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異世界料理道  作者: EDA
第九十二章 慶祝の黄の月(下)
1579/1686

狭間の日①~歓迎~

2025.1/13 更新分 1/1

・今回の更新は全6話です。

 ユーミ=ランとジョウ=ランの婚儀の翌日――黄の月の21日である。

 その日の朝、俺が安楽な心地で目を覚ますと、すぐさまアイ=ファの優しい眼差しで心を満たされることになった。


「おはよう、アイ=ファ……今日もアイ=ファに先を越されちゃったな……」


「うむ。べつだん先を競っているわけでもないのだから、どうでもかまうまい」


 そんな愛想のないことを言いながら、その声にはアイ=ファらしい温かさが込められている。寝所であればふたりきりなので、アイ=ファもあらゆる感情を隠すことなく俺に届けてくれるのだ。


 この近年、俺が朝から真っ先に目にするのは、アイ=ファのこういう優しい顔か、あるいはアイ=ファの可愛らしい寝顔である。以前であれば、アイ=ファが身を起こして髪を結っている姿であるとか、さっさと寝具を片付けている姿などを目にする機会もあったのだが――ここ最近は手をつないで就寝しているがために、どちらが先に目覚めようとも必ずアイ=ファがすぐそばで寄り添ってくれているのだった。


 俺たちが手をつないでいるのは、悪夢に対する対策である。

 以前、アイ=ファに抱きすくめられた状態で寝入っていた俺は、悪夢の内容が変化するさまを見届けることになったのだ。


 それまでの悪夢において、俺は漆黒の闇の中でひたすら地獄の業火に焼き殺されていた。

 しかしその日だけは、闇の中に星空のごとき金色の光が散りばめられており――そしてその光が、俺に常ならぬ力を与えてくれたのだ。


 その常ならぬ力でもって、俺は闇の中を這い回った。

 闇の奥底に隠された恐怖の根源を突き止めるべく、そちらに近づいていったのだ。

 そうして俺は、確かに恐怖の根源を目の当たりにしたように思うのだが――残念ながら、そこで目を覚ましてしまい、せっかくの成果が記憶の果てに霧散してしまったのだった。


「……どうやら今日も、悪夢には見舞われなかったようだな」


 俺の手を名残惜しそうに手放しながら、アイ=ファはそのように告げてきた。

 アイ=ファとともに半身を起こしながら、俺は「うん」とうなずく。


「まあ、あんな悪夢を見るのは数ヶ月にいっぺんのことだからな。最後に見たのはアイ=ファの生誕の日だから、もう2ヶ月以上は経ってることになるけど……こればかりは、黙って待つしかないと思うよ」


「うむ。夢の内容など、こちらの思惑でどうこうできるわけもなかろうからな」


 そのように語るアイ=ファの瞳に、どこか真剣な光がよぎる。

 どうもここ最近は、アイ=ファのほうが悪夢の存在を気にかけている様子であるのだ。以前は夢について取り沙汰するなど馬鹿げているという姿勢であったのに、今はむしろ悪夢の到来を待ち望んでいるかのようであった。


(まあ、それは俺も同じことだからな。アイ=ファと同じ気持ちになれたんなら、それが一番だ)


 もちろんあんな悪夢は苦しいだけであるので、見ずに済むに越したことはない。

 しかし俺は《ギャムレイの一座》のナチャラによって、深層心理だか何だかを分析されたことがあり――その際に、俺が恐怖の根源を忘れているという診断を下されることになったのだ。


 俺が恐怖しているのは、謎の人物である。

 顔に大きな火傷を負った、人相も判然としない謎の人物――ナチャラの術式にかけられた俺は水晶玉の奥底にそんな人物の姿をぼんやりと見出しただけで、とてつもない恐怖に見舞われてしまったのだ。


 あれはまさしく、悪夢の中で焼き殺されるときと同じ恐怖であった。

 そしてついには、悪夢の中にその謎の人物の幻影を見ることになったのだ。これでは、ナチャラの言葉を二の次にすることもできなかった。


(ナチャラが使ったのは、人の記憶をほじくりかえす術式……だから俺は絶対にあいつと出会ったことがあって、ただそれを忘れてるだけだっていう話だったよな)


 俺は、その正体を突き止めたいと考えている。

 俺はかつてその恐怖を、フェルメスがもたらす『星無き民』の情報と混同して、心の均衡を失ってしまったのだ。自分では元気なつもりでいるのに、目の奥に暗い陰りがあると、アイ=ファたちをたいそう心配させてしまったのだった。


 もう二度と、アイ=ファたちにおかしな心配をかけたくない。

 そのために、俺は恐怖の根源の正体を突き止めて――そして、それを乗り越えたいと願っていた。


(そのためには、やっぱりアイ=ファの力が必要なんだ)


 俺がそんな思いを込めて見つめると、アイ=ファは優しい表情で優しく頭を小突いてきた。


「朝から何を、神妙な目つきになっているのだ」


「うん。先にそんな目つきを見せたのは、アイ=ファのほうだと思うけどな」


 アイ=ファは否定も肯定もせず、ただ優しい眼差しで俺を見つめた。

 口に出すまでもなく、俺たちは同じ思いを抱いていると信ずることができる。それで俺も、心置きなく気持ちを切り替えることができた。


(何にせよ、悪夢を見ないと乗り越えようもないもんな。焦らず、気長に待つしかないさ)


 そうして俺は「うーん!」とおもいきりのびをしてから、明るく健やかな日常に足を踏み出すことに相成ったのだった。


                  ◇


 寝具を片付けて着替えを完了させたならば、まずは水場で洗い物である。

 俺たちが引き板を引いて水場に向かうと、そちらには嬉しい驚きが待ちかまえていた。


「やあ、アスタにアイ=ファ。さっそく顔をあわせちゃったね」


 それは昨晩婚儀を挙げたばかりの、ユーミ=ランに他ならなかった。彼女もまたランの家人として、朝の仕事に励んでいたのだ。


 一夜が明けて、ユーミ=ランはすっかり見違えた姿になっている。

 長くのばしていた髪は首の横ですっぱりと切り落とされて、身に纏っているのは既婚の証である一枚布の装束だ。

 首には三つの牙を連ねたお守りの首飾り、手首には毒虫除けのグリギの実の腕飾り、足もとは革の編みサンダル――それはまさしく、森辺の女衆の平常の装いに他ならなかった。


「おはよう、ユーミ=ラン。髪も装束も、よく似合ってるね」


 俺が万感の思いを込めて答えると、ユーミ=ランは照れ臭そうに「あはは」と笑った。


「やたらと頭が軽いのが奇妙な心地だけど、ま、すぐになれるでしょ」


 ユーミ=ランの髪は本当に真っ直ぐ切りそろえられており、長い前髪はそのまま左右に分けられている。俺の故郷の言葉で表現するならば、ワンレングスのショートボブというやつだ。活発な気性をしたユーミ=ランには、とてもよく似合っていた。


 それに――やっぱりどこか、空気が違っている。その元気な物言いや表情に変化はないが、どこかしっとりとした落ち着きが感じられるのだ。それでいて、もともとの色香がさらに増幅されているようであるし、その複雑なバランスがユーミ=ランに新たな魅力を与えていた。


(婚儀を挙げると、みんな雰囲気が変わるもんな。特に女性陣は、変化が大きいみたいだ)


 女性は髪型や服装も変わるし、それに――俺はできるだけ想像しないように気をつけているが、婚儀を挙げたからには新婚初夜というものを体験するのだ。とりわけ女性にとって、それは一大事なのではないかと察せられた。


「今はユーミ=ランに、洗い物の仕事を教えていました! でも、ユーミ=ランも宿で同じ仕事をこなしていたので、なんの苦労もないようですね!」


 そんな言葉を告げてきたのは、ラン本家の末妹である。《西風亭》の屋台や食堂を手伝っている、とても朗らかな娘さんだ。彼女は本家、ユーミ=ランは分家であるので、同じランの家人でも名に氏をつけて呼ぶ間柄であった。


「でも、井戸と湧き水じゃ勝手が違ってるからねー。使う道具も違ってるし、やっぱり気は抜けないよ」


「そうですね! わたしも《西風亭》で、同じ思いを抱いていました! おたがい、頑張りましょう!」


 ランの末妹は楽しくてたまらないといった様相であるし、その場に集った面々も温かな眼差しでこちらのやりとりを見守っている。この水場を使用しているのは、おおよそフォウの血族であるのだ。つまりは誰もが、ユーミ=ランの血族であるわけであった。


 そうして俺たちもユーミ=ランの隣に並んで、食器や装束の洗浄を開始する。

 真剣な面持ちで作業に取り組みながら、ユーミ=ランはちらちらと俺のほうをうかがってきた。


「えーと……やっぱりアスタたちと横並びで仕事をするのって、奇妙な気分だね」


「うん。屋台の商売なら、隣り合っても自然な心地だけどね」


「うん。でも、すごく幸せな気分だよ」


 ユーミ=ランは、はにかむように微笑んだ。

 きっと、幸せな気持ちを持て余しているのだろう。俺なんかはまず居候の立場で森辺における生活をスタートさせたので、幸せな心地も段階的に味わうことになったが、ユーミ=ランは一夜にして森辺の正式な家人という立場を与えられたのである。それではやはり、心持ちにも大きな違いが出てきそうなところであった。


(そう考えると、マイムたちは俺、シュミラル=リリンはユーミ=ランに近い状況だったわけだな。まあ、最終的に幸せな気分であることに、変わりはないけどさ)


 俺がそんな感慨を噛みしめていると、今度は年配の女衆――ジョウ=ランの母親が呼びかけてきた。


「ユーミ、アスタたちとは語りたい話もあるでしょう? 何も遠慮はいりませんよ」


「あ、はい。……そういう匙加減も、まだちょっとわからなくて」


「加減を間違えば、わたしたちがそれを正します。頭ごなしに叱ったりはしないので、まずはあなたが正しいと思う通りに振る舞ってください」


 口調は丁寧だが、その声には新たな家人に対する情愛と思いやりが感じられる。もちろん純真な人間が居揃っている森辺において、姑が嫁をいびったりするようなことはないのだろう。また、そうまで意に沿わない相手であれば、最初から嫁に迎えることもないという果断さも備わっているはずであった。


「えーと、それじゃあ……アスタもアイ=ファも、昨日はありがとう。みんなのおかげで、本当に最高の一夜だったよ」


「うん。ユーミ=ランの大切な日に立ちあうことができて、本当に嬉しかったよ。こちらこそ、ありがとう」


 そうして俺が視線でうながすと、黙々と作業していたアイ=ファも「うむ」と声をあげた。


「さしものユーミ=ランも、いささか地に足がついていないようだな。しかしいずれは、新たな生活に心身が馴染むことであろう。焦ることなく、一歩ずつ進むがいい」


「うん、ありがとう。アイ=ファにそう言ってもらえるのは、すごく心強いよ」


 そう言って、ユーミ=ランはまたはにかんだ。

 やっぱり多少は、身をつつしもうという思いが元気な部分を抑制しているようだ。それが自然に解除される日を、俺も焦らずに見守りたいところであった。


「ところで、ファの家の仕事に関しては、わたしたちの裁量でユーミ=ランの扱いを決めてかまわないのですよね?」


 そのように問うてきたのは、フォウの女衆である。

 俺は「もちろんです」と笑顔を返した。


「俺はあくまでフォウの家に手伝いを依頼しているだけの立場ですので、誰を働かせるかを決めるのはそちらです。何も口出しをするつもりはありません」


「承知しました。では、今日一日は様子を見て、それから判じようと思います」


「一日?」と、ユーミ=ランがびっくりまなこになった。


「あ、横から口を出しちゃって、ごめんなさい。……それって、明日からはファの家の仕事を手伝うこともありえるってこと?」


「ええ。何か不都合でもありますか?」


「いやぁ、あたしはまず森辺の仕事を覚えるのが第一だと思ってたから……」


 ユーミ=ランがごにょごにょ言葉を濁すと、フォウの女衆はやわらかく微笑んだ。


「今ではファの家に依頼されるかまど仕事も、森辺の仕事であるのです。そこに、分け隔てはありません。もとよりあなたは、腕の立つかまど番だと聞き及んでいますしね」


「あ、ああ、なるほど……」


「ただしもちろん、かまど仕事にも順番があります。まずは、フォウのかまど小屋で仕上げているトゥランの商売の下ごしらえですね。その次に、ファのかまど小屋で行う屋台の商売の下ごしらえですが……フォウの血族が受け持つのは、おおよそアスタたちのいない時間です」


「アスタたちの、いない時間?」


「はい。朝方の下ごしらえはその日の屋台の当番も集まりますので、他の人手はそれほど必要ないのです。わたしたちはアスタたちが宿場町に出向いている間、翌日の下ごしらえに励むのがほとんどですね」


「へえ、そうなんだ?」


 ユーミ=ランに驚きの視線を向けられて、俺は「うん」とうなずいた。


「商売が終わったらすぐに勉強会を始めたいから、空いている時間に下ごしらえをお願いすることになったんだよ。これはけっこう、昔からの話だね」


「へえ……やっぱりあたしは、知らないことだらけなんだなぁ」


「うん。しばらくは俺と一緒に仕事をする機会はないかもしれないけど、もしも下ごしらえの担当に任命されたら、そのときはよろしくね」


「うん! アスタと一緒に働けなくても、アスタの仕事を手伝えるのは嬉しいよ!」


 と、ユーミ=ランは彼女らしい元気さで声を張り上げた。


「アスタの屋台は、《西風亭》の商売敵でもあるけどさ! おかしな悪さをしたりはしないから、安心して任せてよ!」


 そんな風に続けてから、ユーミ=ランは慌てて周囲の女衆を見回した。


「あ、今のはただの軽口なんだけど……やっぱり、控えたほうがいいかなぁ?」


「べつだん、こちらがたしなめるような内容ではないように思います。どうぞユーミ=ランは、心のままにお語りください」


 フォウの女衆が笑いを含んだ声で応じると、ユーミ=ランは「えへへ」と気恥ずかしそうに笑った。

 こうして彼女は一歩ずつ、折り合いをつけていくのだろう。そうしてゆくゆくは、ランの家から森辺の全域にまで、何らかの影響を与えてくれるに違いない。ユーミ=ランにはそれだけの度量が備わっているのだと、俺はそのように考えていたのだった。


                 ◇


 そうしてユーミ=ランたちと別れを告げたならばラントの川で身を清めて、しかるのちに薪と香草を採取して、いよいよ商売の下ごしらえである。

 普段通りに人員が集まると、やっぱり話題にあげられるのはユーミ=ランについてであった。


「昨日の婚儀は、素晴らしかったですね! ユーミ=ランの歌を耳にしたときは、思わず涙をこぼしてしまいました!」


「は、は、はい。ラ、ラヴィッツの家長なども、ずいぶん感じ入っていたように見受けられました」


 祝宴に参席したレイ=マトゥアやマルフィラ=ナハムはそのように語り、参席できなかった面々は瞳を輝かせながら聞いている。それでもおおよその人間は、宿場町の広場でユーミ=ランの花嫁姿を目にしているはずであった。


「ユーミ=ランは、かまど番としても優れた手腕を持っていると評判ですものね! ともに働ける日が、待ち遠しいです!」


「あ、でも、それは宿場町の民としての評判であり、森辺のかまど番とは質が異なるという話でありましたよね?」


 そんな疑念を向けられて、俺は「うーん?」と思案した。


「べつに、森辺と宿場町で質が異なることはないと思うけど……言葉を飾らずに、言っちゃうね。ユーミ=ランに限らず、宿場町の人たちはそれほどかまど仕事が得意なわけじゃないんだよ。トゥラン伯爵家にまつわる騒乱が収まるまでは、扱える食材にも限りがあったわけだしね。そうでなければ、俺が屋台の商売を成功させることも難しかったんじゃないかな」


「ああ、以前は宿屋の御方がルウの女衆にかまど仕事の手ほどきをお願いしていましたものね。それじゃあ、ユーミ=ランの腕が立つというのはあくまで宿場町の民としての話であり……森辺のかまど番より、腕は劣るということなのでしょうか?」


「いや。それでもユーミ=ランは、試食会に選抜されたひとりだからね。彼女は機転がきくし、応用力も高いから、特別な手ほどきを受けていなくても、かなり腕の立つほうだと思うよ」


 俺はひいき目になってしまわないように、しっかり頭を働かせながら言いつのった。


「誤解が生まれないように、俺なりの評価を伝えておこうかな。まず、ユーミ=ランは見様見真似でも面白い料理を仕上げられるだけの発想力を持ってると思う。積極的な性格が、調理にも反映されてるんだろうね。あと、宿屋で鍛えられてるから、計算能力は高いし、損が出ないように食材費を抑える意識も強いはずだ。森辺のかまど番と比べて、劣る部分があるとすれば……やっぱり、腕力や体力かな。たぶん、森辺に来たばかりの頃の俺と同程度ぐらいだと思うよ」


「なるほど。アスタもそこまで、か弱い印象ではありませんでしたけれど……それこそ、わたしたちよりは力ない印象でしたものね」


「うん。そこはやっぱり、持って生まれた筋力の差もあるんだろうね」


「でも、アスタはすっかり逞しくなりました! もうアスタより重いものを持てるのは、マルフィラ=ナハムぐらいでしょうからね!」


 レイ=マトゥアが元気に発言すると、マルフィラ=ナハムは盛大に目を泳がせた。彼女は腕力に優れた森辺の女衆の中でも、ひときわ力持ちであるのだ。


「なんとなく、アスタのお言葉は理解できたように思います。要するに、アスタから手ほどきしていただいた森辺のかまど番のほうが、宿場町の民よりも多くを学ぶ機会があったということなのですね」


 ミームの女衆が考え深げな面持ちで、そう言った。


「それでもユーミ=ランは多少ながらアスタから学ぶ機会があったし、それを活かせるだけの才覚や心がまえが備わっていたというわけですね。それはそれで、尊敬に値するかと思います」


「うん。ユーミ=ランは、競争心も旺盛だからね。他の宿屋に負けたくないっていう気概が、そういう心がまえを育んだんだと思うよ。彼女の美点と欠点をしっかり見定めて、見習う部分は見習い、足りない部分は指導してあげてほしいかな」


「はい。ますますユーミ=ランとともに働ける日が、待ち遠しくなってきました」


 ミームの女衆は屈託なく笑い、他の女衆も笑顔でうなずいた。

 こうしてユーミ=ランがいない場所でも、彼女を同胞として迎えようという下準備が着々と進められているのだ。その場のみんなの笑顔と熱気が、俺には心強くてならなかった。


 そうして有意義に語らいながら、作業のほうも順調に進められている。

 なおかつ本日は、城下町で屋台を出す日取りであるのだ。俺は途中で取り仕切り役をユン=スドラに託して、出発の準備を整えることになった。


 3回目の出店となる本日の相方は、レイ=マトゥアである。

 レイ=マトゥアはきらきらと瞳を輝かせながら、料理が詰まった木箱を荷台に詰め込んでいく。そこに、ジルベを連れたアイ=ファがやってきた。


「そろそろ出立の時間だな。くれぐれも、用心を忘れるのではないぞ」


「はい! 何かあったら、わたしがアスタの盾になりますので!」


 俺より早くレイ=マトゥアが声を張り上げると、アイ=ファはいくぶん面食らった様子で身を引いた。


「その言葉は、ありがたく思うが……かまど番を守るのは、バルシャとジルベの役割だ。そちらは、無理をしないようにな」


「はい、すみません! 身をつつしんで、仕事に励みます!」


「うむ……レイ=マトゥアは、ずいぶん意欲を燃やしているようだな」


「もちろんです! やっぱり新しい仕事というものには、期待をかきたてられてしまいますので!」


 もともと元気なレイ=マトゥアが、いつも以上の活力をみなぎらせている。おそらくは、昨晩の祝宴の余韻も加算されているのだろう。アイ=ファは苦笑をこらえているような面持ちで、「そうか」と首肯した。


「では、アスタのもとで励むがいい。ルウ家の者たちにも、よろしくな」


 そうして俺たちはアイ=ファに見送られながら、ルウの集落に出発した。

 ルウ家の本日の当番は、レイナ=ルウとルティムの女衆だ。レイナ=ルウは2回目、ルティムの女衆は初の参戦となる。護衛役のバルシャに手綱を託した俺がそれらの面々とともに荷台に乗り込むと、レイ=マトゥアはさっそく「おはようございます!」と声を張り上げた。


「わたしは初めての手伝いになりますので、どうぞよろしくお願いいたします! ……あ、昨日はどうもありがとうございました!」


 レイ=マトゥアが御礼を告げたのは、ルティムの女衆である。彼女は昨日、宿場町の祝宴において、屋台の留守番役を受け持ってくれたのだ。ちょっとモルン・ルティム=ドムに似たところのあるルティムの女衆は丸っこい顔に朗らかな笑みをたたえながら「いえ」と応じた。


「どうも昨日は、お疲れ様でした。夜の祝宴もたいそうな賑わいであったと、家長たちから聞き及びました」


「はい! そちらは今日の商売の下ごしらえを受け持っておられたのですよね! どうもお疲れ様でした!」


「ええ。レイナ=ルウやララ=ルウの留守を任されるのは、光栄な限りです」


「そうですよね! わたしもアスタの留守を預かるときは、とても誇らしい心地です!」


 どちらも明朗な気性であるため、朝から話が弾んでいるようである。

 それを横目に、レイナ=ルウは真剣な面持ちで俺に顔を寄せてきた。


「彼女たちの尽力あって、今日も万全の状態を整えることがかないました。そちらも問題ありませんでしたか?」


「うん。そのために、人員の配置に頭をひねりまくったわけだからね。おかげで、こっちもばっちりだったよ」


「そうですか。トゥランの担当を受け持つ期間は、下ごしらえの苦労も5割増しなのでしょうしね。明後日からは、こちらも不備のないように力を尽くします」


 すると、レイ=マトゥアが勢いよくこちらに向きなおってきた。


「レイナ=ルウも、お疲れ様でした! 昨日は、素晴らしい祝宴でしたね!」


「はい。フォウの方々は、着実にかまど番としての力をつけているように思いました。やはり、取り仕切り役であるユン=スドラの力が大きいのでしょうね」


「あはは! 確かに宴料理も素晴らしかったですけれど、わたしはユーミ=ランの花嫁姿に何度も涙をにじませてしまいました!」


 この際は、レイ=マトゥアのほうが正しい反応であったことだろう。レイナ=ルウもそれに気づいた様子で、「ええ」と微笑んだ。


「最初に取り沙汰するべきは、ユーミ=ランのことでしたね。わたしはしばらく遠くから見守ることしかできそうにありませんが、ユーミ=ランの健やかな生を祈っています」


「きっとユーミ=ランも、いずれは勉強会に参加してくれますよ! その日が、楽しみですね!」


 そんな風に言ってから、レイ=マトゥアはやおら「あっ!」と声を張り上げる。今日は本当に、活力に拍車が掛けられているようである。


「婚儀で思い出したのですけれど、ガズとマトゥアの犬たちがついにつがいになったようなのです! もしかしたら、こちらでも子犬を授かることができるかもしれません!」


「へえ、そうなんだ? 黄の月が終わる前に発情期が来たのなら、何よりだったね」


 犬の発情期は年に2回あり、おおよそは藍の月と黄の月であるという話であったのだ。ただしジェノスには雨季があるため、気温の変動によって多少のずれが生じる可能性もあるかもしれないと言い渡されていたのだった。


「黄の月も、残り数日ですものね! リーハイムとセランジュの婚儀も、もう目の前です!」


「はい。そのための準備も、ぬかりなく進めています」


 と、レイナ=ルウはたちまち面を引き締めたが、レイ=マトゥアはいっそう浮き立ったお顔になっていた。


「雨季が明けてから、おめでたい話つづきですね! 雨季は色々と落ち着かない騒ぎもありましたので、いっそう心が弾んでしまいます!」


「本当にね。そのありがたさを噛みしめながら、今日も頑張ろう」


 なかなかに対照的な姿を見せているレイナ=ルウとレイ=マトゥアの間を取って、俺はそのように答えてみせた。

 まあ、婚儀の祝宴の厨を預かるレイナ=ルウと招待客に過ぎないレイ=マトゥアでは、どうしても心持ちが異なってくるのだろう。俺も立場としてはレイ=マトゥアの側であったが、大きな仕事を目前に控えたレイナ=ルウの心持ちも尊重したいところであった。


(でも本当に、ここ最近はおめでたい話つづきだ。……3日後には、俺の生誕の日だしな)


 その日には、またアイ=ファがひとりで祝いの晩餐を準備するのだと言ってくれている。

 そんな話を思い出すと、俺はレイ=マトゥアにも負けないぐらい浮かれてしまいそうなところであったが――まずは、目の前の仕事に集中しなければならなかった。

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