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異世界料理道  作者: EDA
第九十三章 翠嵐の季節
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ファの家の増築工事①~着工~

2025.2/27 更新分 1/1

 翌日――緑の月の二日である。

 予定通り、建築屋の面々は朝一番でファの家に参上した。


 三台の荷車で、二十名という大所帯だ。おやっさんとアルダスはずいぶん遅くまでファの家に留まっていたが、どちらも睡魔を圧する意欲をみなぎらせていた。


「工事の手順は、昨日説明した通りだ。子犬たちは、もう余所の家に移したか?」


「うむ。どれだけ騒々しくしようとも、問題はない」


「それじゃあまずは、養生からだな。俺たちを信用しているなら、見守りの必要もないぞ」


「承知した。では、よろしく願いたい」


 こちらは洗い物の仕事を終えたところで、これから森の端に向かう刻限である。建築屋の面々に絶対の信頼を置いている俺とアイ=ファは、心置きなく自分たちの仕事を果たすことにした。


 本日から始められる増築工事に対して、ファの家も多少ながら準備を整えている。その第一は人ならぬ家人と一部の資産をフォウの家に預けることで、第二は母屋から壊れ物を避難させることであった。


 前回の再建工事ではもともと家財をフォウの家に移していたし、子犬たちもまだ生まれていなかったので、そういった処置も必要なかったのだ。樹木を伐り倒す際には大変な騒音と振動が生じるため、ギルル以外の人ならぬ家人はのきなみフォウの家に避難させていた。


 あとは母屋にも手を加えるため、硝子の容器などの壊れ物はかまど小屋の食料庫に移動させている。

 そして、銅貨や銀貨や飾り物などといった資産に関しては、おやっさんからの要請で余所に移すことに相成った。


「俺の下で働く連中に、人様の持ち物をくすねるような人間は存在しない。しかし、作業のさなかに盗人が入る恐れだってあるだろうし、そもそも銀貨の山など目の毒だ。おたがいのために、金目のものは遠ざけておいてもらいたい」


 昨晩、おやっさんはそんな風に語っていたものであった。

 その場では、アイ=ファも反論しなかったが――しかしやっぱり、清廉なる森辺の民には理解しきれない部分もあったのだろう。おやっさんたちに後事を託して森の端に向かう際に、アイ=ファは俺にこっそり疑問をぶつけてきた。


「アスタよ。他者の富が目の毒になるとは、いったい如何なる意味なのであろうか?」


「えーっとな。建築屋の方々は他人の富に手をつけるような真似をしないけど、中には心を乱される人もいるかもしれないだろ? これに手をつけちゃいけないって我慢する気持ちが、集中のさまたげになるとか……俺は、そんな風に解釈しているよ」


「ふむ。他者の富に手をつけないのは当然の話であるように思えるのだが、自分を律するのに苦労が生じるということか」


 やはり純真なるアイ=ファには、なかなか理解が及ばないようである。

 そんなアイ=ファのために、俗物たる俺が自分なりの講釈を垂れることにした。


「たとえばさ、アイ=ファはおなかぺこぺこなのに、目の前に食べちゃいけない宴料理をずらりと並べられたら、目の毒だろう? 基本の心理は、それと大差ないように思うよ」


「ふむ……しかし、家に戻れば立派な晩餐が待っているのだから、さしたる苦痛ではないように思える」


「いやいや。それも望めないような状況なんだよ。俺は病魔か何かで寝込んでて、食料庫にもロクな食材が残っていないんだ。それでも目の前のご馳走を我慢しなきゃいけないのは、なかなかの苦痛だろう?」


 するとアイ=ファは口をとがらせながら、俺の髪を引っ張ってきた。


「多少ながら、理解できたように思う。しかし、たとえ話であろうとも、そのように不吉な言葉を口にするものではない」


「はいはい。それは失礼いたしました」


 そんな具合に親愛を深めながら、俺たちはラントの川で身を清めたのちに薪拾いと香草集めの仕事に取り組んだ。

 そうして家に戻ってみると、養生の作業が完了している。かまど小屋の左右には砂塵を防ぐための帳が張られて、母屋の窓も厳重にふさがれていた。


「もう戻ってきたか。次は伐採の作業なので、こちらには近づくのではないぞ?」


「承知した。よろしく願いたい」


 いよいよ、本格的な作業の開始である。

 しかしおおよそは、母屋を再建した折にも拝見している。帳で守られたかまど小屋において商売の下ごしらえに励むのも、あの頃と同様であった。


「もう作業が始められているのですね! なんだか、懐かしいです!」


 真っ先にやってきたレイ=マトゥアは、明るい笑顔でそう言っていた。ファの母屋の再建工事はおよそ二年前であったので、レイ=マトゥアもその頃から屋台で働く身であったのだ。


 他の面々も集まってきたので、俺たちはかまど小屋で作業を開始する。

 しばらくすると、樹木が倒れる盛大な音がズシンズシンと響いてきた。こちらの手もとが狂うほどの振動ではないが、やはりなかなかに落ち着かないものであった。


「本当に、懐かしいですね。ファの家がどのように仕上げられるのか、わたしも楽しみです」


 ユン=スドラも、笑顔でそんな風に言ってくれた。非日常的な騒音が、一種のお祭り気分をかきたてるのであろうか。なんとなく、その場に集ったかまど番は誰もが浮き立っているように感じられた。


 それでも手もとは、滞りなく作業を進めている。本日は城下町の商売も休業であるので、下ごしらえは宿場町の分のみだ。ただし、工事中は建築屋の面々のために昼の食事を準備するという作業が追加された。


「今日の昼食はミソ仕立ての鍋と、おにぎりだよ。誰か、おにぎりを手伝ってもらえるかな?」


 俺がそのように呼びかけると、ユン=スドラを筆頭とする熱心なかまど番が志願してくれた。彼女たちは時給制で働いているので、勤務時間内の作業が追加されても支障はなかったが、そもそも追加の作業を忌避する人間も存在しなかったのだった。


 おにぎりの作製というのは、ひとつの修練である。寿司のシャリに比べればまだ安楽であろうが、それでもゼロから習得するにはそれなりの経験が必要となるのだ。今のところ、商売用のおにぎりを任せられるかまど番はごく限られていたので、経験を積ませるにはうってつけのシチュエーションであった。


「固く握ると、食べ心地が悪くなってしまいますものね! マルフィラ=ナハムは力持ちなのに加減がきいていて、やっぱりすごいです!」


「い、い、いえ。わ、わたしはアスタの教えに従っているだけですので……」


 真っ先に立派なおにぎりを握れるようになったのは、やはり器用なマルフィラ=ナハムである。しかしユン=スドラもそれに負けていなかったし、マルフィラ=ナハムを賞賛するレイ=マトゥアもなかなかの腕であった。


 そんな面々とともに、合計で四十個のおにぎりを仕上げていく。ミソ仕立ての鍋も具材たっぷりであるので、日中のカロリー摂取には十分な質量であるはずであった。


 それらの作業も完了したならば、下ごしらえの済んだ料理の積み込みである。

 帳の向こう側は、少し前からいくぶん静かになっている。もう作業の開始から二刻ばかりは経過しているので、伐採の作業もひと区切りであるようであった。


 そうして荷車を引いて広場のほうに出てみると、アイ=ファが仁王立ちで待ちかまえている。そちらは薪割りの仕事を終えて、建築屋の働きっぷりを見物していたようだ。


 しかし、母屋の前にはアイ=ファの姿しかない。建築屋の面々は広場の端に寄り集まり、伐採した樹木の検分に励んでいた。


 遠目にも、ずいぶんな量の丸太がうかがえる。このたびは、母屋を上回る規模の建物が増築される予定であるのだ。


「今は丸太の質を確認しながら、余計な枝葉を落としているようだ」


「そうか。丸太が並んでるから、ちょっとわかりにくいけど……広場はまたずいぶん広くなるんだろうな」


「うむ。ファの家が収穫祭を取り仕切る際には、こちらの広場で祝宴を開けるやもしれんな」


 そのように語るアイ=ファは、どこか満足そうな眼差しになっていた。


「それじゃあ俺は、行ってくるよ。昼にはフォウの人たちが来て料理を温めなおしてくれるから、おやっさんたちにそう伝えておいてもらえるか?」


「承知した。今日も油断なく仕事を果たすのだぞ」


「うん、アイ=ファもな」


 そうして俺は最後におやっさんたちの勇姿を遠くに眺めてから、ファの家を出立することになったのだった。


                   ◇


 宿場町に到着したならば、ひたすら屋台の商売である。

 ただしルウの屋台では、マイムの取り仕切り役の研修が進められている。今日の取り仕切り役であるレイナ=ルウが、つきっきりでマイムを指導していた。


 それを横目に働いていると、中天のピークを終えたところで見慣れた客人たちがやってくる。セルフォマとカーツァ、プラティカとニコラのカルテットであった。


「失礼します。勉強会、見学、問題ない、聞きましたので、参上しました」


「はい。晩餐のお世話はできないんですが、問題ありませんでしたか?」


「はい。勉強会、見届けたのち、城下町、帰参します。残念ですが、三日間、辛抱です」


 そのように語るプラティカは、相変わらずの凛々しさだ。仏頂面のニコラに、優美なたたずまいのセルフォマ、気弱そうなカーツァも、みんな息災なようであった。


「あとですね、申し訳ないのですが、最終日の三日目だけは見学をご遠慮願えますか?」


「はい。変事、生じましたか?」


「その日は、建築屋の方々をファの家の広場でもてなすことになったんです。そうすると、目ぼしいかまど番はみんなファの家に集まることになりますので……大きな問題はないとしても、二十名もの南の方々がいらっしゃるなら、みなさんは避けるほうが無難でしょう?」


 俺の言葉は、ほとんどリアルタイムでカーツァがセルフォマに通訳している。その結果、プラティカよりも早くセルフォマが口を開いた。ただし、その内容を俺に伝えるのもカーツァの役割だ。


「しょ、承知いたしました。そ、そのように大がかりな晩餐ではどのような料理が供されるのか、興味をかきたてられてなりませんが、南の方々が集う場に身を置くのは、やはり避けるべきであるように思います。……と、仰っています」


「やっぱり、そうですよね。ご理解いただけて、何よりです」


 言ってみれば、これも朝方にアイ=ファと語らった「目の毒」の話と同様であるのだろう。セルフォマたちも建築屋の方々も敵対国の人間と諍いを起こす気はなかろうが、それを制御しようという気持ちの動きだけで何らかの心労が生じるのではないかと思われた。


(《銀の壺》が相手だったら、もう大して心労もないんだろうけどな)


 そうしてセルフォマたちは、今日もたくさんの料理を買いつけて青空食堂に向かっていった。

 それと入れ替わりで、また見慣れたお客がやってくる。今度は、ディアルとラービスのコンビであった。


「やあ! こっちで会うのは、ひさびさだねー! 昨日は、レイ=マトゥアたちに挨拶をさせてもらったよー!」


「いらっしゃい。ずっと城下町の屋台に通ってくれてるのに、こっちにまで来てくれたんだね」


「うん! だってアスタは、もう十日にいっぺんしか城下町に顔を出さないんでしょ? だったら、こっちに来ないとアスタに会えないじゃん!」


 なんのてらいもなく、そんな温かい真情を打ち明けてくれるディアルである。これこそ、南の民の美徳であった。


「まあ、もともとあっちは大賑わいで、ゆっくりおしゃべりする時間も取れなくなっちゃったし……あと、言っちゃ悪いけど、どんな立派な料理でもこれだけ毎回通ってると、やっぱ食べ飽きてきちゃうんだよねー! 城下町の屋台は、ずっとあの献立なの?」


「それはこっちも、思案中だね。ディアルの意見を聞かせてもらえたら、ありがたい限りだよ」


「ほんとー? 僕はね、せめて違う献立を交互に出してほしいなーって思ってるよ! それなら同じ料理を食べるのも三日置きになって、飽きることもないだろうしねー!」


 現在のところ、ディアルは城下町の屋台の皆勤賞なのである。その意見は、本当に貴重であった。


「そっか。ころころ献立を変えるのは、よくないだろうって考えもあったんだけど……二種の献立を交互に出して、様子を見てみようかな」


「あはは! 僕なんかの言葉を真に受けちゃって、大丈夫なのー?」


「いや、もともとそれも、案のひとつだったからね。レイナ=ルウたちと、相談してみるよ。貴重な意見を、どうもありがとう」


「そんな大した話じゃないってば! でも、アスタにそう言ってもらえるのは、嬉しいなー!」


 そうしてディアルは明朗そのものの笑みを振りまいてから、ぽんと手を打った。


「そうそう! それで、バランたちは無事に到着したの? あっちには、姿が見えないみたいだけど!」


「うん。今日からさっそく、うちの増築の工事に取りかかってくれたんだよ。それで、工事が完了する明後日に、ファの家の広場で晩餐の会を開くことになったんだ。ディアルは、都合がつくかなぁ?」


 ディアルはエメラルドグリーンの瞳をきらめかせながら、屋台の内側にぐっと身を乗り出してきた。


「何それ! 僕も参加しちゃっていいの?」


「うん、もちろん。おやっさんたちも、是非どうぞって言ってくれたよ」


 ディアルはリミ=ルウさながらに、「わーい!」と両腕を振り上げる。

 そのかたわらで、ラービスは溜息だ。俺としては、そちらの心情も配慮しなくてはならなかった。


「でもそうすると、また森辺の集落か宿場町の宿で夜を明かすことになりますよね。ラービスとしては、気が進まない面もあるかもしれませんが……如何ですか?」


「えー? ラービスだって、今さら嫌がったりしないでしょ!」


「嫌がるというか、ラービスはディアルの身を案じているんだからね。城下町の外で夜を明かすのは、それだけで心労がつのるはずさ」


 俺がそのように言葉を重ねると、ディアルは何故だか白い頬を桜色に染めた。

 今さらディアルが羞恥するような話ではないはずだが、何か心境の変化でもあったのだろうか。そういえば、ディアルは髪をのばし始めた時分から、こういう女の子らしい表情を覗かせる機会が増えたのだった。


「ま、まあそれがラービスのお役目だもんね! でも、これまで大丈夫だったんだから、きっと大丈夫だよ! 何も心配する必要はないって!」


 ディアルが赤くなった頬を撫でさすりながら声を張り上げると、ラービスは溜息まじりに「はい」と応じた。


「それでしたら、せめて森辺のどちらかで一夜を明かす許しをいただけますでしょうか? 無法者のはびこる宿場町で夜を明かすのは、なるべく避けたいと願っています」


「ええ。《南の大樹亭》だったら危険はないように思いますけど、俺も無責任なことは言えませんし、森辺にはディアルたちを招待したいっていう氏族はいくらでもいますよ。というか、アイ=ファだって了承してくれるはずです」


「ありがとうございます。……護衛役の身で差し出がましい口をきいて、申し訳ありません」


「いいんだよ! 僕だって、宿場町の宿より森辺のほうが楽しいしさ! それじゃあ、明後日ね? 昼にはちょっと商談があるけど、夕刻には動けるはずだよ!」


 そんな具合に、ディアルたちを招待する話は無事にまとまった。

 セルフォマたちには見学を遠慮してもらい、ディアルたちを招待するというのは、いささか心苦しいところであったが――これは、王国の習わしであるのだ。俺も西方神の子の端くれとして、身をつつしまなければならなかった。


(そのぶん、《銀の壺》が到着したら、セルフォマたちは招待し放題で、ディアルたちには遠慮をお願いすることになるわけだしな)


《銀の壺》がいつやってくるかは不明であるが、まあ東の王都の使節団よりも遅れることはないだろう。であれば、セルフォマとご縁を紡ぐ機会も生じるはずであった。


「それじゃあ今日は、リフレイアたちと約束があるからさ! 料理は、持ち帰らせていただくねー!」


 ディアルたちは大量の料理を持参の容器に詰め込んで、そのまま街道を北上していった。

 俺がひと息ついていると、隣の屋台で働いていたレビが笑いかけてくる。


「昨日から、ずいぶん騒がしいみたいだな。ま、アスタは楽しそうで何よりだけどよ」


「うん。増築の工事も、無事に始まったからね。機会があったら、レビもいつか遊びに来ておくれよ」


「はは。そんな機会は、なかなかなさそうだけどな」


 俺は「え?」と反問しかけたが、すぐに理解した。レビも森辺の祝宴にはそれなりに招待されていたが、会場はルウかフォウのどちらかであったのだ。


(だけど今後は、ファの広場でも祝宴を開けるかもしれないからな。そうしたら、レビを招待する機会だってやってくるさ)


 そんな思いを胸に、俺はその後の仕事を果たすことになった。


               ◇


 宿場町での商売を終えたならば、勉強会である。

 営業四日目の本日はファの家で勉強会を行う日取りであったが、なるべく増築作業のお邪魔にならないように会場を変更する。それでこのたび選ばれたのは、フォウのかまど小屋であった。


 かまど小屋の貸し出しにはさまざまな氏族が志願してくれたが、フォウはもっとも近所であるし、人ならぬ家人を預けている関係からも、もっとも都合がよかったのだ。そうして屋台のメンバーがほとんど総出で向かうと、サリス・ラン=フォウやアイム=フォウが笑顔で出迎えてくれた。


「さきほどまで、子犬たちを外で遊ばせていました。アイムがはしゃいでしまって、もう大変です」


 サリス・ラン=フォウの言葉にアイム=フォウはもじもじしていたが、お世話をかけている我が家人たちが少しでも心の安らぎになっているのならば幸いな話であった。


 その後の勉強会は昨日に引き続き、雨季の間に使えなかった食材と新たな食材を掛け合わせる研究である。タラパの存在に心をつかまれたらしいセルフォマは、普段以上に熱心な眼差しで勉強会の場を見守っていた。


 下りの五の刻には勉強会を終了させて、セルフォマたちは城下町に帰っていく。俺は預けていた家人たちを引き取って、ファの家に帰還だ。

 本日はルウ家にも建築屋の面々を招待するので、リミ=ルウたちが参ずることもない。その代わりに、ユン=スドラが調理の手伝いを志願してくれた。本日は親筋たるフォウに招待の順番を譲って、スドラの家には明日招待する手はずであったのだ。


 そうしてユン=スドラと人ならぬ家人たちだけを乗せて、ファの家に戻ってみると――建築屋の面々は、まだ元気に作業に励んでいる。現在は、母屋の横合いに柱を立てるための穴を掘っているさなかであった。


「みなさん、お疲れ様です。進捗具合は、如何ですか?」


「よう、アスタ。こっちは、万事順調だよ。この調子でいけば、三日後には立派な家が建つだろうさ」


 汗に濡れた顔に土をつけたメイトンが、陽気な笑顔を返してくる。おやっさんは監督するのに忙しく、こちらに気を向けるいとまもないようであった。


 広場には、必要なサイズに切り分けられた丸太がずらりと並べられている。そのいくつかは、すでに板状に仕上げられていた。

 これを組み上げるのは、明日からのこととなる。水分を含んだ生木をすぐさま資材として扱うとのちのち支障が生じやすいため、ジャガルに伝わる水抜きの薬液というものを塗布して丸一日は乾燥させるのだ。


 二年前の母屋の再建作業においては初日に建物の土台だけは組み上げられていたものであるが、あれはその状態で日干しにされていたのだろう。そしてこのたび増築される家屋には床が存在しないため、すべての木材が広場で出番を待ち受けていた。


「俺たちはもう半刻ばかりかかりそうだから、どうぞおかまいなくな」


「承知しました。おやっさんたちのために、腕を振るいます」


「ああ。俺も今日はルウ家の晩餐にお招きされてるから、羨まずに済むよ」


 嬉しそうに笑うメイトンに別れを告げて、俺とユン=スドラはかまど小屋に向かった。

 そちらでは、アイ=ファが解体部屋でギバの処置に取り組んでいる。今日は三頭ものギバを収獲したそうで、アイ=ファはメイトンに劣らず汗だくの姿であった。


「臓物の処理は、終えているぞ。晩餐で使うなら、持っていくがいい」


「ありがとう。せっかくだから、使わせてもらおうかな」


 本日は、タラパ仕立てのスープを供する予定であったのだ。そちらを、モツ鍋に仕上げることにした。

 さらにはタンも獲得できたので、厚切りの焼肉に仕上げることにする。タンは商品として扱っていないので、森辺でしか口にできない部位であった。


 半刻ばかりもすると、表のほうが騒がしくなってくる。建築屋の作業が完了すると同時に、迎えの荷車がやってきたのだろう。今日も明日もそれぞれ十の氏族で二名ずつの客人を預かり、ともに晩餐を楽しむのだった。


 かまどの間には誰もやってくる気配がないため、俺とユン=スドラは粛々と晩餐の支度を進めていく。

 そうしてとっぷり日が暮れたあたりで完成した料理を母屋に運んでいくと、すでにライエルファム=スドラも参じておやっさんやアルダスと歓談を楽しんでいた。


「よう! アスタたちも、お疲れさん! さっきから、腹の虫が鳴りやまなかったよ!」


「あはは。空腹は、最大の調味料ですからね。ご満足いただけたら幸いです」


 リミ=ルウとルド=ルウがユン=スドラとライエルファム=スドラに入れ替わっても、温かな空気に変わりはない。ライエルファム=スドラはこういう場ではしゃぐ人柄ではなかったが、誰が相手でも過不足なく対応できる人格者であった。


 まずは料理が冷める前にと晩餐が開始され、しばらくは料理の寸評で盛り上がる。タンの厚切り焼肉もタラパ仕立てのモツ鍋も大絶賛で、俺としては感無量であった。


「さっきまで、ライエルファム=スドラの武勇伝に聞き入ってたんだよ! いやあ、賊を弓矢で仕留めるなんて、森辺の狩人の面目躍如だね!」


「うむ。人に矢を向ける機会などそうそうないが、ギバに比べれば容易い的であるからな」


 そんな言葉を語る際にも、ライエルファム=スドラは沈着だ。俺やアイ=ファやユン=スドラが祝宴の場で鴉の襲撃を受けていた頃、ライエルファム=スドラはその鴉を操っていた東の賊を捕獲していたのだった。


「その場には、あのカミュア=ヨシュってお人も居合わせたってんだろう? あのお人は、ジェノスにいないのかい?」


「はい。ユーミ=ランの婚儀を見届けた後、出立してしまいました。平和なジェノスでは、仕事がないのでしょうね」


「平和って言っても、時おりとんでもない騒ぎが起きるからなぁ。最初に東の賊の話を聞かされたときには、おやっさんが真っ青になってたもんだよ」


「いちいち、俺を引き合いに出すな」


 おやっさんが仏頂面でアルダスの肩を小突き、俺とユン=スドラが笑い声を響かせることになった。


「まあ、おたがいに息災であったのは何よりだ。ジェノスに到着してからも、問題なく過ごせているのであろうか?」


 ライエルファム=スドラが落ち着いた調子で問いかけると、おやっさんが立派な眉をひそめた。


「問題とまでは言わんが、また厄介な仕事を持ち込まれた。どのように段取りをつけるか、まだ頭を悩ませているさなかだ」


「ふむ? 厄介な仕事とは?」


「ジェノスはモルガの山を越えた先に、新たな宿場をこしらえたのであろう? それをさらに広げるにはどう手をつけるべきか、助言をもらいたいなどという依頼が舞い込んだのだ。もちろん、ジェノスの貴族たちにな」


 ライエルファム=スドラは、「ほう」と目をすがめる。若干以上の興味を抱いた様子である。


「それは、モルガの森を切り開いた先に打ち立てた場所のことだな? そちらはずいぶん立派に仕上がったと、復活祭の頃に聞いた覚えがあるのだが……まだ手を加えようという話であるのか」


「どうやら、そうらしい。ゆくゆくは、第二の宿場町に仕上げようという算段であるようだな。まあ、俺たちには関わりの薄い話だが」


「ああ、あれはシムと行き来するためのものであるのだろうからな。その始末を南の民に頼み込むというのは、やはり筋違いなのであろうか?」


「西の民も使う場所なら、筋違いというほどのものではない。しかし、南の民が足を踏み入れることは、今後もそうそうなかろうな」


 そう言って、おやっさんは勢いよく鼻息をふいた。


「そんな話はどうでもいいのだが、問題は、場所だ。トトスの荷車で半日近くもかかるというのだから、どうあがいても泊まり込みの仕事になってしまう。丸二日は、他の仕事に手をつけられんということだ」


「でも、それに見合った手間賃を準備するって話だったじゃないか。仕事がかさんでネルウィアに戻る日が遅れたって、それはそれで楽しいもんだしな」


 アルダスがまぜっかえすと、おやっさんは横目でにらみつけた。


「半月かけてジェノスまで出向いてきたというのに、また半日ばかりも荷車に揺られるというのが気にくわんのだ。行った先にどんな面倒が待ちかまえているかもわからんしな」


「またまた。二日ばかりもアスタの料理を食えなくなるのが、惜しいだけなんだろ? おやっさんの考えることぐらい、こっちはお見通しだよ」


 アルダスがおやっさんの肩を小突き返すと、おやっさんはむっつり黙り込んでしまった。

 俺としても、二日間もおやっさんに会えないのは残念な限りである。すると、ライエルファム=スドラがまた沈着なる声をあげた。


「俺も以前から、多少ながらその場所のことが気になっていたのだ。……よければ、アスタも同行してみてはどうであろうか?」


「え? いえ、ですが、俺には屋台の商売がありますし……」


「荷車を引かせて半日ならば、トトスにまたがれば二刻ていどだ。屋台を休む日に出立して、翌日の朝に戻れば、仕事を果たすこともできるのではないか?」


 それは、思わぬ提案であった。

 そこで苦い顔をしたのは、アイ=ファである。


「見知らぬ場所で、一夜を明かそうというのか? 私はあまり、気が進まぬな」


「その地は盗賊などに対する備えも万全であると聞いているし、危険な場所であればバランたちを向かわせることもあるまい。そもそも東の民が集うような場所には、盗賊も寄ってこないように思えるしな」


 そう言って、ライエルファム=スドラはくしゃっと笑い皺を寄せた。


「むろん、アスタたちが向かうならば俺も同行するし、他にも数多くの狩人が名乗りをあげるのではないだろうか? あちらでアスタがバランたちの食事を準備すれば、いっそう絆も深まろうしな」


 アイ=ファは口をへの字にしながら、俺のほうに向きなおってくる。

 きっと俺は、期待に瞳を輝かせてしまっていたのだろう。アイ=ファは深々と溜息をつくと、遠慮なく俺の頭を小突いてきた。


 そうして俺たちは家の増築という大きなイベントのさなかに、また新たなイベントを計画することに相成ったのだった。

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― 新着の感想 ―
生木を乾燥させる塗布剤ってだけでも、地球じゃ特許もんの薬品だなあ。
生木を建築に使うのかぁ、リアルと性質が違うのかな?
アイ=ファ が いっしょにいきたそうに こっちをみている アイ=ファ を つれていきますか? →はい  いいえ
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