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異世界料理道  作者: EDA
第九十四章 青き竜の子ら
1617/1695

試食の晩餐会③~真情~

2025.5/1 更新分 1/1

・本日はコミックス第12巻の発売日となります。ご興味をお持ちの御方はよろしくお願いいたします。

「次の献立は、干し肉を使った汁物料理です」


 大きな卓に沿って横移動をして、俺は次なる料理を紹介した。

 汁物料理も、簡素な献立と細工を凝らした献立をひと品ずつ準備している。前者は干し肉とアリアとティンファだけを使った汁物料理、後者は豆乳ベースの汁物料理であった。


「干し肉にはギバ肉の旨みが凝縮されていますので、入念に煮込むと濃厚な出汁が取れます。また、加工の際に使用している塩と香草も溶け出しますので、調味料を使わなくても立派な汁物料理に仕上げることが可能です。ただその代わりに、干し肉そのものは出し殻になってしまって味気ないですし、食感も台無しです。具材の主役は野菜であると割り切った料理ですね」


「なるほどなるほど。確かにこの煮汁は、上等な味わいでやすねぇ。くにゃくにゃになっちまった干し肉は、素っ気ない限りでやすが……まあ、干し魚で出汁を取るのとおんなじってこってすか」


 やはり港町を根城にしていたギーズは、そういった料理にも造詣が深いようだ。食材の商談の相手として、ギーズはまったく不足がなかった。


「それを発展させたのが、こちらの料理となります。干し肉の他に貝類からも出汁を取って、具材もふんだんに使っていますので、城下町の祝宴にも出せる出来栄えではないかと自負しています」


「おお、こいつは確かに申し分ねえや。それに……なんだか、懐かしい味がするようでやすねぇ」


「ええ。西の王都から買いつけた貝類を使用しています。あれは、ダームが産地なのですよね」


 俺が使用したのは、ホタテガイモドキである。南の王都から買いつけた牡蠣のごときドエマと並んで、良質の出汁が取れる貝類のツートップであった。


 さきほどのピザでは至極順当に満足そうであったドゥルクとバルファロも、こちらの汁物料理では目の色を変えている。それでバルファロが異国の言葉で何かをまくしたてたため、ギーズが通訳してくれた。


「親分がたも、ご満悦のようでやすよ。できればアスタの旦那を船のかまど番に迎え入れたいぐらいだなんて言っておりやすねぇ」


 アイ=ファが眉をひそめると、ギーズはにんまり笑いながら手を振った。


「もちろん軽口を叩いてるだけなんで、心配はご無用でさあ。アスタの旦那が了承してくれるんなら、話は別でやすが……そんな気は、さらさらありゃしませんでしょう?」


「はい。俺は森辺に骨をうずめる覚悟ですので」


「ええ、ええ。聞くところによると、アスタの旦那はシムの王子様からの申し出すら突っぱねたそうで。そんなお人が、商船のかまど番を引き受ける道理なんざありゃしませんからねぇ」


 ギーズもバルファロも最初から冗談口であったのであろうが、アイ=ファはそういう話題にひときわ過敏であるのだ。アイ=ファはむっつり押し黙ったまま、口がとがるのを懸命にこらえている様子であった。


「これで、干し肉は終了です。次は、腸詰肉の卓に移りましょう」


「承知しやした。引き続き、よろしくお願いいたしやす」


 俺たちの周囲でも、ひとかたまりになった一団が卓を巡っている。ユン=スドラたちも問題なく案内役を全うできているようで、いつしか大広間にはそれなり以上の熱気があふれかえっていた。


「腸詰肉では、レイナ=ルウに解説をお願いできるかな? そもそも腸詰肉を今の形に完成させたのは、レイナ=ルウだしね」


 俺がそのように呼びかけると、レイナ=ルウは凛々しい面持ちで「承知しました」と一礼した。


「腸詰肉も簡素な料理と細工の多い料理を、二種ずつ準備しています。こちらは水で戻した腸詰肉をポイタンの生地ではさんだだけの料理、こちらはそこに調味料と具材を加えた料理になります」


 細工の多い料理とは、すなわちホットドッグである。具材は腸詰肉と千切りのティノのみであるが、タラパに各種の調味料と香草を加えたチリソースを掛けて、刺激的な味わいに仕上げている。腸詰肉に配合された各種の香草とも調和するように仕上げられた、レイナ=ルウならではのひと品であった。


「ゲルドや南の王都や《銀の壺》に売り渡す腸詰肉は、ひと月以上も保存する必要がありますので入念に水抜きをしています。そのままでも口にできないことはありませんが、干し肉と大差ないぐらいの硬さですので、料理の具材として使うには水で戻すほうが望ましいように思います」


「なるほどなるほど。ジェノスの城下町で売りに出す際には、そうまでガチガチに干し固めちゃいねえってこってすね?」


「はい。そちらは十日も保存できれば十分だという話でしたので、水で戻す必要もないぐらいやわらかく仕上げられています。むしろ、食する際には熱を通すほうが望ましいぐらい、生鮮に近い状態にあります」


「それはそれで美味そうでやすが、こっちも負けておりやせんねぇ。まあ、まずは素っ気ないほうからいただきやしょう」


 そうしてギーズたちは腸詰肉をポイタンの生地でくるんだだけの料理を口にしたが、それでも「へえ」と感心していた。


「こいつは干し肉と、まったく違った食べ心地でやすねぇ。こいつが本当に、干し肉とおんなじぐらいガチガチだったんで?」


「はい。干し肉を水で戻すには味が抜けてしまうぐらい煮込む必要がありますが、腸詰肉はもともと肉を刻んでいますので、その肉の隙間に水がしみこむぐらいの見当で十分です。よって、味のおおよそを残したまま、やわらかく仕上げることが可能です」


 それは俺が指南した話であったが、レイナ=ルウはもう完全に自分の血肉にしている。これらの腸詰肉の料理も、すべてレイナ=ルウの指揮で作りあげられたのだ。


「香草がきいてるんで、これだけでも立派な食事でさあね。それで、こっちは……ああ、期待にそぐわないお味でやすねぇ」


 立派なホットドッグを口にしたギーズは、満足そうに目を細める。ドゥルクとバルファロも、心から満足している様子だ。

 そして、同じものを口にしたガズラン=ルティムは、笑顔でメルフリードとヴィケッツォのほうを見た。


「森辺では腸詰肉を口にする機会が少ないので、とても新鮮な心地です。メルフリードやヴィケッツォは、如何でしょうか?」


「ジェノス城では、時おり腸詰肉を買いつけている。しかし、森辺の料理とは出来栄えが違っているので、新鮮な心地であることに変わりはない」


 そのように答えてから、メルフリードは視線でヴィケッツォをうながす。ヴィケッツォは今回も、しかたなさそうに口を開いた。


「わたしたちは城下町に留まることも少ないので、腸詰肉の料理は数えるていどしか口にしたことがありません。何にせよ、これは素晴らしい味わいでしょう」


 と、ヴィケッツォが発言するたびに、ドゥルクはぎょっとした様子で目を向ける。

 そしてヴィケッツォが振り返ると、やっぱり目をそらしてしまった。


(なんだろう? 言葉の内容は、あんまり関係がなさそうだよな)


 そうしてけっきょく、両名はまったく言葉を交わそうとしない。ギーズたちも余計な世話を焼く気はなさそうなので、ガズラン=ルティムがさりげなく誘導しているのであろうが、それも不発であるようだ。

 そんな両名のさまを見届けてから、ガズラン=ルティムはフェルメスとジェムドにも目を向けた。


「フェルメスに意見を聞けないのは、残念なところです。ジェムドは、如何でしょう?」


「はい。わたしどもは基本的にジェノス城のお世話になっていますので、腸詰肉を口にする頻度はメルフリード殿と大きく変わらないように思います」


 と、ジェムドはジェムドで従者に徹しているので、会話も弾まない。それでフェルメスは獣肉を口にできないため、本日はいっさい食事ができない立場であった。


「竜神の王国からダームまでおもむく際には、あなたがたも保存食を口にされているのでしょう? やはり、獣肉ではなく魚介が主体なのでしょうか?」


 フェルメスが別の方面から話をふくらませようとすると、ギーズがそれを通訳して、バルファロが答えた。


「やっぱり竜神の民は、獣肉より魚介が主体のようでやすねぇ。竜神の王国は周りがみんな海でやすから、獣を育てるより魚をとっつかまえたほうが苦労も少ないようでさあ」


「なるほど。ですが、ギバ肉には強い魅力を抱いたというわけですか」


「親分がたは、肉なら何でも喰らいやすぜ。もちろんその中でもギバ肉は上等な部類でやしょうが、何より売り物としての価値を重んじてるんでさあ。何せ、ジェノスのギバ料理の高名は大陸中に轟いておりやすからねぇ」


「具体的に、アスタやギバ料理の存在はどこまで知れ渡っているのでしょう? さすがに王都の付近までは、広がっていないように思うのですが」


 フェルメスのやんわりとした指摘に、ギーズは「へへ」とせり出た鼻の頭をかいた。


「ついつい話を盛っちまう性分なもんで、大仰な物言いにはご勘弁願いてえところでやすが……そうでやすねぇ。実のところ、ダームの港町でもギバ料理の噂は聞かないこともありゃしませんでしたが、王都を出てからのしばらくは、まったく耳にしなかったように思いやすよ」


「王都では森辺の民について取り沙汰される機会が多かったので、自然に風聞が広がったのでしょう。ですがやはり、近隣の領地に届くほどではなかったかと思います」


「そうでやすねぇ。それから、ギバ料理の風聞を耳にしたのは……ざっくり、荷車で半月ていどの距離に差し掛かったあたりでやすかねぇ」


「なるほど。ジャガルにおいても荷車で半月ほどかかるネルウィアにまで風聞が広がっているという話でしたので、平仄は合うようです」


 すると、ガズラン=ルティムが興味深そうに発言した。


「それは、アスタたちと懇意にしている建築屋の面々がネルウィアに住まっている影響なのでは?」


「いえ。ネルウィアにジェノスの風聞をもたらしたのは、建築屋ではなく行商人であったはずです。それで建築屋の面々は実情と異なる風聞が出回っていたため、心を痛めていたという話ではありませんでしたか?」


 フェルメスの返答に、ガズラン=ルティムは「ああ」と首肯した。


「確かに、そうでした。それでバランたちも、傀儡の劇で正しい情報が周知されることを喜んでいたのでしたね。……フェルメスは、どこでそのような話を耳にしたのです?」


「僕はバランの弟たるデルスからうかがいました。デルスが暮らすコルネリアにおいても、アスタやギバ料理の風聞は届いていたそうですね」


 ガズラン=ルティムと議論できることを喜ぶように、フェルメスはにこりと微笑んだ。


「現在のところ、ジェノスにまつわる風聞というのは荷車で半月圏内の区域までが濃密に広がっているのでしょう。それは傀儡使いの行動範囲とも重なっているのかもしれません。近年の彼女たちはジェノスを中心に巡回しているのでしょうから、やはりジェノスに近ければ近いほど情報の密度が高まるということです」


「なるほど。ただし、ジャガルに関してはダカルマスの影響も出ているようですね」


「ええ。美食家たるダカルマス殿下がアスタに勲章を捧げたということで、そちらも情報の起点になっています。おそらくは、ジェノスと南の王都を繋ぐ街道沿いの領地では、アスタの名があまねく広まっていることでしょう」


 そんな風に言ってから、フェルメスはギーズに向きなおった。


「つまり、西の王国においてはジェノスから半月圏内ですが、ジャガルに関してはさらに広くギバ料理の存在が知れ渡っているということです。あなたがたは、ジャガルにまで足をのばす計画はないのでしょうか?」


「そいつはまだ、なんとも言えないところでやすが……ジャガルってのは、ゼラドと懇意にしてるでやしょう? それでちょいと、忌避する気持ちがわいちまってるようなんでさあ」


 にんまりと笑いながら、ギーズはそのように答えた。


「でも、マヒュドラまでは足ものばせやしませんし、シムは言葉が通じないですからねぇ。残りの十ヶ月を存分に楽しむには、やっぱりジャガルを勘定に入れたいところでさあ」


「ジャガルにおいてゼラド大公国とゆかりが深いのは、西寄りの区域のみでしょう。ジェノスと南の王都を繋ぐ南北の街道を起点として、西に半月圏内は、ゼラドなど風聞でしか知られていないものと思われます」


「そいつは貴重な情報を、ありがとうございやす。俺もちょいと本腰を入れて、親分がたを説得させていただきまさあね」


 ギーズの返答に、フェルメスは満足そうに微笑んだ。

《青き翼》の役に立てたことを、ずいぶん喜んでいるようであるが――もしかしたら、ティカトラスに対抗する心理でも生まれているのだろうか。フェルメスはこれだけ聡明でありながら、人間関係についてはいささか子供じみている面があるのだった。


(でも何だか、ひさびさにフェルメスらしさを味わったような感覚だな)


 そんな思いを胸に秘めつつ、俺はレイナ=ルウの誘導で横移動した。

 試食の品としては最後の献立、腸詰肉の焼き物料理である。片方はいっさい調味料を使わずに野菜と一緒に炒めただけのもの、もう片方は同じ具材で調味料を駆使した料理であった。


 調味料の中核を成すのは豆板醤のごときマロマロのチット漬けで、ハバネロのごときギラ=イラもわずかばかりに使われている。あとは魚醤や貝醬やホボイ油に各種の香草も駆使して、中華とエスニックの混合とでもいった味わいに仕上げられていた。


 これもまた、腸詰肉に配合された香草と調和するように計算し尽くされた料理である。

 レイナ=ルウは城下町の屋台でも腸詰肉を使ってみようかと思案していたので、けっこうな前から調理法を研究していたのだ。その成果を口にしたギーズたちは、また感心しきった顔になっていた。


「いやぁ、ただ焼きあげただけのもんでも上等なのに、こっちのこいつは絶品でやすねぇ。それこそ、宮廷料理でも口にしちまったような心地でやすよ」


「過分なお言葉、恐縮です。ティカトラスにどれだけ食材費がかかってもかまわないと言っていただけましたので、わたしも最善を尽くすことがかないました」


 レイナ=ルウの言葉を自力で聞き取った様子で、ドゥルクはぷいっとそっぽを向いてしまう。

 そんな中、ヴィケッツォが眉をひそめながら茶の杯に手をのばすと、レイナ=ルウが慌ててそちらを振り返った。


「ヴィケッツォは、辛い料理が苦手なのでしたね。今日は幼子もいないので、ちょっと辛みを強くしていたのです」


「いえ。わたしのことは、どうぞお気になさらず」


 そんな風に答えてから、ヴィケッツォは溜息をこらえているような面持ちでドゥルクのほうを振り返った。


「何でしょう? 何かあるなら、率直にお願いいたします」


 そっぽを向いていたはずのドゥルクが、また驚きの表情でヴィケッツォを見つめていたのだ。

 ドゥルクがしどろもどろで何か答えると、ギーズがそれを通訳した。


「べつだん文句があるわけじゃありゃしませんので、自分ことはお気になさらず、だそうでさあ」


「しかしあなたはわたしが何か言葉を発するたびに、いちいち驚きの目を向けているように思います。わたしが西の言葉で語ることが、何か不思議なのでしょうか?」


 と、ついにヴィケッツォが激情家としての一面を覗かせた。


「わたしは母に生き写しだそうですが、西方神の洗礼を受けた西の民であるのです。どうか、そのことをお忘れなく」


 猫のように吊り上がったヴィケッツォの黒い目に、反感の思いがみなぎっている。

 すると――それを見返すドゥルクの目に、いきなり大粒の涙が浮かびあがった。

 今度はヴィケッツォのほうが、ぎょっとした顔で後ずさる。


「な、何ですか? どうしていきなり、涙など流しているのです?」


 ドゥルクは赤銅色に焼けた厳つい顔にぽろぽろと涙を流しながら、つっかえつっかえ語り始めた。

 隣のバルファロは呆れ顔で、ギーズはいつも通りのしたり顔だ。そうしてギーズは何事もなかったかのように、ドゥルクの言葉を通訳してくれた。


「ドゥルクの親分は、あんたが声までおっかさんにそっくりなことに仰天してたそうでやすよ。それでついつい心を乱しちまっただけなんで、嫌な気分にさせちまったんなら何べんでも詫びるそうでさあ」


 ヴィケッツォがいっそう驚いた様子で立ちすくむと、ドゥルクは悲痛に顔を歪めながら西の言葉を振り絞った。


「あなた……なにもかも、ははおや、そっくりです……まるで、かのじょ、いきかえったようで……わたし、くるしいです……そして、うれしいです……」


「な、何が嬉しいというのですか? わたしは……母では、ありません」


「わかっています……かのじょ、たましい、かえしました……そのじじつ、くるしいです……でも、あなた、のこしたこと……うれしいです……」


 ヴィケッツォは、何か迷うように視線を巡らせる。

 しかしこの場には、ティカトラスもデギオンもいない。それでヴィケッツォは怒っているかのように眉を吊り上げながら、ドゥルクに言葉を返した。


「あなたはそうまで、わたしの母に思いを寄せていたのですね。それ自体は、何も忌避するような話ではありませんが……ですが、わたしは母の子であると同時に、父たるティカトラス様の子でもあるのです。あなたがティカトラス様を忌避する限り、わたしも心を開くことはかないません」


 ドゥルクは涙をぬぐおうともしないまま、ギーズのほうを振り返る。あまり長い言葉は、聞き取ることが困難なのだろう。それでギーズが通訳をすると、ドゥルクもまた異国の言葉で語った。


「ええと、ちょいと話が入り組んでるんで、俺なりに整理しながら語らせていただきやすよ。……ドゥルクの親分は、あんたのおっかさんがアムスホルンの民と通じたことで竜神の怒りに触れたんじゃねえかと、そんな風に考えてたようでやすねぇ。だからあの、ティカトラスって貴族様のことが憎くて憎くてたまらなかったそうでさあ」


「……それは、いわれなき誹謗です。竜神の王国に、異国の民と通じてはならじなどという掟は存在しないのでしょう?」


 ヴィケッツォがたちまち眉を吊り上げると、ギーズは「ええ、ええ」と首肯した。


「ただし、竜神の王国によそもんを入れることは許されちゃいねえそうで。それであんたは最初っから貴族様の子として育てられることが決まってたから、竜神の洗礼を受けることもできず……けっきょく、船の上で生み落とされることになったそうですねぇ」


 それは驚くべき話であったが、ヴィケッツォ本人は挑むような顔つきで聞き入っている。どうやらダームの人々にとっては、周知の事実であるようであった。


「それでけっきょくあんたのおっかさんも早死にしちまったんで、ドゥルクの親分も貴族様を憎まないとやりきれなかったんでしょう。そんでもって、あの貴族様があんたのことを粗末に扱ってることにも腹を立ててたそうでやすねえ」


「粗末? あなたたちが、わたしたちの何を知っているというのですか?」


「俺らが知ってるのは、港町に出回ってる風聞ぐらいでさあね。あの貴族様はあんたを剣士に育てあげて、護衛役に仕立てあげたって評判でやしたからねぇ。年頃の娘に野郎の格好をさせて、大陸中を連れ回してるって聞いておりやすが……まんざら、デタラメってわけでもないんでやしょう?」


 ヴィケッツォはぐっと言いよどんでから、慌てて言いつのった。


「た、確かにそれは事実ですが、わたしは自ら剣士を志し、自ら同行を願っているのです。決して、護衛役を強制されているわけではありません」


「ええ、ええ。それでも親分の目には、あんたが不憫に見えちまったんでやしょう。あんな男の――おっと、失礼な物言いはご勘弁を――あんな男の子供に生まれついちまったばかりに、あんたは不本意な生を生きることになったんだと、そんな風に思い込んじまったわけでさあね」


 ギーズはほうは、むしろ得々とした様子で言葉を重ねた。


「でも、今日この場であんたを間近から眺めてるうちに、ずいぶん心持ちが変わってきたようでやすよ。あんたは見かけばっかりじゃなく、中身までおっかさんにそっくりだって思ったようでやすねぇ。こんなに真っ直ぐ育ったんなら、きっと自分の思う通りに生きてるんだろうと、胸のつかえが取れたみたいでさあ」


 すると、ドゥルクが滂沱たる涙に濡れた顔に幼子のごとき笑みをたたえた。


「……あなた、そんざい、うれしいです。あなた、そんざい、しゅくふくします」


 そんな言葉を投げかけられて、ヴィケッツォのほうも子供のように困惑してしまう。


「わ、わかりました。でも、あなたがティカトラス様を忌避する限り――」


「わたし、けいはくなにんげん、きらいです。でも、あなたのちちおや、そんちょうします。あなた、こうふく、いのります」


 やはりドゥルクは南の民に負けないぐらい、率直な人間であるのだ。

 そんなドゥルクにめいっぱいの善意をぶつけられたヴィケッツォは、やはり困惑の極みにあるようであった。


「……ティカトラス殿を忌避する気持ちがやわらいだのでしたら、何よりですね」


 フェルメスがするりと言葉をはさむと、メルフリードもすぐさま「ええ」と応じた。


「やはり、言葉も交わさぬままに正しき縁を紡ぐことはかなわないということでしょう。引き続き、ヴィケッツォ殿にはドゥルクとの絆を育んでいただきたい」


「あ、いえ、でしたら、ティカトラス様を……」


「ティカトラス殿ご本人とは、これからゆっくり交流していくべきでしょう。まずは、あなたが架け橋になるべきでは?」


 口調は礼儀正しいが、メルフリードの声には果然たる響きが備わっている。さしものヴィケッツォも子供のように唇を噛みながら、押し黙ることになった。

 そんなさまを見届けたギーズは「へへ」と笑いながら、俺のほうに向きなおってきた。


「なんとか丸く収まりそうでやすねぇ。アスタの旦那も、ありがとうございやした。もう料理の説明は十分でやしょうから、あとはこっちにおまかせくだせえ」


「え? もうよろしいのですか?」


「ええ、ええ。俺らばっかりお相手をしてもらってたら、他の連中に恨まれちまうんでさあ。あの傀儡の劇のおかげで、みんな旦那や家長さんと懇意にさせてもらいてえと思ってるんでやすよ」


 それでも俺が迷っていると、ガズラン=ルティムが耳もとに口を寄せてきた。


「ヴィケッツォは、アスタやアイ=ファの目を気にする節があるようです。ここは私が受け持ちますので、他の方々のお相手をされては如何でしょう?」


 確かにヴィケッツォは、ティカトラスに求婚されたアイ=ファに対して複雑な気持ちを持っているようであるのだ。俺たちがいないほうが、素直になれる面があるのかもしれなかった。


 そんな風に納得した俺たちは、ひとまず離脱させていただくことにする。

 手近なところにスドラとザザの面々がいたので、そちらに足を向けることにした。


「なんだ、もうそちらの案内は終了か?」


「うむ。ヴィケッツォとドゥルクの関係も一段落したようなので、身を引くことにした」


 アイ=ファがそのように答えると、ゲオル=ザザは「そうか」とドゥルクたちのほうを振り返った。


「では、今度は俺たちが様子を見させていただくか。あのギーズとかいう男の性根も、今少し見定めたいところであったしな」


 そうしてゲオル=ザザとスフィラ=ザザが立ち去って、残されたのはユン=スドラとライエルファム=スドラ、マドともう一名の団員、リフレイアとアラウト――そして占星師のアリシュナである。ユン=スドラと竜神の民たちは、とても嬉しそうな顔で俺とアイ=ファを迎えてくれた。


「アスタとアイ=ファも、お疲れ様です。こちらの方々も、本日の料理にご満足いただけたようです」


「はい、まんぞくです。あなた、すばらしいかまどばんです。もりべのたみ、どうほう、むかえいれた、なっとくです」


 そのように反応したのは、若き団員マドである。その発言は、傀儡の劇の内容を意識してものであるようであった。


「アスタ、こころ、きよらかです。また、ゆうき、たくさんです。わたし、あなた、そんけいします」


「そんな風に言っていただけるのは、恐縮の限りです」


 俺がそのように答えると、マドはいっそう嬉しそうに笑ってくれる。その表情があまりにあどけなかったので、彼は俺の想像よりもさらに若いのではないかと思えるほどであった。


「もりべのたみ、おなじぐらい、そんけいです。アイ=ファ、ライエルファム=スドラ、ゆうしゃです」


 と、もう一名の団員もそのように告げてくる。

 そして、ユン=スドラが笑顔で補足してくれた。


「あの劇に登場した狩人が家長であることを、ひと目で見抜かれてしまいました。これも、リコたちの手腕が素晴らしいという証ですね」


「ああ、なるほど。それでライエルファム=スドラも、尊敬されることになったわけですね」


 俺が笑顔を届けると、ライエルファム=スドラは無言のままに肩をすくめた。ライエルファム=スドラにしてみればそんな賞賛など面映ゆいばかりであるのだろうが、俺やユン=スドラにとっては誇らしい限りであった。


「実はわたしも、ひと目で正体を看破されてしまったのよ。傀儡使いの劇が見事であるというだけでなく、ラキュアの方々の観察眼が優れているということなのでしょうね」


 と、リフレイアも大人びた顔で微笑みながら、そう言った。


「おかげ様で、最初はずいぶん警戒されてしまったようだけれど……ご覧の通り、ラキュアの方々もわたしの罪を許してくださったようだわ」


「ええ。リフレイア姫と森辺の方々がすっかり和解できたと知って、とても喜んでくださったのです」


 と、アラウトも笑顔で言葉を添える。会が始まる前に見せていた緊張感は、すっかり解きほぐされたようだ。きっと竜神の民の率直さが、いい効果を生んだのだろうと察せられた。


 そうしてその場には、すみやかに和やかな歓談の場が形成される。

 するとアイ=ファは、声をひそめながらアリシュナに語りかけた。


「……そちらも、すっかり溶け込んでいるようだな」


「はい。晩餐会、招待していただき、とても嬉しい、思っています。このように、少人数、なおさらです」


「ふん。そもそもそちらは、審問の場にも立ちあっていたそうだな。竜神の民を相手に、シムの星読みが役に立つのか?」


 アイ=ファが俺の抱いていた疑問を代弁すると、アリシュナは「はい」と静かに一礼した。


「竜神の民、大陸の外、生まれたため、私、星、読めません。そちら、確認のため、フェルメス、呼ばれました」


「なに? では……竜神の民と『星無き民』の区別もつかんではないか」


 アイ=ファがいっそう小声になりながら鋭く問い質すと、アリシュナも声を低めながら「いえ」と応じた。


「竜神の民の星、暗闇、包まれていますが、曇天、隠れている、同様です。曇天の向こう、星、存在すること、明らかですので、『星無き民』、根本、違っています。『星無き民』、星そのもの、存在しないのです。見えない、存在しない、同義、異なります」


「……そうか。くだくだしく説明されても、私には理解できん。とにかく、それらを見誤ることはないということだな」


 アイ=ファがぶすっとした面持ちで身を引くと、アリシュナは「はい」とうなずいた。


「ただし、星読み、未熟であれば、見間違う、ありえます。チル=リム、見間違う、ありえるでしょう」


「迂闊にその名を口に出すな。いきなりどうして、あの娘の話になるのだ?」


「彼女、ドゥラの地、出向いたたためです。ドゥラ、竜神の民、存在する、聞き及びますので、遭遇していたら、『星無き民』、誤認する可能性、あります」


 そういえば、チル=リムはドゥラという海辺の地で《ギャムレイの一座》と巡りあい、無事に入団を果たしたという話であったのだ。その逸話は、俺たちもカミュア=ヨシュから聞き及んでいた。


「……そうか。しかしべつだん、チルは何も語っていなかった。あやつはお前のおかげで心の安息を得たのだから、竜神の民や『星無き民』と出くわしたところで、執着することにはなるまい」


「はい。アイ=ファ、賞賛、貴重です。私、誇らしい、思います」


「いちいちやかましいやつだな」


 と、アイ=ファが苦笑をこらえるような面持ちになったとき、どこからともなくティカトラスのけたたましい声が聞こえてきた。


「歓談のさなかに、失礼するよ! 次は森辺で親睦の祝宴を開いていただこうかと思うので、皆々にもそのように心得ていただきたい!」


 そのいきなりの発言に、アイ=ファやライエルファム=スドラは眉をひそめて、俺やユン=スドラはきょとんとする。


 ティカトラスは森辺の民や《青き翼》の面々と同じ輪を囲んでおり、その中から苦笑を浮かべたダリ=サウティが声をあげた。


「俺は前向きに考えると答えただけで、了承したわけではないぞ。残る族長たちに話を通さぬまま、そのような話を決めることは許されぬからな」


「わかっているさ! でも、どうせこの場にいる面々はおおよそ招待することになるだろうから、今の内に話を通しておこうかと思ってね!」


 おそらくそれは、既成事実を確立しようという魂胆もあったのだろう。とりあえず、俺たちのそばにいるマドともう一名は歓喜の表情になっていた。


「もりべのしゅくえん、じつげんしたら、わたし、こうふくです」


 若いマドなどは、世にも純朴な笑顔でそのように語っている。

 こんな笑顔を見せられたら、ドンダ=ルウやグラフ=ザザもそうそう固辞することはできないのではないかと思われた。


 ともあれ――その日の晩餐会は平穏かつ賑やかに終わりを迎えて、《青き翼》との交流に関しては次なるイベントに持ち越されることに相成ったのだった。

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