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異世界料理道  作者: EDA
第九十二章 慶祝の黄の月(下)
1581/1697

狭間の日③~勉強会~

2025.1/15 更新分 1/1

 カミュア=ヨシュたちが立ち去ると、新たな客人たちがやってきた。

 プラティカにニコラ、セルフォマにカーツァのカルテットである。こちらは夜の祝宴以来の再会であった。


「どうも、お疲れ様です。今日はごゆっくりでしたね。屋台も間もなく閉店となりますよ」


「はい。品切れ、危険ですので、料理、いただきます」


 持参の荷車を屋台の裏に片付けてから、プラティカたちは慌ただしく屋台に並び始めた。

 手が空いていた俺はレイ=マトゥアとジルベを引き連れて、青空食堂に先回りをする。以前はジルベもしょっちゅう宿場町に下りていたので、顔見知りのお客さんが挨拶をしてくれた。


「よう、お疲れさん。雨季の騒ぎでは、大活躍だったそうじゃないか。その調子で、大事なご主人を守ってやりな」


 もちろんだよと言わんばかりに、ジルベは「わふっ」と元気に答える。ジルベが勲章を授かった件は、宿場町でも語り草であるのだ。俺としても、誇らしい限りであった。


「アスタは、ずいぶんヒマそうだな。……ああ、またあの連中の世話役か」


 料理を抱えて近づいてくるプラティカたちの姿に気づいて、お客さんは気安く肩をすくめる。プラティカとニコラは遥かなる昔日から屋台に通ってくれていたし、ここ最近ではセルフォマとカーツァも常連であったのだ。ただし城下町の商売を始める直前から遠慮をしていたので、今回は数日ぶりの来訪であった。


「お買い上げ、ありがとうございます。あちらの卓があいているようですよ」


「はい。案内、感謝します」


 プラティカがいると出番が少なくなる通訳のカーツァは、無言でぺこぺこと頭を下げている。いっぽうセルフォマは、本日も貴婦人のように優雅なたたずまいであった。


 6人掛けの卓があいていたので、俺とレイ=マトゥアも端の席にお邪魔する。大きなお盆を持参しているプラティカたちは、本日もなかなかの量を購入してくれていた。


「昨日、宴料理、堪能しましたが、屋台、ひさびさですので、期待、甚大です。……失礼。その前、挨拶、必要でした。昨日、お疲れ様です」


「いえいえ。まずは、お召し上がりください。せっかくの料理が冷めてしまったら、こちらとしても残念ですので」


「アスタ、配慮、感謝します」


 そうしてニコラを除く3名は複雑な形に指先を組み合わせて食前の祈りを捧げてから、数々の料理に手をのばした。

 すべての料理を購入して全員でシェアするという方式も、相変わらずであるようだ。その場には日替わり献立である『ギバの卵とじ』に『ギバ・カレー』と『ケル焼き』と『ギバの玉焼き』、ルウ家の香味焼きにモツ鍋にカロン乳仕立ての煮込み料理、トゥール=ディンの簡易クレープ、そして《キミュスの尻尾亭》の『キミュス骨ラーメン』が網羅されていた。


 それらはすべて半人前の量で売りに出されているので、4名がかりであればぎりぎり適量と言えるだろう。

 しかし、『ギバ・カレー』と『キミュス骨ラーメン』はふた品ずつ購入されているし、小柄なニコラは体格相応の胃袋しか持ち合わせていない。よって、残る3名が南の民に匹敵する胃袋を備えているという事実を示していた。


(プラティカやカーツァはまだ若いから、食べ盛りなんだろうな。セルフォマは……料理番として過ごす日々で、胃袋が鍛えられたってところか)


 何にせよ、食欲の旺盛なお客は大歓迎である。また、自分が準備した料理を目の前で食べてもらえるというのは、何よりの役得であろう。俺やレイ=マトゥアは当日の下ごしらえしか関与していないし、半分は別なる人々が手掛けた料理であったが、俺たちの喜びが損なわれることはなかった。


「……あらためて、昨日はお疲れ様でした。みなさんも、祝宴をお楽しみいただけましたか?」


 食事が半分ほど進んだ頃合いで、俺はそのように呼びかけてみた。

 カレーとラーメンを食べ終えて、タコ焼きに似た『ギバの玉焼き』をつまんでいたプラティカは「はい」と首肯する。カーツァはわたわたと慌てながら、俺の言葉をセルフォマに伝えてくれた。


「私たち、目的、宴料理でしたが、婚儀のさま、胸、打ち震えました。真情、信じてほしい、思います」


「プラティカが心にもないことを言うとは思っていませんよ。プラティカだって、ユーミ=ランやジョウ=ランとは多少なりともご縁を紡いでいましたしね」


「はい。そして、両名、辿った軌跡、聞き及んでいましたので、感慨、ひとしおでした」


 そのような言葉を語りながら、プラティカは厳しく引き締まった無表情である。まあ、感情を表にさらすのは恥とする東の民であるのだから、こればかりは致し方なかった。


「わ、私は婚儀を挙げた方々とも挨拶ていどの間柄でありましたが、森辺の婚儀というものには圧倒されました。料理番としてだけではなく、ひとりの人間としても大きな感動を授かったことを、深く感謝しています。……と、仰っています」


「そのように言っていただけると、俺も嬉しいです。……カーツァとニコラは、如何でしたか?」


「わ、私ですか? 私は、その……な、なんだか御伽噺の中にまぎれこんでしまったような心地で……ちょ、ちょっと怖かったですが、とても心を揺さぶられました」


 と、カーツァはどこか陶然とした面持ちで目を細める。彼女は俺が知る東の民の中で、もっとも感情がこぼれやすい少女であるのだ。本人としては羞恥の限りなのであろうが、俺としてはありがたい話であった。

 そしてニコラは、普段通りの仏頂面で「はい」と応じる。


「もちろん森辺の祝宴では、わたしも毎回圧倒されています。そして今回は見知ったお人が森辺に嫁入りするということで、ずいぶん神妙な心持ちでした。招待してくださった森辺の方々には、心より感謝しています」


「それは、嬉しいお言葉です。昨日は俺も招待された側でしたので、もしユーミ=ランたちと顔をあわせる機会があったら挨拶してあげてください」


「はい。本日、ユーミ=ラン様は勉強会に参加なさらないのでしょうか?」


「今日の勉強会はルウ家ですので、小さき氏族の中で参加するのは屋台の当番だけですね。それにユーミ=ランは森辺の仕事を覚えているさなかですので、勉強会にまで参加するのは先の話になるかと思います」


「そうですか。では、フォウの血族の方々にお会いしたら、言伝をお願いしようかと思います」


 さすがにニコラも、だんだん森辺の習わしがわかってきたようである。斯様にして、どんな不愛想な人柄でも、時間さえかければ確かな絆を結ぶことは可能であるのだった。


(まあこれは、料理が紡いだご縁だからな。ガーデルは、ずいぶん立場が違うんだろう)


 そんな思いを胸の片隅で噛みしめながら、俺はセルフォマに笑いかけた。


「それで昨日はみなさんもご遠慮をして、宴料理の寸評を差し控えておられましたよね。よければ、ご感想をお聞かせ願えませんか?」


「は、はい。アスタの手掛けた宴料理は、素晴らしい出来栄えでありました。基本は純朴かつ力強い味わいでありながら、とても細やかな部分にまで細工が行き届いていて、舌を巻くほどの完成度であったように思います。やはりあれは、ジャガル料理を由来とする品なのでしょうか? ……と、仰っています」


 やはりセルフォマも、宴料理の寸評がしたくてうずうずしていたのであろう。優雅な無表情に変わりはなかったが、ノータイムでそんな言葉が返されてきた。


「いえ、あれはジャガル料理ではなく、俺の故郷の料理の再現で……話すと長くなるのですが、その完成形はそちらの『ケル焼き』になります。あれはケルの根を知らなかった時代に、ミャームーで代用した品であるのですよね」


「そ、それを何故、今になって手掛けたのでしょうか? ……と、仰っています」


「簡単に言うと、俺とユーミ=ランにとって思い出の料理だったからです。でも、それをそのまま再現するのは宴料理に相応しくないように思えたので、現在の食材と知識を総動員して味の向上に励んだというわけですね」


 セルフォマはしばし思案してから東の言葉で語り、それをまたカーツァが通訳してくれた。


「な、納得がいきました。あの料理には、それだけの思いが込められていたのですね。根幹の部分が純朴に感じられたのは、食材が乏しかった時代に作りあげた料理の風合いを損なわないための配慮であったのでしょう。結果的に、あの料理は素晴らしい品に昇華されていたように思います。アスタの懐の深さに、また感服させられました。……と、仰っています」


「ありがとうございます。俺はユーミ=ランに喜んでほしい一心でしたが、誰にとっても美味しい料理に仕上げないといけないという思いもありましたので、セルフォマのお言葉を心強く思います」


 すると、しばらく静かにしていたレイ=マトゥアも「そうですね!」と声を張り上げた。


「それにやっぱり、セルフォマの明敏さにも感心させられてしまいます! いつかセルフォマの料理も口にできたら、嬉しく思います!」


 その言葉がカーツァから伝えられると、セルフォマはいくぶん考え深げに目を細めた。


「わ、私は学ぶ立場ですし、ジェノスにおいては扱える食材も少ないので、拙い手際を披露するのは気が引けるのですが、以前からそういった要望は届けられていました。私はどのような形で、みなさんの恩義に報いるべきでしょう? ……と、仰っています」


「セルフォマの料理を味わえたら、みんな喜ぶと思います。今後は晩餐をともにする家で、ひと品だけでも簡単な料理を作ってみるというのは如何でしょう?」


「な、なるほど。勉強会の時間はなるべく学ぶことに集中したいので、私にとってもそのほうが望ましいように思います。アスタの助言に、感謝いたします。……と、仰っています」


「では、今日の晩餐はルウ家ですよね。レイナ=ルウを筆頭に、みんな喜ぶと思います」


 そんな具合に、その場は穏便に話が進められていった。

 ここ数日はご無沙汰であったが、セルフォマたちが勉強会に参加するようになってからそれなりの日が過ぎているのだ。セルフォマたちはいずれやってくる使節団の第二陣とともに帰国する予定であるので、その限られた時間でかなう限りの成果をあげてもらいたいところであった。


 そうしてプラティカたちが食事を終える頃には屋台の料理もどんどん尽きていって、気づけば終業時間である。

 青空食堂のお客がはけるのを待って、俺たちはいざ帰路を辿る。ずっと屋台の見回りをしていたレイナ=ルウも、先刻のやりとりが伝えられると奮起の表情を見せた。


「セルフォマの手腕を味わえるのでしたら、心よりありがたく思います。ファの家に先んじてしまって、申し訳ありません」


「いやいや。いずれはファの家に迎えることになるだろうから、大した差じゃないさ。ただ、水を差すようで悪いけど……リミ=ルウがこの話を聞いたら、セルフォマの菓子を食べたがるんじゃないかな?」


 俺の言葉に、レイナ=ルウは実に切なげな面持ちになってしまった。


「リミは前々から、セルフォマの菓子を食べたがっていましたものね。ジバ婆だって、きっと喜ぶでしょうし……菓子ではなく料理を味わいたいというわたしの我欲は、やっぱり抑えるべきでしょうか……?」


「俺が口出しする話じゃないけど、いっそリミ=ルウとふたりがかりでおねだりしたらいいんじゃないのかな。人手を貸せば、料理と菓子をひと品ずつ準備することだってできるだろうしね」


「なるほど! 助言、ありがとうございます!」


 レイナ=ルウは、たちまちぱあっと顔を輝かせる。こういう部分には、本来の無邪気さが残されているのだ。どれだけ調理に熱情を燃やそうとも、レイナ=ルウの本質に変わりはなかった。


 そうしてルウ家に到着したならば、勉強会だ。

 参加メンバーは、屋台の当番とルウの血族である。本日はなかなかの人数であったのでみっつのかまど小屋に分けられて、分家のほうはミケルやリミ=ルウが取り仕切ることになった。


「リミ=ルウが勉強会の取り仕切り役なんて、珍しいね。察するに、菓子の勉強会かな?」


「はい。リーハイムたちの婚儀が近いので、そちらで供する菓子の選定と修練をお願いしました」


 リーハイムとセランジュの婚儀は黄の月の27日であり、すでに6日後に迫っているのだ。レイナ=ルウたちも通常の勉強会は今日限りで、明日からは宴料理の選定と作業工程の確認に取り組む手はずになっていた。


「わ、私たちはそちらの見学も許されますでしょうか? ……と、仰っています」


 カーツァがそのように声をあげると、レイナ=ルウは「そうですね……」と考え込んだ。


「もちろん、見学をお断りする理由はありません。ただ、セルフォマは何を思って見学を望んでおられるのでしょう? それによって、見学の日取りを決めるべきかと思います」


「わ、私はやはり、森辺の方々がどのような基準で宴料理の献立を選定するかに興味を抱いています。そして、私の知らない宴料理が供されるようでしたら、その調理の手順も拝見したく思います。……と、仰っています」


「ちょうど明日は休業日ですので、朝から宴料理の献立について話し合う予定になっています。セルフォマたちがルウの集落で夜を明かすのでしたら、ちょうどよかったですね。あとは決定された献立の内容しだいで、見学の日取りを決めていただければと思います」


「しょ、承知いたしました。レイナ=ルウのご配慮に、深く感謝いたします。……と、仰っています」


 と、レイナ=ルウに一礼してから、セルフォマは俺に向きなおってきた。


「そ、それと、最後に確認させていただきたいのですが、その祝宴でアスタは料理を手掛けないのですね? ……と、仰っています」


「はい。俺はあくまで招待客で、厨には立ち入りません。昼は屋台の商売で、いったん森辺に戻ってから城下町に向かう手はずになっておりますよ」


「しょ、承知いたしました。では、しばらくはルウの方々のお世話になります。……と、仰っています」


 そうして事前の話し合いも終了して、勉強会の開始であった。

 本家のかまど小屋に集ったのは、レイナ=ルウとヤミル=レイ、レイ分家の女衆とムファの女衆、俺、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、クルア=スン、ダゴラの女衆という顔ぶれだ。マイムとララ=ルウはミケルの組、トゥール=ディンやレイ=マトゥアはリミ=ルウの組に参加したので、いささか普段とは異なる顔ぶれであった。


 もちろんプラティカたちは、本家のかまど小屋に居揃っている。セルフォマはリミ=ルウが祝宴の菓子を選定すると聞いて若干思い悩んでいたが、けっきょくこの場に留まることに相成った。


「さて。それじゃあ、今日の議題ですが……セルフォマは、何か要望などありませんか?」


 俺の言葉がカーツァから伝えられると、セルフォマは粛然と答えた。


「ア、アスタのご配慮はありがたい限りですが、あまりお世話をかけるのは申し訳なく思います。どうぞ私にはかまわず、ご自分たちに必要な研究を優先していただきたく思います。……と、仰っています」


「そうですか。でも、ちょうどこちらはラン家の婚儀をやりとげて、ひと息ついたところなのですよ。特に急ぎの案件も思いつきませんので、セルフォマに議題を提供していただけたら、むしろありがたいぐらいです」


「ほ、本当に、みなさんのご負担にはならないのでしょうか? ……と、仰っています」


「あはは。こちらもそこまでの負担を抱えようとは考えません。何かあったら、ご遠慮なく仰ってください」


 それだけのやりとりを経て、セルフォマはようやく自分の要望を表明した。


「そ、それでは、南の王都から届けられる食材について、ご教示を願えますでしょうか? ……と、仰っています」


「南の王都から届けられる食材ですか。何か具体的に、疑問などをお持ちなのですか?」


「い、いえ。他なる食材と比べても、それらの食材が格段に扱いにくいわけではありません。ただ使節団長たるリクウェルド様から、敵対国たる南の王都の食材を買いつけるにあたっては、より大きな説得力が必要になるかもしれないと言い渡されているのです。今のところはすべての食材が分け隔てなく扱われておりますが、いずれ王宮の方々から反発の声があがらないとは限りませんので。……と、仰っています」


 どんなに長い言葉でも、カーツァの通訳はよどみない。そして今回は、なかなかに堅い内容でもあった。


「なるほど。やっぱり無条件で、ジャガルの食材が許されるわけではないのですね」


「リ、リクウェルド様は、あくまで可能性の問題と仰っていました。ですが、万が一にも食材の買いつけが中止されたら無念の限りですので、私も万事に備えたく思っています。……と、仰っています」


 いかにも明敏そうなリクウェルドとセルフォマがそのように思案したのならば、俺としても異存はない。それに、南の王都の食材だけ交易が中止されるというのは、こちらとしても回避したい事態であった。


「承知しました。では、それらの食材を中心に研究を進めていきましょう。新旧の食材を織り交ぜて問題はありませんよね?」


「は、はい。アスタの寛大なおはからいに、心より感謝しています。……と、仰っています」


 カーツァの言葉が終わるのを待って、セルフォマは深々と頭を下げた。そんな仕草も、豪邸で飼われるシャム猫のように優雅なセルフォマである。


「それじゃあさっそく、取りかかろうか。……でも、なかなかの品数だから、どれから始めるか悩ましいところだね」


 すると、ダゴラの女衆がおずおずと挙手をした。


「も、申し訳ありません。わたしはどの食材が南の王都から買いつけた品であるか、失念してしまいました。よろしければ、そちらの確認をさせていただけますか?」


「ああ、こっちはそれほど原産地を気にしたりはしないもんね。えーと、どこかに一覧表がなかったっけ?」


「はい、ここに」と、レイナ=ルウがすぐさま戸棚から帳面を取り上げた。ファとルウとディンでは帳簿をつける関係から、すべての食材の名称を文字で記せるように学ぶ必要があったのだ。よって、新たな食材が登場するたびに、その名が帳面に記載されていくことになったのだった。


「南の王都から最初にもたらされたのは、八品。ノ・ギーゴ、マ・ティノ、ジョラの油煮漬け、ラマンパの油、ボナ、青乾酪、マトラ、リッケという品になりますね。あとは高級なホボイの油に、リッケの果実酒、ニャッタの蒸留酒、および発泡酒も買いつけられています。ニャッタの酒も余所から買いつけられる品とは若干風味が異なるようですが、料理で使う際にはマルフィラ=ナハムの舌でも差が感じられないという結果が出ています」


 それもまた、勉強会の成果である。

 それにつけても、レイナ=ルウの解説は堂々としたものであった。


「そしてその後に追加されたのは、七品。カザック、ノ・カザック、エラン、アラルの茸、甲冑マロール、ジョラの魚卵という品で、あとはエランの果実酒に、凝り豆を作るための塩滓も含まれます」


「うんうん。やっぱり、かなりの量だよね。この中で買いつける候補にあがらなかったのは、どの品でしたっけ?」


「か、完全に候補から外された品は存在いたしません。ただ、青乾酪と塩滓に関しては独自で作りあげることも可能であるかもしれませんので、いったん保留という形になっています。また、ジョラの油煮漬けや魚卵に関しても、東玄海の恵みと大きな差はないという判断で、優先順位は低くなりました。……え? あ、はい。しょ、少々お待ちください」


 セルフォマが追加の言葉を口にしたので、カーツァは慌ててそちらに向きなおった。


「わ、私としては、たとえ代わりの品を準備することができたとしても若干以上の差が出ることは否めませんので、すべての食材を手にしたいと願っているのですが、ジェノスには他にも素晴らしい食材が数多く存在するため厳選するしかなかったのです。……と、仰っています」


「なるほど。まあ、さすがにすべての食材を買いつけるのは、大変なのでしょうしね」


 俺は納得したが、レイナ=ルウは「ですが」と反問した。


「シムにカロンは存在しないのですよね? では、ギャマの乾酪で青乾酪を作りあげるということでしょうか? もともとの乾酪の味わいがああまで異なっていたら、まったく異なる出来栄えになるのではないかと思うのですが」


「は、はい。ですから私も完全に候補から外すことはできないのですが、どうしても優先順位は低くなってしまいます。ジェノスにおいても青乾酪は料理の材料として使われることが少ないというのも、ひとつの要因になっています。……と、仰っています」


「それは確かに、その通りでしょうね。わたし自身、青乾酪を料理に使うことは少ないので、何も反論できません。……ただ、望む食材を手にできないことを、気の毒に思います」


 そのように語るレイナ=ルウは、本当に気の毒そうな面持ちになっている。

 しかしセルフォマは、むしろ穏やかな眼差しになっているように感じられた。


「で、ですが、このたび買いつけさせていただいた食材を十全に使いこなすだけでも、きっと年単位の修練が必要になるのでしょう。ですから私も、目の前の仕事に注力する所存です。そのために力を添えていただけたら、心からありがたく思います。……と、仰っています」


「もちろんです。わたしたちも東の王都から数々の素晴らしい食材を買いつけることがかなったのですから、そのぶんセルフォマのお力になりたいと思います」


 やはりレイナ=ルウは料理に対するひたむきさでもって、セルフォマと確かな絆を結ぶことができそうなところであった。それは友人関係ではなく、料理人としての仲間意識であるのかもしれないが――俺自身、それが友情より価値がないものだとは考えていなかった。


「それでは、どうしましょう? 現時点で、何か扱いに困っている食材などはありますか?」


「き、際立って扱いにくい食材というものは存在いたしません。いずれの食材も質が高いので、活用するのに難しいことはないのでしょう。ただ、他の地の食材よりもさらに活用の幅を広げることができればと願っています。……と、仰っています」


 そんな風に言ってから、セルフォマは思案するように目を伏せた。


「で、ですが、すべての判断をみなさんにお任せするほうが、むしろ無責任であるように感じます。消去法で考えていくと、野菜の中でより吟味が必要なのはマ・ティノ、果実の中ではマトラということになりそうです。……と、仰っています」


 マ・ティノはレタスに似た野菜、マトラは干し柿に似た果実である。


「マ、マ・ティノは素晴らしい食材ですが、葉菜として強い個性があるわけではありません。ジェノスに存在する野菜で考えても、ティノやティンファであるていどの代わりはきくように感じられます。そしてマトラは砂糖の代わりに使うというお話しかうかがっておりませんので、他の果実に比べると活用の幅は格段にせまいように感じられます。……と、仰っています」


「ああ、マトラは果汁をしぼったりもできませんしね。……ルウ家でも、マトラはあんことかで使うぐらいなのかな?」


「はい。マトラは昼の軽食で、薄く切ってそのまま食したりしていますね」


「そっか。トゥール=ディンも、マトラの研究は進んでないみたいなんだよね。最近は果汁の調合に力が入れられてるから、マトラの出番がないみたいなんだ。それじゃあリミ=ルウやトゥール=ディンに代わって、俺が頭をひねってみようかな」


 すると、セルフォマがすぐさま反応した。


「や、やはり果実に関しては、トゥール=ディンやリミ=ルウに相談するべきであったでしょうか? アスタに無用の苦労を担わせてしまうのは、心苦しく思います。……と、仰っています」


「何も無用ではありませんよ。俺が何かいい案を思いついたら、リミ=ルウたちが立派に活用してくれるでしょうし……もしかしたら、料理にだって活用できるかもしれませんしね」


「マトラを、料理に活用するのですか?」


 そんな声をあげたのは、セルフォマではなくレイナ=ルウである。


「うん。何か、おかしいかな?」


「いえ、おかしなことはありませんが……果汁をしぼることのできないマトラをどのように料理で使うのか、まったく見当がつきません」


「他の果実と特性が違っているぶん、何か独自の活用法があるかもしれないよ。あれこれ試せば、どこかに活路があるはずさ。……それまでに、不出来な試作品をさんざん口にする羽目になるかもしれないけどね」


 俺の返答に、レイナ=ルウは「まあ」と口もとをほころばせる。他の面々も、みんな期待に満ちた表情だ。


 ラン家の婚儀という大きな仕事をやりとげて、みんな達成感の余韻にひたっているのだろうか。勉強会に対する熱情に変わりはなかったが、どこか空気がやわらかいように感じられる。


 しかし6日後にはサトゥラス伯爵家の婚儀であるし、俺も日中はルウ家の留守をあずかる予定であるので他人事ではない。ルウ家の代わりに屋台を増やして、トゥランの商売も肩代わりする手はずであるのだ。その際には、また近在の氏族にフル稼働をお願いすることになるはずであった。


 よってこれは、ひとときの安息であるのだろう。

 賑やかな日常の中で時おり顔を出す、平和なひとときだ。そうしてじっくりと腰を据えながら、既存の食材の新たな活用法を吟味するというのは、なんとも贅沢な話であるように感じられた。

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― 新着の感想 ―
>そしてマトラは砂糖の代わりに使うというお話しかうかがっておりませんので、 そしてマトラは砂糖の代わりに使うというお話ししかうかがっておりませんので、
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