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異世界料理道  作者: EDA
第九十二章 慶祝の黄の月(下)
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サトゥラス伯爵家の婚儀⑥~心尽くし~

2025.2/8 更新分 1/1

「これにて、婚姻の儀は終了である。前途ある両名に、祝福の言葉をお願いしたい」


 サトゥラス伯爵家の当主ルイドロスが朗々たる声で通達すると、まずはひときわ身分の高い人々が新郎新婦の待つ壇上へと上がっていった。


 その間に巨大な梯子つきの台座が持ち出されて、天井のシャンデリアに火が灯される。壁や卓でもありったけの灯篭に点火されて、大広間は日中のごとき明るさにあふれかえった。


 そして俺たちのもとには、草籠を抱えた侍女たちが近づいてくる。新郎新婦に捧げる花を配っているのだ。男性は白い花、女性は黄色い花という配分であった。


「えーと、女は花嫁に花を捧げるんだよね?」


 ユーミ=ランの問いかけに「うむ」と応じながら、アイ=ファは黄色い花をつまみあげた。


「バナームの婚儀と同一であるのなら、そういうことになろうな。まあ、他の者たちの行いを見習う他あるまい」


「うん。なんだか、緊張しちゃうねー。……あれあれ? ルウのみんなはもう動き出してるよ? こういうのは、貴族たちが先なんじゃないの?」


「バナームでは、部屋に入るのと逆の順番になっていたな。であれば、伯爵家の次が森辺の民ということになる」


 さすがアイ=ファの記憶力は、大したものである。俺などは、アイ=ファの言葉によってひとつずつ記憶の蓋が開かれていくような心地であった。


「やっぱアイ=ファは、頼りになるなー。おかしな失敗をしないように、しばらくひっついててもいい?」


「好きにするがいい。では、行くぞ」


 と、足を踏み出しかけたアイ=ファは、ふっと足もとを見下ろした。

 そちらには、瞳を輝かせたジルベとそのたてがみに半ばうずまったサチが控えている。その愛くるしい姿に目を細めてから、アイ=ファはすぐそばを通りすぎようとした侍女を呼び止めた。


「失礼。人ならぬ身でも、祝福の花を捧げるべきであろうか?」


「人ならぬ身?」と、つつましき侍女も思わず目を丸くする。


「あ、ああ、そちらの家人様のことですか。ええと、前例がありませんので、わたくしには判じかねるのですが……そもそも人ならぬ身では、花を捧げるのも難しいのでは……?」


「そのようなことは、ないかと思うが」


 アイ=ファは草籠から抜き取った花を、それぞれジルベとサチの口にくわえさせた。

 サチはいかにも渋々といった風情であったが、その愛くるしさに変わりはない。それで侍女も、「まあ」と口もとをほころばせた。


「なんと好いたらしいお姿でしょう。きっと新郎新婦の方々も、お喜びになりますわ」


「では、こちらからも捧げさせていただくとしよう」


 そんな一幕を経て、俺たちは壇上を目指すことにした。

 壇上は、すでに森辺の同胞で埋め尽くされている。族長筋の人間はあらかた役目を終えたようであるので、俺たちもそのまま階段をのぼった。


「リーハイム、セランジュ、おめでとうございます。とても素晴らしい式でした」


「ああ、アスタ。今日はそっちにも手間をかけさせちまったみたいだな」


 リーハイムは普段通りのくだけた口調であったが、その顔は厳しく引き締まったままだ。そしてリーハイムは眉のあたりをぴくぴくと引きつらせながら、自分の頬を撫でさすった。


「なんだか顔が強張っちまって、思うように動かねえんだ。愛想がないのは、勘弁してくれ」


「あはは。とても凛々しいご様子になっていますよ」


 リーハイムはもともと貴族らしい端整な容姿をしているし、本日などは勇壮なる花婿の衣装であったため、本当に普段以上の風格になっていた。

 いっぽうセランジュは、幸福そうに微笑んでいる。こちらも白と金で統一された花嫁衣裳であるし、頭には黄金色の冠をかぶっているため、普段以上の美麗さだ。


「おふたりとも、おめでとうございます。先日は、こちらの婚儀でもありがとうございました」


 ジョウ=ランがいつも通りの柔和な笑顔で呼びかけると、セランジュのほうが「あら」と口もとをほころばせた。


「ジョウ=ラン様に、ユーミ=ラン様も……今日は、ありがとうございます。十日とあけずに同じ喜びを分かち合えるだなんて、きっと西方神の導きですわ。いつかおふたりを、こちらの晩餐会にお招きさせてね?」


「いやー、貴族様の晩餐会なんて、何をどうしていいのかもわかんないけど……でも、そんな風に言ってもらえるのはありがたいよ」


 ユーミ=ランも、笑顔で白い花を差し出した。


「口のききかたを知らなくて申し訳ないけど、とにかくおめでとう。おたがい、立派な家庭を築こうね」


「はい。どうか、おふたりを見習わせてください」


 セランジュはひたすら幸せそうで、この大がかりな祝宴にも怯んでいる様子はない。とりたてて強い個性を感じさせない貴婦人であるのだが、そういう意味では胆が据わっているようであった。


 そしてアイ=ファも黄色い花を捧げたならば、ジルベがずいっと進み出る。セランジュも先刻の侍女と同じように、「まあ」と微笑んだ。


「なんて可愛らしいお姿でしょう。ええと……こちらは、サチ様でしたわよね? ありがとうございます、サチ様」


 サチがくわえていた黄色い花が、セランジュの手でつままれる。そして、リーハイムの顔にも強張った笑みが浮かべられた。


「ありがとうよ、勲一等の勇者様。そっちも美人の嫁さんを見つけられるように、祈ってるぜ?」


 白い花を渡したジルベは、「わふっ」と尻尾を振りたてた。

 役目を果たした俺たちは、背後のレイ=マトゥアたちに場所を譲るべく引き下がる。そうして階段を下りると、ユーミ=ランが小さく息をついた。


「いやー、すっかり肩が凝っちゃったなー。でも、本番はこれからかー」


「そうですね。でも、ユーミは普段通りに振る舞うだけで、誰とでも絆を深められると思いますよ。これまでの祝宴でも、そうだったでしょう?」


「でも、今までとは背負ってるもんが違うからねー。ま、変に気負うつもりはないけどさ」


 そうしてユーミ=ランが不敵な笑みをこぼしたとき、小さな人影がちょこちょこと駆け寄ってきた。可愛らしい宴衣装を纏ったリミ=ルウと、それを追いかけるルド=ルウである。


「アイ=ファ、待ってたよー! 今日も一緒に、宴料理を食べよーね!」


「うむ。しかしリミ=ルウも、大役を果たしたひとりであろう? 貴族の相手をするようにと申しつけられたりはしていないのであろうか?」


「うん! ララとかヤミル=レイもいるから、リミは好きにしていいぞーって言ってもらえたの!」


 リミ=ルウが満面の笑みで腕を抱きすくめると、アイ=ファも嬉しそうに「そうか」と目を細めた。


「ま、どーせいつかは貴族どもに取り囲まれるんだろーからよ。身動きが取れなくなる前に、腹を満たしちまおーぜ」


「それじゃああたしらも、みんなを見習わせてもらえる?」


 ということで、本日はこの6名と2頭で移動することになった。

 俺とアイ=ファ、ルド=ルウとリミ=ルウ、ジョウ=ランとユーミ=ラン、そしてジルベとサチという、バラエティにとんだ組み合わせだ。ただリミ=ルウと人ならぬ2名を除けば、それほど年齢差がない組み合わせでもあった。


(それで、最年長は俺とアイ=ファになっちゃうのか。……今後は、こういう組み合わせが増えていくのかもな)


 俺がひそかにそんな感慨にふけっていると、ななめ前方を歩くルド=ルウが「さー、メシだメシだ」という祝宴の場らしからぬ言葉をこぼした。


「ったくよー。こーゆー日は朝から晩まで美味そうな香りを嗅がされるから、大して動いてもねーのに腹が減っちまうんだよなー」


 どれほど勇壮な格好をしていようとも、ルド=ルウのやんちゃさに変わりはない。だけどやっぱりこの顔ぶれでは、周囲からの視線の圧力がどんどん増していった。ルド=ルウとジョウ=ランはそれぞれタイプの異なる美形の部類であるし、アイ=ファとユーミ=ランは歴然たる美人であるのだ。俺は幼きリミ=ルウとともに、中和の役目を担いたいところであった。


「……やはり今日は、貴族ならぬ人間の姿が目立つようだな。なおかつ、これまでの祝宴で見かけた覚えのない顔も少なくはないようだ」


 と、貴婦人さながらのつつましさで歩を進めつつ、アイ=ファは油断なく視線を走らせている。確かにこの辺りは、外来の客人の証である朱色の腕章や肩掛けを装着している人間が多いようだ。みんな立派な宴衣装であることに変わりはないが、緊張をあらわにしている者も少なくはないようであった。


「えーっとね、今日は余所の領地の商会長とかもお招きしてるんだってよー。だから、森辺の民はちょっぴり人数を少なくする必要があったんだってー」


「ふーん。ま、貴族の数だって削るわけにはいかないんだろうから、どこかで調節する必要があったんだろうねー。にしても、リミ=ルウはずいぶん詳しいじゃん」


「ララが色んな人たちとそーゆー話ばっかりしてるから、リミも覚えちゃったの! ターラたちも呼んでもらえたらよかったのになー!」


「さすがにダレイムまでは、手をのばせなかったか。ま、サトゥラスとご縁が深いのは、商人連中なんだろうしね」


 リミ=ルウとユーミ=ランで、意外に話が弾んでいる。まあ、どちらも社交性の権化であるため、それも自然な帰結であるのだろう。また、ふたりはそれぞれターラと深いおつきあいのある間柄であったのだった。


「おお、そちらは賑やかそうだな」


 最初の卓に到着すると、そちらにはサウティの血族が結集していた。ダリ=サウティとミル・フェイ=サウティ、ヴェラの若き家長夫妻という組み合わせである。


「こちらの料理も、素晴らしい出来栄えであるようだぞ。さすがは、レイナ=ルウの取り仕切りだな」


「あ、これは、マ・ティノの料理ですね」


 俺の言葉に、ユーミ=ランが「へえ」と反応した。


「これが、例のアレかー。確かにずいぶんと、細工が増えたみたいだね」


「うん。レイナ=ルウの研究の成果だね」


 数日前の勉強会で俺が提案したことにより、レイナ=ルウの探求心を刺激した料理である。ラオの王城の料理人たるセルフォマに、南の王都の食材の活用法を伝授するべく考案した品々であった。


「あー、ちょっと前まで、晩餐でもドカドカ出されてたんだよなー。この何日かは、ご無沙汰だったけどよー」


「うん! マ・ティノの料理、美味しいよねー! リミ、大好き!」


 ルウ家の仲良し兄妹に続いて、俺たちもそれらの料理を取り分けてもらった。

 その片方はマ・ティノの肉巻き、もう片方は蒸し焼きの料理となる。主体となるのは、どちらもギバ肉とレタスのごときマ・ティノであった。


 マ・ティノの肉巻きは大ぶりに切り分けたマ・ティノを薄く切り分けたバラ肉で包み込み、ホボイ油で香ばしく焼きあげたのち、豆板醤のごときマロマロのチット漬けを主体にした調味液で甘辛く仕上げている。俺が伝授したのはバラ肉でマ・ティノを巻くところまでで、味付けに関してはレイナ=ルウの考案であった。


 マ・ティノはきわめてやわらかいため、軽く熱を通すだけで十分に食べやすい。キャベツのごときティノや白菜のごときティンファで似たような料理に仕上げるには、それこそロール・ティノのようにぐつぐつと煮込む必要があることだろう。しかしこちらはあくまで焼き物料理であるため、煮込み料理とはまったく趣が違っていた。


 わずかに熱の通ったマ・ティノはしんなりとやわらかいが、それなりの大きさで切り分けられているため、一種独特の食感が生じる。そして、強い味はギバ肉と調味液におまかせして、ひたすら清涼な味わいだ。それが口内で入り混じることにより、味と食感の双方から独自の魅力が生じるのだった。


 いっぽう蒸し焼きの料理は、ギバのモモおよびマツタケのごときエイラの茸とともに供されている。それらの具材を海草の出汁とともに蒸し焼きにして、オイスターソースのごとき貝醬を主体にした調味液で仕上げているのだ。こちらもまた、基本の仕様だけを俺が伝授して、レイナ=ルウが味付けを考案した品であった。


 こちらでも、マ・ティノのやわらかさが活用されている。もともとやわらかいマ・ティノは短時間蒸すだけで煮込み料理のような食感に仕上がるし、出汁もたっぷりとしみこむのである。逆に言うと、マ・ティノは煮込むとすぐにぐずぐずに溶け崩れてしまうため、熱を通していただくにはひと工夫が必要になるわけであった。


「なんというか、食感が軽やかであるために、いくらでも口にできそうだと感じてしまうのだ。加減を考えなければ、俺たちだけで食べ尽くしてしまいそうなほどだな」


 ダリ=サウティが冗談口を叩くと、ユーミ=ランが「あはは」と笑った。


「でも、わかるような気がするよー。ティノやティンファだと食べごたえがしっかりしてるから、そーゆー気分にはならないんだろうなー。確かにこいつは、マ・ティノならではの料理なんだと思うよ」


「うん。よかったら、ランの晩餐でも使ってみておくれよ」


「そうしたいのは山々だけど、大事なのは味付けだよねー。こまかい部分もレイナ=ルウにきっちり聞いておかないと、こんな立派には仕上げられないだろうなー」


 無邪気な笑顔でそのように述べてから、ユーミ=ランはサウティの面々に向きなおる。ダリ=サウティはゆったりと微笑んでいたが、それ以外の3名はそれなりに真剣な面持ちでユーミ=ランの様子を見守っていたのだ。


「えーと……なんか、はしゃぎすぎちゃった? もしそうだったら、ご指摘をよろしくねー?」


「いえ、決してそういうわけではありません。むしろ、あなたの自然なふるまいに感心させられていたほどです」


 そのように応じつつ、ミル・フェイ=サウティは厳格なる面持ちである。まあ、それは彼女のもともとの気質であったが、城下町の宴衣装を纏うといっそうの貫禄が生じるのだった。


 いっぽうヴェラの家長の伴侶などは柔和な気性であるが、こちらはむしろ好奇心をあらわにしてユーミ=ランのことを見返している。彼らはみんなユーミ=ランたちの婚儀に参席していなかったため、本日ひさびさに再会を果たした身であった。


(サウティやヴェラの人たちは直接的に血の縁がないから、ちょっと微妙な距離感なんだよな)


 ヴェラの家長の妹は、フォウの家に嫁入りをした。よって、ヴェラの人々もフォウの家人とは血族であるのだが、その眷族たるランとは血の縁が存在しないのである。

 そしてサウティは、そんなヴェラの親筋となる。サウティにとってはフォウすら血族ではなく、ランとの関係性は「血族の血族の血族」という錯綜した内容に至るわけであった。


 ただややこしいのは、ヴェラの家長の妹はユーミ=ランにとって、まぎれもなく血族という立場なのである。

 ドムとルティム、ナハムとベイムにおいても、こういう複雑な関係性が生じているはずだ。斯様にして、他の血族に類の及ばない婚儀というのは、まだまだ未整理な部分が多いのだった。


「ミル・フェイたちにしてみれば、ユーミ=ランと絆を紡ぐ希少な機会であろうがな。ただそれは、森辺の集落で機会を待つべきであるように思うぞ」


 と、ダリ=サウティは鷹揚な笑顔で取りなした。


「今日は同じ森辺の同胞として、外界の者たちと絆を深めるべきであろう。ユーミ=ランとて、このような場で森辺の同胞にまで気を向けていたら苦労がつのるばかりであろうからな」


「ああ、うん。そうしてもらえたら、あたしも助かるけど……でも、サウティやヴェラのお人らを二の次にすることもできないよ。なんかあったら、遠慮なく言ってほしいかな」


 すると、ミル・フェイ=サウティがいくぶん穏やかに目を細めつつ「いえ」と応じた。


「確かに、家長ダリの仰る通りなのでしょう。森辺の同胞にかまけて外界の民との交流を二の次にしては、面目が立ちません。何より今日は、婚儀を挙げた両名に気を向けるべきなのでしょうからね」


「うむ。また近日中に、サウティとフォウの血族で家人を預け合うことにしよう。こちらでも数多くの人間が、ユーミ=ランに関心を抱いているからな」


「うん。そのときは、ランの家人としてめいっぱいもてなすよ」


 ユーミ=ランも、力強い笑顔で答える。

 ジョウ=ランは、そんなユーミ=ランを静かに見守っている格好だ。決して他人事と考えているのではなく、ユーミ=ランの気持ちを最優先にしようという心持ちなのだろうと思われた。


「あれこれややこしそーで、大変だなー。みんなダン=ルティムみてーにズカズカ踏み込んでいけば、丸く収まるんじゃねーの?」


 ルド=ルウはそれこそ他人顔で、マ・ティノの料理をもりもりと食している。ルド=ルウこそ、何より自主性を重んじるタイプなのである。


「こちらの料理は食べやすいぶん、腹に溜まりにくいようだ。他の料理にも目を向けるべきではなかろうか?」


 と、アイ=ファはアイ=ファで別方向に関心を向けている。こちらの卓の逆の端では、他なる料理も供されていたのだ。


「俺たちも、まだこちらのふた品しか口にしていないのだ。貴族たちに囲まれる前に、腹を満たしておくとするか」


 そのように述べるダリ=サウティを先頭に、俺たちはぞろぞろと移動した。

 壇上では、侯爵家や伯爵家よりも身分の低い貴族たちが祝福を捧げる順番であったのだ。なおかつ、高位の貴族たちも今は挨拶を受ける時間帯であるため、大広間で食事を楽しんでいるのはのきなみ貴族ならぬ人々であったのだった。


 貴族ならぬ人々は城下町の祝宴に手馴れていないため、まだ森辺の民に接触しようという心持ちに至っていないらしい。その隙をついて、俺たちはとりあえずの食欲を満たすことにした。


 そうして、卓の逆側に準備されていたのは、またもや南の王都の食材を使った料理である。

 ただしこちらは、ボリュームもそれなりである。炭水化物の料理に負けないぐらい、腹に溜まるはずであった。


「あー、これかー。こいつは食べ慣れるのに、ちっとばっかり時間が必要だったんだよなー」


「ふむ。外見からは、中身を想像することも難しそうだな」


 ダリ=サウティは、興味深そうに視線を巡らせていく。

 そちらに準備されていたのは、揚げ物の料理である。レイナ=ルウは苦労を惜しまず、揚げ物の料理も供していたのだった。


「リミはこれ、最初から大好きだったよー! アイ=ファは、どーだった?」


「私は初めて口にしたとき、いささかならず面食らってしまったな。まあ、決して不出来なわけではなかったが……他に似た料理が見当たらないため、落ち着かない心地であったのだろう」


 と、評価は人それぞれである。

 初めてこちらの料理と相対したダリ=サウティたちは、いっそう好奇心をかきたてられたようであった。


「それほどに、珍妙な料理であるのか。ここ最近では、珍しいように思えるな」


「はい。セルフォマに南の王都の食材の活用法を習いたいと願われて、色々と試行錯誤することになったんです。あれこれ苦労をした分、面白い品に仕上がったと思いますよ」


「なるほど」と応じつつ、ダリ=サウティは配膳係の小姓から小皿を受け取った。

 小皿には、3種の揚げ物がのせられている。そのひとつはカニに似たゼグの塩漬けの肉団子、もうひとつはゴボウに似たレギィのかき揚げ――そして、最後のひとつが俺やレイナ=ルウの思考錯誤の成果であった。


 ゼグとレギィは、申し分のない仕上がりである。最後のひと品が奇抜であるため、罪のない品々もともに供することにしたのだろう。塩抜きをしたゼグはカニに似た風味が魅力的であるし、わずかに練り込まれた魚醤の味わいも好ましい。レギィのかき揚げには薄くめんつゆが掛けられて、しっかりとした食感と香ばしさが素晴らしかった。


 そして、最後のひと品を口にしたヴェラの家長が、「んぐ」と奇妙な声をあげる。

 その伴侶も同じものを口にしながら、目を白黒させていた。


「こ、これは、なんでしょう? さまざまな味わいが、複雑に絡み合って……まるで、城下町の料理のようです」


「結果的に、そういう仕上がりに落ち着きました。森辺の民よりも、城下町の方々に好かれる味わいかもしれませんね」


「うむ……しかしまあ、存外に食べにくいことはないようだな」


 ダリ=サウティは、愉快げな笑顔を見せてくれた。


「それにしても、なかなかに驚かされた。これは、たしか……マトラなる果実であろう?」


「はい。マトラと乾酪の揚げ物ですね。風味づけに、赤の果実酒も使っています」


 マトラとは、干し柿のごとき果実である。薄切りにしたマトラとカマンベールチーズのごときギャマの乾酪を重ねて、赤ワインに似た果実酒を煮込んだ調味液を添加しつつ、和風の衣に包んで揚げ物に仕上げたひと品であった。


 マトラは、砂糖よりも甘いとされている。しかし、後にひくような甘さではなく、食べ心地はきわめてすっきりしているのだ。しかしこれまではあんこの材料としてばかり重宝されていたので、新たな使い道を模索した結果であった。


 カボチャに似たトライプやサツモイモに似たノ・ギーゴなど、糖度の高い食材というのは他にも存在する。それにまた、砂糖や花蜜だって料理にはさんざん活用されているのだ。ただ甘いというだけで、料理から遠ざける必要はないはずであった。


 ただそれにしても、マトラというのは強烈に甘い。トライプやノ・ギーゴなどは熱の通し方で甘さを抑制することも可能であるが、マトラは基本が甘いのだ。その甘さに対抗するには、強い風味が必要となり――それで選出されたのが、ギャマの乾酪と赤ママリア酒であったのだった。


 俺が最初に思いついたのは乾酪で、乾酪だったら赤ワインに似た果実酒が合うだろうと発想を膨らませた。しかし、煮込み料理や汁物料理では溶けたマトラが大変な粘り気を生んでしまうし、焼き物料理も焦げつく危険が高かったため、揚げ物の手法が持ち出されたのだった。


 果実酒はあらかじめ煮込んだものを使用したが、マトラと乾酪はレテンの油で揚げたのみである。

 マトラと乾酪はどちらもねっとりとした食感で、それが分厚い衣によって多少ながら中和されている。そして、強い甘みと風味が口の中で絡み合い、なかなか他に類を見ない結実を見せてくれたのだった。


 マトラはきわめて甘い果実であるが、もちろん独自の風味も有している。酸味とも苦みとも言い切ることの難しい、干し柿に似た独特の風味だ。それが乾酪の強い風味と、なかなか愉快な調和を見せてくれたのである。


 そしてさらに、煮込んだ果実酒が上品な風味も加算してくれる。当初はこちらに酢やタウ油なども加えていたが、最終的には果実酒のみが採用された。マトラと乾酪だけで十分に複雑な風味と味わいであったため、過剰な仕上がりを避けた次第である。


 俺としては文句のない出来栄えであったし、レイナ=ルウも大いに感銘を受けて本日の献立に組み込むことになった。アイ=ファやルド=ルウは食べなれるのに時間がかかったようだが、副菜としては文句もないという心境に落ち着いたようである。また、フォウのかまど小屋の勉強会でも、ユーミ=ランたちからはそれなりに好評を博していた。


「きわめて美味、とは思えんし……そんないくつも口にしたいとは思わんが……まあ……愉快な料理ではあるようだ」


 と、不明瞭な面持ちながら、ヴェラの家長もそんな風に言ってくれた。

 ユーミ=ランも、「だよねー」と笑顔で同意する。


「肉も魚も野菜も使われてないから、最初はなんだこりゃって思ったけどさ。意外に、酒とも合うんじゃないかなー」


「そうそう。お酒のつまみとしても、そんなに悪くない気はするんだよね。まあ、俺自身はまだお酒を語れるような立場じゃないけどさ」


 俺の言葉に、ユーミ=ランはぽんと手を打った。


「そーいえば、アスタは20歳になったら酒を飲めるって話じゃなかったっけ? ちょうどこの前、生誕の日だったんでしょ?」


「うん。だけどまだまだ、飲み始めだからさ。しばらくは、家の中だけで楽しもうと思ってるよ」


 そのように答えながら、俺はアイ=ファのほうをちらりとうかがう。

 アイ=ファも森辺の外では酒を口にしないというスタンスであったため、俺の提案を快く受け入れてくれたのだ。アイ=ファはマトラの揚げ物を噛みながら、優しい眼差しを返してくれた。


「リミもジバ婆もこの料理は大好きだし、ドンダ父さんもけっこー気に入ってたみたいだよー! でも、コタはちょっと苦手だったみたい!」


「ああ、小さい子には風味が強すぎるのかもね。コタ=ルウもリミ=ルウぐらい大きくなったら、苦手じゃなくなるかもしれないよ」


「へん。リミとコタじゃ、大した差もねーけどなー」


「そんなことないもん!」と、リミ=ルウはぺちぺちと兄の背中を叩く。しかし、眉はつり上がっていても目もとは笑っており、微笑ましい光景の範疇であった。


 余人が近づいてこないためか、森辺の晩餐のような和やかさだ。

 しかし城下町まで出向いたからには、さまざまな相手との交流を楽しむべきだろう。そのように判じた俺たちはサウティの面々と別れを告げて、さらなる交流と宴料理を求めることにした。

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― 新着の感想 ―
干し柿とカマンベールチーズのカプレーゼ赤ワインソース入りフリット、みたいなもんか? ドンダ=ルウがわりと気に入ったってのも珍しいな。
ジャムとかハチミツかけたカマンベールチーズのフリットみたいな感じかな……? 確かに居酒屋にあるつまみ料理ですね。
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