新たな宿場③~指南と昼食~
2025.3/19 更新分 1/1
「まずは、食材を拝見できますか?」
俺がそのように口火を切ると、炊事係の面々が足もとの木箱から食材を取り出して、作業台の上に並べ始めた。
タマネギのごときアリア、ジャガイモのごときチャッチ、ニンジンのごときネェノン、ピーマンのごときプラ、トマトのごときタラパ、ヤマイモのごときギーゴ、ニンニクのごときミャームー、袋詰めにされたポイタンの粉――のきなみ、ダレイムの畑で収穫される作物である。
ただし、調味料のほうには外来の食材も入り混じっている。
その場に準備されていたのは、まずはどこでもお馴染みの岩塩に、醤油のごときタウ油、味噌のごときミソ、ジャガル産の砂糖、レテンの油、赤と白のママリア酢、そして各種の香草というラインナップであった。
あとは、壺の中で塩漬けにされているのはキミュスの皮つき肉であり、カロンの乳脂と乾酪もそれなりの量が準備されている。ただ、カロンの乳そのものは傷みやすいので運び込まれることはない、とのことであった。
(まあ、おおよそは事前に聞いていた通りだな)
野菜に関しては経費を抑えるためにダレイム産のもので統一されているが、滞在客に不満を抱かせないように調味料と香草のほうで配慮しているという話であったのだ。キミュスが割高な皮つき肉であることも、その一環であろうと察せられた。
「香草は、チットとサルファル、ギギとナフア……それに、ココリとミャンとミャンツですか。なかなか充実してますね」
「ああ。滞在客は東の民が多いからって、やたらと香草が運び込まれるんだよ。俺たちなんざに、使いこなせるわけがねえってのにさ」
「そうそう。ま、東の民は何を食っても顔が変わらねえから、何を考えてるかもさっぱりだがね」
「でもいちおう、香草の使い方は手ほどきされているのですよね?」
ジェノスの貴族も宿場の管理者も、それぐらいの配慮はしているはずだ。リーダー格の男性は、「まあね」と肩をすくめた。
「この香草は肉にまぶせだとか、この香草は煮汁にぶちこめだとか、そのていどの話は聞いてるよ。それで仕上げた料理は俺たちだって食うんだから、手を抜いてるつもりはねえが……ま、出来栄えはお察しだよ」
「そうですか。香草は味も香りも強いので、取り扱いが難しいですよね。それも念頭に置いて、手ほどきを進めていきましょう」
それにしても、昼食用として準備された食材は、なかなかの質量である。
「あの、これは何名分の食材なんでしょうか?」
「ざっと七、八十名分ってところかな。畑仕事に出てる連中が五十人ぐらいはいるはずだし、あんたがたの分だって含まれてるんだからよ。あと、いつ客がやってくるかもわからねえから、多少は多めに作っておくっていう取り決めになってるんだ」
俺は「なるほど」と応じつつ、隅っこで小さくなっていた案内役の少年に向きなおった。
「あの、森辺の民は全員、こちらで食事をいただくのでしょうか?」
「あ、いえ! 大食堂と管理棟で半分ずつ分かれていただくとうかがっています!」
では、検分に出ているメンバーの半数も、のちのちこちらと合流するのだろう。俺は「承知しました」と頭を下げてから、六名の炊事係たちに向きなおった。
「それでは、作業を開始しましょう。今日の昼食は、汁物料理と焼きポイタンを予定していたのですね?」
「ああ。それが一番、手っ取り早いからな。晩餐では、もうちっと手をかけてるけどよ」
「承知しました。それじゃあ、とりあえず……野菜の切り方から手ほどきしていきましょう」
「野菜の切り方? さすがにそれぐらいは、こっちもわきまえてるつもりだがね」
リーダー格の男性がうろんげに眉をひそめたので、俺は笑顔を返すことにした。
「俺はいつも、肉や野菜の切り方から手ほどきを始めることにしているんです。もしも知っている話ばかりでしたらどんどん進めていきますので、まずはおつきあいください」
料理は食材の切り方ひとつで、仕上がりが変わってくる。城下町の料理人であれば誰もがわきまえている話であるが、宿場町やダレイムなどでは二の次にされることも多かったのだ。ここを飛ばして、次のステップに進むことはできなかった。
「汁物料理の献立は……無難に、ミソ仕立てにしましょうか。キミュスの肉と、アリアとチャッチ、ネェノンとプラを具材にしようかと思います」
「うん? それ以外の野菜は、どうするんだい? 下手に余らせても、晩餐に持ち越すだけだぜ?」
「タラパとギーゴとミャームーは、焼きポイタンのほうで使おうかと思います。あ、キミュスの肉とアリアとプラの何割かも、そちらで使わせていただきますね」
「焼きポイタンに、そんな細工をしようってのかい? 乾酪をのせて焼きあげるだけで、不満を垂れるやつはいないと思うがね」
「ええ、乾酪も使わせていただく予定です。みなさんにご満足いただけるように、頑張りましょう」
ということで、俺はひと品ずつ野菜の切り方をレクチャーしていった。
アリアは薄切り、チャッチは乱切り、ネェノンは厚めのくし切りだ。プラは細切りに仕上げることにしたが、彼らは繊維に沿って切るか否かで苦みの加減が変化することをわきまえていなかった。
「なんだか、ややこしいんだな。俺たちは、いつも片っ端から輪切りにして鍋にぶちこんでるぜ?」
「具材を同じ形や大きさでまとめるのも、ひとつの立派な作法です。今日のように切り方を変えるのは、それぞれの具材の食感を変化させるための作法となりますね」
そしてお次は、塩漬けのキミュス肉である。
壺の中から引っ張り出してみると、キミュスは頭を落として内臓を抜いた状態でまるまる収められていた。
「キミュスは丸ごと届けられているのですか。これは、ありがたいですね」
「ありがたいのかい? 肉を骨から外すのが、いつも手間なんだがね」
「そのぶん、骨ガラを活用できますからね。骨ガラは晩餐で使おうかと思いますので、捨てずに壺に戻しておいてください」
俺はキミュス肉の扱いにそれほど手馴れてはいなかったが、ギバに比べても難しいことはない。肉を骨から外す効率のいい手順を手ほどきしながら、炊事係の面々にも実践していただいた。
「肉は、けっこうな量がありますね。三割ぐらいの見当で、焼きポイタンで使うことにしましょうか」
「三割も? 汁物料理の肉が少ないと、文句を垂れる人間が出てくるかもしれないぜ?」
「それは焼きポイタンの満足度で、相殺させたいところですね。同じ肉でも調理に変化をつけたほうが、より満足できるという面もあるでしょう? そのほうが、香草の使い道も増えますしね」
汁物料理で香草を多用すると、どうしたって刺激的な味わいになってしまう。このたびは、焼きポイタンで使用するキミュスの肉を小さく切り分けて、山椒のごときココリを揉み込むことにした。
「それじゃあここで、汁物料理と焼きポイタンの班に分かれましょう。汁物料理はユン=スドラが班長で、スフィラ=ザザとトゥール=ディンもそちらに加わっていただけますか?」
そのように告げてから、俺はトゥール=ディンの耳もとに口を寄せた。
「できれば夜には、菓子も準備したいからさ。そのときは、よろしくね?」
「は、はい。わたしでお役に立てるかはわかりませんが、力を尽くすとお約束いたします」
炊事係の面々に熱意が感じられないためか、トゥール=ディンはいささか困惑の気配を漂わせている。しかしそれでも、トゥール=ディンは健気に意欲を保っていた。
「それじゃあ、ユン=スドラ。汁物料理はギバ汁の要領でよろしくね」
「承知しました。おまかせください」
ユン=スドラは気負うことなく、いつも通りの熱情をたたえている。そんなユン=スドラに半数の炊事係を任せて、俺は残る半数に焼きポイタンの手ほどきをした。
材料は、タラパとアリアとプラ、ミャームーとギーゴ、ココリに漬けたキミュス肉、そして乾酪――これだけの品があれば、簡易的なピザを作りあげることも可能であった。
「まずは、アリアとミャームーをみじん切りにして、レテンの油で炒めます。その後に、細かく刻んだタラパと調味料を加えて煮込むのですが……今回は、塩と砂糖とミャンツにしましょう」
「タラパに、砂糖を加えるのかい? こりゃまた、想像がつかねえな」
「砂糖は、隠し味ていどの分量です。砂糖を少しだけ加えると、タラパの酸味をまろやかにできるのですよ。まずは、アリアとミャームーとタラパの下準備ですね」
炊事係の面々は熱情を携えていないが、それでも指示を出せば過不足なく動いてくれる。彼らは彼らでこの職場から追い出されてしまわないように、つつがなく仕事を終えようという意識を持っているのだ。俺は何となく、走る気のないトトスをなだめすかしながら走らせているような感覚であった。
そんな中、ただひとりだけ昂揚の気配を漂わせている人物がいる。
もともと顔見知りであった男性である。彼はどこか、子供のような期待感に目を輝かせているように感じられた。
「どうです? 多少は参考になっていますか?」
俺が水を向けると、その男性は「いやぁ」とはにかんだ。
「俺は素人なんで、こまかい話はよくわからねえけど……あんたがたの腕は、よくよくわきまえてるつもりだからよ。いつもと同じ材料でどんな仕上がりになるのかって、つい期待しちまうんだよな」
すると、補佐役めいた小柄な男性が骨張った肩をすくめた。
「お前さんは、噂に聞くギバ料理ってやつをさんざん楽しんだことがあるって話だもんな。昨日から、気を張ったり浮かれたりで大忙しだったしよ」
「ええ、まあ、こちらのアスタにはでっけえ借りがありますもんで」
顔馴染みの男性は、照れ臭そうに笑う。そして俺は、小柄な男性の言葉が気になった。
「ということは、他のみなさんはギバ料理を口にされたことがないのですね。もしかして、ジェノスのお生まれではないんですか?」
「ああ。流れ流れてジェノスに行き着いたクチだよ。ダレイムとかいう土地に塀を立てたり、地震いで崩れた家の片付けをしたり、昔っから何かと仕事にありついてるが、賑やかな主街道に足をのばす機会はそうそうなかったね」
すると、かまどの準備をしていたリーダー格の男性も発言した。
「俺はあんたがたの屋台を見かけたことはあるが、何せ食い詰めていたもんでギバ料理には手が出なかったな。もっと粗末な料理を腹に収めて、朝から晩まで働いてたよ」
「ははん。夜の酒や賭場での遊びを楽しむには、昼の食事で贅沢はできねえからな。他の連中も、似たり寄ったりだろうよ」
小柄な男性が皮肉っぽい調子でそう言うと、顔馴染みの男性がおずおずと声をあげた。
「俺が見た感じだと、ここで働く人間の半分ぐらいはそういう流れ者だね。もう半分は、ジェノスの宿場町の生まれだと思うよ」
「何にせよ、貧民窟で管を巻いてた輩ってこったね。もちろんこんな衛兵だらけの場所に罪人なんかがまぎれこむことはねえから、心配はご無用さ」
ではやはり、おおよその人々が無法者の一歩手前という身分であったのだろう。なんとなく、俺は雰囲気でそのように察していた。
(ちょっと世をすねてる感じはするけど、悪人って感じはしないもんな。言ってみれば、昔のラーズみたいなもんか)
レビの父親であるラーズは貧民窟の賭場でイカサマがバレて、二本の指を失うことになったのだ。しかしその後は悪徳の世界に落ちることなく、人足の仕事などで食いつないで、立派にレビを育てあげたのである。
そして炊事係である彼らも、似合わない前掛けをつけて懸命に働いている。こんな荒涼とした地を根城にして、真っ当に生きようと励んでいるのだ。そんな彼らに関われたことを、俺は内心で嬉しく思っていた。
「お、上りの六の刻だな」
と、リーダー格の男性が耳もとに手をやりながら、そう言った。どこか遠くから、重々しい太鼓の音色が聞こえてきたのだ。
「中天まで、あと一刻だぜ? 畑仕事の連中は休める時間も限られてるから、食事が遅れたらさぞかし騒ぎたてるだろうな」
「はい。この調子でしたら、ゆとりをもって完成するはずですよ。慌てず、丁寧に進めていきましょう」
そのようにして、俺たちはその後も着々と作業を続けていったのだった。
◇
そうして一刻ていどの時間が過ぎて、中天である。
作業を終えた俺たちが大食堂で待ちかまえていると、大汗をかいた一団がどやどやと踏み入ってきた。畑仕事に従事していた面々である。
その数は、おおよそ五十名。年齢はさまざまだがいずれも男性で、本来は力仕事のために集まった顔ぶれであるので、おおよそは逞しい外見をしている。そしてやっぱり、どこか荒っぽい雰囲気であった。
「よう、アスタ。まさか、こんなところで出くわすとはな」
と、若衆の集団が俺たちのほうに近づいてくる。それは宿場町の若衆ダンロをリーダーとする一派であった。
「どうも、おひさしぶりです。俺もこちらでダンロにお会いできるとは思ってもいませんでした」
「ああ。なんだかすっかり、根が生えちまってよ。こんな辺鄙な場所じゃ遊びようがねえから、銅貨をためるにはうってつけなんだ」
と、ダンロは気さくに白い歯をこぼす。二十代半ばの、いかにも頑健かつ明朗な若者である。彼はかつてトトスの早駆け大会で入賞しており、祝賀の宴をともにした相手でもあった。
「銅貨をためるために、こちらで働いているわけですか。何か、目的でもあるのですか?」
「そいつは、話すと長くなるな。その前に、腹を満たしたいところだぜ」
「ああ、そうですね。すぐに準備しますので、席のほうでお待ちください」
「よかったら、アスタもこっちに来てくれよ。別嬪の家長さんも、一緒にな」
そうしてダンロは客席に、俺は厨に向かうことになった。
その道中で、アイ=ファが俺に囁きかけてくる。
「あやつはたしかトトスの駆け比べで得た富を、復活祭でつかいきっていたはずだな。あの頃に身をつつしんでいれば、楽に銅貨をためられたろうにな」
「あはは。まあ、誰もがアイ=ファみたいにつつましくは生きられないってことさ」
たしかダンロは駆け比べの賞金で、豪遊していたのだ。ただあれは、下手に小金を隠し持っていると無法者につけ狙われるという思いもあっての行動であったはずであった。
(ダンロも、貧民窟の住人なわけだしな)
そしてダンロはベンやカーゴよりも年長であるためか、どこか風格のようなものが感じられる。立ち居振る舞いはいかにもリーダーめいているし、いつも大勢の仲間を引き連れているのだ。そんな人物であるからこそ、俺の銅貨をくすねようとした御仁を更生させることもかなったのだった。
「そら、今日の食事だぞ。食いたかったら、取りに来い」
炊事係のリーダー格である人物が声を張り上げると、席についていた人々があらためてわらわらと近づいてくる。こちらは鉄鍋を卓の上に移動させて、待ち受ける格好だ。屋内だが、トゥランの配給の場と似たような様相であった。
五十名からの人々は木皿に注がれた汁物料理と焼きポイタンを手に、席へと戻っていく。配膳の仕事まで手伝う必要はないという話であったので、森辺の一行は横から見守っている格好だ。
するとそこに、見慣れた面々がやってくる。宿場の検分に励んでいた六名の内の半数、ダン=ルティムとガズラン=ルティムとシュミラル=リリンである。ダン=ルティムはガハハと笑いながら、俺にどんぐりまなこを向けてきた。
「アスタたちも、ご苦労であったな! ともに腹を満たそうではないか!」
「あ、はい。ちょっと知人と約束がありますので、そちらもご一緒でいいですか? シュミラル=リリンもご存じの、ダンロという御方です」
シュミラル=リリンもダンロと同じ大会に出場して、優勝したのである。シュミラル=リリンは「ああ」とやわらかな笑みを浮かべた。
「ダンロ、懐かしい、名前です。彼、こちら、働いていたのですね」
「はい。たぶんあのあたりにいると思いますので、探してみてもらえますか?」
「承知しました。アスタ、アイ=ファ、待っています」
そうして三名の狩人たちが大食堂を闊歩すると、いくぶんどよめきがあげられた。まあ、ダン=ルティムひとりでも注目を集めるには十分だろう。また、狩人の衣を纏ったアイ=ファも、その美麗な容姿と鋭い雰囲気だけで存分に人目を集めていたのだった。
「よし、全員に行き渡ったな。あとは、俺たちの取り分だ」
すべての人間が着席したのちに、炊事係と森辺の一行も料理を取り分ける。ユン=スドラたちは炊事係と食事をともにするという話であったので、俺とアイ=ファだけが離脱することにした。
ただ、顔馴染みの男性はこちらに追従してくる。今では彼も、ダンロの一派であるのだ。こうして作業場が分かれても、食事はいつもともにしているのだという話であった。
「おお、来たな! さあさあ、ゆるりと身を休めるがいい!」
俺たちが近づいていくと、ダン=ルティムが空いていた椅子をばんばんと引っぱたく。空席はきちんと三つ準備されていたので、顔馴染みの男性はほっと息をついていた。
「いやぁ、まさかシュミラル=リリンにまで会えるとは思ってなかったよ。さっき畑のほうでも森辺のお人らを見かけたけど、あの中にいたのかな?」
ダンロの気さくな呼びかけに、シュミラル=リリンは「はい」と首肯した。
「ですが、こちらも、気づきませんでした。ダンロ、こちら、住んでいたのですね」
「ああ。もうずいぶん前から、こっちに根を下ろしてたんだよ。みんな、元気そうで何よりだ」
そんなやりとりを聞きながら、俺たちも着席した。
すると、どこかで見た覚えのある仲間のひとりが、こちらに笑いかけてくる。
「あんたがたは、キミュスの肉でもこんな立派な料理を作れるんだな。屋台の味を思い出して、宿場町が恋しくなっちまったよ」
「それは恐縮です。明日からもそんな風に思っていただけるように、頑張りますね」
「うーん。ここの連中に、こんなもんが真似できるのかねぇ。使ってる材料なんかに違いはないみたいなのに、なんかもう根っこから違ってるんだよな」
すると、見覚えのない若者のひとりも昂揚した面持ちで身を乗り出してきた。
「本当に、あまりに美味いんでびっくりしちまったよ! あんたの評判は聞いてたけど、本当に凄腕なんだな!」
俺を風聞でしか知らないということは、この地でダンロのグループに仲間入りしたのだろう。その場には、まったく見覚えのない顔もいくつかまじっていた。
「確かにこれは、アスタらしい料理だな! ギバ肉さえ使われていれば、俺もいっさい文句はなかったぞ!」
などと言いながら、ダン=ルティムは誰よりも猛烈な勢いで汁物料理をかきこんでいる。昨今の森辺の民であれば、本日の献立はきわめてシンプルに感じられるはずであった。
汁物料理は具材をレテンの油で炒めたのち、弱火でじっくり煮込んだミソ仕立てのキミュス汁だ。ニャッタの蒸留酒が存在しなかったため、赤ママリアの果実酒をほんの少しだけ添加していた。
あとはありあわせの香草で薬味をこしらえて、配膳の際にひとつまみ加えている。この地で働く人間は普段から香草の料理を食べ慣れているため、不満の声があがることはないだろうという話であった。
焼きポイタンは、簡易的なピザに仕上げている。フワノがないと事前に生地を固めることができないため、ギーゴを加えたポイタンを石窯で半焼きに仕上げたのち、タラパソースと具材をのせて焼きあげたひと品だ。
具材はココリに漬けたキミュス肉と細切りのプラと乾酪のみであるが、ギーゴのおかげで生地はふっくら焼きあがっているし、肉も皮つきなので味気ないことはない。昼の軽食としては、申し分ない仕上がりであろう。
「俺も、美味いと思うよ。ただ、晩餐ではもっと期待しちまうな」
と、ダンロも大らかな笑顔でそんな風に言っていた。彼も屋台のギバ料理に食べ慣れているので、この昼食は可もなく不可もなくという評価であるのだろう。俺としても、こちらは調理に不慣れな炊事係の面々に基本的な作法を伝達するための、小手調べといった心持ちであった。
しかし、屋台の料理を口にした経験のない面々は、おおよそ大喜びの様子である。
半分ていどの席しか埋まっていない大食堂は、なかなかの熱気に満ちみちていた。
「アスタたちは、明日の朝には帰っちまうんだろう? たった半日で、こいつらをどうこうできるもんなのかね?」
と、ダンロが顔馴染みの男性を指し示す。そちらの男性は恐縮していたので、俺が「はい」と応じてみせた。
「調理の基礎と、ちょっとした応用ぐらいは手ほどきできると思います。その他にもあれこれ考えていることがありますので、明日からも楽しみにしていてください」
「そいつは、頼もしいこった。ここも居心地は悪くないんだが、とにかく食事が粗末だからなぁ」
それは、最高責任者の御仁と同じ意見である。誰も彼もが、この地の食生活に小さからぬ不満を抱いているようであった。
「ところで、雨季の間は大変だったみたいだな。こっちでも、シムの王子が乗り込んできたときは大騒ぎだったけどよ」
「ああ、ダンロはその頃からこちらで働いていたのですね。そちらこそ、大丈夫でしたか?」
「ああ。あいつらは、宿場のすぐ外で天幕なんざを張ってやがったからな。こっちからは水を分けてやったぐらいで、なんも関わりはなかったよ。あの中にシムの王子もひそんでたなんて、後になってわかったぐらいさ」
「なるほど。ポワディーノは道中で身分を隠していたのですね。当然と言えば当然の話です」
と、ポワディーノ王子とひとかたならぬご縁を紡ぐことになったガズラン=ルティムが、ゆったりと口をはさむ。ダンロは「そうそう」と気さくに笑った。
「でも、顔を隠したシムの集団があんな人数で寄り集まってるだけで、こっちは落ち着かないからよ。その後にやってきた使節団なんてのは、管理棟のほうにもきっちり挨拶なんかをして、ずいぶんお行儀がよかったみたいだぜ?」
「ええ。帰りは王子と使節団が合流しましたので、さらなる賑わいだったのでしょうね」
「そうそう。この宿場に入りきらないぐらいの集団になってたもんな。その頃にはジェノスの騒ぎもすっかり収まったって聞いてたから、こっちも気楽なもんだったけどよ」
汁物料理をすすりつつ、ダンロは気安く肩をすくめた。
「ここ最近の騒ぎは、そんなもんかい? よほどでかい騒ぎじゃないと、こっちにまでは伝わってこないからよ」
「そうですね。……あ、ユーミは無事に婚儀を挙げましたよ。今はジョウ=ランの伴侶で、ユーミ=ランです」
「おお、そうか! いやぁ、大事な晴れ姿を見逃しちまったな」
「ええ。宿場町の広場でも、祝宴が開かれていましたからね。ダンロがいなくて、ベンたちも残念がっていましたよ」
宿場町の不良青年同士、そちらでもご縁が結ばれていたのである。しかしまあ、あくまで異なる一派の交流という趣であった。
「ダンロ、何のため、こちら、住まっているのですか?」
シュミラル=リリンが問いかけると、ダンロは「ああ」と頭をかいた。
「さっき、アスタにも聞かれたっけな。こんな下準備の段階で大口を叩くのは、俺の性分じゃねえんだけど……俺もあんたみたいに、行商をしたいんだよ」
「はい。行商ですか?」
「ああ。俺は、トトスに乗るのが好きだからよ。そいつを生業にして、大陸中を駆け巡りたいんだよ。だから、あんたは見習うべき先達ってこったな」
ダンロが笑うと、シュミラル=リリンも嬉しそうに微笑んだ。
「行商、元手、必要です。そのため、働いているのですね」
「ああ。ついでに言うなら、剣の技も磨いてるぜ? 護衛役なんざを雇ってたら割に合わねえから、そこも東の民を見習うことにしたんだ」
「意気込み、素晴らしいです。苦難、多い、思いますが、ダンロ、願い、かなうように、祈っています」
「ありがとさん。なんだったら、ギバの干し肉なんかも行商の品として扱ってやらなくもないぜ?」
ダンロに明るい笑顔を向けられた俺も、心からの笑顔を返すことになった。
ジェノスを飛び出して大陸中を駆け巡りたいというのは、いかにもダンロらしい壮大な夢である。そして、このように力のあふれかえった若者であるならば、夢を現実にすることもできるのではないかと思われた。
2025.3/19
本日は『ドラゴンと山暮らし』第一巻の発売日となります。
そちらには、合計39ページに及ぶ4編のショートストーリが収録されております。ご興味を持たれた御方は、何卒よろしくお願いいたします。




