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異世界料理道  作者: EDA
第九十二章 慶祝の黄の月(下)
1591/1695

サトゥラス伯爵家の婚儀⑦~同じ空の下~

2025.2/9 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

「やあ! みんな、お疲れさまー!」


 俺たちが次なる卓に向かうと、そちらにはディアルとラービスが待ち受けていた。

 ディアルは青地の宴衣装、ラービスは武官の礼服めいた白装束だ。そしてそのかたわらには、貴族ならぬ壮年の男女が控えていた。


「こちらは、城下町の商店区域の商会長だよ! 食器なんかの流通も取り仕切ってるから、アスタたちも少しはお世話になってるんじゃない?」


「うん、そうだね。どうも、初めまして。森辺の民、ファの家のアスタと申します」


「これはこれは、ご丁寧に」と、まずは男性のほうが恭しく一礼してきた。もう四十路を突破していそうな、品のある男性だ。


「実は以前にも祝宴でお見かけしておりましたが、ご挨拶をさせていただく機会はございませんでしたな。……先日は、屋台の料理も味わわさせていただきましたぞ」


「あ、そうなんですか。それは、ありがとうございます」


 しかし、これほど貫禄のある人物をお迎えした覚えはないので、きっと従者か何かを屋台に向かわせたのだろう。商会長といえばタパスと同格であったが、城下町ともなるとさらに豊かな生活に身を置いているのだろうと思われた。


「わたくしも、屋台の料理をいただきましたわ。香草の料理もシャスカの料理も、素晴らしい味わいでございました」


 連れの女性も、ゆったりとした笑顔でそう言ってくれた。おそらくは、こちらが伴侶であるのだろう。事前に紹介されていなければ、貴婦人と見まごうなよやかさであった。


「城下町の屋台も、好評だねー! 今日なんか、サトゥラスの料理長はむちゃくちゃ奮起したんじゃないかなー!」


 と、ディアルが白い指先で卓上を指し示す。そちらは、サトゥラス伯爵家の料理長が準備した宴料理であったのだ。

 フワノの生地に具材をのせた軽食に、真っ赤な煮込み料理が準備されている。以前は皿を使わない料理が主流であった城下町の祝宴でも、すっかり煮物や汁物が同等に扱われるようになったのだ。


「んー? これって、タラパの匂いだよなー? タラパやティノは、まだ買えねーって話じゃなかったかー?」


 ルド=ルウが鼻をひくつかせながら疑念を呈すると、リミ=ルウが元気に「うん!」と応じた。


「ちょうど昨日ぐらいから収穫が始まって、明日ぐらいから宿場町でも買えるようになるみたいだよー! 今日は祝宴のために、ダレイムから取り寄せたんだってー!」


 そんな逸話は、俺もレイナ=ルウから聞いていた。レイナ=ルウも希望すれば、タラパやティノやプラを使うことができたのだそうだ。しかしこちらは雨季の2ヶ月でさんざん料理のアレンジを考案していたため、事前準備もなしにタラパ等を織り込むことは難しいと辞退していたのだった。


「ふーん。じゃ、ひさびさのタラパを味わわさせていただくかー」


 ルド=ルウの言葉に従って、小姓が料理を取り分け始める。その間に、ディアルはおひさまのような笑顔をユーミ=ランに向けた。


「ユーミ=ランも、やっと会えたねー! その頭、けっこー似合ってるじゃん!」


「そういうあんたは、ますます髪がのびてきたね。でも、そっちも似合ってるよ」


 ユーミ=ランもまた、屈託のない笑顔を返す。

 ロングヘアーであったユーミ=ランがショートヘアーになり、ショートヘアーであったディアルがセミロングぐらいの長さに変容したのだ。祝宴の場ではディアルも髪をほどいているため、ますます女の子らしい可愛らしさが上乗せされていた。


「森辺の生活は、どんな感じ? ま、ユーミ=ランだったら心配いらないだろうけどさ!」


「いつお叱りを受けるかって、こっちは戦々恐々だよ。ま、みんな優しいから、今は楽しいことばっかりだねー」


 普段通りの気安さで、ふたりの娘さんは賑やかに語り合う。そこに商会長の伴侶が、ぐっと身を乗り出した。


「あなた様が、森辺に嫁入りなさったのね? お噂は、かねがね耳にしておりますわ」


「えー? 城下町でも、あたしなんかのことが取り沙汰されてるのー?」


「それは、当然のことですわ。サトゥラス伯爵領の民が森辺に嫁入りするだなんて、きっと快挙なのでしょうから」


 そのように語りながら、そちらの女性はゆったりと微笑んだ。


「ただ、わたくしどもも傀儡の劇を拝見するまでは、森辺の方々のことを何もわきまえていませんでしたから……それがどれほどの快挙であるのかを、しっかり理解しなければなりませんわね」


「そんな大層な話じゃないってば。こうやって交流を広げていけば、誰が森辺に嫁入りしても不思議じゃなくなるんじゃないかなー」


 やはりユーミ=ランは、誰が相手でも過不足なく対応できるようである。

 俺がそれを心強く思っていると、アイ=ファが料理の小皿を差し出してきた。


「ああ、ありがとう。ひさびさのタラパは、楽しみだな?」


 アイ=ファは、「まあな」としか言わなかった。本音を言えば、森辺の料理で味わいたかったところであるのだろう。しかしそれでも、2ヶ月ぶりに嗅ぐタラパの香りは芳しくてならなかった。


 ただし、サトゥラス伯爵家の料理長は複雑にして豪奢な料理を得意にしているので、こちらの煮込み料理にもさまざまな香りが入り混じっている。いかにも香草を多用していそうな香りであったため、アイ=ファは用心深げな眼差しになっていた。


 そうしてそちらの料理を口にしてみると、やはり複雑な味わいである。

 トマトに似たタラパの酸味に、鮮烈な辛みと甘みと香ばしさが絡みついている。豆板醤に似たマロマロのチット漬けに、カカオに似たギギ、山椒に似たココリ――あとは複数の果汁の甘みが際立っていた。


 具材はギバの肩肉と、ゴーヤに似たカザック、それにピーマンに似たプラなどである。カザックとプラの苦みがまた、こちらの料理を複雑な味わいに仕上げていた。


 しかし、これはなかなかの出来栄えである。馴染みのない味わいであることは事実であるが、それほど食べにくいことはないし、辛みも適度に抑えられている。俺たちとは異なる道筋で、タラパの旨みが引き出されているような印象であった。


「なるほどなー。ま、悪くはないんじゃねーの?」


 ルド=ルウが持ち前の素直さで評すると、ユーミ=ランが苦笑を浮かべた。


「ルド=ルウは、遠慮がないよねー。見習うべきか、迷うところだなー」


「俺なんざ、見習う必要はねーだろ。説教されたくねーんなら、ジザ兄やガズラン=ルティムなんかを見習うべきだろうなー」


「あの人たちは立派すぎて、見習うのも難しいんだよ。ま、人の目ばっかり気にしてもしかたないんだろうけどさ」


「はい。ユーミはユーミらしく振る舞うのが一番ですよ」


 ここぞという場面では、ジョウ=ランが優しく言葉を添える。そんなさまを、ディアルはとても嬉しそうに見守っていた。


「じゃ、僕はこの人たちを案内する約束だからさ! またあとで、ゆっくりおしゃべりしよーね!」


 と、ディアルたちはいち早く離脱していった。

 俺たちは他なる料理も口にしてから、別なる卓を目指す。壇上の挨拶も貴族の順番が終わって、今度は貴族ならぬ人々が移動を開始していた。


「さー、そろそろ取り囲まれる頃合いかもなー。今日からは、ユーミ=ランも覚悟しておいたほうがいいかもしれねーぞ?」


「うん? 覚悟って?」


「アイ=ファやレイナ姉は、しょっちゅう若い貴族に取り囲まれてるんだよ。お前だって、見たことあるんじゃねーの?」


「ああ、アイ=ファはものすごい人気だもんね。でも、レイナ=ルウとかも同じ目にあってたんだ? それは、知らなかったなー」


「ですが、ユーミは人あしらいに慣れています。たとえ取り囲まれることになっても、困ることはないでしょう」


 ジョウ=ランはにこにこ笑っているし、ユーミ=ランもさして気にとめている様子はない。《西風亭》の食堂と城下町の祝宴ではあまりに勝手が異なっているように思えるが、まあユーミ=ランの度量であれば心配はいらないのかもしれなかった。


 そうして、次の卓に到着すると――何やら、騒がしかった。

 卓の周りにちょっとした人垣ができており、誰かが介抱されている様子である。そこでアイ=ファがひっそり嘆息をこぼすと、「おお!」という馬鹿でかい声があげられた。


「これはこれは、アイ=ファ殿! 今日も麗しき姿だな! 飾り物を控えたことで、アイ=ファ殿の美しさがいっそう際立つかのようだ!」


 その言葉の内容から察せられる通り、それは護民兵団の大隊長デヴィアスであった。

 そのがっしりとした腕に背中を支えられているのは近衛兵団の副団長ロギンであり、さらにはレム=ドムとディガ=ドム、ディック=ドムとモルン・ルティム=ドムの姿も見える。それを、若い貴族の男女が取り囲んでいる格好であった。


「だから、無理をするなと言ったのよ。まったく、懲りないお人ね」


 黒い宴衣装を纏ったレム=ドムは、皮肉っぽい笑みをたたえつつ嫣然と髪をかきあげている。そのかたわらで、ディガ=ドムは目を白黒させていた。


「こ、このお人は、どうしちまったんだよ? 病魔でも患ってるのか?」


「いやいや! ロギン殿はレム=ドム殿の美しさをこらえながら、懸命に対話していたのだ! しかしついに、我慢が切れてしまったようだな!」


 ロギンは以前にも、レム=ドムの色香に卒倒しかけていたのである。いかにも武人らしい精悍な貴公子であるのに、レム=ドムを前にすると形無しであったのだった。


「……ぶざまな姿をさらしてしまい、申し訳ありません。ですが、心配はご無用です」


 口ではそのように言いながら、ロギンはぐったりとデヴィアスに身をゆだねている。その秀でた額に刻みつけられた古傷は、血のように赤く染まっていた。


「……このお人がレム=ドムに首ったけって話は聞いてたけどよ。こいつは、噂以上だな」


 ディガ=ドムがこっそりつぶやくと、レム=ドムは「やかましいわね」と剥き出しの肩をすくめた。


「とにかく、無理をしてまで語らう必要はないでしょうよ。あちらの椅子で、少し休んだら? それとも、わたしたちのほうが消えましょうか?」


「いえ。ご挨拶が、まだ途中です。ドム家の方々には、礼を尽くさなければなりませんので――」


 そのように言いかけたロギンが、ふいに背筋をのばした。

 その鋭い眼光がとらえているのは、ユーミ=ランである。ユーミ=ランがきょとんとしていると、ロギンはデヴィアスの腕から離れてつかつかと歩み寄ってきた。


「失礼。宿場町から森辺に嫁いだという、ユーミ=ラン殿ですね? わたしは近衛兵団の副団長ロギンと申します」


「ああ、うん。闘技会とかで活躍してた人だよね? なんかの祝宴で、ちょろっと挨拶をさせてもらったことはあると思うけど……」


「はい。あなたにもお話をさせていただきたいと、常々念じておりました。少々お時間をいただけますでしょうか?」


 ロギンの突然の復調に、周囲の人々は呆気に取られている。その中で、ディガ=ドムがうろんげな声をあげた。


「レム=ドムの次は、ユーミ=ランかよ。ずいぶん節操がないじゃねえか」


「いえ。わたしはレム=ドム殿の強さと美しさに魅了されていますが、森辺に婿入りする気持ちは固められていないため、一線を引いたおつきあいを心がけています。ですから、その一線を踏み越えられたユーミ=ラン殿にご挨拶をさせていただきたいのです」


 ロギンは毅然と、そのように言い放った。豪放なデヴィアスとは正反対のタイプに見えるが、そういう直情的な部分はまったく負けていないのである。

 そして周囲の貴婦人がたは、そんなロギンのことをどこかうっとりとした眼差しで見守っている。俺にはよくわからない感覚であるが、どうもロギンのひたむきな姿にある種のロマンスを感じているようなのである。これもまた、恋愛の質が異なっているという城下町ならではの現象であるのかもしれなかった。


「……何にせよ、ロギンが復調したことを得難く思う。世話をかけるが、しばしお相手を願えようか?」


 ディック=ドムが重々しい声音で申し立てると、ユーミ=ランはいつもの気安さで「いいよー」と応じた。


「なんとなく、状況はわかってきたからねー。料理でもいただきながら、のんびり話そうか」


「ありがとうございます。ユーミ=ラン殿のご温情に、感謝の言葉を捧げさせていただきます」


 そうしてユーミ=ランとジョウ=ランとロギンは、料理の卓の端に身を寄せ合って語らい始めた。

 それを横目に、俺たちはドムの面々のもとに近づいていく。それに気づいたディガ=ドムが、苦笑まじりに「よう」と声をあげた。


「貴族って言っても、色々なんだな。あんな立派そうな貴族様がレム=ドムの色気に腰を抜かすなんて、想像もしてなかったぜ」


「やかましいわよ。あなただって、隙あればわたしの胸もとをちらちら盗み見てるじゃない」


「そ、それはそっちがそんな格好してるからだろ。女狩人に、色目なんざ――」


 そんな風に言いかけて、ディガ=ドムは短い髪をかき回した。


「……って、俺はアイ=ファのことを追い回してたんだっけ。べつだん、気の強い女にそそられるってわけでもないのになぁ」


「いらぬ話だ。お前はドムの家人として、相応しき伴侶をさがすがいい」


 アイ=ファは凛然とディガ=ドムをたしなめてから、デヴィアスのほうに向きなおった。


「ところで、あなたに聞いておきたい話があったのだが――」


「うむ。ガーデルのことだな?」


 と、デヴィアスは筆で刷いたような立派な眉をわずかに下げた。


「俺も時間を見つけては、あやつのもとを訪れているのだがな。最近は、医術師からも面談の許しが下りないのだ。どうも気持ちのふさぎ具合が、傷の回復にまで影響してしまっているらしい」


「そうか。私たちもあやつと言葉を交わしたく思っているのだが……やはり難しいようだな」


「うむ。心と肉体が、おたがいに悪い影響を与えているのかもしれん。せめて身体のほうが落ち着けば、強引にでも押しかけたいぐらいなのだがなあ」


 デヴィアスはガーデルの上官であり、彼が騒ぎを起こしてからは何かと気を配っていたのだ。俺たちが知る武官の中では、もっともガーデルの身を案じている人物であった。


「ま、焦ってもしかたねーんじゃねーの? 生命さえ残れば、いつかどうにかなるだろーよ」


 と、ルド=ルウはひとり楽観的である。

 しかしそれも、必要なことであるのだろう。どれだけ周囲の人間が案じても、怪我が回復するわけではないのだ。まずはガーデルが周囲の声に耳を傾けられるだけの余力を取り戻す必要があるのかもしれなかった。


「とにかく! 俺たちも、決してあやつを放り出したりはしないからな! 何かあったら、すぐさま森辺にも使者を走らせるつもりだぞ!」


 デヴィアスが自分を奮起させるように声を張り上げると、アイ=ファも「うむ」と首肯した。


「私たちも、しばらく様子を見ることにしよう。……この件に関しては、あなたを信頼することができるので得難く思っている」


「うわははは! アイ=ファ殿には、あらゆる面で頼ってほしいところなのだがな! それはじっくり信頼を積み上げていくしかなかろう!」


 デヴィアスは豪快に笑ってから、卓上の宴料理を指し示した。


「まずは、このめでたき日を寿ごうではないか! さあさあ、存分に召し上がるがいい!」


 そちらに並べられていたのは、山盛りのチャーハンに香味焼き、甲冑マロールのミャームー炒めという、なかなかに刺激的なラインナップであった。言うまでもなく、レイナ=ルウの取り仕切りで準備された森辺の料理である。


「それにしても、今日は大層な賑わいよね。あちらの挨拶が終わったら、いっそうの騒がしさになりそうだわ」


 と、レム=ドムが誰にともなくそう言った。

 現在は貴族ならぬ人々が、壇上まで挨拶に出向いている。確かにそちらの面々がみんな戻ってきたら、人口密度が大変なことになりそうだ。おそらく250名というのは、このエイラの神殿にぎりぎり収まる人数なのだろうと思われた。


 そのおかげで、大広間には大変な熱気が渦巻いている。貴族ならぬ人間も多いためか、普段よりも雑多な賑わいであるようなのだ。そしてその何割かは、森辺の同胞が担っているわけであった。


「サトゥラス伯爵家というのは、ジェノスにおいてもひときわ格式というものを重んじている印象であったのだが……それは俺の思い込みであったのかもしれんな」


 今度はディック=ドムがそのようにつぶやくと、デヴィアスが「いやいや!」と反応した。


「昔年より、サトゥラス伯爵家は格式を重んじる家柄とされておったよ! 粗野なる宿場町を統べる立場であったためか、自分たちは粗野にあらずという意識が強かったのかもしれん! 今はその粗野なる熱気をも取り込みつつ格式を守ろうと、奮起しているさなかなのではなかろうかな!」


「そうか。それはきっと、俺たちにとっても望ましい話であるのであろうな」


「うむ! そもそもは、森辺の面々が粗野なる存在の魅力を見せつけたのであろうしな! 名ばかりの貴族である俺なども、堅苦しさがやわらげられてありがたい限りだ!」


 レム=ドムが剣技の指南役を受け持った関係からか、デヴィアスとディック=ドムの交流もずいぶん進んだ様子である。また、立派な体格をした両名が武官の礼装を纏っているものだから、傍目にはなかなかの貫禄であった。


 そしてその間に、若い男女の貴族が俺たちを取り囲んでくる。人数はほどほどであったし、俺とアイ=ファが引き離されることにもならなかったので、熱烈な歓迎の前哨戦といった趣だ。その中で、見覚えのある若き貴婦人が昂揚した面持ちで身を寄せてきた。


「セランジュは、別人のような美しさでしたわね。わたくしはもう胸がいっぱいになってしまって、せっかくの宴料理が咽喉を通りませんわ」


「あ、はい。ええと、あなたは――」


「タルフォーン子爵家の、ベスタであったな」


 アイ=ファがすぐさま持ち前の記憶力を発揮させてくれたので、俺も顔と名前を一致させることができた。彼女はかつてセランジュとともに茶会に参席して、そこで巡りあったシン・ルウ=シンに熱をあげていた片割れであったのだ。


「わたくしなどの名前を覚えていただき、光栄の限りですわ。……ああ、それにしても、今日は素晴らしき日です。セランジュには挨拶をさせていただきましたけれど、まだまだ語り尽くせませんわ」


 彼女はきっと、セランジュのよき友人であるのだろう。彼女のはしゃぎっぷりは、セランジュとあまり個人的な交流を持っていない俺の心をも温かく満たしてやまなかった。


 壇上の挨拶もひと区切りついたのか、大広間はいよいよ人口密度と熱気が上昇してきた様子である。

 すると、それをいっそう煽りたてるかのように、賑やかな呼び鈴の音が鳴らされた。


「会場の皆様にご案内申し上げます。森辺の料理人レイナ=ルウ様がご準備された、特別仕立ての宴料理を披露いたします」


 小姓が告げる言葉に、あちこちで歓声が巻き起こる。

 そして、壁の一画を隠していた屏風が片付けられて、その向こう側の扉が大きく開かれた。


 扉の向こうは屋外であるようだが、昼間のように煌々と照明が灯されている。

 人々は誘蛾灯に誘われる蛾のように、そちらへなだれこむことになった。


「ずいぶんな騒がしさね。これはいったい、どういう目論見なのかしら?」


 レム=ドムがうろんげにつぶやいたので、俺が遠回しに答えることにした。


「さっき説明された通り、特別仕立ての宴料理だよ。でも、レム=ドムなんかは口にしたことがあるかもしれないね」


「ふうん? 確かに何だか、匂ってきたわね」


 俺たちも人の波に流されながら移動しているため、ユーミ=ランたちとははぐれてしまった。

 しかしリミ=ルウは、しっかりアイ=ファの腕をホールドしている。そしてジルベは、俺の足もとで颯爽と歩を進めていた。


 そうして扉を出てみると、そちらは石畳の庭園であった。

 ちょうど大広間と同程度の敷地面積であろうか。外周には山のように灯篭が掲げられて、その向こう側には夜の闇が広がっていた。


 その中央から、白い煙があげられている。

 鉄鍋が、火にかけられているのだ。それで特別に、屋外に準備されたのだろうと思われた。


「わたしは本日の祝宴の厨を預かった、ルウ本家の次姉レイナ=ルウと申します。祝宴の場でご足労をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」


 と、煙と同じ方向からレイナ=ルウの声が聞こえてくる。

 そちらに向かって前進していくと、やがて立派な朱色の宴衣装を纏ったレイナ=ルウの姿が見えてきた。この上なく美麗な姿であるが、やはりその顔は凛々しく引き締まっている。


「城下町には料理の熱を保つための器具が準備されていますが、こちらの料理は食べる直前まで火にかける必要がありましたため、このように外まで足を運んでいただくことになりました。お手間を取らせてしまった分、喜んでいただけたら幸いに思います」


 すると、その隣に控えていたルイドロスも朗々たる声音で語り始めた。


「こちらはこの近年でレイナ=ルウが考案した、婚儀のための宴料理となる。森辺の外で披露されるのはこれが初の試みとなるので、皆々には心ゆくまで味わっていただきたい」


 暗い空に、人々の歓声が響きわたった。

 気づけば、レム=ドムたちもはぐれてしまっている。そこで疑念を呈したのは、アイ=ファであった。


「婚儀のための宴料理というと、ひと品しか思い当たらんな。それとも、私の知らない間に新たな料理が考案されたのであろうか?」


「いや。俺もアイ=ファも、口にしたことのある料理だよ。あの日以来、ルウの血族の婚儀ではときどき持ち出されてるんだってさ」


 俺は事前に、レイナ=ルウからそう聞いていた。

 そしてその概要が、レイナ=ルウ自身の口から語られていく。


「そもそもこちらは、シムに伝わる祝いの料理を手本にした品となります。シムにおいてはひとつの鍋でギャマのすべてを煮込んで食すという祝いの作法が存在したと聞き及び、ギバの肉で真似ることになったのです」


 歓声に、感じ入ったようなどよめきが入り混じる。

 レイナ=ルウはいっそう凛々しい面持ちで言葉を重ねた。


「本日は250名という人数ですので、3頭のギバを使うことにいたしました。こちらには3つの鍋が準備されており、それぞれに1頭ずつのギバの恵みが余すところなく使われています。ギバの骨で出汁を取り、町では売られることのない臓物や目玉や脳や舌、さらには毛を焼いた皮も具材にしています。強き力を持つギバの滋養がみなさんの心身にさらなる力を与えられるようにと願っています」


「うむ。まずは、今日の主役たちにその幸いを味わっていただこう」


 人の波が大きく揺れたので、俺はアイ=ファとジルベに左右から庇われながら立ち位置を変えることになった。

 庭園に押しかけた人垣がふたつに割れて、花婿と花嫁が通る花道を作りあげたのだ。リーハイムとセランジュはその花道をゆっくりと踏破して、レイナ=ルウとルイドロスに一礼した。


「其方たちのために、レイナ=ルウがこれほどの宴料理を準備してくれた。まずは、存分に味わうがいい」


 ルイドロスの言葉に合わせて、侍女たちが銀色に輝く深皿に料理を取り分けた。

 リーハイムとセランジュは、恭しげな手つきでそれを受け取る。おそらくは、これが本日初めて口にする宴料理であるのだろう。それはたまたまの話であるのか、そんなところまでルウの血族の婚儀にならっているのか――俺もそこまでは聞き及んでいなかった。


 250名からの参席者に見守られながら、リーハイムとセランジュは祝いの料理を口にする。

 まだ厳しい面持ちであったリーハイムは驚きに目を見開き、やわらかな表情であったセランジュは満足そうに目を細めた。


「これは、素晴らしい味わいです。文字通り、ギバの猛き力がこの身に流れ込んでくるかのようです」


 衆目にさらされているため、リーハイムは礼儀正しい口調でそう言った。

 そして、ようやく顔の強張りが解けた様子で、レイナ=ルウに笑いかける。


「ありがとうございます、レイナ=ルウ。わたしは魂を返すその瞬間まで、この鮮烈な味を忘れることはないでしょう」


 レイナ=ルウもまた、本来のあどけなさでにこりと微笑んだ。

 ルイドロスは鷹揚に微笑みながら、庭園の奥側を指し示す。


「では、其方たちはあちらでくつろぎながら、客人がたが同じ喜びを分かち合う姿を見届けるがいい。……料理は十分な量があるので、他の皆も慌てぬようにな」


 そうして、料理の配膳が開始された。

 立派な宴衣装を纏った参席者たちが、湯気をあげる鉄鍋に列を作っているのだ。城下町の祝宴の場においてこのような光景が現出するのは、これが初めてであるはずであった。


 俺とアイ=ファ、ルド=ルウとリミ=ルウ、ジルベとサチの4名と2頭は、いったん輪の外に出て最初の賑わいが落ち着くのを待ち受ける。俺たちはこの場において数少ない、この祝いの料理を食した経験のある身であったのだった。


「でも、アスタたちはずいぶんしばらくぶりなんだろ? だったら、まったく違う味になってると思うぜー?」


「うん! アレが最後に出されたのは、雨季のちょっと前だったっけ? あのときは、アイ=ファたちも呼ばれてなかったもんねー!」


「なるほど。まあ、レイナ=ルウだったら作るたびに何らかの改良をしてるんだろうしね」


 俺とアイ=ファがギバの丸ごと煮込みを食したのは、言うまでもなくシュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンの婚儀の祝宴である。東の生まれであるシュミラル=リリンのために、この料理は作りあげられることになったのだ。それはもう1年半ばかりも昔の話であるのだから、味付けなどは改善に改善を重ねられているはずであった。


 それ以降、俺たちが参席したルウの血族の婚儀というと、いささかイレギュラーなディック=ドムとモルン・ルティム=ドムの婚儀ぐらいであろう。そしてその日にはこの料理が持ち出されることもなかったため、俺とアイ=ファにとっては1年半ぶりであったわけであった。


 そもそもこれはシュミラル=リリンのために考案された祝いの料理であるのだから、他の人々の婚儀で準備するいわれもない。ただ、ギバの身を丸ごとひとつの料理に使うという豪快な作法がルウの血族の琴線に触れて、その後も活用されることになり――そして、本日も持ち出されたのだった。


「今頃は、宿場町でもギバの丸焼きが振る舞われてるんだろうな。なんだか、そっちの人たちとも同じ喜びを分かち合うような気分じゃないか?」


「うむ。それでルイドロスも、レイナ=ルウの提案を受け入れたのやもしれんな」


 アイ=ファは穏やかな面持ちで、そう言った。

 それからしばらくして、俺たちも鉄鍋のもとに参じる。城下町でも最大級に区分される巨大な鉄鍋が三つも並べられていたが、すでにどの鍋も残りはわずかであった。


 煮汁は赤く、今もこぽこぽとわずかに沸騰している。それをたっぷりとよそってもらった深皿を受け取り、俺たちはまた庭園の端に移動した。


「うむ。やはり、ずいぶんな辛さだな」


 開口一番、アイ=ファはそう言った。


「しかしまあ、舌が痛むほどではない。これならば、幼子でも食することがかなおう」


「うん。きっとオディフィアでも問題なく食せるぐらい、辛みは控えてるんだろうな」


 でなければ、参席者の全員と同じ喜びを分かち合うことはかなわないのだ。レイナ=ルウが、その一点を二の次にするわけはなかった。


 そうして俺も、そちらの料理を食してみると――確かに、辛い。わずかながらに、ハバネロに似たギラ=イラも使われているのだろう。辛さの裏に、とてつもない旨みも感じられた。


 それにやっぱり、とほうもなく力強い味わいである。

 ギバの骨ガラで出汁を取り、あらゆる部位を具材にして、それをまとめあげるためにさまざまな香草や調味料を駆使しているのだ。また、ギバ以外にも色々な具材が投じられており、それがさらなる深みを与えていた。


 俺の皿に入っていたのはタンと皮つきのモモ肉で、分厚い皮が事前に焼きあげられて香ばしい仕上がりになっている。そして、皮と肉の間に存在する豊かな脂身は角煮に負けないぐらいとろとろの質感になっていた。

 そしてここには、ギバのあらゆる部位の滋養が溶け込んでいるのだ。俺がいささか苦手にしている脳や目玉だって、この味わいの一角を担っているのである。先刻解説された通り、ギバの滋養を余すところなく摂取できるというのが、この料理の醍醐味であった。


「……何やら、奇妙な気分だな」


 と、アイ=ファがふいにそんなつぶやきをもらした。

 俺が振り返ると、アイ=ファは暗い天空を仰いでいる。それにつられて見上げると、夜の空には壮麗なる星図が描かれていた。


「空の下で、ギバを丸ごと煮込んだ料理を食している。これは森辺の祝宴そのものの様相であるのに……私たちは、このように珍妙な姿をさらしている。それが、奇妙に思えてならん」


「あはは。アイ=ファはちっとも珍妙じゃないけどな。でも、言いたいことはわかるような気がするよ」


 そんなシチュエーションであるために、庭園にも森辺の祝宴さながらの熱気がわきたっているのだ。やはり常ならぬ状況が、人々の心を昂揚させているのだろうと思われた。


 宿場町では、ギバの丸焼きを取り囲んだ人々が同様の熱気をほとばしらせていることだろう。

 城下町の広場は、どうだろうか。あちらで振る舞われているのはキミュスの丸焼きであるが、その場にも数十名の森辺の同胞が参じているのである。


 俺たちが、それらの光景を目にすることはできなかったが――しかし、同じ空の下でのことだ。天上におわす神々にしてみれば、なんの違いも感じられないのかもしれなかった。


 サトゥラス伯爵家との交流はルウ家に任せている面が強いため、俺はそれほどの思い入れを抱いているわけではない。ポルアースやリフレイアに比べると、どうしてもリーハイムやルイドロスというのはいささか遠い存在であるのだ。


 だけど、今この瞬間の昂揚は、俺の心にしっかりと刻みつけられて――きっとユーミ=ランたちの婚儀に負けない鮮烈さで、大切な思い出になってくれるはずであった。

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― 新着の感想 ―
今更ながらこうして貴族の結婚式の料理にこれが出されて受け入れられてるのを見ると、食材としてのギバ、森辺の料理の地位がここまで来たかという感慨にとらわれますね。
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