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異世界料理道  作者: EDA
第九十三章 翠嵐の季節
1604/1697

新たな宿場⑤~さらなる指南~

2025.3/21 更新分 1/1

 建築屋の面々に別れを告げた俺たちが大食堂の厨に舞い戻ると、そちらはなかなかの騒ぎであった。

 なおかつ、厨そのものは無人である。六名の炊事係たちは、厨に併設された食料庫でやいやい騒いでいたのだった。


「失礼します。まだ下りの三の刻までは時間があるかと思いますが……みなさんは、何をされているのですか?」


「ああ、もう戻ってきたのか。いや、今回はけっこう色んな食材が届けられたんで、こいつがどんな料理に化けるのかってあれこれ想像してたんだよ」


 リーダー格の男性は気さくな笑顔であったし、他の面々も子供のようにはしゃいでいる。調理に対する熱情が、いい具合に彼らを昂揚させているようであった。


「食材が届けられるのは十日にいっぺんぐらいで、内容はまちまちなんだがね。今回は、ひときわ種類が豊富みたいなんだ。もしかして、これもあんたが根回ししてくれたのかい?」


「ええまあ、なるべく食材の種類があったほうが献立の幅も広げられるはずだと、ごく当たり前の話はお伝えしておきました。それが反映されているなら、何よりですね」


 そのように答えながら、俺もそちらに山積みにされている木箱の中身を確認させていただいた。

 まず、ダレイムで収穫できる作物はのきなみ取りそろえられている。昼に見かけなかった食材としては、ティノやペペやナナールの野菜類、ラマムやアロウやシールの果実類、そして梅干しに似た干しキキなどが見受けられた。


 あとは、キミュスの卵もどっさり準備されている。キミュスの卵は十日ももたないので、現在は使い果たした状態であったのだ。

 調味料や香草は昼に見たのと同じものが追加されて、そちらもなかなかの質量である。働き手だけで六十名近い人数であるのだから、およそ十日分の食料というのはけっこうな量に至るのだった。


「あと、こいつは何なんだろうな? 果実酒も増やされたのかって喜びかけたんだけど、知らねえ名前が書かれてるんだよ」


 と、小柄な男性が酒樽を手の甲で小突く。

 そちらのプレートには、『タウ・乳』と記載されていた。


「ああ、これはタウの豆で作られた豆乳ですね。豆乳はカロンの乳よりも日持ちするので、できれば届けてほしいとお願いしていたんです」


「とうにゅう? なんだい、そりゃ?」


「豆を加工した、乳ですね。ちょっと独特の風味がありますけど、色んな料理や菓子に使えますし、滋養も豊富だそうですよ」


「かし?」と、多くの面々が小首を傾げる。かつては宿場町にすら菓子は流通していなかったので、清貧なる彼らの知識になくても不思議はなかった。


「これで、砂糖と卵、豆乳と果実がそろったね。なんとかなりそうかな?」


 俺がこっそり耳打ちすると、トゥール=ディンはおずおずと微笑んだ。


「はい。フワノがないので、色々と不自由な面もありますが……みなさんに喜んでいただけるように、励みます」


 たとえ食材が不足していても、トゥール=ディンが力を尽くせばどんな相手でも満足させられることだろう。のちのち炊事係の面々がどれほどの驚きや喜びを抱くことになるかと、俺も期待をかきたてられてならなかった。


「それじゃあ、どうしましょう? 作業再開は、下りの三の刻になってからの予定でしたよね」


「どうせもう四半刻も経たない内に、太鼓が鳴らされるだろうさ。部屋に戻ったって落ち着かねえから、そっちに文句がなかったら手ほどきを始めちまってくれよ」


 ということで、俺たちは追加の食材を抱えて厨に戻ることになった。


「ただその前に、ひとつお願いしたいことがあったんです。どこかに鍋の蓋にできるぐらいの板は余っていませんか?」


「板? そんなもんは、山のように余ってるよ。ただ、俺たちが持ち出すには管理人の許可が必要になるがね」


「では、どなたか手配していただけますか? 口添えが必要なようでしたら、俺も同行します」


 すると、壁際に待機していたマトゥアの長兄がゆったりと声をあげた。


「アスタが抜けては、手ほどきが進まなかろう。おおよその事情はわかったので、俺でよければ同行するぞ」


「それじゃあ、お願いします。……さすがレイ=マトゥアのお兄さんは、親切だし気が回るね」


 俺がこっそり伝えると、レイ=マトゥアは気恥ずかしそうに「えへへ」と笑った。


「それで、その板には指が通らないぐらいの小さな穴を開けていただきたいんです。あと、従者を呼ぶための呼び鈴や重し用の煉瓦などがあったら、助かります」


 俺は日中に確保したキミュスの骨ガラで効率よく出汁を取るために、圧力鍋を使いたいと思いついたのだ。また、この便利な作法は明日以降も大きな力になるはずであった。


「ただ、こちらの作法は手順を間違えると大変危険ですので、のちのち念入りに手ほどきさせていただきますね。あと、書面にも残して、使い方のおさらいができるように準備しておきます」


「ああ。何から何まで、世話になっちまうね。あんたがたの親切に、西方神の幸あれだ」


 そんな一幕を経て、炊事係の一名とマトゥアの長兄が厨を出ていった。

 ちなみに護衛役のほうは、ダン=ルティムとライエルファム=スドラが合流している。ユン=スドラはこちらの厨にいるのだからと、シュミラル=リリンが気をきかせて交代してくれたのだ。


「そういえば、ダン=ルティムはツヴァイ=ルティムの仕事を見守らなくていいのですか? 昼の食事も、別々でしたよね」


「うむ! あやつは俺がいないほうが、のびのび過ごせるであろうからな! 今ごろは、かつての姉と思うさま絆を深めていようよ!」


 そう言って、ダン=ルティムは呵々大笑した。ダン=ルティムも、ただ豪放なだけの人間ではないのだ。俺は心を温かくしながら、作業を再開することにした。


「それじゃあこちらは、下ごしらえを進めましょう。せっかくですので、汁物料理は豆乳仕立てに変更して……ポイタンは、お好み焼きに仕上げることにしましょうか」


「おこのみやきか。そいつはいいね」


 と、顔馴染みの男性が相好を崩す。きっと彼も、《西風亭》の屋台に出向く機会があったのだろう。なんなら、《西風亭》で宿を取る機会があってもおかしくはなかった。


「それであとは、肉料理を準備すれば十分というお話でしたよね?」


「ああ。汁物料理に肉焼きに焼きポイタン。それだけありゃあ、十分さ。俺たちなんかは香草や調味料や具材を入れ替えるぐらいしか能がなかったから、大して代わり映えもしなかったがね」


 これだけ食材が限定されていれば、それも無理からぬ話であろう。現在の宿場町と比べたら、使える食材は五割にも満たないはずであった。


(それに、フワノが使えないのが、けっこうな痛手だよな。ポイタンだけだと麺類も準備できないから、簡易的なピザとお好み焼きぐらいが精一杯か)


 しかしまた、トゥラン伯爵家が食材の流通を牛耳っていた時代には、もっと限られた食材で奮闘していたのだ。その時代の《キミュスの尻尾亭》における手ほどきが、俺に進むべき道を示してくれた。


(この人たちは、ちょうどあの頃のミラノ=マスぐらいの手際だもんな。やる気さえ出してくれれば、きっと今のミラノ=マスに追いつくこともできるさ)


 そうして木材の調達に出向いた人物が戻ってくるまでは、実践ではなく講釈を中心に手ほどきを進めることにした。これから作りあげる料理の事前説明と、それにともなう注意事項などである。


「それで今日は無理のない範囲で、肉料理の種類を増やしてみましょうか。ひとつひとつの分量を抑えれば、使う食材の量に変わりはないでしょうからね」


「ふうん? まあ、色々な料理を準備したほうが、俺たちもいっそう楽しめるのかな」


「はい。それに、他の方々からも意見をうかがうことができますからね。食べ慣れない料理ですと、不満の声があげられることもあるでしょうし」


「今日の料理にけちをつけるようなやつは、生のポイタンでもかじってろって話だけどな。あんたがそんな粗末な料理を作るとは、ちょっと想像がつかねえよ」


 そんな風に言ってもらえるのはありがたい限りだが、俺も色々な失敗を重ねた上で今があるのである。とりわけ大きく立ちはだかるのは、食べ慣れない料理に対する違和感というものであった。


 ただし、この場においては使える食材に限りがあるため、奇をてらうことも難しいというのが実情である。なおかつ、森辺や宿場町で受け入れられるのに多少の時間がかかったママリアの酢に関しても、こちらではすでに馴染みの調味料であったのだった。


「でも、酢ってのは扱いが難しいよ。砂糖をまぜりゃあ食いやすいって手ほどきされてるんだが、分量を間違えると大惨事だしな」


「そうですね。料理によっては、後掛けにするのが有効だと思いますよ。そうしたら、自分の好みで量を加減できますからね。あと、タウ油やミソにまぜたり、香草を加えたりすると、色々な味わいを楽しめると思います」


 そうして講釈を続けていると、やがて二枚の板と煉瓦の山を抱えた炊事係とマトゥアの長兄が舞い戻ってくる。そちらの板はすでに鍋のサイズに合わせて切り分けられており、希望通りの穴が開けられていた。


「あ、もう加工までしてくれたのですね。どうもご苦労様でした」


「ああ。本当は、こっちが本職なんだからな」


 得意そうに胸をそらす男性のかたわらにマトゥアの長兄が進み出て、その手に携えていたものをちりんと鳴らした。


「呼び鈴なるものも、管理棟から借りてきたぞ。料理を作るのに必要なら、これをこちらの持ち物にしてもかまわんそうだ」


「ありがとうございます。ぜひともこちらの調理器具ということにさせていただきましょう」


 呼び鈴は、この地における圧力鍋の重要なアイテムであるのだ。呼び鈴がなければ木製の酒杯でもかぶせて揺れ具合で計測するという応用技も存在したが、圧力鍋というのはただでさえ事故の危険がある作法なので万全を期したいところであった。


「ところで、ジャガルのお人らが荷車の準備をしてたぜ? まさか、もうジェノスに戻るわけじゃねえよな?」


 と、両手の荷物を作業台に置きながら、炊事係の男性がそのように問いかけてきた。


「はい。さっき南方の雑木林の物色に向かうと話していましたよ。建築に使えそうな樹木が生えそろっているかどうかと、行き来する道の確認をしたいそうです」


「ふうん。それで新しい家をこしらえる目処がついたら、また俺たちもそっちの仕事に駆り出されるわけか。……その後は、誰がかまど仕事を受け持つんだろうな?」


 その男性が視線を巡らせたが、答えられる人間はいなかった。それを決めるのは、管理者の面々であるのだ。


「どっちにしろ、真っ当な料理番なんかは来ないんだろうな。そうしたら、また粗末な食事に逆戻りか?」


「いえ。そんな事態を防ぐためにも、帳面を活用してもらおうと考えています。きちんとした指南書があれば、手ほどきの時間もずいぶん短縮されるでしょうからね」


 その男性がずいぶん心配げな面持ちであったので、俺はそのように説明することにした。


「あとはきちんと、引き継ぎの手順を踏むべきでしょうね。今度はみなさんが教える側に回って、新しい炊事係を育てていただければと願っています」


「俺たちが、手ほどきを? そいつは、想像もしてなかったな!」


 と、その男性は愉快そうに笑みをこぼした。


「文句をつけられるばかりだった俺たちが、偉そうに講釈を垂れる側に回るわけだ? なんとも、愉快な話じゃねえか!」


「はい。どうかそれまでに、みなさんも腕を磨いてください」


 俺がそのように答えると、小柄な男性がにやにやと笑いながら発言した。


「それにしても、今の言い草はどうなんだかね。まるでこのアスタってお人が、偉そうに講釈を垂れてるみたいじゃねえか」


「え? いや、そんなつもりはなかったよ! どうか、誤解しないでくれよな!」


 その男性が慌てふためいたので、俺は思わず「あはは」と笑ってしまった。


「そんなことは、まったく考えていませんでした。偉ぶっているように見えていたなら、お詫びを申しあげます」


「だから、そんなんじゃねえって! まったく、余計なことを言わねえでほしいもんだぜ!」


 その男性がばつが悪そうに頭をかくと、他の面々も笑い声をあげた。

 ただ、リーダー格の男性と顔馴染みの男性は、どこか心あらずといった様相だ。手ほどきの再開を願っているのかと解釈した俺は、ご要望に応えることにした。


「それじゃあこちらの力作を使わせていただいて、キミュスの骨ガラから出汁を取ってみましょう。これでまた、ずいぶん作業時間を短縮できると思います」


 そうして厨には、さらなる熱気がわきかえることになった。

 アイ=ファたちは、そんなさまをどこか満足げに見守ってくれている。おそらくは、炊事係の面々に熱情が宿されたことを喜ばしく思っているのだろう。今や彼らは、宿場町の宿屋の面々に負けないぐらいの意欲をみなぎらせていたのだった。


                   ◇


 それからおよそ、三刻後――太陽神は西の果てに姿を隠し、晩餐の刻限がやってきた。

 大食堂は、中天のときよりも派手に賑わっている。そしてそこに、建築屋の面々も加えられていた。


「よう、アスタ! おやっさんがうるさいから、俺たちもこっちで料理をいただくぜ?」


 今日はアルダスが不在であるため、おやっさんを冷やかすのはメイトンの役割だ。おやっさんは「やかましいわ」と言い捨てるのも面倒になったのか、無言でメイトンの背中を小突いていた。


 また、森辺の狩人もシュミラル=リリンとゲオル=ザザが追加されている。ガズラン=ルティムは管理棟に留まり、ゲオル=ザザが血族と合流した格好だ。これまでずっとトゥール=ディンと引き離されていたゲオル=ザザは、ギバのかぶりものの陰でとても嬉しそうな表情をこぼしていた。


 建築屋の面々が集った卓には、俺とアイ=ファ、ダン=ルティムとシュミラル=リリンの四名がお邪魔する。そうしてアイ=ファが席につくなり、シュミラル=リリンが微笑みまじりに告げてきた。


「リミ=ルウ、伝言です。夜、寝所、ともにすること、心待ち、している。以上です」


 アイ=ファは微笑むのをこらえるように口もとをごにょごにょさせながら、「うむ」と応じた。けっきょく本日は、宿場の検分の一刻足らずでしかリミ=ルウと行動をともにする機会がなかったのだ。俺もリミ=ルウもそれぞれ別の場所で仕事に励むことになったので、こればかりは致し方がなかった。


「実はこの後、レイナ=ルウたちの料理も味見させていただく算段なんだよ。よかったら、アスタたちも一緒に出向かねえか?」


「ああ、それはいいですね。俺もレイナ=ルウたちがどんな料理を準備したのか、気になっていたんです」


「それじゃあ、決まりだな。正直、ここの一食分じゃ腹八分目だからよ」


 こちらの大食堂では畑仕事に勤しんでいた人々を満足させられるだけの食事が準備されているはずであるが、南の民というのは森辺の民に負けないぐらいの健啖家なのである。彼らを満足させるには、もう二割増しの量が必要になるはずであった。


 ただし本日は、品数だけは十分な数を取りそろえている。思案の末、汁物料理とお好み焼きの他に三種の肉料理を準備することになったのだ。


 その献立は、ミャームー焼きとつくねとミソ煮込みである。

 ミャームー焼きは、屋台の最初期に出していたものとおおよそ同じレシピとなる。ただ、あの頃には扱えなかった砂糖が存在するため、多少なりとも味の向上を目指すことはできた。砂糖を加えた分は果実酒をひかえめにして、あとはタウ油とアリアのすりおろしが頼りである。また、こちらにはピコの葉が見当たらないため、セージに似たミャンツを始めとするいくつかの香草を隠し味にしていた。


 つくねは、今でも《キミュスの尻尾亭》の食堂で出されている定番料理だ。ちょうど梅干しに似た干しキキも届けられたので、大葉に似たミャンと合わせて梅風味のタレを準備することができた。おそらくこの地の人々は挽き肉の料理を食べ慣れていないので、反応をうかがうために準備したひと品である。


 ミソ煮込みは、やはり限られた食材で最善を目指すしかなかった。また、キミュスで仕上げるのは初の体験であったので、ギバとは熱の加減を変更している。キミュスの肉は味が淡白であるので、あまり煮込むとミソの味が勝ちすぎてしまうのだった。


 汁物料理は豆乳仕立てで、キミュスの骨ガラの出汁を使用している。ハクサイに似たティンファや長ネギに似たユラル・パやキノコ類が存在しないため、野菜の具材はキャベツに似たティノ、ニンジンに似たネェノン、ホウレンソウに似たナナールといった品々だ。


 お好み焼きの生地にはキミュスの卵とギーゴを加えて、ふんわりと仕上げている。ソースはありあわせの野菜で仕上げるしかなかったが、タラパとアリアと各種の香草がそろっているだけで、それほど不都合はない。それに、卵とママリア酢とレテンの油がそろっているので、マヨネーズを作りあげることも可能であった。


 そして、きわめつけは菓子である。トゥール=ディンは限られた食材で、立派なホットケーキを仕上げてくれた。生地のほうは最低限の食材もそろっていたが、ギギの葉と砂糖と乳脂と豆乳だけで作りあげた簡易的なチョコソースの仕上がりは、見事のひと言に尽きた。


「うん! レイナ=ルウなんかは食材が足りてないって嘆いてたけど、やっぱり十分な仕上がりだな!」


 メイトンがほくほく顔でそのように言いたてると、他なるメンバーも「そうだな」と発言した。


「ただ、いかにもアスタらしい料理なのに、ギバ肉が使われてないのが奇妙な気分だぜ」


「ああ、今日はキミュス尽くしだもんな。さすがにギバ肉と比べると、ちっとばっかり物足りないけど……でも、美味いよ」


 建築屋の面々の笑顔が、俺にとっては何よりの報酬である。

 そして俺は、ただひとり仏頂面であるおやっさんのほうを振り返った。


「俺としても、ギバ肉を使えないのは最大の痛手でした。おやっさんにも、ご満足いただけましたか?」


「ふん。確かに、ギバを使わない森辺の料理というのは、風変わりであろうよ。それだけで、アルダスたちに羨まれそうなところだな」


 おやっさんは豆乳仕立ての汁をすすり、深く息をついた。


「……しかし、ギバ肉が使われていないからこそ、お前さんがたの力量をいっそうはっきりと感じ取れるようだ。せいぜい、アルダスたちに自慢してやろう」


「お、珍しくおやっさんが、素直じゃねえか」


 と、メイトンが冷やかしの声をあげたとき――いきなり、出入り口の扉が大きく開かれた。

 そこから現れたのは、衛兵である。やいやいと騒いでいた人々は水をさされた様子で、眉をひそめながらそちらを振り返った。


「お食事の最中に、失礼いたします。ひとつ、お伝えしたい案件が持ち上がりました」


 と、衛兵は真っ直ぐこちらの卓に向かってくる。そして、呼びかけた相手はおやっさんであった。


「実は、シムから行商人の一団が到着したのです。もし不都合があれば、管理棟のほうに移っていただきたいのですが……如何でしょうか?」


「おいおい。どうして俺たちが、東の連中から逃げ回らないといけないんだよ? ここだって、西の版図なんだろう?」


 と、おやっさんよりも早く、メイトンが反応した。その顔には、いつも通りの陽気な笑みがたたえられている。


「どうせその連中も、ここからジェノスを目指すんだろうしさ。そうしたら、また宿場町で顔を突き合わせることになるんだ。ここで避けたって、意味はねえさ」


「うむ。俺たちが西の版図で東の連中にちょっかいをかけることはないし、ちょっかいをかけられたら西の人間に通達するだけだ。宿場町と、やることに変わりはないな」


 おやっさんも毅然と答えると、衛兵の若者は「承知しました」と首肯した。


「それでは、彼らも食事を求めておりますため、こちらに案内させていただきます。……炊事係は、食事の準備を! 人数は、十五名だ!」


「なんだ、ずいぶんな団体様だね。昼の残りまで、綺麗さっぱりなくなっちまうぜ」


 ユン=スドラたちと卓を囲んでいたリーダー格の男性が肩をすくめながら立ち上がり、食堂のあちこちからは残念そうなどよめきがわきおこる。余分に作った料理がそのまま余ったならば、希望者に分配されるという取り決めであったのだ。


 しかしまあ、こういう来客のために余分の料理を準備していたのだから、こればかりは文句をつけるわけにもいかないだろう。ただ、十五名というのはこちらの想定を少しばかり上回る人数であった。


「十五名か。《銀の壺》ではないようだな」


 アイ=ファがそのようにつぶやくと、シュミラル=リリンが「ええ」と応じた。


「おそらく、複数の商団、あるいは行商人、隊商、組んだのでしょう」


「隊商? それは、聞き慣れぬ言葉だな」


「危険、避けるため、複数の行商人、徒党、組む、行いです。人数、増えれば、より安全ですので」


 こちらがそんな会話を交わしている間に、行商人の一行が大食堂に踏み入ってきた。

 すでに宿泊施設に立ち寄ったらしく、誰もが手ぶらの姿である。ただし東の行商人はどこでもフードつきマントを纏っているので、旅装そのものの姿であった。


 こちらの宿場では東のお客ばかりを迎えているはずなので、誰もその姿に驚いたり怯んだりはしない。ただこの人数は珍しかったらしく、好奇の目を向ける人間は少なくなかった。


 そうしてそれらの人々も、空いていた卓を囲み始めたが――その内の一名が、輪を外れてこちらに近づいてきた。

 いかにも東の民らしい、長身痩躯の人物だ。その人物が、俺に向かって一礼してきた。


「おひさしぶりです。こちら、出会える、想像、皆無です」


「あ、はい。えーと……」と、俺は懸命にフードの内側を覗き込む。シムの行商人には屋台の常連客も多かったが、人相を見分けるのがなかなかに大変なのだ。


「……ああ、あなたでしたか。本当に、おひさしぶりですね」


 幸いなことに、俺はその人物を見分けることができた。名前などはうかがっていなかったが、年に何回かはジェノスにやってくる間遠な常連客である。


「あなたはいつも、おひとりで行商をされていましたよね。今回は、隊商というものを組んだのですか?」


「はい。往路、商売の競合、機会、少ないので、安全、優先です」


 そんな風に言ってから、その人物はシュミラル=リリンのほうをちらりと見やった。


「そちら、森辺、装束です。……あなた、森辺、家人となった、東の民ですか?」


「はい。リリンの家人、シュミラル=リリンです。私、ご存じですか?」


「名前、知りません。ただ、東方神、捨てる人間、稀有ですので」


 東の民は無表情であるため、内心をうかがうことは難しい。

 それで俺たちがちょっと息を詰めて見守っていると、その人物はさらに意想外な言葉を口にした。


「……あなた、幸福ですか?」


「はい。望む人生、手中にして、限りなく、幸福です」


 シュミラル=リリンが微笑をたたえながらよどみなく答えると、その人物はうっそりと一礼した。


「であれば、幸いです。東方神、捨てる、想像、つきませんが……あなた、良き風、吹くこと、願っています」


「ありがとうございます。あなた、幸い、願います」


「はい」ときびすを返しかけたその男性は、途中で動きを止めてまた俺に向きなおってきた。


「ひとつ、確認です。あなた、この地、転居ですか?」


「いえいえ。今日はちょっと仕事で出向いただけで、明日の朝一番にはジェノスに戻ります」


「そうですか。安心です。明日からも、食事、楽しみです」


 その人物はもういっぺん一礼して、今度こそ立ち去っていった。

 その細長い後ろ姿を見送りながら、メイトンは「やれやれ」と肩をすくめる。


「俺たちには、一瞥もくれなかったな。ま、それでけっこうなんだがよ」


「ああ。あれも、アスタの知り合いなのかい?」


「ええ。いちおう顔馴染みのお客さんですね。みなさんほどではありませんが、かなり古いおつきあいになります」


 あの人物と初めて出会ったのは、屋台を開店して間もなくのことである。あの人物はそれが初めてのジェノスであったらしく、トトスに乗ったまま屋台に近づいてきて、ジャガルのお客に文句をつけられていたのだった。


「……それでやっぱり、お前さんのことはシムでも語り草のようだな」


 おやっさんが水を向けると、シュミラル=リリンはやわらかな笑顔のまま「ええ」とうなずいた。


「神、乗り換える人間、少ないですし、東の民、ひときわ少ない、聞いています。東の民、大地、根付いているためでしょう」


「ふうん? 大地神の子であるのは俺たち南の民だし、東の民ってのは風神の子に相応しく、あちこち飛び回ってる印象だがね」


 メイトンが口をはさむと、シュミラル=リリンは「そうですね」とそちらに向きなおった。


「では、言い換えます。東の民、古きの習わし、重んじているため、故郷、帰属の気持ち、強い、思われます。大地、その一部であり、森、山、川、空、風、すべて含みます」


「ああ、山やら川やらを母とする、自由開拓民みたいなもんか。……っと、森辺のみんなも、それは同じことだったな」


「ええ。森辺の民は、東の血が入っているかもしれないっていう風説がありますからね」


 そして、もとを辿るとそれは聖域の民の習わしであり、森辺の民はそちらの血をひいている可能性もあるのだ。

 ただ――大神アムスホルンが眠りに落ちるまでは、すべての民が同胞であったはずなのだ。それはたかだか六百年ていどの昔であるのだから、それほど細かく区分する意味はないのかもしれなかった。


「なんであろうと、俺たちは俺たちの流儀で生きるだけだ。それでお前さんは、森辺の流儀で生きることを選んだというわけだな」


 おやっさんがそのように言いたてると、シュミラル=リリンはまた「はい」とうなずいた。


「私、人生、充足しています。バランたち、友、なれたのも、大きな喜び、ひとつです」


「ふん。伴侶と子供を授かった喜びに比べれば、そんなものは豆粒ていどのものであろうがな」


「そのようなこと、ありませんが……子と伴侶、大きさ、絶大ですので、返答、困ります」


 シュミラル=リリンが困ったように微笑むと、メイトンたちは楽しげに笑った。

 この温かな空気こそを、シュミラル=リリンは大きな喜びとしているのだろう。俺もまた、満たされた心地でともに笑うことができたのだった。

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