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異世界料理道  作者: EDA
第八章 徒然なる日々
158/1675

⑨臓物と少女

2015.1/7 更新分 1/1

 ララ=ルウが13歳になった、その翌日。

 青の月の、26日。


 今日も今日とて仕込みの作業に励んでいると、またまたアイ=ファがギバを担いで帰ってきた。


「うわ、また獲れたのか? すごいな、森に出てからまだ10日も経っていないのに、これで3頭目じゃないか?」


「ふん。だけど今日のギバはずいぶんと若い。この牙と角では1本で2枚ていどの銅貨しか得られぬだろう」


 若いと言っても、40キロは下らなそうだ。

 それに、背丈は短いがころころとよく肥えており、脂はたっぷりのっていそうである。


 賞賛の表情でたたずむフォウやディンの女衆に目礼をしてから、アイ=ファはかまどの前を通りすぎ、木の枝にギバを吊るし始めた。

 吊るしながら、奥のほうの木につながれたギルルに「帰ったぞ、ギルル」などと呼びかけている。


 平和である。

 いよいよ城の人々との会談も4日後にせまってきたが。この平和な生活を保持することはかなうのであろうか。


「へえ、上手いもんだね、あんた」と、ふいに年配の女衆が感心したような声をあげた。

 振り返ると、トゥール=ディンが焼きあげたポイタンを木皿に移すところだった。


 彼女たちはポイタンにギーゴを混ぜていないのに、なかなかふっくらと焼けている。少しキツネ色になった表面の色合いも、実に美味そうだ。


「本当だ。やっぱり君は筋がいいね、トゥール=ディン」


「いえ……」と、トゥール=ディンはうつむいてしまう。

 表情はあまり動いていないが、頬のあたりがちょっとだけ赤らんでいる。


 トゥール=ディンは、かつてスンの分家であった10歳の少女である。

 首の横でふたつに結んだ伸ばしかけの髪は褐色で、瞳の色は青色。けっこう可愛らしい顔立ちをしているのに、表情はいつも憂いげで生気に乏しい。


 でもそれは、一種異様な掟に縛られていたスンの集落での暮らしが、この少女の心を萎縮させてしまったのだと思う。

 ときおり見せる笑顔はあどけなく、ちょっとした挙動からも性根の優しさは感じ取れるし、普通の環境で暮らせばリミ=ルウのように元気で屈託のない性格に育ったのではないのかな、と俺には思えてならないのだ。


「もうトゥール=ディンは、ポイタンを焼く手際も完璧だね。ギバの肉を持ってきたら、今度は肉料理の作り方を手ほどきしてあげるよ?」


 俺の言葉に、トゥール=ディンはますます顔を赤くして「でも……」と縮こまってしまう。


「ファの家のアスタ。晩餐は本来、自分の家のかまどで作るべきものです。ポイタンぐらいはここでこうして焼かせてもらっておりますが、さすがにギバの肉まで焼いてしまうのは、森のしきたりに反しましょう」


 そんな風に言葉をはさんできたのは、ディンの家長の姉であり、トゥール=ディンの亡き母の姉でもあるジャス=ディンだった。柔和な面立ちと厳格な眼差しを有する、なかなか威厳のある年配の女衆である。


「あ、そういえばそういうしきたりもあるんでしたね。だからみんな、ポイタン以外の作業は見学するだけだったんですか。……でも、見学するだけではなかなか技術を習得することは難しいでしょうね」


「そうですね。しかし、このトゥール=ディンはかつての家長会議であなたの手ほどきを受けているので、なかなか巧みにかまど番の仕事を果たすことができています」


 ほめられればほめられるほど、トゥール=ディンのうつむき加減は深くなってしまう。

 これも悲しき事案であるが、どうやら彼女たちは、敵意や害意よりも善意や好意に対してこそ免疫力を失ってしまっているようなのだ。

 しかし、善意や好意を向けられるに相応しい存在であるのだから、こればかりはしかたがない。


 そんなトゥール=ディンが、「あ……」と小さな声をあげた。

 その視線を追うと、皮を剥ぎ終わったアイ=ファが臓物の摘出に取りかかっている姿が見えた。


「どうしたの?」と問うてみても、「いえ……」としか答えない。


 スンの集落では、狩人としての仕事を極力回避するために、胴体の肉まできっちり食べきっていた。それならば、ギバの臓物など見慣れたものであるはずだ。


「臓物か。俺の故郷では、ギバによく似た獣がいてさ。そいつは臓物まで美味しく食べられていたはずなんだけど、ギバの臓物はどんな味がするんだろうね」


 何となくこのまま会話を打ち切るのが心残りであったので、俺はそんな風に言葉を継いでみた。


 すると――

 トゥール=ディンが、愕然とした様子で、俺を振り仰いできた。


「ア、アスタの故郷では、ギバの内臓を食べていたのですか?」


「うん? ギバじゃなくて、ギバとよく似た別の動物なんだけどね。でも、肉の味はそっくりだから、もしかしたらギバの内臓も美味しく食べられるんじゃないかなあ」


「た、食べられます!」と、トゥール=ディンがこの内気な少女には珍しいぐらいの大きな声をあげた。


 が、たちまちその顔をまた真っ赤に染めて、今まで以上に深々とうつむいてしまう。


 それを取り囲むジャス=ディンやフォウの女衆たちは、わけもわからずきょとんとしていた。


「あ、もしかしたらスンの集落では、ギバの臓物も食べていたのかい?」


「…………はい」


 もはや消え入りそうな声である。


「ギバの内臓をね。あんな不味そうなものを食べてまで、スンの人間はギバ狩りの仕事を果たしたくなかったというわけかい」


 ジャス=ディンの厳しい眼差しが、トゥール=ディンを静かに見すえる。


「いや、ですが、俺の故郷でも動物の臓物は珍味としてなかなか重宝されていましたよ。それに、臓物には肉とはまた違った栄養があって、そういう意味でも重宝されていたんです」


 トゥール=ディンを庇いたい気持ちが半分、臓物料理に対する興味が半分、という感じで、俺はそう述べてみせた。


「実のところ、俺なんかはギバの内臓をまるまる捨ててしまうことに口惜しさを感じたりもしていたぐらいなんです。ねえ、トゥール=ディン、よかったら君たちがどんな風にギバの臓物を調理していたか教えてくれないかなあ?」


「え……」と、トゥール=ディンは困惑しきったように視線をさまよわせる。


 ジャス=ディンは小さく息をつき、トゥール=ディンの小さな頭をぽんと叩いた。


「あんたはファの家のアスタに大きな恩義があるだろう? こんなことぐらいでその恩義を返せはしないだろうが、力は惜しまず尽くすべきなんじゃないのかね?」


「……わかりました」とトゥール=ディンはうなずき、伏し目がちにまた俺の顔を見つめてくる。


 俺の見間違えでなければ、その青い瞳にはうっすらと嬉しそうな光が灯っているように感じられた。


           ◇


「難しいことは、わたしにもわかりません。ただ、臭みのひどい部分を取り除いて、後は水で入念に洗うだけでした」


 トゥール=ディンの言葉に従って、俺たちは水場に移動することになった。


 臓物は残らず鉄鍋にぶちこんで、えっほえっほと運んできた。さして興味もなさそうなフォウ家の女衆も同行し、総勢は5名である。アイ=ファは肉の解体にいそしんでいるため、不参加だ。


「まず、この部分は捨ててしまっていましたね」


 鍋の中から、トゥール=ディンが小さな肉片をつまみあげる。

 ピンポン玉ぐらいの、ころんとした色の悪い臓器。

 膀胱である。


「あと、この臓物のこの部分ですね」


 今度は、どっしりとした赤褐色の肉塊、肝臓を持ち上げる。

 で、そこから除去されるべきは、肉塊にはさみこまれるようにしてひっついている、薄黄緑色の小さな袋、胆嚢である。


 膀胱も胆嚢も、破けるとひどい臭みが肉に移ってしまうから内臓摘出の際は特に気をつけるべし、と俺が猟師さんから習っていた部位だ。


「ギバが子を孕んでいた場合はこの部分も捨ててしまっていましたが、このギバは大丈夫そうですね」


 白くて細くてうねうねとした部位。

 説明から察するに、子宮――コブクロなのだろう。

 このギバは、メスであったのか。


「ふむふむ。で、水で洗っていくわけだね。まずはどれから手をつけようか?」


「あ、その前に、こっちのとこっちのは表面を切って中の塵芥を取り除く必要があります」


 こっちのとこっち。

 それは、ピンク色のうねうねとした大腸の先にひっついている、白くてしわしわの細長い器官――たぶん直腸と、そして、ぱんぱんに膨れあがったピンク色の物体、胃袋であった。


 なるほど、あれだけ脂ののったギバであったのだから、生前はたらふく森の恵みを喰らっていたのだろう。胃袋にはその残骸が残っているから、まずはそれを除去しなければいけないわけだ。


 で、直腸は、たぶん肛門につながっている部位だから、当然アレが詰まっているはずである。


 しかし、臓物調理の初心者たる俺には、直腸のアレよりも胃袋の中身にこそ警戒心をかきたてられてしまった。


「えーっとさ、ギバは木の実や野菜ばかりじゃなく、蛇やトカゲや虫なんかも食べているんだよね?」


 俺の言葉に、トゥール=ディンは不思議そうに首を傾げる。


「はい。……そういえば、そっちのそれを切り開いたとき、中からたくさんの蛇が出てきたことがありました」


「うわあ、やっぱり!」


「だけどもちろん、蛇の死骸ですよ? 中には危険な毒を持つ蛇もいましたが、死んでいたから危険はありません」


「いやあ、それはそうなんだろうけど……」


「アスタは、死んだ蛇も怖いのですか?」


 と――トゥール=ディンが、くすりと笑った。

 何とも愛くるしい笑顔である。


「それなら、わたしが受け持ちます。アスタの刀を貸していただけますか?」


「いや! 胃袋の中身が怖くて臓物の調理はできないよ!」


 意を決し、俺は小刀を抜き放った。

 そうして、膨らみきった胃袋にぷつりと刃先を差しこんで、慎重に切り開いていくと――


 中からは、暗緑色に変色した大量の木の実の残骸があふれだしてきた。


「蛇、いませんでしたね?」


 そちらは直腸の不純物を除去しながら、トゥール=ディンが微笑みかけてくる。

 もしかして、本人は気づいていないのだろうか。さっきからずっと笑顔のままである。


 ちなみに、ギバのアレはかりんとうのようにコロコロとしており、そんなに汚らしい感じはしなかった。

 胃袋の内容物も含めて、鼻呼吸さえ止めておけば、何てことはない。


 何はともあれ、胃袋と直腸の不純物は除去できた。

 ちょろちょろと流れる岩清水で入念な洗浄も済ませたら、お次は蛇のようにのたうつ大腸と小腸、それにコブクロの処置だった。


 細っこい小腸とコブクロは外側をざっと洗ったら、さっさと切り開いて、表も裏も洗いたおす。この段階で、残り3名の女衆の手も借りることになった。


 ぬめりが取れるまで洗うのがベスト、とのことであったが、洗っても洗ってもなかなか完全には取りきれないのだ。

 塩でもみ洗いでもすれば効率的かもしれなかったが、この世界において岩塩は、やや値の張る品物である。今日のところは、人海戦術で何とかすることにした。


「では、この間にこっちのも片付けてしまいましょう。アスタ、そちらの先端を握って、水が流れないようにしてもらえますか?」


 なかなか的確な指示を出しながら、トゥール=ディンは大腸の先端から岩清水を流し込み始めた。


 トゥール=ディンの指示通りに逆側の先端を握りこむと、たちまち大腸が水でぱんぱんになり、1本の長大なソーセージのような形状に成り果てた。


 トゥール=ディンは自分も大腸の先端を握りこみ、その状態でソーセージもどきを端から端までもみしだいていく。


 そうして水を捨て、もう1度水を入れ、3回ばかりもそれを繰り返したのち、俺の小刀で大腸を10センチずつぐらいに切り分けていき、表と裏をぐりんとひっくり返してしまう。


 で、むきだしになった裏側を、さらにごしごしと洗うのだ。

 これはやはり、なかなかの手間である。


 しかし、5人がかりで大腸と小腸とコブクロをやっつけると、ピンクや乳白色の綺麗な肉の切れ端がちょっとした山となり、俺にはもうそれらが食材以外の何物にも見えなくなってしまっていた。


「次は、これですね。他のと同じように、まずは表面の膜を剥がします」


 そう言ってトゥール=ディンが取り上げたのは、手の平サイズのソラマメのような形状をした部位だった。


 ほとんど同じ形状をしたものが、2つ。

 こんな風に左右対称で存在する臓器は、肺と腎臓ぐらいしか思い当たらない。だからたぶん、腎臓なのだろう。


 表面の白い膜を剥がすと、中からはレバーのようにつやつやでなめらかな赤褐色の姿が現れた。


「アスタ、これを横向きに切り開いてもらえますか?」


「了解」


 切り開くと、中には脂身のように白い物体が、葉脈のように広がっていた。


「わたしが仕事をまかされたときは、その白い部分はちぎって捨てていました。……何か、そこから嫌な臭みを感じることがあったので」


「へえ、そうなんだ」


 腎臓の役割は、たしか体内の水分の濾過であったはずだ。この部分に毒素でも溜まる仕組みになっているのだろうか。


 そのようなことはわからなかったが、別のことはわかった気がした。

 たぶん、トゥール=ディンは、もともとかまど番の仕事を好んでいたのだ。

 だからきっと、さっきから楽しそうな顔をしているのだろう。


 今までは、禁忌とされている森の恵みを食することに罪悪感を抱かされていた。

 ギバの調理においても、「必要最低限のギバしか狩らない」というスン家ならではの掟のもとに、内臓までさばく羽目になっていた。


 わずか10歳のトゥール=ディンでも、それが異常な掟だということは骨身にしみるほど理解できていたのだろう。彼女たちは、決してその事実を他の氏族の者たちに知られてはならない、知られたら頭の皮を剥がされるのだ、と教えこまれていたはずなのだから。


 それゆえに――彼女たちは、あんな死んだ魚のような目つきで生きることになったのだ。


 だけど、それでも、彼女はかまど番の仕事が好きであったり、得意であったりしたのではないだろうか。少なくとも、「この部位を切り取ればもっと美味しい食事を作ることができる」と考えつくぐらいには。


 質実に過ぎて、美食をよしとしてこなかった森辺の民である。

 食事の準備などに余計な手間をかける必要はない、というのが森辺の民の基本スタンスだ。


 しかし、潜在的な資質として、調理に向いている人間というのは、存在するのだと思う。

 ルウの集落においても、もともとかまど番を得意としていた人々――レイナ=ルウやシーラ=ルウ、ミーア・レイ母さんやタリ=ルウなどといった人々こそが、めきめきと頭角を現しているのである。


 だからきっと、このトゥール=ディンも、それらの女衆と同じタイプの人間なのだろう。


 そして――スン家では禁忌に密接していたかまど番の仕事に、今では誰に恥じることもなく、正しき仕事として取り組むことができている。


 だからこそ、彼女はこんな風に幸福そうな微笑みを浮かべることができているのではないだろうか。


「あとは、これとこれですね。この2つは少し切れ目を入れて、中の血をよく洗い流したほうがいいと思います」


 そんな俺の想念も知らぬまま、トゥール=ディンは心臓と肝臓を差し出してきた。


「洗っても洗っても血は出てくるのですが、それでも洗うほうが洗わないよりは美味しくなると思いますので……」


「それはまさしくその通りだろうね。だからこそ、男衆にもギバを狩ったときに血抜きをしてもらっているんだよ」


 森辺の民は、80年もの間、血抜きの発想に至ることはなかった。

 それなのに、歪んだ掟のせいで内臓を食べる羽目になったという境遇ゆえに――きっと肉よりも臭みの強い内臓を、何とかして食べなくてはならなかったという境遇ゆえに、「血こそが臭みの原因」という真実に近づいていた、というのは何とも皮肉な話である。


 そんなことを考えながら、俺は心臓を、トゥール=ディンは肝臓を、それぞれ岩清水に浸しながら、もにゅもにゅともみ洗いする。


「他の部分は、そのまま水で洗うだけです。鉄鍋に水を注いで、その中で洗えば十分だと思います」


 といっても、鍋にはもうそれほどの部位は残っていない。

 淡いピンク色で、実に不可思議な柔らかい触感をした肺と、白い網状の脂に包まれた細長い器官――消去法によると、たぶん膵臓。

 それに、外見は平べったい肉にしか見えない横隔膜、である。


 そちらの洗浄にジャス=ディンらが取り掛かると、ようやくゴールが見えてきた。


「いやあ、なかなかの作業だね、これは。……で、トゥール=ディンは、これらの臓物をどうやって食べていたのかな?」


「はい。大体は鍋で煮込んで食べていました。これでもまだ肉よりも臭みが強いので、その――リーロや、名も知れぬ香草と一緒に煮込んで……」


 と、トゥール=ディンの顔に暗い陰りが落ちてくる。

 それはきっと、森辺の民には名も知らされていない、禁忌の森の恵みであったのだろう。


「煮込むだけ? 焼いたりはしなかった?」


「え? ……はい……焼くだけだと、どうしても臭みが気になってしまうので……」


「ふうん。だけどトゥール=ディンは、臓物料理が嫌いなわけではなかったんだよね?」


 そうでなければ、わざわざ臓物を食べていた、などと打ち明けてはこないと思う。スンの集落の歪んだ風習など、自分から話題にしたいと思えるはずはないのだから。


「そうですね。……肉より嫌い、ということはありませんでした。何というか……くにゅくにゅとした噛み応えが、ちょっと心地好く感じられたので」


「くにゅくにゅ? くにゅくにゅかあ。面白い表現だね!」


 俺は大げさに明るい声で応じてみせる。

 とたんにトゥール=ディンは、深刻になりかけていた顔を真っ赤にして、またうつむいてしまった。

 ちょっと気の毒だが、過去に思いを飛ばすよりは、そのほうがずっといいと思う。


「それじゃあ今日は、俺なりの食べ方を試させてもらおうかな。それでもくにゅくにゅとした食感はなくならないと思うから心配しないでね?」


 そう言うと、トゥール=ディンは肝臓をもみ洗いしながら「もう!」と怒った声をあげて、俺の腕に肩をぶつけてきた。


            ◇


 そうして臓物の洗浄作業を終えた俺たちは、ファの家に戻り、しばし本来の作業に立ち返ることになった。


 もちろん、臓物の始末を後回しにしたわけではない。心臓と肝臓は塩水に漬けてさらなる血抜きをほどこし、残りの部位は臭み消しのリーロの葉とともに下茹でをしたのち、ミャームーとアリアと果実酒の漬け汁に漬けておくことにしたのだ。


 小1時間ばかりも臓物料理の下準備についやしてしまったため、仕込みの作業は大幅に遅れてしまった。俺はせっせと『ギバ・バーグ』のためのパテをこしらえ、『ミャームー焼き』と『ギバの角煮』と『ギバ・チット』のための肉を切り分け、何とか夕暮れを迎える前にノルマ分の仕事を果たすことができた。


「よし、それでは臓物の調理に取りかかろう」


 屋外に設置された、2つのかまど。その片方では晩餐のためのスープを煮立てつつ、もう片方では鉄板を温める。


「あれ? 煮込むのではなく、焼くのですか?」


 不思議そうに目を丸くするトゥール=ディンに、俺は「そうだよ」と、うなずき返す。


「いまファの家にある調味料だと、煮込むより焼いたほうが強い味をつけられるからね。とりあえずはこの『ミャームー焼き』と同じ漬けダレで焼いてみるよ」


「いったん煮たものを、今度は焼くのですか……」


 下茹でという概念のない森辺の民には、それが不可思議に思えてしまうのだろう。

 だけど、俺の世界においてのホルモン焼きは、たぶん下茹でをしたのちに焼いていた、と思う。

 思う、というのは頼りない言い方であるが。恥ずかしながら、外食の機会が少なかった我が家であるので、俺はしゃぶしゃぶと同じぐらい臓物料理というものに馴染みがなかったのだ。


 親父もきっと、臓物料理にはあまり興味がなかったのだろう。常連さんに「もつ鍋をメニューに加えてくれよ」とか言われたときも、「そのうちねー」とか答えていた気がする。


 そんなわけで、すべてが手探りの調理である。


 とりあえず、ころころとした形状の心臓、肝臓、腎臓の3種だけは、下茹でをせず、薄切りにしてミャームーのタレに漬けておいた。

 心臓はハツで、肝臓はレバーで――腎臓は何と呼ぶのだろう。俺にはもう、永久にそれを知る手立てがない。


 で、下茹でをした残りの部位は、問答無用ですべてぶつ切りだ。

 まさしく、俺の記憶にぼんやりとあるホルモンの形状そのものである。

 まずはそのホルモンからチャレンジすることにした。


 赤いタレに染まった臓物たちを、手づかみで豪快に鉄鍋へとぶちまける。

『ミャームー焼き』と同様の、果実酒の甘い香りとミャームーのニンニクっぽい香りが、白煙とともに爆発した。


「ああ、いい匂いですね」と、フォウ家の女衆が楽しそうにつぶやく。


「アスタに干し肉を買っていただいたおかげでたくさんの銅貨を得ることができたので、今度フォウの家でもミャームーという野菜を買ってみることにします」


「それは素晴らしい」とか応じつつ、俺はモツたちが焦げついてしまわないように木べらを奮う。


 すると、アイ=ファが俺の肩ごしにぬっと顔を出してきた。


「ふむ。なかなか奇っ怪な見た目だな」


「でも、美味そうな匂いだろう?」


「匂いは、ミャームーの匂いではないか」


 おっしゃる通りでございます。

 だけど、どうだろう。ギバのホルモン焼きは、森辺の民のお口に合うのだろうか。

 下処理と漬けダレの効果できちんと臭みを消せていれば、少なくとも食べられないことはないと思うのだが。何せ俺自身がホルモン焼きというものをほとんど食したことがないため、ちと不安だ。


「よし。第一陣はこんなもんかな」


 十分に焼きあがった臓物たちを、鉄板の端に寄せる。

 そいつを木匙で木皿に取りわけて、俺はトゥール=ディンに差し出してみせた。


「はい、どうぞ。まずは言いだしっぺの俺たちから試食させていただこう」


「……はい」


 トゥール=ディンはちょっと不安げな面持ちでそれを受け取る。

 もしもこれが不味かったら、小1時間も作業させたことが無駄になってしまう――とでも思っているのだろう。


 大丈夫。責任は2人で分かち合う所存だ。


 そういったわけで、俺も自分の木皿にモツたちを取り分けて、逡巡することなく、口の中に放り入れた。


 まず広がるのは、『ミャームー焼き』でお馴染みの、甘辛い味だ。


 で、柔らかいモツに歯をたててみると――

 くにゅくにゅした食感が、心地よかった。


 ふむ。

 見た目通り、鶏皮みたいな食感である。

 なかなか噛み切れない。もちもちとした弾力だ。


 不味くは、ない。

 臭くも、ない。


 というか、これはいったいどの部位なのだろう? そんなに厚みはなかったので、小腸かコブクロあたりだと思うのだが。


 さしあたっては、可もなく不可もなくというのが、俺の正直な感想だった。


「どうだい、トゥール=ディン?」


 俺は目線を転じてみる。

 すると――トゥール=ディンは木皿と木匙を握りしめたまま、何とも幸福そうな笑顔になっていた。


「美味しいです、すごく。……以前に食べたものよりも、ずっと美味しいです」


 そうなのか。

 まあ、モツ料理などというものは、きっと個人で好みが分かれるものなのだろう。そんなことを考えながら、今度はもうちょっと大ぶりのやつを口に入れてみた。


 で、そいつをくにゅくにゅ噛んでみると――さきほどとはまったく異なる旨味が、口の中に広がった。


「あれ? 美味いや」


「ね? 美味しいですよね?」


 トゥール=ディンはいっそう嬉しそうに微笑む。


 何だろう。さきほどよりもいっそうぷりぷりとした食感が好ましい。それに、旨味が段違いである。ギバの脂のこってりとした風味を強く感じる。


 今のは、形状からして、大腸だろうか。

 これは美味い。普通に美味いと感じられる。


「うん、美味しいです。これなら自信をもっておすすめできますね。よかったらみなさんも食べてみてください」


 あんまり数に余裕がなかったので、食器は各氏族に1セットずつしか行き渡っていない。フォウ家の女衆はおそるおそる木皿を取り、トゥール=ディンは新たなモツをすくいあげてから、笑顔でそれをジャス=ディンに手渡した。


 ということで、俺も家長に木皿を献上する。


「……本当に美味いのか?」


「美味いよ。えーっとな、部位によってかなり味が違うみたいだ。何口か食べると、当たりがあると思う」


 答えながら、今度はハツやレバーを焼いてみた。

 レバーは俺が知っている通りの外見で、腎臓もほとんど見分けがつかない。ハツはもうちょっと肉質がしっかりしており、ほとんど赤身の肉みたいな感じだ。



 焼きながら、ちらりとアイ=ファを振り返る。


「どうだ? 悪くないだろ?」


「うむ。悪くはない。……だが、これはいつ飲みこめばよいのだ?」


「実は俺もよくわからない。適当に噛みちぎれたら、それでいいんじゃないのかな」


 そんな問答を交わしている間に、ハツもレバーも焼けてしまった。

 牛やトリのレバーだったら、俺でも食したことはあるが。これらは如何なものだろう。


 まだもにゅもにゅと口を動かしているアイ=ファから木皿を取り返し、まずはレバーから食してみる。


 うん、これは全然、普通に美味い。

 俺の知るレバーより数段濃厚な味わいで、なおかつ血の臭みなどは一切感じられない。あのていどの下処理でこれほどのものが味わえるなら、及第点以上であろう。今まで手をつけず廃棄してしまっていたのが悔やまれるほどだ。


 腎臓も、レバーに近い味と食感だった。

 レバーほど濃厚でない代わりに、クセも少なく食べやすい。噛み応えも、ちょっと柔らかめだ。


 そして、ハツのほうは――こちらは、ほとんど普通の肉と変わりがなかった。

 見た目も赤身の焼き肉そのままで、なおかつモモ肉よりよほど柔らかい。


「うん、美味い。美味いし、ホルモンよりも食べやすいな。アイ=ファも食べてみろよ」


「これは何だ? 肉ではないのか?」


「こっちは肝臓、こっちは腎臓、それでこっちは心臓だ。肝臓なんかはちょっとクセがあるけど、たぶん栄養は満点だぞ? 心臓は、普通の肉みたいで普通に美味しい」


「ギバの心臓、か――」


 アイ=ファは少し物思わしげにつぶやき、まず真っ先にハツを食べた。


「……美味いな」


「美味いだろう?」


「ああ、美味い。……それに、ギバの生命を喰らっているのだ、ということが強く感じられる」


 アイ=ファはとても満足そうだった。

 他のみんなも、同様の表情だ。


 ということで、ギバ1頭分のモツ料理であったが、6人がかりなら持て余すこともなく、すみやかにたいらげることができてしまった。

 晩餐前の試食会は、これにて無事に閉幕である。


「とても美味だったと思います。……ですが、やはりこれらは準備に手間がかかりすぎるのではないですか? 足や胴体の肉であれば、同じぐらい美味でありながら、これほど手間をかける必要もないのですから」


 閉幕の後、一同を代表する形で、ジャス=ディンがそう述べてきた。


「そうですね。食べるかどうかはそれぞれの家の判断でいいと思います。心臓や肝臓など、腸に比べれば下処理も面倒でない部位だけ食べる、という手もありますしね。……あと、トゥール=ディン、これらの内臓はピコの葉に漬けてもそんなに保存がきかないと思うんだけど、どうだろう?」


「はい。何日かなら保つのかもしれませんが、わたしたちはその日の内に食べていました」


「やっぱりそうだよね。……でもたぶん、ファの家では時間の許す限り、すべてを食べていくことになると思います。美味しいと知れたものをみすみす捨てる気にはなれませんし、それに――もしも宿場町で肉を売れるようになったら、肉自体の価値が高まるわけですしね」


 女衆らは、今ひとつ理解できていない様子で首をひねっていた。


「あまり大きくないギバでもこれだけの量の料理が作れたのですから、大物のギバだったら、普通の晩餐の1回分ぐらいはまかなえそうじゃないですか? 1回分の食事がまかなえれば、その分の肉を商売用に回すこともできます。……まあ、そこまで銅貨を稼ぐことに重きを置く必要はないのかもしれませんけどね」


「はあ……そういうものですかね……」


「あと、これはギバを狩った当人たちが、ギバを狩ったその日にしか食べられない料理です。そう考えたら、ギバを狩った狩人をたたえる祝福の料理、みたいな感じがしませんか? だから俺は、捨てずにきちんと料理にしたい、と思えるのかもしれません」


 まあ、そのあたりの感情は、それこそ人それぞれだ。

 べつだん、無理強いするつもりはない。


「まあ、他に差し迫った仕事がないときなんかは、ひと手間かけるのもいいのではないですかね。臓物にはきっと肉とはまた異なる栄養が詰まっていると思いますし、あの食感は肉からは得られないものでもありますしね」


「……少なくとも、ギバの心臓は男衆に好まれると思う」


 と、静かにアイ=ファが口をはさんできた。


「あれはきっと、狩人の好む食べ物だ。ギバの生命をこの身に取り入れたという充足した気持ちが得られると思う」


「なるほど。あなたたちはわたしたちに色々なことを教えてくれますね、ファの家のアイ=ファにアスタ」


 そう応じたのは、ジャス=ディンである。

 そして、厳格な眼差しと柔和な表情をあわせもつジャス=ディンは、いくぶんしわの寄った手の平をトゥール=ディンの頭にぽんと置いた。


「ディン家でも、臓物を食べるように心がけてみましょう。このトゥール=ディンが好む味でもあるわけですから」


 トゥール=ディンは、少し頬を染めつつ微笑する。


「くにゅくにゅして美味しかったね?」


 などと俺が余計な口を叩いてしまうと、少女はいっそう顔を赤くして、また「もう!」と俺の胸をぽかぽかと叩いてきた。


 そうして家長の冷ややかな目に見守られている内に、森辺には夕闇のとばりが降りつつあった。

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[気になる点] この世界で、カロンやキミュスの臓物を食材にしていたら、その知識や技術も参考になるのでは。
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