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異世界料理道  作者: EDA
第九十四章 青き竜の子ら
1611/1695

交流と商談①~顔合わせ~

2025.3/11 更新分 1/1

 翌日――緑の月の十八日である。

 その日は当然のように、アイ=ファが宿場町に同行することになった。


「そろそろブレイブたちのために休みを入れようと思案していたところであったのだ。これも、母なる森の導きであろうな」


 アイ=ファはすましたお顔で、そんな風に言っていた。

 まあ、新たな宿場の視察におもむいた日以降、アイ=ファは毎日狩人の仕事を果たしていたので、べつだん不自然なスケジュールではない。また、アイ=ファは俺の身を案じてくれているのだから、俺は感謝するばかりであった。


 それにアイ=ファは、この夜こそ俺が悪夢に見舞われるのではないかと案じていた様子である。

 俺はポワディーノ王子が来訪する前夜にも悪夢に見舞われていたので、それも無理からぬ話であるのだろう。俺自身、昨晩はいくぶん警戒しながら寝具にもぐりこむことになり――それで何事もなく、快適な朝を迎えることになったのだった。


(まあ、あの悪夢を変事の予兆と決めつけるべきではないんだろうけど……こんな際には、見ないに越したことはないよな)


 それより以前は悪夢を見た翌日に、邪神教団にまつわる騒乱が勃発していたのである。今回、悪夢に見舞われなかったのは、前向きにとらえられる話であるはずであった。


 そうして朝方の下ごしらえに取り組んでいる間は、やはり竜神の民の話題で持ち切りである。

 当然のこと、すべての氏族に連絡網が回されていた。ファの家にはメルフリードからの使者が向かうと告げられていたので、連絡網から外されていたのだ。それですべての氏族に、現時点での状況が余すところなく伝えられていたのだった。


「ルウ家からも、護衛役を出すそうですね。家長もわたしたちの身を案じてくれていましたが、今日のところは族長筋の方々におまかせするそうです」


 ユン=スドラは、そんな風に言っていた。

 そうして下ごしらえが完了したならば、ディンの荷車がやってくる。そちらもまた、当然のようにゲオル=ザザとディック=ドムを同行させていた。


「ルウ家ばかりに面倒を押しつけるわけにもいかんからな。俺たちも、この目で竜神の民とやらを見定めさせていただくぞ」


 ゲオル=ザザは気合満点の面持ちで、そんな風に言っていた。

 そうして一緒にルウの集落まで出向いたならば、そちらにも歴戦の狩人がずらりと居並んでいる。アイ=ファやゲオル=ザザたちの姿を見回しながら、ドンダ=ルウは「ふん」と鼻を鳴らした。


「やっぱりそちらも、狩人がひっついてきやがったか。それじゃあこっちは、人数を加減するべきだろうな」


「えー? 別にこっちの人数を減らす必要はねーだろ?」


 ルド=ルウが不満げに声をあげると、ジザ=ルウが「いや」と応じた。


「友好的な態度を示している相手に必要以上の警戒で応じるのは、礼を失しているだろう。あちらの手練れは、六名きりという話であるしな」


「俺はべつだん、今日のところは外されてかまわんぞ! どうせだったら、ヤミルが当番の日に同行したいのでな!」


 と、ラウ=レイは自分から護衛役を辞退した。ヤミル=レイは昨日出勤であったので、本日はお休みであったのだ。

 そうしてルウの血族から選ばれたのは、ジザ=ルウ、ルド=ルウ、ガズラン=ルティム、ダン=ルティム、シン・ルウ=シンの五名である。これにアイ=ファとゲオル=ザザとディック=ドムが加われば、申し分のない顔ぶれであった。


「ダリ=サウティは、別の日に参じるそうです。きっと、こうなることを見越していたのでしょうね」


 ガズラン=ルティムは常と変わらぬ穏やかさで、そんな風に言っていた。

 そしてドンダ=ルウが、あらためて重々しい声で告げてくる。


「竜神の民なる者たちに関しては、これまでに告げられた通りだ。あちらはたいそうな手練れの集まりのようだが、今のところは悪逆な真似をするでもなく、森辺の民と商売をしたいなどと抜かしている。ジェノスの貴族もそれを咎めようとはしなかったので、俺たちも心して相手取る他あるまい。宿場町に下りる面々は、そいつらに悪しきたくらみがないか、入念に見定めてもらいたい」


「まかせておけ」と応じたのは、気迫のこもった顔で笑うゲオル=ザザである。護衛の対象にはトゥール=ディンも含まれているので、ゲオル=ザザの気合は頂点に達しているはずであった。


「それでもしもそいつらが、商売の話を進めたいと申すようならば……ルウの集落に連れてきてもかまわん。今日ならば、族長のドンダ=ルウが控えていると伝えておけ」


 護衛役を出すのみならず、ルウ家も本日を休息の日と定めたようである。ドンダ=ルウも十分に警戒しながら、竜神の民と交流を結ぶ準備を進めようとしているようであった。


「それで……東の王都の娘たちは、まだ城下町にこもっているのだな?」


 ドンダ=ルウに視線を向けられた俺は、背筋をのばしながら「はい」と応じた。


「セルフォマたちは数日ばかり、これまでに得た知識を書面にまとめる作業に集中するそうです。明確な日取りは決まっていませんが、もう何日かはかかるかと思われます」


「そうか。まあ、あやつらの心配をするのは貴族たちの役割であろうが……こちらの騒ぎが収まるまでは、城下町で大人しくしておいてもらいたいものだな」


 口ではそのように言いながら、ドンダ=ルウも彼女たちの身を案じていたのだろう。セルフォマたちはこのふた月ばかりで何度となくルウ家のお世話になっていたので、それなり以上に絆が深まっているはずであった。


「それでは、まかせたぞ。くれぐれも、礼節を持ちながら油断のないようにな」


 ドンダ=ルウの重々しい宣言のもと、俺たちはあらためて出発の準備を整えることになった。

 八名もの狩人が同行する分、荷車も一台増やされる。そしてそれぞれの荷車に狩人が配置されることになったが、ギルルの荷車にはアイ=ファとジルベが控えていたため、すでに十分な戦力であった。


「今日はずっと宿場町だからよろしくな、ジルベ」


 荷台に戻った俺が頭を撫でると、ジルベは嬉しそうに「わふっ」と吠えた。

 かくして、いざ宿場町である。

 まずは屋台を借り受けるために《キミュスの尻尾亭》へと向かうと、そちらには厳しい面持ちをしたミラノ=マスが待ちかまえていた。


「来たか。竜神の民とやらは、露店区域で待ち受けているはずだぞ」


「え? どうしてミラノ=マスが、そんなことをご存じなのですか?」


「どうしてもこうしても、あやつらは露店区域をねぐらにすることになったのだ。復活祭でやってくる旅芸人どもと、同じやり口だな」


《ギャムレイの一座》は露店区域に天幕を張って、そこを根城にしていたのだ。スペースのレンタル料を支払えば、そこに置いた荷車で寝泊まりすることも許されるわけであった。


「あやつらは、わざわざお前さんがたの真向かいに居座っているのだそうだ。くれぐれも、揉め事などは起こさんようにな」


「はい、承知しました。ところで、宿場町ではあの方々のことがどのように周知されたのですか?」


「大した話は聞かされておらん。大陸の外からやってきたという素性と、今のところ危険はないようだという話と……目的は行商だという話ぐらいだな。お前さんとのやりとりを横目でうかがっていたレビのほうが、よっぽど話をわきまえているようだぞ」


 それでも貴族のお墨付きをいただいたのであれば、宿場町の人々も多少は胸を撫でおろせたのだろうか。ミラノ=マスも厳しい表情ではあったが、ポワディーノ王子を迎えたときほどではなかった。


 そうして俺たちがしっかり心の準備を整えてから露店区域に向かうと、まさしく真正面の位置取りにけばけばしい荷車が鎮座ましましていた。

 ふたつの荷台が連結された二頭引きの荷車が、二台である。竜神の民の姿はなかったが、その代わりに二ケタに及ぶ衛兵たちが遠巻きに荷車を取り囲んでいた。俺たちが借りたスペースの正面はいつもガラガラであったので、衛兵も配置し放題であったのだ。


 また、街道には屋台の開店を待つ面々が数十名もたむろしていたが、やはり誰もが荷車や衛兵たちに気を取られているようであった。


「お待ちしておりました。我々が竜神の民のお目付け役に任命されましたので、以後お見知りおきください」


 俺たちが屋台の準備を開始すると、衛兵の一団から二名が近づいてきた。

 片方は護民兵団、もう片方は近衛兵団特務部隊の所属とのことである。前者が壮年、後者が若めの男性であった。


「近衛兵団の特務部隊ということは、バージの同輩であろうか?」


 俺のそばにぴったりと付き添っていたアイ=ファが尋ねると、若き武官は「はい」と首肯した。


「バージは引き続き、ガーデルなる者のお目付け役を担当しています。また、メルフリード閣下のご判断で、ガーデルなる者には竜神の民について伏せることになりました」


「そうか。ガーデルには、いらぬ心労を負わせるべきではないのであろうな。……そちらの配慮に、感謝する」


「いえ。すべては、メルフリード閣下のご判断ですので」


 若い武官は凛々しい表情をしたまま、どこか誇らしそうに目もとを和ませた。

 すると、壮年の武官は気さくな笑顔で発言する。


「ちなみに小官は第五大隊の所属でありまして、普段はデヴィアス隊長殿にこき使われております。森辺の麗人アイ=ファ殿のお噂は、隊長殿から嫌というほど聞かされておりますぞ」


「……いかにもデヴィアスの配下らしい物言いだな」


 アイ=ファがいくぶん眉をひそめると、壮年の武官は「これは失礼」と笑みくずれた。確かにデヴィアスと気が合いそうな人柄であるようだ。


「しかしどちらも、隙のない身のこなしをしている。メルフリードもデヴィアスも、信用の置ける人間を選んだということだな」


 二名の武官が立ち去ると、アイ=ファは小声でそんな感想をこぼした。

 そこで、向かいの荷車に動きが見られる。後部の扉が開かれて、小男と大男がひとりずつ登場したのだ。


 小男はもちろんギーズであり、大男は鉄灰色の髪をした人物である。

 ギーズはひょこひょこと、大男はのしのしと、屋台のほうに近づいてくる。そして衛兵の一団からも近衛兵団の若き武官だけが進み出て、街道の真ん中あたりで両名と合流した。


 ギーズはにまにまと笑いながら何か文句をつけたようだが、若き武官は凛々しい面持ちのまま首を横に振る。ギーズはひとつ肩をすくめると、何事もなかったかのように歩を再開させた。


「どうもどうも、お疲れ様でございやす。今日はそちらさんも、昨日以上の団体様のようでやすねぇ」


「うむ。そちらが森辺の民に商売を持ちかけるつもりであると聞き及び、我々が参じることになったのだ」


 と、いつの間にか屋台の向こう側に回り込んでいたジザ=ルウとガズラン=ルティムが、横合いからギーズたちに近づいた。


「俺は森辺の族長筋ルウ本家の長兄ジザ=ルウで、こちらはルウの眷族たるルティムの家長ガズラン=ルティムだ。我々は族長ドンダ=ルウの代理として、貴方がたと言葉を交わさせてもらいたい」


「へえ、森辺の族長様でやすかい? それはそれは、ご丁寧にありがとうございやす。そういえば、アスタの旦那と商売の話をするには、族長様のお許しが必要だって話でしたねぇ」


 ジザ=ルウたちの風格に恐れ入った様子もなく、ギーズはにんまりと笑った。

 ガズラン=ルティムもまた、普段通りの穏やかな面持ちで言葉を添える。


「あなたがたはギバの干し肉を行商の品として扱いたいと申し述べていたそうですね。そういった話は、アスタではなく族長筋の人間が受け持つことになっています」


「おやおや、俺たちみたいなケチな行商人を相手に、そんなお偉方がじきじきに乗り出してくるんでやすかい?」


「ええ。森辺においてすべてを決するのは、族長ですので。であれば最初から、責任のある人間が話をうかがうべきでしょう?」


 ギーズは「ははん」と鼻を鳴らしつつ、薄い頭をぴしゃぴしゃと叩いた。


「そちらさんはまだお若いのに、なんだか自由開拓民の長老とでも語らってるような気分でやすねぇ。……おっと、ご気分を害しちまったら、ごめんなすって」


「いえ。取り立てて、私が気分を害する理由はありません」


 なんとなく、ガズラン=ルティムの風格がギーズの軽妙さをじわりと上回ったような雰囲気である。

 ギーズはしばし黙りこくってから、ふいに「へへ」と笑った。


「俺とあんたじゃ、勝負にならねえや。ま、最初っからあんたがたと争うつもりなんてありゃしないんで、それだけは信じてもらえやすかねぇ?」


「ええ。信じたいとは、思っています。これまでのやりとりで、何か都合の悪い話でもあったのでしょうか?」


「いやいや。ただ俺たちは、アスタの旦那と商売の話をさせてもらいたかったんでねぇ」


 ギーズの返答に、ガズラン=ルティムはふっと微笑んだ。


「それは、アスタの出自に関わりがあるのでしょうか?」


「ええ、ええ。何せアスタの旦那ってのは、大陸の外からやってきたっていう話なんでしょう? まあ、自分から竜神の民を名乗ったりはしてないって話でやすから、そこはひと安心ですが……それならそれで、いったいどこの海からやってきたのかと興味をかきたてられちまうんでさあね」


「では、商売の話とは別に、アスタとも言葉を交わしたいということだろうか?」


 ジザ=ルウが静かに口をはさむと、ギーズは「へへ」と鼻の先をかいた。


「アスタの旦那と商売の話ができりゃあ、もののついでで身の上話をお聞かせ願えるるかと期待してたってところでやすかねぇ。俺自身はどうでもいいと思ってる話なんで、段取りが悪くて申し訳ないこってす」


「ああ。あなたはあくまで、通訳に過ぎないということですね?」


「そういうこってさあ。ただ、俺も他には寄る辺ない身なもんで、この先は竜神の民の旦那がたと運命をともにする覚悟でありやすよ」


 ギーズの語りはあくまで軽妙で、深刻ぶっている様子もない。

 そのさまをじっと見据えてから、ジザ=ルウは言葉を重ねた。


「では、屋台の商売の後に語らいの時間を作ってはどうであろうか? こちらは族長筋とファの人間が同席するので、そちらも立場ある人間に立ちあってもらいたい」


「承知しやした。じゃ、ドゥルクの親分にはそう伝えておきまさあ」


「ドゥルク? それが、そちらの長であろうか?」


「ええ、ええ。昨日もアスタの旦那とちょろっと言葉を交わした、赤毛の親分でございやすよ」


 俺にとっても印象的であったあの人物が、この一団の長であったのだ。

 屋台の準備を進めながら俺が納得していると、ギーズはずっと無言であった隣の巨漢を指し示した。


「ちなみにこっちは、子分のマドでやす。ま、いずれも通り名でやすがね」


「通り名? 貴方と同様に、真の名を隠しているということであろうか?」


「ええ、ええ。竜神の民ってのは長ったらしい名前をしている上に、俺たちの舌では口にしにくいんでさあね。それでまだしも簡単そうな言葉を、通り名にしてるんでやすよ。ドゥルクってのは炎、マドってのは鉄って意味だそうでさあ」


「なるほど」と、ジザ=ルウは鉄灰色の髪をした巨漢マドのほうに視線を投じる。

 こちらのマドも立派な顎髭をたくわえているし、赤銅色の肌は岩のごとき質感であるが、やっぱり他なる面々よりはずいぶん若いように感じられた。


「マドは一番若いんで、御者やら何やら雑用を押しつけられておりやす。今もこうして、親分たちのために屋台の料理をもらい受けにきたってわけでさあね」


「そうか。しかし、若年なれども、ずいぶんな手練れであるようだ」


 ジザ=ルウの言葉に、マドはせりでた眉をぎゅっとひそめた。


「わたし、よわくないです。でも、あなたたち、もっとつよいです」


「……ふむ。貴方も、西の言葉をあやつれるのだな」


「べんきょう、がんばったです。あなたたち、つよいです」


 そうしてマドはいきなり身を屈めると、屋台の内側を覗き込んできた。


「あなたも、つよいです。にょにん、こんなにつよい、おどろきです」


 マドの碧眼は、俺のかたわらに控えたアイ=ファの姿を凝視している。

 アイ=ファはそれを真っ直ぐ見返しながら、凛然たる声音で答えた。


「私は女衆なれども、狩人なのでな。……そちらも、強さを誇りにしているのであろうか?」


「はい。つよさ、ほこりです。たいりくアムスホルンのたみ、こんなにつよいにんげん、はじめてです。わたし、おどろきです」


「そうか。しかしそちらも、なかなかの手練れだ。願わくは、争うことなく手を取り合いたいものだな」


 すると――マドは角張った厳つい顔に、やおら無邪気な笑みをたたえた。


「わたしたち、あらそいません。たいりくアムスホルンのおきて、まもります。あなたたち、なかよくなれたら、うれしいです」


「そうか」と、アイ=ファも目もとを和ませた。

 すると、ギーズが「ちぇっ」と舌を鳴らす。


「マドのほうが、よっぽど上手にご縁を紡いでおりやすねぇ。これじゃあ、俺の面目が立たねえや」


「我々は、正直さと率直さを美徳にしています。あなたも何か思うところがあるのでしたら、なんでも率直にお語らいください」


 ガズラン=ルティムがそのようにうながすと、ギーズはまた「へへ」と笑った。


「俺も心を入れ替えたつもりなんですが、もともとが小悪党だったもんで、適当な軽口を叩く癖が抜けねえんでさあ。なんとか、マドを見習いたいところでやすねぇ」


「ではとりあえず、語らいは商売の後ということでいいだろうか? アスタたちも、そろそろ商売を始める頃合いであろうからな」


「ええ、ええ。俺たちも、まずは腹ごしらえをさせてもらいやしょう。ところで、料理を荷車まで持ち帰る許しをいただけやすかい? 俺たちがあっちの席に陣取ってると、他のお客さんがたが遠慮しちまうでしょうからねぇ」


「ええ、かまいませんよ。旅芸人の方々なんかも、そうやって料理を持ち帰っておられましたからね。もしそちらで食器を準備してくださったら、そこに料理を盛りつけることもできます」


「お、それならこっちも、皿を返しに来る手間がはぶけるってわけでやすね。承知しやした。いったん出直すことにいたしやしょう」


 ギーズはマドに目配せをして、荷車のほうに引っ込んでいった。

 最後まで沈黙を守った若き武官はジザ=ルウたちに目礼をしてから、それを追いかけていく。どうやら彼らは見守りに徹して、余計な口ははさまないという方針であるようであった。


「では、あとは商売を終えてからだな。ファの両名も同席させると約束してしまったが、問題はなかったろうか?」


「うむ。多少の問題があろうとも、族長の跡取りたるジザ=ルウの言いつけには逆らえんからな」


 真面目くさった面持ちでそのように言ってから、アイ=ファは穏やかな感じに目を細めた。


「今のは、冗談だ。おかしな誤解が生じないように、我々も直接語らうべきなのだろうと思う」


「そうか。ファの家長アイ=ファの賛同を得られて、心よりありがたく思う」


 ジザ=ルウも妙にもったいぶった口調でそう告げると、身をひるがえして屋台の裏側に移動した。冗談の類いが苦手そうな両名なりの、コミュニケーションなのであろうか。ガズラン=ルティムが微笑んでいたので、俺も笑っておくことにした。


「なんか、アイ=ファもジザ=ルウもそんなに気を張ってないみたいだな。ギーズたちのことを、信用できたってことか?」


「そちらよりも、マドなる者のほうだな。あちらは本心を隠す気もないようなので、こちらも構えずに語ることがかなう」


「それじゃあ、ギーズは本心を隠してるってことか?」


「うむ。しかしべつだん、悪しき気配を感じたわけではない。いささかならず、ひねくれた気性をしているようだが……まあ、ラヴィッツの長兄のようなものであろう」


「ああ、実は俺も、あの人のことを思い出してたんだよ。やっぱりちょっと、似たところがあるよな」


「うむ。ああいった手合いと絆を深めるには、多少の手間と時間がかかりそうなところだが……面倒だからといって、忌避するわけにもいくまい」


 そのように語るアイ=ファは、やはりそれほど気を張っていないようである。

 竜神の民とのファーストコンタクトは、どうやら穏便に終了したようであった。


 そしてその後は、ようやく屋台のオープンだ。

 遠巻きに様子をうかがっていたお客たちが一気に押し寄せて、料理を購入するかたわらで次々と質問をぶつけてきた。


「やっぱりあのでかい図体でうろつかれると、落ち着かねえな! ずいぶん長々としゃべってたようだけど、大丈夫だったのかい?」


「危険はないようだってお触れが回されてたけど、あんなに衛兵が集められてたら安心できねえよなぁ。あんたがたも、くれぐれも気をつけてくれよ?」


「だけどまあ、復活祭で顔を出す旅芸人みたいなもんなのかねぇ? よくよく考えたら、あいつらだって十分あやしげだったしなぁ」


 人々は俺たちの身を案じると同時に、自らの安心と安全も求めている様子である。俺としては可能な範囲で、その期待に応えたいところであった。


 そうして朝一番のラッシュが終了すると、それを見計らったタイミングでギーズとマドともう一名の大男がやってくる。マドと金髪の大男は両手に大皿を抱えており、本日もギーズは注文をする役割であった。


「お、今日は献立が違ってるんでやすね。こいつは、楽しみだ」


「はい。俺の屋台は日替わりの献立で、他の屋台も日取りと時間帯で献立を変更しているのですよ」


 ファの屋台では『ギバまん』と『ケル焼き』、ルウの屋台では『ギバ・バーガー』と『ギバの香味焼き』を前後に分けて販売しているのだ。また、本日の日替わり献立は『ギバの揚げ焼き』で、ルウ家の汁物料理は『ミソ仕立てのモツ鍋』であった。


 ギーズたちは、またそれらの品をふた品ずつ購入していく。健啖家が七名がかりではまったく足りない量であるが、銅貨が惜しいため、足りない分は自前の食事を楽しむのだという話であった。


「朝方には市場に出向いて、肉やら野菜やらを買いつけたんでやすよ。森辺の方々も、時おりギバ肉を売りに出してるそうでやすね」


「はい。最近は、五日にいっぺんという日取りですね。ちょっと値が張りますけど、よかったらよろしくお願いします」


「いやいや、俺らにはキミュスの肉やら卵やらが精一杯でさあ。ま、ここでも稼ぎをあげられたら、ちっとは贅沢できるかもしれやせんねえ」


 ギーズのそんな言葉の意味は、のちのち理解することができた。食事を終えたと思しきタイミングで、彼らも商売を開始したのである。


 屋台を出すスペースに簡易的な屋根を張り、地面に敷物を敷いて、その上に商品を並べる。ごく一般的な、露店のスタイルだ。それに気づいたダン=ルティムが、「おお!」と瞳を輝かせた。


「あやつらも、何やら売りに出すのだな! ジザ=ルウよ、ちょっと覗いてきてもかまわんか?」


「うむ。そういった検分も、無駄にはならなかろうな。シン・ルウ=シンよ、ダン=ルティムに同行を願いたい」


 対極的な気質をした両名が、検分の役目を担わされた。

 するとそれが呼び水になったようで、街道を行き来していた人々も怖々と近づいていく。店番をしているのは、二名の竜神の民とギーズであった。


「なかなかに興味深かったぞ! まあ、一番興味深かったのは、それを売っている者たちであったがな!」


 五分ほどで戻ってきたダン=ルティムは、満足そうな笑顔でそのように報告した。それを補足するのが、シン・ルウ=シンの役割である。


「あの場で売られていたのは、飾り物や織物、小物入れや見慣れぬ獣の毛皮などだ。あやつらは北方の地を巡っていたので、ジェノスでもあまり見かけない珍品がそろっているのだという話だった」


「なるほど。彼らの故郷の品などは置かれていなかったのでしょうか?」


 ガズラン=ルティムの問いかけに、シン・ルウ=シンは「うむ」と応じた。


「そういった品は値が張るため、宿場町では買い手がつかないのだそうだ。貴族の使いでも参じたならば、お目にかける算段だと申し述べていた」


「そうですか。今のところ、そういった人間は見かけないようですね。あるいは、そうと知られないように服装をあらためて、様子をうかがっているのかもしれません」


 ガズラン=ルティムが口にすると、それが真実であるように聞こえるから不思議なものである。

 そうして俺が商売に励んでいると、野菜売りの仲良し父娘が来店してくれた。朝方にも通りがかりで挨拶をした、ドーラの親父さんとターラだ。


「よう、アスタ。あっちは、なんの騒ぎだい?」


「あれは竜神の民の方々が、商売を始めたそうです。あの方々は、行商人だそうですからね」


「えー! 何が売られてるんだろー! ターラも見てみたいなー!」


 ターラが顔を輝かせると、親父さんは「いやいや」と手を振った。


「あんな得体の知れない連中には、うかうかと近づくもんじゃない。どうせ俺たちには用のないものばかりだろうしな」


「でも、珍しいものは見てるだけで楽しいよー!」


 ターラがおねだりの眼差しになると、親父さんは「まいったな」と頭をかく。すると、屋台の裏をてくてくと巡回していたルド=ルウが俺の肩ごしに声をあげた。


「べつに、あぶねーことはねーだろ。心配だったら、俺もついていってやろーか?」


「いやあ、ルド=ルウはみんなを守るのがお役目だろう? ターラのわがままにつきあわせるのは、申し訳ないよ」


「守るったって、あいつらはあっちに固まってるからなー。ちっとぐらい抜けたって、問題はねーだろ?」


 ルド=ルウに視線を向けられたジザ=ルウは、苦笑をこらえているような面持ちで「そうだな」と応じた。


「よければ、ドーラたちの目に竜神の民はどう映るのか、のちのちお聞かせ願いたい。さすれば、ルドが出向く甲斐もあろう」


「なんだか、申し訳ないね。それじゃあ、腹を満たした後にちょっとだけお願いするよ」


 そうして料理を買いつけた親父さんたちが青空食堂に向かっていくと、今度は建築屋の面々がやってきた。


「よう、アスタ。あいつらは、呑気に商売を始めやがったか」


「ええ。あの方々にしてみれば、あれが本分なのでしょうしね」


「アスタたちにちょっかいをかけなければ、こっちも気にするいわれはないんだがね。どうせ今日も、あいつらに絡まれたんだろう?」


「はい。商売の後に、語らいの時間を作ることになりました。でも、アイ=ファたちが一緒ですから心配はご無用ですよ」


 俺がそのように答えると、大柄なアルダスは身を屈めて屋台の内側を覗き込んできた。


「おお、ジザ=ルウたちも来てたのか。これなら、こっちもひと安心だが……やっぱり、それなりに警戒してるってわけかい?」


「警戒していないとは言わないが、今のところはあの者たちの悪心を疑う理由はないと考えている。貴族たちも、そのように判じたのだろうしな」


「そうかい。だったらまあ、みんなの人を見る目を信じることにするよ」


 朗らかに笑うアルダスのかたわらでは、おやっさんがむっつりと黙り込んでいる。無言のままにその目が「大丈夫なのか?」と問いかけてきたので、俺も「大丈夫です」という思いを眼差しに込めることにした。


 そうしてその後も、屋台の商売はつつがなく進められていき――俺たちは、竜神の民との語らいの時間を迎えることに相成ったのだった。

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