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異世界料理道  作者: EDA
第九十二章 慶祝の黄の月(下)
1583/1696

生誕の日②~フォウ家の勉強会~

2025.1/17 更新分 1/1 ・1/18 一部文章を修正いたしました。

 その後は何事もなく時間が過ぎて、屋台の商売は終了した。

 営業日の2日目である本日はもともとルウ家で勉強会の予定であったが、現在はそちらも婚儀の祝宴の下準備で大わらわである。


 さりとて、ファの家に向かうことは許されない。本日だけは、ファの家のかまど小屋もアイ=ファの貸し切りであるのだ。


 そうして俺が勉強会の会場に選んだのは、フォウのかまど小屋であった。

 トゥランの商売を受け持つ期間はそちらもなかなかの大賑わいであるはずだが、現在はちょうどルウ家が受け持つ期間である。フォウはひときわ立派なかまど小屋を備えているし、ファの家からも近かったので、うってつけであった。


 そしてもちろんもう一点、俺は期待をかけていることがあり――フォウのかまど小屋に向かってみると、その期待が報われた。フォウの血族のかまど番の中に、ユーミ=ランもひっそりと控えていたのである。


「やあ。ユーミ=ランも、参加できることになったんだね」


「うん。なんだかちょっと、気が引けちゃうけどね」


 ユーミ=ランは気まずそうに笑っていたが、他の面々は温かな眼差しで見守っている。ユーミ=ランが嫁入りして、これで4日目であるのだ。まだまだ学びのさなかであっても、ことさら俺から遠ざける理由はないはずであった。


「トゥランの仕事を手伝ってる間は、なかなか勉強会まで人手を出せないからねぇ。ひさびさの勉強会に期待して、こんなに女衆が集まっちまったよ」


 家長バードゥ=フォウの伴侶たる女衆が言う通り、その場には10名以上の女衆が集結していた。フォウ、ラン、スドラのかまど番たちだ。屋台のメンバーもおおよそ同行していたので、総勢30名近い大所帯であった。


「この人数だと、3組ぐらいに分けるべきでしょうね。ユン=スドラと……あとは、トゥール=ディンに取り仕切り役をお願いできるかな?」


 本日は、ここ最近の修練の成果をおさらいする手はずであったのだ。ユン=スドラはにこやかに、トゥール=ディンはおずおずと、それぞれ「はい」と応じてくれた。


 ユン=スドラのサポートにはラッツの女衆、トゥール=ディンにはレイ=マトゥアとマルフィラ=ナハムをつけて、俺の組はクルア=スンやリリ=ラヴィッツだ。残るメンバーとフォウの血族も適当に分かれてもらったが、ユーミ=ランは若い娘さんたちに腕を引っ張られて俺の組に加わった。


「えーと……あたしもこっちにまぜてもらって、いいのかなぁ?」


「うん。ユーミ=ランもだいぶ森辺に馴染んできた感じがするけど、俺に対しては腰が引けてるよね」


「やっぱりそれは、アスタに甘えちゃいけないって気持ちが出てくるんだよ。アスタは、頼もしすぎるからさ」


「あはは。それは、光栄な話だね。心配しなくても、ユーミ=ランをひいきしたりはしないさ」


「そんな心配はしてないけど、アスタが相手だとどうしても軽口を叩いちゃうからさ」


 そう言って、ユーミ=ランは彼女らしい朗らかさで白い歯をこぼした。

 フォウの血族の取り仕切り役として、バードゥ=フォウの伴侶もこちらの組に加わる。すべての組が、10名ていどの人数だ。俺たちは、本家のかまど小屋にお邪魔することになった。


「最近はセルフォマからの要請で、南の王都の食材の扱い方を見直していたんですよ。そのいくつかをご教示しようかと思うんですが、如何でしょう?」


「こっちは、なんでもかまわないさ。ここ最近は、新しいことを学ぶ機会もなかったからね」


 トゥランの商売の下ごしらえを受け持つと、残りの時間は家の仕事に忙殺されるため、勉強会までは参加できなくなるのである。そしてフォウの血族はその前から婚儀の話で慌ただしかったため、本格的に勉強会に参加するのは雨季が明けてから初めてのことであったのだった。


「それじゃあ、始めましょうか。まずは、マ・ティノからですね」


「マ・ティノ? そりゃまた、地味な野菜を引っ張り出したもんだね」


 と、ユーミ=ランが声をあげるなり、自分の口をふさいだ。


「……っと、こんな具合に、気安く口が開いちゃうんだよ。話の腰を折って、ごめんなさい」


「確かにユーミ=ランは、アスタのことを気にしすぎてるみたいだね。それぐらいの軽口は、森辺でも珍しい話じゃないよ」


「わたしも、そう思います。それに、アスタがそういう疑念に答えることで、より深い見識が得られたりもしますからね」


 周囲の女衆がそんな具合にフォローしてくれたので、俺も「そうだね」と同意した。


「それじゃあ聞くけど、ユーミ=ランはどうしてマ・ティノを地味な野菜だと考えてるのかな?」


「え? それはだから……ジェノスにはもともとティノがあったし、ティンファってやつも増えたから、マ・ティノなんかはそんなに使う機会がなかったんだよね。雨季の間はティノも使えないけど、ティンファがあれば十分だったしさ」


「それがまさに、マ・ティノを選んだ理由だね。マ・ティノにはマ・ティノならではの魅力があるはずだから、そこを掘り下げようと考えたんだよ」


 ティノはキャベツ、マ・ティノはレタス、ティンファは白菜に似た野菜である。確かに似た要素の多い葉菜ではあるが、それをひとくくりにしてしまうのは乱暴な話であるはずであった。


「たとえば《西風亭》の名物であるお好み焼きはティノをふんだんに使っているけど、雨季の間はペペでチヂミ風に仕上げたり、ティンファを代わりに使ったりしてるよね。どうしてマ・ティノを使わないのかな?」


「それはマ・ティノがふにゃふにゃで、歯ごたえが物足りないからさ。ティンファもティノよりはやわらかいけど、厚みがある分まだマシだからね」


「そう、マ・ティノはティノやティンファよりやわらかいっていう特性があるわけだ。お好み焼きには合わないかもしれないけれど、それはあくまで特性であって欠点ではないはずだよ」


「そうですね!」と元気に声をあげたのは、ドーンの末妹である。彼女は屋台の当番で、フォウの集落に滞在中であったのだ。


「マ・ティノは生のまま野菜料理に使われたり、ちゃーはんの具材に使われたりしています! あれをティノやティンファに置き換えたら、ずいぶん食べ心地が変わってしまうのでしょうね!」


「うん。ティノも千切りでサラダに使うけど、マ・ティノみたいに大ぶりの状態だと固くて食べにくいだろうね。チャーハンの具材としても、まだちょっと固いかな。固さひとつを取っても、使い勝手はそれぞれ異なるはずだよ」


「ふーん。で、やわいマ・ティノを、どんな風に使おうっての?」


 と、ユーミ=ランがいつもの調子で身を乗り出してくる。

 きっと遠慮よりも、好奇心がまさったのだろう。かまど仕事に対する熱心さは、もともと森辺のかまど番にも負けていないユーミ=ランであるのだ。


「それをこれから、お披露目するんだよ。レイナ=ルウも気に入って、宴料理に取り入れるみたいだよ」


「ああ」と、ユーミ=ランが身を引いた。彼女もサトゥラス伯爵家の婚儀に招待されており、ずいぶん気が引けている様子であったのだ。


「あの若君さんたちの婚儀は、レイナ=ルウが取り仕切るんだもんね。……新参のあたしなんかが祝宴に乗り込んじゃって、本当にいいのかなぁ?」


「招いたのはあっちのほうなんだから、あんたが遠慮する必要はないさ。もともとあんたは、城下町にも通いなれてるわけだしね」


 バードゥ=フォウの伴侶が気安く応じると、ユーミ=ランは「うーん」といっそう難しげな顔になった。


「だからこそ、他のお人に出番を譲るべきだと思うんだけど……アスタは、どう思う?」


「リーハイムは、宿場町を取り仕切るサトゥラス伯爵家の第一子息だからね。宿場町から森辺に嫁いだユーミ=ランは、やっぱり特別な存在になるんだと思うよ。こればかりは、他の誰にも肩代わりはできないんじゃないかな」


「うーん、そっか。まあ、あっちもこっちの婚儀に乗り込んできてたしなぁ」


「そうそう。森辺の民は、ジェノスの貴族とも正しい関係性を築いていかないといけないからね。ユーミ=ランが架け橋になれば、それは誰にとっても喜ばしい話さ」


 まわりの女衆も、うんうんとうなずいている。

 ユーミ=ランは「そっか」と繰り返しながら、ひとつ息をついた。


「もしかしたら、あたしはそういう責任に対しても逃げ腰になってたのかな。……わかった、覚悟を固めるよ。アスタだって、こんな役目をなんべんも背負ってきたんだもんね」


「うん。ユーミ=ランだったら、きっと大丈夫さ。俺も頼もしい同胞が増えて、心強く思ってるよ」


 ユーミ=ランは「うん」とうなずいてから、気まずそうに頭をかいた。


「また話の腰を折っちゃったね。あたしが余計な口を叩く前に、始めちゃってよ」


「うん。それじゃあ、始めるね」


 かくして、本日の勉強会が本格的に開始された。

 かまど小屋は、たちまち熱気に包まれる。フォウの血族の面々は、ひさかたぶりの勉強会で意欲を燃やしていたのだろう。その中にあっても、ユーミ=ランはまったく見劣りしていなかった。


 おさらいの立場である屋台のメンバーたちは、まだしも落ち着いているほうであろうか。とりわけリリ=ラヴィッツというのは熱意を表に出さないタイプであるし――今日に限っては、クルア=スンもつつましく見えた。やはり玉虫色のヴェールで目もとを覆っていると、普段よりも内心がわかりづらくなってしまうのだ。


(……ガーデルの一件を気にしていないといいんだけどな)


 俺はそのように考えたが、この際はクルア=スンの度量を信じることにした。彼女はかつて邪神教団の討伐という修羅場にも同行しているのだ。思わぬ運命に翻弄された彼女には、並々ならぬ胆力が授けられたと期待をかけたいところであった。


(それにこれは、俺やクルア=スンだけの問題じゃない。ジェノスのみんなで乗り越えるべき問題なんだ)


 何せガーデルは、王都の貴族たるティカトラスに刃を向けようとしたのである。だからこそ、メルフリードもこの一件を重くとらえて、バージというお目付け役を選出したのだ。大罪人シルエルとの遭遇で運命がねじ曲がってしまったガーデルは、かつての騒乱の不幸な落とし子でもあるのだった。


(本当に……あのガーデルがここまで俺たちの人生に関わってくるだなんて、あの頃には想像もつかなかったよな)


 俺たちがガーデルと初めて出会ったのは、城下町の商店区域だ。俺たちが初めて自らの足で城下町に踏み入った日、ガーデルとばったり出くわすことになったのである。

 当時の彼はようやく外を出歩けるぐらいに回復したばかりで、上官たるデヴィアスに連れ出されていたのだ。とても立派な体格をしているのに、やたらとつつましい気性をしており、あのシルエルがこんな名もなき一兵卒に退治されたのかと、俺は奇妙な感慨にとらわれていたものであった。


 しかしまた、ガーデルを名もなき一兵卒などと考えていたのは、俺の大きな驕りであったのだろう。ガーデルもまた、自身の運命に翻弄される人間であり――それが、現在の状況を作りあげたのだ。


 彼は武器商人の侍女が生んだ父なし子であり、そちらの家では不遇な目にあわされていたのだという。それで、時おり広場にやってくる旅芸人の劇だけが、心のよすがであったらしいのだ。現実世界に無関心で、御伽噺に魅了されるというガーデルの人格は、そんな幼児期から形成されていたのだった。


(でも、出会った当時のガーデルは、そんなに病的な人間じゃなかった。きっと俺の存在が、ガーデルの何かを刺激しちゃったんだ)


 ガーデルが変調したのは、リコたちの劇を目にしてからであろう。

『森辺のかまど番アスタ』――あの素晴らしい傀儡の劇を目にしたことで、ガーデルの何かが変異してしまったのだ。


(それまでは、ガーデルも俺に強い興味は持ってなかったはずだし……時々は、普通に笑ったりしてくれてたもんな)


 だからこそ、俺たちはガーデルを特別視していなかった。むしろ、同時期に面識を得たデヴィアスのほうが、よっぽど強烈な存在であったのだ。言い方は悪いが、ガーデルはデヴィアスに引っ張り回されるお供のような印象であったのだった。


 ただ、そんな中でも単身で宿場町に乗り込んできて、それが原因で熱を出したりしたこともあった。

 であればやはり、その頃から俺に対する執着の萌芽は存在したのだろう。それが傀儡の劇によって、開花したのかもしれなかった。


(何にせよ、ガーデルの存在を見過ごしてきたのは、俺たちの責任だ。どんなに大変でも、ガーデルと正しい絆を結びなおさないとな)


 そんな想念は余所に、俺は試食の品を作りあげた。


「では、どうぞみなさん召し上がってください」


 初めての試食となるフォウの血族の面々は、瞳を輝かせながら皿を取り上げる。その中で真っ先に「ひゃー」と声をあげたのは、やはりユーミ=ランであった。


「これ、抜群に美味しいね! マ・ティノには、こんな使い方もあったのかー。やっぱりちょっと、見くびってたなー」


「うん。レイナ=ルウは、ここからさらに発展させてくるだろうからね。婚儀の祝宴を楽しみにしておくといいよ」


「そうしたらレイナ=ルウに作り方を習って、自分たちの晩餐でも楽しませてもらわないとね!」


 ユーミ=ランが元気に言いたてると、周囲の女衆も笑顔でうなずいた。

 ユーミ=ランは心のままに振る舞うだけで、こうして周囲の共感を得られるのだ。何も遠慮する必要はないはずであった。


「……ユーミ=ランは、すっかり馴染んでいるようですねぇ」


 と、こちらではリリ=ラヴィッツがこっそりつぶやいている。

 ラヴィッツの家は遠いので、婚儀の後はユーミ=ランと顔をあわせる機会もなかったことだろう。俺は笑顔で、「そうですね」と応じてみせた。


「でもきっと、まだまだ序の口ですよ。末永く、ユーミ=ランの行く末を見守ってあげてください」


 リリ=ラヴィッツはにんまり微笑みながら、「ええ」とうなずいた。俺などがお願いするまでもなく、彼女はラヴィッツの血族を代表する見届け人であるはずなのだ。屋台の当番になる日取りはだいぶん間遠になってきたものの、こうして姿を現した日には誰よりも鋭い検分の眼差しをあちこちに向けているはずであった。


「……クルア=スンも顔をあわせる機会は少ないだろうけど、ユーミ=ランのことをよろしくね」


 俺がそのように告げると、クルア=スンは普段と同じ調子で「はい」と静かに微笑んだ。

 やはり目もとのヴェールのせいで、内心はわかりにくい。それで俺が次の言葉に迷っていると、ユーミ=ランが勢いよく向きなおってきた。


「あっ、クルア=スンっていうのは、あんただったよね? あたしも森辺の家人になったから、あんたの事情を教えてもらうことになったんだよ」


 クルア=スンの事情――それはもちろん、星見の力についてであろう。それは決して外界では公言できない内容であるため、森辺の内部で留められているのだった。


「なんだかずいぶん、難儀な目にあっちゃったらしいね。その目もとの飾り物も、なんちゃらの力ってやつを抑えるためのもんなんでしょ?」


 クルア=スンは変わらぬ面持ちで、「はい」とうなずく。

 ユーミ=ランもまたクルア=スンを気づかいながら、普段通りの朗らかさを保持していた。


「あたしもみんなと同じように、そんな話は気にしないからさ。スンは家が遠いって聞いたけど、こうやって顔をあわせたときはよろしくね」


「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


「うんうん。……なんかクルア=スンって、いかにもつつましい雰囲気なのに色気がすごいなー。なんか、シーラ=ルウとヴィナ・ルウ=リリンをひとつにまとめたような感じじゃない?」


 後半の言葉は、俺に向けられたものである。

 俺もユーミ=ランの朗らかさに呼応して、「うん」と笑うことになった。


「あと俺は、ヤミル=レイに似た雰囲気もあるなって考えてたよ。もともとは、ヤミル=レイもスンの家人だったしね」


「あー、ヤミル=レイも、色っぽいもんなー。クルア=スンなんかはそれにつつましさまで備わってるんだから、きっと大勢の男衆の胸を騒がせてるだろうねー」


「そ、そんなことはないかと思います」と、クルア=スンは頬を赤らめた。

 齢を重ねるごとに落ち着きが増していくクルア=スンであるが、もともとは純朴な少女であるのだ。それに彼女は大人びているが、まだ17歳かそこらであるはずであった。


「でも、城下町の祝宴なんかでも、クルア=スンに目を奪われてる貴族はあちこちにいたみたいだよ。あっちで準備される宴衣装は、森辺の宴衣装に負けないぐらい色っぽいもんね。クルア=スンぐらい器量がよかったら――」


 と、ユーミ=ランはそこでいったん口をつぐんだ。


「……って、あたしのほうこそ口をつつしむべきだよね。料理と関係ない話で盛り上がっちゃって、ごめんなさい」


「いやいや。アスタだって一緒になってたんだから、謝る必要はないさ。……あんたはもっと、自分の正しさを信じるべきだと思うよ」


 バードゥ=フォウの伴侶の言葉に、ユーミ=ランは「いやー」と頭をかく。


「こんな無駄口に、正しさもへったくれもないでしょ。クルア=スンも、困らせちゃってごめんね?」


「い、いえ。どうぞお気になさらないでください」


 クルア=スンはまごまごしながら、口もとをほころばせる。大人っぽさと子供っぽさをあわせ持つ彼女の、これも素顔のひとつであった。

 そして彼女は星見の力を授かって以来、そういう子供っぽい表情を見せる機会が減っていたのだが――今はユーミ=ランの朗らかさが、クルア=スンの一面を引き出したのだろうと思われた。


(やっぱりユーミ=ランは、すごいな)


 ユーミ=ランがこういう人柄であるからこそ、ディアルやシリィ=ロウもすぐさま絆を深めることがかなったのだろう。ユーミ=ランはいささかならず直情的な気性であったが、そうであるからこそ自分の思いを真っ直ぐ相手にぶつけることができるのだった。


(それにユーミ=ランは、優しい上に目端もきくからな。もしかしたら、クルア=スンがずっと静かにしてるから、かまいたくなったのかもしれない)


 その結果として、クルア=スンは気恥ずかしそうにもじもじとしている。それはクルア=スンの心情を慮りながら、俺には実現できなかった所業だ。あらためて、俺はユーミ=ランの存在を心強く思うことになった。


「それじゃあ、次の料理に移ろうか。お次は、マトラだよ」


「マトラって、あのねっとりとした甘い果実でしょ? まさかあれも、料理で使おうっての?」


「うん。試してみたら、意外に面白い感じだったんだよ。これも祝宴でお披露目されるんじゃないかな」


 そうしていっそうの熱気の中で、俺たちは勉強会を進めることになった。

 その間に、窓の外はじわじわと暮れなずんでいく。およそ二刻の楽しい時間は、あっという間に過ぎ去っていくことになった。


「さて、そろそろ頃合いかね」


 表に出て日時計の確認をしたバードゥ=フォウの伴侶が、勉強会の終了を告げた。

 時刻は下りの五の刻、日没の一刻前である。俺たちが帰り支度を始めると、そこにアイム=フォウの手を引いたサリス・ラン=フォウがやってきた。


「ああ、アスタ。どうもお疲れ様です。ちょうど勉強会が終わったようですね」


「はい。もしかしたら、そちらはファの家から戻ってきたところですか?」


「はい。かまど小屋にお邪魔していました。でも、いっさい手は出しておりませんよ」


 そう言って、サリス・ラン=フォウはにっこり微笑んだ。昨年も俺の生誕の日には、サリス・ラン=フォウがアイ=ファにかまど仕事の手ほどきをしてくれていたのだ。何せアイ=ファは年に一度しか料理を手掛けないため、誰かの助力が必要であったのだった。


「アイム=フォウは、ずっと見学してたのかな? そっちも、お疲れ様だったね」


 アイム=フォウははにかみながら、「うん」とうなずく。アイ=ファの奮闘を見守るかたわらで、きっと子犬たちともたわむれてきたのだろう。その小さな顔には、楽しいひとときの余韻がくっきりと浮かべられていた。


「アスタは他の女衆を送っていくのですよね? その後はどうされるのですか?」


「今日はスドラのかまど小屋にお邪魔する予定です。日没の前に帰ったりはしませんので、ご安心ください」


「はい。アイ=ファも万事整えてから、アスタをお迎えしたいでしょうからね」


 そのように語るサリス・ラン=フォウも、実に幸せそうな面持ちである。彼女は誰より、アイ=ファが孤独な生活から脱せたことを喜んでいるのだ。そして、そうまでアイ=ファのことを大切に思ってくれているサリス・ラン=フォウの存在は、俺にとってもありがたくてならなかった。


「それでは、どうぞお気をつけて」


 サリス・ラン=フォウたちに見送られながら、俺はギルルの荷車を出立させた。

 比較的近所であるレイ=マトゥアたちを送り届けたならば、スドラの家に取って返す。ただその頃には、もう日没まで半刻余りといった頃合いであった。


「時間があれば料理でお返ししたかったけど、そんな時間はなさそうだね」


「はい。でも、アスタが顔を見せてくださるだけで、みんな大喜びです」


 荷台のユン=スドラが、弾んだ声でそのように応じてくる。俺がスドラの家におもむくときは、いつもこうして喜んでくれるのだ。それで俺も、余計にスドラの家に心をひかれてしまうわけであった。


 そうしてスドラの家に到着すると、なかなかの賑わいである。

 すでに男衆も戻っていて、かまど小屋の前に集結していたのだ。そのさまに、ユン=スドラが「まあ」と驚いていた。


「そんなところで、何をしているのです? まさか……アスタの出迎えでしょうか?」


「そういうわけではなかったのだが、子たちも落ち着かない様子であったのでな」


 そのように応じるライエルファム=スドラの手にはアスラ=スドラが抱かれており、俺の姿を発見するなり笑顔で小さな手を差し伸べてくる。俺はギルルの手綱を手近な枝に結んでから、その小さな手を取った。


「やあ、アスラ=スドラ。今回は、すぐまた会えたね」


 ユーミ=ランの婚儀でも顔をあわせたアスラ=スドラは、「あーた、あえた」と舌足らずな口調で可愛らしい声をあげる。そして、リィ=スドラに抱かれていたホドゥレイル=スドラも「あーた、あーた」と懸命に身をよじっていた。


「ふたりは本当に、アスタを慕っているようです。よければ、抱いてあげてください」


「あはは。俺の身にしみついた美味しそうな香りに反応してるのかもしれませんね」


 そうして俺がホドゥレイル=スドラの身体を受け取ると、今度はアスラ=スドラもじたばたともがき始める。2歳目前の幼子をいっぺんに抱きかかえるというのはなかなかの重量であったが、こうまで熱烈にアピールされては拒むことも許されなかった。


 そうして俺の腕の中に収まった双子たちは、きゃっきゃとはしゃぎながら髪や頬に触れてくる。

 本当に、どうしてこうまで懐かれることになったのだろう。アイム=フォウやコタ=ルウとも確かな友誼を結べたと自負している俺であるが、もっともアクティブにスキンシップを求めてくるのはこちらの両名であった。


「ふむ。存外に、アスタも父親らしい風格を有しているようだな」


 と、チム=スドラが笑いを含んだ声でそのように告げてくる。その左右では、スドラの若い男衆と年配の男衆も笑っていた。


「まあ、アスタは俺よりも年長であるのだから不思議はないのかもしれないが……伴侶を持つ身として、俺も見習わなくてはな」


「あはは。そんな大層な話じゃないよ。むしろホドゥレイル=スドラたちは、俺を同列の友人と見なしてるんじゃないのかな」


「幼子と同じ目線で向き合えるのならば、それも得難き話であろう」


 俺たちがそのように語らっていると、かまど小屋からイーア・フォウ=スドラが顔を覗かせた。彼女も勉強会に参加していたが、荷車が定員オーバーであったため徒歩で帰宅したのだ。


「ああ、アスタは幼子たちに捕まってしまったのですね。子供たちの気が済んだら、こちらの女衆にも挨拶をさせていただけますか?」


「うん。先に挨拶をしたかったんだけど、申し訳なかったね」


「いえ。挨拶さえさせていただければ、誰にも不満はありません」


 そう言って、イーア・フォウ=スドラは柔和に微笑んだ。

 スドラには、あと4名の女衆がいる。もともと家人である3名と、ランから嫁いできた若い女衆だ。それらもみんなユーミ=ランたちの婚儀に参席していたはずであるが、ほとんど言葉を交わすこともできなかったのだった。


(スドラの家人は、幼子を含めて13名。森辺では、ファの家の次に家人が少ないはずだけど……一ヶ所に集まると、やっぱり賑やかだな)


 正確にはかまど小屋の内と外であるが、木の壁一枚など問題にしない熱気と活力が感じられる。そして晩餐の終わりまで、この熱気が持続されるわけであった。


(……また別の日に、温もりのおすそわけをお願いしますね)


 そんな思いを胸に、俺は幼子たちの小さな身体をぎゅっと抱きすくめる。

 そうすると、ふたりはいっそうはしゃいだ様子で俺の髪を引っ張ってきたのだった。

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― 新着の感想 ―
作者さんが考えているガーデルとの正しい絆って、具体的にどういう状態を指しているんだろう?そこまで長々引っ張る程の事かね? ここまでくると正直「お互いまったく関わらない」ってのがお互いにとって正しい絆に…
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