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異世界料理道  作者: EDA
第九十二章 慶祝の黄の月(下)
1586/1688

サトゥラス伯爵家の婚儀②~宴の前の大仕事(下)~

2025.2/4 更新分 1/1

 城下町の広場に踏み入ると、荷台から降りたレイ=マトゥアが「わあ」と感嘆の声をあげた。


「すごいですね! 本当に、復活祭がやってきたかのようです!」


 レイ=マトゥアが言う通り、そちらの広場は復活祭もかくやという勢いで飾りたてられていた。

 もっとも目につくのはサトゥラス伯爵家の紋章旗で、それ以外にも赤や黄色の旗飾りや花飾りがあちこちに飾られている。さらには澄みわたった歌声や笛の音までもが響きわたり、すっかりお祝いムードであった。


 広場に集まる人影も格段に増えているし、熱気の度合いも宿場町の広場に匹敵するほどである。

 それらの様相を見回しながら、スフィラ=ザザが感慨深げな声をあげた。


「やはり伯爵家の第一子息の婚儀ともなると、これほどの賑わいになるのですね。肉や果実酒がふるまわれるのは夜からと聞いていましたので、日中からこのような騒ぎになっているとは予想していませんでした」


「ああ、夜にはそういった催しも控えているのですよね! ザザの血族からも、人を出すのでしょう?」


「はい。アスタの仕事に大きく関わっていない氏族――ザザ、サウティ、ラヴィッツ、ダイを親筋とする氏族が、ギバの丸焼きをふるまう予定になっています」


 それらの氏族で俺の手伝いをするのは屋台の当番である面々のみであるため、そういった仕事を受け持つことになったのだ。それこそ復活祭の祝日と同様に、森辺に存在する架台がすべてかき集められて、フル回転でギバの丸焼きをふるまうのである。もちろん肉の代金と人件費は、すべてサトゥラス伯爵家の負担であった。


「ジェノス中の人間が、リーハイムとセランジュの婚儀を祝うわけですね! わたしはリーハイムともセランジュとも気安く口をきいてしまっていたので、なんだか恐れ多くなってきてしまいました!」


「確かにわたしたちは、貴族に恐れ入る気持ちが足りていないのでしょう。ですが、そうであるからこそ、絆を深めることができたという面もあるのではないでしょうか? あなたはゲオルのように粗雑な人間でもありませんので、これまで通りに心安くふるまうべきであるように思います」


「そうですか! スフィラ=ザザにそう言っていただけたら、とても心強いです!」


 レイ=マトゥアに真っ直ぐな笑顔をぶつけられたスフィラ=ザザは、またいくぶん頬を赤くしながらそっぽを向く。どうもレイ=マトゥアが有する無邪気な妹気質というものが、スフィラ=ザザの微笑ましい一面を引き出すようであった。


「だけど本当に、大した騒ぎだね。レイナ=ルウを手伝う女衆の何人かは、夜になったらこの広場に集まる手はずなんだろ?」


 バルシャに問いかけに、俺は「そうらしいですね」と答える。


「でも、あまり詳しく話をうかがう機会がありませんでした。むしろバルシャのほうが、詳細をわきまえているのではないですか?」


「あたしやミケルは留守を守る役割だから、そんなに聞き耳を立てちゃいなかったのさ。ただ、狩人の何人かはそのかまど番の付き添いとして城下町に向かう手はずになってるね」


 普段であれば、祝宴に参席できないかまど番は別室で食事をとることになる。しかし本日はせっかくの機会であるということで、夜の広場の見物が許されたのだ。そちらに参加するかまど番も付き添いの男衆も、みんな1日限りの通行証が発行されるわけであった。


「ガズやマトゥアでは、数多くの家人が宿場町に下りる予定になっています! きっとどの氏族でも、そのように取り計らうのでしょうね!」


 そのように告げてきたのはレイ=マトゥアであり、ガズの女衆は昂揚した面持ちで広場中に視線を巡らせている。彼女は初めて自らの足で踏み入った城下町の広場で、いきなり常ならぬ賑わいを目にすることになったわけであった。


「これなら料理も、いつも以上の勢いで売れるのではないですか? ……あ、でも、屋台の数もいつも以上であるようですね!」


「うん。それに、こっちは最大限に手際よく仕事を回してるつもりだからね。たとえお客の勢いが増しても、終業時間に変化はないはずだよ」


 そんな言葉を返しつつ、俺の心もじわじわと広場の熱気に影響されつつあった。俺たちは復活祭を迎えるような心持ちで今回の大仕事に取り組んでいたが、本当に復活祭めいた賑わいが待ち受けているとは考えていなかったのだ。これは、嬉しい誤算というものであった。


 広場のあちこちには旅芸人と思しき面々が立ち並び、歌や楽器の演奏を披露している。そういえば、傀儡使いのリコたちも今日にあわせてジェノスに戻ってくるつもりだと言い残していたのだ。旅芸人として世情に通じているリコたちのほうが、俺たちよりも正しくこの図を予見していたのだろうと思われた。


 そうして賑やかな広場を抜けて屋台の貸出屋まで出向いてみると、ちょうど別なる人間が同じ屋台を引いて広場に向かうところとすれ違った。どうやら本日は、貸出屋も大繁盛のようである。


「いらっしゃいませ。本日は広場もずいぶんな賑わいなようですね。さすがはサトゥラス伯爵家のご嫡子のご成婚です」


 貸出屋の主人はいつも通りの落ち着いた笑顔で、俺たちを出迎えてくれた。


「そしてそのご成婚の祝宴では、先日ご来店いただいたレイナ=ルウ様が宴料理を準備なさるそうですね。かねてより噂は伝え聞いておりましたが、そのような御方と商売できるのは栄誉な限りです」


「はい。そういった風聞は、町にまで流れているのですね」


「もちろんです。貴き身分の方々でも、随所で市井の人間と交わっておられるのですからね。人の口に戸を立てることはかないません」


 そんなやりとりを経て、屋台を借り受けた俺たちは再び広場を目指すことになった。

 屋台を広げるスペースには、確かに普段以上の屋台が出店している。しかしそのぶん通行人の数も増加しているので、客足を心配する必要はないだろう。何にせよ、俺たちは業務を遂行するのみであった。


 そうして、いざ商売を開始してみると――やはり、普段以上の勢いである。

 それでも宿場町のように殺伐とした空気は生まれないが、熱量はまったく負けていない。普段以上の行列ができたので、交通整理の衛兵たちも大わらわだ。俺はむしろ、宿場町はどのような騒ぎになっているのだろうと心配することになってしまった。


(でもユン=スドラたちだったら、問題なく乗り越えてくれるだろう)


 そんな風に思案していると、突如として「おつかれさまー!」という元気な声が響きわたった。こちらの常連客たるディアルとラービスがやってきたのだ。


「いやー、なんだかすごい騒ぎだね! 今日は朝から商談で閉じこもってたから、こんな騒ぎになってるなんて知らなかったよー!」


「うん。リーハイムの身分を思い知らされた心地だね」


「あはは! 今ごろ、緊張でがちがちになってるところかなー! それじゃあ、また祝宴でね!」


『麻婆まん』を受け取ったディアルとラービスは、早々に立ち去っていく。この客足では、立ち話もままならないのだ。その後も料理店の関係者などがちらほら姿を見せてくれたが、挨拶以上の言葉を交わすことは難しかった。


 かくして、二刻半に及ぶ営業時間はあっという間に流れすぎ、俺たちは定時ですべての料理と菓子を売り切ることに相成った。

 新商品たる『麻婆まん』の評価は、いかなるものであったのか。それを確かめるすべもない。まあ次回からは『香味焼きのポイタン巻き』が復活するので急ぐ必要はなかったが、今後の献立の変更に備えて少しばかりはリサーチしておきたいところであった。


「まあ、今日はけっこう料理店の関係者も来てくれたから、のちのちご感想をうかがいたいところだね。それじゃあ屋台を返して、戻ろうか」


 3名のかまど番たちは、充足しきった面持ちで「はい」と応じる。スフィラ=ザザなどはまだしもポーカーフェイスであったものの、初の参加となるガズの女衆はまだ熱情が有り余っているように見受けられた。


「なんだか、何を考える間もなく終わりを迎えてしまった心地です。わたしは何か、不始末をしでかしていなかったでしょうか?」


「まったくもって、問題なかったよ。そっちこそ、何かやりづらさとかはなかったかな?」


「いえ。献立は温めなおすだけの内容でしたし、木皿を集める必要もありませんので、宿場町の商売よりもむしろ安楽であったように思います」


「そうですね」と声をあげたのは、スフィラ=ザザであった。


「また、お客につつましい人間が多いため、そういう意味でも安楽であるかと思われます。今後はアスタも、他なるかまど番にこちらの仕事を一任して問題ないのではないでしょうか?」


「そうですね。黄の月の間にもう一回営業日がありますので、それをやりとげてから判断しようかと思います。……スフィラ=ザザは、このまま当番を継続する形で問題ありませんか?」


「はい。わたしは城下町の様相を見定めるために、しばらく手伝いをさせていただきたく思っています」


 そんな言葉を交わしている間に貸出屋に到着したので、俺たちは屋台を返却し、宿場町を目指すことになった。

 しかしこちらも定刻まで存分に働けるようになってからは、宿場町に到着するのも下りの二の刻を超えてからとなる。俺たちが辿り着いた頃にはすっかり後片付けも終了して、今まさに帰路を辿ろうとしているさなかであった。


「ああ、ぎりぎり間に合ったね。今日の商売は、どうだったかな?」


「はい。まるで復活祭さながらでした。料理は早々に売り切れたのですが、食堂に居残るお客が多かったもので、ようやく後片付けが済んだところです」


 ユン=スドラもまた充足しきった面持ちで、そんな風に答えてくれた。


「往来の賑わいも、ご覧の通りです。昨日、わたしたちが森辺に戻った後に、数多くの人間がジェノスにやってきたということなのでしょうね」


 ユン=スドラの言う通り、宿場町の往来も大いに賑わっていた。それに、果実酒のふるまいは夜になってからのはずであるのに、昼から酒を召している人間も少なくないようだ。それもひとえに、お祭り騒ぎに感化された結果なのだろうと思われた。


 行き道には気づかなかったが、こちらでもあちこちに紋章旗や旗飾りが出されている。宿場町こそサトゥラス伯爵家の領土であるので、町をあげての騒ぎであるのだろう。城下町とは比較にならないほどの、粗野なる賑わいであった。


「これで果実酒やギバの丸焼きまでふるまわれたら、いっそうの騒ぎになるだろうね。帰り道は、くれぐれも気をつけな」


 バルシャも肩をすくめながら、そんな風に言った。


「だけどまあ、かまど番と同じ人数の狩人が付き添うんだから、そんな心配はいらないか。じゃ、あたしらもおかしな騒ぎに見舞われないうちに、さっさと帰るとしよう」


「はい。よろしくお願いします」


 そうして俺たちは宿場町の一行と合流して、賑やかな往来に足を踏み出した。

 その道中で、俺はトゥランの商売を取り仕切ってくれたマルフィラ=ナハムにも声をかけておく。


「トゥランのほうは、どうだったかな? そっちは普段通りに畑仕事の昼休みだっただろうから、大きな変化はなかっただろうと思うんだけど」


「は、は、はい。しょ、商売そのものに変わりはありませんでした。た、ただ、あちらでも夜には果実酒やキミュスの肉がふるまわれるそうで、みなさん楽しみにしておられるようでした」


 と、マルフィラ=ナハムはふにゃんと微笑んだ。きっとそれらの人々の楽しげな姿に、心を温かくすることになったのだろう。


「トゥランでも、お祝いの品がふるまわれるんだね。さすがサトゥラス伯爵家は、気前がいいなあ」


「は、は、はい。ちょ、長兄の婚儀というのは当主の婚儀の次におめでたい話ですので、家の威信をかけてでも盛り上げる必要があるのだろう、と……こ、これは、トゥランの畑を管理しておられる御方のお言葉です」


「なるほど。何にせよ、みんなこんなに喜んでいるんだから、ありがたい話だね」


 これもひとえに、貴族としての威信を重んずるルイドロスの心意気および愛息を思う親心の成果であろう。これでひとりでも多くの人間がリーハイムとセランジュの婚儀を祝福してくれれば、幸いな話であった。


 そうしてこちらでも屋台を返却したならば、いざ森辺に帰還である。

 ルウの集落に到着すると、一転してのどかな雰囲気だ。この刻限には幼子たちが駆け回っているので朝方ほど閑散とはしていないものの、やはり普段よりはつつましい様相であった。


「よし。あたしの役目は、終了だ。それじゃあ、夜もしっかりとね。マイムたちを、よろしくお願いするよ」


「はい。どうも、お疲れ様でした。ミーア・レイ=ルウにも、よろしくお伝えください」


 そうして俺がバルシャからギルルの手綱を受け取ると、遠からぬ場所から「あっ」という可愛らしい声が聞こえた。

 そちらを振り返ると、コタ=ルウが木陰でもじもじとしている。幼子はあまりトトスに近づかないようにと言いつけられているため、こちらに駆け寄ってくることもできないのだろう。それに気づいたらしいバルシャが、にやりと笑いながら手綱を取り戻した。


「未来の族長様が、アスタに挨拶したいらしいね。よかったら、応じてやっておくれよ」


「それでは、つつしんで」


 ここ最近は、なかなかコタ=ルウと親睦を深める機会がなかったのだ。俺が笑顔で近づいていくと、コタ=ルウもぱあっと顔を輝かせてくれた。


「やあ、コタ=ルウ。今日はひとりで遊んでたのかな?」


「うん。むし、おいかけてた」


 コタ=ルウも4歳になったので、ついに多少の単独行動を許されるようになったのだ。もちろん行動範囲は集落の広場に限られていたが、コタ=ルウの成長には大きな感慨を抱かされてやまなかった。


「そっか。今日はリミ=ルウたちもいないから、ちょっぴり寂しいだろうね」


「ううん、だいじょうぶ。さっきは、ドンティとあそんできたよ。ルディは、かあとおひるねしてる」


「うんうん。さすがコタ=ルウは、立派だね」


 俺は膝を折って目線の高さを合わせつつ、コタ=ルウの小さな頭を撫でてあげた。

 コタ=ルウは嬉しさと気恥ずかしさを等分ににじませながら、にこりと笑う。幼子らしいあどけなさは損なわないまま、コタ=ルウもどんどん成長しているように感じられた。


「今日は宿場町も城下町も、けっこうな騒ぎだったよ。来年になったら、コタ=ルウも一緒に楽しもうね」


「うん、たのしみ。……アスタは、きをつけてね?」


「うん。ジザ=ルウたちがいるから、こっちは心配いらないよ」


 こんな取り留めもない言葉を交わしているだけで、俺は温かい気持ちになっていく。それもひとえに、純真にして聡明なるコタ=ルウのおかげであろう。俺が知る森辺の幼子はみんな愛くるしくてならなかったが、その中でもコタ=ルウというのはちょっと特別な存在であったのだった。


(未来の族長様、か……ドンダ=ルウの後にジザ=ルウとコタ=ルウが控えてたら、ルウ家も森辺も安泰だな)


 そんな感慨を抱くのも、これが初めてのことではない。そして、数十年も先の行く末に安心できるというのは、心強い限りであった。


「それじゃあ、もう行くね。また明後日には、顔を出すからさ」


「うん。いってらっしゃい」


 コタ=ルウはまるで家族を見送るように、俺を見送ってくれた。

 あらためて手綱を受け取った俺は、ファの家を目指す。荷台に乗っているのは祝宴の参席者であるユン=スドラとレイ=マトゥアとマルフィラ=ナハムで、あとは家に送っていく都合でガズとダゴラの女衆も乗せていた。


 まず目指すべきは、ガズの集落である。そちらに到着すると、ルウの集落と同じように幼子たちが駆け回っており、そして本家の前では長兄が薪割りに励んでいた。


「おお、戻ったか。世話をかけるが、今日もよろしくお願いする」


 彼は祝宴における、レイ=マトゥアの付添人である。そして彼の妹であるガズの女衆は、頬を火照らせながら荷台から飛び降りた。


「兄さんも、お疲れ様。わたしは無事に仕事を果たすことができたから、兄さんも頑張ってね」


「うむ。なるべく多くの人間と絆を深められるように、力を尽くすとしよう」


 ガズ本家の兄妹は、どちらも純真かつ温和な人柄である。ディンの本家などと同じように、厳格な父ではなく温和な母に似たようであるのだ。そう考えると、家長と長兄が似た気質をしている氏族というのは、例が少ないのかもしれなかった。


(そんな考察ができるぐらい、俺も色んな氏族とご縁が深まってきたっていうことだな)


 森辺においても城下町においても、祝宴に参席するのはおおよそ本家の家長か長兄であるのだ。それで俺も、数多くの氏族の家長と長兄を見知ることができたわけであった。


「それじゃあ、出発しましょう。まずは、ダゴラの家に寄らせていただきます」


 妹の代わりに兄を乗せて、次はダゴラの集落である。徒歩でも無理なく行き来できる距離であるが、こちらも時間にゆとりがあったので家まで送り届ける約束をしていたのだ。


「そちらも今まで、狩人の仕事を果たしておられたのでしょう? それなのに、薪割りの仕事まで受け持ったのですか?」


 道中でレイ=マトゥアが問いかけると、ガズの長兄は普段通りのおおらかさで、「うむ」と応じた。


「森に出たのは二刻ていどだし、猟犬のおかげで刀をふるう機会もなかったので、力が有り余っていたのだ。どうせ城下町では浴堂というものを使わされるのだから、どれだけ汗をかいてもかまわないだろうしな」


「そうですか。そういえば、つがいになった雌犬の様子はいかがです?」


「昨日の今日では、まだ子を孕んだかどうかは判ずることもできん。しかし、大いに期待をかけたいところだな」


 もとより彼らは血族であるし、祝宴ではペアになることも多いので、実に親しげな様子である。

 そうしてダゴラの女衆をも送り届けたならば、あらためてファの家に出発だ。

 しかしファの家に到着しても、まだ腰を落ち着けることは許されない。留守番をしていた母犬のラムと子犬たち、および白猫のラピをフォウの集落に預けなければならないのだ。子犬たちが大きくなって日中の留守番には問題もなくなっていたが、夜の食事が必要になる日にはやっぱりフォウの家を頼る他なかったのだった。


 ファの家に到着したならばユン=スドラたちを母屋に案内して、人間ならぬ家人たちを荷台に移動させる。

 ジルベとサチも同乗させたが、こちらは祝宴の参席者だ。本日は森辺の招待客も厳選されていたのに、ジルベたちはまたしても招待の栄誉に預かったのである。まあ、ジルベたちは宴料理の頭数に入らないし、これまでの祝宴で大きな人気を得ていたので、婚儀の賑やかしとして招待されたのだろうと思われた。


「ああ、アスタ。今日の商売は、どうだったね?」


 フォウの集落に到着すると、バードゥ=フォウの伴侶が笑顔で出迎えてくれた。

 朝方はトゥランの商売の下ごしらえで賑わっていたはずだが、今はのんびりとした雰囲気だ。休業日の前日は、誰もが平和な昼下がりを満喫できるのだった。


「はい。みなさんのおかげで、トゥランの商売も問題なく完了しました。宿場町と城下町は、復活祭のような賑わいでしたね。……まあ、城下町が復活祭でどれだけ賑わうのかは、俺も知らないのですけれど」


「へえ、そいつは夜も楽しみなところだね。あたしは留守番だけど、家長や若い家人はこぞって宿場町に下りるみたいだからさ」


 やはりフォウでも、そのように取り決められたのだ。森辺の同胞がギバの丸焼きをふるまうとあっては、やはり看過できないのだろう。それに本日は、毎年必ずやってくる復活祭よりもいっそう希少な催しであったのだった。


「それじゃあ、ラムたちをよろしくお願いします。……ジョウ=ランたちは、まだですか?」


「いや、かまど小屋で他の女衆らと語らってるはずだよ。アスタが来たことは、とっくに気づいて――ああ、来た来た」


 母屋の裏手から、ジョウ=ランとユーミ=ランがやってきた。祝宴の参席者である彼らも、こちらで送迎する手はずであったのだ。


「アスタ、ありがとうございます。本日は、よろしくお願いします」


 まずはジョウ=ランが、のんびりと笑いかけてくる。

 律儀な彼は、祝宴の翌日にファの家まで挨拶に出向いてくれた。しかし、ユーミ=ランと居揃っている姿を目にするのは、婚儀の祝宴以来である。それで俺が感慨を噛みしめていると、ユーミ=ランが「どうしたの?」と小首を傾げた。


「いや、ふたりが居並んでる姿が、すごく感慨深くてさ。……ふたりは本当に、夫婦になったんだねぇ」


「何それ? 婚儀から何日たってると思ってるのさ」


 ユーミ=ランは羞恥に頬を染めることなく、白い歯をこぼした。

 婚儀から何日たっているかというと、実に一週間である。それならば本人たちはすっかり新生活に慣れてきたところであろうが、それを目にする機会もなかったこちらはそういうわけにもいかなかった。


「それじゃあ、ラムたちをよろしくお願いします。じきにアイ=ファも、ブレイブたちを預けに来るはずですので」


「ああ。そっちも、気をつけてね」


 ジョウ=ランとユーミ=ラン、ジルベとサチだけを荷台に乗せて、俺はファの家に舞い戻る。するとそちらでは、玄関の前にアイ=ファが待ちかまえていた。


「あれ? おかえり、アイ=ファ。でも、帰りがけにフォウの集落に立ち寄って、ブレイブたちを預けるんじゃなかったのか?」


 アイ=ファの足もとには、ブレイブとドゥルムアが居揃っている。それらの頭を撫でながら、アイ=ファは「うむ」と首肯した。


「わけあって、スドラの集落に立ち寄ることになったのだ。ライエルファム=スドラも、すでに参じているぞ」


「え? なんのために、スドラの集落に?」


「森から戻る帰りしなに、新たなギバを捕らえてしまったのだ。肉の処置をする時間もなかったので、牙と角と毛皮を引き換えに処置を頼むことにした。ブレイブたちのこともあったので、フォウの家に頼むべきかとも思ったのだが……スドラはライエルファム=スドラばかりでなく全員が仕事を切り上げるという話であったので、ちょうどよかろうと思ってな」


 すると、母屋の玄関口からライエルファム=スドラもひょこりと顔を覗かせた。


「アイ=ファが2頭ものギバを担いでいるところに出くわして、俺は仰天させられたぞ。まさかこのようにわずかな時間で、2頭ものギバを仕留めるとはな」


「片方は自ら罠に掛かっていたので、どうということもない。それを担いで帰る道行きで、飢えたギバと出くわしただけのことだ」


 なんでもないことのように言いながら、アイ=ファは手を差し出してきた。


「そういった理由で、ブレイブとドゥルムアはこれから預けてくる。客人の世話は、任せたぞ」


 ということで、ギルルはまた同じ道を辿ることに相成った。

 俺は玄関の前にたたずんで、ライエルファム=スドラとともにその姿を見送る。そうして荷車の姿が見えなくなると、ライエルファム=スドラはしみじみと息をついた。


「アイ=ファはあのように言っていたが、やはり大した手腕だ。思わぬ場所で飢えたギバと出くわしながら、きちんと血抜きの処置まで施していたのだからな。それは心を乱すことなく、的確な所作でギバを仕留めた証拠に他ならない」


「そうですか。さすがは、アイ=ファですね」


「うむ。このたびは雨季のさなかであったので、収穫祭を開くこともできなかったが……もしも力比べを行っていたならば、アイ=ファはいくつもの草冠を授かっていたかもしれん。アイ=ファはいまだ20歳の若年だが、今こそが狩人としての盛りであるのかもしれんな」


 俺は生誕の日のやりとりを思い出して、ドキリとしてしまう。

 するとライエルファム=スドラは、さまざまな感情の入り混じった眼差しを俺に向けてきた。


「アイ=ファは、卓越した力を持つ狩人だ。俺はアイ=ファの友として、誇らしい限りだが……あれではなかなか、刀を置こうという心持ちにはなれんかもしれんな」


「いえ、それはいいんです。俺は、アイ=ファが心のままに生きることを願っていますので」


「しかし――」と言いかけたライエルファム=スドラは、ふいに探るような目つきに変じた。

 そしてその眼差しが、すぐにやわらかなものに切り替えられる。


「……そうか。俺はまた、出過ぎたことを口にしてしまったようだ。俺はアスタとアイ=ファが幸福な行く末を迎えることを願っているし……アスタたちならば正しい道を選ぶと信じているぞ」


「はい。ありがとうございます」


 ライエルファム=スドラはことあるごとに、俺とアイ=ファは婚儀を挙げるべきだと主張していたのだ。もちろんそれは森辺の習わしを押しつけようという意味合いではなく、ひとえに俺たちの幸福を願っているがゆえであった。


 だけど俺はアイ=ファの判断を信じているし、きっとライエルファム=スドラは俺の判断を信じてくれたのだろう。この優しげな眼差しには、そういう思いが込められているように思えてならなかった。


 そこに新たな荷車が駆けつけて、御者台からラヴィッツの長兄が「待たせたな」という声を投げかけてきた。

 荷車は今日の大仕事でおおかた出払っていたので、彼はリリ=ラヴィッツたちの帰りを待ち受けていたのだ。そしてリリ=ラヴィッツたちはルウの集落に立ち寄ることなく帰還して、すぐさま彼にファファの手綱を託したのだった。


 あとはアイ=ファさえ戻ってくれば、小さき氏族から祝宴に参じる人間も勢ぞろいである。

 刻限は、おおよそ下りの三の刻――婚儀の祝宴の開始まで、残すところは二刻半ていどであった。

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