懐旧の晩餐会②~開会~
2025.5/24 更新分 1/1
そうして日没がやってきて、ルウの集落の広場には再びかがり火が灯された。
本日は祝宴ではなく晩餐会であるので、広場のあちこちに敷物が敷かれている。そして先日の祝宴に比べれば、それなりに雑多な顔ぶれであった。
まず、森辺の外から招待されたのは、《青き翼》の七名とプラティカたちの四名となる。《青き翼》の面々は夕刻にやってきて、すでにガズラン=ルティムやツヴァイ=ルティムと本格的な商談を終えていた。
そして、森辺の内部から招かれたのは、俺とアイ=ファ、ダリ=サウティとサウティ分家の末妹、そしてかつてのスン本家にまつわる面々であった。
スン本家にまつわる面々がどれだけの付添人をつけるかは、それぞれの家長に一任されている。ミダ・ルウ=シンはシン本家の家人が全員、ヤミル=レイはラウ=レイのみ、ツヴァイ=ルティムとオウラ=ルティムはガズラン=ルティムとダン=ルティム、ディガ=ドムは分家の家長、ドッドはディック=ドムとモルン・ルティム=ドムとレム=ドム――そしてそれとは別枠で、トゥール=ディンたち五名のかまど番に、その付添人たる男衆という顔ぶれであった。
あとは、ルウの集落に住まう家人が全員顔をそろえている。
晩餐会であるため、赤子も幼子も関係なしだ。言うまでもなく、コタ=ルウはいつも以上の可愛らしい笑顔で敷物にちょこんと座していた。
「それで? 俺たちは、どういった組み合わせで陣取るべきなのであろうな」
そんな疑問を呈したのは、スフィラ=ザザの付添人として参じたゲオル=ザザだ。それ以外にも、ゼイ=ディンとリッドおよびジーンの長兄たちが参じていた。
「まずは、客人ギーズのもとにかつてスン本家の家人であった六名を集めるべきであろう。そこに、どういった見届け人を配置するかだな」
「ふん。見届け人など、ディック=ドムとガズラン=ルティムだけで事足りるのではないか?」
「そうはいかんぞ! 今日は俺も、同じ場で話を聞かせてもらう!」
と、ラウ=レイが猛然と声をあげる。先日の祝宴では、彼が力比べに興じている間にギーズとヤミル=レイたちが語らうことになったのだ。何よりヤミル=レイを大事に思う身として、ラウ=レイはそれを不本意に感じていたようであった。
「念のために、こちらからはジザも同席させてもらおう。ダリ=サウティは、何とする?」
「それだけの面々が居揃うならば、俺まで出張る必要はあるまい。俺は、他なる客人たちと同席させていただこう」
「そうか。では……あとは、貴様たちだな」
と、ドンダ=ルウが強い眼差しで俺とアイ=ファを見据えてきた。
「貴様たちは、あやつらに刀を向けられた張本人だ。その罪を許した身として、見届け人の役目を果たすがいい」
「うむ。私も自らの耳でギーズの言葉を聞いたわけではないので、喜んで同席させていただこう」
と、アイ=ファもそれなり以上に引き締まった面持ちである。
すると、こっそり話を聞いていたリミ=ルウが後ろからアイ=ファの腰に抱きついた。
「じゃ、お話が終わったらこっちに来てねー! ジバ婆やコタも待ってるから!」
「うむ。了承した」と、アイ=ファは眼差しをやわらげてリミ=ルウの髪を撫でる。
かくして、見届け人の顔ぶれは決定された。俺とアイ=ファ、ガズラン=ルティムとディック=ドム、ラウ=レイとジザ=ルウの六名である。
そして、ミダ・ルウ=シンとヤミル=レイ、ツヴァイ=ルティムとオウラ=ルティム、ディガ=ドムとドッドの六名も招集される。すでにギーズとの対話を果たしているヤミル=レイとツヴァイ=ルティムはそれぞれポーカーフェイスと仏頂面を保持していたが、ミダ・ルウ=シンはきょときょとと小さな目を泳がせており、ディガ=ドムとドッドは緊迫の面持ちであった。
「……まさか、このような場が作られるとは思ってもみませんでしたね。でも、決して悪い話ではないのですから、心を乱す必要はありません」
と、誰よりも落ち着いた顔をしたオウラ=ルティムが、ミダ・ルウ=シンたちに温かい言葉を投げかける。彼女はゼディアス=ルティムが生誕して以来、ずっと育児のサポートを受け持っていたので、俺も顔をあわせるのはひさびさのことであった。
そうして俺たちが敷物に座すと、《青き翼》の一団からギーズだけがひょこひょこと近づいてくる。背中が曲がっている彼は、小柄なツヴァイ=ルティムとほとんど変わらない低みから俺たちの姿を見回してきた。
「どうもどうも、ご足労様でございやす。こんな大がかりな話になっちまって恐縮するばかりでやすが、どうぞよろしくお願いしまさあ」
「うむ。まずは、腰を落ち着けてもらいたい」
ジザ=ルウにうながされて、ギーズも着席する。
そこに、ドンダ=ルウの声が響きわたった。
「では、晩餐の会を開始する。食事を終えた後は自由に動いて、それぞれ交流を深めてもらいたい」
配膳はルウとザザの血族のかまど番が担ってくれるので、俺はこの場で待機である。
その間に、ジザ=ルウが各人の紹介をしてくれた。
「おおよその相手は、挨拶を済ませているはずだな。こちらがかつてスン本家の長兄であったディガ=ドム、次兄であったドッド、末弟であったミダ・ルウ=シン、そしてズーロ=スンの伴侶であったオウラ=ルティムとなる」
「へへえ。こっちのでっけえ御方が、末の息子さんなんで? こいつは、お見それいたしやした」
ギーズは愉快そうに、それらの四名の姿を見回した。
もともと長身であったディガ=ドムはすっかり狩人らしい頑健さと風格が身について、しかもギバの頭骨をかぶっている。今はまだ少し緊張の面持ちであるが、ゲオル=ザザと並んでも見劣りしない迫力であった。
いっぽうドッドはまだ氏を授かっていない身であるが、逞しさではまったく負けていない。それほど長身ではないぶん、がっしりとした身体つきをしており、頭をオールバックにしてひっつめているため、唐獅子のように厳つい顔が余すところなくさらけ出されていた。
ミダ・ルウ=シンはむしろ無駄肉が落ちているが、まだまだ十分に丸っこいし、森辺でも屈指の巨体である。重量だけなら、竜神の民をもまさるだろう。しかし、ぱんぱんに張りつめた顔は幼子のようにあどけなく、彼の純真さをあらわにしていた。
オウラ=ルティムは三十歳前後のたおやかな女性であるが、よくよく見ると実に端整な顔立ちをしている。それに、しなやかで細身の体型であるし、髪をのばしたら未婚の女衆と見まごうぐらい若々しかった。
「……かつての奥方様は、ずいぶんお若いんでやすね。五人も子を生したとは思えないほどでさあね」
ギーズがそんな軽口を叩くと、オウラ=ルティムはゆったりと微笑みながら「いえ」と応じた。
「わたしが生んだのは、こちらのツヴァイのみとなります。わたしは先の伴侶が魂を返したのちに、ズーロ=スンと婚儀を挙げた身ですので」
「うへえ、そいつは失礼いたしやした。じゃ、末の娘さんにとっては、みんな腹違いの兄さま姉さまになるってこってすね」
「はい。そしてそれは、ツヴァイに限ったことではありません。こちらの五名は、全員母親が異なっているのです」
「は?」と、さしものギーズも目を丸くした。
すると、ガズラン=ルティムが穏やかな笑顔で言葉を添える。
「そういった話は、ズーロ=スンから聞いていなかったのですね。ズーロ=スンは婚儀を挙げた相手がことごとく早世してしまい、そのたびに新たな伴侶を迎えることになったそうです」
「ああ、そういうこってすかい。ズーロ=スンの旦那があちこちの女に子を生ませるような色狂いなのかと疑うところでやしたよ」
ギーズは芝居がかった仕草で胸もとに手を置いて、深く息をついた。
「それにしても、五回も婚儀を挙げるなんざ、並大抵の話じゃありゃしませんね。そいつは、森辺の習わしなんで?」
「いえ。私の知る限り、森辺で三回以上の婚儀を挙げた人間は他に存在しません。ズーロ=スンは族長筋の嫡子として、ひとりでも多くの子を生すようにと言いつけられたのでしょう。……父親にして族長であった、ザッツ=スンに」
「なるほどなるほど」と、ギーズは遠くを見るように目をすがめた。
「のっけから、すっかり驚かされちまいやした。これでこそ、無理を言ってこんな場を作ってもらった甲斐があったってもんでさあね」
「とは、どういう意味であろうか?」と、ジザ=ルウが追及する。
ギーズは「へへ」と笑いながら、そちらに向きなおった。
「ズーロ=スンの旦那はとにかく口が重かったんで、こまかい事情なんかは聞けず仕舞いだったんでさあ。もちろん俺は、旦那のご家族であった方々に御礼を言って回りたいと願ってたんでやすが……生命の恩人である旦那のことを、もっと知りてえと思ってたんでやすよ」
「なるほど。では、ズーロ=スンと近しい間柄であったグラフ=ザザを呼んでおくべきであったやもしれんな」
すると、ディック=ドムが「否」と重々しい声をあげた。
「俺は今日、グラフ=ザザの代理としてこの場に参じている。今日のために、俺はズーロ=スンにまつわるさまざまな逸話を聞かされたので……グラフ=ザザに代わって、ギーズの疑問に答えてみせよう」
「そいつは、ありがてえこって」と、ギーズは立派な前歯を剥き出しにして笑った。
そこに、お盆を掲げたリミ=ルウやララ=ルウが近づいてくる。
「お待たせー! どんどん持ってくるから、どんどん食べちゃってねー!」
「うむ。残りの話は、女衆の心尽くしを楽しみながらということにしよう」
リミ=ルウたちの手によって、料理を盛りつけられた大皿と取り分け用の小皿が並べられていく。そこからたちのぼる芳香が、重苦しくなりかけていた空気をそれなり以上に緩和してくれた。
巨大な深皿には、真っ赤なスープがどっぷりと注がれている。いかにも刺激的な香りで、魚介の香りも濃厚であった。
「竜神の民のみんなはお魚が好きだっていう話だったから、今日はそういう献立がいーっぱいあるんだよー!」
「そいつは、ありがたいこってすねぇ。俺も他の連中も海沿いの食いもんには飽き飽きしてたんで、しばらくは獣肉の料理を堪能していたんでやすがね。二ヶ月ばかりも過ぎる内に、今度は魚介の料理が恋しくなっちまったんでさあ。まったく人間ってのは、欲深い生き物でやすねぇ」
「だったら、よかったー! お魚の料理もギバの料理も、みんなおいしーよー!」
「あとは、こっちが果実酒で、こっちがお茶ね。足りなくなったら、そこらの女衆に声をかけてよ」
ララ=ルウは敷物に居並んだ面々の様子をひと通り確認してから、リミ=ルウを追いたてるようにして立ち去っていった。
こちらでは、俺と女衆が料理を取り分けていく。まずはアイ=ファに汁物料理を取り分けてから、俺はミダ・ルウ=シンに笑いかけた。
「どれも美味しそうだね。ミダ・ルウ=シンも遠慮しないで、たくさんお食べよ」
「うん……でも今は、ズーロ=スンの話が気になるんだよ……?」
ミダ・ルウ=シンは小さな目を伏せながら、そのように言いたてた。
ミダ・ルウ=シンが食欲を二の次にするというのは、ただごとではない。それを知ってか知らずか、ギーズは「へへえ」と目を細めた。
「つまり、そっちのぼっちゃんは、それだけ旦那のことを慕ってたってわけでやすかねぇ?」
「うん……? ミダ・ルウは……よくわからないんだよ……?」
「よくわからない? ってのは、どういうこって?」
「うん……ミダ・ルウは、ずっとぼんやりしていたから……ズーロ=スンのことを、あんまり覚えてないんだよ……?」
ミダ・ルウ=シンがちょっと悲しげに頬を震わせると、ヤミル=レイが「ふん」と鼻を鳴らした。
「それはべつだん、あなたに限ったことではないでしょうよ。この中に、ズーロ=スンとの楽しい思い出を抱えている人間なんているのかしら?」
「……ズーロ=スンの旦那は、みなさんに恨まれてたんで?」
ギーズが神妙な面持ちで尋ねると、ヤミル=レイはしなやかな肩をひとつすくめた。
「人が人を恨むには、深い関わりが必要でしょうね。ズーロ=スンとそれほど深い関わりがあった人間は、そうそういないということよ」
「……でもみなさんは、同じ家に住む家族だったんでやしょう?」
「同じ家で暮らしていたって、心が通じ合うとは限らないわ。あの頃は……誰もが心を閉ざしていたのですからね」
ヤミル=レイが視線を巡らせると、ディガ=ドムが決然とした様子で声をあげた。
「そうだな。そもそも俺は、ズーロ=スンを親父と呼んだ覚えもない。餓鬼の頃は、父さんだの何だの呼んでたのかもしれねえが……気づいたら、族長としか呼んでなかったよ。たぶん俺はズーロ=スンのことを、父親ではなく族長だと見なしていたんだと思う」
「そうだな。それは、俺も同様だよ。あの頃のスンの本家に、家族らしいつきあいなんてもんはひとつもなかった。俺はドムの家人になることで、ようやくそれを知ることができたんだ」
ドッドも真剣きわまりない顔で、そのように追従した。
「だけどそいつは、ズーロ=スンの責任じゃない。もちろん、父親であり家長であったズーロ=スンにも、責任はあったのかもしれねえけど……」
「ああ。だけどけっきょく、ズーロ=スンも支配される側だった。スン家は最初から最後まで、先代の族長が支配してたんだからな」
ギーズはまた神妙な面持ちをこしらえて、「ふむ」と小首を傾げた。
「そいつはつまり、傀儡の劇にも登場していたザッツ=スンって大罪人のことでやすね?」
その瞬間――料理の登場でゆるみかけていた空気が、一気に引き締まった。
ディガ=ドムとドッドは顔を強張らせて、ミダ・ルウ=シンとオウラ=ルティムは目を伏せる。あのヤミル=レイさえもが、ふっとあらぬ方向に目をそらし――ただひとり、ツヴァイ=ルティムだけが傲然と眉を吊り上げた。
「これを見たら、わかるでショ? 今でも名前を出しただけで震えあがっちまうぐらい、ザッツ=スンはスン家を支配してたってことサ」
「なるほどなるほど……末の娘さんは、まったく震えちゃいねえようでやすねぇ」
「そいつは母さんが、アタシを守ってくれたからサ。そもそもザッツ=スンはアタシが赤ん坊の頃に病魔に倒れたから、ほとんど顔をあわせたこともないぐらいだヨ」
何かに挑むような顔つきで、ツヴァイ=ルティムはそのように言いたてた。
「それにアタシは女衆だったから、ザッツ=スンのほうでも用事がなかったんでショ。婿を取らせるなら、ヤミルひとりで十分だったからネ。ザッツ=スンは、族長の座をしっかり受け継げる人間にしか興味がなかったってことサ」
「なるほどなるほど。それじゃあ坊ちゃんがたは、ザッツ=スンに目をかけられてたわけで?」
「いーや。上の二人はザッツ=スンと同様の甲斐性なしで、ミダ・ルウに至っては頭の足りてない子供だと見なされてたみたいだネ。だからアンタも、ザッツ=スンのことはほとんど覚えてないんでショ?」
「うん……ミダ・ルウは、ザッツ=スンに一回しか会ったことがないんだよ……?」
「い、一回?」と、ディガ=ドムは仰天した様子でミダ・ルウ=シンを振り返る。
ミダ・ルウ=シンは申し訳なさそうに、大きな身体を可能な限り縮めた。
「うん……ちっちゃい頃は一緒に晩餐を食べてたはずだけど、ミダ・ルウは覚えてないんだよ……? 覚えているのは、一回だけなんだよ……?」
「ザッツ=スンが倒れた頃、ミダ・ルウ=シンもまだ物心がついていなかったのでしょう。それで、森辺でひとりの人間として認められる五歳になった折に、あらためて対面の場が作られたはずですね」
オウラ=ルティムが、静かな声でそのように説明した。
「ミダ・ルウは心の成長の遅い子供だったので、その場でザッツ=スンに見限られることになったのでしょう。それは何より、幸いな話であったのだと思います」
「そうか……言われてみれば、俺もザッツ=スンが倒れてからは、ロクに顔をあわせた覚えはねえや」
ディガ=ドムの述懐に、ドッドも「そうだな」と溜息をつく。
「ツヴァイ=ルティムの言う通り、俺たちも能無しと見なされてたんだろう。だから……ヤミル=レイひとりに重荷を背負わせることになっちまったんだ」
「うるさいわね。そんな話を蒸し返して、いったい何になるというのよ?」
ヤミル=レイが素っ気なく言い捨てると、ドッドは懸命に笑顔をこしらえた。
「だってこのギーズって客人は、スン家の話を知りたいってんだろ? それなら、存分に語ってやらねえとな」
「うむ! しかし今は、晩餐のさなかでもあるのだぞ! お前たちがいつまでも語っているから、こちらまで手をつけられんではないか!」
と、ラウ=レイが豪放なる笑顔で言いたてた。
「語るのはいっこうにかまわんが、とにかく食え! ジザ=ルウだって、食いながら語れと言っていたではないか!」
「うむ。誰にとっても、楽に語れる話ではなかろう。食事でしっかり力をつけながら、存分に語ってもらいたい」
ジザ=ルウが沈着にうながすと、ディガ=ドムはやおら木皿をひっつかみ、真っ赤なスープをすすりこんだ。
「おお、こいつは辛いや。だけど、美味いな。……こいつは、アスタも手伝ったのかい?」
「いえ。今日はトゥール=ディンの手伝いで、菓子しか作っていません」
「へえ、アスタ抜きでこんな立派な料理を作れるのか。ルウのかまど番は、さすがだな」
そう言って、ディガ=ドムも何かを吹っ切るように笑った。
「それで、ギーズ。あんたは、何を知りたいんだい? こんな辛気臭い話ばかりじゃ、あんたも気が沈むだけだろう?」
「いえいえ。言葉を飾らずに語ってもらえるんで、俺はありがたく思っておりやすよ。……ズーロ=スンの旦那はご家族ともども、とんでもねえ人生を歩んでいたようでやすねぇ」
ギーズもにんまり笑いながら、ギバ肉の豆乳煮込みにかじりついた。
「おお、こいつも絶品でやすね。……で、みなさんは先代族長のおかげでもって、家族らしからぬ生活を強いられてたってわけでやすかい」
「ああ。だから、兄さんやら姉さんやらいう言葉が使われることもなく、おたがいを名前で呼び合ってたな。ドッドに兄貴扱いされたのは、スンの家を出てからだしよ」
「おいおい。今は血の縁を絶たれてるんだから、兄貴扱いも禁忌だろ。家長だって聞いてるんだから、滅多なことを言うんじゃねえよ」
ドッドもおどけた顔を作りながら、魚介とベーコンのピザに手をのばした。
どうやらラウ=レイの叱咤激励が、功を奏したようである。こういう際には理性的にたしなめるよりも、感情にまかせて背中を押したほうが効果的であるのかもしれなかった。
(やっぱりラウ=レイも、ここぞという場面では頼りになるな。テリア=マスのことで悩んでいたレビを奮起させたのも、ラウ=レイだったしな)
俺もまた、赤いスープに口をつけることにした。
ギバ骨と貝類の出汁がきいた、強烈な味わいである。圧力鍋の恩恵でギバ骨の出汁の研究が進み、ついに貝類との調和にも着手されたのだ。まだまだ乱暴な味わいであったものの、それがまたひとつの魅力を生み出していた。
赤いのは、トマトのごときタラパと豆板醬のごときマロマロのチット漬けの相乗効果である。他にもいくつもの香草が使われているようであるが、香りから想起されるほど辛みは強くない。コタ=ルウのような幼子でも食べられるぐらい、刺激は抑えられていた。
「……ザッツ=スンは、とにかく力を求めていた。傀儡の劇でも語られていた通り、貴族およびルウ家との確執が、余計にザッツ=スンを駆り立てたのだろう。スン家の支配を絶対的なものとして、ゆくゆくはジェノスの貴族に対抗しようという覚悟であったのだ」
と――食事を進めながら、ディック=ドムが重々しく発言した。
「そんなザッツ=スンの脅威に最初にさらされたのが、ズーロ=スンということになる。ザッツ=スンの長兄として生まれたズーロ=スンは、次代の族長であったのだからな。ズーロ=スンは、執念を燃やすザッツ=スンの期待を一身に負わされて……そののちに、見限られたのだ」
「ほうほう。俺にしてみりゃあ、ズーロ=スンの旦那だって立派なお人でやすが……ザッツ=スンの期待には応えられなかったってわけで?」
「……ズーロ=スンの、どこが立派であったのだろうか?」
ディック=ドムの真っ直ぐな問いかけに、ギーズは目をぱちくりとさせてから「へへ」と笑った。
「確かにまあ、出会ったばかりの旦那は図体ばかりでかくて、しょぼくれた男でやしたねぇ。それでも、こいつはただもんじゃねえって思ったもんでやすよ」
「……具体的には、どのように?」
「具体的には、なんにもありゃしません。俺の心を奪ったのは、旦那の目つきでやすよ。旦那は干からびた蛙みてえにしょぼくれた風体でしたが、その目の奥には何としてでも生きのびてやろうって執念が燃えさかってたんでさあ」
「かえるというのは、よくわからんが……その執念は、森辺を出た後に体得したものであろうな。スン家の罪を一身に背負ったズーロ=スンは、死力を尽くして贖おうと決意していたはずだ」
この場にいる人間の過半数は、その姿を見届けている。トゥラン伯爵家との対決の場で、シルエルの命令で矢を射かけられたのち、ダン=ルティムたちの乱入とマルスタインの登場で俺たちは救われて――そしてその場で、ズーロ=スンがマルスタインに嘆願したのである。スン家の罪は自分が背負うので、王国の法で裁いてほしい――と。
そのときのズーロ=スンはすっかり力を失っており、目には涙をたたえていた。
森辺の民らしい勇壮さとも、まったく無縁の姿である。それでも彼は残される家族たちのために、すべての罪を背負おうと決意したのだった。
(それから一ヶ月がかりで西の王都まで移送されて、そこからまた刑場の採掘場にまで移送されて……それで、このギーズと出会ったわけか)
きっとギーズは、俺たちの知らないズーロ=スンを知っているのだろう。
そして俺たちは、ギーズの知らないズーロ=スンを知っている。
それをたがいに知らしめるために、俺たちはこの場に集っているのだった。




