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異世界料理道  作者: EDA
第九十三章 翠嵐の季節
1603/1704

新たな宿場④~検分~

2025.3/20 更新分 1/1

「いやぁ、こいつは予想以上の出来栄えだったよ」


 炊事係のリーダー格たる人物にそんな言葉を届けられたのは、すべての食事をたいらげて、しばしの歓談を楽しんだのちのことであった。


 畑の作業員たちは下りの一の刻までが休憩時間であったので、大食堂はまだ大いに賑わっている。俺たちは、ひとまず空いた食器を厨に集めたところであった。


「本当にな。焼きポイタンにどれだけの手間をかけるんだって内心では呆れてたけど、その甲斐はあったと思うよ」


「それに、汁物も抜群に美味かったしな。タラパもミャームーも使ってねえのにこんな上出来に仕上げられるのかって、すっかり驚かされちまったよ」


「ギーゴをポイタンにまぜるといいって話は聞かされてたのに、今まではついついサボっちまってたからな。次にギーゴなしのポイタンを出したら、文句をつけられちまいそうだ」


 と、炊事係の面々は誰もが感服の面持ちである。屋台のギバ料理を食したことがないという彼らは、簡単な汁物料理と簡易的なピザだけでも十分に衝撃的であったようであった。

 そんな中、ただひとりギバ料理の味を知る顔馴染みの男性は、どこか誇らしげな顔になっている。森辺のかまど番が賞賛されることを誇らしく思ってくれるのならば、俺としても喜ばしい限りであった。


「しかも、びっくりするほど手順が難しいってわけでもなかったもんな。これなら俺たちでも真似できるんじゃねえかって期待してるんだが……実際のところは、どうなんだろう?」


「そうですね。ひときわ気をつけていただきたいのは、具材の切り分け方と、火加減です。その二点に注意してもらえれば、難しいことはないように思いますよ」


「具材の切り分け方と、火加減か。できれば壁にでもでかでかと書き残したいところだけど、あいにくそんな入り組んだ字を読めるやつはいねえんだよな」


 小柄な男性が冗談めかして言ったので、俺は「そうですね」と笑顔を返した。


「森辺の民も以前は読み書きができなかったので、調理の手順はすべて暗記していました。ただそれは、手ほどきの機会が多かったから可能な方法ですよね」


「ああ。今日一日で覚えられることなんて、たかが知れてるよな。それでも、十分にありがたいけどよ」


「はい。でも俺たちは、以前に色々な料理の作り方を帳面に書き留めていただく機会がありましたので、それを準備してもらいました。車で運んでもらったので、今は管理棟のほうで保管されているはずです」


 それはかつて、アルヴァッハやダカルマス殿下のために準備された品である。そして現在は東の王都の方々のために、さらなるレシピ帳が作成されているさなかであった。


「管理棟には文字の読み書きをできる方々がたくさんおられるそうですので、明日以降はそちらに協力を仰いで、色々な調理を学んでいただきたいと考えています。また、その調理にどうしても必要な食材に関しては物資に追加してもらえないか、交渉を進めているさなかですので」


「へえ。でも、貴族様がそんな要求を呑んでくれるのかねぇ?」


「そもそも今回の手ほどきを依頼してきたのは、ジェノスの貴族の方々ですからね。シムとの交易の新たな拠点となるこの宿場は、決して軽く見られていないのだと思いますよ」


 俺がそのように答えると、炊事係の面々は期待に瞳を輝かせた。

 そして、午前中には感じなかった熱意や意欲というものがたちのぼり始めている。おそらくは、彼ら自身が美味なる料理というものに飢えていたのだ。それほどの苦労もなく食生活を向上させることがかなうのであれば、奮起せざるを得ない――とでもいった雰囲気であった。


「とりあえず食器を片付けたら、次の手ほどきを開始しましょうか。下りの二の刻までは、手ほどきの時間に割り当てられていますので」


「ああ。どうかお願いするよ」


 ということで、俺たちは食器の洗浄に取りかかることにした。

 そのさまを見守るのは、アイ=ファたち三名の狩人である。シュミラル=リリンたちは、まだ食堂でダンロたちと語らっているのだ。おそらくダンロは、行商人としての心得などを聞きほじっているのではないかと思われた。


 やがて洗い物が完了したならば、晩餐の下ごしらえを兼ねた手ほどきの開始である。

 それが半刻ほど過ぎた頃、表のほうが騒がしくなってきた。作業員たちが仕事に出たので、ダン=ルティムたちがやってきたのだ。


「バランたちが到着するまでは為すこともないので、俺たちもアスタたちの働きっぷりを見物させていただくぞ!」


 ガハハと笑うダン=ルティムのかたわらでは、シュミラル=リリンがゆったりと微笑んでいる。ただし、ガズラン=ルティムの姿はなかった。


「ガズランは、あの管理棟とかいう場所で取り仕切り役の連中と語らうのだそうだ! 俺と違って、細々とした話を好むやつだからな!」


 そのように語るダン=ルティムは子供のように自慢げで、俺としても微笑ましい限りである。

 そちらのお相手はアイ=ファたちに任せて、俺たちは作業を再開させる。明日からは指南書を活用することもかなうが、その前に基本的な心がまえや調理の基礎などを可能な限り習得してもらう必要があるのだ。


 もちろん彼らもこの職務を担当するにあたって、最低限の手ほどきは受けているのだろう。なおかつ、毎日数十名分の食事を作りあげているだけあって、手際も悪いことはないのだ。俺の印象としては、森辺のかまど番や城下町の料理人に手ほどきされる以前の宿屋の関係者ぐらいの手腕であった。


 そうしてさらに一刻ほどが過ぎて、下りの二の刻に至ったことが太鼓の音色で告げられたとき――壁際に控えていたアイ=ファが声をあげた。


「表が、騒がしくなってきたな。バランたちが、到着したのではないだろうか?」


「ああ。ちょうど頃合いだもんな。それじゃあ俺たちは、一刻ばかり失礼しますね。みなさんも、身を休めてください」


「ああ。その後は、夜まで働き通しだろうからな。しっかり休ませてもらうよ」


 そうして俺たちが厨を出ると、ちょうど衛兵のひとりが食堂に駆けこんできたところであった。


「失礼いたします。突然の申し出で恐縮なのですが、こちらに昼の食事は余っておりますでしょうか?」


「え? いちおう来客に備えて、余分に準備していましたが……新しいお客が到着したのですか?」


「いえ。建築屋の方々が、できれば食事を分けてもらいたいと仰っているようでして……」


 詳細を聞いてみると、おやっさんたちは昼にも俺たちの料理にありつけるのではないかと考えて、車に準備されていた軽食をお断りしたらしい。そんな話を聞かされて、俺は口もとがほころぶのを我慢できなかった。


「そういう話であるようですが、如何なものでしょう?」


 俺がリーダー格の男性を振り返ると、そちらも「ははん」と笑っていた。


「そいつらも、俺たちに劣らず食い意地が張ってるみたいだな。まあ、シムからやってくる客は、おおよそ中天か日暮れ時に到着するもんだからよ。今ある分は多少ばかり分けちまっても、問題はないと思うぜ」


「それでは、四名様分を管理棟のほうに運んでいただけますでしょうか?」


 口調は丁寧だが、この場では衛兵が炊事係に命令できる権限を持っているのだろう。炊事係の面々は肩をすくめつつ、余っていた料理を運び出すことになった。


 そうして俺たちも一緒に管理棟へと移動すると、そちらの食堂ではすでに食事が始められている。おやっさんを筆頭とする四名の建築屋は、レイナ=ルウたちが作りあげた料理に舌鼓を打っているさなかであった。


「よう、アスタ! 急な話で、悪かったな! アスタたちが昼の食事も作りあげる予定だって聞いたら、辛抱がきかなくなっちまってよ!」


 そのように告げてきたのは、メイトンだ。おやっさんは、黙々と食事を口に運んでいた。


 そして、午前中に別行動となった同胞たちも、のきなみ顔をそろえている。宿場の最高責任者や駐屯部隊の指揮官も居揃っているので、全員で建築屋をお迎えしたようであった。


「こちらには南の方々の来訪を想定していない食材ばかりがそろえられているかと思われますが、お口に合いましたでしょうかな?」


 最高責任者たる人物が笑顔で問いかけると、おやっさんが不愛想に「ああ」と応じた。


「こういった料理は、宿場町の屋台でも食べなれているのでな。……時間を無駄にした分はあとで取り返すので、容赦をもらいたい」


「いえいえ。遠路はるばるお越しいただいたのですから、こちらこそもてなしの準備を考えておくべきでした」


 と、さすがは最高責任者だけあって、対応も如才がない。俺も安心して、おやっさんたちの食べっぷりを見守ることができた。


 こちらで準備されたのは管理者および兵士たちの食事であるため、それほどの余剰はなかったのだろう。四名の建築屋に対して、二名分ていどの分量しか出されていないようだ。食欲旺盛な南の民たちがそれを大事そうに食しているのが、なんともいじらしかった。


「やっぱりそっちも、汁物料理と焼きポイタンだったんだね」


 俺がこっそり呼びかけると、レイナ=ルウはきりりとした面持ちで「はい」と首肯した。


「香草の種類に限りがありましたが、なんとかご満足いただけるように励んだつもりです。管理棟と大食堂では、準備されていた食材にも違いはないようですね」


「へえ、そうなんだね。まあ、こっちもお客に出す料理だから、粗末に扱うことはできないってことなのかな」


 しかしレイナ=ルウは、俺とまったく異なる献立を準備したようである。汁物料理のほうで香草がふんだんに使われており、焼きポイタンにはミソやタウ油などで甘辛く仕上げたキミュス肉と乾酪とプラとチャッチがのせられていた。


(なるほど。ピザはピザでも、タラパソースを使わないトッピングにしたんだな)


 そしてタラパは、汁物料理の中核を担っているようである。その真っ赤なスープから、複雑な香気がたちのぼっていた。


 そこに、温めなおされたミソ仕立ての汁物料理と簡易ピザも運び込まれる。これにて建築屋の面々は、普段と変わらないぐらいの質量を腹に収めることがかなったようであった。


「では、しばし身を休められたら、検分のほうをお願いいたします」


 そんな言葉を残して、最高責任者と指揮官および森辺の数名が立ち去っていく。語らいの場に参席する森辺の民は、ジザ=ルウとガズラン=ルティム、ダリ=サウティとゲオル=ザザという顔ぶれであった。


「炊事係の面々は、食材の搬入を願いたい」


 と、炊事係の面々にもすぐに新たな仕事が申しつけられる。しかし、新たな食材が届けられたと聞いて、彼らは期待の思いをあらわにしていた。


「俺たちは、宿場の様子を検分するんだよな。アスタたちも、つきあってくれるのかい?」


 メイトンの呼びかけに、俺は笑顔で「はい」と応じた。


「俺たちも、ずっと厨に閉じこもっていましたからね。みなさんの到着に合わせて、検分の時間をいただいたんです」


「そりゃいいや。おやっさんも、大満足だろう?」


「やかましいわ」と、おやっさんは仏頂面で茶をすする。そのぶんまで、俺が笑顔を振りまくことにした。


 そうして五分ほどくつろいだならば、いよいよ検分の開始である。

 語らいに出向いた四名を除いて、森辺の一行は顔をそろえている。リミ=ルウはこの場で再会した折から、ずっとアイ=ファの腕を笑顔で抱きすくめていた。


「それでは、わたしが案内役を務めさせていただきます」


 そのように名乗りをあげたのは、おやっさんたちの車に同乗していた管理者のひとりだ。さらに、俺たちを案内してくれた衛兵と、到着後に案内役を受け持ってくれた従士の少年も同行するようであった。

 あとはいちおう、四名ばかりの衛兵も同行する。この地に危険はないという話であったが、万が一の事態に備えているのだろう。まあ、森辺の狩人だけで八名もいるのだから、その時点で心配は無用のはずであった。


「案内は、徒歩でいたします。車を持ち出すほどの規模ではございませんので」


 管理棟を出た俺たちは、管理者の男性を先頭にして、道を東に突き進んだ。

 しかし、いくら進んでも木造りの家屋が並んでいるばかりである。ただ、どの家屋もそれなりの規模であった。


「兵士や働き手の寝床は管理棟および大食堂のある建物を中心にした数軒だけで事足りますので、残る家屋はいずれも宿泊施設に割り振られております。おおよそは、一階がトトスと荷車を収納する部屋で、二階から上が寝所でございますな」


「なるほど。しかし、いずれも静まりかえっているようだな」


「はい。ここから先はしばらく人里もない荒野が広がっているという話でありますが、行商人の方々は車で半日置きの場所に水場を確保しておられるようで、その関係から、こちらに到着するのは中天の前後か日没の前後に集中するようです。本日の中天には来客もなかったそうですので、次にやってくるとしたら日没の前後でありましょうな」


「人里もない荒野を何日も旅するなど、酔狂の極みだな」


 おやっさんはそう言ったが、べつだん敵意や悪意は込められていない。管理者の男性も、笑顔でその言葉を受け流した。


「ここまでが、こちらの宿場の領土となりますね。ここから先は、自由国境地帯ということになります」


 と、管理者の男性は最後の家屋を通りすぎたところで足を止めた。

 西側の入り口と同じように、そちらにも背の低い柵が設置されている。しかし、仰々しい門などは存在せず、出入り口はぽっかりと開放されていた。


 その先に広がるのは、まごうことなき荒野の様相である。

 もはや北側にもモルガの威容は見えず、荒涼とした大地の果ては森だか雑木林だかにふさがれいる。東の方角も数十メートル進んだ辺りで樹林に行き当たり、そこに切り開かれた道も弓なりに進んで最後には木陰に隠されていた。


「意外に、立派な樹木が生えそろっているようだな。これならしばらくは、木材にも困らなそうだ」


 メイトンがそんなつぶやきをこぼすと、管理者の男性はすぐさま「はい」と応じた。


「宿場の家屋を建造するにあたっては、東側の樹林に道を切り開く格好で伐採した樹木によって木材を確保いたしました。幸いなことに、あちらには建造に適した樹木が数多く生えのびておりましたので」


「南の側にも、手頃な樹木が生えそろっていそうだな。少しばかり距離はありそうだが、地面もそれなりに平坦なようだし、木材を運ぶのにさしたる不自由はないだろう」


 そんな風に言ってから、メイトンは小首を傾げた。


「しかし、これ以上の家屋など必要なのか? 行商人など、日に百人もやってこないのだろう?」


「はい。それに関しては、北方の様子も検分していただきながらご説明させていただこうかと思います」


 すると、東の果てに視線を飛ばしていたライエルファム=スドラも発言した。


「横から、失礼する。この柵から一歩でも足を踏み出したら、そこは自由国境地帯なる地であるのだな?」


「はい。左様でございます」


「では、そこでは東と南の民が相争うことも許されるということであろうか?」


 管理者の男性は一瞬きょとんとしてから、すぐに「ええ」と笑みを浮かべた。


「王国の法においては、そういうことになりますな。ですが、南方の雑木林を越えた先は険しい岩場となっておりますため、ジャガルと行き来することはかないません。それもあって、こちらの宿場は安全が確保されているのです」


「ふん。ジャガルの無法者というのは、獣そのもので手がつけられんという評判だからな」


 と、建築屋の一名が肩をすくめながら会話に加わった。


「で、この辺りには東の無法者も出ないという話だったか?」


「はい。そもそもシムには、無法者というものが少ないようですな。ジギの方々は温厚ですし、ラオリムの方々は生活に困窮することも少なく……よって、シムの無法者といえば、ゲルドとドゥラに限られるという話であるようです」


「ゲルドの山賊、ドゥラの海賊ってやつか。ジェノスにやってきたゲルドの連中は温厚なようで、何よりだったな」


 建築屋の男性は気安い口調であったので、管理者の男性も気を張ることなく「まったくですな」と応じる。

 そんな中、おやっさんがライエルファム=スドラに向きなおった。


「それで? お前さんは、何を案じておるのだ? どこぞの無法者が襲ってくることを警戒しておるのか?」


「いや、そういうわけではない。ただ……柵のひとつで掟が変ずるということを、物珍しく感じただけのことだ」


 そう言って、ライエルファム=スドラはくしゃっと笑った。


「しかし考えてみれば、森辺の掟も森辺の集落でしか通用しない。こちらは柵すら立てていないのだから、余計に境目は曖昧なのであろうな」


「ふん。それが、人の世というものだ。この家ひとつを取っても、それは同じことであろうよ」


 と、おやっさんは手近な家屋を指し示した。


「ただの地面であれば誰が足を踏み込んでも文句をつけられるいわれはないが、こうして家屋を建ててしまえば、持ち主のものだ。この家屋に勝手に踏み入れば、王国の法で裁かれることになる。ただそれも、ジェノスがこの地を新たな宿場であると取り決めたからに過ぎん。でなければ、王国の法で守られることもないからな」


「なるほど。四大王国というものは、そうしてじわじわと領土を広げているということだな。それもまた、森辺の民が森を切り開いて集落を広げるのと、同じことなのかもしれん」


 いったいライエルファム=スドラの聡明な頭の中では、どのような考えが渦巻いているのか。俺などには、想像することも難しかった。

 そこで管理者の男性が、「さて」と声をあげる。


「では次に、北方の区域を検分していただきましょう。先刻の疑問にも、お答えしなければなりませんからな」


 かくして、俺たちは来た道を引き返すことになった。

 森辺のかまど番および警護役を担っていた狩人たちは、おおよそ満足げな面持ちである。森辺の民にとっては、外界の様相を目にするだけで新鮮な心地であるのだ。たとえそれが荒野であっても、物珍しいことに違いはなかった。


 そんな中、シュミラル=リリンはずいぶん静謐なる面持ちである。

 彼は午前中にも同じ場所を検分しているし、もとより大陸中を駆け巡る身分であったのだから、今さら目新しさを感じることはないのであろうが――それにしても、何か思案深げな面持ちであった。


「シュミラル=リリン、どうしました? 気分でもすぐれないのですか?」


 俺がこっそり呼びかけると、シュミラル=リリンは夢から覚めたように微笑んだ。


「いえ。あの道、どのように続いているか、想像していました。私、踏み込んだ経験、ありませんので」


「ああ、そうか。モルガの道が切り開かれる前から、シュミラル=リリンはもう森辺の家人でしたもんね。でもあの道も、すぐにシュミラル=リリンが知っている道に繋がるという話ではありませんでしたか?」


「はい。ですが、数日、道のりです。その道のり、如何なるものか、想像していました」


 そんな風に答えてから、シュミラル=リリンはいっそう優しく微笑んだ。


「行商人、習性です。里心、無関係ですので、心配、ご無用です。私、故郷、森辺です」


「あはは。そこまでは心配していませんでしたよ。シュミラル=リリンは、森辺で幸せに暮らしていますもんね」


「はい。いつか、家族、ジギの草原、見てほしい、思い、ありますが……帰る場所、森辺です。その考え、変わりません」


 俺も、シュミラル=リリンの真情を疑う気持ちにはならなかった。それぐらい、シュミラル=リリンは幸せそうに微笑んでいたのである。


 そうして数分ばかりも歩いたところで、管理者の男性は北側に足先を転じた。

 家屋と家屋の間に道が作られていたので、そちらに突き進んでいくと――その先は、先刻と比較にならないほど広々と開けている。そちらには、畑が切り開かれていたのだ。


「すべての食材をジェノスから運び込むのは経費的に苦しいものがありますため、こちらの宿場においてもあるていどの自給自足がかなうように畑を広げているさなかとなります」


 その畑で、五十名ばかりの人間が働かされているのだ。遠目に区別はつかないが、そこにはダンロの姿もあるはずであった。


「すでにポイタンや一部の野菜は、こちらで収穫されたものが食事に使われております。とりわけポイタンは痩せた土地でも大きな収穫が望めますので、すぐに目的の量を確保することがかないました」


「ふん。ここだけ見ていたら、宿場とは思えぬほどだな」


 おやっさんは仏頂面で、広大なる畑を見回していく。

 畑の先はやはり荒野で、柵によって区切られている。少し西方に向かえばもうモルガの森の端に行き当たる位置であるが、北方の果ての雑木林までにはまだずいぶんな土地が広がっていた。


「……うん。やっぱり、疑問は深まるいっぽうだな」


 と、メイトンも難しい面持ちで発言した。


「家も畑も、ずいぶん立派に仕上がってるように思うよ。むしろ、立派すぎるぐらいだな。これで大した客も見込めないんじゃ、大損するばかりじゃないか?」


「はい。ジェノス侯爵家がどれだけの予算をつかっているかは、わたしにも知るすべはございませんが……滞在客は日に数人、多くても十数人という数であるのですから、とうてい採算はとれないでしょうな」


「それでどうして、もっと家を増やそうなんて話になったんだい?」


「それはやはり、今後の発展を考えてのことと相成ります」


 柔和な面持ちのまま、管理者の男性はそのように言いつのった。


「これは間もなくジェノスにおいても告知されるお話となりますが……ジェノス侯は、ここからさらに北方へと道を切り開こうというお考えであられるのです」


「北方に? ここから北に、何があるってんだい?」


「車で数日の距離には、何もございません。さらにその先に待ち受けているのは、ジギとゲルドを繋ぐ街道でありますね。そこまで道を繋げることがかなえば、さらなる交易を望めるのではないかというお考えであられるようです」


 メイトンは、いまひとつ理解が及んでいない様子で首を傾げる。まあ、南の民たるメイトンは、俺よりもシムの領土の位置関係を把握していないのだろうと思われた。


「ジギとゲルドを繋ぐ街道ねぇ。しかし、ゲルドの連中とはもう交易しているだろう?」


「それはゲルドの藩主を介した、大がかりな交易でありますな。もっと小規模な商団や個人の行商人でも安楽に行き来できる行路があれば、さらなる繁栄を目指すことがかないましょう。そのために、ジェノス侯はさらなる働き手を集めようというお考えであられるのです」


「そうしたら、その連中が寝泊まりする場所も必要になるというわけだな」


 おやっさんが仏頂面で口をはさむと、管理者の男性は「ええ」と微笑んだ。


「さらには、こちらの畑も拡張する予定がございます。今は建築の仕事からあぶれた面々に畑仕事を担っていただいておりますが、次は専門の人間を迎え入れて……ゆくゆくは、領民としての身分を与えようというお考えであられるのです」


「ふん。領民にしてしまえば、税も徴収できるというわけだ。しかし、出費を埋めるにはまったく足りなかろうな」


「はい。シムとの新たな行路を完成させない限り、収益がまさることはありえないでしょう。きわめて遠大なご計画でありますな」


「そんなものは想像もつかんし、そもそも俺たちが想像する必要もない。俺たちは、家を建てるのが仕事なのだからな」


 おやっさんは逞しい腕を組みながら、そのように言い放った。


「なおかつ今回は、ただ助言を与えるだけの役割だ。俺たちに、どのような助言を求めているのだ?」


「はい。畑はこのまま北方に広げる予定ですので、家屋を増やすとしたら東方か南方ということに相成ります。西方にもまだ多少はゆとりがありますが、モルガの森にはなるべく近づかないほうが無難でありましょう。ギバやムントを呼び込んでしまったら、一大事でありますからな」


「なるほど。であれば、東方と南方の地面の具合と……あとは、樹木の様子も検分しておくべきであろうな。南方の雑木林が使い物になるかどうかで、話は大きく変わってくることだろう」


「はい。その折には、車の準備をいたします。今日中に片付かなければ、明日まで持ち越していただいてもかまいませんが――」


「こっちは、明日の朝一番で帰る心づもりだ。宿場町に、仕事が待っているのでな」


「あと、屋台の料理もな」


 メイトンがまぜっかえすと、おやっさんは「やかましいわ」と眉をひそめてから俺のほうに向きなおってきた。


「俺たちは、仕事を開始する。そちらも、せいぜい励むことだな」


「はい。それじゃあ、立派な晩餐を準備してお待ちします」


 マルスタインが抱いているであろう熱情を感じ取ったのか、おやっさんはすっかり職人の顔になっていた。俺がきわめて好ましく思う、働く男の勇ましい顔だ。おやっさんもまた、自分の仕事に大きな誇りと意欲を持っているひとりなのである。


 かくして、俺たちは新たな宿場の検分を終えて、それぞれの仕事を果たすことに相成ったのだった。

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