交流と商談②~素性~
2025.4/12 更新分 1/1
本来の終業時間である下りの二の刻の四半刻前に、屋台の料理はすべて売り切れることになった。
あとは屋台の片付けと青空食堂からお客がはけるのを待つばかりであるので、俺ひとりが抜けても支障はない。俺はジザ=ルウの要請で、アイ=ファともども竜神の民のもとに向かうことに相成った。
同行するのは、ジザ=ルウ、ガズラン=ルティム、ダン=ルティム、シン・ルウ=シン、ゲオル=ザザの五名である。アイ=ファを含めて、竜神の民と同数の狩人で出向くことにしたのだ。ルド=ルウとディック=ドムおよびジルベは、青空食堂のそばで待機であった。
「おお、これはこれは、森辺のみなさんがた。お手数をかけて、申し訳ありやせんね」
商品を並べた敷物の奥側に座していたギーズが、ひょこりと身を起こす。他に店番をしていたのは二名の竜神の民で、その片方はマドであった。
「それじゃあまあ、奥のほうにずずいとどうぞ。マド、こっちはしばらくまかせたからな」
マドは「はい」と、うっそりうなずく。今も敷物の前には、ひやかしのお客がずらりと居並んでいた。
俺が横目で確認したところ、露店に相応しい品々が敷物に並べられている。ちょっと異国風の飾り物や織物に、細かい細工が施された小物入れや革細工や真っ黒の毛皮など――《銀の壺》などが出す露店と大差のない品ぞろえであるようだ。
そうしてこちらが荷車の押し込まれた奥のほうに歩を進めると、また近衛兵団の若き武官が単身で忍び寄ってくる。ギーズはそちらに目を向ける手間もはぶいて、得々と語り始めた。
「いやあ、ジェノスは景気がいいって話でやしたけど、まだまだ財布の紐が固いですねえ。ま、俺らがあやしい人間じゃねえって知れれば、ちっとは商売になるでしょう」
「他の地でも、こうして行商していたのですね?」
ガズラン=ルティムが如才なく相槌を打つと、ギーズはひょこひょこと歩きながら「ええ、ええ」とうなずいた。
「ドゥルクの親分がたが故郷から持ち込んだ品とダームの港町で買いあさった品を元手にして、西の王国を北回りでぐるりと巡ってきたんでやすよ」
「北回りですか。マヒュドラとの境は、危険だったのではないですか?」
「砦のある領地さえ避ければ、どうってことはありゃしません。山賊なんぞは、自力で片付けることができますし……ぶっちゃけ、ドゥルクの親分がたは北の連中とも懇意にしてるんで、そうそう襲われることもねえんでやすよ」
「ああ。竜神の民は、マヒュドラとも商売をしているのですね」
「ええ、ええ。だけど俺を案内人にしたからには、北の地に足を踏み入れることもできやしません。懇意にしていたのは船に乗っていた間なんで、心配はご無用でさあね」
「では、どうして竜神の民が船を下りることになったのだろうか?」
ジザ=ルウが質問をはさむと、ギーズはいつもの調子でにんまり笑った。
「こまかい話は、親分がたに聞いてくだせえ。ま、そいつを通訳するのが俺の役割なんでやすがね」
そうして雑木林の手前にまで押し込まれていた荷車に到着すると、ギーズは遠慮なく出入り口の扉を叩いた。
「ドゥルクの親分、森辺の方々がいらっしゃいやしたよ。……*****、*********」
後半は、巻き舌の発声による異国の言葉である。
しばらくして扉が開かれると、金色の頭をした巨漢がねぼけまなこで俺たちを見回してきた。
「なんだ、優雅にお昼寝かい。まったく、気楽なもんだねぇ。ドゥルクの親分を起こしておくれよ」
金髪の巨漢が引っ込むと、今度は赤毛の巨漢が顔を出した。
そちらもいくぶん眠たげな面持ちであったが、俺たちの姿を見回すと、にっと白い歯をこぼす。そういう笑顔の無邪気さは、南の民に負けていなかった。
「ようこそ、もりべのみなさん。わたし、《あおきつばさ》、だんちょう、ドゥルクです」
「ああ、《青き翼》ってのは、適当につけた名前でやすよ。商団に名前をつけたほうが、あれこれ便利な面があるもんでしてね」
そのように説明するギーズの隣に、赤毛の巨漢ドゥルクがのそりと下りてきた。冬眠から覚めたヒグマのような風情である。
さらにもう一名、さきほどとは異なる金髪の巨漢も首筋をかきながら登場する。右目の下に大きな古傷のある、ひときわ迫力のある顔立ちだ。
昨日の食堂では見かけなかったので、食事を後に回された三名のひとりであるのだろう。大男ぞろいである竜神の民の中でもとびきりの巨体で、ドゥルクよりもさらに十センチは大きかった。
「ほうほう! お前さんは、ずいぶんな手練れであるようだな!」
と、こちらからはダン=ルティムが身を乗り出す。金髪の巨漢はうろんげにそれを見返してから、異国の言葉をギーズに投げかけた。
「こちらはバルファロといって、この一団でも一番の力自慢でありやすね。ただ、西の言葉は一番お粗末なもんで、ご容赦くだせえ」
「そうかそうか! お前さんとは、力比べに興じてみたいものだな!」
ダン=ルティムは、好奇心にどんぐりまなこを輝かせている。俺にしてみれば誰もがまさり劣りのない迫力であったが、歴戦の狩人には小さからぬ相違を見て取れるのだろう。
(この体格だけで、圧巻だもんなぁ)
アイ=ファとシン・ルウ=シンを除く四名の狩人はいずれも百八十センチを超える長身であるのに、竜神の民は誰もが二メートルを超える巨体であるのだ。それはディック=ドムやミダ・ルウ=シンやジィ=マァムを上回るサイズであるのだから、本当に巨人の群れといった様相であった。
(トゥランで働かされていた北の民たちも上背はそれほど負けてないけど、食生活がよくなかったから痩せ気味だったもんな。こんなに馬鹿でかい人間っていったら……対抗できるのは、《ギャムレイの一座》のドガぐらいか)
ドガであれば、体格も顔つきの厳つさも負けていない。彼はつるつるに頭を剃りあげていたので、髪と髭を加えたら見分けもつかないぐらいなのではないかと思われた。
「あんまりでかいのが居揃っても邪魔なだけでしょうから、こっちはドゥルクの親分とバルファロがお相手するそうでさあ。荷台じゃ手狭なんで、そっちの木陰で腰を落ち着けやすかい?」
「うむ。べつだん、人の耳をはばかるような話ではないのだろうからな」
「ええ、ええ。俺たちも、後ろ暗いところはひとつもありゃしませんからねえ」
くつくつと笑うギーズの先導で、俺たちは雑木林の内側へと踏み入っていく。
すると、そこで待ち受けていたのは四頭のトトスならぬ獣である。その姿に、ダン=ルティムがまた「おお!」と声を張り上げた。
「これが噂の、謎なる獣か! 確かにトトスと似たような体格をしておるが、まったく異なる姿だな!」
「そいつは親分がたが竜神の国から引き連れてきた、リュウバって獣でやすねぇ。トトスよりも頑丈で力持ちなもんで、重宝しておりやすよ」
「ほうほう! 旅芸人が連れていた砂蜥蜴やらいう獣とも、ずいぶん趣が違っているようだな!」
ダン=ルティムのはしゃいだ声を聞きながら、俺も内心ではずいぶん好奇心をかきたてられていた。昨日も屋台ごしにその姿は拝見していたが、何せ彼らは巨体であるため、なかなか全容が把握しきれなかったのだ。
あらためて間近に迎えると、ゲルドの大柄なトトスよりもさらにひと回りは大きい。トトスよりも首が短いために頭の高さは同程度であったが、そのぶん逞しさが際立っていた。
丸っこい胴体に二本の足と長めの首という特徴は、トトスと同様にダチョウと似たところがある。しかし、首や足もがっしりとしているため、どちらかといえば恐竜を連想させた。それにこちらのリュウバには、トトスには存在しない長い尻尾が生えのびていた。
その全身が鉄灰色の鱗に覆われており、足の先には巨大な鉤爪が生えている。ただ、口もとはオウムのように巨大なくちばしで、牙などは生えておらず、トトスと同じように枝の葉をついばんでいた。
頭部もトトスよりひと回り大きく、牛や馬ぐらいのサイズ感である。そして、楕円形の甲羅でもかぶっているような形状であり、どこにも目が見当たらなかった。
「リュウバは耳と鼻がきくぶん、目が退化しちまったそうでやすよ。翼を失った竜が大地を駆けるようになったってぇ神話だか御伽噺だかがあるそうですが、俺もくわしくは聞いておりやせん」
「うむ。それよりも、語るべき話があろうからな」
ジザ=ルウは大樹を背にして、地面にどかりと座り込む。森辺の陣営がその左右をはさむ位置取りで腰を下ろすと、ギーズたちはリュウバの足もとに膝を折った。
赤毛のドゥルク、金髪のバルファロ、ネズミ顔のギーズに、七名の森辺の民が相対する格好だ。若き武官はそれを横から眺める位置取りで立ち尽くし、膝を折ろうとはしなかった。
「とりあえずは、俺が親分がたの代理として語らせていただきやす。そんでもって、親分がたもまだまだ西の言葉を聞き取るのが不得手なもんで、ややこしい話はあとでまとめて通訳させていただきまさあ。みなさんは何も気にせず、自由にお語らいくださいや」
ギーズのそんな前口上に、ジザ=ルウは「うむ」と鷹揚にうなずく。
「了承した。それではまず、何から語らうべきであろうかな?」
「そうでやすねぇ。俺としては、商売の話を進めさせてもらいたいところなんでやすが……その前に、アスタの旦那の素性をうかがってもいいですかい? おたがいの素性をわきまえておかねえと、安心して商売もできやしませんからねぇ」
「それは、道理ですね」と、ガズラン=ルティムがゆったりと発言した。
「では、おたがいに素性をつまびらかにするということで如何でしょう?」
「ふうん? こっちの素性に、何かお疑いでもお持ちですかい?」
「さきほどジザ=ルウも言っていた通り、どうして竜神の民が荷車で大陸アムスホルンを巡っているのかが、不思議に感じられるのです。竜神の民は『アムスホルンの息吹』を恐れて、船から下りることも少ないと聞いていましたので」
「なるほどなるほど」と、ギーズはしたり顔でうなずいた。
「ちょうどいいんで、そっから話を始めやしょう。そもそものきっかけは、その『アムスホルンの息吹』だったんでやすよ。ドゥルクの親分がたは根っから豪気なもんで、ダームの港町を訪れるたんびに酒場まで繰り出してたんでやすね。で、まんまと『アムスホルンの息吹』に見舞われちまったわけでさあ」
「こちらの六名の全員が、ですか?」
「ええ、ええ。『アムスホルンの息吹』ってのは、厄介な伝染病でしょう? だから、同じ船に乗っていた全員が伝染しちまったわけでさあ。で、十名の船員の四名がくたばって、今いる六名が生き残ったってわけでさあね」
その言葉に、アイ=ファが少しだけ肩を震わせた。
俺もかつては『アムスホルンの息吹』を発症して、生命の危険に見舞われたのだ。ジバ婆さんが準備してくれた薬とアイ=ファの手厚い看護がなければ、俺もあのときに魂を返していたはずだった。
「……『アムスホルンの息吹』は、大神のもたらす選別の試練だと聞き及びます。そちらの六名の方々は、その試練を乗り越えて大陸アムスホルンで生きていく資格を勝ち取ったというわけですね」
「そうそう、そういうわけでさあ。……ただし、新しく迎えた船員どもは、そういうわけにもいきゃあしません。ドゥルクの親分がたがまた町に下りたら伝染病をひっさげてくるかもしれねえから、どうか勘弁してくれって頼み込むことになったそうでさあ。それで親分がたも、しばらくは大人しくしていたそうですが……だんだん辛抱たまらなくなって、いっそ大陸の奥深くにまで乗り込んでやるかと思いたっちまったわけでさあね」
ギーズはいかにも愉快げに、くつくつと咽喉で笑った。
「それで親分がたは信用の置ける仲間に船を預けて、六名だけで大陸アムスホルンを巡ることにしたってわけでさあ。期間はきっかり、一年間。あと十ヶ月ばかりも行商を楽しんだら、また船乗りとしての生活に舞い戻るって寸法でさあね」
「なるほど……それであなたが、案内役として雇われたというわけですか?」
「ええ、ええ。俺はもともとダームの港町を根城にしていて、親分がたとは酒飲み仲間だったんでさあね。で、こっちが西の言葉を教える代わりに、親分がたの故郷の言葉を習ってたんでさあ」
「何故?」と、シン・ルウ=シンが短く問いかけた。
ギーズはにまにまと笑いながら、そちらに向きなおる。
「何でやしょう? 何か、腑に落ちない話でも?」
「うむ。竜神の民は商売のために、西の言葉を覚える必要があったのだろう。しかし、そちらが異国の言葉を覚える理由はどこにあったのだろうか?」
「うへえ。痛いところをついてきやすねえ」
ギーズは首をすくめつつ、薄い頭を撫でくり回した。
「しかたねえんで白状しやすけど……俺はね、いずれ竜神の王国に出向きたいって夢想を抱いてたんでさあ」
「竜神の王国に? ……何故?」
「大した理由なんて、ありゃしません。俺はつまらねえ人生を送ってたんで、どこか新天地に出向きたかったんでさあ。ま、俺みたいにちんけな人間が海の外に飛び出したところで、野垂れ死にするだけでやしょうが……それはどこでも、おんなじこってすからねぇ。だったら、見たこともない地で華々しくくたばりたかったんでさあ」
そう言って、ギーズはいくぶん照れ臭そうに笑った。
ある意味では、これまで以上に人間くさい表情である。
「ま、そんなもんは夢想どころか、妄想よばわりされるような話なんでしょうがねえ。親分がたが大陸アムスホルンを巡りたいなんていう素っ頓狂な話を実現したもんだから、俺の夢想も日の目を見ることになったってわけでさあ」
「ふむ? それはつまり――」
「ええ、ええ。十ヶ月後、親分がたが故郷に戻る際には、俺も連れていっていただく約束なんでさあ。そいつを条件に、俺は案内役を引き受けたってわけでさあね」
すると、岩の彫像さながらに黙りこくっていた赤毛のドゥルクが、ふいに口を開いた。
「ギーズ、もはや、どうほうです。わたしたち、どうほうとして、こきょう、かえります」
「とまあ、そういった次第でございやす。納得していただけやしたかね?」
「うむ。俺は、納得した」
シン・ルウ=シンはそのように答えたし、異議を申し立てる人間もいない。俺も、心から納得していた。
それは何故かと問うならば、ギーズのほうを見やっったドゥルクの眼差しに、これ以上もなく真情を感じ取ったためである。それはごく自然に、ごく無造作に、仲間を見やる眼差しであったのだった。
(少なくとも、《青き翼》の七人は固い絆で結ばれてるみたいだな)
そして俺はギーズやドゥルクの人間らしい一面を目にしたことで、警戒レベルがひとつ下がったことを自覚していた。森辺の狩人たちが織り成す穏やかな空気が、それを後押ししたのだろう。今のところ、アイ=ファたちもギーズの言葉を疑っている様子はなかった。
「それじゃあ今度は、こっちからお聞きしてもいいですかい? アスタの旦那は、いったいどこのお生まれで?」
ギーズがそのように声をあげると、ドゥルクとバルファロもそれぞれ青い目を俺のほうに向けてきた。
あらためて、あやしげな素性をしているのは俺のほうである。しかし俺も、適当な言葉でやりすごすことは許されなかった。
「俺が生まれたのは、日本という島国です。ただ、自分がどうやってこの地にやってきたのかは、まったくわからないんです」
「ほうほう? そいつはつまり……海賊か何かに連れ去られて、大陸アムスホルンに売り飛ばされたとか、そういう話でやすかねぇ?」
「いえ。俺は故郷で火事に見舞われて、生命を落としたはずだったんですが……気づいたら、モルガの森で寝転がっていたんです。そこをこちらのアイ=ファに助けられて、森辺の民として生きることになりました」
ギーズは「へえ」と愉快そうに笑った。
「そいつは何とも、面妖な話でやすねぇ。このジェノスは大陸のど真ん中で、どの港町からも荷車でひと月以上の距離でやしょう? アスタの旦那はひと月以上も眠りこけるか何かして、この地に運ばれてきたってことでしょうかねぇ?」
「それが、俺にもわからないんです。頭を打って記憶をなくしたのか、そもそも記憶のほうが間違っているのか……そんな風に思ってもらうしかありません」
「ほうほう」と、ギーズは森辺の狩人たちに視線を巡らせた。
「森辺のお人らは、虚言を許さないってうかがいやしたよ。みなさんは、アスタの旦那のお言葉に納得がいったんで?」
「納得は、いっていない」と、ジザ=ルウが真っ先に口を開いた。
「ただわかるのは、アスタが虚言を吐いているわけではないという一点のみとなる。真実がどうであれ、アスタはそのように信じているのだ。であれば、我々が取り沙汰する必要もなかろう」
「へえ、そいつは寛容なおはからいでやすねえ。アスタの旦那がどんな素性でも、まったくかまわないってお考えなんで?」
「うむ。そもそも森辺の民は長きにわたって外界の民を忌避していたので、どこの生まれであろうと大差はないという思いもあったのかもしれん」
ジザ=ルウがそのように言いつのると、ガズラン=ルティムも「そうですね」と発言した。
「いかなる素性であろうとも、アスタは心正しき人間でした。だから私たちはアスタの言葉を信じて、同胞として迎え入れたのです。重要なのは過去ではなく、現在であると判じた次第です」
ガズラン=ルティムにそんな言葉を聞かされると、俺は胸が詰まってならない。
しかしギーズは感じ入った様子もなく、「ふんふん」と首をひねった。
「それじゃあまあ、森辺のみなさんはそれでいいってことにいたしやしょう。でも、モルガの森辺ってのもジェノスの領地なんでやすよねえ? 貴族のお偉方に、あやしまれたりはしなかったんで?」
「いえ、存分にあやしまれました。とりわけ王都の方々なんかは、俺がシムやゼラド大公国の間諜なんじゃないかと疑っていたようです」
「ゼラド」と、ドゥルクが眉をひそめた。
ギーズはにんまりと笑いながら、そちらに向きなおる。
「ややこしい話はあとでまとめて通訳するんで、少々お待ちを。……で、アスタの旦那はその疑いを晴らすことができたんで?」
「ええ、いちおうは。西方神の洗礼を受けることが、身の潔白の証になったようです」
「西方神の洗礼、ですかい?」
「はい。俺は故郷の神を捨てて、西方神の子になったんです。もしも大陸の外からやってきたという素性がデタラメだったら、宣誓の場で虚言を吐いたことになりますよね? そうしたら、死後に魂を砕かれることになるそうなので……そんな危険を犯してまで身分を偽ったりはしないだろうと見なされたようです」
「なるほど、そいつは道理でやすねえ。……でも、アスタの旦那は、それでよかったんで? 神を捨てるのは一度きりって掟でやすから、もうこの先は故郷に戻ることも許されなくなっちまうんでしょう?」
俺はさまざまな感情に胸の中をかき回されながら、それでも「はい」と笑ってみせた。
「もともと俺は死んだと思った身で、故郷に戻るすべもありませんでしたし……洗礼を受ける頃には、森辺の民としてモルガの森に魂を返したいと願っていました。だから、後悔はありません」
「なるほどなるほど。じゃ、ここまでの話をまとめて通訳させてもらうんで、ちっとばっかりお待ちくだせえ」
ギーズはしたり顔でドゥルクたちのほうに向きなおると、異国の言葉で語り始めた。
俺はひとつ息をついてから、アイ=ファのほうに向きなおる。俺が予想していた通り、アイ=ファはとても優しい眼差しで俺のことを見つめていた。
(ああ。俺はこれっぽっちも、後悔なんてしていないよ)
そもそも俺は、故郷で死んだ身であるのだ。そうしてすべてを失った俺を拾ってくれたのが、アイ=ファであり――俺は、アイ=ファとともに生きていきたいと願うことになったのである。洗礼の日を迎えるずっと前から、俺はそんな決意を固めていたのだった。
(もしも俺が死んでなかったら、迷う余地もあったのかもしれないけど……そんな選択肢は、最初からなかったからな)
俺は森辺で目を覚ます前に、自分の身が炎に包まれる苦しさをはっきりと知覚していた。今でも悪夢として再来するあの苦しみは、俺の死の記憶であるのだ。ある意味、俺はあの悪夢に見舞われるたびに、「お前にもう帰る場所はないのだぞ」と念を押されているような心地であった。
「******? ***? ************?」
と――異国の言葉が、ふいに激情の気配を帯びた。
声の主は、金髪の巨漢バルファロである。もっとも迫力のある面相をした彼は、鼻のあたりに皺を寄せながら俺のほうをねめつけていた。
するとギーズはにまにまと笑いながら、長々と語り始める。
バルファロはそちらに対しても荒っぽく反論したようだが、しだいに声量は小さくなっていき――最後には、肩をすくめて口をつぐんだ。
「どうしたのだ? 何かアスタに、よからぬ気持ちを抱いたようだが」
アイ=ファが鋭く問い質すと、ギーズは「ええ、ええ」とうなずいた。
「でも、バルファロも納得できたみたいなんで、心配はご無用でやすよ」
「……いったい何を不満に思い、どうしてそれが解消されたのか、よければ聞かせてもらいたい」
「そんな大した話じゃありゃしませんよ。……なんて言ったら、バルファロに小突かれちまいますかねぇ」
深刻ぶった様子もなく、ギーズはそう言った。
「ラキュアの民ってのは何より神を大切にしてるもんで、アスタの旦那が故郷の神を捨てたって話が癇に障っちまったわけでさあね。そんな人間は信用できない、そんな人間と商売はしたくないと、駄々をこねちまったんでやすよ」
「なるほど。その不満が、どのように解消されたのであろうか?」
「なぁに、俺を引き合いに出しただけでさあ。俺だって、西方神を捨てて竜神の子になろうって決心したんでやすからねえ。だから、怒るのは竜神を捨てた人間と出くわしたときだけにしておけって言いくるめた次第でさあ」
そう言って、ギーズはネズミのような顔でにっと笑った。
「それぐらい、ラキュアの民ってのは神に対して純真なんでやすよ。だから、ゼラドの連中にはいい感情を持ってなくて、近づこうともしなかったんでさあ」
「ゼラドですか。先刻はそちらのドゥルクが、ゼラドの名に反応していましたね」
ガズラン=ルティムがゆったり口をはさむと、ギーズは「そうそう」とうなずいた。
「ゼラドの連中は自分たちこそが正統な王家だって主張して、騒ぎを起こしてるでやしょう? 王ってのは神の代理人なんでやすから、そんな不遜な言い分は他にありゃしません。ラキュアの民にしてみれば、許し難い話なわけでさあね」
「なるほど。それでゼラド大公国というのは、西の王都とジャガルの間に位置するのだという話でしたね」
「ええ、ええ。だからこのご一行も、北回りで大陸を巡ることになったんでさあ。おかげでずいぶん、寒い思いをさせられたもんでさあね」
ギーズの口から語られると、何もかもが軽妙に聞こえてしまう。しかし、ドゥルクとバルファロもすっかり落ち着いた面持ちになっていたので、話は丸く収まったようであった。
「とりあえず、親分がたも納得がいったようでやすよ。まあ、アスタの旦那の素性ってのは、謎に包まれたまんまなわけでやすが……行き来の方法がわからなけりゃあ、詮索する甲斐もありゃしませんからねえ」
「もしも行き来の方法がわかっていれば、アスタの故郷を目指そうという算段だったのでしょうか?」
ガズラン=ルティムの驚くべき問いかけに、ギーズはあっさり「ええ、ええ」と首肯した。
「この世にまだ知らない土地があるってんなら放っておけねえってのが、竜神の民の心意気であるようでやすよ。でも、手がかりもなしに探すことはできやしませんし……そもそもアスタの旦那の話をどこまで信じていいかも、皆目見当がつきやしません。失礼ながら、俺らもアスタの旦那はどこかで頭を打ったと判ずるしかねえようでやすね」
そう言って、ギーズはいっそう愉快げに笑った。
「ま、森辺のみなさんや貴族様がそれで納得してるってんなら、よそもんの俺らに文句はつけられませんや。ずいぶん遠回りをしちまいましたが、あらためて商売の話をさせていただけやすかい?」
「うむ。それは、かまわんが――」と、ジザ=ルウは横合いに目を向けた。
頭の後ろで手を組んだルド=ルウが、こちらにてくてくと歩いてくる。ルド=ルウは悠然たる面持ちで、「よー」と声をあげた。
「こっちは帰る準備ができたぜー。この後は、どうすんだー?」
ジザ=ルウはひとつうなずいてから、ギーズのほうに向きなおった。
「何名かがこの場に居残ってもかまわんし、ルウの集落に招くことも許されている。貴方がたは、どちらが望ましかろうか?」
「へえ、森辺の集落にお招きいただけるんで?」
と、ギーズは珍しく目を輝かせた。
「そいつは、願ってもない申し出でやすねえ。是非とも、お願いしたいところでやすよ」
「それでは、族長ドンダ=ルウと言葉を交わしてもらいたい」
それだけ言って、ジザ=ルウはゆっくり身を起こした。
おそらくは、愛する家族が待つルウの集落に彼らを連れ帰っても危険はないと判じたのだろう。俺も異存はなかったし、アイ=ファたちも文句をつけることはなかった。




