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異世界料理道  作者: EDA
第九十四章 青き竜の子ら
1613/1702

交流と商談③~ルウの集落~

2025.4/13 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

 かくして俺たちは、《青き翼》の一行を引き連れてルウの集落を目指すことになった。

《青き翼》は店じまいをして、七名の団員の全員が荷車に乗り込んでいる。けっきょく現時点では、ひと品も売れていないそうだ。彼らがジェノスで商売に励むには、まず住民の信用を勝ち取る必要があるようであった。


 そして、お目付け役の人間は四名だけ同行している。責任者である二名の武官と、その補佐をする二名の衛兵だ。彼らは車ではなく、二頭のトトスに二名ずつまたがってしんがりを務めていた。


 本日はもともとルウ家で勉強会を行う日取りであったので、俺を始めとする小さき氏族の面々もルウの集落に同行する。やはり誰もが、ことの顛末を見届けたいと願っているのだろう。もしも本当に《青き翼》と商売の契約を結ぶことになるのならば、それは森辺のあらゆる氏族に関わりが生じるのだった。


「おお、けっきょく竜神の民とやらを連れ帰ったのか! これは、宿場町まで出向く手間がはぶけたな!」


 と、ルウの集落に到着するなり、ラウ=レイに出迎えられた。


「あれ? ラウ=レイは、ルウの集落で何をやっていたのかな?」


「今日はこちらで勉強会だと聞いたので、ヤミルを送ってやったのだ!」


 どうやら護衛の任務を解かれても、レイ家は休息の日取りとしたようである。そして、ラウ=レイのかたわらではコタ=ルウが目をきらきらと輝かせながら、けばけばしいペイントが施された荷車を見つめていた。


「やあ。コタ=ルウは、ラウ=レイと遊んでたのかな?」


「うん。……あれ、りゅうじんのたみ?」


「そうだよ。ドンダ=ルウと、話をしに来たんだ」


 ルウ家はまるごと休息の日取りとしたため、数多くの家人が遠巻きに荷車を見守っている。トトスと似て異なるリュウバの存在だけで、人々の興味をかきたてるには十分であったろうし――さらに、荷台から竜神の民たちが登場すると、あちこちからどよめきがあげられた。


「おお、こいつは本当に森の中でやすねえ。くすんだ心が洗われるような心地でさあ」


 ギーズは、いつもの調子でにまにまと笑っている。

 そうして竜神の民たちが一ヶ所に寄り集まると、母屋の玄関口から様子をうかがっていたドンダ=ルウが力強い足取りで近づいてきた。


「族長ドンダ、こちらが竜神の民および案内役のギーズです」


 ジザ=ルウの言葉に「ああ」とうなずいてから、ドンダ=ルウは力感のこもった眼差しで竜神の民たちを見回した。


「俺はルウ本家の家長で三族長のひとり、ドンダ=ルウだ。そちらが悪しき心を持っていないのならば、客人として歓迎しよう」


「お招き、ありがとうございやす。もちろん悪さをするつもりなんざ毛頭ありゃしませんので、懇意にしてもらえたら幸いでさあね」


 ギーズはドンダ=ルウの威容に恐れ入った様子もなく、赤毛の巨漢ドゥルクを指し示した。


「こちらが《青き翼》を取り仕切る、ドゥルクの親分でさあ。親分も、ご挨拶をどうぞ」


「わたし、ラキュアのたみ、ドゥルクです。おまねき、かんしゃです」


 ドゥルクもまた落ち着き払った様子で、ドンダ=ルウと相対している。

 あらためて、ドンダ=ルウよりもふた回りも大柄であるのが、圧巻だ。ただし、ヒグマとライオンが対峙しているようなものであり、迫力のほどにまさり劣りはなかった。


「宿場町では、彼らの素性をつぶさにうかがうことになりました。また、こちらもアスタの素性を説明して、おたがいに納得がいったようです。それで、商売の話を進めるべく、ルウの集落に案内をしました」


 ジザ=ルウの報告に、ドンダ=ルウは「そうか」とうなずいた。


「では、俺も存分に語らわせていただこう。……ファの家のアスタに、ツヴァイ=ルティム。貴様たちも、同席しろ」


 ツヴァイ=ルティムは屋台の当番であったので、一緒に帰還していたのだ。ツヴァイ=ルティムが仏頂面で進み出ると、ガズラン=ルティムもそれに続いた。


「よろしければ、私も同席させてください」


「かまわんぞ。しかし、この人数を家に招くのは、難儀だろうな」


 ルウの本家の広間であれば、二ケタの人数を招くことも可能である。ただし竜神の民というのはひとりでふたり分の質量があるので、六名全員を招くのは難しそうなところであった。


「こっちは俺を含めて三人ばかりもお招きいただけたら、十分でやすよ。その間、他の連中はあれこれ見物させてもらえやせんかね?」


「ふむ。あれこれとは?」


「さしあたってはギバ肉の現物と、そいつをどんな具合に加工してるかでやすねえ。あと、干し肉の他にも売りもんにできそうなもんがありやしたら、それについてもご説明を願いたいところでさあ」


「なるほど」と応じつつ、ドンダ=ルウはかたわらに控えていたミーア・レイ母さんに視線を転じる。感心しきった面持ちでドゥルクたちの巨体を見上げていたミーア・レイ母さんは、いつも通りの朗らかさでにこりと笑った。


「それじゃあ、あたしが案内させていただきますよ。あたしは家長ドンダの伴侶で、ミーア・レイ=ルウってもんです」


「おお、さすが族長さんのご伴侶ってのは――あ、いやいや、森辺のお人の見てくれを褒めそやすのはつつしむべしって話でやしたねぇ。こいつは、危ないところでやした」


「はは。そんな言葉をぶつけられたのは、何年ぶりのことかねぇ。それで、あたしがご案内するのは、どのお人らだい?」


 このたびも、語らいの場に臨むのはギーズとドゥルクとバルファロの三名であった。残る四名は、集落の見学である。

 ミーア・レイ母さんにはジザ=ルウとダン=ルティムが付き添い、こちらにはガズラン=ルティムとゲオル=ザザが同行する。そして、他なるかまど番たちは勉強会であるので、ルド=ルウやラウ=レイたちはそちらに同行するようであった。


「それじゃあコタは、ダルムの家に行っておいで。サティ・レイたちも待ってるからね」


 ミーア・レイ母さんにうながされたコタ=ルウはまだ竜神の民たちに目を奪われながら、横歩きで移動していく。その間に、ドンダ=ルウが言葉を重ねた。


「客人を家に招く際には、鋼を預かることになっている。面倒であれば、武器を荷車に置いていってもらいたい」


「承知しやした。当然の用心でやすね」


 ギーズが異国の言葉で伝えると、ドゥルクたちは気を悪くした様子もなく手斧や半月刀を荷台に放り込んだ。

 そしてギーズは、派手なペイントが施された外套を脱ぎ捨てる。その下に纏っていたのは長袖の胴衣と脚衣で、薄着になると老人のように曲がった背中がいっそう目立った。


「……そちらは何か、深手を負ったのか?」


 ドンダ=ルウが重々しい声音で問いかけると、ギーズは「へい」と笑った。


「でかい岩の下敷きになって、背中が真っ直ぐのびなくなっちまったんでさあ。ま、生命が助かっただけ、もうけもんでさあね。おかげさんで悪さをする力もないんで、心配はご無用でさあ」


「ふん。難儀なことだな」


 それだけ言って、ドンダ=ルウはきびすを返した。

 俺とアイ=ファ、ガズラン=ルティムとゲオル=ザザ、そしてツヴァイ=ルティムの五名が、ドンダ=ルウに追従する。お目付け役の武官は、近衛兵団の組がこちら、護民兵団の組が残る四名に同行するようであった。


 これでこちらの総勢は、十一名だ。これならば、ドゥルクとバルファロを迎えてもそれほど窮屈な思いをせずに済みそうなところであった。


 アイ=ファたちの大刀および俺の短刀はドンダ=ルウの手に預けて、ともに玄関の戸板をくぐる。

 すると、広間の奥側にはジバ婆さんとティト・ミン婆さんが控えていた。


「なんだ、もう出張ってやがったのか」


「うん……難しい話をする前に、挨拶だけでもと思ってねぇ……」


 ジバ婆さんが居残っていたとは考えていなかったようで、アイ=ファはちょっと心配そうな眼差しになる。しかしジバ婆さんは、常と変わらぬ様子で穏やかに微笑んでいた。

 そんな中、ギーズたちも土間にあがりこみ――その中から、ドゥルクが驚きの声をあげた。


「……そちら、どなたですか?」


「これはルウ家の最長老、ジバ=ルウだ。遠来の客人に興味をかきたてられる気質なので、挨拶だけでもさせてもらいたい」


 ぶっきらぼうに応じながら、ドンダ=ルウはジバ婆さんのかたわらにどかりと座り込んだ。

 残る森辺のメンバーは、車座の左右を構成する形で着席する。そして、ジバ婆さんの正面に膝を折ったドゥルクとバルファロが、深々と頭を下げた。


「ジバ=ルウ、おあい、こうえいです。わたし、ラキュアのたみ、ドゥルクです。こちら、どうほう、バルファロです」


「ご丁寧に、ありがとうねぇ……でも、こんな老いぼれに、そんな大層な挨拶は無用だよ……」


「いえ。ろうたい、うやまう、かならずです。ラキュア、おきてです」


 ほとんど床の敷物に額をこすりつけるようにしてから、ドゥルクは上目づかいにジバ婆さんを見返した。


「しつれいなら、おわびです。ジバ=ルウ、よわい、いくつですか?」


「べつに失礼なことはないだろうさ……あたしは、八十八になっちまったねぇ……」


「はちじゅうはち……ラキュア、それほどのよわい、すくないです。うやまい、ひつようです」


 と、ドゥルクは再び顔を伏せてしまう。

 ジバ婆さんは可笑しそうに、顔をくしゃくしゃにして笑った。


「こんな長々と生き永らえたって、周りのみんなに迷惑をかけるばっかりだけど……そのおかげで、あんたがたみたいな客人を迎えることもできるからねぇ……難しい話が終わったら、またあたしとも語らっておくれよ……」


「はい。もうしで、こうえいです」


「それじゃあ、あたしは引っ込むとするかねぇ……アイ=ファたちも、また後でゆっくりとねぇ……」


 ティト・ミン婆さんに手を借りて、ジバ婆さんは寝所に引き返していった。

 ドゥルクとバルファロは何事もなかったかのように身を起こし、膝を崩して座りなおす。その姿に、ギーズが笑い声をあげた。


「そっちのお国ではご老体を敬うもんだって聞いてやしたけど、そんなにもかしこまらないといけねえんでやすねえ。またひとつ、勉強になりやしたよ」


「せかい、しれん、たくさんです。しれん、たくさん、のりこえた、ろうたい、ゆうしゃです。ゆうしゃ、うやまう、かならずです」


 ドゥルクは悠然たる面持ちで、そのように言いつのった。それがごく当然の話であるので、ことさら気張る必要はないといった雰囲気だ。

 当然のことながら、アイ=ファやガズラン=ルティムはそんなドゥルクのことを好意的な眼差しで見守っている。今のところ、竜神の民の習わしというのは森辺の民の気風と合致しているようであった。


「それじゃあ、話を進めさせてもらおう。俺はまだ、そちらの素性も大してわきまえちゃいねえが……こまかい話は、のちのち息子どもに聞かせてもらう。今はそちらがどのような申し出をするのか、聞かせてもらいたい」


「へい。俺たちは各地を巡って、売りもんになりそうな品を買いあさっておりやす。で、ジェノスに辿り着く間にもさんざんギバ料理の評判を聞き及んだもんで、ギバの干し肉か何かを取り扱わせてもらえねえかと思いついたわけでさあね」


 ギーズはこのときに備えていた様子で、得々と語り始めた。


「昨日、貴族様にもひと通りの話をうかがったんでやすが、今のところジェノスの領外でギバ肉を買いつけてるのは、南の王都とゲルドとジギに限られるそうでやすねえ。それで、間違いはありゃしませんか?」


 ドンダ=ルウに視線でうながされて、俺が「はい」と応じることになった。


「とりあえず、それで間違いありません。なおかつ、南の王都とゲルドに関しては高い身分にあられる方々が個人的に買いつけているだけで、行商の品として買いつけているのは《銀の壺》というジギの商団のみとなりますね」


「ほうほう。そのジギの商団ってのは、どこでギバ肉を売りさばいてるんでやしょうねぇ? とりあえず、俺たちが辿ってきた道のりでは、ギバ肉なんざ見たこともないって話ばっかりだったんでやすよ」


「俺も詳しくは聞いていませんが、たぶんマヒュドラだと思います。最初に売りさばいたのがマヒュドラの集落で、とても好評だったという話でしたので」


「マヒュドラですかい。だったら、俺らの商売とぶつかることもありゃしませんねえ」


 と、ギーズはほくそ笑んだ。


「あと、ギバにまつわる商品ってのは、どんなもんが存在するんです? それと、そういったもんはどれぐらいジェノスの外に流れてるんでやすかねぇ?」


「それに関しては、貴族の方々のほうがお詳しいかと思いますが……森辺の民は宿場町で、ギバの角と牙と毛皮を売りさばいています。それは工芸品などに加工されて、あちこちに売られているようですよ」


 たとえばアルヴァッハなども、工芸品に加工された牙や角を家族への土産として買いつけた、という話であったのだ。


「なるほどなるほど。それじゃあ、骨なんかは如何です? さっき狩人さんのおひとりが、ギバの頭骨を兜みたいにかぶってやしたよねえ」


「あ、西の王都の貴族がギバの頭骨を買いつけたことがありました。でもそれは特別な例で、普段は売り物にされていません」


「そうですかい。シムではギャマの骨なんかを工芸品やら楽器やらに仕立てておりやすが……そもそもギバってのは、どんな獣なんで? 獅子やら大熊やらに負けねえぐらいおっかねえ獣だって風聞を耳にしやしたけど、けっこうなでかぶつなんでやしょう?」


 と、ギーズはドンダ=ルウの背後を透かし見る。そこには巨大な頭骨や、サウティの狩り場で仕留めた森の主の牙などが飾られていたのだ。


「ギバはけっこう、個体差があるみたいです。……って、こういった話は狩人の方々にお聞きするべきでしょうね」


「はい。ギバはちょうど、大人の人間と同程度の重さと考えるべきでしょう。アイ=ファぐらいの重さであったり、ドンダ=ルウぐらいの重さであったりと、さまざまです。時には、途方もなく巨大なギバが現れることもありますが……それは数年に一度のことですので、計算に入れる必要はないでしょう」


 ガズラン=ルティムが、穏やかな声でそのように応じた。


「また、子供のギバは親に守られているため、滅多に捕らえることもありません。年老いたギバは身も細っていますので、持ち帰らずに森に返すことが多いかと思います」


「なるほどなるほど。こっちにも手先の器用なやつがいるんで、牙やら角やら骨やらも自力で細工できるかもしれやせんねえ。よかったら、町で売りさばいてるのと同じ額で、ひとそろい拝借できやしませんか?」


「それはかまわないかと思いますが、頭骨の準備にはいささか手間がかかったという話でしたね?」


 と、ガズラン=ルティムはゲオル=ザザに目を向ける。ティカトラスのためにギバの頭骨を準備したのは、たしか北の一族であったのだ。ゲオル=ザザはドゥルクたちのほうを見据えたまま、「そうだな」と首肯した。


「余計な肉やら何やらを溶かすために、入念に煮込むことになった。ずいぶんな時間と薪が必要だったと聞いている」


「そいつを、如何ほどで売りさばいたんで?」


「知らん。ティカトラスのやつめが山ほど銅貨を準備していたので、半分以上は突き返したという話であったな。……おい、なんだ?」


 と、ゲオル=ザザが腰を浮かせた。

 ドゥルクが突如として、身を乗り出してきたのだ。その海のように青い瞳は、爛々と燃えさかっていた。


「*****? ティカトラス? **********?」


「ああ、ティカトラスだ。お前は、あいつを知っているのか?」


 ドゥルクの激情に呼応して、ゲオル=ザザも物騒な目つきになっていく。

 すると、ギーズが「まあまあ!」と声を張り上げた。


「ちょっと落ち着きやしょう。ほら、バルファロは親分をなだめるんだよ。……どうしていきなり、そんな名前が飛び出しちまうんですかねえ。ひょっとしたらあの酔狂な貴族様も、ジェノスに出入りしてるんで?」


「ええ。この近年で、ティカトラスはたびたびジェノスを訪れています。昨日の審問で、ティカトラスの名前は挙がらなかったのですか?」


 ガズラン=ルティムの問いかけに、ギーズは「ええ」と肩をすくめる。


「幸か不幸か、そんな名前が飛び出すことはありゃしませんでしたねえ。貴族様にこんな物騒な顔つきを見られなかったのは、幸いってことにしておきやしょうか」


「そうですか」と、ガズラン=ルティムはどこか苦笑をこらえているような面持ちで俺に視線を向けてくる。それで俺も思案して、納得した。


(もしかしたら、フェルメスがあえてティカトラスの名前を出さないように取り計らったのかな)


 フェルメスは自由奔放に生きるティカトラスに対して、ずいぶん複雑な気持ちを抱いているようであるのだ。そんなティカトラスの威光にすがりたくないという思いが、フェルメスの内に生じたのかもしれなかった。


 しかしドゥルクはティカトラスに恐れ入るどころか、憤激の面持ちになっている。それをなだめるバルファロのほうは、どちらかというと苦々しげな面持ちであった。


「ふん……そちらのドゥルクとやらは、ティカトラスと悪縁を持っているのか?」


 ドンダ=ルウの問いかけに、ギーズは「ええ、まあ」と薄い頭を撫で回した。


「だけどまあ、そんな大騒ぎするような話じゃありゃしませんよ。……言っちまってもいいですね? こちらのドゥルクの親分は、そのティカトラスって貴族様と大昔に女を取り合うことになったそうなんでやすよ」


「女……貴族と竜神の民が、同じ女をか?」


「ええ、ええ。ただ、横紙破りだったのはそのティカトラスって貴族様のほうでやすよ。なんせ、その女ってのも竜神の民だったそうでやすからねえ」


「そ、それはもしかして、黒竜神の民ですか?」


 俺が思わず声をあげると、ギーズはもっともらしい面持ちで肩をすくめた。


「ティカトラスって貴族様が出入りしてるってことは、自慢の娘さんもご一緒なんでやしょうねえ。お察しの通り、ドゥルクの親分と取り合ってたのは、その娘さんのおっかさんだそうでさあ。ドゥルクの親分は、まんまと出しぬかれちまったわけでやすねえ」


 あまりといえばあまりの展開に、アイ=ファやツヴァイ=ルティムは溜息をついていた。どうやらこれまでティカトラスの名前を伏せていた俺の判断は、あながち間違っていなかったようである。


「娘さんがあれだけ立派に育ってるってこたあ、親分と貴族様がしのぎを削ってたのもずいぶんな大昔ってこってすよねえ。それなのにこんな大騒ぎするなんざ、まったくもって情の深いこって」


「あなた自身は、ティカトラスたちと交流はなかったのでしょうか?」


「ええ、ええ。その貴族様は場末の酒場にもずかずか踏み込んでくる豪気な御方でやすけれども、こっちも貴族様なんぞに用事はないんで、近づかないように心がけておりやしたよ」


「では、ティカトラスもあなたがたがダームを出て大陸中を巡っていることは、ご存じでないのでしょうか?」


「さてねえ。風聞ぐらいは耳にしてるかもしれやせんが、俺らの知ったこっちゃありやせん。……ま、こっちはその貴族様が立ち寄らないような場所を選んでたんで、この二ヶ月は出くわすこともありゃしませんでしたしねえ」


「ティカトラスが立ち寄らないような場所を、予測できたのですか?」


「へへ。あちらさんも貴族様とは思えないぐらい腰が軽いようでやすが、さすがにマヒュドラのそばにまでは足をのばせねえんでね。それで俺たちは、ことさら北回りの道行きを選んだってわけでさあ」


 あまりに危険な区域におもむくことは、ヴィケッツォやデギオンたちが許さなかったのだろう。ガズラン=ルティムも納得した様子で、「なるほど」と首肯した。


「事情はわかりました。我々もティカトラスとはひとかたならぬ縁があり、森辺に招待する機会も多いのですが……何か問題はあるでしょうか?」


「いえいえ。たとえその貴族様と出くわしたって、親分が暴れるようなことはありゃしませんよ。貴族様に盾突くなんざ、王国で一番の掟破りでしょうからねえ」


「そうですか。ティカトラスはこの緑の月か来月にはジェノスに戻ってくると言い置いていましたので、そちらも心の準備をしていただければと思います」


「承知しやした。じゃ、気を取り直して、商売の話を進めさせていただきやしょうか」


 その後は、ギバの干し肉や腸詰肉の価格について論じ合うことになった。

 ここで活躍するのが、ツヴァイ=ルティムである。彼女は干し肉や腸詰肉の流通に関して、すべての現状をわきまえていた。


「干し肉や腸詰肉ってのは仕上げるのに手間がかかる分、値が張るんだヨ。ジェノスでも城下町でしか買い手がつかないけど、アンタたちに手を出せるの?」


「そいつはこのジェノスで、どれだけの稼ぎをあげられるかにかかってまさあね。いっそ森辺の方々に俺らの品を買っていただけたら、話は早えんですがねぇ」


「フン。森辺の民に、無駄なモンを買いつける習わしはないけどネ」


「俺たちが扱ってるのは、どれもこれも一級品でやすよ。ドゥルクの親分がたは生粋の商売人なんで、見る目も確かなんでさあ」


 そんな風に言いながら、ギーズはぽんと手を打った。


「そうそう。だからまずは、干し肉や腸詰肉のお味も確認させてもらわねえといけやせんねぇ。ギバ肉の質は屋台でしっかり確認できやしたけど、加工の具合でどんなもんに仕上がるかはわかりゃしませんからねぇ」


「フン。どうせ最初っから、そういう魂胆だったんでショ? 下手に芝居を打つと、頭の固い連中に信用されないヨ」


「うへえ。こいつは、お見それいたしやした」


 と、ツヴァイ=ルティムとギーズの間でも、軽妙に話が進められていく。ギーズの調子に変化はないが、やはりツヴァイ=ルティムも商売の話では如才がないのだ。ツヴァイ=ルティムに任せれば、森辺の民が損をする恐れはないように思われた。


「でもサ、帰り道で家長に聞いたけど、アンタたちは一年きっかりで故郷に帰るってんでショ? だったら、森辺の民と商売するのも、その期間だけってことだよネ」


「へえ。それで何か、不都合でも?」


「不都合あんてありゃしないけど、一回や二回の商売の稼ぎなんて、たかが知れてるからネ。こっちが肩肘を張るような話じゃないってことサ」


 ツヴァイ=ルティムが肩をすくめると、ギーズは「へへ」と鼻の頭をかいた。


「お話は、いちいちごもっとも。ただ、ドゥルクの親分がたはずいぶん大陸の旅がお気に召したようでやすからねぇ。一年こっきりで故郷に戻っても、またしばらくしたら大陸での行商に乗り出すかもしれやせんぜ」


「フン。そんな先の話は、勘定に入れられないサ。とにかく、こっちの売り値はさっき話した通りだから――」


 と、そこでツヴァイ=ルティムは口をつぐみ、アイ=ファたちは玄関口に視線を向けた。なにやら、表のほうが騒がしくなってきたのだ。


「うん? なんでやしょうねぇ。うちの連中は、間違ってもおかしな騒ぎを起こしたりはしないはずでやすが」


「おそらく、そちらは関係ない。何者かが、集落に踏み入ってきたのだ」


 そんな風に言ってから、アイ=ファは深々と溜息をついた。


「しかし、この声は……客人がた、くれぐれも心を乱さぬようにな」


「へい? それは、どういう――」


 ギーズが小首を傾げかけたとき、玄関の戸板が叩かれた。


「家長ドンダ、ちょっと面倒なことが――」


 戸板ごしに、ジザ=ルウの声が響きわたる。

 しかしそれは、すぐに別なる声にかき消された。


「いやあ、まさか噂に聞く竜神の民の商団が、ジェノスを訪れているとはね! 彼らはもっと北寄りの区域で、西と北の間を取り持っているのかと思っていたよ! わたしも是非、責任者の御方に挨拶をさせてくれたまえ!」


 妙に甲高くて浮ついた、壮年の男性の声――それを聞き違える人間は、そうそういなかったことだろう。それで俺もアイ=ファと一緒に溜息をつき、ドゥルクは再び青い双眸を燃やすことになった。


 ティカトラスが、ジェノスに戻ってきてしまったのだ。

 それがどうして、よりにもよって今日であったのか。俺たちは、四大神か竜神のどちらかに運命をもてあそばれているような心地を味わわされることに相成ったのだった。

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― 新着の感想 ―
今回は来て欲しくなかったなぁw 色恋は本当にめんどうくさいw
あちゃー
うぜぇのがきたーーー!
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