再会の日③~晩餐~
2025.2/26 更新分 1/1
マイムとの話を終えた後、俺たちは青空食堂のお客がすべてはけるのを待って、森辺に帰還することになった。
その道行きで、城下町から戻ったスフィラ=ザザたちとも合流する。城下町の商売は本日も盛況で、不測の事態も生じなかったという話であった。
「ただ本日も、四半刻ばかりはゆとりをもって仕事を終えることになりました。レイナ=ルウなどは、早々に料理の数を最大限まで増やしたいと奮起しているようですね」
「そうですか。宿場町のほうもじわじわ客足が増えてきたようなので、これはジェノス全体の賑わいなのかもしれませんね」
「ええ。そちらも多少は早めに仕事を終えたようですね。建築屋の方々は、無事に到着されたのでしょうか?」
「はい。ディンの家でも晩餐に招く話が進められていますので、トゥール=ディンに確認してみてください」
「承知しました。それでは、またのちほど」
歩きながらの報告を終えて、その後はいざ森辺である。
営業日の三日目である本日は、俺個人の修練の日だ。本日はアイ=ファにおやっさんたちをお招きする旨を伝えなくてはならないため、ファの家のかまど小屋で取り組むことにした。
そこに集まったのは、レイナ=ルウとユン=スドラ、マルフィラ=ナハムとレイ=マトゥア、ガズとラッツの女衆、トゥール=ディンとスフィラ=ザザという顔ぶれだ。
リミ=ルウも常連メンバーであったが、本日は欠席している。俺が建築屋の一件を伝えると、リミ=ルウは瞳を輝かせながらおねだりしてきたのである。
「だったら、リミもファの家にいきたーい! ドンダ父さんに話してみるから、バランたちを迎えに行くときに、ルウの家に寄ってくれる?」
ドンダ=ルウは森に入っているため、いつ戻るかもわからない。それでリミ=ルウはルウの集落に留まり、父の帰りを待ち受けているわけであった。
ちなみにメイトンは、自前の荷車でルウの集落までやってきた。おやっさんと交わした約束の刻限まで、ジバ婆さんを筆頭とするルウ家の人々と心ゆくまで語らうのだ。ジバ婆さんのくしゃくしゃの笑顔を想像すると、俺は胸が温かくなってやまなかった。
「マトゥアの家でも、明日おふたりの客人をお迎えすることになりそうです! 今から楽しみでなりません!」
ファのかまど小屋に足を踏み入れるなり、レイ=マトゥアがそんな言葉を告げてきた。建築屋の面々はふたりずつペアになるという話であったので、ひと晩で十氏族の家に出向けるわけである。
「でもこっちは、十以上の氏族がお招きしたがってるんだもんね。建築屋の人たちは、引っ張りだこだ」
「はい! 建築屋の方々はみんな好ましい人柄ですし、ジャガルの物珍しい話をうかがうこともできますからね! わたしの家族も、ずっと楽しみにしていたのです!」
昨年の復活祭でも、建築屋とそのご家族はこうしてしょっちゅう森辺に招かれていたのである。おそらくはファの家の工事が終了しても、何度となく招待の話が持ち上がるのだろうと察せられた。
「ナ、ナ、ナハムは家が遠いですし、ラヴィッツの家長が外来の客人を好んでいないため、今回は見送ることになりましたが……い、いずれはこちらでも建築屋の方々をお招きできるかもしれません」
マルフィラ=ナハムの言葉に、レイ=マトゥアがくりんっと向きなおった。
「そうなのですか? どうして、そのような話になったのでしょう?」
「フェ、フェ、フェイ・ベイムが建築屋の方々をお招きするべきだと、熱心に意見していたのです。こ、ここで建築屋の方々との交流を二の次にすると、他の氏族に後れを取ってしまうのではないか、と……か、家長もずいぶん心を動かされたようですので、きっと了承してくれると思います」
「そうですか! さすが、フェイ・ベイム=ナハムですね!」
「は、は、はい。と、とても心強いです」
マルフィラ=ナハムはふにゃんと微笑んで、義姉に対する親愛のほどをあらわにした。
「その段取りがついたなら、スンやミームでもお招きできるといいですね。そうしたら、小さき氏族のすべてがお招きすることがかないます」
ユン=スドラも会話に加わると、マルフィラ=ナハムは「は、は、はい」とうなずいた。
「じ、じ、実はフェイ・ベイムも、そんな風に言っていました。も、森辺の氏族は、みんなで同じ道を進むべきだ、と……で、でも、そうすると、もっと家の遠いザザやサウティだけ後れを取ることになってしまいますね」
「いえ。フォウの血族の家にお招きする際には、サウティの血族の方々もお呼びする予定です。きっとディンやリッドでも、同じような処置が取られるのではないでしょうか?」
「あ、はい。今頃は、家人の誰かが北の集落にトトスを走らせていると思います。前々から、客人を招く日取りが決まったらすぐに伝えるようにと申しつけられていましたので」
トゥール=ディンもはにかみながら、そんな風に答えた。
建築屋の面々は二度目の来訪から送別の祝宴を開かれるぐらい森辺の民と親睦を深めていたし、それからの歳月でさらに交流は深まっているのだ。やはり家族ぐるみで招待することができた二度の復活祭で、ぐっと距離が縮まったのではないかと思われた。
「ユーミ=ランも復活祭で建築屋の方々と絆を深めていたので、とても楽しみにしています」
「ザザの血族にも、そういう方々が多いようです。復活祭には、数多くの血族が宿場町に参じていましたので」
と、話題はなかなか尽きることがない。
俺が満たされた心地でそれを見守っていると、ひとり凛々しい面持ちをしたレイナ=ルウが進み出てきた。
「建築屋の方々との交流は、楽しみなばかりですね。……ですが、時間には限りがあります。あとは修練を進めながら、語らうべきではないでしょうか?」
「ああ、そうだね。それじゃあ今日は、何の修練に取り組もうかな」
本日は俺個人の修練の日であるので、何をしようとも自由である。普段の勉強会ではなるべく森辺の晩餐で活用しやすい題材を選んでいるので、俺個人の修練の日ではマニアックなテーマに取り組むのが常であった。
「でも今は、雨季の間に手に入れた新たな食材と、雨季の間に使えなかった食材の組み合わせに注力するべきかな。昨日や一昨日の勉強会も、まったく時間が足りなかったもんね」
「はい。とりわけタラパは活用の場が多いので、まだまだ研究の余地が残されているように思います」
雨季の間は収穫できなかった三種の食材、タラパとティノとプラが、ついに三日前から販売を再開したのだ。雨季の食材であるトライプとレギィは、ここで一年のお別れであった。
そして俺たちは三種の食材を扱えない雨季の間に、東の王都の食材を手中にすることになった。昨日や一昨日はそれらの食材の応用にかかりきりで、目の回るような忙しさであったのだった。
「セルフォマも、タラパの味わいに感銘を受けておられましたものね」
「うん。これは最優先で買いつけないといけないって、すごく真剣そうな様子だったね。まあ、表情はひとつも動かないんだけどさ」
やはりキャベツに似たティノやピーマンに似たプラよりも、トマトに似たタラパこそがセルフォマの琴線に触れたようなのである。酸味と旨みが豊かでさまざまな料理に応用できるタラパは、俺たちにとっても指折りで重要な食材であるのだった。
「新しい香草との相性なんかは、これからじっくり取り組んでいくべきなのかな。ゼグはすぐに活用できるだろうから、後に回すとして……ノマやドケイルやペンシ、それに花油なんかは未知数の部分が多いよね」
「はい。ドケイルは比較的、馴染みやすいように思いますが……ですが、確かな調和を得るには研究が必要でしょうね。他なる魚介の食材との組み合わせにも、時間をかけるべきかと思われます」
「うーん。そう考えると、ゼグも引っ張り戻すべきかな。同じ産地の食材は相性がいいことが多いから、ゼグを交えて考えたほうが突破口を開きやすいかもね」
そんな具合に、本日も大いなる意欲をもって勉強会に取り組むことができた。
それから二刻ほどが経過して、そろそろ後片付けのタイミングかなという頃合いで、アイ=ファが帰還する。その背中には、本日も立派なギバが抱えられていた。
「おかえり、アイ=ファ。無事で何よりだったよ」
「うむ。バランたちとは、無事に再会できたようだな」
きっと俺の顔色を見て取って、アイ=ファはそのように判断したのだろう。気恥ずかしさと幸せな思いを等分に噛みしめながら、俺は「うん」とうなずいた。
「それでな、今日の夜に打ち合わせをして、明日からさっそく作業を開始してくれるっていう話なんだ。それで最終日の三日目にはファの家の広場で晩餐会を開きたいんだけど、どうだろう? あ、あと、明日や明後日も打ち合わせを兼ねて晩餐に――」
「そのようにはしゃぎながら、まくしたてるな。まずは、目前のことからだ。……今日の晩餐に、バランたちを招くのだな? 宿まで迎えに参じればいいのか?」
「うん。下りの五の刻の半には、自由に動けるってさ」
「では、残る時間も半刻余りといったところか。早々にこのギバを片付けなければならんな」
すると、俺に続いてレイナ=ルウも顔を覗かせた。
「あの、それでリミもファの家におもむきたいと願い出ているのですが、如何でしょうか? もしドンダ父さんの許しを得られたなら、ルドも付き添うことになるかと思います」
「そうか。もちろん、私はかまわんぞ」
アイ=ファは凛々しい表情を保持していたが、その目もとには喜びの思いがにじんでいる。レイナ=ルウもにこやかな面持ちで、「では」と言葉を重ねた。
「申し訳ないのですが、わたしはここで失礼してもよろしいでしょうか? リミたちが参じるにはわたしが乗ってきた荷車が必要になりますし、晩餐の準備を手伝うには早めに出向いたほうが望ましいでしょう?」
「ああ、そうだね。それじゃあ、よろしくお願いするよ」
「承知しました。ドンダ父さんたちの帰りが遅い場合はけっきょく遅い到着になってしまいますが、そのときはご容赦ください」
レイナ=ルウはそんな言葉を残して立ち去っていったが、後片付けを終えた他の面々も帰還して、アイ=ファがギバの処置を終えた頃には、リミ=ルウとルド=ルウがやってきた。
「ドンダ父さんも、許してくれたよー! リミもお手伝い、がんばるねー!」
「うむ。美味い晩餐を、期待しているぞ」
アイ=ファが赤茶けた髪に手を置くと、リミ=ルウはおひさまのような笑みをこぼした。
いっぽう御者台から降りたルド=ルウは、俺に向かって肩をすくめてくる。
「ジバ婆は昼っぱらにメイトンと語らったから、今日は遠慮するってよー。で、三日後には祝宴みてーなもんをファの家で開くんだって? そっちに招いてもらえたら嬉しいこったねーとか言ってたぜー」
「あはは。アイ=ファがそれをお断りすることは、絶対にありえないだろうね」
「やかましい」と、アイ=ファは俺の頭を優しく小突いた。
「では、私はバランたちを迎えに行ってくる。ルド=ルウたちは、自由に過ごすがいい」
そうしてアイ=ファが颯爽と出立したので、俺はルウ家の仲良し兄妹とともにかまど小屋に引っ込んだ。
もう日没までは一刻足らずで、こちらは晩餐の下準備を終えようとしているタイミングだ。まずは、本日の献立について説明しなければならなかった。
「それでね、せっかくだから、リミ=ルウにはお菓子もお願いできるかな?」
「りょうかーい! バランたちは、まだ東の王都の食材を知らないんだもんねー! ノマを使って、びっくりさせてあげよーっと!」
リミ=ルウは鼻歌まじりに、赤茶けた髪を頭の天辺で結いあげた。かまど仕事の際にのみお披露目する、可愛らしい姿である。リミ=ルウの髪はくりくりとウェーブがかっているので、ポニーテールにするとパイナップルのような風情であった。
「いつ見ても、妙ちくりんな頭だよなー」
そのぼわぼわとした髪の先を指で弾いてから、ルド=ルウは俺に向きなおってきた。
「で、やっぱファの家でもタラパかー。昨日も一昨日もタラパだったけど、二ヶ月も食ってなかったからなかなか食い飽きねーよなー」
「うん。タラパは応用できる料理が多いからね。レイナ=ルウから聞いて、昨日までの献立とかかぶらないように配慮したから、楽しみにしておくれよ」
「おー。ファの家で晩餐を食うのも、ちっとひさびさだからなー。ジバ婆も遠慮しねーで、ついてくりゃよかったのによー」
「あはは! あんまりジバ婆がお出かけしちゃうと、コタやルディがさびしがっちゃからかもねー!」
うきうきと声を弾ませるリミ=ルウとともに、俺は調理に取り組んだ。
こういった時間は日常に区分されるのか非日常に区分されるのか、何にせよ楽しい限りである。さらにこれからおやっさんとアルダスが参じるとなれば、幸福な思いも倍増であった。
◇
それから、およそ一刻後――俺たちは、母屋で晩餐を取り囲むことになった。
俺とアイ=ファ、ルド=ルウとリミ=ルウ、おやっさんとアルダスという六名だ。アイ=ファは凛々しい面持ちであるしおやっさんは仏頂面であったが、広間には得も言われぬ温かな空気が満ちていた。
「……こいつは確かに、増築が必要なわけだ」
と、アルダスが笑いながら広間を見回す。上がり框には木箱などで仕切りを作って母犬のラムと子犬たちがくつろいでいるし、ついでに広間に上げられたジルベもサチのかたわらでぱたぱたと尻尾を振っているのだ。人見知りである白猫ラピは、アイ=ファを盾にしてひっそりと丸くなっていた。
「子犬ってもんが、たった半年でこうまで大きくなるとは思ってなかったよ。でも、まだまだこれからが本番なんだろうしな」
「はい。それにいずれは、ドゥルムアやジルベにも伴侶を準備したいところですからね」
俺がそのように答えると、ジルベが嬉しそうに「わふっ」と声をあげた。
そちらに優しい眼差しを向けてから、アイ=ファは凛然と居住まいを正す。
「それでは、晩餐を開始する。客人がたは、それぞれの作法に則ってもらいたい」
アイ=ファが食前の文言を唱え、俺とルド=ルウとリミ=ルウが復唱する。おやっさんとアルダスは胸もとに手を置いてまぶたを閉ざしてから、食器を取り上げた。
「いやあ、屋台の料理も最高だけど、晩餐はいっそう豪華だよな! ジェノスに到着した初日にこんな立派な晩餐を口にできて、感無量だよ!」
アルダスは、いつも率直な物言いで俺の心を満たしてくれる。しかしもちろん、不愛想なおやっさんもそれに負けることはなかった。
本日のメインディッシュはギバのロースのタラパ煮込みで、趣向を凝らしたのはシャスカ料理の主食――あんかけのゼグ玉丼である。カニに似たゼグを長ネギに似たユラル・パやシイタケモドキ、さらにギバのモモと合わせてキミュスの玉子とともに焼きあげて、和風のあんを掛けた品であった。
ゼグは使い勝手のいい食材であるが、ギバ肉と合わせるにはそれなりの試行錯誤が必要となる。こちらのあんかけのゼグ玉丼は、貴重な成功例のひとつだ。また、宿場町の屋台で取り扱うには難しい内容であったので、そういう意味でも本日の晩餐にはうってつけであった。
あとはあんまり奇をてらわず、カブに似たドーラのそぼろ煮込みやキュウリに似たペレとダイコンに似たシィマの和え物などを副菜としている。汁物料理は、具沢山のミソ汁だ。目新しい食材は、ゼグのみに抑えていた。
(そもそもおやっさんたちは、ゲルドと南の王都から届けられた第二陣の食材もまだ知らないんだからな。それは、これからのお楽しみだ)
そんな思いを胸に見守っていると、ゼグ玉丼に口をつけたアルダスがさっそく快哉の声をあげた。
「おお、こいつは美味いし、知らない味が入り混じってるな! これが噂の、東の王都の食材ってやつかい?」
「はい。それはゼグといって、マロールの親戚みたいなものだと思います。魚介の風味が、豊かでしょう?」
「ああ! こいつを嫌がる南の民は、そうそういないと思うよ! とんだ騒ぎに巻き込まれながら、こんな成果まで手に入れちまうんだから、やっぱりアスタたちは大したもんだな!」
「あはは。交易で尽力したのは、貴族の方々ですけれどね」
「でも、アスタたちがいなかったら、こんな目新しい食材を使いこなすこともできないだろう? アスタたちは、さすがだよ!」
アルダスはルド=ルウに負けない勢いで、ゼグ玉丼をもりもりと食している。
いっぽうおやっさんはドーラのそぼろ煮込みをつつきながら、しみじみと息をついていた。
「ここは西の地なのに、故郷に戻ったような心地になるな。やっぱり俺たちの口には、タウ油が合うようだ」
「ありがとうございます。そんな風に言っていただけると、俺も嬉しいです」
おやっさんは「ふん」と苦笑っぽい表情をにじませながら、他の料理にも匙を進めた。
「それでファの家は、明日から工事っていうのをするんでしょ? 今度はどんな風になるのかなー?」
リミ=ルウが興味津々の面持ちで身を乗り出すと、おやっさんは分厚い肩をすくめた。
「食事中には、図面を広げることもできんな。簡単に言うならば、犬やトトスが過ごす場所を増設するのだ。小屋を建てるぐらいなら簡単な話だが、この母屋と行き来できるように増設したいという話なので、なかなかに大がかりだ」
「ふーん! シンの家でもトトスの小屋が建てられたけど、あーゆーのとも違うのかなー?」
「シンの家?」と、おやっさんは小首を傾げる。それには、説明が必要であった。
「シン=ルウのことは、ご存じですよね? この数ヶ月の間にルウの家から新しい家が分けられて、彼が本家の家長になったんです。それで、新しい家には家長の名が冠せられるので、今の彼はシン本家の家長シン・ルウ=シンということになるわけです」
「へえ!」と驚嘆の声をあげたのは、アルダスのほうであった。
「シン=ルウって、あのちょっと東の民っぽい若衆だよな? 若いわりには大した風格だったけど、そんな話になってたのか! こいつは、大したもんだ!」
「うむ。やはり半年でも、ずいぶんさまざまな変化があったようだな。まずは、そちらから聞かせてほしいものだ」
おやっさんがそのように言いたてたが、いざ真正面から問われると何を語るべきか思いつかない。東の王族にまつわる騒ぎについてはすでに語っているので、なおさらであった。
「えーと、あとはまたダカルマス殿下やゲルドの貴人なんかをお迎えすることになったんですけど、それは復活祭の時点で話題にあげられていましたよね?」
「うむ。そちらで何か、おかしな騒ぎでも生じたのか?」
「いえ。騒がしいのは確かでしたが、不測の事態というのはありませんでしたね。あえて言うなら、そんなさなかにシムの王子までお迎えすることになったのが不測の事態でした」
俺がそこで言葉を途切れさせると、アイ=ファがゆったりと発言した。
「東の賊の一件については、もう語ったのだな? セルフォマたちのことも、伝えたのか?」
「ああ、それはまだだった。……実は王都の使節団の中から、セルフォマにカーツァという人たちだけ居残ったんです。セルフォマはシムの王城の料理番で、カーツァは通訳ですね。ジェノスから買いつける食材の扱い方を習うために、彼女たちは森辺の集落にも通っています。いずれ屋台の食堂でも顔をあわせる機会はあるでしょうから、いちおう頭の片隅に入れておいてください」
「へえ。ゲルの藩主の料理番の次は、王城の料理番ときたか。それに、南のお姫さんもまたジェノスに居座ってるんだろ?」
「はい。デルシェア姫とは、数日前にお会いしました。リーハイムという御方の婚儀があったんですけど……きっとリーハイムとは、交流もありませんよね?」
そこで俺は、はたと思いあたった。
「あ、そうそう。実はユーミ=ランも、無事に森辺に嫁入りしたんです。それを真っ先にお伝えするべきでしたね」
「おお、あの宿屋の元気な嬢ちゃんか! ついに、婚儀を挙げたんだな!」
アルダスは、たちまち瞳を輝かせる。これは報告が遅きに失したところであった。
「はい。ようやく十日ぐらい経った頃合いですね。ユーミ=ランは、ランの家で元気に過ごしています」
「そうかそうか! ランの家にも、誰かお招きされてたよな! 俺たちも挨拶をさせてもらいたいから、ぜひ晩餐の会ってやつには呼んでやってくれよ!」
「わかりました。ランの方々に、伝えておきます」
そうして俺が和んだ気持ちでいると、またアイ=ファが発言した。
「ユーミ=ランのことすら話していなかったのなら、フェイ・ベイム=ナハムも同様なのであろうな」
「え? あ、そうか。みなさん、フェイ=ベイムのことはご存じですか?」
「もちろんだよ。あの試食会ってやつで、アスタの手伝いをしてた娘さんだろ? いつも難しい顔をしてるけど、なかなか気立てはよさそうだよな」
「はい。彼女も、婚儀を挙げました。ナハムの本家に嫁いだので、今ではマルフィラ=ナハムの義理の姉ということになりますね」
「へえ、そいつはめでたい限りだな! たしか、でかいなりをした男衆と懇意にしているようだったけど、そいつが果報者かい?」
「はい、モラ=ナハムですね。あのお人が、マルフィラ=ナハムの兄にあたります」
「そうかそうか。やっぱり半年も経つと、色々あるもんだなぁ。シムの一件を除けば、めでたい話ばっかりで何よりだ」
アルダスが満足そうに微笑むと、おやっさんは俺のことをにらみつけてきた。
「本当に、めでたい話ばかりであったのか?」
「あ、はい。他にご心配をかけるような話はなかったと思いますけど……どうだろう?」
俺がアイ=ファに水を向けると、苦笑をこらえているような表情を返された。
「忌むべき出来事は、東の賊の一件ぐらいであろうな。……あと、アスタは生誕の日を迎えたので、果実酒を口にすることができるようになったぞ」
「なに?」と、おやっさんが身を乗り出した。
「そうか。お前さんがたは、年明けではなく生まれた日に齢を重ねるのだという話だったな。それで、二十歳になったのか?」
「はい。先月の終わりに、生誕の日を迎えました。まだまだ慣れないので加減をしていますが、果実酒に挑戦しています」
「そうか」と、おやっさんは息をついた。
その伏せた目によぎった嬉しそうな光に、俺は胸を詰まらせてしまう。そういえば、おやっさんはずいぶん昔に俺と酒を酌み交わせるようになる日を楽しみにしていると言ってくれていたのだった。
(アイ=ファはちゃんと、そのことを覚えていたんだ。俺は、本当に迂闊だな)
今日こそが、まさにその思いを果たす日なのである。本当に、俺は自分の迂闊さ加減に呆れてしまいそうだった。
「いやぁ、アスタもついに二十歳なのか。ずいぶん前からアスタは逞しくなってたけど、本当にもう立派な男だな」
いっぽうアルダスも、感慨深そうに笑っている。その目の輝きも、おやっさんに劣らず温かであった。
「むしろアスタは、まだまだ外見で幼く見えるほうなのかもな。よくよく考えたら、何年も前から屋台の商売を切り盛りして、家を建てたり増築したりってぐらいの稼ぎをあげてるんだ。俺なんかより、よっぽど立派に身を立ててるよ」
「あ、いえ。それはアイ=ファを始めとする周囲の人たちに助けられた結果ですので……俺なんて、まだまだ半人前です」
「そんなことはないさ。なんならアスタは勲章を授かって、ジェノスで一番の料理人と認められた身じゃないか。俺たちはそんなもんをありがたがる気風じゃないが、誇らしいとは思ってるよ」
「あー。アスタはかまど番の勇者なんだもんなー。アスタが半人前だったら、ジェノスのかまど番の全員が半人前ってことになっちまうぜ」
ぱくぱくと食事を進めながら、ルド=ルウもひさびさに発言した。
「ま、そこでふんぞりかえってたら、すぐさま蹴落とされるんだろーけどよ。だからまあ、アスタはこのままでいいんじゃねーかなー」
「ああ。本当に立派な人間は、偉ぶったりしないもんだからな。それも含めて、アスタは立派だよ」
アルダスがやたらとやわらかい眼差しであるため、俺はまた胸が詰まってしまった。
なおかつ、アイ=ファやおやっさんもひそかに優しげな眼差しになっているし、リミ=ルウはにこにこと笑っている。こんな幸福な四面楚歌があろうかと、俺は文句をつけたいほどであった。
「……まあ、こちらの話はそれぐらいです。菓子やお酒を楽しむ前に、そちらのお話もうかがえませんか?」
「こっちの話? こっちは相変わらずだよ。なあ、おやっさん?」
「うむ。うちのボンクラ息子が屋根から落ちて、三日間ほど寝込んだぐらいだな」
「なんですか、それ! 大ごとじゃないですか!」
俺が慌てた声をあげると、アルダスは愉快そうに笑い声を響かせた。
つられて、ルド=ルウやリミ=ルウも笑っている。アイ=ファやおやっさんも穏やかな眼差しで、もともと温かい空気がさらに温まったようであった。
そうしてその後は、おやっさんが持参した図面を拝見しながら菓子や果実酒を楽しむことになり――幸福な再会を果たしたその日は、最後まで賑やかに過ぎ去っていったのだった。




