序 ~静かな再会~
2025.5/19 更新分 1/1
・今回の更新は全7話です。
《青き翼》の面々を森辺に迎えた親睦の祝宴をやりとげたのちも、俺たちの日常は粛々と過ぎ去っていった。
とはいえ、《青き翼》との本格的な交流は、これからのことである。人間的な意味での交流に関しては出会った頃から一歩ずつ進められていたが、商売に関してはこれから開始されるのだ。そもそも彼らはギバ肉を商品として扱うためにジェノスまでやってきたのだから、そちらこそが本懐であったのだった。
ただしそちらに関しては、事前にクリアーしなければならないステップが存在する。
森辺の民との商売を始める前に、彼らは自前の商品を売りさばいて資金を調達する必要があったのだ。彼らもこの二ヶ月間で順当に行商を続けていたものの、商品を売っては新たな商品を仕入れるというスタイルであったため、手持ちの資金はそれほど潤沢でないという話であったのだった。
そこで目をつけられたのが、ジェノスの貴族たちである。
竜神の王国から持ち込まれた商品はいずれも高値であったため、貴族でなければなかなか手が出ない。それで彼らは親睦の祝宴で自慢の商品を披露して、買い手をつのろうと目論んだのだった。
その目論見は成功して、彼らはついに城下町に招かれることになった。
一日限りの通行証が発行されて、今度は城下町でお披露目の場が設けられることになったのだ。
後から聞いた話によると、その場にはジェノスで装飾具を扱う専門家が何名も招集されていたらしい。何せ高額な商品であるため、きちんとした鑑定が必要であると見なされたのだろう。
ただし商品の半分ぐらいは、鑑定も不可能であったとのことである。
それらの品は、熟練の専門家にとってまったく未知なる存在であり――それがすなわち、大陸の外から持ち込まれた品である証拠と成り得たわけであった。
そうなると、こちらでは適正な価格を査定することもできない。
あとは、買い手の心ひとつである。それらの品にそれだけの価値があるかどうか、自らの審美眼を頼りにするしかないわけであった。
「何にせよ、これらの品がきわめて希少であることはわたしが保証するよ! 竜神の王国から持ち込まれる商品は、おおよそ王都の名のある貴族や王族の方々に買い占められてしまうのだからね! それが王都の外にまで出回るのは、これが初めてであるはずだ!」
お披露目の場において、ティカトラスなどはそのように宣言していたそうである。
その結果、城下町では何点かの装飾具や織物が売れたらしい。もとよりジェノスの貴族たちはシムやジャガルから持ち込まれる商品にも私財をはたいていたので、異国の品を買いつけようという意欲が旺盛であるようであった。
そんな中、ティカトラスは黄金の装飾具の一式のみを買いつけたらしい。
もっとも、それだけで桁違いの出費であったことだろう。何せ黄金の装飾具というのは、もっとも小さな指輪ひとつで銀貨二枚という価格であったのだ。ファの家を再建する費用が銀貨九枚であったことを思えば、それがどれだけ高額であるかは想像するに難くなかった。
ただし、ティカトラスは買いつけの証文を交わしたのみで、実際の購入には至っていない。
黄金の装飾具はジャガルにおいても大きな評判を呼ぶはずであるので、もしもそちらで買い手がつくようならば機会を譲ってもかまわない、というスタンスであったのだ。
「ただ、今後はダーム経由で南の王都と交易が始められる可能性があるということを、決して隠し立てしないようにね! それを隠したまま銀貨をせしめたら、君たちの評判が地に落ちてしまうだろうからさ!」
ティカトラスは、そんな忠告を与えていたとのことである。
かえすがえすも、ティカトラスは広い視野をもって交易に臨んでいるのだ。この頃には、ギーズたちもティカトラスの懐の深さを存分に思い知らされた様子であった。
ティカトラスはそれ以外にも何点かの商品に目星をつけて、もしも最後までそれらが売れ残るようであればまとめて買いあげるという証文を交わしたとのことである。
《青き翼》にしてみれば、至れり尽くせりの配慮であったことだろう。ティカトラスは今後の永続的な交易を見据えて判断を下しているため、今はとにかく《青き翼》の信頼を勝ち取ることを最優先にしているのだろうと察せられた。
そんなわけで、ティカトラスは現時点では赤銅貨一枚支払っていないわけであるが、他の貴族たちのおかげで《青き翼》は軍資金を調達することができた。それであらためて、森辺の民との商談が開始されたわけであった。
そこで森辺の側の責任者に任命されたのは、ルティムの家となる。
家長のガズラン=ルティムは聡明の極みであるし、外交にも手馴れている。そしてツヴァイ=ルティムという頼もしい家人もついているため、この大きな役目を託されることになったのだった。
「腸詰肉と干し肉に関しては、ファとルウの血族を除くすべての氏族に均等に準備してもらおうと考えています。富も苦労も、均等に分かち合うべきでしょうからね」
ガズラン=ルティムは穏やかに微笑みながら、そんな風に言っていた。
ルウとファは屋台の商売を受け持っているため、ギバ肉の余剰が存在しないのだ。むしろこちらが他の氏族からギバ肉を買いつけている立場であるので、こういった商売には参加のしようもないわけであった。
まあ何にせよ、《青き翼》との商談も無事にまとまりそうで、何よりの話である。
そうしてあっという間に五日ばかりの日が過ぎ去って、俺たちはついに緑の月の最終日を迎えたわけであった。
◇
緑の月の最終日――緑の月の三十日である。
ジャガルの建築屋のジェノス滞在も、これでついに折り返しだ。楽しい日々というものは、かくも速やかに過ぎ去ってしまうわけであった。
そんな感慨を胸に、俺はその日も粛々と商売に励む。その日は十日に一度と定めている、城下町の担当であった。
その日の相棒はスフィラ=ザザ、ルウ家の当番はレイナ=ルウとルティムの女衆という顔ぶれになる。あとは護衛役のバルシャやジルベとともに、俺たちは城下町での商売に励んだ。
城下町の商売は、順調そのものだ。料理の量もついに最大ラインまで引き上げられたが、売れ残りが生じることもなく、予定通りの終業時間までにきっちり売り切ることがかなった。
「城下町の商売を始めてから、間もなくひと月半ですね。そろそろこちらも、増員を検討しようかと思います」
無事に商売を終えた帰り道で、きりりと引き締まった面持ちをしたレイナ=ルウがそんな風に告げてきた。
「新しい当番を一名追加して、そちらが過不足なく働けるようになったら、六名で均等に仕事を受け持とうかと考えています」
「それじゃあレイナ=ルウたちも、三回に一回の当番になるわけだね。新しい当番は、誰にするのかな?」
「はい。アスタの意見も取り入れつつ、ララとあれこれ思案したのですが……やっぱり昔から働いているマァムの女衆にお願いしようかと思います。その代わりに、若い女衆に宿場町やトゥランの取り仕切り役を任せられるように育てるつもりです」
「なるほど。若い女衆にいきなり城下町を任せるんじゃなく、古株が抜けた後を任せられる新人を育てるわけだね。やっぱり城下町での商売はちょっと特殊だろうから、それが賢明だと思うよ」
そんな返事をしながら俺がつい笑ってしまうと、レイナ=ルウは「どうしたのですか?」と不思議そうに小首を傾げた。
「いや、自然に若い女衆とか言っちゃったなと思ってさ。まあ、俺たちなんかはまごうことなき古株だもんね」
「そうですね」と、レイナ=ルウも微笑んだ。
「実は以前から働いているムファの女衆が婚儀を挙げるので、そちらでも若い女衆を育てる必要があるのです。そちらで予定されている女衆は、十三歳ですね」
「そっか。俺たちは、どんどん年寄りになっていくね」
すると、斜め後方を歩いていたバルシャが「何を言ってるんだい」と笑い声をあげた。
「あたしから見りゃあ、アスタもレイナ=ルウも立派な若衆だよ。……ま、若衆とは思えない風格なのは事実だけどさ」
「あはは。それは恐縮です」
気軽な雑談の類いであったが、俺はそれなりに感慨深かった。俺もレイナ=ルウも二十歳になってしまったため、十三歳であれば七歳も年少であるのだ。かつてはレイ=マトゥアがその年齢で働き始めたが、当時の俺は十八歳であったため現在ほどの年齢差は感じていなかったのだった。
(そのレイ=マトゥアはもう十五歳で、十歳だったマイムやトゥール=ディンは十三歳だもんな。八歳だったリミ=ルウだって、もう十一歳だし……やっぱり、感慨深いや)
そんな想念にひたりながら、俺は貸出屋に屋台を返却して、城下町を後にすることになった。
終業時間ぎりぎりまで働けるようになったため、宿場町に戻ってもそちらの商売はすでに終了している。無人の青空食堂には立入禁止の縄が張られて、屋台が置かれていたスペースには車輪の跡だけが残されていた。
「あ、ちょっと《青き翼》の人たちに挨拶をしておきたいんだけど、いいですか?」
「それじゃあ、あたしもご一緒するよ。レイナ=ルウたちは、そっちで待っててもらえるかい?」
宿場町では道端に荷車を停車させることが禁止されているため、レイナ=ルウたちには屋台のスペースで待っていてもらう。すると、バルシャの他にスフィラ=ザザとジルベもついてきた。
《青き翼》はこちらの正面のスペースで、露店を開いている。
彼らがジェノスにやってきてからすでに十日以上が過ぎているため、これもすっかり見慣れた光景だ。そして、こちらの屋台が終了したのちも、彼らの露店にはそれなりの人垣ができていた。
「どうも、お疲れ様です。そちらの商売は、如何ですか?」
「お、アスタの旦那、お疲れさんでございやす。まあ、ぼちぼちってところでやすかねぇ」
店番を務めているのは、ギーズと二名の竜神の民だ。返事をしたのはギーズであるが、残りの二名も朗らかな笑顔で出迎えてくれた。
「ジェノスは人の出入りが多いんで、これだけ日が過ぎても物珍しく思ってくれる人間には事欠かないようでさあ。まったく、ありがたいこってすねぇ」
「そうですか。こちらとの商売に関しては、それなりに話もまとまったのですよね?」
「ええ、ええ。ただし、干し肉や腸詰肉を準備するにはそれなりの時間がかかるそうで、もう何日かは待ちの一手でやすねぇ」
つまりはそれだけ、彼らが大量の品を買いつけることになったのだ。また、ギバの牙や角のみならず、骨もそれなりの量を買いつけるのだという話であった。
「毛皮なんかは、少量に留めたそうですね。やっぱりジャガルは温暖らしいから、毛皮を売る算段が立たないのですか?」
「それもありやすが、ギバの毛皮ってのはそんなに愛想もないでやしょう? ガージェの豹みてえに愉快な模様でもついてりゃあ、話は別なんですがねぇ」
「ふふん。確かにガージェの毛皮は、ギバよりもよっぽど高値で売れるはずだね」
バルシャが気安く口をはさむと、ギーズは「へへ」とネズミのような顔で笑った。
「マサラの狩人だったバルシャの姐さんの前で、ついつい知った風な口を叩いちまいやした。北寄りの領地でも、ガージェの毛皮にはずいぶんな高値がつけられておりやしたよ」
「ふうん。あたしは商人に売りつけるいっぽうだったから、町での売り値なんかは知りゃしないんだよ。あんたが実際に知った話をしてるんなら、何も遠慮はいらないさ」
ギーズは情報収集に余念がないので、もうバルシャの来歴などもしっかりわきまえているのだ。そして如才のない彼は、町なかで《赤髭党》の話を持ち出すこともなかった。
「ところで、ディック=ドムから伝言があるのですが」
と、今度はスフィラ=ザザが発言する。
「あなたがディガ=ドムやドッドに挨拶をしたいという一件についてですね。宿場町からドムの集落まではずいぶん遠いので、もっと手近な氏族の家に二人を向かわせてもかまわないとのことです」
「そいつは、ありがたいこってす。でも、森辺の狩人さんてのは、忙しいんでやしょう? わざわざ俺なんかのためにご足労をいただくのは、気が引けちまいますねぇ」
「わたしたちは普段からディンやリッドと家人を預け合っているので、べつだん苦労がかさむわけではありません」
そのように答えてから、スフィラ=ザザはいつも鋭い眼差しをやわらげた。
「それにあなたは善意から、二人に挨拶をしたいと申し出てくれたのです。感謝すべきは、こちらのほうでしょう」
「いえいえ、とんでもねえこって。俺はお二人のおっとさんに生命を救われたんでやすから、感謝される筋合いはありませんや」
「ですが、それを二人に伝えたいというのは、あなたの善意でしょう。あの二人はわたしにとっても大事な血族ですので、あなたには感謝しています」
ズーロ=スンに生命を救われたというギーズは、彼のかつての家族たちにお礼を言って回る計画を立てているのだ。その件については、すでに三族長からも許しをもらっていた。
「ミダ・ルウ=シンも、ギーズに会える日をうずうずしながら待っているはずですよ。よかったら、全員ご一緒にしてもらったら如何ですか?」
「へい。そいつは願ってもねえ話でやすが……でも、よろしいんで? そのお人らは、もう血の縁を絶たれた身なんでやしょう?」
「ディガ=スンたちは、ルウの祝宴にも何度か招かれていますよ。たとえ血の縁を絶たれても、森辺の同胞ですからね。どんなに絆を深めても、悪いことはないんです」
「そうですかい。そいつは、何よりのこって」
今は人の目があるためか、ギーズも屈託のない笑顔をさらしたりはしない。ただその小さな目には、とても嬉しそうな光が瞬いていた。
「それでは、日取りはどうしましょう? 都合のいい日をお聞かせ願えますか?」
「あ、いや、実は今日明日中に、貴族様の使いが来るはずなんでやすよ。もういっぺん、こっちのお宝を拝見したいとかで。貴族様の申し出を二の次にはできねえんで、明日までお待ちいただけやすかい?」
「承知しました。では、明日はわたしも町に下りる予定はありませんので、トゥール=ディンに話を通しておきます。何かあったら、そちらにお伝えください」
そんな感じで、話はまとまったようである。
それで俺が別れの挨拶を口にしようとしたとき、ギーズが「おやおや?」と目をすがめた。
「あの東のお人らは、アスタの旦那を真っ直ぐ目指してるようでやすねぇ。旦那のお知り合いか何かで?」
「え? 俺の知り合いは、もう森辺の集落に向かっているはずですが」
実は今日から、セルフォマたちが調理の見学を再開させるのである。それでプラティカともども宿場町の屋台を訪れて、今頃はファの家に向かっているはずであった。
なおかつ、ギーズが目を向けているのは城下町がある北側でなく、宿場町の建物が並ぶ南側だ。
そちらに目をやった俺は、二人連れの東の民を発見して――そして、息を呑むことになった。その片方が、百九十センチはあろうかという長身であったのである。
「アスタ、再会、喜ばしい、思います。本日、会えない、思っていたので、なおさらです」
そう言って、その人物は微笑をこらえるように口もとを震わせた。
長身痩躯である東の民としても、ひときわ背が高い男性――《銀の壺》の新たな団長、ラダジッドである。俺はめいっぱい胸を詰まらせながら、そちらに笑顔を返すことになった。
「ラダジッド、おひさしぶりです。いつ到着されたのですか?」
「本日、中天です。屋台、昼食、いただき、アスタ、不在、知りました」
そんな風に語りながら、ラダジッドはやおら長い腕をのばして俺の手をつかんできた。
「また、故郷にて、東の王家、まつわる騒乱、聞き及んでいました。東の同胞、大きな災厄、もたらしたこと、謝罪、申し上げます。また、アスタ、無事であったこと、得難い、思います」
「はい。俺は傷ひとつ負いませんでしたよ。心配くださり、ありがとうございます」
「はい。……心、乱してしまい、申し訳ありません」
ラダジッドはすみやかに俺の手を離して、深々と一礼する。
もちろん俺は、ラダジッドの気づかいをありがたく思うばかりである。そして、無言でたたずむもう一名の団員のほうに向きなおった。
「そちらも、おひさしぶりです。今年は到着が遅かったので、ちょっと心配してしまいました」
「はい。お会い、嬉しいです。アスタ、息災、嬉しいです」
それは、《銀の壺》でもっとも若い団員であった。
こちらの若い団員は、他の団員よりもわずかに西の言葉が覚束ない。なおかつ、表情を殺すすべも未熟であり、今もにっこりと目を細めてしまっていた。
しかしもちろん、俺の喜びは増すばかりである。俺は彼らと再会できる日を、心待ちにしていたのだった。
「ただのお知り合いってわけでもなさそうでやすねぇ。とりあえず、無事な再会を祝福させていただきまさあ」
ギーズはにやにやと笑っており、残る二名は好奇心に満ちた目つきでラダジッドたちを見上げている。
そちらをちらりと一瞥してから、ラダジッドは発言した。
「森辺の民、竜神の民、絆、結ばれたこと、聞きました。竜神の民、ジェノス、来訪、意外でしたが、良好な関係、祝福します」
「はい、ありがとうございます。《青き翼》の方々も、ラダジッドたちの噂は聞いているはずですよ」
俺は内心の昂揚を押し隠しつつ、ギーズのほうに向きなおった。
「ギーズ、こちらは《銀の壺》の方々です。《銀の壺》については、ルウの方々に説明されているのですよね?」
「ああ、森辺の家人となったシュミラル=リリンってお人の古巣ですかい。あの傀儡の劇に登場した、東の方々だそうで」
「そうです。傀儡の劇では描かれませんでしたけど、こちらの御方は俺たちの屋台のお客さん第一号なんですよ」
俺が指し示したのは、ラダジッドではなく若い団員のほうである。
ギーズは「へえ」と、にんまり笑った。
「そいつはなかなか、のっぴきならねえ間柄でございやすねぇ。俺は歯ッ欠けのギーズっていう、チンケなゴロツキでさあ。よかったら、お見知りおきくだせえ」
「はい。おおよそ、事情、うかがいました。竜神の民、対面、初めてですので、挨拶、光栄、思います」
ラダジッドが頭を垂れると、竜神の民の一名が笑顔で声をあげた。
「あなた、くる、にどめです。せ、たかいので、おぼえています」
「はい。森辺の屋台、食事、終えた後、露店、拝見しました。客、賑わっていたので、挨拶、取りやめました。挨拶、機会、得て、光栄です」
おたがいこの場では異国人である両名が、たどたどしい西の言葉で挨拶を交わす。俺にとっても、なかなかに新鮮な光景であった。
「私、《銀の壺》、団長、ラダジッド=ギ=ナファシアールです。これから、ひと月、ジェノス、滞在しますので、交流、望めたら、ありがたい、思います」
「それはそれは、こちらこそありがてえこって。まあ、行商人としては商売敵になる可能性もあるんでやしょうが、森辺のお人らを間にはさんで穏便な関係を結びたいところでやすねぇ」
ギーズがそのように答えると、ラダジッドは「はい」と首肯した。
「あなたたち、ジャガル、向かう、聞いています。我々、ジャガル、踏み込めませんので、競合、恐れ、ないでしょう」
「そうですかい。でも、あんたがたはのちのち北回りで西の王都を目指すんでやしょう? ところどころで、俺たちが辿ってきた道とぶつかりそうなところでやすねぇ」
「はい。こちら、見慣れた品、多いです。セルヴァ、北方の地、品ですね。……あなたたち、帰路、同一ですか?」
「いえいえ。どうせだったら、知らねえ道を辿りたいところでやすねぇ。ま、ジャガルを巡った後は、風の吹くまま気の向くままにでさあ」
「では、やはり、競合、可能性、薄いでしょう。大陸、中央、帰路、辿るならば、道、重なりますが、逆方向です」
「逆方向? ……ああ、俺らは王都に帰る道、そちらさんは王都からジェノスに戻る道ってことですかい」
「はい。であれば、携える品、異なりますので、競合、なりません」
どうやらギーズもラダジッドに負けないぐらい、大陸の地図が頭に入っているようである。
なおかつ彼は、《銀の壺》の販路まで把握していたのだ。その周到さに、俺は舌を巻くばかりであった。
(まあ、その上で仲良くなれたら、幸いだな)
俺がそんな風に考えていると、背後からレイナ=ルウが近づいてきた。
「ラダジッド、おひさしぶりです。無事にジェノスに到着されたのですね」
「はい。レイナ=ルウ、おひさしぶりです。息災、何よりです」
「ええ。シュミラル=リリンもヴィナ姉も、みなさんにお会いできる日を楽しみにしていましたよ」
ただしその後、シュミラル=リリンは《銀の壺》と合流してジェノスを半年ばかりも離れることになる。それもしっかり踏まえた上で、ヴィナ・ルウ=リリンは彼らの到着を待ちわびていたのだろうと思われた。
「それにこのたびは、みなさんを歓迎の祝宴にお招きしようという話になっています。急な話で恐縮ですが、明日お招きすることは可能ですか?」
「はい。明日ですか?」
「ええ。明後日が屋台の休業日ですので、こちらとしては明日が好都合なのです」
休業日には翌日の下ごしらえがあるため、前日のほうが望ましいのだ。城下町で商売を始めたことによって、それはいっそう顕著になっていた。
ラダジッドはまた口もとを震わせながら、「はい」とうなずく。
「城下町、商談、これからですので、都合、つきます。明日、問題、ありません」
「そうですか。あと、みなさんもご存じであるプラティカと、東の王都のセルフォマという御方もお招きしたいのですが……如何でしょう?」
「はい。ララ=ルウ、聞きました。東の王都、料理番、滞在、驚いていますが……森辺の民、友、認めたならば、異存、ありません」
「ありがとうございます」と微笑んでから、レイナ=ルウは眉を下げた。
「あとは、ティカトラスですね……実は、ティカトラスという御方もみなさんとの交流を望んでおられるのです」
「ティカトラス?」と、ラダジッドは細長い首を傾げる。たしかティカトラスは前回《銀の壺》が故郷に戻った数日後に、初めて姿を現したのである。ティカトラスはこの一年足らずでこれだけさまざまな相手と交流を育みながら、《銀の壺》とはこれが初めての対面であったのだった。
「ティカトラスというのは、西の王都の貴族です。ただ、きわめて商売に熱心な御方で……それで、《銀の壺》にも興味を抱いてしまったようなのです」
「そうですか。森辺の民、友、認めたならば、異存、ありません」
「あ、はい。ただちょっと、ティカトラスは特殊なお人ですので……」
レイナ=ルウがそこで言いよどむと、ギーズが「へへ」と笑い声をあげた。
「おっと、失礼いたしやした。だけどまあ、あれだけ特殊なお人ってのは、そうそういやしないでしょうねぇ」
「そうですか。何にせよ、我々、森辺の民、判断、一任します」
ラダジッドは迷う素振りもなく、そのように言い切った。
森辺の民を、全面的に信頼してくれているのだろう。また、どれだけ奇矯な相手であっても森辺の民が友と認めた相手ならば力を尽くしてお相手しようという心意気が伝わってきた。
「承知しました。何にせよ、最後に判断するのは族長たちですので、わたしも心して取り組むつもりです」
レイナ=ルウが表情を引き締めると、ラダジッドはまた不思議そうに首を傾げた。
「レイナ=ルウ、気迫、甚大です。ティカトラス、それほど、問題ありますか?」
「いえ。ただ、ヴィナ姉たちのためにも力を尽くそうと考えたまでです。ティカトラスがどのように騒ごうとも、再会のひとときのお邪魔はさせませんので、どうぞご安心ください」
「そうですか」と、ラダジッドは目を細めた。
「レイナ=ルウ、心づかい、感謝します。レイナ=ルウ、シュミラル=リリン、血族であること、幸い、思います」
「はい。シュミラル=リリンは、わたしの大切な姉の伴侶ですので」
と、レイナ=ルウも表情をやわらげて、にこりと微笑んだ。
俺としては、胸が温かくなるばかりである。
「それじゃあ、祝宴は明日ですね。俺も屋台の商売を終えた後に腕をふるいますので、楽しみにしていてください。それに、明日の屋台で他のみなさんと再会できることを楽しみにしています」
「はい。つもる話、たくさんです。明日、よろしくお願いします」
そうしておよそ十ヶ月ぶりとなるラダジッドたちとの再会は、至極なごやかに終わりを迎えて――俺の内に生じた熱情は、翌日の祝宴で思うさま解き放つことになったのだった。




