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異世界料理道  作者: EDA
第九十五章 さらなる再会
1624/1695

歓迎の祝宴①~下準備~

2025.5/20 更新分 1/1

 明けて、翌日――青の月の一日である。

 俺にとって印象深い青の月が、またやってきたのだ。


 俺がこの地で青の月を迎えるのは、四回目のこととなる。

 最初の年は森辺にやってきてからすぐの話であったが、実にさまざまな変転に満ち満ちていた。何せ初めての家長会議ではスン家の大罪を暴きたてることになったのだから、その一点だけでも他の年に引けは取らないはずであった。


 また、ザッツ=スンとテイ=スンが魂を返したのも、近在の氏族に血抜きや調理の手ほどきを開始したのも、《南の大樹亭》や《玄翁亭》にギバ料理を卸し始めたのも、ギルルがファの家にやってきたのも、みんな青の月の出来事である。トゥラン伯爵家との決着がつくのは翌月のことであったので、俺たちはみんな明るい行く末を求めて懸命に力を振り絞っていた時期であったのだった。


 二度目の青の月では、家長会議でファの家の行いが正しいと認められた。一年がかりの苦労がついに報われた、やっぱり忘れ難い出来事だ。

 その一件を皮切りにして、すべての氏族が町での商売に関わり始めたのだから、ひときわ慌ただしかったことに疑いはない。さらには大地震で家を建て替えることになったり、宿場町での交流会が行われたり、先月末からの同居人であったティアとの親睦がじわじわと深まったりと、それだけの出来事が集中した月でもあった。


 そして三度目となる青の月では、いきなり飛蝗の騒ぎである。

 俺の記憶に間違いがなければ、邪神教団の策謀である飛蝗がジェノスを襲ったのは、去年の青の月の一日のことであった。

 あの騒ぎでは森辺の狩り場やダレイムの畑などもさんざん荒らされてしまったのだから、長きにわたって慌ただしい日々を送っていたことだろう。そんな中、ダカルマス殿下と使節団が帰国すると同時に《銀の壺》が西の王都から舞い戻ってきたのは、とても印象深い出来事であった。


 それから一年ほどを経て、今度は《銀の壺》が故郷たるジギからやってきたのである。

 彼らがジェノスを経ったのは昨年の白の月の終わり頃であったため、ざっくり数えれば十ヶ月ぶりの再来だ。もとより彼らは十ヶ月後の再会を約束して旅立っていったので、べつだんそうまで遅参したわけではないようであった。


 ともあれ――一年半のサイクルで巡業している《銀の壺》は、三回に二回の割合で青の月にジェノスへとやってくる計算になる。これまでに《銀の壺》が不在であったのは二度目の青の月のみであり、来年も不在ということになるのだろう。


 しかし本年は、また《銀の壺》を青の月にお迎えすることができた。

 そうしてジャガルの建築屋が滞在している期間に《銀の壺》がやってくるのは、俺にとってひそかな喜びなのである。最初の年にまとめて出会った記憶が鮮烈であるためか、どうしても俺にとって《銀の壺》とジャガルの建築屋は切っても切り離せない存在であったのだった。


 そして、この年の青の月は、俺にとってこれまで以上に印象的な――というよりも、俺の運命を大きく変転させ、決定づける月であったのだが――神ならぬ身に、そんな行く末を予見することはかなわない。

 それで俺は純然たる期待と喜びだけを胸に、《銀の壺》を歓迎する祝宴に臨むことに相成ったのだった。


                  ◇


「あいつらは、歓迎の祝宴ってのを開かれるんだってな」


 俺たちの屋台に顔を見せるなりそんな風に言いたてたのは、建築屋のメンバーたるメイトンであった。

 いつも陽気なメイトンには珍しく、豊かな髭に覆われた口を子供のようにとがらせている。そのさまに笑い声をあげたのは、副棟梁のアルダスであった。


「何を餓鬼みたいにすねてるんだよ? 俺たちだってジェノスに着いてすぐ、立派な晩餐会に招いてもらったろ?」


「だってあれは、ファの家のトトス小屋が完成した打ち上げの会だろ。あくまで晩餐会で、祝宴ではなかったしな」


「その祝宴だって、ついこの間お招きされたじゃねえか。お前さんはまだ、あの連中に対抗意識を持ってるのか?」


「そういうわけじゃねえけどさ。あっちは半分がた、森辺の同胞みたいなもんなんだろうしよ」


 メイトンのそんな物言いに、アルダスは「ああ」と笑った。


「お前さんは最長老さんに思い入れを抱いてるから、ルウのお人らに同胞あつかいされてるあの連中を羨んでるわけか。まったく、おまえさんの最長老さんびいきにはつける薬がねえな」


「そんなんじゃねえよ」と、メイトンはいっそう口をとがらせる。壮年の立派な男性が子供のようにすねる姿というのは何とも趣のあるものであったが、俺としても放置はできなかった。


「前回は祝宴じゃなく、リリンの家に招いての晩餐会だったんですけどね。やっぱり他の血族の人たちも《銀の壺》のみなさんにご挨拶をしたいってことで、中規模の祝宴が開かれることになったみたいです。やっぱりルウの血族の方々にしてみれば、シュミラル=リリンの同胞である《銀の壺》と正しい関係を築く必要がありますからね」


「……アスタは招かれる立場なんだから、そんな弁明をする必要はないさ」


「いえいえ。俺にとっては建築屋のみなさんも《銀の壺》も同じぐらい大切な存在ですからね。見て見ぬふりはできません」


「そら見ろ。アスタに気をつかわせるんじゃねえよ」


 アルダスが笑いながら肩を小突くと、メイトンは口をとがらせるのをやめて、しょんぼりとした。


「俺だって、子供じみてるとは思ってるよ。でも、復活祭なんかでは一緒くたになって騒いでたから……なんだか、差をつけられちまった気分になるんだ」


「それこそ、俺たちの都合だろ。南と東がいがみあってなけりゃ、森辺の人らだってまとめて祝宴にお招きするだろうさ。なあ?」


「はい。でも、ジェノスではどちらのみなさんとも懇意にしていただけるので、俺はとても嬉しく思っていますよ」


 俺もメイトンの心を和ませるべく、精一杯の笑顔を届けた。


「それに、また復活祭では一緒に騒げるかもしれませんからね。みなさんがご家族を連れて来訪してくださることを心待ちにしています」


「うん。家の連中も、ジェノスに連れていけジェノスに連れていけって、やかましいこったよ」


 と、メイトンがはにかむように笑ったところで、自前の大きなお盆を抱えたバランのおやっさんが現れた。


「そら、あとはそっちの料理だけだぞ。……さっきから、いったい何を騒いでおるのだ?」


「はい。《銀の壺》の方々について、ちょっと」


 俺がそのように答えると、おやっさんは街道のほうを見やりながら「ふん」と鼻を鳴らした。


「何を騒いでいたのか知らんが、当人どもがやってきおったぞ。くれぐれも、おかしな騒ぎなどは起こさんようにな」


 おやっさんの言う通り、フードつきマントを纏った一団がしずしずと近づいてきた。

 メイトンはばつが悪そうに頭をかき、アルダスは忍び笑いをする。たとえメイトンが《銀の壺》の立場を羨んでいたとしても、彼らとはもうそれなり以上に交流が深まっているはずであるのだ。それを証明するかのように、おやっさんは堂々たる態度で《銀の壺》の面々を出迎えた。


「今日も出くわすことになったな。こちらは料理を受け取るところなので、ちょっと待っているがいい」


「はい。順番、厳守します」


 先頭に立っていたラダジッドが、折り目正しく一礼する。《銀の壺》と建築屋の面々は、昨日もこの屋台で顔をあわせることになったのだそうだ。俺は城下町の当番であったため、その再会のシーンを見逃してしまったわけであった。


 まあ、交流が深まったといってもあくまで敵対国の人間同士という立場であるため、和気あいあいと語り合ったりはしない。おたがいがおたがいを尊重しつつ、必要があれば遠慮なく言葉を交わすという、そういった間柄であるのだ。しかしその場に漂う気安い雰囲気だけで、俺の心を和ませるには十分であった。


「で? メイトンたちが受け持ったのは八名分だろう? まだ料理は仕上がらんのか?」


「ちょうど今、完成したところです。少々お待ちくださいね」


 メイトンたちと語らいながら、俺は本日の日替わり献立たる『ギバのロースの卵とじ』を作りあげていたのだ。俺は一枚の木皿にたっぷりと二人前を盛りつけて、それを四皿準備した。建築屋の面々は、いつもこうしてさまざまな料理を大量に買いつけて、二十人がかりでシェアしているのである。


 おやっさんが抱えていたお盆に四枚の皿をのせ、アルダスが運搬の役目を担う。

「それではな」とおやっさんたちがきびすを返すと、無言でたたずんでいた《銀の壺》の面々がまとめて俺の屋台を取り囲んできた。昨日ばったり出くわしたラダジッドと最年少の団員を除く七名は、これが十ヶ月ぶりの再会となるのである。


「みなさん、おひさしぶりです。お元気そうで、何よりです」


「はい。アスタ、息災、何よりです」


 そのように答えてくれたのは、星読みを得意にする最年長の団員だ。

 すでに初老の域であるその男性は、とても澄みわたった眼差しを向けてきた。


 その他の団員たちは、それぞれ目礼している。東の習わしで表情を動かすことはかなわないものの、彼らのかもしだす温かな空気だけで俺は胸が詰まるような思いであった。


「俺も今日の祝宴にお招きされているので、そのときにゆっくりご挨拶をさせてください。シュミラル=リリンも、そわそわしながら待っているはずですよ」


「はい。シュミラル=リリンの子、対面、楽しみです」


 シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンの子であるエヴァ=リリンは、彼らがジェノスを出立した三ヶ月後ぐらいに生誕したのだ。あの愛くるしい姿に彼らがどれほどの喜びを抱くかと想像しただけで、俺も幸せな心地であった。


「では、挨拶、のちほどです。料理、購入です」


 団長たるラダジッドの指示によって、他の団員たちは左右の屋台に散っていく。

 すると、その場に居残ったラダジッドが長身を屈めて屋台の内に首をのばしてきた。


「東の王家、騒乱、ジギ、伝わっていました。ですが、森辺の集落、襲撃、知らなかったので、驚き、甚大です。負傷者、いない、事実ですか?」


「あ、はい。森辺の民に、負傷者はいません。宿場町で噂を耳にしたのですか?」


「はい。ネイルです。東の民、災厄、もたらしたこと、あらためて、謝罪、申し上げます」


「いえいえ。そんな大きなくくりで、責任は求められません。東の王都の賊なんて、ラダジッドたちには完全に無関係でしょうからね」


「はい。ですが、慙愧、堪えません」


 そう言って、ラダジッドは悲しげに目を伏せた。

 きっと西の王国の賊がラダジッドたちに災厄をもたらしたならば、俺も他人顔はしていられないのだろう。そんな思いを胸に、俺はラダジッドに笑いかけた。


「でも、おかげでシムの王子であるポワディーノ殿下や使節団の方々とは健やかなご縁を紡ぐことがかないました。セルフォマとカーツァはもうルウの集落に出向いていますので、よかったらラダジッドたちも仲良くしてあげてください」


「はい。王城、料理番、気位、高い、印象ですが、ご迷惑、ありませんか?」


「ええ。セルフォマは貴族のように優雅ですけれど、とても好ましい人柄です。通訳のカーツァも、とても可愛らしいですよ」


「そうですか。正しい絆、祝福します」


 ラダジッドは奇妙な形に指先を組み合わせて、一礼した。


「やはり、十ヶ月、長いです。さまざまな変転、驚き、甚大です」


「そうですね。でも、不穏な騒ぎはその一件だけでしたよ。ネイルは他に、なんと仰っていましたか?」


「南の王子、再来したこと。鎮魂祭、開かれたこと。森辺の民、バナーム、招かれたこと。ジョウ=ラン、ユーミ=ラン、婚儀、挙げたこと。森辺、シンの家、生まれたこと。さまざまです」


 そんな風に言ってから、ラダジッドは微笑むように目を細めた。


「鎮魂祭、ティカトラス、発案、聞きました。また、ティカトラス、評判、聞きました。心の準備、万全です」


「あはは。ティカトラスは本当に騒がしいお方ですけれど、全体的には美点のほうが多いはずですので、どうぞよろしくお願いします」


「はい。楽しみです」


 そんな言葉を交わしている間に、新たな料理が仕上がった。

 ラダジッドはかたわらに控えていた団員とともに、四枚の皿を運んでいく。すると、俺と同じ屋台で働いていたミームの女衆が笑顔で語りかけてきた。


「鎮魂祭やバナームに招かれた話なんて、とても懐かしいですね。なんだか、感じ入ってしまいました」


「うん。やっぱり十ヶ月も経つと、色々あるもんだねぇ」


 俺は建築屋の面々が来訪した折にも近況報告に励んだが、あちらはおよそ五ヶ月ぶり、《銀の壺》は十ヶ月ぶりであるのだ。それでは、近況報告の量も倍増するのが道理であった。


「それに、南の王子の再来だなんて仰っていましたけれど……《銀の壺》の方々は、ダカルマスと面識がなかったのでしたっけ?」


「うん。ダカルマス殿下が初めてジェノスにやってきたのは、《銀の壺》が西の王都に向かった後だったし……それで、《銀の壺》が西の王都から戻ってきた日に、ダカルマス殿下は帰国することになったんだよ」


「なるほど。ダカルマスたちが二度目にやってきたのは年が明けてからのことですし、それでは顔をあわせる機会もありませんね」


「うん。どっちみち、試食会でも開かれない限りは南の王家の方々と顔をあわせる機会もないだろうけどね。もともと《銀の壺》は、城下町の祝宴に招かれたりすることもないからさ」


 そして、《銀の壺》が招かれるような森辺の祝宴では、デルシェア姫が招かれることもない。そこは東と南の関係性を鑑みて、きっちり線引きされているのだった。


(まあ、ここ最近は建築屋がらみで、デルシェア姫やディアルたちとご一緒する機会が多かったからな。今度は、東の面々の順番ってことだ)


 その第一弾として、本日の祝宴には東の王都およびゲルドの関係者が招かれている。そこにティカトラスの一行まで加えられたのは、想定外の事態であったが――まあ、《銀の壺》はこれから一ヶ月ばかりもジェノスに滞在するのだから、ある意味ではいい顔あわせの場になるのかもしれなかった。


「どうもどうも、お疲れさんでございやす」


 と、今度は《青き翼》の面々がやってきた。ギーズと、二名の竜神の民だ。


「例の貴族様のお使いが、ようようやってきやしてね。これから、お屋敷に招かれることになりやした。明日以降は身体が空きますんで、いちおうアスタの旦那にもお伝えしておきまさあ」


「あ、そうですか。明日は屋台の休業日ですので、おそらく明後日以降になるかと思いますが……都合がつけば、俺もご一緒させていただきたいところですね」


「そいつは、心強いこって。とりあえず、ディンとルウの方々にもお伝えしておきまさあ」


 これにて、ミダ・ルウ=シンたちもギーズからズーロ=スンの話を聞く場が作られることだろう。

 ミダ・ルウ=シンは今日の祝宴にも招かれているので、楽しみなところであった。


                   ◇


 そうして屋台の商売を終えた俺たちは、森辺に帰還することになった。

 ルウの血族以外で今日の祝宴に招待されている森辺の民は、俺とアイ=ファのみである。これはあくまでルウの血族と《銀の壺》が親睦を深めるための催しであるため、どちらとも深い縁を持つファの家人だけが招待されるのが通例であった。


「みんな、十日間の営業、お疲れ様でした。明日はまた下ごしらえがあるけれど、ゆっくり休んで英気を養ってください」


 ユン=スドラを筆頭とする小さき氏族のかまど番たちは満ち足りた笑顔で「はい」と応じて、それぞれの家に戻っていく。

 それを見送った俺は、ともに宿場町から帰還したマイムたちとともにルウの広場へと踏み入った。


 広場では、十三歳未満の少年たちが簡易かまどの設置に励んでいる。今日の見学者は料理番の一行のみであったので、狩人たちは森に入っているのだ。アイ=ファもそれは同様で、夕刻に合流する予定になっていた。


「誰がどこのかまど小屋に向かうべきか、レイナ=ルウに確認しないといけませんね。とりあえず、本家のかまど小屋に向かいましょう」


 マイムの先導で、俺は広場を横断する。本日、レイナ=ルウは朝から祝宴の準備、ララ=ルウはトゥランの当番であったため、マイムが宿場町の屋台を取り仕切ったのだ。これだけ人材が育っているからこそ、ルウの血族は屋台の商売と祝宴の準備を同時進行で執り行えるわけであった。


「でも今日の祝宴は、百名ちょっとの人数ですからね。血族あげての祝宴でしたら、やっぱり商売を休むことになるのだろうと思います」


「そのときは、俺が全力で補佐するよ。《銀の壺》の送別の祝宴では、血族をあげての祝宴になるんだろうしね」


 いまやルウの血族は、百六十名余りという人数であるのだ。本日はその内の百名弱が集められて、二十名ていどの客人を招くわけであった。


 そうしてルウ本家に近づいていくと、そのそばで簡易かまどを組んでいた少年が「あっ」と身を起こす。それはギラン=リリンの弟と暮らす、リリン分家の少年であった。


「みなさん、お疲れ様です。《銀の壺》の方々は、問題なかったですか?」


「うん。日没の一刻前ぐらいには来られるっていう話だったよ。リリンのみんなは、ひときわ楽しみだろうね」


 十歳と少しを過ぎている少年は、「はい」とはにかんだ。以前に《銀の壺》がジギからやってきた折には、リリンの家で歓迎の晩餐会が開かれることになったのだ。それはたしか、一昨年の年末にまでさかのぼるはずであった。


 そして昨年の青の月には行商を終えた《銀の壺》がジェノスに戻ってきて、白の月には盛大な送別の祝宴が開かれている。ルウの血族と《銀の壺》は、誰もが十ヶ月ぶりの再会であった。


「アスタにマイム、お疲れ様です。屋台の商売に問題はありませんでしたか?」


 本家のかまど小屋にまで出向くと、気合満点で仕事に励んでいたレイナ=ルウが凛々しい眼差しを向けてくる。俺はマイムと一緒にうなずくことになった。


「こっちは、問題なかったよ。俺たちはどこで作業をすればいいかな?」


「アスタはシン・ルウ=シンたちが暮らしていた家、マイムはご自分の家、他の方々はディグド・ルウ=シンたちが暮らしていた家でお願いします」


「承知しました。失礼します」


 もはやマイムが宿場町の屋台を取り仕切るのは常態と化しているため、特別に言葉を重ねられることもない。マイムはそれを誇らしく思っている様子であったので、俺も心中でこっそり祝福することにした。


「それじゃあ、また後でね。おたがい、頑張ろう」


「はい。またのちほど」


 俺はついに単身となって、かつてのシン・ルウ=シンの家へと出向く。

 するとそちらには、ヤミル=レイを筆頭とする五名のかまど番が待ち受けていた。


「あ、どうも。ヤミル=レイも、手伝ってくれるのですね」


「ふん。わたしはさぞかしファの家と関わりが深いと見なされているのでしょうね」


 ヤミル=レイは、いつも通りのクールなたたずまいだ。あとはそれほど交流のない、俺よりも少し年長であるミンやムファなどの女衆であった。


「アスタの足を引っ張らないように力を尽くしますので、どうぞよろしくお願いします」


「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。まずは、肉と野菜の切り分けですね」


 さほど交流のない顔ぶれであっても、いまやルウの血族のかまど番は隅々まで腕を上げているはずであるのだ。俺が指示を出すと、誰もが過不足なく役割を果たしてくれた。


「ルウの血族のみなさんと仕事に励むのは、ずいぶんひさびさに感じます。ヤミル=レイには、しょっちゅう手伝ってもらっていますけどね」


 俺がそのように呼びかけると、ヤミル=レイは意味ありげな横目をくれてから「ふん」と鼻を鳴らした。


「言っておくけれど、ラウ=レイの姉たちが招かれるのは血族をあげての祝宴ぐらいよ。あいつらには、幼子の面倒を見る役割があるのだからね」


「ああ、なんだか懐かしいですね。そういえば、《銀の壺》がらみの祝宴ではあの方々とご一緒する機会が多かったんでしたっけ」


 俺がそんな風に答えると、ヤミル=レイはますます不穏な目つきになっていく。

 それで俺は、思い出した。以前にラウ=レイの姉たちと作業をした折には、婚儀をせっつかれるヤミル=レイに救いの手を差し伸べることになり――それを不本意に思ったヤミル=レイが、その日の祝宴で悪酔いした姿をさらすことになったのだった。


(そんな話、すっかり忘れてたよ。さすがヤミル=レイは記憶力が確かだし、執念深いなぁ)


 俺にとってはいい思い出に分類されているのだが、ヤミル=レイにとっては苦い思い出であるのだろう。それで俺はヤミル=レイの気をそらすべく、別なる話題を引っ張り出すことにした。


「そういえば、ギーズの予定が立ちましたよ。明日以降は自由に動けるみたいなんで、ミダ・ルウ=シンたちと語らいの場が作られると思います」


「……ふうん。まあ、血の縁を絶たれたわたしには、関係のない話ね」


「それはそうかもしれませんが、たぶんディガ=ドムたちも同じ場に招かれるでしょうからね。せっかくなら、ヤミル=レイたちもご一緒にどうですか? ツヴァイ=ルティムやオウラ=ルティムは、きっと喜ぶと思いますよ」


「……そんな話を決めるのは、それぞれの家長や族長たちでしょうよ」


 と、ヤミル=レイは取り付く島もない。

 しかし彼女は、かつての家族たちに小さからぬ思い入れを抱いているはずだ。俺を見返す切れ長の目からも、不穏な気配が消えたように感じられた。


 そのタイミングで、「失礼します」という凛々しい声が響きわたる。

 俺が入り口のほうを振り返ると、朝から調理の見学に励んでいた四名――プラティカとニコラ、セルフォマとカーツァが立ち並んでいる。声をあげたのは、ゲルドの料理番プラティカであった。


「こちら、見学、希望します。入室、許可、いただけますか?」


「はい。今日は、誰が許可を出すべきでしょう?」


「わたしです。ミーア・レイ=ルウから、そちらの方々は自由に出入りさせてかまわないというお言葉をいただいています」


 ヤミル=レイと同世代ぐらいで既婚の装束を纏ったミンの女衆が、笑顔でそのように応じた。

 プラティカたちは一礼して、しずしずとかまど小屋に踏み入ってくる。プラティカとニコラは気合の入った目つき、セルフォマは静謐なるたたずまい、カーツァはおどおどとした態度――昨日の勉強会でも見た通りの姿である。


 彼女たちは昨晩そのまま森辺に滞在する予定であったが、今日の祝宴が急遽決定されたため、勉強会が終わると同時に城下町へと帰還した。そうして今日の朝早くかた、あらためてルウの集落を訪れたのだ。それからずっと、宴料理の下準備を見学していたのだった。


「みなさん、お疲れ様です。もうけっこうな長丁場でしょうから、お疲れではありませんか?」


「はい。やはり、祝宴、献立、豪奢ですので、得るもの、大きいです。招待、心より、感謝しています」


 紫色の瞳を炯々と輝かせながら、プラティカが率先して答えてくれた。森辺の祝宴はひさびさであるので、なかなかに気合が入っているようだ。


「わたしなどは東の民ですらないのですから、なおさらです。祝宴の場ではみなさんのお邪魔にならないように心がけますので、何卒よろしくお願いいたします」


 と、プラティカに負けない気迫をたぎらせながら、ニコラがお行儀よく一礼する。彼女はすっかりプラティカの相方と見なされて、本日も自然に参席を許されたのだ。その代わりに、竜神の民と建築屋の面々を招いた祝宴では、シェイラやルイアに出番を譲っていたのだった。


(きっとニコラは、プラティカぬきで森辺の祝宴に出向く気にはなれないんだろうな)


 不愛想な両名が着実に絆を深めているさまを目にするたびに、俺は微笑ましい心地になる。本日も、例外ではなかった。


「セルフォマとカーツァも、お疲れ様です。《銀の壺》の方々はみなさん温厚ですので、どうぞよろしくお願いします」


「は、はい。わ、私たちもお邪魔にならないように心がけます。……と、仰っています」


 気弱な少女カーツァが、あわあわしながらセルフォマの言葉を通訳してくれる。彼女たちがジェノスにやってきてからすでに二ヶ月を突破しているが、こちらの微笑ましさにも変わるところはなかった。


「セルフォマたちも、ジギの方々とはほとんど顔をあわせる機会がなかったというお話でしたよね。よければそちらもご遠慮なく、交流に励んでみてください」


「は、はい。れ、礼節を欠いてしまわないように留意いたします。……と、仰っています」


 泡を食うカーツァのかたわらで、セルフォマはあくまで優雅なたたずまいだ。しかしセルフォマが誠実な人柄であることはもう知れているので、俺が懸念を抱くことはなかった。


 そうしてその後はプラティカたちに見守られながら、粛々と作業を進めていく。

 もう他の見学は満足がいったのか、いっさい出ていこうとしない。そうしてあっという間に下りの五の刻が近づくと、表が賑やかになってきた。


(そろそろラダジッドたちも到着する頃合いだな)


 俺がそんな風に考えていると、《銀の壺》ならぬ人物がひょこりと顔を覗かせた。誰あろう、我が最愛なる家長殿である。


「やあ、アイ=ファ。無事に戻って何よりだったよ。けっこう早かったな」


「うむ。十分な収獲はあげられたので、早々に切り上げることにした。《銀の壺》も、到着したようだぞ」


「そっか。アイ=ファは挨拶に行かなくていいのか?」


「ちょうどドンダ=ルウたちも森から戻ってきたので、今はそちらと挨拶しているさなかであろう。こちらも招かれた身であるのだから、出しゃばるべきではあるまい」


 それから四半刻ほどが経過すると、ルド=ルウの案内で《銀の壺》の面々がやってきた。

 俺はちょうど手が空いたタイミングであったので、アイ=ファやプラティカたちとともに表まで出て出迎える。《銀の壺》はシュミラル=リリンも加わって、総勢十名のフルメンバーであった。


「あ、シュミラル=リリンもいらしていたんですね」


「はい。挨拶、早急、したかったので」


 シュミラル=リリンがやわらかく微笑みながら視線を巡らせると、ラダジッドは微笑をこらえるように口もとを震わせる。あとは最年少の団員が存分に目を細めているぐらいで、のきなみ無表情であったが――その場に満ちた温かい空気だけで、俺は胸が詰まりそうだった。


 同じ草原で暮らす同胞であった彼らが、十ヶ月も離別していたのだ。すでにこれが二度目の離別であったものの、おたがいの身を案じる気持ちに変わりはないはずであった。


(しかもジギには、東の王家にまつわる騒乱も伝わってたんだからな。ラダジッドたちは、さぞかし心配だっただろう)


 そんな感慨に胸を満たされながら、俺はセルフォマとカーツァを紹介した。


「こちらがラオリムの王城の料理番セルフォマで、こちらが通訳のカーツァです。今日の祝宴をご一緒しますので、よろしくお願いします」


「はい。《銀の壺》、団長、ラダジッド=ギ=ナファシアールです。お会い、できて、光栄です」


「こ、こちらはセルフォマ=リム=フォンドゥラ、私はカーツァ=リム=エスクトゥと申します。きょ、今日は祝宴に参席するお許しをいただき、心から感謝しています。……と、仰っています」


 セルフォマが東の言葉を返した時点で、ラダジッドたちには伝わっている。それでもカーツァが通訳をするのは、西の民の前で密談はしないと証し立てるための行いであった。


 何にせよ、俺たちにとってはありがたい限りの話である。そうして俺が心安らかに両陣営の対面を見守っていると、ラダジッドはほんの少しだけ目を見開きながらセルフォマとカーツァの姿を見比べた。


「お二人とも、リム、出身ですか。失礼、あれば、謝罪、しますが、少々、意外です」


「い、いえ。お、王城の料理番でリムの出身は私ひとりですので、意外に思われても当然であるのでしょう。……と、仰っています」


「そうですか」と、ラダジッドは見開いていた目を細めて優しい眼差しになった。


「カーツァ、西の言葉、巧みです。その若さ、感服です」


「い、いえ。と、とんでもありません」と、カーツァは感じやすい頬を赤らめる。カーツァはいまだ十五歳であるのだから、どれだけ感服されても不思議はないだろう。


 ともあれ、初対面となる顔ぶれも無事に交流を深められそうな気配である。

 俺は安堵の思いを噛みしめながら、日中にはあまり挨拶をできなかった七名の団員たちとも存分に挨拶をさせてもらうことにした。

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