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異世界料理道  作者: EDA
第九十四章 青き竜の子ら
1608/1695

邂逅の日①~来訪~

2025.4/8 更新分 1/1

 慰労の晩餐会の翌日――緑の月の十七日である。

 その日、俺たちは思わぬ客人を迎えることになった。


 もとよりこの時期は、さまざまな客人の到着を待っていた頃合いである。

 ざっと指折り数えるだけで、ジギの商団《銀の壺》、東の王都の使節団、そして西の王都の新たな外交官と、それだけの予定を控えていたのだ。


《銀の壺》はジェノスを見舞う雨季を避けるために、行商のスケジュールにやや乱れが生じている。本来であればとっくに到着している頃合いであるのに、緑の月の半ばを過ぎた現在でも音沙汰がなかった。


 東の王都の使節団は、いつやってくるかもわからない。前回の来訪では準備しきれなかった食材を可及的速やかに届けるという話であったが、出立の日取りは不明であったのだ。最短であれば緑の月の下旬、遅くとも翌月には来訪するはずだという話であった。


 西の王都の新たな外交官というのは、さらに内容が定まっていない。こちらこそ、フェルメスとオーグの任期はとっくに終えているはずであるのに交代要員がやってくる気配もないので、オーグが様子をうかがうために西の王都まで戻ることになったのだ。オーグが王都に到着してから出立の準備が整えられるとすると、こちらも翌月の青の月にやってくる公算が高かった。


 そんなわけで、真っ先に到着するだろうと思われていたのは、《銀の壺》であったわけだが――このたび来訪したのは、まったく異なる面々であった。

 なおかつ、そんなものがジェノスにやってこようなどとは、誰ひとり想像していなかったはずだ。それを想像できそうな人間も、約一名だけ存在したのだが――その人物は、ジェノスを離れているさなかであった。


 ともあれ、どのような客人でも快く迎え入れて、確かな絆を結ぶというのが、交易の要たるジェノスの民の心意気というものであろう。

 それでこのたびの俺たちは、その心意気がどれほどのものであるのかと、神々に試練を与えられたような心地に陥るわけであった。


                 ◇


 そんなわけで、緑の月の十七日である。

 その日も朝方は、常と変わらぬ平穏な様相であった。


 トゥランの商売はルウ家が受け持つ順番に切り替えられたため、ファの家が受け持つのは宿場町と城下町の商売だ。

 城下町の商売もこれで十六回目を数えて、本日の当番はスフィラ=ザザとラッツの女衆であった。


 前日は慰労の晩餐会であったが、下ごしらえは滞りなく進められて、本日も両名は問題なく出立していった。

 俺が城下町の商売を受け持つのは十日にいっぺんであり、新たな宿場の検分におもむいた日の前日にその役目を果たしている。それで、城下町の商売も順調であることを、我が身で確認することができた。


 そして俺たちはさらなる発展を目指して、本日から新たな手を打つことになった。

 本日から、新たな献立を組み入れることに決定したのだ。


 城下町での商売を開始してから、今日でちょうど一ヶ月となる。

 それで俺たちは、新たな献立の販売に踏み切ったのだ。これでもなお想定よりも早い品切れが起きるようであれば、いよいよ料理の量を最大ラインまで引き上げようという計画を立てていた。


 ちなみに、ファの家が売りに出す新たな献立は、以前に一度だけルウ家の分まで肩代わりするために販売した『麻婆まん』となる。

 いっぽうルウ家は改良に改良を重ねた、『シャスカの黒フワノ巻き』なる料理であった。


 白米に似たシャスカを小麦粉の生地に似た焼きフワノで包み込むという、レイナ=ルウの意欲作である。こちらは以前にアルヴァッハやカルスたちに味見をしてもらい、そこから授かった助言をもとに改良を重ねたわけであった。


 便宜上、『シャスカの黒フワノ巻き』と命名されたが、もちろんシャスカ以外の具材も使用している。というよりも、シャスカも具材のひとつに過ぎないのだ。ただ他の商品と区別をつけるために、その名が選ばれただけのことであった。


 他なる具材には、ギバのロース、長ネギに似たユラル・パ、ハクサイに似たティンファ、ブロッコリーに似たレミロム、レンコンに似たネルッサ、生鮮のウドに似たニレなどが使われている。レイナ=ルウはこちらの料理において、とりわけ具材の食感を重んじているように見受けられた。


 そして、それらの具材はミソを主体とした調味液で煮込まれたのち、トリュフに似たアンテラで最後の彩りが加えられている。最新の食材であるアンテラを活用することで、こちらの料理は真なる完成を迎えたわけであった。


 また、バナーム産の黒フワノを使用しているのは、シャスカを使うことで重くなる食べ心地を軽減させるための処置である。これは、カルスの助言に基づく改良であった。


 シャスカも黒フワノもポイタンより遥かに高値であるため、宿場町やトゥランの商売では扱いづらい。これこそ、城下町で販売するのに相応しいひと品であることだろう。最初の品として販売された『香味焼きのポイタン巻き』に匹敵する、レイナ=ルウの尽力の結晶であった。


 いっぽう、『ガトー・アール』を委託販売していたトゥール=ディンも、同時に新たな献立を準備した。

 第二の献立は、『ガトー・アロウ』である。トゥール=ディンが開発したストロベリーチョコレート風味のソースがたっぷりと生地に練り込まれた、こちらも素晴らしいひと品であった。


 特別仕立てのアロウ・ソースを使った菓子は前々から城下町の祝宴で披露しており、ひときわ好評であったのだ。『ガトー・アール』から菓子の種類を変えずに味付けだけを変えるというのはトゥール=ディンらしい慎重さであったが、これならば城下町の屋台でも人気を博するのではないかと期待をかけることができた。


 そんな自慢の品々を携えて、スフィラ=ザザとラッツの女衆はいち早く出立していく。

 それを見送ってから、俺は宿場町の料理の下ごしらえを完遂するべくかまど小屋に舞い戻った。


 昨日は慰労の晩餐会であったし、宿場町の屋台は連続七日目の営業日であったが、常勤組にも疲れの色は見られない。まだまだ忙しければ忙しいほど奮起するという範疇であるようだ。森辺の女衆の逞しさは、心強い限りであった。


「でも、先はまだまだ長いからね。くれぐれも無茶はしないで、休みたいときはすぐに申告しておくれよ?」


「わたしは、大丈夫です! 復活祭でも、こういう日取りでしたものね!」


 もっとも若年であるレイ=マトゥアも、元気いっぱいの様子である。ただしそれは性格の問題であり、ユン=スドラやマルフィラ=ナハムやガズの女衆も同じだけの力感をみなぎらせていた。


 この中で新たな宿場の遠征にまで参加していたのは、ユン=スドラとレイ=マトゥアの両名だ。

 ただし他の面々は、留守中の下ごしらえで尽力してくれた。苦労の質に多少の差はあれども、誰もがたゆみなく仕事に励んでいたのだ。それが営業七日目となっても減退の兆しすら感じられないのは、やはり森辺の女衆の気力および体力の賜物であった。


「建築屋の方々の来訪で意気を上げているのは、わたしたちも同様であるのですからね。またバランたちを森辺にお招きできる日を、心待ちにしています」


 ユン=スドラも、笑顔でそんな風に言ってくれた。

 それもまた、俺にとっては嬉しい限りの話である。自分が親愛するおやっさんたちが森辺の同胞とこれほどまでの絆を深めることができて、俺が嬉しくないわけがなかった。


 そうしてその日も俺たちは、意気揚々と宿場町に向かうことになった。

 レイナ=ルウは城下町、ララ=ルウはトゥランに向かったので、ルウの屋台の取り仕切り役はマイムだ。ついに単身で取り仕切り役を担う日がやってきて、マイムは頬を火照らせながら奮起していた。


「アスタ、今日はよろしくお願いします。何かわたしに至らない点があったら、ご遠慮せずに厳しい指導をお願いいたします」


「うん。陰ながら、マイムの働きっぷりを見守らせていただくよ」


 そんな挨拶を交わしたのち、あらためて宿場町を目指す。

 ルウの集落で合流したヤミル=レイは、御者台の俺に聞こえる声量で「やれやれ」とつぶやいた。


「今さらながら、マイムやトゥール=ディンの齢で屋台の商売を取り仕切るだなんて、大変な話よね。わたしには、とうてい務まらない話だわ」


「あはは。ヤミル=レイだったら、難なく務まりそうですけどね。よかったら、ヤミル=レイも研修を始めてみますか?」


「冗談はやめてちょうだい。わたしのように至らない人間に取り仕切られたら、みんな内心で不満を抱え込むことになってしまうわよ」


 そんなことはないはずであるが、ヤミル=レイはただひとりルウの血族の中からファの商売にお借りしている特殊な立場であったため、今のところは取り仕切り役を任せる予定もない。なおかつ、ヤミル=レイが毎朝集落にいないのは物寂しいというラウ=レイの意見を受けて、常勤であった彼女は数日おきの出勤となったのだ。俺としては、常勤のメンバーに匹敵する頼もしさを有する非常勤メンバーという扱いであった。


(それにヤミル=レイだって、いつラウ=レイと婚儀を挙げるかわからないしな)


 俺が二十歳になったのだから、ヤミル=レイはもう二十四歳ぐらいになっているはずだ。森辺において、それだけ齢を重ねた女衆が未婚であるのは、ずいぶん珍しいはずであった。


 しかしまた、年齢だけを理由に婚儀を急ぐ必要はないのだろう。特殊な出自であるヤミル=レイの婚儀に関してはレイ家でも慎重に取り沙汰されているはずであるので、部外者の俺が口を出す筋合いはなかった。


(俺やアイ=ファだって、その年齢まで独身のままかもしれないしな。誰だって、余所の人間にどうこう言われたくはないさ)


 そんな思いを心の片隅に抱えながら、俺は荷車を走らせることになった。

 宿場町に到着したならば《キミュスの尻尾亭》で屋台を借り受けて、露店区域を目指す。その行き道ではドーラの親父さんやターラと挨拶をして、所定のスペースに到着したならば屋台の準備をして――何もかもが、平常通りであった。


 いざ商売を開始しても、それは変わらない。

 屋台の商売は本日も盛況で、準備した料理は順調すぎるぐらい順調に売れていった。


(これは本格的に、宿場町の屋台も料理の数を増やすべきかもな)


 宿場町は滞在客の流動が大きいので、そういった話を見定めるのが非常に難しい。しかし、緑の月が始まると同時に体感した賑わいの増加は、半月が過ぎてもまったく印象が変わらなかった。


 小手調べとして、ルウ家の汁物料理とファの家の日替わり献立は十食分ずつ多めに準備しているのだが、それ以降も終業時間の四半刻前にはすべての料理が売り切れてしまっているのだ。本日も、その例からもれることのなさそうな賑わいであった。


(城下町の屋台と同時に量を増やすことになったら、さすがにけっこうな手間かもしれないしな。レイナ=ルウたちが戻ってきたら、相談してみよう)


 そうして中天のラッシュを乗り越えたならば、ひとときの安息である。

 しかしその時間も、お客はちらほらとやってくる。あとはこのペースで一刻少々を過ごすだけで、準備した料理はきれいに完売するはずであった。


 それから間もなくして、まずはトゥランの商売を受け持っていたララ=ルウとムファの女衆が戻ってくる。ララ=ルウたちは集落に直帰せず、屋台の裏手に荷車を回してきた。


「ただいま。今日もトゥランのほうでは、何事もなかったよ。……こっちも、問題ないみたいだね」


 と、ララ=ルウは俺のもとに寄ってきて、遠目にマイムの様子をうかがった。

 マイムもラッシュの時間は自分の料理の屋台で働いていたが、現在は青空食堂を見回っている。本日も一見のお客がぽつぽつ入り混じっていたようだが、幸いなことにおかしな騒ぎは起きていなかった。


「最近は、お客のトラブル――あ、いや、面倒が起きることも少ないからね。森辺の民の屋台がしっかり世間に認知された証拠なんじゃないのかな」


「そうかもね。ま、昼から酒を飲んでる無法者っぽいお客もいなくはないから、まだまだ油断はできないけど――あれ?」


 と、ララ=ルウはそこで目を丸くした。見慣れた集団が、街道の南側からぞろぞろと近づいてきたのだ。


「なんだ、バランたちはこれからだったの? 今日はずいぶん遅かったんだね」


「うん。仕事が立て込んでいたのかな」


 しかし、建築屋の面々はいつも通りの賑やかさであったので、俺も胸を撫でおろすことになった。


「いらっしゃいませ。今日は来ていただけないのかと、ちょっと心配していたところでした」


「そんなわけ、あるはずがないだろ? 今日はひときわ大がかりな仕事だったんで、ちょっと長引いちまっただけさ!」


「そうそう! 屋台の料理が売り切れる前に一段落して、ほっとしたぜ!」


 時刻はまだ下りの一の刻にも達していないはずであるので、どの料理もどっさりと残されている。彼らはいつも通り、手分けをして屋台に並ぶことになった。


「この時間だと後ろからせっつかれることもないし、なかなか気楽なもんだな。できれば毎日、この時間にお邪魔したいぐらいだぜ」


「ふん。そんなものは、その日の仕事の進捗次第だ」


 俺の屋台に並んでくれたおやっさんとアルダスも、いつもの調子で言葉を交わしている。本日の日替わり献立は焼き餃子であり、鉄板で保温していた分では二十名分に足りなかったので、残りの料理が仕上がるまで会話を楽しむことができた。


「でも、こんなに遅いのは珍しいですよね。そんなに大がかりな仕事だったんですか?」


「今日の依頼主は、屋根が腐り落ちるまで放っておいた粗忽者であったのだ。銅貨が惜しくてぎりぎりまで粘ったのだろうが、あれでは余計に費用がかさむだけだ。……お前も何か異常を感じたら、すぐさま声をかけるのだぞ」


「承知しました。母屋のほうも、まだまだ新築同然ですけどね」


「ふん。俺たちが念入りに仕上げたのだから、あの家の屋根が腐るには二十年ばかりもかかろうな」


「ははは。おやっさんは、そんな年までジェノスに通うつもりかい? いい加減、足腰が立たなくなってそうだけどな」


「ふん。その頃までに、若造どもが育っているかどうか――」


 と、アルダスのほうをにらみつけたおやっさんが、「なんだ、あいつらは?」と眉をひそめた。

 おやっさんの視線を追ったアルダスも、きょとんと目を丸くする。どうやら街道の北側から、何かがやってきた様子である。


 好奇心に駆られた俺も、屋台の内側から何とかそちらを覗き込み――そして、アルダスと同じように目を丸くすることになった。


 ひどくけばけばしい装飾が施された荷車が、しずしずと宿場町に踏み入ってきたのである。

 二頭引きの大きなトトス車で、《銀の壺》などの商団と同じように二台の荷車を連結させている。さらに後方にも同じ仕様の荷車が追従しているようであるが、その両方が極彩色の派手派手しさであった。


 まず、それらの荷車は、全体が真っ青に塗りたくられていた。その上で、赤や黄色で得体の知れない紋様のようなものがペイントされていたのだ。

《ギャムレイの一座》やリコたちの荷車を思わせる、過剰なまでの装飾である。それで俺は、新たな旅芸人がやってきたのかといぶかしむことになった。


(旅芸人なんて、復活祭ぐらいでしか見かけないのにな。でも……本当に旅芸人なのか?)


 先頭の御者台に座しているのはどうやら小柄な男性で、そちらも派手にペイントされたフードつきマントを纏っている。

 それに――ひときわ目をひくのは、手綱を装着させられたトトスたちであった。

 遠目なのではっきりとはわからないが、トトスたちは全身に鉄灰色の甲冑めいたものを纏わされているようであるのだ。それで、とぼけた顔も全身の羽毛もすっぽり隠されていたのだった。


(それに何だか、ずいぶん大きなトトスだよな。ちょっとシルエットも普通じゃないみたいだし……)


 俺がそんな風に考えていると、駆け足の人影が屋台の前を通りすぎていった。

 たまたま巡回していた二名の衛兵が、そのけばけばしい荷車のほうに駆けていったのだ。それに気づいたアルダスが、「やれやれ」と肩をすくめた。


「なんだかわからねえけど、衛兵に任せておけば大丈夫だろう。俺たちが口出しするような話ではないしな」


「うむ……しかしあれは、真っ当な連中ではないぞ」


 おやっさんは、いよいよ剣呑な目つきになっている。

 俺は餃子の並んだ片手鍋に水を投じ、蓋をかぶせてから、あらためてそちらの様子をうかがった。


 衛兵たちが声高に呼びかけると、御者台の人物はぺこぺこと頭を下げながら石畳の地面に降りる。宿場町では、御者台に乗ったまま荷車を走らせることを禁じられているのだ。それを知らなかったということは、ジェノスに初めてやってきたということであった。


 しかしまあ、素直に下車したのだから、何も心配はいらないように思えるが――話は、そこで終わらなかった。地面に降りた小柄な男性が、懐から何かを取り出したのである。


 まだこちらからは距離があるのではっきりとはわからなかったが、どうやら筒状に丸められた書面のようである。

 それを受け取って中身を確認した衛兵は、愕然と身をのけぞらせたようであった。


 そしてその後は、押し問答である。

 そのまま宿場町に踏み入ろうとする小男を、衛兵たちが懸命に止めているようだ。そして、丸めなおした書面を手にした衛兵のひとりが、往路の倍する勢いで街道を駆け戻っていったのだった。


「なんだか、剣呑な雰囲気だな。衛兵たちが、ずいぶん泡を食ってるようじゃないか」


「……当たり前だ。あんな連中を前にしたら、誰だって取り乱すだろうよ」


 おやっさんのそんな言葉に、アルダスが不思議そうな顔をした。


「おやっさんは、ずいぶん警戒してるみたいだな。何をそんなに、カリカリしてるんだい?」


「お前さんこそ、ずいぶん呑気な面がまえだな。あんな得体の知れないものを目の前にして、何も感じんのか?」


「得体が知れない? 俺には、旅芸人か何かにしか見えないがね」


「旅芸人」と、おやっさんは重々しい声で反復した。


「そうか。旅芸人か。復活祭で見かけた旅芸人も、得体の知れない獣に荷車を引かせていたな」


「ああ、トカゲの親分みたいなやつだよな。でも、あっちはただのトトスだろう?」


「トトスではない。よく見てみろ」


 俺は、アルダスとともに目を凝らすことになった。

 確かに、トトスとはいくぶんシルエットが異なっている。しかし、身体はずんぐりしているし、首は長くのびているし、二本の足はきわめて頑丈そうであるし――基本の体型に、それほど大きな違いは見受けられなかった。


(それに、全身が何かに覆われているから、そんなに細かい違いなんて……)


 そのように考えかけた途中で、俺は愕然と身を震わせることになった。

 そのトトスに似た何かが何も纏っていないことに、ようやく気付いたのである。


 くすんだ鉄灰色をしたその姿が、彼らの真の姿であり――そしてそれは羽毛ではなく、甲冑のごとき鱗であったのだった。


「なんだ、ありゃ? トトスとトカゲの合いの子か?」


「知らん。あのような獣は、見たことも聞いたこともない。……ただし、旅芸人の連中も、そういった獣を山ほど引き連れていたな」


 おやっさんは厳しい面持ちのまま、腕を組んだ。


「あいつらもただの旅芸人なら、俺たちが騒ぐ理由もないが……衛兵たちの慌てっぷりを見る限り、そういうわけでもないようだな」


 そのとき、街道や食堂のあちこちから、悲鳴まじりの声がわき起こった。

 足止めをくらった荷車の内から、新たな人影がわらわらと現れたのだ。


 それらはいずれも、天を突くような大男であった。

 御者台の男性は女性のように小柄であったのに、残る面々は二メートルを超える図体であったのだ。


 しかもその全員が、けばけばしい装束を纏っている。

 青や赤や、金や銀――遠目には、ティカトラスやギャムレイを思わせるほどのけばけばしさである。


 そして彼らは、燃えるような真紅の髪か、ぎらぎらと輝く金色の髪をしていた。

 ただ背が高いばかりでなく、全員が筋骨隆々たる大男ばかりである。そんな大男が五人ばかりも出現して、最初の小男と衛兵を取り囲んだのだった。


「なんだよ。まるで、噂に聞く北の民みたいな風体だな」


 と、ついにそこでアルダスの声にも緊迫の気配が漂った。

 しかしおやっさんは、「いや」と重々しく応じる。


「マヒュドラからジェノスまでは、トトスの車でひと月以上もかかるという話だったはずだ。あれが北の民であるならば、ここまで無事に辿り着けるわけがあるまい」


「それじゃあ、あいつらは何なんだよ?」


「俺が知るか。……西の王国には、ああいう連中も住みついているのか?」


 おやっさんの厳しい眼差しが、ひさびさに俺のほうに向けられた。

 俺は半ば呆然としながら、「いえ……」と答える。


「そんな話は聞いたこともありませんし、それにあれは……」


 俺はまた、新たなひとつの発見をしていた。

 彼らが乗っていた荷車に、小ぶりの旗が掲げられていたのだ。


 遠目には、そこに何が描かれているのかも判然としなかったのだが――そこから降りた人々の姿を目にしたことによって、俺の脳内で視覚情報の補正が施されたのだった。


 あれはおそらく、竜の紋章である。

 青い竜が横向きの姿で、赤い炎を吐いている構図であるのだ。


 この世界において、竜といえば――真っ先に思いつくのは、竜神の民である。

 大陸アムスホルンを取り囲む大海の外には、竜神を崇める一族が存在するという話であったのだ。


 そして、竜神の民にもさまざまな一族があり、青竜神を崇めるラキュアの民というのはマヒュドラの民と似通った風貌をしている――と、俺はかつてティカトラスから、そのように聞き及んでいたのだった。


(それじゃああれが、そのラキュアの民ってやつなのか? でも、渡来の民が、どうしてこんな大陸のど真ん中に? 渡来の民は《アムスホルンの息吹》を恐れて、港に下りることも滅多にないっていう話だったよな?)


 その中で、豪放なるラキュアの民だけは港町を闊歩するという話も聞いたような覚えがあるが――しかしこのジェノスは、港がある西の王都から荷車でひと月の距離であるのだ。竜神の民がそんな場所まで乗り込んでくるのは、マヒュドラの民が乗り込んでくるのと大差がないぐらい規格外の話なのではないかと思われた。


「……アスタ。砂時計の砂が、落ちきりました」


 と、屋台の相方であったヴィンの女衆が、おずおずと呼びかけてくる。

 俺が大慌てで片手鍋の蓋を開封すると、白い蒸気がわきたった。


「あ、あの、料理が仕上がりました。おやっさんたちは、どうぞ食事をお楽しみください」


「……この状況で、呑気に腹を満たせというのか?」


 おやっさんに鋭い眼差しを向けられた俺は、力ずくで「はい」と笑ってみせた。


「あの一団が危険な存在だったら、衛兵の方々が対処してくれるでしょう。そうでなければ……ジェノスのお客として、迎え入れるだけです。どんな素性の御方でも、四大王国の法を守る限りは、大事なお客様ですからね」


「……そうか。お前さんも、決して真っ当な素性ではないと言い張っていたな。であれば、客の素性を問う理由もないということか」


 俺が渡来の民について語るまでもなく、おやっさんはそのように言いたてた。


「まあ、あやしげな風体という意味では、復活祭に参ずる旅芸人どももまったく負けていなかった。お前さんがたなら、どんな相手でも取りなすことができるのやもしれんが……くれぐれも、気を抜くのではないぞ?」


「はい。まずはこの目で、実情を見定めるつもりです」


 俺がそのように答えると、おやっさんも目もとだけで微笑んでくれた。

 そんな中、アルダスが「おいおい」と声をあげる。


「俺も、アスタの力を侮ってるわけじゃないんだがな。しかし今日は、狩人さんたちも来てないんだろう? あいつら、衛兵を無視して踏み入ってきやがったぞ」


 アルダスの言う通り、二台の荷車と大男たちの群れが進軍し始めていた。

 衛兵はあたふたとしながら、横から懸命に声をかけている。しかし彼らは、歩を止めることなく――俺たちの屋台の前までじわじわと近づいてきたのだった。

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― 新着の感想 ―
郷に入りては郷に従わない奴、後々関係改めて改善することになっても、気分が良いものじゃないな。
久しぶりに不穏?
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