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異世界料理道  作者: EDA
第九十四章 青き竜の子ら
1610/1695

邂逅の日③~申し出~

2025.4/10 更新分 1/1

 料理を食べ終えた竜神の民の一行は、卓についたまま異国の言葉でやいやいと語らい始めた。

 見る限り、料理の味に不満はなかったようである。彼らはいずれも岩塊のように厳つい面立ちであったが、南の民さながらに陽気で表情も多彩なようであった。


(でもやっぱり……外見そのものは、南の民より北の民に似てるみたいだな)


 先祖返りと呼ばれる南の民は大柄で魁偉な容姿をしているが、北の民に比べるとやわらかい印象である。顔立ちそのものはごつごつしているが、目もとはどんぐりまなこであるし、鼻の形や頬のラインなどもやや丸みを帯びているのだ。


 それに対して北の民は、眉がせり出ているために目もとが落ちくぼみ、鼻筋や頬のラインも角張っている。竜神の民というのは、それをさらに極端にしたような顔立ちであった。


 ただ、俺が知る北の民というのはみんな奴隷の身分であったためか、誰もが寡黙でつつましい人柄をしていた。然して、ただいま目の前で騒いでいる竜神の民たちは、南の民に負けない陽気さと豪放さだ。それが派手派手しい身なりと相まって、とてつもない存在感をかもし出していた。


「あっ、隊長殿!」


 と、なすすべもなく立ち尽くしていた衛兵が、安堵のにじんだ声をあげる。

 ようやく衛兵の援軍が到着したのだ。その先頭に立つ人物は兜に立派な房飾りをなびかせており、それに従う十名ばかりの衛兵の中には小隊長のマルスも含まれていた。


「これは、なんの騒ぎだ? 貴き方々の許可が下りるまでは、町の外に待機させるという話であったのであろうが?」


 指揮官の人物は、険しい口調でそのように言いたてた。もうひとりの衛兵が報告に向かうまでは竜神の民たちも足止めをされていたので、そのままこの一団の到着を待たせる手はずであったのだろう。


「は、はい。小官もそのように申しつけたのですが、まったく聞く耳をもたず……かといって、罪なき者たちに刀を向けることもできませんし……」


 そこまで言って、居残り役であった衛兵はごにょごにょと語尾を濁した。

 刀を振りかざしたところで、自分ひとりに勝ち目はない――とでもいった言葉を呑み込んだのだろうか。竜神の民だけで六名もいたのだから、それも致し方のないところであった。


「横から、失礼いたしやすよ。勝手に踏み込んだのは俺たちなんですから、どうかそのお人を責めないであげてくだせえ」


 ひょこりと席を立ったギーズが、いかにも世慣れている様子でそのように声をあげた。


「どうにも腹が減ってたんで、俺たちも我慢が切れちまったんでさあ。それにこいつは、掟破りでも何でもないんでしょう? ジェノスの宿場町ってのは、誰に対しても門戸を開いてるって聞き及んでおりやすぜ。だからこそ、俺たちも気兼ねなくお邪魔させてもらった次第でさあね」


「いや、しかし――」


「最初にお話ししやした通り、俺たちはケチな行商人でさあ。俺を除く六名様は大陸の外の生まれでやすが、四大王国の掟を守ると誓って、大陸中を練り歩いてるんでやすよ。ダームの港町を出立してからのふた月ばかり、一度だって罪に問われるような真似はしちゃいませんので、どうぞご安心くだせえ」


「だが、それでも――」


「あ、もしや、このお人らが北の民なんじゃないかって、お疑いで? だったらそっちも、心配はご無用でさあ」


 ギーズが目配せをすると、三名の巨漢ものそりと立ち上がった。

 指揮官の人物は剣の柄に指先をかけながら、後ずさる。しかし、竜神の民たちは丸太のごとき両腕を横に広げると、重々しい声音で同じ言葉を詠唱した。


「わたしたち、きたのたみ、ありません。わたしたち、ラキュアのたみです。せいほうしんセルヴァ、ほっぽうしんマヒュドラ、なんぽうしんジャガル、とうほうしんシム、ちかいます」


「如何です? なんとかって領地の司祭様に、身の証を立てるすべを教えていただいたんでやすよ。こいつは、四大神のすべてに誓いを立てる、もっとも神聖な宣誓だそうでやすね」


 そのように語りながら、ギーズは右の手を心臓のあたりに添えて、左腕を横に大きく広げた。これは、西方神に宣誓するポーズである。


「いっぽう俺は、まぎれもなく西方神の子であることを誓いやすよ。後ろ暗いところは、なあんもありゃしません」


「わ、わかった。とにかくこちらも、ジェノスの貴き立場にあられる方々にご判断を仰いでいるさなかであるのだ。いったん町の外に出て、沙汰を待ってもらいたい」


 指揮官の人物が懸命に言いつのると、ギーズは芝居がかった調子で「ええ?」と目を見開いた。


「でも、外ではもう三名のお仲間が、ギバ料理を口にする順番を待ちかまえてるんでやすよ。そいつを先延ばしにしたら、それこそ血を見る騒ぎになっちまいますぜ?」


「そ、そちらは決して王国の法を破らぬと申し立てたばかりではないか!」


「もちろん、衛兵さんに手をあげたりはしやしませんよ。仲間同士で、大暴れするだけのこってす。食いもんの恨みは、恐ろしいですからねぇ」


 指揮官の人物は返答に窮した様子で、目を泳がせる。

 そこで俺が、救いの手を差し伸べることにした。


「それでは外の荷車まで、料理を持ち帰っていただいたら如何でしょう? 食器はのちのちお返しいただければ、問題ありませんので」


「そ、そうか! では、そうさせていただこう! そちらも、異存はあるまいな?」


「へえ。きっと荷車の連中も、お初の町で羽をのばしたいところでやしょうが……ここは、アスタの旦那の顔を立てさせてもらいやしょうかね」


 と、ギーズはしたり顔で俺のほうに向きなおってきた。


「それと引き換えにってわけじゃありゃしませんが……アスタの旦那には、のちのち時間を作ってもらえやすかい?」


「時間を? 俺に何か、ご用事でしょうか?」


「ええ、ええ。何せ俺たちは、アスタの旦那の風聞を耳にして、ジェノスを目指すことにしたんでやすよ。渡来の民を名乗る人間なんて、とうてい放っておけやしませんからねぇ」


 俺が思わず絶句すると、ギーズはすぐさまひらひらと手を振った。


「でも、その件は、もういいんでさあ。アスタの旦那は手前で渡来の民を名乗ったわけじゃねえって話でしたからねぇ。ただ、大陸中に名前が轟いてるアスタの旦那と、懇意にさせていただきたいんでやすよ。それに、商売の話もさせていただきたいですしねぇ」


「商売の話、ですか?」


「ええ、ええ。ギバの干し肉か何かを行商で扱わせてもらうことはできねえかって、そんな考えもあるんでやすよ。俺たちは、それを生業にしてるんでねぇ」


 それはまた、意想外の申し出である。

 俺はしばし思案してから、「わかりました」と応じた。


「ただ、商売に関しては森辺の族長の許しが必要になりますし、その前に貴族の方々の許しも必要になるでしょう。まずは衛兵の方々の指示に従って、正規の手順を踏んでいただけますか?」


「承知しやした。それじゃあまず、さっきと同じ量の料理を買わせていただきやしょうかね」


 それでようやく、話はまとまった。

 指揮官の人物はひそかに安堵の息をついているし、マルスは仏頂面で目礼をしてくる。そちらに頭を下げてから、俺は屋台に引き返すことにした。


「あ、アスタ。そっちは、どんな感じ?」


 と、自分の屋台に到着する前に、トトスとリャダ・ルウ=シンを引き連れたララ=ルウと出くわした。ララ=ルウはトトスにまたがって、ルウよりも遠いシンの集落まで戻っていたのだ。


「うん。さっきの一団の半数ぐらいが、食堂で食事を済ませたところだよ。それで、衛兵からの要請でいったん町の外に出ることになったから、残りの料理を持ち帰ってもらうことになったんだ。そっちの木皿を持ち出すのがまずかったら、こっちの木皿を使っておくれよ」


「木皿なんて、好きに使えばいいさ。衛兵がうじゃうじゃいるけど、おかしな騒ぎにはなってないんだね?」


「うん。あの人たちは王国の法を守るって主張してるし、さっきは北の民じゃないってことを宣誓してたよ」


「そっか。……リャダ・ルウ=シンは、どう思う? ここから、様子はうかがえる?」


「うむ。あれは……とてつもない力を持った者たちであるようだ」


 リャダ・ルウ=シンは切れ長の目をいっそう細めながら、青空食堂のほうを見据えていた。


「おそらくは、ひとりずつが森辺の勇者に匹敵する力量であろう。あのような者たちが、何名存在するのだ?」


「竜神の民は六名、案内役の男性が一名です」


「六名か……勇者を同じ数だけそろえなければ、とうてい太刀打ちできまいな。間違っても、敵に回すべきではなかろう」


 外界の民で、それほどの力量と見なされたのは――カミュア=ヨシュを筆頭に、ほんの数名であろう。それが六名もそろっているなどとは、なかなかに想像を絶していた。


(本当に、悪人じゃないことを祈るばかりだな)


 そのように思案する俺の胸に、ぽっかりと浮かびあがるのは――赤毛の巨漢が食後に見せた、幼子のような笑顔である。

 それだけで気を許すことはできまいが、プラスの材料であることは確かであろう。その前に見せた鋭い眼差しとともに、俺は心に刻みつけておくことにした。


                  ◇


 屋台の料理を受け取った竜神の民の一団は衛兵たちに囲まれながら宿場町の外に出ていったので、ひとまずその場の騒ぎは収まった。


 遠巻きに見守っていた人々も屋台に並びなおして、普段通りの熱気が舞い戻る。しかしやっぱり、屋台に押し寄せた人々も先刻の騒ぎにすっかり気を取られていた。


「うっすら聞こえたけど、あいつらは大陸の外からやってきたんだって? なんだか、信じられねえなあ」


「本当だよ。大陸の外からやってきたってことは、四大神の子じゃないってことなんだろ? そんな連中が大手を振って歩くことが、許されるのかい?」


「あ、でも……アスタも大陸の外からやってきたって言い張ってるんだっけ。それじゃあ、文句もつけられねえなぁ」


 宿場町の住人であれば、リコたちの劇を目にする機会もあったのだ。そこで、ジェノスの外からやってきた人々と見解の相違が生じることになった。


「待て待て。アスタってのは、この店主さんだろ? そいつが大陸の外からやってきたって、どういうことだよ?」


「そうだよ。アスタってのは、森辺の民だろ? ……まあ、他の森辺の人たちとは、ちょいと見た目が違ってるけどよ」


「でも、さっきの連中だって、これっぽっちも似てなかったぜ? まさかあれが、あんたのご同輩だってのかい?」


「あ、いえ。決してそういうわけではなくて……大陸の外にも、色々な一族がいるようなんですよ」


 と、俺も時には言葉を選びながら、釈明することに相成った。

 衛兵の指揮官は話を大きくしたくない様子であったので、俺もどこまで内情を打ち明けていいのか、判断がつかなかったのだ。


(だけどもう、きっちり説明をつけない限りは、この騒ぎも収まらないだろうな)


 なおかつ彼らは、他の領地でも穏便に行商を続けてきたと言い張っていた。それが真実であるならば、ジェノスでも商売に励むことになるのだろう。彼らが罪人でない限り、ジェノスの貴族が彼らを拒絶するとは考えにくかった。


(やっぱりティカトラスがいてくれたら、うんと話は早かったんだろうな。あとは……フェルメスの知識が頼りか)


 フェルメスも渡来の民に大きな関心を寄せている様子はなかったが、それでも知識だけはティカトラスに負けていないはずだ。こういった騒ぎに関して、彼ほど頼もしい存在は他になかった。


「それじゃあな。アスタたちは、くれぐれも気をつけてくれよ?」


 しばらくして、食事を終えた建築屋の面々が帰りがけにそんな言葉をかけてくれた。

 おやっさんはむっつりと押し黙ったまま、俺の顔を見つめてくる。それで俺が笑顔を返すと、おやっさんは無言のまま小さくうなずき、街道の向こうへと歩み去っていった。


 俺たちはリャダ・ルウ=シンに見守られながら、ひたすら屋台の商売に励む。

 それから半刻ほどが経つと、衛兵のひとりが空になった木皿を届けてくれた。


「とりあえず、先刻の一団はサトゥラス伯爵家のお屋敷に招き入れて、貴き立場にあられる方々が直接審問されることに決定された。のちのちこちらを通ることになろうが、決してかまわぬようにな」


 つい昨日、慰労の晩餐会が開かれたのと同じ場所で、審問が行われることになったのだ。おそらくは、うかうかと城下町に通すべきではないという判断が下されたのだろうと思われた。


 それからほどなくして、竜神の民の一団が宿場町に舞い戻ってくる。

 その前後をはさむのは、二十名ぐらいに増員された衛兵たちだ。いかにも剣呑な雰囲気であったが、手綱を引いたギーズは通りすぎざまに笑顔でひらひらと手を振ってきた。


 そして俺は、彼らが所有する二台目の荷車を初めて間近から拝見することになった。そちらの手綱を引いているのは鉄灰色の髪をした巨漢で、他の面々よりも飾り物の数が少ないように見受けられた。


(あれが、六人目のメンバーか。さっきは遠目だったから、よくわからなかったけど……他のメンバーより、ちょっと若いのかな?)


 すると、鋭い眼差しでその一団を見送っていたリャダ・ルウ=シンが、静かに声をあげた。


「先刻は見かけなかったが、あの若衆もずいぶんな手練れであるようだ。青竜神の民というのは、本当に大した力を持つ一族であるようだな」


「うん。全員が森辺の勇者の力を持ってるなんて、ちょっと信じられないぐらいだよね」


 ララ=ルウがそのように応じると、リャダ・ルウ=シンはふっと微笑むように目を細めた。


「俺は古い人間なので、つい勇者を引き合いに出してしまったが……いまや闘技の勇者というのは、血族にひとりしか存在しないのだったな。俺が言う勇者というのは、ルウの血族の力比べで最後の八名に残るぐらいの力量だと思ってもらいたい」


「ああ、なるほどね。それじゃあ、ルウの血族でいうと、ルドとかシン・ルウ=シンぐらいってこと? それでも、大したもんだけどさ」


「うむ。あやつらが、正しき心を持っているように祈るばかりだな」


 そうしてその一団が通りすぎる頃には、屋台の料理も売り切れつつあった。

 日時計で確認してみると、間もなく終業時間である下りの二の刻だ。彼らを迎えている間は開店休業の状態を余儀なくされたので、そのぶん閉店が遅れたようだった。


 よって本日は、こちらが閉店の作業を開始する前に、城下町のメンバーが舞い戻ってきた。

 レイナ=ルウとルティムの女衆、スフィラ=ザザとラッツの女衆、そして護衛役のバルシャとジルベという顔ぶれである。宿場町を闊歩することを許されているジルベはすぐさま荷台を飛び降りて、俺の足に大きな頭をすりつけてきた。


「ジルベ、今日もお疲れ様。……そちらは何もありませんでしたか?」


「はい。そちらは、何かあったようですね」


 リャダ・ルウ=シンの姿を鋭い眼差しで見やりながら、スフィラ=ザザが問うてくる。それで俺が説明をすると、スフィラ=ザザの眼差しはいっそう鋭くなった。


「大陸の外に住まうという、竜神の民ですか。東の王子を上回るぐらいの珍客は、もはや存在しないだろうと考えていたのですが……わたしの考えが甘かったようですね」


「こんな話は、誰も予測できなかったと思いますよ。さっき立派なトトス車が通りすぎていったので、今頃は審問が始められているかと思います」


「そうですか。ザザとサウティには、すでに使者を?」


「うむ。ルウの集落には事情を伝えたので、おそらく誰かがトトスを走らせたことだろう。しかし、今の段階では何をどう警戒するべきかも判然とせんな」


 リャダ・ルウ=シンの沈着な返答に、スフィラ=ザザは「そうですね……」と思案する。


「まずは、貴族の裁決を待つしかないのでしょう。それで、危険はないと判じられたならば……森辺の民も、その一団を相手取ることになるわけですね」


「ええ。彼らはギバの干し肉を行商で扱わせてもらいたいと言っていましたからね。どこまで本気なのかはわかりませんが、俺に対しても無関心ではないようなので……きっと交流を求めてくると思います」


 スフィラ=ザザは俺のほうを振り返ったのち、鋭い眼差しを少しだけやわらげた。


「アスタは何を、申し訳なさそうにしているのです? アスタが何か、罪を犯したわけでもないでしょう?」


「はい。ですが、彼らは俺やギバ料理の評判を聞き及んで、ジェノスを目指すことにしたと言っていましたので……ポワディーノ王子に引き続き、また俺が思わぬ客人を呼び込んでしまったということになるのですよね」


「それを言うならば、あちこちの地からアスタの評判を聞き及んだ人間が訪れています。日増しに屋台の売り上げがのびていくのも、その恩恵でしょう? あなたの行いは、毒ではなく薬になっているはずです」


「そうです! ポワディーノとも確かな絆を結ぶことがかなったのですから、アスタが気になさる必要はありません!」


 レイナ=ルウも勢い込んで、そんな風に言ってくれた。

 ララ=ルウは力強い面持ちで、ラッツの女衆はゆったり微笑みながら、それぞれうなずいている。俺はみんなの優しさを心からありがたく思いながら、「ありがとうございます」と頭を下げることになった。


 そうしてその後は森辺に戻り、平常通りファの家で勉強会を行うことにしたわけであるが――その終わり際に、使者の武官がやってきた。


「失礼いたします。近衛騎士団団長メルフリード閣下からのお言葉を伝えさせていただきます。……竜神の民を名乗る一団の審問は、無事に終了いたしました。明日からはお目付け役を同行させた上で行動の自由を許すことにいたしましたので、森辺の方々もそのように思し召しいただきたいとのことです」


「はい。それじゃあ彼らに危険はないと見なしたのですね?」


「さしあたって、あの者たちが竜神の民であるという素性に偽りはないと判じられました。あの者たちがこれまでに巡ってきた領地にも使者を出して、事実確認をすることになっていますが……現時点で、あの一団を危険と見なす正当な理由は存在しないとのことです。また、あの者たちは森辺の民と商談をしたいと申し出ていますので、それに関してはそちらの判断で可否を定めていただきたいとのことです」


 そのように述べてから、使者の武官はわずかに声をひそめた。


「そしてこれは、王都の外交官フェルメス殿からの伝言となりますが……くれぐれも、彼らが崇める竜神を貶めるような発言はおつつしみくださいとのことです。それは森辺の民にとってのモルガの森、王国の民にとっての四大神を貶めるのと同義であるとのことでありました」


「承知しました。フェルメスにも、よろしくお伝えください」


 そうして使者が立ち去ると、それと入れ替わりでギバを担いだアイ=ファも森から戻ってきた。

 解体部屋にはすでにギバの生皮が吊るされていたが、本日も二頭目を仕留めたようだ。アイ=ファは俺と相対するなり、青い瞳を白刃のようにきらめかせた。


「どうした? 宿場町で、何かあったのか?」


「ああ、うん。色々と報告することがあるんだけど……でも、よくわかったな?」


「お前は明らかに思案顔であるし、この場には常ならぬ気配が漂っている。いったい、何があったのだ?」


「話せば長くなるんで、報告は晩餐まで持ち越さないか? とりあえず、俺たちが危険な目にあったわけではないからさ」


 アイ=ファは俺の目の奥を覗き込んでから、「そうか」とうなずいた。


「であれば、お前の言葉に従おう。長い話であるならば、要点をまとめておけ」


 アイ=ファの信頼を嬉しく思いながら、俺は「うん」と笑顔を返した。

 そうしておたがいの仕事を果たしたならば、一刻余りで晩餐の刻限となる。俺が精魂こめて作りあげたハンバーグカレーを食しながら、アイ=ファはしばらく聞き役に徹した。


「……というわけでな。まあ、いかにも荒事が得意そうな風体だったけど、いきなり乱暴な真似をするような人たちには見えなかったよ」


 俺がそのように締めくくったのは、晩餐が綺麗にたいらげられたのちのことである。こちらも食べながらの報告であったので、それなりの時間が必要であったのだ。


「なるほど。大陸の外からやってきた、竜神の民か。まさか、そのような者たちと相対する日がやってこようとはな」


 空になった木皿を敷物に置いたアイ=ファは、鋭い眼差しで俺を見つめてきた。


「それで……そのギーズを名乗る者が、お前に時間を作ってもらいたいと申し出たのだな?」


「うん。行商にまつわる話をしたいんだって言ってたよ。赤毛のお人は、俺が自ら竜神の民を名乗ったんじゃないかって疑ってたみたいだけど……そっちの件はもういいって言ってもらえたから、とりあえずは納得してくれたんだと思う」


「ふむ……お前が危険を覚えたのは、そのやりとりのみであったのだな?」


「危険を覚えたっていうか、すごく真剣そうな空気を感じたんだよ。俺が自ら竜神の民を名乗っていたら、危険だったのかもしれないな」


「そしてメルフリードの使者も、竜神なる存在を決して貶めてはならじと言いたてていたわけか。それは、心に刻んでおくとしよう」


 そんな風に言いながら、アイ=ファはぐっと身を寄せてきた。


「くどいようだが、もういっぺん確認させてもらう。それ以外に、危険を覚えることはなかったのだな?」


「うん。俺は、そう思ったよ。ララ=ルウやリャダ・ルウ=シンは、彼らの力に警戒していたみたいだけど……べつだん、悪人だって疑ってる感じではなかったな」


「そうか」と、アイ=ファは身を引いた。

 アイ=ファは警戒心の強いほうであろうが、それにしても真剣な面持ちだ。それで今度は、俺のほうが問いかけることになった。


「アイ=ファはずいぶん、警戒してるみたいだな。俺の話で、何か心配するような部分があったのか?」


「未知なる存在に対して、警戒を怠ることは許されん。しかも相手が、竜神の民ではな」


「うん? アイ=ファにとって、竜神の民は警戒の対象なのか?」


「うむ……そうまで古い話に頓着するのは、正しい行いではないのかもしれんがな」


「古い話?」


 俺が小首を傾げると、アイ=ファはきゅっと眉をひそめた。


「まさか、あのような話を忘れたわけではあるまいな? 竜神の民は、かつてこの大陸アムスホルンを脅かしていた悪しき存在であったのであろう?」


 アイ=ファのそんな言葉が、フラッシュバックのようにさまざまな記憶を蘇らせた。

 まず真っ先に俺の心を埋め尽くしたのは、赤き民の少女ティアの面影である。俺たちは、モルガの聖域でティアとの別れを果たし――その際に、ジェムドの口から竜神の民の逸話を聞かされていたのだった。


 この大陸アムスホルンに魔力というものが満ちていた時代には、魔術の文明が築かれていた。それで六百年前に大地の魔力が尽きたとき、一部の人間は石と鋼の王国を築き、残る人間は聖域に引きこもったのだ。


 では、どうしてすべての人間が、母なる大地の懐で大神の目覚めを待たなかったのか――それは、外来の敵に備えるためだったのではないか――フェルメスは、そのように考察していたのである。


 外来の敵とは、すなわち竜神の民である。

 魔術を扱うすべを失った大陸の人々は、その脅威に備えるために石と鋼の新たな文明を築いた。それで見事に竜神の民を返り討ちにして、のちのち友誼を結ぶことになったのだと、ジェムドはそのように語っていたのだった。


「そ、そうか。俺はティカトラスから聞いた話ばかりを気にして、ジェムドの言葉はすっかり忘れちゃってたよ。でも、竜神の民が敵だったのは、何百年も昔の話だろう?」


「うむ。だからそのように古い話を持ち出すべきではないのかと、自分を戒めているのだ。……しかしまさか、本当にそのような話を失念していたとはな」


「ごめんごめん。俺はアイ=ファほど、立派な頭をしてないんだよ。ティアのことなら、一日だって忘れたりはしないけどな」


「このような際に、あやつを引き合いに出すな」


 アイ=ファは苦笑を浮かべつつ、俺の頭を優しく小突いた。


「それで、竜神の民というのはひとりひとりが森辺の勇者に匹敵する力量であるというのだな?」


「うん。ルウの血族で上位八名っていう見当みたいだけどな」


「であれば、たいそうな力量であろう。それに対抗するために、四大王国を築いたというならば……我々の祖も、決して道を間違えたわけではないようだな」


 そう言って、アイ=ファはふっと息をついた。

 外敵に備える必要がなければ、大陸の民が道を分かつ必要もなかったはずであるのだ。それで王国の民と聖域の民は、異なる道を歩むことになってしまったわけであるが――それが間違った判断でなかったことを、アイ=ファは幸いに思っているのかもしれなかった。


「……王国の民と聖域の民は敵対したわけではなく、別々の道を歩みながらおたがいを尊重している、だったよな」


 俺もまた、深い感慨に胸を満たされながら笑ってみせた。


「聖域の民と同胞になれる日が、待ち遠しいよ。でもその前に、まず竜神の民だな」


「うむ。我々の祖がそやつらと友誼を結んだのならば、我々もその絆を重んずるべきであろう。あちらが手を差し伸べようとしているのなら、なおさらにな」


 そう言って、アイ=ファも静かに微笑んだ。

 かくして、長い一日はようやく終わりを迎えて――その翌日から、俺たちは本格的に竜神の民と相対することになったのだった。

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― 新着の感想 ―
腸詰でもベーコンでもない、ただの干し肉の取引ねぇ 言及されるのは販路拡大を目的に行ったダバック以来か あれ以来、宙ぶらりんだったな
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