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異世界料理道  作者: EDA
第九十三章 翠嵐の季節
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再会の日②~告白~

2025.2/25 更新分 1/1

 おやっさんたちの注文によって、日替わり献立である『ギバのミソ煮込み』は綺麗に完売することに相成った。

 また、二十名にも及ぶ南の民が大量の料理を買いつけたため、他なる屋台もばたばたと店じまいになっていく。終業時間まで半刻近くも残しながら、半分の屋台が品切れを起こすという有り様であった。


「雨季が明けてから、どんどん客足がのびているように感じられますね。可能であれば、多少は料理を増やすべきではないでしょうか?」


「うん、そうかもしれないね。何日か様子を見ながら、ララ=ルウたちとも相談してみるよ」


 そうして屋台の片付けをしたのちに青空食堂まで出向くと、皿洗いにいそしんでいたラッツの女衆が穏やかな笑顔を向けてきた。


「こちらはもう人手も十分です。アスタはどうぞ、建築屋の方々とお語らいください」


「あ、はい。でも、取り仕切り役としては、そうそう遊んでもいられませんので……」


 俺はそのように答えたが、どこからどう見ても人手は有り余っている。本日はトゥランの仕事を終えたガズとアウロの女衆も帰還せずに青空食堂を手伝っていたので、なおさらオーバースペックの状態に至っていた。


「ファの家は、また建築屋の方々に仕事を依頼するのでしょう? そちらのお話を今の内に片付けていただけたら、残りの時間は心置きなく勉強会に割いていただくことがかないます。結果的に、誰もが得をするのではないでしょうか?」


 聡明なるラッツの女衆に論理的な後押しをされて、俺は建築屋の面々が陣取っている席に向かうことになった。

 そちらはもう、祝宴のような騒ぎである。そして俺が近づいていくと、いっそうの歓声がわきたったのだった。


「アスタ、お疲れさん! いやあ、たった半年で、またアスタは立派になったみたいだな!」


「アスタはまだまだ、男としてのびざかりだろうからな! それにしても、うちのボンクラ息子どもに見習わせたいぐらいだぜ!」


 メイトンや他のメンバーたちが、やいやいとはやしたててくる。それでまた俺が胸を詰まらせていると、アルダスが笑顔で手を振ってきた。


「アスタとは、仕事の話もあるからな! 手が空いてるなら、こっちに来てくれよ!」


 アルダスと同じ卓には、おやっさんも着席している。俺はしっかり気持ちを引き締めながら、そちらに近づいていった。


「お食事の最中に、申し訳ありません。増築の見積もりに関しては、問題ありませんでしたか?」


「ふん。半年も猶予があって、手抜かりがあるわけがなかろうが」


 おやっさんは『ギバのミソ煮込み』をかきこみながら、不愛想に応じた。


「しかし、少しばかりは腰を据えて語る必要があるだろうな。この後に、時間は作れるのか?」


「はい。もし何だったら、アイ=ファが晩餐にお招きしたいと言ってくれたんですが……如何なものでしょう?」


「晩餐か! そいつはいいな!」と、アルダスがすぐさま瞳を輝かせる。おやっさんを森辺に招く際にはいつもアルダスが同行していたし、俺も最初から頭数に含めていた。


「でも、みなさんはお疲れでしょう? こちらも急いでいるわけではありませんので、明日以降でも――」


「俺たちは、そっちの仕事を真っ先に片付けるつもりでいるのだ。今日の内に段取りを整えなければ、予定は狂ういっぽうだな」


 と、おやっさんはあくまで仏頂面である。

 しかし、これこそがバランのおやっさんであるのだ。俺の胸は、一秒ごとに温かく満たされていった。


「こちらの仕事を、最初に片付けてくださるのですか? お手数をかけて、なんだか申し訳ありません」


「真っ先に頼まれた仕事を真っ先に片付けるのは、当たり前の話だろうが? この半年で、何か大きな変更は生じなかったか? 何かあったなら、見積もりもやりなおしだぞ」


「いえ、こちらは特に変更もありません。子犬たちもずいぶん大きくなってきたので、早めに片付けていただけたらありがたい限りです」


 俺がそのように答えると、バランのおやっさんは「ふん」と鼻を鳴らした。


「それじゃあ夜にでも、じっくり図面を見てもらおう。これで仕事の話は終わりだな? それなら、さっさと座るがいい」


「え? 仕事の話が終わったのに、座るのですか?」


「……まさか、心当たりがないなどとは抜かすまいな?」


 と、おやっさんはおっかない目つきをする。さきほど見せてくれた優しい眼差しとは、別人のような迫力だ。それで俺が困惑していると、笑顔のアルダスが取りなしてくれた。


「例の、東の王族の一件ってやつだよ。アスタたちは、またとんでもない目にあっちまったんだろ? 丸くおさまったとは聞いてるけど、詳しく話を聞かないとこっちも安心できないからな」


「ああ、その話ですか……もうネルウィアにまで伝わっていたのですね」


「そりゃあ、ジェノスとジャガルを行き来してる行商人は山ほどいるんだからな。とにかく、話を聞かせてくれよ」


 そんな言葉に従って、俺は東の王族にまつわる騒乱をなるべく簡潔に説明することになった。

 すべてを聞き終えた面々は、感じ入ったように息をつく。声をあげたのは、同じ卓についていた若いメンバーであった。


「ジェノスの宮殿が鴉の群れに襲われたって話は聞いてたけど、アスタたちまで居合わせてたとは知らなかったよ。何事もなくて、本当によかったなぁ」


「まったくだ! それにしても、鴉に人を襲わせるなんざ、おぞましい話だな! これだから、シムの連中は気に食わないってんだ!」


「あ、ですがそれは東の王都を根城にする賊でしたので、西の地で商売をするジギの方々とは関係ありません。どうか、ジェノスで出くわす方々に怒りを向けないでいただけますか?」


 俺が慌てて取りなすと、アルダスは笑いながら仲間のごつい肩を引っぱたいた。


「シムがどうこうってのは俺たちの口癖みたいなもんだから、気にしないでくれよ。どの王国にだって無法者はいるんだから、誰だって一緒くたにはできないさ」


「ああ。どっちみち、西の地でシムの連中ともめるのはご法度だからな。……アスタを心配させちまったんなら、悪かったよ」


「あ、いえ。俺も偉そうなことを言える立場じゃないのに、差し出口をきいて申し訳ありませんでした」


 そうして俺が頭を下げると、またおやっさんがにらみつけてきた。


「それで、その騒ぎで深手を負ったのは、兵士の若造ひとりきりであるのだな?」


「はい。ガーデルというその御方だけは、まだ臥せっています。もともと大きな怪我をしていたので、ずいぶんひどくなってしまったようです」


「そのガーデルってのは、あれだろ? 飛蝗の騒ぎで、大暴れしてたやつだよな? 相変わらず、アスタが絡むと見境がないんだな」


 と、アルダスがいくぶん考え深げな面持ちになった。俺たちの屋台が飛蝗に襲撃された際、建築屋の面々もガーデルとともに居合わせたのである。そして昨年の復活祭でも、ガーデルとはあちこちで出くわしているはずであった。


「あのときのあいつは、確かに普通じゃない感じがしたよ。まるで親の仇みたいに、あの薄気味の悪い飛蝗ってのを潰して回ってたもんな。もののついででこっちにも殴りかかってくるんじゃないかって、俺は気が抜けなかったもんさ」


「そうですか……ガーデルも、ちょっと複雑な環境で育ったお人ですので……」


 俺が思わず口ごもると、アルダスはすぐさま陽気な笑顔を復活させた。


「まあ、アスタたちにしてみりゃ、恩人なんだもんな! そいつが早く元気になるように、俺たちも祈ってるよ! 西方神と南方神のふたりがかりなら、きっと大層なご加護が望めるはずさ!」


「はい。ありがとうございます」


 すると、隣の卓からメイトンが心配げな顔を寄せてきた。


「でも、ルウの集落まで賊に襲われたなんて知らなかったよ。最長老さんたちは、本当に平気だったのかい?」


「はい。ずいぶん気苦労をかけてしまいましたけれど、怪我人などは出ていません。ジャガルの兵士さんも、かすり傷ですんだそうです」


 ダカルマス殿下が派遣したジャガルの兵士などは、黒豹にのしかかられていたのである。あの人物が果敢に抵抗して事なきを得たからこそ、話が丸く収まったという面もあるはずであった。


「ジャガルの兵士がお役に立てたってのは、誇らしい気分だよな! 食い意地の張った王子様も、なかなかやってくれるじゃねえか!」


 と、他のメンバーは陽気に笑っていたが、メイトンは心配げな顔のままである。


「ルウの集落が賊に襲われたってだけで、俺は胃の腑が縮みあがっちまいそうだよ。……あのさ、俺なんかがルウの集落に押しかけるのは迷惑かなぁ?」


「そんなことは、ないと思いますよ。ぜひルウの方々に相談してみください」


 その一助となるべく、俺は青空食堂を巡回していたララ=ルウを呼び寄せた。彼女の担当する屋台も、早々に終了していたのだ。


「ルウの集落に来たいの? 来るだけだったら、全然かまわないと思うよ。晩餐に招くとかそういう話なら、ドンダ父さんの許しが必要になるけどね」


「そんなお世話をかけるつもりはないよ。俺はただ、最長老さんの無事な姿を見て安心したいだけなんだ」


 メイトンは、真剣そのものの面持ちである。

 森辺の民の最初の故郷であった黒き森は、ジャガルの兵士の手によって燃やされた。その兵士のひとりが、メイトンの祖父にあたる人物であったのだ。それでメイトンは黒き森の時代のことを知るジバ婆さんに対して、強い思い入れを抱くことになったのだった。


「それなら、こっちはかまわないよ。その後に、あらためて晩餐にお招きさせてもらいたいかな」


 と、ララ=ルウは白い歯をこぼした。


「ジバ婆も、メイトンたちに会える日を楽しみにしてるからさ。よかったら、明日や明後日にでも晩餐に来てくれない?」


「ありがとう。そっちの話も、楽しみだよ」


 と、メイトンもようやく人心地がついた様子で笑った。


「っと……勝手に話を進めちまったけど、この後ちょっと抜けさせてもらってもいいかなぁ?」


 メイトンの問いかけに、おやっさんは「ふん」と応じた。


「この後は注文を聞いて回るだけだから、ひとりぐらい抜けても支障はない。ただし、その後には仕事の段取りを組まなくてはならんからな。下りの三の刻の半までには戻ってくるのだぞ」


「ありがてえ。抜けた分は、働いて返すよ」


 そちらも、話はまとまったようである。

 そして、食事のほうもあらかた片付いたようであった。


「それじゃあこっちは、ひと仕事だな。……夜は、迎えを頼めるのか?」


「はい。アイ=ファが送迎してくれるはずです。宿までお迎えにあがればいいですか?」


「ああ。夕刻には、宿の食堂に陣取っている。下りの五の刻の半には、自由に動くことができるはずだ」


「承知しました。腕によりをかけて、晩餐を準備しておきますね」


 すると、周囲の卓から不満の声があげられた。


「おやっさんたちだけ、アスタの世話になるのかよ? ずいぶん不公平な話じゃねえか」


「こっちは、仕事だよ。まあ、役得なのは事実だがな」


 アルダスはすました顔で、そう言った。


「だけどな、話が問題なくまとまれば、明日からさっそく三日がかりの大仕事だ。それで夜まで森辺に居残ってたら、あれこれ期待できるんじゃねえか?」


 アルダスの視線を受けて、俺は「はい」とうなずいた。


「建築屋のみなさんが森辺にやってくるなら晩餐にお招きしたいと、あちこちの氏族から声があがっています。作業の開始が明日からなら、今日の内に話をまとめておかないといけませんね。みなさん、お招きに応じてくださいますか?」


「そんなの、断るわけないじゃねえか!」


 周囲の面々も、たちまち喜びにわきかえった。

 取り急ぎ、俺は晩餐の招待を希望している氏族の女衆を招集する。この頃には大半の屋台が店じまいをしており、おおよその人間は手が空いていた。


 建築屋の人々を晩餐に招待したいと願い出ているのは、フォウ、ガズ、ラッツ、ベイム、ダイを親筋とする氏族と、ディンおよびリッドである。

 フォウの女衆は宿場町の当番でなかったため、代理としてユン=スドラを招聘する。ベイムはそもそも当番の人間が存在しないため、ダゴラの女衆だ。


 そちらの面々に席を譲って、俺は離脱する。

 すると、ララ=ルウが背後から忍び寄ってきた。


「あたしもあっちに参加して、ルウ家に招く日を決めてくるよ。……その後に、マイムと話をしてもらえる?」


「うん、了解。森辺に戻る前でいいのかな?」


「そんなに長引く話ではないだろうからね。それじゃあ、よろしくね」


 そうしてララ=ルウも会談の場に加わり、俺は皿洗いの仕事を担うことにした。


「まったく、大層な騒ぎね。浮かれているのは、あなただけじゃなかったようだわ」


 と、同じく皿洗いを受け持っていたヤミル=レイがクールに呼びかけてくる。彼女の屋台も、ついさきほど終了したようであった。


「ええ。回数を重ねるごとに、親睦は深まってますからね。レイの家では、建築屋の方々をお招きしないんですか?」


「そういう段取りは、みんなルウの人間が受け持つのよ」


 そうしてヤミル=レイが嫣然と肩をすくめたとき、しずしずと近づいくる人影があった。誰かと思えば、ダレイム伯爵家の侍女シェイラである。


「あれ? どうしたんですか? 今日は『ギバ・カレー』をお渡しする日ではなかったですよね?」


「はい。セルフォマ様から、アスタ様への伝言をお預かりして参りました。少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」


「ええ、もちろんです」


 俺はシェイラを引き連れて、荷車をとめているスペースを目指した。

 樹木の葉をもそもそと食んでいたギルルに見下ろされながら、シェイラはあらためて一礼する。


「お忙しい中、申し訳ございません。セルフォマ様が、明日以降の予定をお聞かせ願いたいとのことでありました」


「そうですか。またシェイラにご足労をかけてしまって、こちらこそ申し訳ありません」


「いえ。これも、侍女の務めですので。責任ある仕事を任されて、わたしは誇らしく思っております」


 そう言って、シェイラは善良きわまりない笑みをこぼした。


「それで、如何なものでしょう? あちらのジャガルの方々に依頼するお仕事の進捗次第で、セルフォマ様たちの見学の予定も左右されるのですよね?」


「はい。その仕事は明日から開始されて、三日がかりになる予定です。基本的に勉強会の見学に支障はないのですが、あちこちの氏族で建築屋の方々を晩餐に招待する話が進められていますので、工事が終わるまではセルフォマたちを晩餐にお招きすることも難しくなりそうです」


「なるほど。見学そのものに、支障はないのですか?」


「はい。どのみちその三日間は、ファのかまど小屋を避ける予定ですからね。見学にいらっしゃっても、建築屋の方々と顔をあわせることにはならないかと思います」


「承知しました。では、そのようにお伝えいたします。そして、工事の無事な終わりを祈っております」


 そんな言葉と温かな笑顔を残して、シェイラは立ち去っていった。

 そうして俺が青空食堂に取って返すと、アルダスが「おおい」と呼びかけてくる。俺がいそいそと駆けつけると、バランのおやっさんを除く面々はみんな笑顔になっていた。


「実は、アスタに相談があるんだが……よかったら、ユン=スドラのほうからお願いできるかい?」


 アルダスにうながされて、ユン=スドラが「はい」と進み出る。そちらも、実ににこやかな面持ちであった。


「ちょっと急なお話なのですが、みなさんの仕事が完了する三日目の夜に、ファの家の広場で晩餐の会を開いてみては如何でしょうか?」


「晩餐の会? 祝宴を簡略化したような、アレかな?」


「はい。広場に敷物を敷いて、皆で晩餐を食するのです。建築屋の方々と、晩餐を準備するかまど番と、付き添いの男衆で、ざっと四、五十人といったところでしょうか」


 そのていどの人数であれば、ファの家の広場でも楽に収容することができる。なおかつ今回の増築にあたってまた周囲の樹木が伐採されるため、ファの広場はいっそう広々とするはずであった。


「それは何とも魅惑的な提案だね。ユン=スドラが思いついたのかな?」


「はい。リコたちは建築屋の方々に傀儡の劇を披露したいと言っていたでしょう? 晩餐の会を開けば、そちらに関しても都合がいいのではないかと考えたのです」


 リコたちはサトゥラス伯爵家の婚儀の翌日に立ち去ってしまったが、また建築屋の来訪に合わせて舞い戻ってくるという話であったのだ。何せ建築屋の面々は傀儡の劇に登場しているため、リコもひとかたならぬ思いを抱いているのだった。


「なるほどね。きちんとした返事はアイ=ファ待ちになっちゃうけど、きっと喜んで了承してくれると思うよ」


 俺がそのように答えると、建築屋の面々が喝采をあげた。

 そしてその中から、アルダスが俺に笑いかけてくる。


「晩餐に招かれるだけじゃなく、そんな会まで開いてもらえるなんて、もう最高だな! アスタたちから引き受けた仕事にも、いっそう力が入るってもんさ!」


「ふん。それで仕事への意気込みが変わっていたら、立ち行かんぞ」


 ひとり仏頂面のおやっさんが、そのように言いたてた。


「その前に、明日から明後日の話だがな。あまりにあちこちの家から招待されたため、こちらはふたりずつ分かれて対応することになった。俺とアルダスは仕事の進捗具合を伝えるために、お前さんがたの家の世話になりたいのだが、どうだ?」


「え? それじゃあ今日から四日連続で、おやっさんをファの家にお招きできるということですか?」


 俺がすぐさま顔を輝かせると、おやっさんは優しく目を細めつつ苦笑を浮かべた。


「あくまで、仕事のためだ。迷惑ならば、他の家を頼ることにする」


「迷惑だなんて、そんなことあるわけないじゃないですか。アイ=ファだって、文句はないはずです」


「そうか」と、おやっさんは腰を上げた。


「それじゃあ、あとの話は夜になってからだ。俺たちも、御用聞きの仕事が待っているのでな」


「承知しました。それでは、また夜に。みなさん、お気をつけて」


「だから、今日は御用聞きと言っているだろうが? 屋根にのぼるのも木を伐り倒すのも、明日になってからだ」


 そうしておやっさんが率いる建築屋の面々も、大騒ぎをしながら立ち去っていった。これからルウの集落に向かうメイトンだけは、ひとり居残りである。


 青空食堂にはまだ大勢のお客が居残っていたが、熱気がずいぶん薄らいだようだ。それぐらい、建築屋の面々は旺盛な生命力を発散させていたのだった。


「いやー、しばらく賑やかな日が続きそうだね。ジバ婆も、喜ぶよ」


 明るい面持ちでそんな風に言ってから、ララ=ルウは表情を引き締めた。


「思ったより、時間をくっちゃったね。この後、いい?」


「うん。こっちは大丈夫だよ」


 ということで、俺たちは青空食堂の手伝いをしていたマイムを呼びつけることになった。

 密談のために、また荷車をとめているスペースに舞い戻る。いったい何の話かと、マイムはいくぶん不安げな面持ちになっていた。


「あの……わたしが何か、不始末でもしでかしてしまったでしょうか?」


「いやいや。そんな話じゃないから、気を張らないでよ」


 ララ=ルウが明るい声でなだめても、マイムは「はあ……」と眉を下げている。そんなマイムと向かい合いながら、俺はあらためて彼女の成長を実感することになった。


 出会った当時は十歳であったマイムが、間もなく十三歳になるのである。それは小学生が中学生に進級する年代を含む歳月であったのだから、マイムの成長は外見にも顕著にあらわれていた。


 俺もこの三年間でずいぶん背がのびたが、マイムはそれ以上であるに違いない。マイムはもともと無邪気な一面と大人びた一面をあわせ持っていたが、それを保持したまま外見も大人びてきていた。


 もともと長くのばしていたおさげの髪も、さらに長くなっている。きっと森辺の習わしに従って、前髪以外の散髪を取りやめたのだ。ルウの家人となった一年半で、二十センチ近くものびたのではないかと思われた。


 目はぱっちりと大きく、鼻や口は小づくりで、とても可愛らしい顔立ちをしている。もう何年かすれば、立派なレディに成長することだろう。何より彼女の純真な性格が、その端整な顔にいっそうの輝きを添えていた。


 なお、マイムは肌の露出を恥ずかしがっているため、胸あてと腰巻きではなくワンピースのような装束を纏っている。古い時代には森辺においても未婚の女衆がそういった格好をすることが許されていたらしく、マイムも着用を許されたのだ。俺が知る限り、現在の森辺においてこういった装束を纏っている未婚の女衆は、マイムとツヴァイ=ルティムのふたりきりであった。


 その装束に包まれた身体も、年齢相応に成長している。完全に、幼子の時代を過ぎたと称して問題はないだろう。彼女は十三歳になろうとする、立派な少女であった。


 そんなマイムが、今は不安そうに眉を下げている。

 ララ=ルウは明るく力強い表情で、真正面から切り込んだ。


「実はね、マイムには今後、宿場町の商売の取り仕切り役をお願いしたいんだよ」


 マイムは「えっ」と絶句してしまう。

 その間に、ララ=ルウはさらに言いつのった。


「これまでも、他の女衆と合同で屋台の取り仕切り役を任せることはあったけどさ。これからは、マイムひとりに取り仕切ってもらいたいんだよ。もちろん毎日の話ではないし、いきなり丸投げする気はないよ。あたしとレイナ姉がしっかり鍛えてあげるから、どうかな?」


「で、でも……わたしはこんな若年で、ルウの家人としても新参ですし……」


「それを言ったら、アスタなんて森辺に来て数日で屋台を開いてたんだからね。それに、バルシャだって立派に仕事を果たしてるでしょ?」


「バルシャ……ですか?」


「うん。バルシャはリャダ・ルウ=シンと組になって護衛役を担うことが多かったけど、いまはひとりで城下町の仕事を果たしてるでしょ? ジルベっていう相棒も増えたけど、責任を背負ってるのはバルシャなんだよ」


 明るい表情の中に力感をみなぎらせながら、ララ=ルウは言葉を重ねた。


「ジーダの家の四人は、みんな立派に仕事を果たしてるよ。マイムだって、並の女衆よりも立派に仕事を果たしてきた。その腕を見込んで、新しい仕事を覚えてほしいんだよ。あたしとレイナ姉は城下町の仕事があるし、トゥランの商売も眷族まかせにできないから、もっと取り仕切り役を果たせる人間が必要なの。どうか、了承してもらえる?」


「でも……」と、マイムはうつむいてしまう。

 その目は頼りなげに揺らぎながら、上目づかいに俺とララ=ルウの顔を見比べた。


「もちろん、嫌なら断ってかまわないよ。むしろ、無理やり引き受けるっていうのが、一番さけてほしいところだね。他のみんなは喜んで色々な仕事に取り組んでくれてるから、マイムにもその楽しさややりがいを味わってほしいんだよ」


 ララ=ルウの言葉は力強いが、決して高圧的ではない。ララ=ルウは何より、マイムの真情を優先したいと願っているのだ。

 おそらくはララ=ルウのそんな思いが伝わって、マイムはうつむくのをやめた。

 ただ――その目には、懸命に涙をこらえているような光が灯されている。


「……ひとつ、聞かせていただいてもいいですか? それは……かまど番としての力量を買ってくださった上での、ご判断なのでしょうか?」


「うん? そりゃ、まあね。屋台で何か不測の事態が起きたら、それに対処するのも取り仕切り役の仕事だからさ。かまど番として未熟だったら、とうてい任せられないよ」


 そんな風に言ってから、ララ=ルウは白い歯をこぼした。


「でも、あたしだって務まるぐらいなんだから、そんな心配は無用でしょ? マイムはレイナ姉やリミと並んで、血族で一番のかまど番じゃん」


「……いえ。それはこの先、どうなるかもわかりません」


 ぐっと頭をもたげたまま、マイムはそんな言葉を振り絞った。


「実は、わたしは……舌の力が、鈍ってしまったのです」


「え? なんの話?」


「……わたしはこれまでほど、料理の味を細かに味わうことができなくなってしまったのです。おそらくは齢を重ねるにつれて、味覚が鈍くなってしまったのだと思います」


 俺は愕然と、息を呑むことになった。

 マイムの目には、はっきりと涙が浮かび始めている。


「こんな大事なことをいままで隠していて、どうも申し訳ありません。いずれ打ち明けようと考えていたのですが、なかなか覚悟が固まらなくて……ついずるずると、先延ばしにしてしまいました」


「いや、だけど……それは、いつからの話なの?」


「雨季の間には、もう兆候がありました。最初は体調がすぐれないのかと思ったのですが、雨季が明けても治る見込みがなかったので……これはもう、わたしの舌そのものの変化だと自覚することになったのです」


 雨季が明けて、すでに半月以上が過ぎている。であれば、マイムの判断が正しいのだと認めざるを得なかった。


(だからマイムは、雨季が明けた後に元気がなかったのか……それなのに、俺はなんにも気づいてあげられなかったんだ)


 料理人として、マイムはどれほどの不安や絶望を感じたことだろう。なまじ鋭敏な味覚を持っていたがために、それが失われる痛みというのは想像することも難しかった。


「でも、それが、わたしという人間であるのです。これまで舌が鋭敏であったのは、ただ幼かっただけで……これが本当の、わたしであるのです」


 涙で瞳をきらめかせながら、マイムはそう言った。


「ヴァルカスやマルフィラ=ナハムのように、大人になっても鋭敏な舌を持っておられる御方はいます。でも、わたしはそうではありませんでした。でも、そんな人間はごく稀にしかいないのですから……わたしは自分の本来の力でもって、立派なかまど番を目指したいと考えています」


「……うん。それは、立派な考えだね」


 と、ララ=ルウが一歩進み出て、マイムの手をつかみ取った。

 マイムは「ありがとうございます」と、泣き笑いのような表情を浮かべる。


「こんなわたしでも、屋台の商売の取り仕切り役は務まるでしょうか?」


「当たり前じゃん。マイムだったら、何の心配もなく任せられるよ」


「ありがとうございます。わたしは、さまざまな仕事に取り組んで……アスタやララ=ルウやレイナ=ルウのように、立派なかまど番を目指したいと考えています」


「うん。マイムだったら、絶対に大丈夫さ」


 マイムは「ありがとうございます」と繰り返してから、俺のほうに向きなおってくる。

 けっきょく何も言葉を発することができていなかった俺は、精一杯の思いを込めてマイムに笑いかけてみせた。


「マイムは十分に、立派なかまど番だよ。これからも、頑張ってね」


「はい。頑張ります」


 マイムがうなずいた拍子に、目もとの涙が頬まで伝う。

 しかしマイムは泣き笑いのような表情から、彼女らしい純真な笑顔を取り戻していた。

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