ギバ・バーグ①クリーム色の悪魔
2014.10/30 文章を修正。ストーリー上に変更はありません。
「うーむ」とうなり声をあげたのは、これで本日何度目であっただろうか。
俺の眼前には、憎きポイタンがごろりと転がっている。
この異世界を訪れて、5日目の昼下がりである。
本日は、日課である食器の清掃や食糧庫の管理を終えたのち、干し肉の作成に従事した。
余談が長くなってしまうが、なんとあの干し肉はただの干し肉にあらず、肉の燻製であったのである。
ざっくり説明するならば。ギバ肉の表面に岩塩とピコの葉をすりこんで、ゴムノキモドキ(そういえばまだ正式名称を確認していない)の葉で包み込む。3日目の夜に塩と香辛料を洗い流し、一晩乾燥。翌朝、屋外の木に肉を吊るし、その下でリーロの香草と生のピコの葉を焚き、日が中天に昇るまで燻しまくる。かくしてギバ肉の燻製の出来上がりでございます。
で、本日がその4日目の朝だったので、俺は薪と香草の採取ではなく、その燻製を仕上げる作業を託されたのだった。
作業としては、火を絶やさぬように薪と香草を追加していくだけだから簡単なものであるが。何せ数時間も火の番をしていなくてはならないので、決して楽なわけではない。
それでもまあ、中天に差しかかるまで意想外の事態に見舞われることはなく、大量の燻製を無事に作成することができた。
こちらはいつも通り採取作業のために森へとおもむいたアイ=ファの帰りを待ち、出来上がった燻製を貯肉スペースに収納し、作業は終了。
そうして中天まで働いたのち、昼下がりから夕暮れ時までは、こうしてポイタンの研究に打ち込むことを許されたのである。
この時間帯、アイ=ファはギバを狩るため、再び森におもむくことになる。ギバの肉はまだ山ほど余りまくっていたが、ポイタンやアリアを得るためには、5日に1頭のペースでギバを仕留めなくてはならない。で、ギバを狩るのに素人の俺などは邪魔にしかならないから、こうして自由な時間を得ることができた、というわけだ。
もちろんというか何というか、この5日間、アイ=ファはまだギバを仕留めていない。俺という食い扶持が増えるまでは10日に1頭のペースで良かったわけだし、そうそう簡単に狩れるわけではないのだろう。
5日前に(突発的な事態だったとはいえ)狩ったばかりでもあるわけだし。今日か明日にでも仕留めることができれば上出来だ、とアイ=ファはそんな風に述べていた。
で、俺である。
初日はギバの解体にいそしんだので、それ以降の4日間。俺は毎日昼下がりからこのポイタンめの研究に励んでいるわけなのだが――こいつはなかなかの難敵だった。
端的に言って、こいつの正体がわからないのだ。
俺の世界には、こんな植物は存在していなかった、と思う。
外見的には、ジャガイモである。
ちょっと色合いは淡い感じで、大きさもちょっと大きめだが、表層上の質感や形状はジャガイモそっくりだ。
しかし、中身が全然違う。
生でかじると、渋みがひどくて、やたらと粉っぽくて、とうてい食べられたものではない。本当にこれは植物なのかと疑いたくなるぐらい、水気も旨味も感じられないのだ。
で、ご存知の通り、水で煮ればぐずぐずに煮崩れてしまう。
ほとんど半液状になって、味のない泥水みたいな代物に変化してしまうのである。
俺の作成した『ギバ・スープ』に投入したところで、何ら改善は為されなかった。
それでもこれは摂取しないといけない栄養分を有しているらしいので、今日までの4日間は、肉とアリアをたいらげた後、残ったスープに溶かして、飲んだ。
鍋のシメの雑炊やらうどんやらはあんなに心が踊るのに、こちらはもう罰ゲーム級のいただけなさだ。どうしてこんな泥水みたいなもんをすすらなくてはいけないのかと、情けない気持ちになってくる。
だから、こうして悩んでいるのだが。
いまだに解決策は見いだせずにいた。
1日に1個、研究のためにこいつを消費して良いとのお墨付きを頂けたので、色々と試してはみたのだが、駄目だった。
煮れば、どろどろに崩れてしまう。
焼けば、粉々に崩壊してしまう。
水に漬けても、何ひとつ変化は見られない。
獣脂で炒めれば、粉っぽいラードのできあがりだ。
その他にも、すり潰してみたり、脂ぬきで炒ってみたり、天日にさらしてみたり、思いついたことは何でも試してみたのだけれども、光明はちっとも見えてこなかった。
「うーむ!」と何度目かのうなり声をあげる。
すると、後ろから頭をひっぱたかれた。
「やかましいわ。いちいち騒がないと悩むこともできないのか?」
もちろんのこと、アイ=ファである。
本日はなかなか森へと出発しようとせず、さっきまで物置小屋でごそごそやっていたようだが、ようやく用事が済んだらしい。いつもながらの胸あてと腰あてを巻いただけの軽装で、仁王立ちになり、俺の顔をにらみつけてくる。
「痛えなあ。俺だって好きでうなってるわけじゃ……」と言いかけたところで、俺はアイ=ファが小脇に荷物を抱えていることに気がついた。
何だろう。綺麗な色合いをした布の束だ。
俺の視線に気づいたのか、その内の1枚をアイ=ファが広げてみせてくれる。
「これは、父親が遺した衣服だ」
なるほど。それはどうやら袖なしで前面の空いた胴衣、いわゆるベストだかチョッキだかであるようだった。
ボタンなどはついておらず、下のほうで紐をくくる作りになっている。デザインはシンプルだが、やはり色とりどりの複雑な渦巻き模様であるからして、なかなかに小洒落ている。
「ほうほう。いいね。きっとアイ=ファにはよく似合うと思うよ」
俺は本心からそう答えたのだが、何故かアイ=ファの頬に朱がさした。
「こ、このような衣服を私が着られるか! 確かに私は家長として《ギバ狩り》の仕事を果たしてはいるが、一応これでも女なのだぞ!」
「ええ? 別にそれだけを着ろとは言ってねえよ!」
ベストだかチョッキだか知らないが、そいつはあのアラジンが着ているような、がっぽりと前面の空いたデザインであったので、胸あてなしにそんなものだけ身につけたら――アウトだアウト。公序良俗を何だと思っていやがるのさ。
「もちろんそれを着るとしたら、今の格好の上からだろ! 大体、お前みたいに綺麗な顔をしたやつを男あつかいするわけが……」
「やかましいと言っている! これは、お前のための服だ!」
ちょっとひさびさにカンシャクを爆発させて、アイ=ファがそれらの衣類を俺の顔面に投げつけてきた。
「お前のその格好は目に立ちすぎる! お前と一緒におかしな目で見られるのは不愉快なのだ!」
なるほど。それはもちろん俺の白装束がどれほど注目を集めているかは、朝方の水場などで大いに思い知らされている。
それに、俺には洗い替えの持ち合わせもなかったから、Tシャツと調理着を1日おきに着まわしており、ズボンとパンツに至っては、洗濯した後びしょびしょのまま着用するしかなかったのだ。
まあ気温がけっこう高いので数時間もすれば乾くし、そうでなくとも、いつスコールのような集中雨に見舞われるかもわからない生活であるから、そのあたりのことはまだあきらめもつくのだが――ただ、純白の調理着が森の仕事などでだんだんと薄汚れていくのは、なかなかに物悲しい心情を誘発されるものなのだった。
そんなわけで、俺は怒れる女主人に深々とこうべを垂れておくことにする。
「あ、ありがたく頂戴するよ。だけどこれ、大切なものなんじゃないのか?」
「……大切にしたところで、着る人間がいなければただの塵芥だ」
と、アイ=ファが怒った顔つきのまま、腰の小刀に手を伸ばす。
俺は思わず後ずさりそうになってしまったが、アイ=ファはそいつを革鞘に収めた状態で突きつけてきた。
「これも、父親が遺したものだ」
俺は、無言でそれを受け取る。
柄には滑り止めの革が巻かれた、刃渡り20センチていどの小刀。
革鞘から抜いてみると、刃先も、背の鋸刃も、研ぎたてみたいに美しく光っていた。
「これも……俺が使っていいのか?」
「貸すだけだ! いつまでも私の刀を脂まみれにされるのは迷惑だからな! もしも手入れを怠って刃を錆びつかせるようなことがあったら、誓ってお前の耳を削ぎ落としてやるぞ!」
「わかった。ありがとう。本当に感謝しているよ。絶対に親父さんの形見を粗末に扱ったりはしない。約束する」
アイ=ファはぷいっとそっぽを向いたが、そのままどこかに行ったりはせず、俺の隣りにどかりと座りこんできた。
「……それで、ポイタンを美味く食う手段は見つけられたのか?」
「うーん。それがなかなかの手詰まりでなあ。何せ俺のいた世界には、こいつに似た野菜ってもんが存在しなかったんだよ。ギバはイノシシそっくりで、アリアはタマネギそっくりなのに、こいつは全然何にも似ていないんだ」
「だったら、素直にあきらめたらどうだ? 私は別に……今のままでも、不満はない」
まだ強情にそっぽを向いているアイ=ファの横顔を、俺は至近距離から見つめやる。
「本当に不満はないのかよ? 俺はもう不満で不満でしかたがないけどな! 『ギバ・スープ』は着実に理想に近づいてきているのに、こいつのせいで、すべてが台無しになっちまう! 見習いとはいえ料理人のプライドがズタズタだよ!」
「……ぷらいど?」
「誇り。自尊心」
「ふむ。……それはもちろん私だって、不味いよりは美味いほうが良い、と思えるようにはなってきた。しかし、いつまでも食材を無駄に使えるわけではないのだぞ?」
「ああ。そいつはわかっているつもりだけど……」
「この牙と角は、食糧とのみ交換する品ではない。刀が折れれば刀を、衣服を失えば衣服を、病を得れば薬を、この牙と角で交換するのだ」
と、胸もとの首飾りにじゃらりと指先をからませる。
「今までは、10日に1頭のギバを仕留めるだけでアリアやポイタンをまかなうことができたから、こうして牙や角を余分に蓄えることもできた。しかし、今後は5日に1頭を仕留めなければならないのだから、これらの蓄えも目減りしていく怖れがある。……ならばなおさら、食糧は大切に扱うべきなのだ」
「そうか。それなのに、お前は1日に1個、ポイタンを好きに使っていいって言ってくれたんだな」
それなのに、俺は4日間も無為に時を費やしてしまった。
4玉ものポイタンを無為に費やすことになってしまった。
不甲斐ない、と歯噛みしたくなる。
「だったらもう、今日からポイタンを無駄に使うのはやめにしよう。俺が食う分をひとつ減らして、そいつを研究用に……」
「それは駄目だ」と応じたアイ=ファの声は、決して大きな声ではなかったが、強い意志とわずかな怒りの響きをふくんでいた。
ハッとして振り返った俺の目の前に、その声と同質の表情をみなぎらせたアイ=ファの顔がせまり寄ってくる。
「何度も同じことを言わせるな。ポイタンを2個と、アリアを3個。それは、森辺の民が健やかに生きていくために最低限必要な食糧なのだ。それを減らせば、どれほどギバの肉を喰らったところで、いずれは病を得ることになる」
アイ=ファの瞳が、青い火のように燃えている。
探究心のために自分の健康を犠牲にするなど、森辺の民の倫理観が許せないのだろう。
いや――森辺の民に限ったことではないか。
料理人だって、そんな真似をしてはいけないはずだ。
自身の食生活を管理できない料理人なんて、不養生な医者や白袴の染屋と同等の存在であるに違いない。
(そんなことは、わかってるんだよ……)
料理人がお客に提供するのは、味と、栄養だ。
どんなに美味い料理でも、身体の害になるのでは意味がない。
どんなにバランスの良い栄養食でも、味が不味ければ意味がない。
その両立を目指してこその、料理人である。
他の料理人がどうだかは知らないが、少なくとも、俺の親父はそういう料理人だった。
近年では、「身体に悪いものこそ、美味い」などというシニカルな風潮も蔓延している。背脂にまみれたラーメンや、居酒屋のメニューや、砂糖だらけのジュース類、ジャガイモを原料にした某チップスなどが、その代表格であろう。
嗜好品として、そういうものが存在するのは、わかる。
俺だって、ギットギトのとんこつラーメンは大好きだ。
しかし、それは料理の常道ではありえない。
身体が必要としている栄養価を含んでいるからこそ、美味く感じる。
動物としての本能が壊れてしまった人間には、もはや失われてしまった感覚なのかもしれないが――その大前提だけは、やっぱり崩壊させてはいけないのだ。
身体がぶっ壊れてもいいから、毒でも、美味いものを貪っていたい。
そう考える人間は、そうすればいい。
だけど俺は、そんな風には考えないし、そんな料理を作りたくはない。
そんな料理を食べたいとも、そんな料理を食べさせたいとも思えない。
ギバの肉は、本当に美味い。
身体にとって必要な栄養価を含んでいることが、実感できる。
自分の体内で正しく血肉に変換されていくのが、実感できる。
そんなものは錯覚だと笑われるかもしれないが、俺は本心でそう思っている。
そんな風に思える料理を――俺は、作っていきたいのだ。
この、「食」の楽しみを知らない、森辺で。
美味しく、そして、身体に正しい料理を。
自分の大切な相手に食べさせるために。
(ポイタンを食べるのは、正しいことのはずなんだ。それは、アイ=ファが証明してくれている)
俺が知る誰よりも、力強く、力にあふれている、アイ=ファ。
このアイ=ファを育んできたのが、ギバと、アリアと、ポイタンであるというならば――絶対に、喜びをもって口にできる調理法が存在するはずだ。
ポイタンは、人間にとって正しい栄養価を含んでいるはずなのだ……
(……うん?)
正しい、栄養価?
人間にとって、必要な栄養価?
それはつまり――
「そうか! そういうことなのか!」
俺は無意識のうちに大声をあげて。
無意識のうちに、目の前にいるアイ=ファの両肩をひっつかんでしまっていた。
「何か心にひっかかってたんだよ! 何か足りないと思ってたんだ! 畜生、そういうことだったのか……!」
「……何をいきなり我を失っているのだ、お前は」
迷惑そうに身を引こうとするアイ=ファの身体を、俺は無意識のまま引き寄せてしまう。
「お前のおかげで答えが見つかりそうなんだ! やっぱりお前は最高だよ、アイ=ファ!」
誓って、無意識だったのである。
俺は、無意識のうちに、アイ=ファの華奢だが革鞭のように引き締まった身体を抱きすくめてしまっていたのである。
当然のことながら、数秒の後にはしこたま頭を殴打されることになったが、それでも俺の心は勝利への予感に打ち震えていた。




