序 ~慰労の晩餐会~
2025.4/7 更新分 1/1
・今回は全7話の予定です。
新たな宿場の検分と炊事係への手ほどきを完了させた日から、五日後――緑の月の十六日である。
その日、宿場町の一画に存在するサトゥラス伯爵家の屋敷において、慰労の晩餐会というものが開かれることになった。
それに招待されたのは、ジャガルの建築屋の面々と森辺の民である。
それはつまり、新たな宿場まで遠征したことに対する慰労の催しであったのだった。
「それなのに、晩餐の支度をレイナ=ルウに任せちまうってのは筋違いだよな。でもきっと、レイナ=ルウなら喜んでくれると思ってさ」
そんな風に語っていたのは、この催しの立案者であったサトゥラス伯爵家の第一子息リーハイムである。
どうやら新たな宿場というのは、ジェノス侯爵家とサトゥラス伯爵家が中心となって進められる一大事業であったようなのだ。資金面の大部分はジェノス侯爵家が担っているようであったが、実務の部分ではサトゥラス伯爵家も大いに尽力しているのだという話であった。
まあ、あのような遠征ひとつでこんな立派な晩餐会が開かれるというのは恐縮の限りであるが、リーハイムは前々からこちらの屋敷を有効活用したいと願っていたし、根底には森辺の民と絆を深めたいという思いもあるのだろう。そしてさらには、これまで数々の場面で活躍していた建築屋の面々とも絆を結んでおこうと思いたったようであった。
「そもそもその建築屋ってのは、長きにわたって宿場町の面倒を見ていてくれたんだからな。礼を言うのが遅すぎたぐらいだろうよ」
リーハイムは、そんな風にも言っていた。
まあ、サトゥラス伯爵家と建築屋の親睦が深まるのであれば、何よりである。それで俺も満ち足りた思いで、その日の催しに参ずることになったのだった。
なお、その日は遠征に出向いた四名ばかりでなく、建築屋の総勢二十名がすべて招待されている。
森辺の民のほうは、遠征に出向いた二十二名の他に、レイナ=ルウのかまど仕事を手伝う女衆が五名追加されて、二十七名だ。今回のかまど仕事はルウ家に依頼されたので、これまでの慣例通りに他なる氏族のかまど番はルウ家の奮闘を見守ることになったのだった。
そして、それを迎え撃つ貴族のほうは、リーハイムと伴侶のセランジュ、トゥラン伯爵家の若き当主リフレイア、ダレイム伯爵家の第二子息ポルアースと伴侶のメリム、ジェノス侯爵家のエウリフィアとオディフィア――そして、スペシャルゲストのデルシェア姫という顔ぶれであった。
デルシェア姫の参席は、いちおうシークレットという扱いである。参席者には通達されていたが、会が終わるまでは余人に明かさないようにという触れ込みであったのだ。もちろんそれは、防犯上の措置であった。
あとはさらなるゲストとして、ディアルとラービスも招待されている。ディアルは建築屋にも貴族にも伝手を有しているので、その両方に働きかけた結果である。会場で顔をあわせた際、ディアルはとてもご機嫌な面持ちであったものであった。
ちなみに本日、ドレスコードというものは存在しない。
建築屋の面々は立派な装束など持ち合わせていなかったし、なるべく格式張らないようにという配慮もあったのだろう。貴族の側が庶民にあわせて、なるべく豪奢ならぬ装束を纏っているほどであった。
「気取らない晩餐会は、こちらも大歓迎だからね! 森辺のご婦人がたの宴衣装が見られないのかと文句をつけるような人間も、今日はいないはずだしさ!」
そのように語るポルアースも飾り物の類いはおおよそ外して、瀟洒ながらも豪奢ならぬ装いであった。
おかげで会場である屋敷の大広間は、実にくだけた雰囲気に満ちみちている。屋敷の外には警護の衛兵がずらりと立ち並んでいるのであろうが、室内では衝立などの裏にひそんでいるため、建築屋の面々もすぐさま気をゆるめることがかなったようであった。
「……お前さんがたも忙しいさなかに引っ張り出されて、とんだ手間だったな」
会が始まってすぐに合流したバランのおやっさんがそんな風に言っていたので、俺は笑顔で「いえいえ」と応じることになった。
「建築屋のみなさんと同席できるだけで、喜びのほうが上回ります。増築の作業が完了してからは、森辺に招待する機会もありませんでしたしね」
「こちらも、仕事があるからな。この屋敷であれば、帰りもそうまで遅くはなるまいが……酒が過ぎることは、避けられまいな」
おやっさんを除く建築屋の面々は、みんな賑やかに酒と料理を楽しんでいる。それらの様相を見回しながら、副棟梁のアルダスも果実酒をあおった。
「ま、二日酔いでくたばるようなやつは、尻を蹴っ飛ばしてでも働かせるだけさ。今日ぐらいは、俺もあいつらも楽しませてもらわないとな」
「そうそう! あの日は俺たちばっかり、楽しい思いをさせてもらったからな! これでようやく、うだうだ言われずにすむだろうぜ!」
そのように声をあげたのは、ともに遠征をしたメイトンだ。メイトンにとってもあの遠征が楽しい思い出とされているならば、幸いな話であった。
「でも、アスタたちは本当に大丈夫なのかい? ちょうど俺たちのために、屋台をぶっ続けでで開くって決めた頃合いだったのにさ」
「大丈夫ですよ。トゥランと城下町の仕事はしっかり休ませていただいたので、大した負担ではありません」
もともと本日は、六日に一度の休業日であったのだ。しかし、建築屋が滞在している間は宿場町の屋台を十日ごとの休業にしようと取り決めて、トゥランと城下町の仕事だけを休ませていただいたのだった。
これはあくまで俺個人の希望であったので、手伝いの人員には負担がかからないように取り計ろうと考えていた。それで常勤のメンバーにも交代で休みを与えようかと思案していたのだが、全員にそれを固辞されてしまったのだ。
また、ルウ家もディン家もまったく異存はないとのことで、本日も通常通り八台の屋台が出されていた。どうやら誰もが俺と同じように、トゥランと城下町の仕事さえ休めれば大した負担ではないと判断したようであった。
(明日からはルウ家がトゥランの商売を受け持つ日取りだから、レイナ=ルウたちは大変だったろうにな)
しかしレイナ=ルウは、本日の晩餐会の仕事も見事に完遂していた。その素晴らしい料理の出来栄えが、この場の賑わいをいっそう増幅させているわけであった。
「みなさんも、今日の会を楽しんでおられるかな?」
と、大広間を巡っていたポルアースとメリムが、俺たちのもとに舞い戻ってきた。
おやっさんはしかつめらしく、「ええ」と応じる。
「俺たちなんぞには、過ぎた豪華さでしょう。こんな騒ぎになっちまって、申し訳ないぐらいです」
「いやいや。建築屋の方々はこれまでに何度となく、ジェノスのために尽力してくれたのだからね。リーハイム殿が仰っていた通り、ねぎらうのが遅すぎたぐらいさ」
おやっさんとアルダスは去年の試食会にも招待されていたので、ポルアースともいちおう面識があるのだ。ただやはり、貴族を相手取るのは苦手そうな様子であった。
そんなおやっさんをなだめるように、ポルアースもメリムもにこにこと笑っている。そちらは森辺の民とのつきあいも長いので、貴族ならぬ相手との交流も手慣れたものであった。
「最初のほうはデルシェア姫に遠慮する空気もあったようだけれど、すっかり打ち解けたようだしね。さっきも何名かの方々が、デルシェア姫と楽しそうに語らっておいでだったよ」
「本当ですかい。のちのち首くくりにならないことを祈るばかりです」
「あはは。デルシェア姫は誰に対してもざっくばらんな交流を求めておられるから、そんな心配は無用だよ。同郷の民がジェノスで大きな仕事を果たしたということで、デルシェア姫もたいそうお喜びだったしね」
そんな風に言ってから、ポルアースは俺のほうに向きなおってきた。
「ただ最近は森辺の面々と交流する機会が少なくて、デルシェア姫も残念がられておいでだったよ。お手数だけど、アスタ殿はのちのちお相手を願えるかな?」
「承知しました。確かにここ最近は、城下町に招かれる機会もありませんでしたしね」
「うんうん。アスタ殿たちも城下町での商売を始めて、ずいぶん忙しそうだったからね。それでこちらも懸命に自制していたのだろうけれど……デルシェア姫やオディフィア姫よりも先に、リーハイム殿の我慢が切れてしまったというわけだね」
「我慢?」とメイトンが口をはさむと、ポルアースは笑顔で「うん」とうなずいた。
「リーハイム殿は誰よりもレイナ=ルウ殿の力量を見込んでいて、婚儀の祝宴の厨を預けるほどだったからね。いつレイナ=ルウ殿に次なる仕事を依頼できるかと、ひそかに機会をうかがっていたのだろうと思うよ」
「ああ、なるほど」と、メイトンは視線を巡らせる。その先では、リーハイムとセランジュ、レイナ=ルウとジザ=ルウが輪を作って語らっていた。
ちなみにこちらでは、アイ=ファのそばにぴったりとひっついたリミ=ルウが笑顔で料理を食している。シン・ルウ=シンは招待されていないので、ララ=ルウはひとりで身軽に貴族の間をわたり歩いているようであった。
「ただ、ルウ家のお世話になっているのは、リーハイム殿ばかりではないからね。このたびの申し出に関しては、ジェノスの立場ある面々の誰もが感服していたよ」
「ああ、それに関しては、俺もずいぶん驚かされました」
俺がそのように答えると、今度はアルダスが向きなおってきた。
「そいつは、なんの話だい? 俺たちが聞いてもいいような話なのかな?」
「はい。森辺の民も、新たな宿場に支援することになったんです。具体的に言うと、ギバの肉を原価で売り渡すことになったんですよ」
ギバ肉の原価とは、すなわち森辺の内部で取引されている価格である。その格安の価格で、十日置きに最大で五頭分のギバ肉を受け渡すという約定を交わしたのだった。
決定したのはもちろん三族長であるが、最初に進言したのはレイナ=ルウである。
その理由は至極単純で、新たな宿場で出される料理の質の向上を願ってのこととなる。キミュスの皮つき肉にも独自の魅力が存在することは確かであるが、市場価格はギバ肉のほうが遥かに上回っているのだから、立派な支援になるはずであった。
「そいつは、豪気な話だね。でも、なんでそんな話になったんだい?」
「森辺の民もジェノスの民の一員として、何らかの支援をしようという話に落ち着いたみたいです。きちんと原価をいただけば損になる話ではありませんし、それで少しでもジェノスの力になれるのなら、願ってもないことですしね」
族長たちがそんな心境に至ったのも、やはり現地の人々の声を聞いたがゆえであるのだろう。新たな宿場で働く管理者や武官の面々が、どのような心意気を抱いているか――ダリ=サウティとジザ=ルウとゲオル=ザザの三名は、長きの時間をかけて拝聴することになったのだ。それでダリ=サウティたちは、この一大事業にどれだけの労力がかけられているかを正しく理解したはずであった。
「でもそれは、僕たちを信用しての話だからね。僕は心から、誇らしく思っているよ」
ポルアースがそのように発言すると、アイ=ファがうろんげに「信用?」と反問した。
「うん。だって、貴族がそのギバ肉を着服したならば、それなりの儲けになるだろう? 新たな宿場に回さないで、城下町で売りに出したら、差額分をまるまる懐に入れられるんだからさ」
「……そんな話は思いつきもしなかったし、ポルアースたちがそんな真似を許すとはとうてい思えんな」
「うんうん。その信頼が、嬉しいんだよ。皆々の信頼を裏切らないように、こちらでしっかり管理させていただくからね」
ポルアースのそんな言葉を聞きながら、俺も心中で大きな喜びを噛みしめていた。
今後は新たな宿場でも、ギバ肉を扱うことがかなうようになるのだ。さすれば、これまでに作成された指南書もさらなる本領を発揮できるはずであった。
(そうしたら、炊事係の人たちもいっそう立派な料理人を目指せるだろうしな)
新たな宿場の視察から五日が過ぎた現在でも、俺の胸には彼らの姿や言葉が焼きつけられている。不遇な日々を送りながら、なんとか悪徳の世界には踏み込むまいと尽力していた彼らが、俺との出会いをきっかけにして料理番として身を立てようと決意した――それは俺にとっても、決して小さからぬ出来事であったのだった。
「あの連中は、アスタのことをずいぶん慕ってるみたいだったもんな」
と、メイトンがこっそり笑いかけてくる。メイトンは炊事係の面々とほとんど面識もなかったが、彼らが帰り際に思い詰めた面持ちで押しかけてきた姿を目にしているのだ。あとは俺からのざっくりとした説明で、おおよそ経緯はつかめたのだろう。俺も満たされた思いで、「ええ」と応じることになった。
「まあ、僕は外務官の補佐役として、多少ながら力を添えているに過ぎないけどさ。こんな壮大な事業に関わることができて、心から誇らしく思っているよ」
そんな風に言ってから、ポルアースは建築屋の面々に笑いかけた。
「とはいえ、これはシムとの交易にまつわる案件だからねぇ。そのためにジャガルの面々に尽力を願うのは、いささかならず筋違いな面もあったことだろう。それでも快く引き受けてくれて、本当にありがたく思っているよ」
「……依頼人が東の民でない限り、こちらに断る理由はありませんからな」
と、おやっさんは短い言葉で応答する。やはり、貴族に対する言葉づかいというものが、舌に馴染まないのだろう。アルダスやメイトンなどは最初から貴族と直接口をきかないように取り計らっているが、総責任者のおやっさんに逃げ場はなかったのだった。
「でも、みなさんはシュミラル=リリン様と懇意にされているのですよね?」
笑顔で伴侶を見守っていたメリムにいきなり水を向けられて、メイトンがどぎまぎしながら「え、ええ」と応じた。
「あ、あいつは西に神を移したんで、俺たちが忌避する理由はありゃしません。昔から、何かと因縁のあった相手ですがね」
「ええ。傀儡の劇を拝見しましたわ。あの屋台の料理を巡って騒いでいた方々がシュミラル=リリン様とみなさんであっただなんて、とても感慨深いです」
メリムはどこか少女めいた容姿と雰囲気を持つ女性であり、なおかつ満身から善良さがあふれかえっている。それらの要素も積み重なって、メイトンをいっそう慌てさせるようであった。
「あ、ああ、そうか。貴族のみなさんも、あの劇をご覧になってるんでしたね。お恥ずかしい限りです」
「何も恥ずかしいことはありませんわ。わたくしよりも遥かに昔日から森辺のみなさんと懇意にされていたことを、とても羨ましく思います」
「うんうん。僕なんかは貴族で一番乗りのはずだけれども、それでも建築屋の皆々にはひと月以上も先んじられているのかな?」
ポルアースに問いかけられて、俺は「そうですね」と応じた。
「おそらく建築屋のみなさんと出会ったのは緑の月の終わりあたりで、ポルアースとは白の月になってからですから、おおよそひと月ぐらいの計算になると思います」
「ああ、アスタは俺たちがジェノスを出てすぐ、貴族のお姫さんにかどわかされちまったんだもんな。ずいぶん、懐かしい話だ」
アルダスが、俺に向かってそう言った。
「で、アスタをかどわかしたのがあっちのお姫さんで、それを助けるのに助力をしたのがこちらのお人って話だったか。なんもかんもが丸く収まって、何よりだったな」
「本当にね。今ではリフレイア姫も、立派な外交役だよ。こういう場には欠かさず参席しているし、しっかりお役目を果たしているからね」
そのリフレイアはシフォン=チェルを引き連れてしずしずと移動しながら、建築屋および森辺の面々と交流を紡いでいるようであった。
「あの侍女の娘さんの兄貴なんかは、デルスの畑で働いてるんだもんな。どこでどう縁がつながるか、わかったもんじゃないぜ」
愉快そうに笑いながら、アルダスは新たな酒杯を傾ける。
その言葉に反応したのは、ポルアースであった。
「そうか。あのデルス殿は、バラン殿の弟君なのだよね。そろそろ新しいミソが運び込まれる頃合いだったかな?」
「さてね。家族の縁は、とっくに切れてるもんで」
おやっさんのぶっきらぼうな反応に、ポルアースは「あはは」と笑う。
「本当に、縁というのは不思議なものだね。この先も、皆々とのご縁を大切にさせていただくよ」
そんな言葉を残して、ポルアースとメリムは立ち去っていく。
おやっさんは「やれやれ」と、分厚い肩をもみほぐした。
「お前さんと一緒にいると、貴族に絡まれてしかたないな。面倒なので、行動を別にするべきか」
「いえいえ。おやっさんだって、今日の催しの主役なんですからね。俺がいなくったって、貴族の方々が近づいてくるはずです。それなら、貴族の方々と懇意にさせてもらっている俺がそばにいたほうが、まだしも気楽なんじゃないですか?」
「ふん。いちいち、口の回るやつだ」
苦笑を浮かべるおやっさんを見返しながら、俺も笑うことになった。
レイナ=ルウたちが準備した料理もあらかた片付いて、宴もたけなわといった様相である。
そこで、リーハイムが声を張り上げた。
「そろそろ腹も満ちてきただろうから、余興を開始させていただこう! 今日の余興は、傀儡の劇だ!」
奥側に張られていた幕が開かれると、そこには小綺麗な装束を纏ったリコとベルトンが立ち並んでいる。建築屋の面々は、大歓声でそれを迎えた。
本日は、こんな余興も準備されていたのだ。その報酬の一環として、リコたちも最前までは料理を楽しんでいたはずであった。
俺はおやっさんの背中を押すようにして、舞台のそばに近づいていく。
『森辺のかまど番アスタ』は十日ほど前にもお披露目されているので、今日は別なる演目が披露されるのだ。俺もアイ=ファも羞恥にとらわれることなく、リコたちの手腕を堪能することができるのだった。
(こんなに楽しい会を企画してくれて、リーハイムには本当に感謝だな。でも……)
緑の月も、ついに折り返しを過ぎてしまった。建築屋の面々がジェノスに滞在する期間も、残りはひと月半ていどであるのだ。
しかし、建築屋の面々との別れを惜しむには、まだまだ早いことだろう。
残りのひと月半を思い残すことなく過ごせるように、俺は毎日の楽しさを噛みしめようという所存であった。
そして――この緑の月の中旬にはどういった騒ぎが待ちかまえているのか、当時の俺にはまったく想像できていなかったのだった。




