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異世界料理道  作者: EDA
第九十五章 さらなる再会
1627/1695

懐旧の晩餐会①~下準備~

2025.5/23 更新分 1/1

《銀の壺》をルウの集落に招いた歓迎の祝宴の二日後――青の月の三日である。

 その日、森辺の民は《青き翼》の面々を集落に招くことになった。


 目的は、商売の話の最終調整と、ズーロ=スンの一件である。ズーロ=スンの子供たちに面会したいというギーズの要請を受け入れて、その場を準備することになったのだ。


 会場はまたもやルウの集落であり、語らいの場として晩餐会が開催される。

 祝宴を終えたばかりで慌ただしい限りであるが、やはり宿場町から近い上に広大な敷地を有するルウの集落は、こういった催しを行うのに勝手がいいのだった。


「こっちの勝手な申し出を聞き入れてもらえるばかりか、美味い食事にまでありつけるなんて、ありがたいこってすねぇ」


 その日の朝方、屋台の商売のために宿場町まで出向いてギーズのもとを訪れると、彼はにまにまと笑いながらそんな風に言っていた。

 昨日は休業日であったので、商談の責任者であるガズラン=ルティムが宿場町に下りて、今日の約束を取り付けることになったのだ。《青き翼》の面々は、一も二もなく快諾したのだという話であった。


「商談は夕刻からで、ミダ・ルウ=シンたちと語らうのは晩餐会だそうですね。俺も晩餐会にはご一緒させていただきますので、よろしくお願いします」


「ええ、ええ。どうぞよろしくお願いしまさあ」


 そんな感じに挨拶を終えた俺は、屋台の業務に取りかかることにした。

 すると、隣の屋台で準備を進めていたレイ=マトゥアがうずうずとしながら呼びかけてくる。


「今日はまた、ルウの集落で晩餐会だそうですね! わたしもフォウの祝宴にお招きされてから、まだ十日も経っていませんけれど……どうしても、アスタやルウの方々が羨ましくなってしまいます!」


「うん。今回はちょっと、ルウ家がらみの催しが続いちゃったね。でもまた近い内に、建築屋の方々を晩餐にお招きできるんじゃないかな」


「その日が、待ち遠しいですね! わたしの家族も、楽しみにしています!」


 今は平時であるはずだが、建築屋に《銀の壺》に《青き翼》という来客を迎えているためか、俺たちの周囲には浮き立った空気が生じている。そしてそこにさらなる熱気を添えているのは、ティカトラスに他ならなかった。


「やあやあ、アスタ! 今日はひさびさに、こちらの料理をいただくよ!」


 と、その日は屋台にまでティカトラスの熱気が持ち込まれた。


「確かに宿場町の屋台でお迎えするのは、ちょっとひさびさですね。先日は、城下町の屋台にご来店くださったそうですが……最近は、城下町での商談がお忙しいのですか?」


「うん! でもそっちも一段落しそうだから、そろそろ森辺にお邪魔しようと考えているよ!」


 ティカトラスは以前にも森辺の空き家に滞在して、さまざまな氏族の集落を巡っていたのだ。ジェノスに再来して半月ほどが経過して、またその生活が再開されるようであった。


「えーと、とりあえずティカトラスたちは、東の王都の使節団が到着するまでジェノスに滞在するのですよね?」


「うん! それに、外交官が交代されるというのなら、そちらにも挨拶をしたいところかな! わたしはこれからもしょっちゅうジェノスに寄らせていただくつもりだから、外交官殿とは親睦を深めておかないとね!」


 にこにこと笑いながら、ティカトラスはそう言った。


「だけどまあ、そっちはいつ到着するかもわからないからさ! あんまり待たせるようだったら、わたしのほうも王都の方面に移動して、道中で挨拶させてもらおうかと考えているよ! 王都からジェノスに向かう道は限られているから、おおよその見当はつくしね!」


「なるほど。ティカトラスにも、どなたが新たな外交官に任命されるかはわからないのですか?」


 俺がそのように問うたのは、ティカトラスが西の王と懇意にしていると聞き及んでいるためである。何せ彼は最初にジェノスを訪れたとき、俺が竜神の民であるか否かを確認をするようにという王からの密命を受けていたのだった。


「なんとなくの見当はついているよ! 外交官が務まる人間なんて、ごく限られているからさ! わたしの予想が当たっていたならば、次の外交官はフェルメス殿と正反対のお人柄だろうね!」


「フェルメスと正反対、ですか?」


「うん! つまり、きわめて王家に忠実で、融通がきかず、面白みに欠けた人物であるということさ! オーグ殿に輪をかけたようなお人柄といえば、想像しやすいかな?」


 外交官補佐のオーグも、十分に堅物の類いであった。

 しかし公正でさえあるならば、どれだけ厳格でも臨むところである。俺に、怯むところはなかった。


「そうですか。どんなお人なのか、俺も楽しみです。でもその前に、フェルメスともっと親睦を深めておきたいところですね」


「だったら森辺に招くなり、城下町に押しかけるなりすればいいじゃないか。フェルメス殿は立場上、なかなか自分からは動けないだろうしね」


 と、いくぶん声量を落としながら、ティカトラスはにっこり笑った。


「前々から思っていたけれど、アスタには少し受け身な部分があるよね。というよりも、アスタはどこでも引っ張りだこだから、自分から動かずともさまざまな交流を広げることができたのだろう。だから、自分から動く必要のある相手――フェルメス殿やガーデルなんかに手こずることになったのじゃないかな?」


 俺が思わず口ごもると、ティカトラスは長羽織のような袖をぱたぱたとそよがせながら呵々大笑した。


「まあ、わたしに比べれば誰もが受け身なんだけどさ! 君がフェルメス殿やガーデルともすこやかなご縁を紡げるように祈っているよ!」


「は、はい。どうもありがとうございます」


 これだから、ティカトラスという人間は侮れないのである。きわめて軽薄な立ち居振る舞いでありながら、彼は誰にも負けない洞察力を備え持っているのだった。


(確かに俺はただでさえ人の注目を集めてるから、出しゃばらないように気をつけるのがクセになってるのかもな)


 しかしそれは、近年になってからの習性であるはずだ。そもそも俺は森辺でも宿場町でも出しゃばりまくって、今の立場を構築したようなものであった。


(だから、俺がそういうクセを身につけたのは……トゥラン伯爵家の騒乱を乗り越えた後ってことだ)


 俺はその時代から貴族とも交流を持つようになったので、いっそう身をつつしもうという意識が働いたのかもしれない。それに、森辺の民の一員であるという自覚が育って、同胞をいらぬ騒動に巻き込んではならないという心境にも至ったはずであった。


(でも、フェルメスやガーデルに遠慮をしてたら、いい結果にはならないだろうからな。ガーデルはもう少し回復を待たないといけないだろうけど……フェルメスに関しては、アイ=ファとも相談してみるか)


 そんな思いを胸に、俺は屋台の商売に取り組んだ。

 すると今度は、建築屋の面々がどやどやとやってくる。その中から、メイトンが息せき切って身を寄せてきた。


「アスタ! 今日の中天にここらで傀儡の劇が披露されるって聞いたんだけど、本当かい?」


「あ、はい。《銀の壺》の方々は、まだ第三幕やこれまでの劇の修正した部分を目にしていないですからね。でも、《銀の壺》の方々もお忙しいので、リコたちのほうからこちらに出向いて、一日に一幕ずつお披露目するそうですよ」


 おそらくティカトラスがひさびさに屋台にやってきたのも、それを見込んでの話であったのだろう。リコたちは屋台のお客にも楽しんでもらえるようにと、向かいのスペースで劇を披露するのだった。


「一日に一幕ずつか! どうにも続きが気になっちまうけど、昼の休みに楽しむにはちょうどいいな! そいつは食堂で食いながら拝見できるのかなぁ?」


「はい。そのために、台座か何かを準備するらしいですよ」


「そうかそうか! それじゃあとにかく、中天までに屋台に来ればいいってこったな!」


 メイトンが笑顔になったので、俺はほっとした。また《銀の壺》に対抗意識を燃やしているのかと、ちょっと心配になってしまったのだ。


(でもメイトンだって、《銀の壺》とは仲良くしてるもんな)


 立場上、南と東の民は懇意にすることが許されない。しかし復活祭で居合わせた際には、家族ともども差し向かいで語らう機会もあったのだ。西の地で諍いを起こすことは許されないという掟を有効利用して、かなう限りのご縁を深めてほしいところであった。


 そうして中天が近づくとリコたちの荷車がやってきて、人々に歓声をあげさせた。

 リコたちは宣伝活動も行っていないはずだが、どこかから風聞が広がったのだろう。そもそも宿場町で芸を見せるには宿屋に申請して露店区域のスペースを借り受ける必要があるし、衛兵の詰め所にも報告の義務が発生するため、そちらからも存分に噂は広がるはずであった。


 リコたちが借り受けたのは、《青き翼》の隣のスペースだ。

 まずはその場に、丸太と板で大きな台座が設置された。その高さが一メートルほどもあるので、立ち見の客が居並んでも青空食堂から観劇することが可能になるわけである。


 リコとベルトンとヴァン=デイロの三人がかりで台座を組んだならば、その上に舞台となる台座も設置された。その時点で、台座の手前にはけっこうな人間が寄り集まっている。《銀の壺》の面々がやってきたのは、そんなタイミングであった。


「あ、ラダジッド。間もなく劇が始まるようですよ」


「はい。本日、遅参したので、傀儡の劇、拝見してから、食事、いただきます」


 そのように語るラダジッドを先頭に、《銀の壺》の九名も人垣に加わる。

 そして、《青き翼》も三名の店番を残しつつ、残りのメンバーがいそいそとそちらに回り込んだ。彼らはすでにサトゥラス伯爵邸ですべての幕を見届けていたが、リコたちの劇は何回でも見直したくなるような出来栄えであるのだ。


 街道にはいっそうの熱気がわきたって、ますます復活祭のような騒ぎである。

 そうして日時計が中天をさしたと思われる頃合いで、リコの済みわたった声が響きわたった。


「明るい内から、失礼いたします。本日から十日間、こちらで傀儡の劇を披露させていただきます。初日の本日は、『森辺のかまど番アスタ』の第一幕と相成ります」


 リコの宣言に、歓声が巻き起こる。

 公演期間を十日間と定めたのは、露店スペースの貸し出し期間の最低値に合わせてのことである。まあ、スペースの貸出料などは初日でまかなえるはずだが、一枚の銅貨も無駄にすまいというリコたちの心意気がうかがえた。


 そうして傀儡の劇が開始されたならば、賑わっていた往来がしんと静まりかえる。

 このために警備を増強した衛兵たちは、肩透かしをくらったことだろう。それぐらい、人々は熱心に見入っていた。


(リコたちの劇の評判は、もう宿場町中に行き渡ってるだろうからな)


 往来が静かになったため、屋台で働く俺たちのもとにもリコの声がはっきりと聞こえてくる。舞台の様子をうかがうのは角度的に難しかったものの、リコの声を聞いているだけで俺は自分の歴史を追体験することがかなった。


 アイ=ファとの出会いから始まり、ハンバーグを始めとする料理の開発に、ジバ婆さんとの一幕、ドンダ=ルウとの対立――そして、カミュア=ヨシュとの出会いに、屋台の商売のスタートだ。その屋台の商売に励みながら思い出を辿るというのは、なんとも趣が深かった。


 そして、リコたちが《銀の壺》に見せたいのは、ここからである。屋台の商売を開始するなり、俺は《銀の壺》と建築屋に巡りあうことになったのだ。それらを模した傀儡を豪華に新調したため、《銀の壺》にも不備がないか確認をしてもらいたいという話であった。


(まあ、不備なんてあるわけもないけどな)


 建築屋の面々も、この劇の出来栄えには大満足であったのだ。

 第三幕が完成したのは年が明けてからのことであったため、リコたちはわざわざネルウィアまで出向いておやっさんたちに劇を披露していたのである。建築屋の面々ばかりでなく、ご家族たちもすべての幕を見届けることがかなったわけであった。


 その後は、家長会議とスン家の罪を暴く展開だ。

 そうして森辺の民がひとまず団結したところで、『森辺のかまど番アスタ』の第一幕は終了であった。


 俺が過ごしたひと月半ていどの歴史が、四半刻ていどの長さに集約されている。

 往来には、時ならぬ喝采が爆発することに相成った。


「ありがとうございます。明日は第二幕を披露しますので、よろしくお願いいたします」


 ベルトンとともに深々とお辞儀をしたリコは台座を下りて、見物料の徴収に取りかかる。そしてこちらには、観劇を終えた人々が押しかけることになった。


「いやあ、あんな劇を見た後に屋台の料理を口にできるってのは、なかなかオツなもんだな!」


「はい。俺としては、ちょっと気恥ずかしい部分もありますけどね」


「何も恥じる必要はねえさ! お前さんの腕が確かだったからこそ、何もかも上手くいったんだろうしな!」


 中天のラッシュがずれこんだ形で、屋台は大変な賑わいである。

 そしてその終わり際に、《銀の壺》の面々がやってきた。


「みなさんも、お疲れ様です。修正された部分は、如何でしたか?」


「はい。いっそう、見事、なりました。名前、伏せられていますが、シュミラル=リリン、登場、満足です」


 以前は典型的な東の民として演出するために、傀儡は黒髪に仕上げられていたのだ。それが複数の傀儡が準備された上で、団長の髪は白銀に仕上げられたのだった。


「また、それ以外、細かな修正、見受けられました。完成度、向上、感じます」


「はい。続き、気になります。明日、心待ちです」


 と、最年少の団員は子供のように頬を火照らせている。

 そして、最年長の団員が俺に静かに語りかけてきた。


「傀儡の劇、見るたび、アスタ、数奇な運命、実感します。アスタ、大きな喜び、大きな苦難、ともに、授かっているのでしょう」


「はい。それでも俺は、喜びのほうがまさっていると思っていますよ」


「そちら、何よりです。アスタ、強靭な魂、祝福します」


 そうして《銀の壺》が屋台の料理を手にして立ち去ると、今度は食事を終えた建築屋の面々が押し寄せてきた。


「いやぁ、やっぱり続きが見たくてじれったくなっちまうな! たった一幕でおしまいなんて、生殺しだよ!」


「ふん。仕事を抱えているのはこちらのほうなのだから、しかたあるまいよ」


 仏頂面で若い団員をたしなめつつ、おやっさんも満足げな眼差しである。


「明日も中天に間に合わないと、あとの仕事に支障が出てしまいそうだ。まったく、はた迷惑なことだな」


「あはは。事故を起こさないように、お気をつけくださいね」


「そんな粗忽者がいたら、俺の組から追い出してやるわ」


 そんな荒っぽい言葉を残して、おやっさんたちも立ち去っていく。

 すると、笑顔のリコとぶすっとした顔のベルトンがやってきた。


「アスタ、どうもお騒がせしました。明日からも、どうぞよろしくお願いします」


「うん。リコの声を聞いてるだけで、俺も感じ入っちゃったよ。明日からも頑張ってね」


「はい。ありがとうございます」


 リコは、きらきらと瞳を輝かせている。平時の宿場町では大した稼ぎも見込めないということで、普段は自重しているのだ。しかし観客があれだけ盛り上がっていたのだから、リコたちも大きな手応えをつかんだはずであった。


「この後は、城下町でも商売かな?」


「いえ。明日に備えて、稽古を積もうかと思います。傀儡の手直しも残されていますしね」


 森辺に滞在している期間、リコたちはそうしてさらなるクオリティアップに励んでいるのだ。その成果が、今日の大歓声であったわけであった。


「リコたちは、本当に立派ですね! またマトゥアの家にお招きする日が楽しみです!」


 リコたちが立ち去ったのちには、レイ=マトゥアがそんな風に言っていた。

 往来には、まだ熱気の余韻が残されている。《青き翼》の露店も、普段以上に盛況なようだ。突如として祝祭がやってきたような、今日は特別な日であった。


                 ◇


 やがて下りの二の刻に至り、終業時間となったならば、森辺に帰還である。

 本来であればファの家で勉強会を行う日取りであるが、本日はルウの集落で晩餐会の準備に参加しなければならない。それで今回も余所の氏族から招かれたのはファと族長筋の人間のみであったため、レイ=マトゥアたちは残念がっていたわけであった。


 屋台の当番の中から参じるのは、俺とトゥール=ディンとリッドの女衆、サウティ分家の末妹にドム分家の女衆の五名となる。サウティ分家の末妹はたまたま当番であったため、ダリ=サウティともども招待されることになったのだった。


「今日は祝宴ではなく、晩餐会なのですよね? でも何にせよ、楽しみです!」


 サウティ分家の末妹はほくほく顔であるが、ドムの女衆は厳しい表情だ。まあ、それは各々の気性によるものが大きいのであろうが、本日の晩餐会により強い思い入れを抱いているのはドムの女衆のほうであるはずであった。


「もちろん君も、ディガ=ドムやドッドとは関わりが深いんだよね?」


 俺がそのように尋ねると、年齢以上の風格であるドムの女衆は鋭い眼差しを返してきた。


「……とは、どういう意味でしょう?」


「いやぁ、俺は祝宴ぐらいでしか北の集落におもむいたことがないから、ディガ=ドムたちがどんな風に交流を深めているのかもよくわからないんだよ」


「そうですか。わたしも他の家人たちも、ディガ=ドムたちとは血族として正しき絆を深めているものと自負しています」


「うん、そうだよね。……ドッドはまだ、あちこちの家を巡ってるのかな?」


 一人前の狩人と認められたディガ=ドムは分家の正式な家人とされたが、氏なき家人たるドッドは日替わりで寝泊まりする家を巡っているという話であったのだ。

 ドムの女衆は鋭い面持ちのまま、「ええ」と首肯した。


「最近は、十日置きに過ごす家を変えています。もう何年も経っていますので、いずれの家の家人も滞りなく絆を深めていることでしょう」


「そっか。ドッドが氏を授かる日が楽しみだね」


「それは、母なる森の思し召しです」


 どれだけ言葉を交わしても、ドムの女衆の厳格なる物言いに変化は見られない。

 しかしそういう環境の中で、ドッドたちは一歩ずつ正しい道に立ち戻っていったのだろう。かつてはドッドたちに襲われた身であったが、俺は感謝の気持ちでいっぱいであった。


 そうしてルウの集落の広場を踏み越えて、俺たちは本家のかまど小屋を目指す。

 本日も、案内役はともに宿場町から帰還したマイムだ。今日はララ=ルウが城下町の当番であり、レイナ=ルウはまたもや晩餐会の準備のために集落に居残っていた。


「レイナ=ルウ、お疲れ様です。アスタたちをご案内しました」


 かまど小屋に到着すると、レイナ=ルウは二日前と同じように奮闘している。たとえ晩餐会でも、熱気のほどは祝宴と変わりなかった。


「どうも、お疲れ様です。宿場町の商売に、問題はありませんでしたか?」


「はい。傀儡の劇の影響で混みあう時間がずれましたが、特に問題はありませんでした」


「そうですか。では、今日もマイムはご自分の家、他の方々はディグド・ルウ=シンの家、アスタたちはシン・ルウ=シンの家でお願いします」


 そのように告げてから、レイナ=ルウが俺を見つめてきた。


「でも……本当にアスタは、トゥール=ディンの手伝いでかまわないのでしょうか?」


「うん。一番手薄なのは、トゥール=ディンの組なんだろう? 毎回毎回、俺が出しゃばる必要はないだろうからね」


「承知しました」と、レイナ=ルウはいっそう気合の入った眼差しになった。


「それでは料理は責任をもって、ルウの血族が準備します。菓子のほうは、よろしくお願いします」


 俺が視線でうながすと、責任者であるトゥール=ディンが「は、はい!」と背筋をのばした。


「み、みなさんを失望させないように、励みます」


「トゥール=ディンの腕なら、心配はご無用でしょう。ジバ婆も、トゥール=ディンの菓子を楽しみにしています」


 と、レイナ=ルウは鋭い眼差しをやわらげた。トゥール=ディンにプレッシャーをかけているのではなく、ジバ婆さんを大切な家族とする身として純然たる期待をかけているのだろう。しかしどちらにせよ、トゥール=ディンを奮い立たせるには十分であった。


 そうして俺たちは、五名でシン・ルウ=シンのかつての家に向かう。本日、ルウの血族ならぬ人間は、のきなみトゥール=ディンの指揮下に置かれるのだ。

 そちらのかまど小屋では、スフィラ=ザザとジーンの女衆が待ち受けている。彼女たちは屋台の当番ではなかったが、見届け人として北の集落から派遣されたのだった。


「お疲れ様です。今日も問題はありませんでしたか?」


「は、はい。なんだか傀儡の劇のおかげで、復活祭のような賑わいでしたが……取り立てて問題はありませんでした」


 先刻と似たやりとりが、今度はスフィラ=ザザとトゥール=ディンの間で取り交わされる。引き締まった面持ちをしたスフィラ=ザザはやわらかい眼差しでトゥール=ディンを見やりつつ、「そうですか」と首肯した。


「本当に、宿場町は賑わういっぽうですね。料理や菓子の数も、増やしたのでしょう?」


「ええ。とりあえず、すべての品を一割増しの加減で増やしました。それで、定刻に売り切る感じですね」


「素晴らしい成果ですね。城下町の方々は、まだ戻られていないのでしょうか?」


「はい。何も問題がなければ、ユン=スドラたちは真っ直ぐ帰宅して、ララ=ルウが報告してくれるはずです」


「そうですか。では、ララ=ルウが参ずることを祈りましょう」


 そうして定時連絡を終えたならば、いよいよ菓子作りの開始であった。

 トゥール=ディンを取り仕切り役とするザザの血族に、俺とサウティ分家の末妹が力を添える格好だ。この七名であれば、戦力に不足はないはずであった。


「それではアスタには、せんべいを作る班の取り仕切り役をお願いできますか?」


 いくぶん緊張気味の面持ちで、トゥール=ディンがそのように告げてくる。

 俺が「了解であります」と敬礼をすると、トゥール=ディンはくすりと笑ってくれた。


「でも、今日はお茶会や『麗風の会』でもないのに、煎餅を出すんだね。何か新作でもできたのかな?」


「あ、はい。基本の部分はアスタに習った通りなのですけれど……調味液の配合を、少し変えてみたんです」


 塩気のある菓子である煎餅は、甘いもの尽くしの場でこそ本領を発揮するというのが俺たちの共通認識である。それでトゥール=ディンは、食後の菓子としても過不足なく楽しんでもらえる煎餅の開発に取り組んだようであった。


「俺の故郷でも塩気のある菓子っていうのは、食後じゃなく間食で楽しむのが一般的だったと思うからね」


「はい。やっぱり塩気のある料理の後には、甘い菓子のほうがいっそう心地好く感じられるのでしょうね。それで、せんべいの甘みを強くしてみたのですけれど……みなさんのお口にも合ったら嬉しく思います」


「トゥール=ディンの力作なら、期待は高まるばかりだね。俺も楽しみにしているよ」


「ありがとうございます」と、トゥール=ディンは嬉しそうに微笑む。

 そのタイミングで、戸板がノックされた。


「失礼します。トゥール=ディン、許可、得られれば、入室、許される、聞きました」


「あ、はい。どうぞ、お入りください」


 戸板が開き、先日の祝宴と同じ四名が入室してきた。すなわち、プラティカとニコラ、セルフォマとカーツァのカルテットである。彼女たちは、本日も朝から見学に勤しんでいたのだった。


「みなさん、お疲れ様です。今日も参席が許されて、何よりでしたね」


「はい。ドンダ=ルウ、温情、心より、感謝しています」


 プラティカは、二日前と変わらぬ凛々しい面持ちで一礼する。彼女たちは調理の見学ばかりでなく、晩餐会の参席も許されたのだ。ただし今回は完全に部外者の立場であるため、広場の片隅で大人しくしているようにと言いつけられたとのことであった。


「それは、レイナ=ルウの口添えがあってのことであるようですよ。実際に味を確かめないと見学の甲斐もないだろうということで、レイナ=ルウが族長ドンダ=ルウに伏して願ったのだそうです」


 スフィラ=ザザが毅然とした面持ちで口をはさむと、プラティカは「そうなのですか?」と切れ長の目を見開いた。《銀の壺》の最年少の団員ほどではないが、プラティカも東の民としては感情をこぼしやすいタイプなのである。


「私たち、聞いていません。ドンダ=ルウ、レイナ=ルウ、ともに、語っていませんでした」


「それはおそらく、あなたたちに余計な気をつかわせまいという配慮でしょう」


「……では何故、スフィラ=ザザ、知っていますか?」


「どうして無関係のあなたがたを参席させるのか、理由を問い質したためとなります。今日はわたしの血族にまつわる、重要な晩餐会ですので」


 クールな声音でそのように告げたのち、スフィラ=ザザはふっと眼差しをやわらげた。


「ですが、あなたがたに晩餐会の場を乱す気はないということは、理解しているつもりです。族長ドンダ=ルウが申しつけた通り、どうぞ身をおつつしみください」


「承知しました。忠告、感謝します。また、レイナ=ルウにも、のちほど、感謝の言葉、捧げます」


「べつだん、レイナ=ルウに感謝する必要はないかと思います。彼女はただ、あなたがたに料理の感想をうかがいたいだけなのでしょうからね。森辺の民の、ましてや族長筋の家人としては、感心できる行いではありません」


 と、言葉の内容はきわめて厳格なスフィラ=ザザであるが、その眼差しはやわらかいままである。そもそもレイナ=ルウの行いを本気で非難するつもりであれば、プラティカたちに裏事情を伝える理由もないように思われた。


(自分は族長筋としての規範を守るけど、レイナ=ルウたちの交流は応援したいっていう心境なのかな)


 この近年のスフィラ=ザザは、そういう厳しさと優しさを両立しているように見受けられるのだ。途中まではびっくりまなこであったトゥール=ディンも、今では安らいだ眼差しでスフィラ=ザザのことを見やっていた。


 そんな感じに、俺は本日もルウの集落のかまど小屋で充実した午後の時間を過ごすことに相成ったのだった。

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新外交官がアスタに王都行きを命令しそう。
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