親睦の祝宴①~下準備~
2025.5/2 更新分 1/1
当然と言うべきなのか、どうなのか――ティカトラスが発案した親睦の祝宴というものは、無事に開催されることになった。
まあ、もとよりティカトラスは小規模の晩餐会だけで事を収めるつもりはなかったのだ。それはルウ家で晩餐を囲んだ際から歴然としていたので、俺も今さら驚かされることはなかった。
そこで今回、ティカトラスに目をつけられたのが、ダリ=サウティである。
ここ最近、ファとルウとディンは城下町での商売を開始したことで、いささかならず多忙な時期を迎えている。それでティカトラスは、サウティとフォウの主導で祝宴を企画してもらえないものかと打診したようであった。
「眷族たるヴェラの女人がフォウに嫁入りしたことで、サウティも存分に絆が深まったのだろう? どうか、その絆に頼らせてもらえないものかな?」
試食の晩餐会の場で、ダリ=サウティはそんな風におねだりされたらしい。それで前向きに検討すると答えるなり、その場で大々的に発表されてしまったわけであった。
まあそれでも、森辺の民がなし崩し的に不本意な仕事を受け持つことはありえない。ダリ=サウティはきちんとその話を持ち帰り、ドンダ=ルウやグラフ=ザザとともに熟考した上で、ティカトラスからの申し出を了承したのだった。
「最初はティカトラスも、アスタを頼ろうと考えていたらしい。しかし、最近は屋台の休みを十日置きにしていると聞き及ぶや、そんなには待てないと騒ぎ始めたのだ」
晩餐会の帰り道で、ダリ=サウティは苦笑まじりにそう説明してくれた。
確かに、ファやルウが祝宴の開催を依頼されたならば、次の休業日を待ってほしいとお願いしていたところであろう。頭の回るティカトラスはそれをすぐさま察知して、ダリ=サウティに矛先を向けたわけであった。
またそれは、《青き翼》にとっても好都合の話であったようである。
行商人として活動している彼らにとっては、時間が貴重であるのだ。ましてや彼らは残り十ヶ月という制限が存在したため、なおさら一日も無駄にはできないという心持ちであるようであった。
「もちろん、半月ばかりもジェノスに留まったって、なんも悪いことはありゃしねえんですがね。どんな約束でも、早いに越したことはありゃしませんや」
晩餐会の翌日、屋台で再会したギーズは、したり顔でそんな風に言っていた。
それから多少の紆余曲折を経て、祝宴の開催が決定されたわけである。
その日取りは、晩餐会の五日後である緑の月の二十五日であった。
このスケジュールの決定にも、多少ながらの紆余曲折が含まれている。
《青き翼》の面々が建築屋の参席を望んだため、なるべく仕事の負担にならない日取りが選出されたわけであった。
「しかし、なんでまた俺たちが巻き込まれることになったんだろうな?」
当初はアルダスたちも、実に不思議そうな顔をしていたものである。
要約すると、その理由は二点に絞られる。すなわち、《青き翼》はジャガルにおける行商を検討し始めたため、南の民と懇意にしたかったということと――あとは、傀儡の劇の効果である。『森辺のかまど番アスタ』に登場したジャガルの一団が建築屋の面々であると聞き及び、それがジェノスを来訪した初日に言葉を交わした相手だと知るや、ギーズがそのように思いたったわけであった。
「こいつはきっと、四大神のお導きなんでやしょう。俺も今はまだ四大神の子なもんで、ありがたくお導きに従わせてもらいまさあ」
ギーズはにまにまと笑いながら、そんな風に言っていた。
そして建築屋の面々も、とにかく森辺の祝宴にお招きされるなら文句はないといった風情である。
「その次の日は朝もそんなに早くないんで、晩餐か何かにお招きしてもらえないかと計画を練っていたところなんだよ! それが祝宴になるなら、言うことなしだな!」
「まったくだな! まあ、貴族様まで参じるのは、ちっとばっかり落ち着かないところだが……森辺の祝宴で行儀に文句をつけられることはねえだろうさ!」
そんな具合に、建築屋の参席も早々に決定された。
いっぽう俺も招待客という立場であったが、余力があったらひと品でも宴料理を準備してほしいと要請されたため、承諾した。昼の商売さえ終われば手は空いていたので、断る理由もなかったのだ。
また、祝宴の会場はフォウの集落であり、かまど仕事の取り仕切り役はユン=スドラであったが、フォウやサウティの血族ばかりでなく、さまざまな氏族が招待されている。族長筋はもちろんのこと、あらゆる氏族が《青き翼》に興味をひかれていたので、多少なりとも交流の機会が設けられることになったのだ。
また、このたびはジェノスの貴婦人がたも参席することになったので、トゥール=ディンも腕を振るうことになった。
試食の晩餐会を経て、貴族の面々もついに警戒レベルを常態まで引き戻したのだろう。そして驚くべきことに、デルシェア姫までもが参席を許されたのだという話であった。
「建築屋の方々も招待されると聞き及び、デルシェア姫も是非にと願い出たそうです。まあ、危険はないと見なされたのでしょうが……護衛役の方々は、なかなか気が休まらないのでしょうね」
そんな裏事情を教えてくれたのは、ダレイム伯爵家の侍女たるシェイラである。彼女とルイアもポルアースたちのお付きとして参ずることになったそうで、喜びの思いをあらわにしていた。
逆に参席を遠慮するように願われたのは、シムの関係者――アリシュナ、プラティカ、セルフォマ、カーツァの四名である。
セルフォマは城下町にこもって書面をまとめている時期であったので、ひさびさにニコラとともに屋台まで出向いてくれたプラティカは、紫色の瞳をとても不満げに光らせていた。
「今回、南の民、招待されるため、自重、願われました。私、諍い、起こすつもり、ないので、不本意です」
「今回の主役は竜神の民の方々ですので、慎重を期そうという考えなのかもしれませんね。《銀の壺》が到着したら歓迎の祝宴が開かれるはずですので、どうかその日を楽しみにしていてください」
「……私、参席、可能ですか?」
「はい。主催はルウ家なんで、念のために確認しておきますね。でも、レイナ=ルウなんかは最初からプラティカやセルフォマをお招きするつもりであったようですよ」
俺がそのように伝えると、プラティカはむすっとした無表情のまま、可愛らしくもじもじとしたものであった。
そうしてついにやってきた、祝宴の当日である。
無事に宿場町での商売を終えた俺たちは勇躍、フォウの集落を目指すことに相成った。
取り仕切り役のユン=スドラは特別休暇を取ったので、同行するのはマルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア、クルア=スン、ラッツ、ダゴラ、ダイの女衆という顔ぶれだ。これがすなわち、小さき氏族から招待された面々であり、俺の作業を手伝ってくれるかまど番の精鋭であった。
さらに、ルウの血族からは本家の三姉妹とヤミル=レイとツヴァイ=ルティムが招待されており、レイナ=ルウは俺の手伝い、残る四名はトゥール=ディンの手伝いをする予定になっている。あとはザザの血族からスフィラ=ザザとモルン・ルティム=ドムとリッドの女衆が参じるため、そちらももちろんトゥール=ディンの指揮下であった。
「やあやあ! アスタたちも、ご苦労だったね!」
と、フォウの集落に到着するなり、はしゃぐティカトラスに出迎えられた。
今日の主催はサウティとフォウの家であるが、スポンサーはティカトラスだ。ティカトラスはすべての食材費を受け持つばかりでなく、手間賃と呼ぶのがはばかられるほどの報奨金を準備したので、それは祝宴に携わる氏族に均等に配分される予定になっていた。
そんなティカトラスのかたわらには、すでにダリ=サウティとバードゥ=フォウも居揃っている。他なる貴族の面々も間もなく参じる予定であるので、サウティとフォウの血族もおおよそは休息か半休の日として相手取るという話であったのだ。
「アスタに苦労をかけないために、ダリ=サウティにお願いしたのだけれども! まあ、アスタは森辺ばかりでなく、ジェノスで一番の料理人だものね! こんな際には、腕を振るってもらう他ないのかな!」
「いえいえ。何もなければ、勉強会に励んでいただけですからね。手が空いていたので、お引き受けしたに過ぎませんよ。俺がいなくても宴料理の質に変わりはありませんので、どうぞご期待ください」
「うんうん! 森辺の祝宴はひさびさだから、それだけでも期待がふくらむばかりだよ! ところで、《青き翼》の面々はまだ宿場町なのかな?」
「ええ。あちらもそれなりに、商売が忙しいようです。下りの五の刻ぐらいを目処に参じる予定であるようですよ」
「そうかそうか! わたしはまだ限られた相手としか言葉を交わしていないので、楽しみなところだよ!」
けっきょく試食の晩餐会では、ティカトラスも最後までドゥルクに近づこうとしなかったのだ。それで一身にドゥルクを相手取っていたヴィケッツォは、本日も不本意そうな仏頂面をさらしていた。
(だけどまあ、ヴィケッツォはそれなりに親睦が深まったのかな)
そんな風に考えながら、俺はその場を辞することにした。俺にも、俺の仕事が存在するのである。
建築屋の面々をお招きした祝宴はファの広場で行われたので、フォウの集落にお邪魔するのはちょっとひさびさだ。広場のあちこちには手の空いている男衆や幼子たちがたたずんでおり、すでにそれなりの熱気であった。
もちろん、母屋の裏手からはいくつもの白い煙がたちのぼっている。フォウとサウティの血族は、朝から宴料理の準備に励んでいたはずであるのだ。とりあえず、俺たちはバードゥ=フォウの伴侶を求めて本家のかまど小屋を目指すことにした。
「どうも、お疲れ様です。宿場町から、無事に戻りました」
「ああ、アスタ。フォウの家にようこそ。アスタたちは、右隣りのかまど小屋を使っておくれよ」
かまど小屋にも大変な熱気が満ちており、女衆は充足した面持ちで働いている。本日はフォウとサウティが責任者であるので、いっそうのやりがいを感じていることだろう。普段から屋台を手伝ってくれているダダの長姉やドーンの末妹も、その場で元気に働いていた。
俺たちは列を成して、右隣のかまど小屋へと移動する。
近年になって増築された、新しいかまど小屋である。こちらはとりわけ規模が大きいので、俺とトゥール=ディンの組がまとめて作業できるほどであった。
俺たちが到着するまではこちらのかまど小屋も使われていたようで、室内には熱気が残されている。
作業台には、こちらでお願いしていた食材が山積みにされていた。
「それじゃあ、作業を開始しよう。トゥール=ディンも、頑張ってね」
トゥール=ディンは、笑顔で「はい」と応じてくれる。もう竜神の民の威容にもずいぶん見慣れてきた頃合いであったし、本日はひさびさにオディフィアをお招きしているので、喜びの思いもひとしおであるのだろう。かえすがえすも、《青き翼》の面々と早々に友好的な関係を築くことができたのは幸いな話であった。
そうして俺たちが作業に励んでいると、表のほうはどんどん賑やかになっていく。
まずは、森辺内の招待客や貴族たちが到着したのだろう。作業を始めて半刻も経った頃には、こちらのかまど小屋にも灰色の瞳を輝かせたオディフィアがやってきたのだった。
「トゥール=ディン、いそがしいのに、ごめんなさい」
開いたままであった戸板から顔を覗かせたオディフィアが、人形のごとき無表情のままもじもじとする。その愛くるしい姿に、トゥール=ディンはたちまち温かな笑顔となった。
「おひさしぶりです、オディフィア。美味しい菓子を準備しますので、どうか楽しみにしていてください」
オディフィアはいっそう瞳をきらめかせながら、「うん」とうなずく。
その上から、母親たるエウリフィアも笑顔を覗かせた。
「今日はわたくしたちも参席することがかなって、本当に嬉しく思っているわ。羽目を外してしまわないように心がけるので、どうぞよろしくね」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
そうしてしばらくは、ジェノス侯爵家の母娘に見守られながら作業を進めることになった。
さすがに十六名ものかまど番が集っているため、オディフィアたちは戸板の外にたたずんだままでの見学だ。それで、声の届く位置にいるかまど番がお相手をするという格好であった。
「エウリフィアたちは、これが《青き翼》の方々との初の対面になるのですか?」
そんな質問を投げかけたのは、レイ=マトゥアである。
ちょっと離れた位置でかまどに火を焚いていた俺は、エウリフィアが「ええ」と応じる声を背中で聞くことになった。
「これまでは、メルフリードに止められていたの。貴婦人の身で参ずることが許されていたのは、きっとリフレイアひとりなのでしょうね」
「そうですか! わたしは屋台でたびたび顔をあわせていますけれど、ラキュアの民というのはとても実直で信用が置けるように思いました!」
「メルフリードやポルアースたちも、そう言っていたわ。ラキュアの方々は北の民のように恐ろしげな姿をされているけれど、何も恐れる必要はない、と……それに、迫力だったらドンダ=ルウやグラフ=ザザも負けていないという話だったわ」
「あはは! わたしも、そう思います! ……あ、もちろん、いい意味でですからね!」
レイ=マトゥアのそんな言葉は、この場で働く族長たちの息女に向けられたもののようである。その代表として、リミ=ルウが「あはは!」と無邪気な笑い声を返した。
「リミも、そう思ったよー! みんな怒ったら怖そうだけど、一番怖いのはドンダ父さんかもねー!」
「だからポルアースたちも最初から怯まずに、ラキュアの方々と真っ当な交流を育めたのかもしれないわね。突き詰めれば、それも森辺の方々のおかげということだわ」
エウリフィアの言葉は冗談めいていたが、俺も同じようなことを考えていた。森辺の民と数年来のつきあいがあったからこそ、貴族の面々も竜神の民の迫力に気圧されなかったのではないかと思うのだ。それぐらい、彼らは誰も彼もが魁偉なる容姿をしていたのだった。
(それにやっぱり、性格っていうのは顔に出るからな。顔の厳つさは互角でも、厳格な性格をしたドンダ=ルウやグラフ=ザザのほうが迫力はあるんだろう)
それももちろん、いい意味でである。ドンダ=ルウたちが迫力で負けていないというのは、俺にとって誇らしい話の部類であった。
そうして楽しく作業を進めていると、下りの四の刻に差し掛かったあたりでエウリフィアが「あら」と声をあげる。それで俺が振り返ると、我が愛しき家長殿の麗しき姿がエウリフィアの隣に並んでいた。
「姿が見えないと思ったら、アイ=ファはいま到着したのかしら?」
「うむ。念のため、《青き翼》よりは先んじておこうと思ってな」
アイ=ファは半休の予定を組んで、昼下がりまで森に入っていたのだ。それで捕獲したギバに始末をつけてから、のんびり参じたのだろうと察せられた。
「ブレイブやラムたちも、本家に預けておいたぞ。あやつらの食事の世話も忘れぬようにな」
「もちろんさ。アイ=ファも、お疲れ様」
俺が遠い位置から笑顔を送ると、アイ=ファも目もとだけで微笑みながら「うむ」と応じる。そんなアイ=ファに、隣のエウリフィアが笑いかけた。
「アイ=ファも、慰労の晩餐会以来よね。今日はアイ=ファの宴衣装を拝見できるのかしら?」
「いや。森辺において宴衣装を纏うのは、婚儀の祝宴のみと決めている。例外もなくはないが、今日のところは差し控えるつもりだ」
「あら、そうなのね。やっぱりまだラキュアの方々を警戒する気持ちが残されているのかしら?」
「そちらは、関係ない。どちらかといえば、ティカトラスのほうだな」
「ああ、なるほど。ティカトラス殿がアイ=ファの美しさに騒いでいたら、せっかく丸く収まった話が蒸し返されてしまうかもしれないものね」
エウリフィアはくすくすと笑い、アイ=ファはむっつりと押し黙る。まあ、ドゥルクはティカトラスの軽薄さを嫌っていると公言していたので、刺激しないに越したことはなかった。
「でも、アイ=ファの宴衣装を拝見できないのは残念な限りだわ。近日中に、城下町の祝宴にお招きしたいところね」
「うむ。しかし……間もなく新たな外交官がやってくるというのなら、多少は身をつつしむべきではないだろうか?」
「いえ。むしろ、そのときこそ盛大に祝宴を開いて、アスタたちに腕を振るってもらうべきでしょう。ジェノスの行状は逐一報告されているのだから、今さら取りつくろう必要はないはずよ」
と、エウリフィアはころころと笑った。
「そうしてアスタが腕を振るえば、どんな頑固な御方でも心を開いてくださるかもしれないしね。おたがいに手を携えて、新たな外交官殿と確かな絆を育みましょう」
「うむ。そしてその前に、まずはフェルメスと絆を深めておきたいところだな」
それは、俺とアイ=ファの共通認識である。このままフェルメスとお別れになってしまうというのは、心残りでならないのだ。
(フェルメスなんかは、何も気にしてないように振る舞ってるけど……内心では、どうなんだろうな)
もちろん今日もフェルメスは参席するので、かなう限りは交流を深めたいところである。
しかしまた、《青き翼》に建築屋の面々まで参ずるのだから、こちらは大忙しだ。交流を深めたい相手がぞろりと居揃っていて、嬉しい悲鳴を止められそうになかった。
そうしてその後はリフレイアやメリムやデルシェア姫も見学に回ってきたため、エウリフィアとオディフィアは名残惜しそうに立ち去っていく。
それから下りの五の刻に達すると、門番さながらに立ちはだかっていたアイ=ファが声をあげた。
「《青き翼》が到着したようだな。そちらは、挨拶が必要なのではないか?」
その刻限に居合わせていたのは、デルシェア姫である。ロデを始めとする武官だけを引き連れていたデルシェア姫は、「ちぇーっ」とはしたない声をあげた。
「せっかくひさびさに、アスタ様の調理を見学してたのになー! まあ、こればっかりは、しかたないか!」
「うむ。今日の主眼は、《青き翼》との交流であろうからな。デルシェアも、そのために参じたのであろう?」
「えへへ。実のところ、わたしは竜神の民なんてものに興味はないんだけどねー。あの人たち、ジャガルには近づこうともしないからさ!」
「ふむ。たしか、海流やらいうものの影響で、ジャガルに向かうのは困難であるという話であったな」
「どうやら、そうみたいだねー。まあ、ダームの商船みたいに大陸沿いに進めば、どうってことないんだろうけどさ。それじゃあダームと商売がかぶっちゃうから、旨みが少ないんだろうねー」
そんな風に言いながら、デルシェア姫はにぱっと笑った。
「ま、とりあえずお役目を果たしてくるよ! アスタ様、また時間があったら、よろしくねー!」
「はい。どうぞお気をつけて」
そうしてデルシェア姫も、緊迫感をみなぎらせた武官たちとともに立ち去っていった。
後に残されたのは、アイ=ファとジルベのみである。アイ=ファが呑気にジルベの頭を撫でていたので、俺は作業のかたわらで笑いかけることにした。
「アイ=ファは、挨拶に出向かないのか?」
「森辺の族長筋に貴族まで居揃っていたら、挨拶だけで行列ができるぐらいであろう。今日はファの家が責任を負う祝宴でもないし、私が出張る必要はあるまい」
「そっか。まあ、俺たちなんかはずいぶん交流を深めてきたほうだろうから、他の人たちに順番を譲るべきなのかもな」
そんな言葉を交わしている間にも、表はどんどん騒がしくなっていく。
もちろん不穏な雰囲気ではなく、祭の開始が近づいているような賑々しさだ。フォウやサウティの血族の多くは初めて竜神の民と相対するのだから、好奇心を刺激されてならないはずであった。
「そういえば、リュウバなんかはどうするんだろうな。あの巨体だと、土間からはみだしちゃいそうじゃないか?」
「《青き翼》の荷車とリュウバは、広場の隅に控えさせるのだとバードゥ=フォウが言っていたぞ。あちらの荷車には《青き翼》の富がすべて詰め込まれているので、目の届かない場所に置くのは不安であるのだそうだ」
そこでアイ=ファは何かを思い出したように、「それに」と言葉を重ねた。
「《青き翼》はこの祝宴のさなかに、自慢の品を披露したいと申し述べていたそうだ」
「自慢の品?」
「うむ。竜神の王国から運んできた、貴重な品々であるらしい。それを売りさばくことができなければギバの干し肉や腸詰肉を大量に買いつけることも難しいので、貴族と森辺の民に一考してもらいたいとのことだ」
「貴族だけじゃなく、森辺の民もか。俺たちが欲しがるような商品があるのかなぁ?」
「知らん。まあ、期待をかける甲斐はなかろうな」
物欲の薄いアイ=ファは、まったく関心がないようである。
いっぽう俺も、そんな値の張る品に手を出そうという気はない。ここはやっぱり、貴族の面々に期待をかけたいところであった。
それから半刻ていどが過ぎて、ようやく調理も一段落である。
俺を除くかまど番たちは、大急ぎで外に出ていった。アイ=ファを除く未婚の女衆は、おおよそ宴衣装を纏う予定であったのだ。俺は最後にかまど小屋を出て、アイ=ファとジルベとともにのんびり広場を目指すことにした。
「おお、アスタにアイ=ファ! お疲れさん!」
と、広場に出るなり、メイトンが笑いかけてくる。あと半刻ばかりで日没になるため、建築屋の面々も到着したのだ。俺も笑顔で「お疲れ様です」と返事をした。
「無事に到着されて、何よりでした。今日も何事もありませんでしたか?」
「ああ。浮かれて屋根から落ちるようなやつもいなかったよ。あちこちから美味そうな匂いが漂ってきて、胃袋が引き千切れそうだ」
そのように語るメイトンを筆頭に、建築屋の面々は期待に顔を輝かせている。そんな中、ひとり仏頂面であったバランのおやっさんが進み出てきた。
「今日は、さすがの賑わいだな。これまでの祝宴とは、ずいぶん様子が違っているようだ」
「ええ。何せ、貴族や王族の方々までいらっしゃっていますからね」
俺はじわじわと薄暮に包まれつつある広場を見回した。
すでに祝宴が開始されたかのような賑わいで、広場には熱気が満ちている。《青き翼》の面々は広場の片隅にひとかたまりになって、まだ貴族や森辺の民に取り囲まれていた。
「おやっさんたちも、初日以降はほとんど接点もなかったんですよね? 何か不安なことはありませんか?」
「べつだん、どうということもない。この十日ていどで、あやつらもすっかりジェノスに馴染んだようだしな」
「確かにな」と、アルダスも笑顔でうなずく。
「俺自身、露店で商売に励むあいつらの姿に、すっかり見慣れちまったよ。やっぱりこれは、ジェノスならではの話なんだと思うぜ?」
「ジェノスならでは、ですか?」
「ああ。こんなに南と東の民が入り混じる領地なんて、他にそうそうないだろうからな。それ以外にもあちこちの土地から人間が集まってきてるし、そこに竜神の民なんてのがまぎれこんでも、大して気にならないってこった」
「そうそう。それに、貴族や王族がこんな森の中にまで出向いてくるってのも、ジェノスならではなんだろうと思うよ」
メイトンが言葉を添えると、他の面々も笑顔でうなずいた。
慰労の晩餐会を経て、彼らも貴族や王族に免疫ができたのだろう。広場を囲む森の中には数十名の衛兵が待機しているはずであったが、それを気にする様子もなかった。
(まあ確かに、ここまで雑多な人間が寄り集まる土地なんて、他にそうそうないんだろうな)
だからこそ、俺のような異邦人も早々に溶け込むことができたのかもしれない。
何にせよ、この雑多な熱気を味わえるだけで、俺はとても満たされた心地であったのだった。




