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異世界料理道  作者: EDA
第八章 徒然なる日々
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⑪ルウの収穫祭(二)

2015.1/18 更新分 1/1

 本日、俺たちにあてがわれたのは、シン=ルウ家のかまどの間であった。

 俺が受け持ったのは、闘技会の優勝者のための肉料理のみであったから、作業場を分けることにしたのだろう。本家においては、ミーア・レイ=ルウの仕切りで数十人分の晩餐の準備が進められているはずだ。


 闘技会に参加する男衆と、宴の準備をするかたわらでそれを見物している女衆とで、およそ70名ていどの人間が集まっているらしい。だったらいっそ100余名の全員を集めてしまってもいいのではなかろうかと思えるような、本日の収穫祭とはそれぐらい大きな宴だったのである。


 何はともあれ、日も高い内から、ルウの集落は熱気の坩堝と化していた。

 アイ=ファとジイ=マァムの試合が終わったのちも、広場の中央では狩人たちが力と技を競っている。それを取り囲んだ人垣を横目に、俺たちはシン=ルウ家に向かうことにした。


「あ、シン=ルウ! こんなところで何やってんの?」


 と、ララ=ルウが弾んだ声をあげる。

 俺たちが向かった家の前で、シン=ルウと、そして家人のミダが並んで座りこんでいたのである。


 ぶはーっ、ぶはーっと荒い息をついているミダのかたわらから、シン=ルウが少し元気のない様子でララ=ルウを見上げる。


「べつだん、何もしていない。ここは俺の家なのだから、俺がいてもおかしくはないだろう?」


「誰もそんなこと聞いてないよ! ……もしかしたら、もう負けちゃったの?」


「ああ。やっぱりルド=ルウにはまだかなわなかった」


「馬っ鹿だなー! どうしてあんたたちは毎回毎回おんなじ相手とやりあってるのさ? ルドはああ見えて、眷族の中でも10本指に入るぐらいの狩人なんだから! ルド以外の相手を選べば、シン=ルウだってもっと楽に勝ち抜けるんじゃない?」


 闘技会は、勝ち抜き戦なのだろうか。

 だったらアイ=ファにも2回戦に参加する義務などが生じてしまうのではなかろうかと、俺はちょっと心配になってしまう。


 だけど今は、それよりもララ=ルウとシン=ルウだった。


「……しかし、ルド=ルウに勝てぬうちに他の者に挑んでも、あまり意味はない気がする」


「それならそれはかまわないけどさー。だったら、そんなにしょんぼりしないでくれる? ちっちゃな子どもみたいじゃん」


「しょんぼりなどしていない」


「してるじゃん! 別にさー、勝てたことは誇りになっても、負けたことが恥になるわけでもないでしょ? 胸を張って、宴を楽しみなよ!」


 そんな風にシン=ルウをやりこめてから、ララ=ルウはちらりとミダを見た。


「で、あんたは? その様子だと、あんたも参加させられたんでしょ?」


「うん……ミダは、頑張ったんだよ……?」


 全身汗だくで荒い息をつきながら、ミダは俺のほうに視線を動かす。


「アスタ……力比べで全部勝ったら、アスタの料理が食べられるんだよね……?」


「うん、その予定だよ」


「だから、ミダは頑張ったんだよ……? あと4人に勝てば、ミダはアスタの料理を食べられるんだよ……?」


「え? あんたはもう2人も勝ち抜いたの? すごいじゃん!」


 感心した、というよりは、ちょっと呆れた様子でララ=ルウはそう言った。


 よくわからないので聞いてみると、この力比べの闘技会というやつは、予選で3回、本選で3回を勝ち抜いた者が、優勝となるらしい。


 予選はアバウトな総当たり戦で、先着で3人を勝ち抜いた者の8名までが本選へと駒を進める。2回負けたら失格なので、それまでに3回勝てばいいという、先着早抜けのサバイバル・マッチである。


 で、本選は、1発勝負のトーナメント戦。

 そこで3回勝ち抜いた者が、晴れて優勝ということだ。


 予選などはずいぶん大雑把なシステムであるから、とにかく30~40人はいるという参加者をふるいにかけるために整えられた対戦方法なのだろう。


 ちなみに、現時点ですでにドンダ=ルウとダン=ルティムは3人勝ち抜いてしまっているらしい。

 そこは森辺の民らしく、強者ほど早い段階で大勢の人間に挑まれるのだそうだ。


 ジザ=ルウやルド=ルウ、ガズラン=ルティムといった主要メンバーもすでに2名ずつを下しており、そのそうそうたる面子の中にミダも名を連ねているということに、ララ=ルウは驚いているのだった。


「でも、最後まで勝ち抜くには、どこかでドンダ父さんやダン=ルティムにも勝たなきゃいけないってことだからね。それは相当むずかしいと思うけど、まあ頑張りなよ」


「うん……頑張るんだよ……?」


 ミダはふるふると頬を震わせる。

 そちらにうなずきかけてから、ララ=ルウはシン=ルウを振り返る。


「で? シン=ルウはもうあきらめちゃったの? 今から3回勝ち抜けば、シン=ルウだって8人の勇者になれるんでしょ?」


「あきらめたわけではない。今は力を蓄えていただけだ」


 それが本当かどうかはわからなかったが、とにかくシン=ルウは決然と立ち上がった。


「そろそろ他の者たちも2人目を勝ち抜く頃合いだろう。出遅れない内に、行ってくる」


「うん! 頑張ってね!」


 ララ=ルウは、満足そうに微笑んだ。

 が、シン=ルウがその場を立ち去ってしまうと、ちょっと物思わしげに目を伏せてしまう。


 ここはさきほどの鈍さを挽回するべきだと察し、俺は何気なく声をあげることにした。


「それじゃあ、俺たちもシン=ルウの活躍を拝見させていただこうか。時間にはまだ余裕もあることだし」


「え?」と、ララ=ルウがびっくりまなこで振り返る。


「そんなのんびりしててもいいの? 明日のための準備もあるんでしょ?」


「今日はララ=ルウたちも俺の仕事を手伝ってくれるんだろう? だったら、楽勝だよ」


「何だか呑気な言い草だなあ! おかしな料理を出したら、ドンダ父さんにぶん投げられちゃうよ?」


 そんなことを言いながら、ララ=ルウの瞳は嬉しそうにきらめいていた。


 そんなわけで、俺たちは抱えていた荷物を下ろし、人垣のほうに近づいていこうとしたのだが――その手前で、長身の人影に立ちふさがられることになった。


 俺よりも頭半分ほど背の高い、すらりとした野生の狼のような青年――ダルム=ルウである。


「あ、ダルム兄! いつのまに帰ってたの!? この前は祝福の花をありがとう!」


「ああ。今後はジーン家の連中がスンの集落を見張ることになり、ようやく帰ってくることができた」


 大きな声をあげるララ=ルウと、無言で微笑むヴィナ=ルウにそれぞれうなずきかけてから、ダルム=ルウは俺のほうに――正確に言えば、俺のかたわらに立つアイ=ファのほうに鋭い眼光を飛ばしてきた。


「ファの家の家長、アイ=ファ。貴様に狩人の力比べを挑ませてもらう」


「ふむ? ……申し訳ないが、私にはかまど番を手伝う仕事がある。それに、ルウの眷族でもない私がこのような場であまり大きな顔をするべきではなかろう」


「挑まれて、逃げるのか? 狩人としての力を示すより、貴様にはかまど番の仕事のほうが大事というわけか? だったら今後は狩人など名乗らず、かまど番の仕事にだけ精を出していればいい」


 低い声で言い捨てるなり、ダルム=ルウは俺たちのほうに近づいてきた。

 右頬に深い傷が穿たれた精悍な顔が、そのままアイ=ファの耳もとに寄せられる。


「この勝負で俺に勝てば、貴様を狩人として認め、2度と愚弄はしないと誓おう。……ただし、俺に負けたら、貴様はルウの家人となれ」


 たぶんその声は、アイ=ファのすぐそばにいた俺ぐらいにしか届かなかったと思う。


 至近距離からダルム=ルウをにらみつけ、同じぐらい低くひそめた声でアイ=ファは言い返す。


「その場合、アスタの身柄はどうなるのだ?」


「貴様が望むなら、そこのかまど番もルウの家人として招くよう、親父に取りなしてやる。それなら文句はあるまい?」


 ちょっと悩ましげな顔をしている姉と、不思議そうな顔をしている妹に見守られる中、ダルム=ルウはすみやかにアイ=ファから離れる。


「貴様に狩人としての誇りなどというものがあるならば、俺の挑戦を受けろ。逃げるならば、俺はこの先も永久に貴様を狩人とは認めない」


 そうしてダルム=ルウは、広場の中央のほうに歩み去っていった。

 小さく息をついてから、アイ=ファもまた足を踏み出そうとしたので、俺は思わずその腕をひっつかんでしまう。


「おい、まさかと思うけど、あんな一方的な言い分を飲むつもりじゃないだろうな?」


「狩人としての誇りを問われたのだから、私も逃げるわけにはいかない。……かの次兄めも、相応の覚悟をもってあのような言葉を吐いたのだろうしな」


「いや、だからって――!」


「それに、ルウ家は今や森辺の族長筋だ。族長筋と正しい縁を結べなければ、私はまた近しい者たちに災いを招いてしまうかもしれん。これは次兄との縁を正す好機なのだと、私には思える」


 アイ=ファの眼差しは穏やかなままであったが、その奥には並々ならぬ覚悟の光が灯っていた。


「私たちは、ルウ本家の家長と、長兄と、次兄とは、あまり良い縁を結べていなかった。しかしアスタの尽力の甲斐もあって、家長ドンダ=ルウの気持ちはだいぶん和らいできたところであろう。ならば私も、次兄と正しい縁を結びなおしたいのだ」


 アイ=ファは静かに、しかし力強く微笑んだ。

 そして――無意識の所作なのだろうか。その指先が、青い石の首飾りをきゅっと握りしめる。


「五分の条件であるならば、私がかの次兄に遅れを取る怖れはない。お前はそこで見守っていてくれ、アスタ」


 そうしてアイ=ファもまた俺たちの前から立ち去っていった。


「よー、帰ってたのかよ、お前ら」と、そこにひょこひょこと近づいてきたのは、ルド=ルウだった。


「いま一緒にいたのは、ダルム兄とアイ=ファだよな? もしかしたら、あの2人がやりあうのか?」


「そうみたいね。いくら何でも、アイ=ファがダルム兄に勝てるとは思えないんだけど」


 ララ=ルウの返事に、ルド=ルウは「ふーん」と黄褐色の髪をかき回す。


「それじゃあ俺は別の相手を探すかな。どーせあの2人は、放っておいても勝ち進んでくるだろうし」


「ルド=ルウ! アイ=ファとダルム=ルウがやりあったら、いったいどっちが勝つんだろう?」


 心中の不安を抑えきれず、俺はそんな風に問うてしまった。

 が、ルド=ルウは「わかんねーよ、そんなの」と、肩をすくめる。


「力比べなんて、ちょっとしたことで強いやつが弱いやつに負けたりすることもあるからな。ま、よっぽど力の差があれば別だけどよ」


「……アイ=ファとダルム=ルウは、どっちが強いんだい?」


 このぶしつけな質問には、あっかんべーで報いられてしまった。


「言うかよ、そんなこと。お、シン=ルウの出番だぜ?」


 ルド=ルウの言葉通り、広場の中央にシン=ルウと見知らぬ若者が進み出ていた。

 アイ=ファとダルム=ルウは、どうやら審判役をつとめているらしい長身の老人――ルティムの先代家長ラー=ルティムの背後にひっそりと控えている。きっと、この次が出番なのだろう。


「えーっと、あいつはミン家の末弟か。あれならシン=ルウも勝てるかもな。……あれ? どうしたんだよ、シーラ=ルウ? シン=ルウの出番だぜ?」


 その言葉にと胸を衝かれて、俺はシーラ=ルウを振り返る。

 シーラ=ルウは、ルド=ルウに呼びかけられたことにも気づいていない様子で、一心に広場の中央のほうに目をやっていた。


 もしかしたら――そのうっすらと涙をためた瞳は、弟ではなくその背後の2人を見つめているのかもしれない。


 そんな中、シン=ルウは見事に接戦を制し、ミン家の末弟とやらを打ち負かすことができた。

 熱い視線と歓声をあびながら、アイ=ファとダルム=ルウがシン=ルウらに代わって中央に進み出る。


「右、ルウの家のダルム=ルウ。左、ファの家のアイ=ファ。森に狩人の誇りを示すがよい」


 歓声の中でもビンと響くラー=ルティムの声が、両者の名を告げる。

 アイ=ファとダルム=ルウは、5メートルほどの距離を置いて向かい合った。


 身長差は、頭半分ていどだ。

 しかし、体重差は10キロ以上もあるだろう。壮年の男衆に比べればまだすらりと引き締まった体格をしているダルム=ルウであるが、アイ=ファはそれ以上に細身で華奢である。


 本当に、アイ=ファはダルム=ルウに勝てるのだろうか?


 胴体が地面に着いたら負け、という大雑把なルールであるらしいので、体格差や筋力だけで勝負が決まるわけではない。それは理解できる。

 だけどそれなら、アイ=ファにとってはジイ=マァムのような大男のほうが、案外御しやすいのではないか、と思えてきてしまったのだ。


 極端な話、ミダとの対戦なら、アイ=ファが勝つ気がする。ヴィナ=ルウだって、グリギの木が1本あればミダをすっ転ばすことができたのだから。


 しかし――ダルム=ルウのような相手は、どうだろう?


 男女の差があるだけで、アイ=ファとダルム=ルウは似たタイプであるように見受けられる。革鞭のように引き締まり、鋼のように研ぎ澄まされた体格も、手足が長くて、すらりとしていて、敏捷性と力強さを等しくあわせ持っていそうなところも――身長や体重の数字だけなら、ルド=ルウやシン=ルウのほうがアイ=ファに近いのに、印象としては、ダルム=ルウのほうが似ているように感じられるのだ。


 そうして非常に似たタイプでありながら、ただダルム=ルウのほうが一回りも大きな体格を有している。

 これはものすごく厄介な相手なのではなかろうか?

 たとえて言うなら、10キロ以上の体格差があるボクサー同士が試合をするようなものだ。


 たとえ体格で劣っていても、ボクサーと相撲取りなら、有利な闘い方というものがありそうな気がする。ボクサーとプロレスラー、ボクサーと空手家でも然りである。その際に勝敗を分けるのは、体格差ではなくルールの如何になるのだろうと思える。


 然して、この力比べにおいてはルールの有利不利もない。ミダあたりには不利にはたらきそうなルールであるが、その作用はきっとダルム=ルウには及ばないだろう。


 いったいアイ=ファは、どこに勝機を見出しているのか――

 そんな風に俺が思い悩んでいる間に、ラー=ルティムによって開始の合図が宣告されてしまった。


「始め!」


 ダルム=ルウは、腰を落とした。

 アイ=ファもまた、腰を落とした。


 10メートルばかりも離れた場所から見守っているのに、両者の瞳が獣のように燃えているのが、はっきりと感じられる。まるで、狼と山猫がうなり声をあげながら対峙しているかのようだ。


 ダルム=ルウが、一見無造作な感じで右腕を伸ばす。

 アイ=ファは、素早くその腕の外側に跳びすさる。


 が、アイ=ファが距離を詰める前に、ダルム=ルウもまた素早くそちらに向き直る。


 やはり、敏捷性に大きな差異はないようだ。


 敏捷性に差はなくて、腕力に体格の分の差があったら、いったいどこに活路があるのだろう。


 これが本当に狼と山猫の闘いであるならば、先に眼球や咽喉などの急所をとらえたほうが勝つ、とも思えるが。そういった体格差を埋めるような攻撃も、この闘いでは許されていないのだ。


 ダルム=ルウが、慎重に腕や足を繰り出して、アイ=ファが何とかその攻撃を受け流す。あまりにも一方的な戦況のまま、時間は刻々と流れていった。


 気づけば、周囲の人々も静まりかえってしまっている。

 アイ=ファたちのかもしだす張り詰めた空気が伝染してしまったかのようだ。


 そして――ふいに戦況が、動いた。

 防戦一方であったアイ=ファが、無謀とも思える大胆さで、ダルム=ルウの懐に足を踏み込んだのだ。


 頭を低くして、ダルム=ルウの腹に頭突きをくらわそうとするかのような体勢である。

 ダルム=ルウは俊敏に身をよじり、アイ=ファの首筋に右肘を落とそうとした。

 背中に目でもついているのか、アイ=ファはさらに体勢を低くして、その肘打ちを回避する。


 そうして相手の右側をすりぬけざまに――アイ=ファは、ダルム=ルウの背中へと腕を伸ばした。

 アイ=ファの指先が、ダルム=ルウの着た布の装束の生地をつかみ取る。


「ぬう!?」と怒りの声をあげ、ダルム=ルウは背後のアイ=ファへと右肘を旋回させた。

 が、アイ=ファはダルム=ルウが動いたのと同じだけの距離を動き、ぴたりと真後ろについていたので、その攻撃もむなしく空を切った。


 そしてアイ=ファは、もう一方の手でも、ダルム=ルウの背中の生地をつかんだ。

 ほとんど肩に近いあたりの位置で、何というか、ムカデ競争みたいな珍妙な格好になってしまう。


「ふざけるな! 正々堂々と闘え!」


 わめきながら、ダルム=ルウはなおも肘やかかとでアイ=ファを襲う。

 しかしやっぱり、角度的にも立ち位置的にも、当たるものではない。


「いかに相手の虚をつくかというのも立派な闘い方であろう」


 言いざまに、アイ=ファはぐりんと後方に向き直った。

 しかし、その指先はダルム=ルウの衣服をつかんだままである。

 それと同時に、右のかかとでダルム=ルウの左のかかとを蹴り飛ばす。


 そうしてアイ=ファが身をふたつに折ると、かかとを蹴られて体勢を崩しかけていたダルム=ルウの両足がふわりと浮いた。

 アイ=ファの腰にダルム=ルウの腰が綺麗に乗っかり、ダルム=ルウは――後ろざまに一回転して、頭から地面に落ちた。


 背面からの背負投げ、とでも言うべき、奇っ怪ながらも恐しい技だった。たぶん、柔道であったらとうてい許されないような超ド級の反則技だ。


 しかしこれは柔道ならぬ狩人の力比べであったので、ラー=ルティムはアイ=ファの勝利を宣言した。


「それまで! ファの家のアイ=ファの勝利である! ルウの家のダルム=ルウは退くべし」


 ダルム=ルウは、かろうじて両腕で頭を守ったようだった。

 しかし、脳震盪ぐらいは起こしてしまったのだろう。頭を抱えこんだまま、地面でうめき声をあげている。


 堰を切ったように爆発する歓声の中、アイ=ファはしばらく無言で立ちつくしていたが、やがて心配そうな面持ちになってダルム=ルウのもとに屈みこんだ。

 すると、ダルム=ルウの右腕が蛇のようにしゅるりと伸びて、アイ=ファの左肩をひっつかんだ。


 安堵の息をつきかけていた俺は、それでたちまち立ちすくんでしまう。


 が――ダルム=ルウは、それ以上は動かなかった。

 地面に横たわり、アイ=ファの肩をつかんだまま、アイ=ファの顔をじっとにらみつけている。


「おお、これは見事にやられたものだ! きちんと息はしているか、ダルム=ルウよ?」


 と、陽気な大声とともに、どすどすとそちらに近づいていく者がいる。

 ずいぶんとひさしぶりに見る、それはルティムの家長ダン=ルティムであった。


 家長会議の後はガズラン=ルティムが族長ドンダ=ルウの懐刀となってあれこれ動き回ることになったので、ダン=ルティムはルウ以外の眷族を守り、率いる役割を担っていたらしい。ということは、俺やアイ=ファにとっては半月ぶりの再会になるはずだ。


 もちろん半月ぶりでもこの御仁に変わりはなく、陽気な大魔神のようなその顔には豪放で快活で屈託のない笑みが広がっていた。


「俺とドンダ=ルウの他に、ここまで見事にダルム=ルウを投げ飛ばせる人間がいたとはな! いや、面白い勝負だった! アイ=ファよ、とっとともうひとり勝ち抜いて、俺とも力を比べようではないか?」


 そんなことを言いながら、ダン=ルティムはダルム=ルウの左脇に腕を差し入れて、軽々と引き起こしてしまった。

 ダン=ルティムの丸々とした巨体にぐったりともたれかかりながら、ようやくダルム=ルウもアイ=ファの肩から指を離す。


「いや、私はこれ以上ルウの宴を乱したくはない。かまど番を手伝う仕事もあるので、これで退きたいと思う」


 身を起こしながらアイ=ファが応じると、ダン=ルティムは「そうはいかん!」と大声で笑った。


「ダルム=ルウは、そろそろルウの眷族でも5本の指に入るのではと思われていたぐらいの狩人であったのだぞ? そのダルム=ルウをここまで見事に打ち負かしたお前さんがどれほどの力を持っているのか、それを見届けぬことには宴どころではなかろうて!」


「いや、しかし――」


「これは収穫の宴だぞ? 狩人が森の収穫を祝い、その力を森に示すための祭りなのだ! かまど番にはかまど番の仕事があり、狩人には狩人の仕事がある! お前さんは立派な狩人なのだから、狩人としての仕事を果たせば、それでよいのだ!」


 後はもうアイ=ファの反論など聞こうともせず、ダン=ルティムはダルム=ルウを担いだまま人垣のほうに戻ってしまった。


 再び万雷の歓声をあびながら、アイ=ファは俺たちのもとへと凱旋してくる。


「……お疲れ様。何はともあれ、ほっとしたよ」


 アイ=ファは嘆息するばかりで、何も答えようとはしなかった。

 その背中に、背後から忍び寄った小さな人影が飛びかかる。


「アイ=ファ、すごいね! ジイ=マァムだけじゃなくダルム兄までやっつけちゃうなんて! すっごくすっごくかっこよかったよ!」


「……重い。しがみつくな、リミ=ルウ」


「やだー」と満面に笑みをひろげながら、リミ=ルウはアイ=ファの頬に自分の頬をこすりつけた。


 そこで俺はとある懸念に思い至り、シーラ=ルウのほうを振り返る。

 シーラ=ルウは、きつくまぶたを閉ざし、両手を胸の前で組み合わせて、必死に何かを祈るような面持ちになってしまっていた。

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