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異世界料理道  作者: EDA
第九十四章 青き竜の子ら
1615/1696

試食の晩餐会①~出陣~

2025.4/29 更新分 1/1

《青き翼》の一行とティカトラスの一行がルウの集落で出くわしてから、二日後――緑の月の二十日である。

 その日に、試食の晩餐会なる催しが開かれることに相成った。


 その趣旨は、《青き翼》の面々に干し肉や腸詰肉の料理を味わっていただくことである。

 会場は宿場町にあるサトゥラス伯爵邸、参加メンバーは《青き翼》と森辺の民、ジェノスの貴族、そしてティカトラスの一行である。


「しかしまた、思いも寄らない方向に話が転がったもんでやすねえ。さすがの俺も、なかなか頭が追いつきませんや」


 その当日の昼頃、屋台を訪れたギーズはにまにまと笑いながらそう言った。


「ま、こいつも商売のためでやすからねえ。ドゥルクの親分も何とか納得してくれたんで、今日はどうぞお願いいたしやす」


「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


《青き翼》がジェノスにやってきてから今日で四日目であり、俺もずいぶんギーズの人となりがわかってきたように思う。やっぱり彼はそれなりに屈折した人柄であったが、決して悪辣な人間ではないのだ。俺の印象としては、計算高くて内心を見せないやり手の商売人といったところであった。


 それに、竜神の民に対する親愛や信頼にも、まったく嘘はないのだろう。ギーズは自らも竜神の民として迎えてもらえるように、懸命に力を尽くしているのだ。そして竜神の民たちも、そんなギーズの覚悟や情熱を真正面から受け止めている様子であった。


 ちなみに彼らは昨日もルウの集落に招かれて、あらためて見物に勤しんだらしい。捕獲されたギバがどのようにさばかれて、干し肉や腸詰肉に加工されていくか、余すところなく見届けたのだそうだ。そしてその後は、ジバ婆さんとも存分に語らったのだという話であった。


 その間、ティカトラスは彼らを刺激しないように、城下町にこもっていた。そうして翌日の晩餐会に向けて、あれこれ根回ししていたのだろう。それで無事に、今日という日を迎えたのだった。


「ただね、今日ぐらいからぽつぽつ商品が売れ出したんでやすよ。どうも俺たちが二日連続で森辺の集落に招かれたってことで、ぼちぼち信用を得られたみたいなんでさあ。裏を返すと、森辺のみなさんがそれだけ町の方々に信用されてるってこってすねえ」


「そうですか。もしもそうなら、誇らしい限りです」


「ええ、ええ。もしも俺らが悪党だったら、森辺のみなさんがつるむわけはねえって話でさあね。まったくもって、ありがたいこって」


 ネズミのような顔で笑いながら、ギーズは身をひるがえした。


「じゃ、俺らも商売に励みまさあ。くれぐれも、夜はお願いいたしやす」


「はい。そちらも、頑張ってください」


 そうしてギーズと荷物持ちの二名が立ち去ると、入れ替わりで建築屋の面々がやってきた。


「よう、アスタ。けっきょく例の晩餐会ってのは、無事に開かれることになったのかい?」


「ええ。貴族の方々からお許しが出て、またサトゥラス伯爵家のお屋敷に招かれることになりました」


「まったく、ご苦労なこったね。まあ、丸く収まったんなら、何よりだ」


 と、アルダスはにこやかに笑った。竜神の民が危険な存在ではないと見なされて、安心したのだろう。それはおそらく俺たちの身を案じてのことなのであろうから、俺としてもありがたい限りであった。


「それであいつらは、腸詰肉などの美味い食べ方を習うわけだな。そんなことのために貴族の屋敷にまで引っ張り出されるとは、お前さんがたも難儀なことだ」


 と、おやっさんは相変わらずの仏頂面である。

 そういえば、おやっさんたちにもたびたびお土産の干し肉と腸詰肉を手渡しており、適切な調理の方法を口頭で伝えることになったのだ。それと比較しての、述懐であるのかもしれなかった。


「でもべつだん、彼らに調理の手ほどきをするわけではありませんからね。干し肉や腸詰肉を商品として扱う際に、お客さんに説明するための知識が必要なんだそうです」


「ふふん。しかし、腸詰肉の美味さを知っちまったら、うっかり自分たちで食い尽くしちまうかもしれないな」


 メイトンは、笑顔でそんな軽口を叩いていた。

 まあ、すべては本人たち次第である。それにそもそも、彼らが干し肉や腸詰肉を買いつけるかどうかも、まだ確定はしていないのだった。


(それよりも、まずはしっかり絆を結ぶことと……あとは、ティカトラスの都合だもんな)


 最終的に商売の話が取りやめられても、俺たちが損をするわけではない。今日の晩餐会も費用はすべてティカトラスもちであり、俺たちにも手間賃が支払われるので、どこにも文句をつける理由はなかった。


「……くれぐれも、油断だけはせんようにな」


 そんな言葉を残して、おやっさんたちも青空食堂に立ち去っていった。

 あとはひたすら、屋台の商売に注力である。こちらの商売を終えたのち、俺たちは護衛役の狩人と合流して、サトゥラス伯爵邸に向かう算段になっていた。


 本日は、十日間に延長した営業日の最終日である。

 また、城下町の屋台は初日に開始して一日置きの営業であるため、最終日の本日は休業となる。そして明日はどの商売も完全に休業ということにしたので、このタイミングだけ城下町の商売は二連休になるのだった。


 よって、宿場町の営業を終えた後は下ごしらえの仕事もなく、完全に自由時間だ。それは十連勤の疲れを癒やすための処置であったが、そこに晩餐会の日程を組み込んだ次第であった。


「けっきょく最終日も慌ただしい内容になっちゃって、申し訳なかったね」


 俺が隣の屋台に呼びかけると、ユン=スドラは「とんでもありません」と笑顔を返してきた。


「それよりも、《青き翼》の方々と穏便な関係が結べそうなことを、喜ばしく思っています。まあ、ティカトラスたちのほうはどうなるかもわからないのでしょうが……」


「うん。まあ、ティカトラスはティカトラスだからねぇ。あの性格が吉と出るか凶と出るかは、俺にも予測がつかないよ」


「そちらも穏便に済むように、祈りましょう。ティカトラスは、わたしたちにとっても恩義あるお人ですしね」


 と、ユン=スドラが俺の足もとに笑いかけると、ジルベが尻尾を振りたてながら「わふっ」と応じた。人間の護衛役はリャダ・ルウ=シンひとりに留められたが、ジルベもアイ=ファの言いつけで俺のそばに控えていたのだ。町に下りることを苦にしていないジルベは、本日もご機嫌な様子であった。


 そうして屋台の終業時間が近づくと、夜に備えた面々も宿場町に下りてくる。

 今日は護衛役であると同時に外交の役目も担うので、族長筋を主体にした顔ぶれだ。しかしもちろんアイ=ファも狩人の仕事を半休で切り上げて、参上した。


 調理を受け持つかまど番は七名で、俺、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイナ=ルウ、ララ=ルウ、スフィラ=ザザ、サウティ分家の末妹という顔ぶれになる。

 今日は菓子の準備をせず、オディフィアも欠席であったため、トゥール=ディンやリミ=ルウは除外されていた。


 護衛役はそれと対になる編成で、アイ=ファ、ライエルファム=スドラ、ラヴィッツの長兄、ジザ=ルウ、ガズラン=ルティム、ゲオル=ザザ、ダリ=サウティという顔ぶれであった。


 実のところ、今回は狩人の人員を優先する形で、かまど番の人選がなされたのである。

 簡単に言うと、ガズラン=ルティムがライエルファム=スドラとラヴィッツの長兄を推薦したため、それに合わせてユン=スドラとマルフィラ=ナハムが選出されたわけであった。


(森辺の民にしてみても、やっぱり《青き翼》との交流を第一に考えてるんだろうしな)


 以前にジザ=ルウも語っていた通り、商売の話というのは《青き翼》の側から持ちかけられたため応じたに過ぎない。そちらは途中で取りやめることになっても、いっこうにかまわないというスタンスであるのだ。


 しかし、《青き翼》はファの家のアスタやギバ料理の評判を聞き及んでジェノスにやってきたのだと公言している。

 ならば、森辺の民は力を惜しむことなく、彼らとの交流に努めなければならない――というのが、清廉にして誠実たる森辺の民の流儀であったのだった。


「とりあえず、団長のドゥルクなる者に挨拶をしてきたぞ。事前に聞いていた通り、悪しき心を隠し持っている様子はないようだな」


《青き翼》のもとまで挨拶に出向いたダリ=サウティは、落ち着いた笑顔でそんな風に言っていた。ライエルファム=スドラも異論はない様子でうなずいており、ラヴィッツの長兄はにんまりと笑っている。やはり竜神の民そのものは、森辺の狩人と相性も悪くないようであった。


「アスタ、お疲れ様です」


 と、終業時間の間際になって、新たな面々も到着した。

 慰労の晩餐会を終えた後もジェノスに滞在していた、傀儡使いの一行である。リコたちはずっと森辺の空き家で過ごしていたが、不確定要素の多い竜神の民とはなるべく接触しないように、これまで息をひそめていたのだった。


「やあ、リコたちもお疲れ様。晩餐会まで参加できないのは、残念だったね」


 リコたちはティカトラスの要請で、《青き翼》の面々に『森辺のかまど番アスタ』を披露することになったのだ。ただし、三幕すべてを披露するには一刻近くもかかるので、晩餐会が開始される前に終わらせるのだという話であった。


「いえ。つい数日前にもお招きされましたので、それはかまわないのですが……アスタには、ひとことお詫びをしておきたかったのです」


「お詫び? どうしてだい?」


「だって……今回の方々も東の王都の方々も、わたしたちの劇が呼び水になった面があるのでしょうから……」


 と、リコはしょんぼりうつむいてしまう。

 俺は「何を言っているのさ」と心からの笑顔を届けた。


「俺たちは、あやふやな風聞が広まるよりは正しい情報を広めるほうが望ましいと判断して、リコたちの申し出を受け入れたんだからね。それで俺や森辺の民に興味を持つ人間が増えたとしても、リコたちが気にする必要はないさ」


「でも……」


「それで結果的に色んな人たちと良好な関係を結ぶことになれたら、むしろリコたちに感謝するべきだろう? 実際、東の王都とは大々的な交易が始められることになったし、今回の方々も穏便に済みそうだからね。どうか自信をもって、これからも頑張っておくれよ」


「……本当に、よろしいのでしょうか?」


「うん。今日だって、《青き翼》の人たちはリコたちの劇を楽しみにしてるはずだよ」


 俺がそのように言いつのると、リコはようやく彼女らしい笑顔を取り戻してくれた。


「わかりました。ありがとうございます。アスタたちに後悔をさせないように、これからも励みます」


「うん、頑張ってね」


 そんな一幕を経て、屋台の営業は終了した。

 過半数のかまど番は森辺へと帰還して、俺たちはサトゥラス伯爵邸に出発だ。傀儡の劇の開始までにはまだ一刻ばかりの猶予があったので、《青き翼》の面々はまだ商売に励んでいた。


 ちなみにそれを見守る衛兵の一団は、本来のお目付け役である二名とその副官のみに留められている。ジェノスの立場ある面々も、日を重ねるごとに警戒レベルを下げているようであった。


「そういえば、《青き翼》の足取りを辿っていた部隊も、すべて帰参したそうです」


 と、サトゥラス伯爵邸までの道行きで、ガズラン=ルティムがそんな情報をもたらしてくれた。ルウの集落に、その旨を伝える使者が参じたのだそうだ。


「トトスの早駆けで一日半かかる場所に、立派な伯爵家の領地があるそうで。《青き翼》はその地の宿場町に踏み入った際、念入りに身元を確認されたようです」


「念入りに、ですか?」


「ええ。そちらでも彼らの足取りを辿って、いずれの領地でもおかしな騒ぎを起こしていないと確認したのだそうです。また、返り討ちにした山賊を衛兵に引き渡したという例もあったようですね」


 なんだか、どこかで聞いたような話である。カミュア=ヨシュや《ギャムレイの一座》も、そういった逸話を携えていたはずであった。


(たしか《颶風党》の連中も、それで刑場に送られたんだもんな)


 やはり大陸アムスホルンにおける長旅というのは、そういう危険がつきまとうのだ。《青き翼》の面々もそういう苦難を乗り越えて、このジェノスにやってきたわけであった。


「まあ、彼らが悪しき心を持っていないことは、信用していいと思います。あとは習わしの違いなどから不幸な誤解が生じないように努めるべきでしょうね」


「はい。ガズラン=ルティムがいてくれたら、そちらもひと安心ですね」


「とんでもありません。ですが私も油断せず、自分の役目を全うする所存です」


 そう言って、ガズラン=ルティムは見る者を安心させてやまない微笑を浮かべた。

 すると、いつの間にか接近していたラヴィッツの長兄が「ふふん」と鼻を鳴らす。


「それにしても、まさか竜神の民などというものと相対する日が来ようとはな。しかもあやつらは、森辺の勇者に匹敵する力量であるというのだろう? 俺などでは、護衛役もままならんのではないか?」


「いえ。彼らと刀を交えることにはならないはずですし、あなたであれば力量に不足もないかと思うのですが……如何なものでしょう?」


 と、ガズラン=ルティムは俺の隣を歩いていたアイ=ファに視線を転じる。

 凛々しい面持ちで歩を進めながら、アイ=ファは「うむ」と応じた。


「竜神の民というのはいささかならず特異な存在であるため、力のほどを見定めるのも容易ではないのだが……ラヴィッツの長兄であれば、後れを取ることもなかろうと思うぞ」


「ほう? 勇者は勇者でも、俺は木登りの勇者であるのだぞ。それでも、不足はないということか?」


「木登りの勇者ということは、卓越した身軽さを有しているということだ。それもまた、大きな力であることに変わりはあるまい。それに……竜神の民のほうも、全員が同じだけの力を持っているわけではないようなのだ」


 そのように語りながら、アイ=ファは思案深げに目を細めた。


「私が見たところ、頭ひとつ抜きんでているのはバルファロなる者で、それに次ぐのがドゥルクとマドということになり、残りの三名はまだしも与しやすいように思う。その中で、ラヴィッツの長兄をも上回っていると思えるのは、バルファロひとりだな」


「アイ=ファは、さすがですね。そこまで細かく相手の力量を見抜けるとは、大した眼力です」


 ガズラン=ルティムが感心したように声をあげると、アイ=ファは毅然と首を横に振った。


「何も確証のある話ではないので、感心されるいわれはない。ただ、ひとつ言えるのは……あやつらの誰もが、強靭なる足腰を有しているということだ。それで、いかなる際にも身体の軸が揺らがないため、誰もが手ごわいように感じるということだな」


 俺が思わず「なるほど」と相槌を打つと、ラヴィッツの長兄がすくいあげるような眼差しを向けてきた。


「アスタは何やら、腑に落ちた様子だな。かまど番たるアスタにも、相手の力を見抜く眼力が備わっているのであろうか?」


「いえいえ、そんな立派な目は持ち合わせておりません。ただ、彼らは熟練の船乗りだから足腰が強いのかなと考えただけです」


「ふむ? どうして船乗りは、足腰が強いのだ?」


「船というのは、いつも揺れているのでしょうからね。それに、長旅をしていれば嵐に見舞われることもあるでしょうから、強靭な足腰を持っていないと生命に関わるんじゃないかと思います」


 俺がそのように答えると、アイ=ファやガズラン=ルティムまで真剣な眼差しを向けてきた。


「アスタよ、お前はもしや……船というものに乗ったことがあるのか?」


「え? ああ、うん。ほんの一回や二回のことだけど……嵐に見舞われたことなんてないから、あくまで想像だよ」


「なるほど。島国で生まれ育ったアスタは、我々よりも海というものについて詳しいのですね。しかし、船なる乗り物に乗った経験をお持ちだとは考えていませんでした」


「ふふん。それで、船というのはそれほどまでに揺れるものであるのか?」


 ラヴィッツの長兄に追及されて、俺は「おそらく」と応じた。


「たとえば、川に浮かべた板の上に立つことを想像してみてください。その上で、バランスを――あ、いやいや、倒れないように気をつけるだけで、けっこう大変そうでしょう? 船ならもうちょっと安定しているでしょうけれど、揺れることに変わりはありませんし……嵐に見舞われたら、それこそ立っていることも難しいんじゃないかと思います」


「嵐とは、強い雨風のことだな? それで、そうまで揺れるのか?」


「はい。海だと遮蔽物がありませんから、陸地よりも大変な風が吹くのだと思いますよ。……それも、俺の想像ですけれども」


 俺の覚束ない説明に、アイ=ファたちはすっかり考え込んでしまった。


「そうか……何にせよ、常に揺れている場所で過ごしていたならば、足腰が強靭になるのも道理であろうな。だからあやつらは、ああまで隙のない身のこなしであるのか」


「ええ。そしてそれは、戦いの場においても大きな力になるのでしょう。足腰は、すべての力の源でしょうからね」


「ふふん。では、川に浮かべた板の上に立つ修練でもすれば、俺たちも同じ力を得られるのやもしれんな」


 そんな風に言ってから、ラヴィッツの長兄はまた俺の顔を見上げてきた。


「しかし、そもそもそのような真似が可能であるのか? 板に人間などが乗ったら、そのまま沈んでしまいそうなところだが」


「よっぽど大きな板じゃないと、沈んでしまうのでしょうね。むしろ、丸太を組み合わせるほうが早いかもしれません」


 俺がイカダを想像しながら答えると、ラヴィッツの長兄はにんまり微笑んだ。


「そういえば、以前にそれなりの大きさをした樹木がラントの川を流れていたのを見かけた覚えがある。おそらくは、腐って倒れた樹木が川に落ちたのであろうが……どうしてあのように重そうなものが、沈みもせずに浮くのであろうな?」


「それはおそらく、密度の関係ではないですかね。木はたくさんの空気を含んでいるので、水よりも軽くて浮くのだろうと思います」


「なるほど。アスタはかまど仕事の他にも、それだけの知識を携えているのか。さすが、大陸の外からやってきたと言い張るだけのことはあるな」


 そう言って、ラヴィッツの長兄はいっそうにまにまと笑った。


「しかもアスタは、船なるものに乗ったことがあるという。島国で生まれ育ったという話も、あながち虚言ではなかったというわけか」


「はい。ラヴィッツの長兄は、俺が虚言を吐いていると思っていたのですか?」


「俺はさておき、多くの人間はアスタが記憶違いを起こしていると信じていることであろうよ。そのほうが、よほど簡単な話であるからな」


 と、ラヴィッツの長兄は落ちくぼんだ目をきらりと光らせた。


「しかし、アスタの話がすべて真実であるとすると……余計に話がややこしくなる。大陸の外で生まれ育ったアスタが、わけのわからない力でモルガの森辺に放り出されたということになってしまうのだからな。荷車でひと月ばかりもかかる距離をひと息に飛び越えるなど、決して尋常な話ではあるまい」


「しかし、どれほど不思議な運命に見舞われようと、アスタに責任のある話ではあるまい?」


 アイ=ファが鋭く切り込むと、ラヴィッツの長兄は咽喉を鳴らして笑った。


「誰もアスタの責任などは問うていない。しかし、森辺の外ではうかうかと語らぬことだな」


「なに? どうして、そのような――」


「アスタが本当に大陸の外からやってきたとなると、また生まれ素性を詮索されかねないということだ。間もなく外交官が交代するというのなら、なおさらにな」


 アイ=ファは虚を突かれた様子で口をつぐみ、ガズラン=ルティムは静かな声音で「そうですね」と言った。


「おそらく王都の者たちも、アスタは正気を失っているか記憶違いを起こしているということで、納得したのでしょう。アスタが大陸の外で生まれ育ったという真実は、なるべく公言しないほうが望ましいように思います」


「そう……だな」と、アイ=ファは唇を噛みしめてから、ラヴィッツの長兄に目礼をした。


「……ラヴィッツの長兄はアスタの身を案じていたのに、責めるような言葉を口にして申し訳なかった。どうか、許してもらいたい」


「べつだん、詫びられるほどのことではない。アスタとて森辺の同胞であるのだから、その身を案じるのは当然の話であろう?」


 ことさら冗談めかした口調で、ラヴィッツの長兄はそう言った。


「しかしな、誰もがお前のように無条件でアスタの存在を受け入れているわけではない。お前が聞き流せるような話でも、聞き流せないと考える人間はいるのだ。森辺の外では、その事実をゆめゆめ忘れぬことだな」


「……承知した。ラヴィッツの長兄の忠告に、感謝する」


 アイ=ファはもういっぺん目礼をしてから、俺のほうに向きなおってきた。

 その青い瞳が、とても心配そうに瞬いている。俺は胸を詰まらせながら、「大丈夫だよ」と答えてみせた。


「俺も森辺の外では、海とかの知識をひけらかさないように気をつけるよ」


「うむ……しかし……真実を語るほどに、素性を疑われるというのは……決して楽しい話ではあるまい?」


「いいんだよ。森辺で隠し事をせずに済むなら、俺は十分に幸せさ」


 俺が心からの笑顔を届けると、アイ=ファもようやく表情をやわらげてくれた。

 そのタイミングで、ついにサトゥラス伯爵邸に到着する。立派な門の前に立っていた衛兵たちは、敬礼で出迎えてくれた。


「ようこそ、サトゥラス伯爵邸に。本日は、十四名様で間違いなかったでしょうか?」


「うむ。その他に、ファの家のジルベも連れているのだが」


 先頭に立っていたジザ=ルウが落ち着いた声で答えると、衛兵のひとりが破顔した。


「失礼しました。森辺の民が十四名様に、番犬が一頭ですね。では、荷車をあらためさせていただきます」


 これは貴族の屋敷に足を踏み入れる際の正式な手続きであったが、衛兵たちは荷車の帳をめくって覗き込むだけで、いかにも型通りの所作である。おそらくはリーハイムあたりから、形式以上の用心をする必要はないと言い渡されているのだろう。


 そうして俺たちは、三台の荷車とともに入場する。

 屋敷の手前でトトスと荷車を預けたならば、荷下ろしだ。おおよその食材は屋敷のほうで準備されているはずだが、腸詰肉と干し肉だけは持参した。これらもすべて、費用はティカトラス持ちである。


 それらの品々は、立派な体格をした従者たちが厨まで運んでくれる。その間に、俺たちは恒例の浴堂であった。

 さすがは貴族の屋敷であるので、浴堂の立派さは城下町と変わりがない。

 その奥側に床を掘った湯舟を発見したラヴィッツの長兄は、にまにまと笑いながら俺のほうを振り返ってきた。


「板でもあれば、浮かべてみたいところだったな。きっと他の狩人たちも、さきほどの修練には興味をそそられるだろうよ」


 俺は表情の選択に困りながら、「そうですか」と答えるしかなかった。森辺の外では口をつつしむべしと忠告しながら、自ら話題を蒸し返すという、ラヴィッツの長兄はそういう複雑な人柄なのである。


(でもやっぱり、偏屈なところはあっても頭は切れるし、根っこは親切な人だよな)


 むしろ、その親切さを押し隠すために、偏屈な態度を取っているのではないかと思えるほどである。ラヴィッツの長兄とギーズが対面したらどのような会話が繰り広げられるのか、今から楽しみなところであった。


 そうして浴堂を出ると、俺にだけ白い調理着が準備されている。やはり貴族も参ずる食事の場では、こちらに着替える必要があるのだ。まあ、清潔であるに越したことはないので、俺としても異存はなかった。


 そのまましばらく待機して、女衆とジルベも身支度を整えたならば、ようやく厨に出陣だ。

 すると、そちらにはリーハイムが待ちかまえていた。


「よう、お疲れさん。こんなすぐさま森辺のみんなを迎えることができて、嬉しく思ってるよ」


 上機嫌のリーハイムに、レイナ=ルウも笑顔で頭を下げる。この屋敷で慰労の晩餐会が開かれたのは、四日前の話であった。


「ティカトラス殿も、たまには気のきいたことをしてくれるもんだぜ。それに、そっちは竜神の民とも上手くやってるようだな。森辺のみんなもあいつらを悪人じゃないと見なしたんなら、心強い限りだぜ」


「うむ。審問には、リーハイムも立ちあったのであろうか?」


 ダリ=サウティの問いかけに、リーハイムは「そりゃまあね」と肩をすくめた。


「何せあいつらは、宿場町に腰を据えようとしてたんだからな。俺も親父殿も、雁首をそろえることになったよ。まあ、あの馬鹿でかさには仰天させられちまったけど……迫力だったら、ドンダ=ルウやディック=ドムも負けてねえからな。俺もそうそう怯まずに済んだよ」


「そうか。そしてそちらも、竜神の民は危険でないと判じたのだな」


「ああ。まあ、フェルメス殿の口添えもあったからな。あのお人がいなかったら、たいそう難渋しただろうと思うよ」


 そう言って、リーハイムは苦笑を浮かべた。


「それで丸く収まったと思ったら、今度はティカトラス殿のおかげでこの騒ぎだ。森辺のみんなをお招きできるのは、ありがたい限りだが……血を見るような騒ぎにならないことを祈るばかりだぜ」


「きっと、大丈夫でしょう。ティカトラスも、決して愚かな人間ではありませんので」


 ガズラン=ルティムの返答に、リーハイムは「だと、いいよな」と肩をすくめた。


「ま、こっちも厳重に守りを固めてるからよ。みんなは心置きなく、調理に励んでくれ。その間に、俺たちは傀儡の劇を楽しませていただくからさ」


「はい、おまかせください」と、レイナ=ルウが力強い面持ちで返答した。

 かくして、俺たちは立派な厨に踏み込んで、本日最後の大仕事に取りかかることに相成ったのだった。

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― 新着の感想 ―
そちらも穏便に済むように、祈りましょう。ティカトラスは、わたしたちにとっても恩義あるお人ですしね 恩義なんかあったっけ?
おお、ラヴィッツの長兄がいつになく思慮深いぞw
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