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異世界料理道  作者: EDA
第九十二章 慶祝の黄の月(下)
1587/1688

サトゥラス伯爵家の婚儀③~語らいの場~

2025.2/5 更新分 1/1

 俺たちがファの家で待機していると、アイ=ファよりも先にディンとザザの荷車がやってきた。

 ザザの血族から祝宴に参ずるのは、トゥール=ディンとゼイ=ディン、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザ、ディック=ドムとモルン・ルティム=ドム――そして、レム=ドムとディガ=ドムである。


 おおよその面々はもはや祝宴の常連という風格であるが、ただひとりディガ=ドムだけは初めての参席だ。一人前の狩人に認められたディガ=ドムはギバの頭骨をかぶった勇壮なる姿であったが、ここ最近では珍しいぐらい頼りなげに目を泳がせていた。


「よ、よう、アスタ。ひさしぶりだな。元気そうで、何よりだ。……きょ、今日はよろしくお願いするよ」


「はい。ディガ=ドムと一緒に城下町の祝宴に参席できるなんて、感慨深いですね」


「お、俺は感慨深いどころの話じゃないけどな。でも、家長が決めたことだから、なんとか役目を果たせるように力を尽くすつもりだよ」


 ギバの頭骨の上顎の陰で、ディガ=ドムははにかむように笑う。

 すると、彼の相方であるレム=ドムが「ふふん」と鼻を鳴らした。


「どうやら、尻を蹴り飛ばす必要はないようね。ただ、あなたを祝宴に招いたのは、家長じゃなくジェノスの貴族たちよ?」


「そ、それを了承したのは家長なんだから、俺は家長の判断を信じるよ。……本当に、どうして俺なんかがこんな大層な役目に選ばれたんだろうなあ」


「そんな話は、これまでさんざんされてきたでしょうよ。やっぱり尻を蹴りあげてやろうかしら」


 ディガ=ドムが、参席者に選ばれた理由――それは、トゥラン伯爵家およびバナーム侯爵家との関係性が重んじられたためである。本日はバナーム侯爵家のアラウトも参席する予定であったので、せっかくならばディガ=ドムをレム=ドムの付添人にしては如何かという打診をかけられたわけであった。


 以前にディガ=ドムがドムの氏を授かった際には、アラウトとリフレイアが儀式の場に招かれている。かつてはスン家とトゥラン伯爵家が共謀してバナーム侯爵家の使節団を襲撃したと見なされており――そして彼らは、それぞれ被害者と加害者の縁者なのである。それで、いっそう正しい関係を結びなおさなくてはならないという意識が芽生えたわけであった。


(それであれは、ジェノスそのものに関わる大事件だったからな。サトゥラス伯爵家の人たちも、リフレイアたちのご縁を決して軽んじていないっていうことなんだろう)


 何にせよ、ディガ=ドムが城下町の祝宴に招かれるというのは、喜ばしい話である。俺がその感慨を噛みしめていると、またディガ=ドムが笑いかけてきた。


「最初はなかなか覚悟が固まらなかったんだけどさ。ちょっと前にはドッドだって大役を果たしていたんだから、俺が尻込みするわけにはいかないって思いなおしたんだよ」


 ドッドはかつてトトスの早駆け大会たる『烈風の会』で優秀な成績をおさめたため、祝賀の宴に招待されることになったのだ。あの日はドッドが自分だけ城下町の祝宴に招かれたことを、ずいぶん気に病んでいたものであった。


 なおかつ、ドッドにはそういう実績があったため、今回もディガ=ドムともども参席者の候補に挙げられていたのだという。しかし、本人が活躍した『烈風の会』はまだしも、いまだ一人前ならぬ身でたびたび祝宴に参席させるよりはと、ディガ=ドムのほうが優先されることになったのだ。


 もちろんそのように取り決めたのは、グラフ=ザザを筆頭とする北の一族の面々である。もはやドッドはかつての罪を贖ったと見なされているが、半人前の氏なき家人であるという事実に変わりはないのだ。剣の指南と賊の撃退というふたつの功績を持つレム=ドムとは、やはり扱いが異なってしまうようであった。


「理想を言えば、ドッドもご一緒したかったですよね。でも、ドッドだったらすぐに一人前の狩人に認められるはずです。俺も、その日を楽しみにしていますよ」


「ああ。あいつが聞いたら、泣いて喜ぶよ」


 そのように語るディガ=ドムこそ、今にも涙をにじませそうな目つきであった。

 そこでジルベが、「わふっ」と嬉しげな声をあげる。ギルルの荷車に乗ったアイ=ファが、颯爽と戻ってきたのだ。


「ザザの者たちも来ていたか。すっかり待たせてしまって、申し訳なかった」


「時間は有り余っているのだから、急ぐ必要はなかろうよ。忘れ物などないように、入念に準備を整えるがいい」


 鷹揚に答えたのは、ゲオル=ザザだ。またトゥール=ディンとともに祝宴に参席できるので、ご満悦であるのだろう。アイ=ファは「うむ」と応じてから、俺に向きなおってきた。


「私はこのまま、ギルルの手綱を引き受けよう。ジルベたちの支度を忘れぬようにな」


「了解。それじゃあ、みんなを呼んでくるよ」


 俺は母屋で待機していたユン=スドラたちに声をかけつつ、棚からジルベの宴衣装を取り出した。2枚の綺麗な織物に、ふた組の勲章である。こちらの織物も勲章とともに授与された品であるので、城下町の祝宴に招待されるたびに持参しているのだった。


「それじゃあみなさんも、荷車にどうぞ。ギルルの荷車には2名、ファファの荷車には6名でお願いします」


「では、ジョウ=ランとユーミ=ランがアスタたちの世話になるがいい」


 ライエルファム=スドラのひと言で、俺はラン家の若夫婦と同乗することになった。こちらはジルベとサチも乗車するので、2名までとさせていただいたのだ。

 ファファの荷車には、ライエルファム=スドラとユン=スドラ、マルフィラ=ナハムとラヴィッツの長兄、レイ=マトゥアとガズの長兄が乗り込む。ザザの血族と合わせて18名と2頭、4台の荷車を駆使した大所帯であった。


「いやー、城下町は初めてじゃないけど、森辺から向かうっていうのは新鮮な気分だなー」


 アイ=ファが運転する荷車で揺られながら、ユーミ=ランはしみじみとそう言った。にこにこと笑いながら隣に控えていたジョウ=ランも、「そうですね」と相槌を打つ。


「そして俺は、誇らしい気持ちでいっぱいです。今日はどのような宴衣装が準備されているのか、楽しみなところですね」


「ははん。ま、あたしが着飾れるのはもう城下町だけだからね。そんなしょっちゅう招かれることはないだろうから、せいぜい目に焼きつけておくといいさ」


 ユーミ=ランは気安く答えてから、俺のほうに向きなおってきた。


「で? アスタはなんで、そんな珍妙なものでも見るような目つきでこっちを見てるのさ?」


「あ、いや……ジョウ=ランは婚儀を挙げても、口調が変わらないんだね」


 ジョウ=ランは「口調?」と小首を傾げた。


「うん。ガズラン=ルティムもジョウ=ランと同じように礼儀正しい口調だけど、伴侶に対してだけは気さくな口調になるんだよ」


「ああ、なるほど。でも俺は誰に対してもこういう口調なので、ユーミにだけあらためるという心持ちにはなりませんでした。……あらためたほうが、望ましいですか?」


「べっつにー。あんたに横柄な口を叩かれたら、慣れるのに時間がかかりそうだしねー」


 ユーミ=ランが笑うと、ジョウ=ランも笑った。

 俺が知っている通りの、気安いやりとりである。だけどやっぱりおたがいを見つめる瞳には、これまで以上の温もりが宿されているように思えてならなかった。


「で、向こうについたらどうするの? 着替えやら浴堂やらで時間をくうんだろうけど、それでも一刻以上は余りそうじゃない?」


「うん。早めに到着できるようだったら、語らいの場に参加してほしいって言われてるんだよ。今日は普段ほどの人数じゃないから、語らいの場も物寂しいみたいだね」


 本日、朝から城下町に出向いているルウの血族の狩人は、10名ていどという話であったのだ。その内の半数は護衛役として厨に付き添うので、日中の語らいに参加できるのはほんの数名であるとのことであった。


「ふーん。うっかり失礼な口を叩かないように、気をつけないとなー。アスタなんかは、手慣れたもんなんでしょ?」


「城下町の祝宴に招かれるのはだいぶ慣れてきたけど、日中の語らいに参加するのは初めてだね。俺はいつも、調理を受け持ってたからさ」


「あー、そっか。ま、これだけの顔ぶれがそろってたら、心細いことはないね」


 そう言って、ユーミ=ランはまた白い歯をこぼした。

 彼女はおそらくランの代表として城下町に乗り込むことに、一抹以上の責任感を抱いている。しかし、そんな思いも心の然るべき場所に収納して、普段通りの笑顔をさらしているのだろう。それぐらい、ユーミ=ランは懐の深い人間であるはずであった。


 そうして荷車が宿場町に差し掛かると、普段以上の賑わいが伝えられてくる。それに気づいたユーミ=ランは御者台の脇から外の様子をうかがいつつ、「へえ」と声をあげた。


「商売から戻った人らが復活祭みたいな騒がしさだったって言ってたけど、こいつはまさしくだね。さすがサトゥラスの若君の婚儀ってところか」


「うん。やっぱり復活祭以外でこんなに賑わうのは、宿場町でも珍しい話なのかな?」


「少なくとも、あたしは他に覚えがないね。ご当主の婚儀なんてのは、あたしが生まれる前の話なんだろうからさ」


 第一子息のリーハイムがユーミ=ランよりも年長である以上、それが当然の話であろう。そしてユーミ=ランは「それにさ」と言いつのった。


「貴族なんてのはみんな石塀の中に閉じこもって、下々の人間なんかに興味はないって雰囲気だったからさ。あの頃だったら、果実酒がふるまわれる前からこんな騒ぎにはならなかったんじゃないかな」


「ふうん。貴族と領民の間の垣根が、少しばかりは低くなったっていうことなのかな?」


「そりゃーそーでしょ。ま、ジャガルの王子様が宿屋の人間をほいほい城下町に呼びつけてた影響も大きいんだろうけど……その前から、ずいぶん空気は変わってたからね。やっぱ、アスタたちがスン家とトゥラン伯爵家の騒ぎを収めたのが一番大きいんだよ」


「だったらそれは、マルスタインが公正な態度を示したおかげだね。貴族の醜聞を包み隠さず公にすることで、領民の信頼を勝ち取ったんじゃないかな」


 俺はその時代から、空気の変化というものを感じ取っていたのだ。ユーミ=ラン自身、それぐらいの頃から貴族を見る目が変化し始めていたのだった。


「ま、賑やかなのは、けっこうなこったね。……《西風亭》も、今日は大繁盛かな」


 そんな言葉を最後に、ユーミ=ランはもとの場所に座り込んだ。

 時間にゆとりがあるのならば、生家の様子を見ておきたい――などという言葉が口にされることはなかった。ユーミ=ランはそれだけの覚悟をもって、森辺に嫁入りしたのである。


 そうして賑やかな宿場町を通過したならば、目指すは城下町の城門だ。

 俺にとっては本日2度目の来訪であるが、このたびは通行証を出す必要もなく、跳ね橋の手前で立派なトトス車に移動させられる。向かうは、語らいの場である白鳥宮であった。


 やがてトトス車が目的地に到着したところで、荘厳なる鐘の音色が響きわたる。なんだかんだで、下りの四の刻に達してしまったようであった。


「祝宴の開始まで、あと一刻半だね。それじゃあのんびりしていられるのも、あと一刻ていどかな」


「ふーん。浴堂とか着替えとかは、この後なの?」


「うん。みんないつも、このまま白鳥宮に招かれていたね」


 浴堂と着替えが必要になるのは、調理および祝宴の場に足を踏み入れる際のみであるのだ。俺たちは着の身着のまま宮殿の内に案内されて、まずは控えの間に通されることになった。


「みなさま、お疲れ様です。本日はよろしくお願いいたします」


 と、こちらが腰を落ち着ける間もなく、ダレイム伯爵家の侍女シェイラがやってくる。シェイラは俺やアイ=ファに微笑みかけてから、室内の面々に視線を巡らせた。


「ただいまお越しいただけたのは、18名様でございますね? それぞれお部屋にご案内いたしますので、6名様ずつで分かれていただけますでしょうか?」


「だったら俺たちは、ランの両名とご一緒させてもらいたいところだな」


 真っ先に声をあげたのは、ラヴィッツの長兄である。きっと彼も両親たる家長夫妻と同様に、ユーミ=ランのことを気にかけているのだろう。

 では、俺とアイ=ファもそちらにご一緒させていただこうかと考えたが――それより先に、ゲオル=ザザが発言した。


「ザザの血族だけで8名いるので、こちらは4名ずつ分かれるとしよう。小さき氏族の家人は、こちらに2名ずつ加わるがいい」


 するとアイ=ファが、俺のほうに目を向けてきた。

 おそらくは、城下町に招かれる機会の多いユーミ=ランよりもディガ=ドムのほうが気にかかる、という意思表示であろう。ファの家の家人となって3年、それぐらいの以心伝心はお手のものであった。


 ということで、俺たちはドムの組に参加したいと志願をする。

 当然のようにザザとディンの4名が同じ組であり、そちらにはスドラの両名が加わる。あとは自動的に、レイ=マトゥアとガズの長兄がユーミ=ランたちと同じ組になった。


「それでは、こちらにどうぞ」


 俺たちの組は、シェイラの案内で語らいの場へと導かれる。

 俺とアイ=ファ、ディック=ドムとモルン・ルティム=ドム、ディガ=ドムとレム=ドム、そしてジルベとサチのおまけつきという、なかなかユニークな組み合わせだ。これが初めての城下町となるディガ=ドムは毅然と頭をもたげながら、目だけでしきりに周囲の様子をうかがっているようであった。


「ようこそ、森辺の皆様方。お会いできる日を、心待ちにしていました」


 そうして俺たちがとある一室に足を踏み入れると、熱のこもった若者の声が投げかけられてきた。

 声の主はアラウトで、隣にはリフレイアも座している。そしてそれぞれの席の背後には、従者のサイとサンジュラ、侍女のシフォン=チェルが控えていた。


「ディガ=ドム殿がいらっしゃったと聞き及び、真っ先にご挨拶をさせていただきたいと申し立てたのです。ご迷惑ではありませんでしたでしょうか?」


「迷惑なことはない。こちらとて、まずはあなたがたに挨拶をするべきであろうからな」


 ディガ=ドムに代わって、家長のディック=ドムが重々しく応じる。

 アラウトは「そうですか」と、純真かつ熱情的な笑みをたたえた。


「自らも招待客の身でありながら、出過ぎた真似をしてしまいました。祝宴では身をつつしみますので、どうかご容赦ください。さあ、お席のほうにどうぞ」


 アラウトの言葉に応じて、左右の壁際に控えていた侍女たちがしずしずと近づいてくる。すると、ディック=ドムとレム=ドムは疑問の声をあげることなく狩人の衣を脱ぎ、侍女たちに手渡した。


(そうか。ふたりは何度か、語らいの場に参加してるんだもんな)


 さらにディック=ドムは、ギバの頭骨も侍女に預けていた。

 それにならって、アイ=ファとディガ=ドムも身支度を整える。刀は宮殿に踏み入る前に預けていたので、全員が森辺の装束だけを纏った身軽な姿に相成った。


「ディガ=ドムは、おひさしぶりね。以前にお会いしたときよりも、いっそう精悍になられたようだわ」


 こちらが腰を落ち着けるなり、今度はリフレイアが呼びかけてくる。

 ディガ=ドムは懸命に背筋をのばしながら、「ああ」と応じた。


「ドムの家人として恥じ入ることのないように、毎日力を尽くしているつもりだ。……と、俺はやっぱり、貴族に対する口のききかたというものがわからないのだが……」


「かまわないわ。森辺の殿方でいちいち口調をあらためるのは、きっとアスタぐらいだもの」


 と、リフレイアが笑いを含んだ眼差しを俺に向けてくる。


「どうも、恐縮です。……それに、先日の祝宴ではろくにご挨拶ができず、申し訳ありませんでした。リフレイアが気分を害していなかったら、幸いです」


「わたしたちこそ闖入者であったのだから、アスタが気を使う必要はないはずよ。……まあ、物寂しくなかったと言ったら、嘘になってしまうけれどね」


「どうもすみません。あの日は俺も、バタバタしていたもので……」


「だから、いいのよ。アスタにとっては、大切な友人が森辺に嫁入りするという一大事だったのですからね」


 俺が祝宴でお相手できなかったため、リフレイアは機嫌を損ねている――と、ディアルはそんな風に言っていたが、今のリフレイアはきわめて上機嫌であるように感じられた。きっと俺に対する不満より、アラウトやディガ=ドムと再会できた喜びがまさっているのだろう。その色の淡い瞳は、すぐにディガ=ドムのほうに戻されることになった。


「ディガ=ドムは、これが初めての城下町であるのよね? 祝宴にはわたしの後見人であるトルストも参じるので、どうかご挨拶をさせてね」


「あ、ああ。俺は貴族に挨拶をされるような立場じゃないが……誰が相手でも、正しい絆を結びたいと願っている」


「あなたなら、きっと立派に果たせるでしょう。手本となる同胞が、こんなにたくさんいるのだもの」


「ふふん。わたしやディックなんかを見習ったら、とんだ不始末をしでかしそうだけれどね」


 レム=ドムが軽口を叩くと、アラウトが生真面目に「そのようなことはありません」と反応した。


「レム=ドム殿もディック=ドム殿も、それぞれ異なる姿勢でもって貴族との懸け橋になっているものとお見受けいたします。本日も、ご両名の参席を喜ぶ方々が大勢いらっしゃることでしょう」


「そうそう。ロギンなんて、今ごろそわそわしているのじゃないかしら」


 軽口のお返しとばかりに、リフレイアがそんな言葉を口にする。近衛兵団の副団長たるロギンは、レム=ドムの人柄や容姿や剣士としての力量に魅了されているのである。


「大きなお世話としか、言いようがないわね。やっぱりあの厄介なお人も、今日の祝宴に招待されているのかしら?」


「もちろんよ。近衛兵団の副団長であれば、格式は十分以上ですもの。今日はひときわ数多くの人間が招待されているのだから、ロギンがはぶかれることはありえないわね」


「ふうん。けっきょく今日は何人ぐらいの人間が招かれているのかしら?」


「なんと、250名よ。これは、ジェノスの歴史を揺るがす一大事でしょうね」


 その言葉に、モルン・ルティム=ドムが反応した。


「横から失礼いたします。以前には、城下町の祝宴に300名からの人間が招待されたこともあったのではないでしょうか?」


「ええ。だからそれも、ジェノスの歴史を揺るがす一大事であったのよ。要するに、ダカルマス殿下がジェノスの慣例というものを粉砕してしまわれたというわけね」


 最初に300名規模の祝宴が開かれたのは、おそらく試食会の優勝者を祝福する礼賛の祝宴である。俺とトゥール=ディンは、ジェノス史上最大規模の祝宴の主役に祀り上げられたのだった。


「それまでは、祝宴の参席者もせいぜい200名どまりであったのよ。でも、礼賛の祝宴以降、250名から300名に及ぶ祝宴が何度か執り行われることになったわ。そして今日は、それ以降で初めてとなる大がかりな婚儀の祝宴であるというわけね」


「なるほど。婚儀の祝宴で参席者が増えると、何か不都合でも生じるのでしょうか?」


「べつだん不都合というわけではないけれど、伯爵家の第一子息の婚儀で250名の参席者を招待するという前例ができてしまったの。だから今後は、リーハイムと同等以上の身分であればそれ以上の参席者を招かないと、面目が保てなくなるというわけね。……要するに、格式を重んじる貴族にとっては一大事ということよ」


「ふうん。だったら伯爵家の当主であるあなたも、うかうかしていられないというわけね」


 お返しのお返しとばかりに、レム=ドムがそのように言い放った。

 しかしリフレイアは動じた様子もなく、「そうね」と肩をすくめる。


「でも、どれだけ格式を重んじたって、宙から銀貨が降ってくるわけではないもの。トゥラン伯爵家はもっと財政を立て直さないと、そんな大きな祝宴を開くことは不可能ね」


「トゥランは新たな領民を迎え入れてそれなりの日が過ぎましたけど、まだ収益は安定しないのですか?」


 と、俺はレム=ドムが軽口の応酬に励むよりも先に口を開いた。

 リフレイアは悠然としていたが、隣のアラウトがいくぶん気まずそうにしていたのだ。リフレイアの婚儀というのはデリケートな要素を含んでいるはずなので、俺は話題の転換に取り組んだ次第であった。


「そうね。荘園の運営は安定しているし、領民の生活も落ち着いたようだけれど……新たな領民を迎えるにあたっては居住環境を整える必要があったので、そちらの出費がまだ響いているのよ」


 そんな風に答えてから、リフレイアはふっとやわらかく目を細めた。


「そういえば、アスタは今日もトゥランで食事の世話をしてくれたそうね。トゥランの当主として、心からの感謝を捧げさせていただくわ」


「いえいえ。こちらは商売ですので、何も御礼には及びません」


「でも、本来はルウ家の方々が受け持つ日取りであったのに、アスタが肩代わりしてくれたのでしょう? 明日と休業日を入れ替えていたら無用の苦労を背負う必要もなかったのに、アスタはあえて苦労を背負ってくれたのだと聞いているわ」


 ルウ家の面々もこの語らいに参加しているはずであるので、ジザ=ルウやガズラン=ルティムあたりからそんな話を伝え聞くことになったのだろう。リフレイアの瞳には、まごうことなき感謝の気持ちがたたえられていた。


「夜には祝いの肉と果実酒がふるまわれるそうだけど、昼の食事が粗末であったら喜びの思いも半減だもの。きっとトゥランの領民たちは、心から幸福な心地でリーハイムたちの婚儀を祝福してくれるでしょう。だから、ありがとう。あなたには本当に感謝しているわ、アスタ」


「はい。リフレイアにそうまで言っていただけたら、俺も嬉しいです。今日のトゥランの当番はマルフィラ=ナハムで、彼女も語らいの場に参加していますので、よかったらねぎらってあげてください」


「ええ、必ずそうさせていただくわ」


 そうして俺とリフレイアは、笑顔を見交わすことになった。

 そしてリフレイアの背後では、サンジュラとシフォン=チェルも微笑むように目を細めている。リフレイアの喜びは、彼らの喜びであるのだ。俺は思わぬ形で、今日の大仕事の苦労が報われた心地であった。


「いっそうの絆が深まったようで、何よりね。あなたも、自分の役割を果たすのじゃなかったの?」


 と、レム=ドムは軽口の矛先をディガ=ドムに向けた。

 座りなれない椅子に座ったディガ=ドムは、落ち着かない様子で「ああ、うん」と身をよじる。


「だけど俺は、森辺のことしか知らないから……貴族と、何をしゃべればいいんだ?」


「知らないわよ。聞きたいことを聞けばいいじゃない」


「聞きたいってことって言われても……あ、そういえば、俺は婚儀を挙げるふたりについて、なんにも知らないんだよな。リーハイムにセランジュっていうのは、どういう人らなんだろう?」


 ディガ=ドムが誰にともなく語りかけると、リフレイアが興味深そうに振り返った。


「森辺の方々だったら、リーハイムのことはよくよくわきまえているのじゃないかしら? ドムの家で、リーハイムの風聞を耳にする機会はなかったの?」


「ああ、うん。俺が聞いたのは、トトスの早駆けがめっぽう得意だって話ぐらいかな。あとは、その……ルウ家ともめたことがある、とか……」


「ああ、懐かしい話ね。でも、今はルウ家に婚儀の厨を預けるぐらいだもの。わたしたちが気に病む必要はないはずよ」


「うん、そうなんだろうな。サトゥラス伯爵家については、よくない話ばかり聞かされていたから……きちんと絆を結びなおすことができて、よかったと思ってるよ」


 リーハイムは、かつてレイナ=ルウにちょっかいをかけていた。それが起因となって、レイリスの父親とシン・ルウ=シンの間に悪縁が生じたこともあったのだ。

 さらに言うならば、シン・ルウ=シンが目をつけられたのは若き貴婦人から人気を博していたためであり――その貴婦人のひとりが、セランジュであったのだ。

 さらにさらにレイリスと絆を結びなおしたのちには、スフィラ=ザザとの複雑な関係が生じることになった。かえすがえすも、サトゥラス伯爵家とは奇妙な因縁で繋がれていたのだ。


「でも……そんな話はスン家のしでかしたことに比べれば、みんな些細な話なんだろうな」


 ディガ=ドムはのっぺりとした顔に屈託のない笑みを浮かべながら、そう言った。


「俺はやっぱり、あんたがたと絆を結びなおせたことを、心からありがたく思ってるよ。俺みたいに不出来な人間に手を差し伸べてくれて、ありがとう。どんなに謝ったって、魂を返した人間は戻ってこないけど……俺はかつての血族たちが犯した罪を贖えるように、力を尽くすと約束するよ」


「それはわたしもディガ=ドムと同じように、誓いをたてる側の立場ね」


 リフレイアとディガ=ドムに視線を向けられたアラウトは、「はい」と力強く笑った。


「僕もまた、筋違いの恨みにとらわれることなく、心正しく生きていくと誓います。この先も、どうぞよろしくお願いいたします」


 ディガ=ドムに氏が与えられた日と同じように、彼らの眼差しは澄みわたっている。よって俺も、安らいだ心地でそのさまを見守ることがかなったのだった。

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