俺は慌てて、それよりも深く頭を下げてみせる。
「シュミラルが謝る必要なんて一切ありませんよ。……あいつは別にお客様じゃありませんし、どうにも口が悪すぎるみたいなんです」
後半部分は、もちろん囁き声だ。
そんな俺たちの姿をにらみつけながら、少年は気短そうに足を踏み鳴らしている。
「大丈夫です。干し肉、ありがとうございました」
シュミラルは、干し肉の袋を同胞に託し、自分はララ=ルウから『ミャームー焼き』を受け取って、きびすを返そうとした。
その動きが、ちょっと不自然な感じで止まる。
「アスタ……ヴィナ=ルウ、不在ですか?」
「ああそうだ! 大事な話を忘れていました! ……実はヴィナ=ルウは、家の仕事の最中に足の筋を痛めてしまい、町に下りられなくなってしまったんです。2、3日もすれば歩けるようにはなる、という話なんですけど……」
何でも、昨日の宴の始末をしているときに、即席かまどの解体をしていた分家の女衆が、大きな石をリミ=ルウの足もとに落としてしまったらしいのだ。
そのかたわらにいたヴィナ=ルウが、機敏な動作でリミ=ルウを抱きあげた。が、その勢いがよすぎて転倒し、足首をくじいてしまったと、そんな風に伝え聞いている。
で、ご紹介が遅れてしまったが、そのヴィナ=ルウに代わって『ギバ・バーガー』の屋台に立っているのは、ピンチヒッターたるレイナ=ルウなのである。
シュミラルは、屋台のほうに戻ってきて、鉄板ごしに顔を寄せてきた。
「……ヴィナ=ルウ、傷、重いですか?」
「いえ、骨には異常もないそうで。今でも壁づたいなら何とか歩けるぐらいの状態であるようです。だから、たぶん――遅くても、3日後ぐらいには仕事に戻れると思うんですが……」
しかし今日は、青の月の28日だ。
3日後といえば、青の月の31日――シュミラルたちのジェノスにおける商売の最終日である。
その翌朝にはもう別の町へと旅立つ予定であるらしいので、それを逃せばシュミラルとヴィナ=ルウが顔を合わせる機会もなくなってしまう。
シュミラルは口を閉じ、目を伏せた。
表情はまったく動いていない。
それなのに――なんて切なそうな顔だろう。
「……わかりました。ありがとうございます」
そうしてシュミラルは、今度こそ立ち去っていった。
俺は深々と息をつき、ララ=ルウも何か言いたげに口を開きかける。
が、それよりも早く、また例の少年が口を差しはさんできた。
「ったく、シム人ってのはどいつもこいつも辛気臭いなあ! あんな連中、敵対国じゃなくても絶対関わり合いになりたくないよ! あんたもいったい何が楽しくて、あんな連中を相手に商売してるのさ?」
「……うるさいなあ。商売の最中にお客様に難癖をつけるなんて、あまりに礼儀に反した行為じゃないか?」
と、ついに俺も頭に来て、そんな風に言い返してしまった。
というか、これは本当に営業妨害に相当する行為なのではなかろうか。
宿場町の治安のために、何かあったら包み隠さず衛兵に報告すること、とは普段からミラノ=マスに入念に忠言されている身なのだ、こちらは。
しかし、少年のほうは満足そうに口もとをほころばせていた。
「何だか本性が出てきたね! 板についてない言葉づかいより、そっちのほうがよっぽどサマになってるんじゃない? 少なくとも、僕はそういうほうが好きだなあ」
「別に君なんかに好かれても嬉しくはないね。いい加減にしないと、営業妨害で衛兵に訴えることになるよ?」
「ちょっと、アスタ、落ち着きなよ」
うんざり顔で、ララ=ルウが俺の袖を引いてくる。
「こんなの相手にしたってキリがないよ。喧嘩するだけ損だってば」
俺だってもちろん、そんなことは百も承知である。森辺の民は無法者の集まりではない、と証し立てていかないといけないこの時期にお客さんともめごとを起こすなんて、決してあってはならないことだ。
だけど俺は、思ってしまったのである。
この少年は、まさか意図的にもめごとを起こしに来たのではなかろうな、と。
城下町の関係者、というのが俺には引っかかってしまったのだ。
ジェノス侯の代理人サイクレウスという人物は、いまだ謎に包まれている。しかし、黒い噂の絶えないその人物が、森辺の民を支配するにあたって俺の商売が目障りだと考える可能性は、きっとゼロではないだろう。
ならばこそ、俺は宿場町の法に則って、正々堂々と対処すべきと考えたのである。
「ふーん。衛兵ねえ。町の衛兵なんて、しょせん下っ端でしょ? そんな連中に僕のことをどうこうできるとは思えないけど」
「へえ。君は衛兵も逆らえない貴族様か何かなのかな? だったらこんなしがない屋台に用事はないはずだろう?」
「僕が貴族なわけないじゃん。僕だってしがない商人の子だよ。ま、ギバの肉を食べるほど落ちぶれてはいないけどね」
愉快そうに、少年は笑う。
その女の子みたいに可愛らしい笑顔が、また憎たらしい。
「どうしたんだ。何かもめごとか、アスタよ?」
と、そこに新たなる一団が現れた。
バランのおやっさんとアルダス率いる、ジャガルの建築屋の一団である。
「あ、いらっしゃいませ。何でもないんですよ。毎度ありがとうございます」
「何でもないという顔ではないようだがな。……まあいい。とにかくとっとと作ってくれ。腹が減って死にそうだ」
朝からひと仕事終えてきたのだろうか。手ぬぐいで汗をふきながら、『ミャームー焼き』のほうに7人、『ギバ・バーガー』のほうに5人が並んでくれた。
で、この様相に、もちろんディアル少年が黙っているわけがない。
「あんたたち! ジャガルの民なのにギバなんて食べるの? いったい何を考えてるのさ!」
「ああん? 何だお前さんは? ずいぶん小奇麗な格好をしているな。そんな格好で宿場町を歩いていたら、ごろつきどもの的になってしまうぞ?」
おやっさんが、片眉を吊り上げながらそちらを振り返る。
少年は、薄っぺらい胸をそらして、背後の若者を親指で指し示した。
「ごろつきなんて怖くないよ! ラービスはこれでも剣術の達人なんだ! この前だって、野盗を3人もひっ捕まえたんだから!」
なるほど。若者のほうは、短剣ばかりでなく長剣も下げている。
だけどまあ、森辺の民やらカミュアやらメルフリードやら、そのような人々とばかりおつきあいのある俺には、あまり威圧感も感じられない。不可思議な観察眼を有しているらしいアイ=ファやルド=ルウの目にこういう若者はどう映るのか、ちょっとだけ興味をそそられる。
「ふん。子どものくせに、たいそうな鼻息だな。王都の生まれか?」
「ううん。ゼランドだよ」
「そうか。俺はネルウィアだ。ゼランドというと――たしか、鉱山を抱えた鉄屋の町だな」
「うん! 僕の家も鉄具屋で、ジェノスの城下町に商品を卸してるんだ!」
さきほどとは一転して、なかなか和やかな雰囲気である。
が、少年のほうに和やかなまま終わらせるつもりはないようだった。
「ねえ、ネルウィアの人。どうしてあんたはギバの料理なんて食べようとしてるの? 見たところ、生活に困っているようではないけれど」
「どうして生活に困ったらギバを食べなきゃならんのだ? ギバの料理もカロンの料理も値段は変わらんのだぞ? 宿屋の晩餐だったら、ギバのほうが高くつくぐらいだ」
「ふーん? だったら、カロンを食べればいいじゃん」
「カロンも美味いが、ギバも美味い。それでギバなんぞはこのジェノスでしか食べられそうにないんだから、俺はギバを食べ続けると決めただけだ」
ぶっきらぼうに答えつつ、温めなおし中の肉から漂う芳香に、バランのおやっさんは大きな鼻をひくつかせている。
「ギバが美味いだなんて信じられないなあ! みんな、悪い魔法でもかけられちゃってるんじゃないの?」
少年は、不満そうに眉を寄せる。
すると、今まで黙っていたアルダスが愉快そうに笑い声をあげた。
「魔法なんざを使うのは東の民ぐらいのもんだろう。それに、こんな幸せな気分を味わえるなら魔法だろうが何だろうがかまわないさ。嘘だと思うなら、お前さんも食べてみればいい」
「いやだよ、ギバの肉なんて」と、少年はそっぽを向く。
が、完成した『ミャームー焼き』をおやっさんたちがほくほく顔で食し始めると、また視線を吸い寄せられてしまう。
「……それ、本当に美味しいの?」
「ああ、美味い」
「……ふーん」
「食いたいなら、自分で買え」
「食べたくないよ、ギバなんて!」
その言葉に、「ぐるる」という奇妙な音が重なった。
少年は顔を赤くして自分のお腹をおさえこみ、建築屋の人々は楽しそうに笑い声をあげる。
何となく、デジャブを感じる光景だ。
「ち、違うよ! これはその……匂いだよ! ミャームーの匂いが美味しそうなだけさ!」
「そうだな。ギバの肉は実にミャームーと合う」
笑顔でアルダスが応じると、別のお仲間がやはり笑顔で割り込んできた。
「確かにこの料理は絶品だな。だけど、俺はこいつ以上に宿屋の料理のほうが好きだぞ?」
「あれはタウ油を使っているからな! ああ、だけど、タウ油を使った焼き肉なんてのも食べてみたいもんだなあ」
「それでミャームーも使っていたら最高じゃないか? なあ、アスタ?」
「ええ、自分の家ではミャームーとタウ油を使った焼き肉なんかもこしらえてますよ」
「それはずるいな! あるなら、その料理も売ってくれよ!」
「それはまだどういう料理にするか決めかねているんですよね。ただ焼くだけでは芸がありませんし。それに、タウ油を使うと費用もかさんでしまうので」
「ああ、西だとタウ油も高いからなあ。……アスタの料理を食べられるのもあと3日かと考えると、何だか泣けてきちまうよ」
「ありがとうございます。俺も皆さんとお別れするのは、とてもさびしいです」
どうしてまたよりにもよって《銀の壺》と建築屋のスケジュールはきっちり重なってしまっているのだろう。この人たちと、シュミラルたちと、その両方と同じ日にお別れしなくてはならないなんて、こっちのほうが泣けてきてしまう。
「それじゃあな! 晩餐も楽しみにしてるから、頼んだぞ!」
「はい、毎度ありがとうございました!」
そうしておやっさんたちも仕事に戻っていった。
残されたのは、髭のないジャガルの民2名である。
口をへの字にして立ちつくしている少年の姿に、俺はまた溜息を誘発されてしまう。
「……で、君はいつまでそこでそうしているのかな? 宿場町の料理が口に合わないなら、城下町に戻ればいいじゃないか?」
「うるさいな! 僕に指図しないでよ!」
大きな声を出したはずみか、また「ぐるぐる」とお腹が鳴った。
白いお顔を真っ赤に染めつつ、少年は俺をにらみつけてくる。
「……ねえ、ギバの肉って本当に美味しいの?」
「俺にとっては、美味しい肉だよ。少なくとも、カロンの足やキミュスよりはね」
「カロンの足なんて、安物の肉じゃないか」
「そうらしいね。俺も味見ていどにしか食べたことはないんだけど」
「…………」
「あのさあ、君――」
そろそろ店が混み合ってくる時間だから、いい加減にお引き取り願えませんか? と、言うつもりだった。
が、その言葉も「わかった!」という大声にかき消されてしまう。
「ねえ! 僕と賭けをしようよ!」
「賭け?」
「もしもギバ肉が本当に美味しかったら、あんたの勝ち。不味かったら、僕の勝ち。負けたほうが、白の銅貨を1枚払うことにしよう!」
「何でだよ! 大事な銅貨をそんな賭け事に使えるもんか!」
「うるさいな。いいから早く、肉を焼いてよ」
少年のほうは自分の妙案に大満足の様子でにこにこと笑っている。
あともうほんのちょっとだけピントが合っていれば、ルド=ルウやラウ=レイにも通ずる愛すべき悪戯小僧、という風情であるのだが。生まれや育ちのせいなのか、どうにも歓迎する気になれない。
だけどまあ――この少年がサイクレウスの放った間諜である、という俺の考えはさすがに思い過ごしであるのかもしれなかった。
それでも警戒心だけは保持したまま、俺は「わかったよ」と、うなずいてみせる。
「それじゃあ、肉を焼くよ。ただし、この銅貨は俺の一存だけで好きにつかえるものではないから、賭けるなら別のものにしてほしい」
「ふーん? それじゃあ何を賭けようっての?」
「そうだなあ……俺が勝ったら、俺の同胞や俺のお客様に失礼な口をきくのをやめてもらえるかな? 森辺の民や東の民の悪口は、俺のいない場所でわめいてほしい」
少年は意地悪そうに目を細めつつ、もう1度「ふーん」と言った。
「面白いね。それじゃあ僕が勝ったら、あんたには僕のことをディアル様って呼んでもらおうかな。言葉づかいは、今のまんまでいいからさ」
ずいぶん子どもっぽい発想だ。
まあ、俺のほうとて決して理性的とは言い難い要求であるのかもしれないが。
ともあれ、ちょうど料理も作り置きをするタイミングであったので、俺は「いいよ」と応じながら、肉の詰まった皮袋を引き上げた。
「馬鹿だなあ。大事な料理をそんなことに使っちゃうの?」
と、ララ=ルウが呆れた様子でぼしょぼしょ語りかけてくる。
「美味いか不味いかなんてあいつが好きなように答えられるんだから、賭けなんてしてもアスタに勝ち目はないじゃん」
「あいつがそんな恥知らずだったら、軽蔑の念を込めてディアル様って呼んでやるさ。……それに『ミャームー焼き』のほうだったら、毎日10食ぐらいは余っちゃってるからね。大事な料理ではあるけれど、意味がないことはないと思う」
そしてまた、宿場町の料理そのものを否定するほど舌の肥えた富裕層に、俺の料理はどのように感ぜられるのか。それに対する好奇心もなくはなかった。
どのみち食べさせないことにはいつまでも商売の邪魔をされてしまいそうだし、食べて口に合わなければ、この屋台に対する興味もなくしてくれるかもしれない。このままぎゃあぎゃあと言い合っているよりは、まだいくらかはマシな対処法であると俺は判断させていただいた。
ミャームーと果実酒のタレがしみこんだ肉をアリアとともに中火で焼いて、千切りのティノとともに焼きポイタンではさみこむ。
その間、少年はずっとご満悦の表情で俺が『ミャームー焼き』をこしらえる姿を見守っていた。
背後に控えた若者は、口をはさむでもなく仏頂面で黙りこんでいる。
「お待ちどうさま。ぞんぶんに味わってくれ」
「ふーん。本当に、匂いだけはいっちょ前だなあ」
つくづく可愛げのないことを言いながら、少年は出来立ての『ミャームー焼き』を受け取った。
そして、さほど物怖じすることもなく、健康そうな白い歯でポイタンの生地にかじりつく。
さあ、ひさびさに罵詈雑言をあびせかけられるのかな、と身構えていると――少年は、もぐもぐと口を動かしながら、うつむいてしまった。
そうして表情を隠しつつ、2口、3口と『ミャームー焼き』を頬張っていき、ついに無言のまま、食べ終えてしまう。
「どうだい? お口には合わなかったかな?」
「…………」
「うん?」
「……美味しかった」
それは何よりだ。
しかし、声がいくぶん震えている。
「ディアル様?」と、かたわらの若者がその肩に手を置こうとした。
その指先を払いのけ、少年はすたすたと歩きだす。屋台を迂回して、俺のすぐそばに近寄るまで、その歩みは止まらなかった。
「ど、どうしたんだよ?」
俺よりも小柄で華奢な少年ではあるが、その腰には護身用の短剣が下げられている。まさか、逆上して斬りかかってくることはあるまいな、と身を引こうとすると――そのほっそりとした白い指先に、おもいきり胸ぐらをつかまれてしまった。
「……すごく美味しかった」
ディアル少年が、ゆっくりと面を上げる。
そこには、惜しみない賞賛の笑顔が広がっていた。
「ごめんなさい。僕が間違ってた。言葉も出ないほど美味しかったよ……あんたの名前は、アスタだったっけ?」
「う、うん、そうだけど」
「本当に美味しかった。あんたはすごい腕前をしてるんだね、アスタ」
言いながら、少年はいっそう強い力で俺の着たTシャツの生地をひねりあげてきた。
「アスタ、僕を許してくれるかい? まさかギバの肉がこんなに美味しいだなんて、僕は夢にも思っていなかったんだ。こんなに美味しいものを固いだの臭いだの言っていた僕のことが、さぞかしアスタには大間抜けに思えたことだろうね?」
「いや、そんなことはないけれど……あの、手を放してもらってもいいかなあ?」
「あ、ごめん! つい興奮しちゃって!」
と、ディアル少年は俺の胸もとから手を放し、ついでに1歩だけ後方に跳びすさった。
で、もじもじとしながら、顔を赤くしてしまう。
(……なんちゅー豹変っぷりだ)
いや、豹変そのものはどうでも良かった。南の民はとても直情的なので、こちらが面食らうぐらいストレートに感情をぶつけてくることも珍しくはなかったのだ。
だけど、何というか、おかしな気分だった。
我を失ってしまったことを恥じるように、頬をバラ色に染めて、上目づかいに俺のことを見つめてくる、その少年の顔は――ちょっと筆舌に尽くし難いぐらい、可愛らしかった。可愛らしすぎた。見ているこちらが、胸をどきつかせてしまうほどに――
(いや、待て待て! 俺にそういう趣味はないはずだ! 断固として!)
これはアレだ。最初にさんざん憎まれ口を叩かれてしまったから、きっとその反動がとてつもないだけなのだ。もともと顔の造作は整っているのだから、こんな風に悪意も邪気もなく、なおかつ照れくさそうに上目づかいで微笑まれてしまったら、同性といえども可愛く見えるのが当たり前――か?
「あの……僕のこと、許してくれる?」
「え? ゆ、許すって?」
「アスタにとっては大事な人たちに、僕は失礼な口をきいちゃったじゃん? そりゃあ僕にとっては森辺の民なんてどうでもいい存在だし、シム人は敵対国の人間だけど――アスタにしてみれば、死ぬほど腹の立つことだったよね?」
「ゆ、許すよ許すよ。今後そういう真似を控えてくれるんならね」
「本当に? うれしいな」と、ディアル少年はさらに朗らかに微笑んだ。
中天も近い日差しをあびて、ちょっと不思議な色合いをした褐色の髪がきらきらと輝いている。翡翠のように綺麗な瞳にも明るく澄み渡った光があふれ、南の民にしては小さくて柔らかそうな唇には、幸福そうな微笑が広がり――本当に、それは天使のように純真で可愛らしい笑顔だった。
「……不思議な人だね、アスタって。僕はただ、西の民が森辺の民と仲良く商売なんてやってるから、ちょっとからかってやろうと思っただけなのに。まさかこんなに驚かされることになるとは思わなかったよ。……ねえ、アスタはどこの生まれなの? もしかしたら、東の血も入っちゃってるのかな? 黒い髪に黒い瞳っていうのは、普通は東の民のものだよね?」
「え、えーと、俺はこの大陸の生まれじゃないんだよ。日本っていう島国の生まれで――」
「え! アスタは海の外から来たの!?」
驚きに目を見開き、ディアル少年が再び接近してくる。
真顔になっても、愛くるしさは減退してくれない。妙にシニカルで反抗的な態度が影をひそめてしまうと、彼はいっそう幼げに、いっそう可愛らしく見えてしまった。
「そういえば――肌の色なんかは西の民そのまんまだけど、顔立ちはそうでもないかもね。目もとなんて、ちょっと女の子みたいだし」
「ど、どっちがだよ! 君のほうこそ、女の子みたいな顔立ちじゃないか?」
反射的に言い返してしまうと、ディアル少年はきょとんとしてしまった。
「僕が? 女の子みたい? ……アスタって、おかしなことを言うんだね」
「いや、ごめん。つい口がすべっちゃったんだ。でも、失礼なのはお互い様だろ?」
どうにも平常心が取り戻せない。
俺は大あわてで弁解の言葉を重ねようと試みたが、その惑乱した表情がよっぽど間抜けであったのか、「ぷっ」と笑われてしまう。
「あはははは! アスタって本当におかしな人だなあ!」
「そうかなあ?」と答えようとした。
その瞬間、目と鼻の奥に火花が弾け飛んだ。
何が起きたのかもわからないまま、ぐらりと倒れかかる。
それを支えてくれたのは、ディアルだった。
その指先が、再び俺の胸ぐらをひっつかんでいる。
「あれ……?」
ディアルの顔が、真っ赤に染まっていた。
ただし今度は、羞恥ではなく怒りによって。
ついさきほどまで天使のように微笑んでいたその顔が、眉を吊り上げ、鼻にしわを寄せ、憤怒の形相をあらわにしている。
「あのさあ! 僕、これでもいちおう女の子なんだけど!」
そう言って、ディアルはもう1発、容赦もへったくれもない右フックを俺の左頬にぶちこんできたのだった。
南の王国ジャガルからやって来た豪商の娘ディアルとの、それが忘れられない出会いの日と相成ったわけである。