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異世界料理道  作者: EDA
第九十二章 慶祝の黄の月(下)
1588/1698

サトゥラス伯爵家の婚儀④~下準備~

2025.2/6 更新分 1/1

 リフレイアたちとの語らいは半刻ていどで終了して、その次に案内されたのはダレイム伯爵家の当主および第二子息の夫妻が待ち受ける一室であった。


 当主のパウドと伴侶のリッティア、第二子息のポルアースと伴侶のメリムという組み合わせだ。第一子息のアディスと伴侶のカーリアは、メルフリードの一家と同じ組に割り振られているのだという話であった。


 パウドだけは厳格かつ寡黙な気性であるが、残る3名が明朗かつ社交的であるため、初の城下町であるディガ=ドムもずいぶん緊張が解けた様子である。

 そうしてまたあっという間に半刻ばかりの時間が過ぎると、ついに身支度を整える刻限であった。


「それでは、また祝宴の場でね。皆々の勇壮かつ美麗な宴衣装を楽しみにしているよ」


 笑顔のポルアースに見送られて、俺たちは浴堂に向かうことになった。祝宴の会場であるエイラの神殿に向かう前に、この白鳥宮で身を清めるのだそうだ。


 別なる組に割り振られた面々も、浴堂の手前で合流する。先行して語らいの場に臨んでいたルウおよびサウティの面々は、すでに身支度を終えて控えの間に移されたとのことであった。


 ジルベとサチはアイ=ファに託して、俺は8名の男衆とともに蒸気で満たされた浴堂に足を踏み入れる。それと同時に、ディガ=ドムが「うひゃあ」と感嘆の声をあげた。


「か、家長たちから話は聞いてたけど、本当にすげえ有り様だな。こんな広々とした場所を湯気で満たすなんて、ものすごい量の水と薪が必要になるんじゃねえか?」


「そうですね。なかなか贅沢な設備なんだろうと思いますよ」


 これまで同行していた流れで、俺は自然とディガ=ドムをエスコートする立場になっていた。俺としてもディガ=ドムとはなかなか顔をあわせる機会がなかったので、今日という日を楽しみにしていたのだ。


「水を汲むのにも薪を集めるのにも、人手が必要になるもんな。そいつは確かに、贅沢な話なんだろう。さすがは貴族ってことか」


 ディガ=ドムがそんな感慨をこぼすと、どこからともなくラヴィッツの長兄が忍び寄ってきた。


「初めての浴堂でいきなり水や薪の話を持ち出すとは、なかなか目端のきくことだな。銅貨の勘定に目ざといのは、かつての末妹ばかりではないということか」


 俺よりも小柄でずんぐりとした体躯であり、落ち武者のような頭のど真ん中に大きな古傷を負った、異相のラヴィッツの長兄である。いっぽうドムの家人となってからますます逞しさを増したディガ=ドムは、そんなラヴィッツの長兄を見下ろしながら「ああ、うん」と気まずそうに頭をかいた。


「俺もスンの家人だった頃は、何も考えずに銅貨をつかっていたけど……同じ過ちを繰り返さないように、どんなときでも銅貨のことを気にするように心がけているんだよ」


「ほう。しかしお前はスンの家人であった時代、人の目を恐れて宿場町におもむくこともままならなかったという話ではなかったか? それでは、銅貨をつかうすべもあるまい?」


 ラヴィッツの長兄が容赦なく切り込むと、ディガ=ドムはいっそうせわしなく頭をかき回した。


「だからそれは、弟のドッドに頼んでいたんだよ。まあ、俺は果実酒が苦手だったから、頼んでいたのは美味そうな食事と……せいぜい飾り物ぐらいだったけどな」


「ああ、お前は気に入った女衆に立派な飾り物を配りまくっていたな。こちらでも、分家の女衆がたいそう恐れおののいていたものだぞ」


 ラヴィッツの長兄のそんな言葉に、ディガ=ドムはたちまち表情を引き締めた。


「ラヴィッツの集落はスンから遠くなかったから、さんざん迷惑をかけちまったよな。本当に、申し訳なく思ってるよ」


「ふふん。そういえば、お前はファの家長にもちょっかいをかけていたそうだな。くだんの女衆も金色がかった髪をしていたのだが、そういう女衆に心をひかれるというわけか?」


「ああ、いや、金色がかった髪は珍しいから、目を奪われやすかっただけだと思うよ。……アスタにも、さんざん迷惑をかけちまったよな」


「いえ。すべて、昔の話ですから」


 そういった罪をすべて贖ったと見なされたからこそ、ディガ=ドムにはドムの氏が与えられることになったのである。どうして今さらディガ=ドムの悪行をほじくり返すのかと、俺がラヴィッツの長兄のほうに向きなおると――彼は、骨張った顔でにんまりと笑っていた。


「お前に飾り物を贈られた女衆は、大急ぎで婚儀を挙げることになった。そのように取り計らったのは、俺の親父殿だ。あまり詳しくは聞かされなかったが、どうやらファの先代家長を手本にした対処であったようだな」


「ファの先代家長? つまり、アイ=ファの父親ということですか?」


「うむ。20年以上の昔日に、ファの女衆もスンの男衆に目をつけられたのだそうだ。それでその矛先をそらすために、ファの先代家長がその女衆と婚儀を挙げたらしい。どのような外道でも、婚儀を挙げて髪を落とした女衆に色目を使うことはそうそうあるまいからな」


 言葉を失う俺のかたわらで、ディガ=ドムがゆらりとよろめいた。

 しかしディガ=ドムは倒れ伏すことなく、その場に踏みとどまる。そして、その目に狩人としての気迫を燃やした。


「それは……おそらく、ミギィ=スンのことなんだろうな」


「ああ。スン分家の家長、ミギィ=スン。ムファの女衆を手にかけたと見なされている、きわめて凶悪な男衆であったようだな」


 その名前は、俺もたびたび耳にしている。そしてディガ=ドムとドッドは、そのミギィ=スンに虐待されており――その反動で、ミギィ=スンを見習うかのように凶悪な性質を育んでしまったのかもしれないとされていたのだった。


「あいつだったら、どんな非道な真似にでも手を染めるだろう。あいつの血がわずかなりともこの身に入り混じっているなどと考えると……俺は全身を切り裂いて、すべての血を捨てたくなってしまう」


 ディガ=ドムは自分の心臓のあたりに爪をたてながら、悲壮な声を振り絞る。

 しかし俺が声をあげるより早く、彼は無理やり笑顔をつくった。


「だけど、スンにだって立派な人間はいくらでもいたはずだ。その証拠に、他のみんなは心正しく過ごしているからな。だから俺も、スンの血から逃げずに立ち向かいたいと考えている」


「うむ。血筋には、人を救う力と滅ぼす力がともに備わっているのだろう。お前は、ぎりぎりのところで救われたということだ。お前が一線を越える前に叩きのめしてくれたファの家長に、せいぜい感謝することだな」


 ラヴィッツの長兄はディガ=ドムの悲嘆や奮起など知らぬげに、気安く肩をすくめた。


「……とまあ、リフレイアたちと語らっている内にそんな話が頭に浮かんできたので、いちおうお前にも伝えておこうと考えたまでだ。べつだんお前がのうのうと生きのびていることに不満があるわけではないので、誤解のないようにな」


「ああ。そちらの女衆にも、本当に申し訳ないことをした。許されるなら、本人に直接詫びたいぐらいだ」


「そんな何年も昔の話で詫びられたところで、相手を困らせるだけであろうよ。お前の魔手から逃げのびるために想い人との婚儀が早まったのだから、今となっては感謝しているぐらいかもしれんぞ」


 ラヴィッツの長兄はにまにまと笑いながら、すくいあげるような眼差しを俺に向けてきた。


「ちなみにファの先代家長とその女衆も、もともと婚儀を挙げる約定を交わしていたらしい。決して無理に婚儀を挙げたわけではないようなので、そちらも誤解のないようにな」


「はい、承知しました。……でも、スンやファの話を、ずいぶん詳しくご存じなのですね」


「それはおそらく、すべての氏族に行き渡っている話だぞ。何せミギィ=スンとやらは、家長会議の場でファの先代家長にその女衆をよこせと言いたてたらしいからな」


 当時のスン家はそこまで腐っていたのかと、俺も呆れ返ることになった。

 そうして俺とディガ=ドムの胸に小さからぬ波紋を残して、ラヴィッツの長兄は湯けむりの向こうに消えていく。それを見送りながら、ディガ=ドムは深々と息をついた。


「ラヴィッツの長兄が切れ者らしいって話は、家長からも聞いていたよ。確かにあいつは、只者じゃないみたいだな」


「はい。俺もあのお人は、森辺で屈指の切れ者なんじゃないかって考えてましたけど……今回は、おたがい心をかき乱されてしまいましたね」


「ああ。だけどそれも、必要な話なんだろう。とりわけ俺は、自分の罪と向き合わないといけない立場だからな」


 ディガ=ドムは大きな手の平で顔面をごしごしとぬぐってから、明るい笑みをこしらえた。


「アスタとアイ=ファに対する感謝の気持ちも、あらためてわきおこってきちまったしよ。あとでアイ=ファにも、お礼を言わせてもらわないとな」


「あはは。アイ=ファはきっとうるさがるでしょうけど、是非そうしてあげてください」


 そんな一幕を経て、俺たちは浴堂を出ることにした。

 湿った身体を拭き清めたならば、隣接したお召し替えの間で宴衣装に変身だ。ここでもディガ=ドムは、目を丸くすることになった。


「へえ、こいつが城下町の宴衣装か。家長なんかは立派に着こなしてたって話だけど……俺なんかは、珍妙なだけだろうな」


「そんなことありませんよ。ディガ=ドムだって、立派な体格をしていますからね」


 森辺の狩人たちに準備されていたのは、本日もおおよそは武官の白い礼装であった。

 唯一の例外はジョウ=ランで、彼は俺ともども、ジェノスにおける一般的な宴衣装である。これはかつてティカトラスから贈られた、立派な品であった。


 袖なしの胴衣、丈の短い儀礼用のマント、ゆったりとしたバルーンパンツという組み合わせで、かつてリッティアから贈られた宴衣装と様式は同一である。そしてこちらの宴衣装に限っては黒い色彩が主体とされていなかったので、俺は何とはなしにほっとしてしまった。


(アイ=ファがあんなに黒い宴衣装のことを気にしてたなんて、俺はちっとも知らなかったもんな)


 立派な宴衣装を纏わされたのち、俺は自らの手で自前の首飾りを装着した。

 黒い石と黄色い石が下げられた、銀の鎖の首飾りだ。そのふたつの石にそっと手をあてがうと、生誕の日の思い出がむくむくとわきあがり――俺はひとり、頬を熱くすることになってしまった。


「それでは、控えの間にご案内いたします」


 シェイラは女衆に付き添っているので、こちらは小姓の案内でお召し替えの間を後にする。

 すると、回廊の向こうから見慣れた一団がやってきた。


「よー。アスタたちに、先を越されちまったなー」


「あれ? みんなは紅鳥宮の厨で準備をしていたんだろう? それなのに、白鳥宮で身を清めるのかい?」


 ルド=ルウは「らしーな」と肩をすくめる。そのかたわらでは、調理着姿のレイナ=ルウがきりりと凛々しいお顔をしていた。

 宴料理の準備に取り組んでいたルウの血族のかまど番と、護衛役の一行である。ただし、身を清める必要があるのは祝宴の参席者のみであるため、十数名という人数だ。レイナ=ルウのかたわらからは、可愛い侍女のお仕着せを纏ったリミ=ルウがぶんぶんと手を振っていた。


「今日は貴族じゃないお客さんもたくさん来るから、紅鳥宮の浴堂はそっちの人たちに使ってもらうんだってよー!」


「ああ、なるほど。何はともあれ、お疲れ様。無事に作業は完了したのかな?」


 レイナ=ルウは毅然たる態度で、「はい」と首肯した。


「皆のおかげで、納得のいく宴料理を準備することができました。アスタもどうか、忌憚のないご感想をお願いします」


「うん。俺は集落に戻ってから、ゆっくりとね。今日は他の人たちが、レイナ=ルウを離さないだろうからさ」


「承知しました。それでは、またのちほど」


 ルウの血族の面々は、男女に分かれて浴堂に踏み入っていった。

 ただし、男衆はルド=ルウとジーダのみだ。他の参席者は、のきなみ語らいの場に加わっていたのだろう。そして参席者ならぬ男女は、作業の完了とともに城下町の広場へと向かうわけであった。


 そうして俺たちが控えの間に案内されると、語らいの場に参加していたと思しき男衆らがくつろいでいた。

 ジザ=ルウ、ガズラン=ルティム、シン・ルウ=シン、シュミラル=リリン、ラウ=レイ、ジィ=マァム、ダリ=サウティ、ヴェラの家長という、錚々たる顔ぶれである。そちらもおおよそは武官の礼装であったが、ジザ=ルウとダリ=サウティとラウ=レイだけが異なる宴衣装に身を包んでいた。


「おお、アスタもその宴衣装だったか! 俺たちが同じような格好をするのは、ひさかたぶりだな!」


 元気に騒ぐラウ=レイの言う通り、彼らも俺やジョウ=ランと同じ様式の宴衣装であった。そういえば、ダリ=サウティを除く4名はまとめてこちらの宴衣装を贈られていたのだ。ダリ=サウティのみ贈り主はリッティアであったが、様式そのものに大きな違いはなかった。


「おそらくティカトラスやリッティアから宴衣装を贈られた人間だけがそれを纏い、残る人間には武官の礼装が準備されたのでしょう」


 ガズラン=ルティムはゆったりとした面持ちで、そんな風に言っていた。

 こうしてみると、個人的に宴衣装を贈られた人間はごく限られているようである。それもひとえに、ティカトラスが女衆に手厚いためであった。


「と、私はそのように考えていたのですが――どうやら見込み違いであったようです」


 そう言って、ガズラン=ルティムはゲオル=ザザのほうに視線を転じた。

 ゲオル=ザザに準備されていたのは、武官の礼装だ。そういえば、ゲオル=ザザもかつて和装めいた宴衣装を贈られていたはずであった。


「どのような格好でも、文句をつける筋合いはあるまいよ。堅苦しいのもひらひらしているのも、動きにくいことに変わりはないからな」


「ええ。もしかしたら、宴衣装でも過度に華美なものはさけられたのかもしれませんね」


 そのように語るガズラン=ルティムは、きっと宿場町における婚儀の祝宴を念頭に置いているのだろう。そちらで着飾ることが許されているのは、新郎新婦とその親族のみであったのだ。


(俺の故郷でも、新郎新婦より派手な格好をするのは厳禁って風習があったような気もするしな)


 まあ、森辺の女衆であればどのように質素な姿でも華やかさには事欠かないだろう。この場に集った男衆だけでも、決して質素とは言い難い勇壮さであったのだった。


「アスタ、仕事、お疲れ様です」


 と、シュミラル=リリンが穏やかな微笑を浮かべつつ近づいてきた。

 シュミラル=リリンも他の面々と同様に、武官の白い礼装だ。生粋の狩人ならぬシュミラル=リリンは野生の獣めいた迫力とも無縁であったが、その姿の立派さに変わりはなかった。


「シュミラル=リリンも、お疲れ様です。今日は朝から、語らいの場に参じていたのですよね?」


「はい。さまざまな相手、言葉、交わしました。実り、大きかった、思います」


「それは何よりでしたね。こちらは一刻ていどでしたけど、やっぱり有意義だったと思います」


「でしたら、幸いです」といっそう温かく微笑みながら、シュミラル=リリンはディガ=ドムのほうを見た。

 礼服の窮屈な襟もとを気にしていたディガ=ドムは、「うん?」とそれを見返す。


「なんだい? 俺もそんなに、派手な失敗はしてないつもりだけど……」


「いえ。ディガ=ドム、壮健、喜ばしい、思っていました。ルウの血族、あなた、思いやる人間、多いので」


 ディガ=ドムは気恥ずかしそうに笑いながら、「まいったな」と頭をかいた。


「リリンの家には、俺のかつての家族なんていないはずだろ? それでも、俺なんかのことが取り沙汰されているのかい?」


「はい。また、ルウの血族、集合の機会、多いので。そのたび、話題、あげられます。今日、参席、ヤミル=レイのみですが、きっと、喜び、ひとしおでしょう」


「ああ。ヤミル=レイは頭が切れるし度胸もあるから、貴族との交流でずいぶんお役に立ってるみたいだな。俺もかつての弟として、せいぜい見習わせていただくよ」


 すると、長椅子でふんぞりかえっていたラウ=レイが、またわめき始めた。


「お前たちは、いつまで突っ立っているのだ? 女衆の支度は時間がかかるのだから、くつろいで待つがいい!」


「はいはい。おおせのままに。……今日はラウ=レイも、語らいの場に加わってたんだね。ヤミル=レイぬきで、大丈夫だったのかな?」


「うむ! 俺としては、ヤミルのもとに留まりたかったのだがな! 名指しで呼びつけられてしまったので、しぶしぶ応じたまでだ!」


 それはどういうことであろうかと、俺は答えを求めて視線をさまよわせる。それを受け止めてくれたのは、ガズラン=ルティムであった。


「ラウ=レイの歯に衣を着せない物言いは、一部の貴族から好評であるようです。それで本日も語らいの場に加わるよう申しつけられたため、応じることになりました」


 ポワディーノ王子や東の王都の使節団が滞在していた折にはラウ=レイの粗雑さが反感を招くのではないかと危惧されていたものであるが、ずいぶん事情が違ってきたようだ。それをもっとも危惧していたジザ=ルウは、あえてのノーコメントであった。


「ラウ=レイは、気の荒い幼子のようなものだからな。あるていどの度量を備えていれば、眉を逆立てることにもならないようだ」


 シン・ルウ=シンがそのように発言すると、ラウ=レイは大笑いしながらその肩に腕を回した。


「年長の人間をつかまえて、ずいぶんな言い草だな! 俺は無口なお前に代わって、場をつないでやったのだぞ?」


「ふむ。ラウ=レイであれば、誰がともにあっても同じように騒ぐのではないだろうか?」


「いちいち口うるさいやつだ! さすがは新たな氏族の家長様だな!」


 ラウ=レイはいっそう大笑いして、シン・ルウ=シンの身を揺さぶる。ほのかに苦笑をにじませるシン・ルウ=シンの姿も含めて、微笑ましい限りであった。


 そうして楽しく騒いでいる間にも、じわじわと時間は過ぎていく。

 それで十分ほどが過ぎた頃、ようやく女衆の第一陣――アイ=ファたちがやってきた。


「なんだ、ヤミルたちはまだなのか! ではその前に、アイ=ファの美しさを愛でさせていただくとしよう!」


「レイ本家の家長として、森辺の習わしを踏みにじるような言動はつつしむがいい」


 ラウ=レイの元気な軽口をぴしゃりとやりこめつつ、アイ=ファはしずしずと俺のもとに近づいてきた。

 本日の、アイ=ファの宴衣装は――かつてティカトラスから贈られた、青い宴衣装であった。大胆に襟ぐりがあいていて、腰から下が大輪のようにふくらんだ、ジェノスでも一般的なデザインだ。


 ただ本日は、飾り物の数が少ないようである。俺が贈った髪飾りと首飾りは健在であったが、あとは手首に銀のブレスレットをしているぐらいで、普段の祝宴と比べるとずいぶんつつましい。

 しかしティカトラスが準備する宴衣装はどれも華やかきわまりなかったし、着用しているのはアイ=ファであるのだ。アイ=ファの美しさの前には、飾り物の多寡など些末な話であった。


「……今日は、そちらの宴衣装であったか」


 と、アイ=ファは微笑むように目を細める。やはり黒い宴衣装でなかったことを喜んでいるようだ。俺はアイ=ファの美しさに胸を高鳴らせながら、「ああ」と立ち上がった。


「アイ=ファは、青い宴衣装だったんだな。ずいぶん鮮やかな印象だけど……それでも、真っ赤なやつや真っ白なやつよりは、まだしもつつましいのかな?」


「うむ。なおかつ城下町における婚儀において、花嫁ならぬ女衆は白や黄色の宴衣装をさける習わしであるようだな」


「ああ、白や黄色は月神エイラを象徴する色だもんな。でも、狩人のみんなは白装束だから、制限されるのは女性だけなのか」


「うむ。花婿ならぬ男衆は、赤い宴衣装をさけるのだそうだ」


 そういえばバナームにおける婚儀において、花婿たるウェルハイドは真っ赤な宴衣装を纏っていた。赤は、月神エイラの伴侶たる太陽神アリルを象徴する色であるのだ。

 そんな雑学を頭に刻みながら俺がアイ=ファの美しさに見入っていると、遠からぬ場所でディガ=ドムが「ひゃあ」と声をあげた。


「お、お前もすげえ格好だな。ちっとばっかり、派手すぎるんじゃねえか?」


「やかましいわね。文句はティカトラスとジェノスの貴族たちに言ってちょうだい」


 不敵に笑うレム=ドムは、本日も黒を主体にした宴衣装である。基本のデザインはアイ=ファと同一で、もちろんこちらもティカトラスに贈られたひと品だ。


「なあ、アスタも見てくれよ。女衆でも狩人だったら、もうちっとつつましい格好を――」


 と、こちらに向きなおったディガ=ドムが絶句する。遅ればせながら、アイ=ファの美麗なる姿が視界に入ってしまったのだろう。そちらを横目で見返しながら、アイ=ファはすぐさま声をあげた。


「冷やかしの言葉は、ラウ=レイだけで間に合っている。お前は森辺の習わしを軽んじるのではないぞ?」


「あ、ああ、うん……まいったな、こりゃ。俺はしばらく、大人しくしておくよ」


 そうしてディガ=ドムはしみじみと息をついてから、もとの長椅子に腰を落とした。

 他の面々も、まずは血族と声をかけあっている。それを横目に、俺はアイ=ファに笑いかけた。


「そういえば、今日は姿見で自分の格好を確認してなかったんだよな。よかったら、一緒に確認してみないか?」


「うむ? 不備があれば、他の誰かが申し立てるであろう。わざわざ自らの目で確認する必要はあるまい」


 俺は「まあまあ」とアイ=ファをなだめながら、大きな姿見の前へと導いていった。

 俺としても、何か特別な考えがあったわけではない。ここ最近はアイ=ファと並んだ姿を姿見で拝見する機会がなかったので、ひさびさにその喜びを噛みしめたいと思ったまでである。


 そうして、巨大な姿見の前に立ち並ぶと――俺の心は、深く満たされた。

 鏡で左右反転しようとも、アイ=ファの美しさに変わるところはない。そして、その横に並ぶ自分の姿もそうまで極端に見劣りしていないと思えるのは、実に幸いな話であった。


(もちろんアイ=ファの容姿に釣り合う人間なんて、そうそういないんだろうけど……そういう話ではないんだよな)


 アイ=ファの美しさと比べたら、俺の容姿など凡夫そのものである。個性といったらピンと毛先が跳ねた猫っ毛ぐらいのもので、顔立ちなどは凡庸そのものであった。


 しかしまた、これだけ美しいアイ=ファと並んで立っても、べつだん違和感などは生じない。姿は違えど、これは家族に違いないというような親和性が――それこそ、ジルベとサチのコンビから感じられる一体感のようなものがたちのぼっているように思えてならなかったのだった。


 おたがいに20歳となって、いい加減に身長の発育はストップしたことだろう。森辺で背丈を計測する習慣はないが、俺はドーラの親父さんに追いついたという感触を得ていたので、おそらくこの3年間で6、7センチは身長がのびたのだ。その目算が間違っていなければ、今の俺の背丈は176、7センチ、アイ=ファは173、4センチという見当であった。


 しかし俺はこの3年間でずいぶん骨格がしっかりしてきたし、毎日の労働で筋肉もついてきた。それでもまだまだ細身の部類であろうが、小麦色に焼けた肌と相まって、なかなかの精悍さであったのだ。森辺の狩人とは比較にならないものの、もはや「生白い小僧」と呼ばれるような風体ではなくなっていた。


 いっぽう、アイ=ファは――元来の美しさと逞しさが、均等に上乗せされている。

 アイ=ファの美しさと勇壮さは、切っても切れない関係性にあるのだ。狩人としての精悍さが増せば増すほどに、アイ=ファの凛々しい美しさにはいっそうの磨きがかけられるのだった。


(アイ=ファが狩人の仕事から退いたら、この凛々しさもなくなっちゃうのかな……それはちょっと、想像がつかないな)


 そんな思いが脳裏によぎったが、べつだん俺にとって重要な話ではない。この先、アイ=ファがどのような変容を遂げようとも、俺の思いに変わりはなかった。たとえアイ=ファの美しい顔が無残に傷つけられようとも、そのしなやかな手足が失われようとも――アイ=ファは、アイ=ファなのである。大きく傷ついた狩人の姿を何度となく見届けた末に、俺はそんな思いを固めるに至ったのだった。


「……けっきょくお前の背丈には、追いつけないままであったな。家長を差し置いて、生意気なことだ」


 そんなつぶやきをこぼしつつ、アイ=ファは俺の脇腹をこっそり肘でつついてきた。

 以前にも、姿見の前でそんな言葉を交わしたような覚えがある。半分がたは冗談口であろうが、それなりに本音も入り混じっていそうな――何にせよ、俺の胸は温かくなるばかりであった。


「そういえば、さっきディガ=ドムやラヴィッツの長兄と昔話に興じることになったんだよ」


 祝宴が開始される前にと、俺は報告を済ませておくことにした。

 静かな表情で報告を聞き終えたアイ=ファは、「なるほど」と視線を巡らせる。長椅子のディガ=ドムは、ガズラン=ルティムやラウ=レイと語らっているさなかであった。


「まあ、今さら感謝や謝罪の言葉を告げられる筋合いはない。あやつが私にだけ暴虐な真似を仕掛けたのは、ファの家が孤立していたためであろうしな。逆に言えば、ファの家が力なく見えたからこそ、気弱なあやつも暴虐な真似に踏み切ってしまったというだけのことだ」


「なるほど。なかなか身も蓋もない考察だな。でも、ディガ=ドムが一線を踏み越えずに済んだのは、アイ=ファが返り討ちにしたおかげなんだろうからな。そういう意味では、アイ=ファの強さがディガ=ドムを救ったんだろうと思うよ」


「であればそれも、森の導きだ。今さら取り沙汰する甲斐はなかろう」


 そのように語るアイ=ファは、静謐な表情のままである。

 しかし、ディガ=ドムの思いを軽んじている様子はない。ディガ=ドムの真情をしっかり受け止めた上で、感謝も謝罪も必要ないと断じているのだ、それが、アイ=ファという人間であった。


「それにしても、父と母の馴れ初めが森辺中に知れ渡っていたとはな。べつだんそれを忌避する理由はないが……いささかならず、奇妙な心地だ」


「うん。でもそれだって、20年以上も前の話なんだからな。そんな話を蒸し返そうとするのは、ラヴィッツの長兄ぐらいだろうと思うよ」


「まさしくな。まったく、食えぬやつだ」


 そうしてアイ=ファが苦笑を浮かべたとき、ようやくレイナ=ルウたちも控えの間に参上した。

 森辺から招待された38名と2頭が、ここに集結したのだ。婚儀の祝宴は、もう目の前に迫っているはずであった。

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