森の祝福③~始まりの味~
2024.12/29 更新分 1/1
ユン=スドラたちのもとで立派なあんかけ料理を食した俺たちは、意気揚々と次なるかまどを目指すことになった。
広場の外周に築かれた簡易かまどはどこも賑わっているが、目指す先にはとりわけ数多くの人影が見える。そして特筆するべきは、その過半数が外来の客人であることであった。
「ああ、どうも。みなさん、お集まりですね」
そこはロイとシリィ=ロウが料理を出しているかまどであり、レイナ=ルウとミケルとバルシャの他はのきなみ外来の客人であったのだ。それは、ふたりを手伝うボズルに、プラティカとニコラ、セルフォマとカーツァ、そしてレビとテリア=マスという顔ぶれであった。
「どうもどうも。まったくもって、素晴らしい婚儀ですな。日中にもユーミ殿らのお姿を拝見していたのに、わたしまで涙をこぼしそうなところでありましたぞ」
と、まずはボズルが笑顔で出迎えてくれる。
他の面々も、レイナ=ルウがやたらと真剣な面持ちであったり、ミケルは相変わらずの仏頂面であったりしたが、まずは婚儀の場に相応しいたたずまいだ。ただひとり、何故だかシリィ=ロウは調理用の白い覆面で顔を隠してしまっていた。
「あー、こいつのことは気にしないでくれ。涙やら洟やらを料理に落とさないための用心だとよ」
「や、やかましいですよ! いちいち余計な説明をしないでください!」
「説明しないと、いったい何事かと思われちまうだろ。まったく、難儀なやつだぜ」
ロイはいつも通りの皮肉っぽい笑顔であったが、その眼差しにほんの少しだけ優しいものがにじんでいるように感じられる。一日に何度も涙をこぼしているシリィ=ロウに、なんらかの感情を抱かされたのだろう。もちろん俺も、それをからかう気持ちにはとうていなれなかった。
「……レイナはやはり、こちらであったのだな」
ジザ=ルウが厳粛なる声音で呼びかけると、レイナ=ルウは「はい」と深くお辞儀をした。
「貴族の敷物はもう人でいっぱいでしたし、リーハイムにもつきっきりで面倒を見る必要はないと言っていただけたので、離れることにしました。もしそれが浅はかな考えであったなら、お詫びいたします」
「……そもそもレイナに貴族の面倒を申しつけたのは、リーハイムとセランジュを慮ってのことだ。リーハイムから世話は無用と申しつけられたのなら、詫びる必要はあるまいな」
ジザ=ルウが寛大な態度を示すと、レイナ=ルウは「ありがとうございます」と再度お辞儀をした。客人たちの目があるためか、普段以上に格式張ったやりとりだ。しかしまあ日常においては過不足なく兄妹らしい交流を繰り広げているというもっぱらの噂であったので、俺も安心して見守ることができた。
「レビたちは、しばらく姿が見えなかったね。さっきはベンたちに挨拶をさせてもらったよ」
「ああ。なんだか、もののついででこっちまで冷やかされそうな雰囲気だったから、テリアとふたりで抜けたんだ。で、今はこちらの方々と立ち話に興じてたってわけだな」
では、べつだんこちらのかまどに常駐していたわけではないらしい。レビもテリア=マスもようやく気持ちが落ち着いたといった風情で、にこやかな面持ちであった。
「あたしはミケルがこっちのお人らに引っ張っていかれたから、適当に料理を運んでたんだよ。マイムたちも、忙しそうにしてたんでね」
そのように語るバルシャは、もちろん森辺の装束だ。護衛役としての勇ましい装いもよく似合っているが、やはり最近ではこちらが見慣れた姿であった。
「とりあえず、俺たちも料理をお願いします。……プラティカたちとも、なかなか腰を据えて語らう時間がありませんでしたね」
俺がそのように告げると、プラティカは引き締まった面持ちで「はい」と一礼した。
「本日、アスタ、友の婚儀ですので、面倒、かけるべきでない、考えました。セルフォマ、意見、同一です」
「それはお気遣い、ありがとうございます。おかげでしっかり祝宴を楽しめていますので、この後は気兼ねなく声をかけてください」
「はい。……ですが、本日、宴料理の論評、無粋である、感じます」
プラティカもまた、それほどユーミと交流が深いわけではない。それで、どうしても遠慮する気持ちが出てくるのかもしれなかった。
まあ、明日になれば気兼ねなく語らうこともできるのだ。今はプラティカたちの気づかいをありがたく頂戴して、思いのままに振る舞うことにした。
「さあ、よければ食ってくれ。森辺の人らの口に合えば、幸いだよ」
ロイの手から、木皿が回されていく。ジバ婆さんさんはまた横合いの敷物におろされて、その木皿を両手で掲げることになった。
「なんだか、不思議な香りだねえ……でも、嫌な感じはしないよ……」
「ああ。レイナ姉だって、すげーにおいの料理を出すことはしょっちゅうだしなー」
確かにロイの料理は、なかなかに鮮烈な香りであった。レモンに似たシールか、レモングラスに似た香草を大量に使っているのだろう。しかしその酸っぱそうな香りの裏側には、胃袋を刺激する芳香もしっかり備わっていた。
外見は、赤みがかった煮込み料理である。ギバ肉や各種の野菜がゴロゴロと大きな形状で煮汁にまぶされているが、木匙を軽く押し当てるだけで切り分けることができる。これならば、ジバ婆さんでも問題なく食べられそうだった。
然して、その味わいは――カニに似たゼグの風味がきいている。ゼグそのものは細かくほぐされていて判然としなかったが、これはゼグの出汁を主体に組み上げられた料理であるようであった。
柑橘系の酸味が清涼で、小さからぬ辛みと香ばしさも好ましい調和を見せている。赤い色彩は、ビーツに似たドルーであろう。最近のロイは森辺の作法とヴァルカスの作法の両立に苦心していたが、これはかなりヴァルカス寄りの仕上がりであった。
それでいて、ジバ婆さんも満足そうに木匙を動かしている。いかにも城下町の料理人らしい仕上がりでありながら、森辺の民をも満足させられる味わいであるということだ。もちろん俺も、まったく不満のない味わいであった。
「この赤いのは、ドルーでしたか。とても素晴らしい出来栄えですね」
「ああ。師匠に先んじてゼグをいい具合に使えたのが、嬉しくてな。まだまだ改善の余地はあるだろうが、お披露目したくなっちまったんだよ」
すると、レイナ=ルウも「そうですね」と首肯した。
「こちらの料理には、まだまだ可能性を感じます。ですが、現段階でも不満は感じませんので、素晴らしい出来栄えだと思います。こちらが今後どのような発展を遂げるのか、わたしも心して待たせていただきます」
「おっかねえなあ。次はよっぽど自信がなけりゃあ、出せそうにねえや」
そのように語りながら、ロイもまんざらでもない面持ちだ。
そして早々に、シリィ=ロウの料理も回されてきた。こちらは珍しく、揚げ物のようである。
ちょっと細めの揚げ春巻きとでも言うべきか、ロール状にされた生地がキツネ色に仕上げられている。ただ生地はごく薄いようで、緑や褐色の具材がはっきり透けて見えていた。
「そちらの生地は紙のように薄いので、最長老殿にも食していただけるかと思いますぞ」
大らかに笑うボズルに、ジバ婆さんも「ありがとうねえ……」と笑顔を返す。
確かにそちらの生地は、噛むと簡単にくしゃりと砕けた。具材も細かく刻まれていたので、食べにくさはまったくない。ロイもシリィ=ロウも、きちんとジバ婆さんのことを考慮して献立を選んでくれたようであった。
そして肝心のお味であるが、こちらもなかなかに複雑な味わいである。
生地はほんのりと甘く、モモに似たミンミの風味が感じられる。それにおそらく、揚げる油にジュエの花油を使っているのだろう。それもまた、最新の食材のひとつであった。
具材はおそらく入念に煮込んだギバの肩肉と、判別も難しいほどさまざまな野菜だ。かろうじて、レンコンに似たネルッサやゴーヤのごときカザック、そしてオクラのごときノ・カザックは確認できたが、すべてじっくりと煮込まれているため、食感にはわずかな差異しかなかった。
「これは、煮込んだ具材を揚げた料理ですか。手が込んでいますね」
「……具材を仕上げるのは一日がかりでしたが、そのぶん今日はわずかな時間で仕上げることがかないました」
きっとシリィ=ロウは三刻弱の時間、ひたすら具材を生地に巻いて揚げていたのだろう。140名分の揚げ物をひとりで仕上げるというのは、大変な苦労であるはずであった。
しかしそのおかげで、素晴らしい味わいである。こちらも各種の調味料と香草で複雑きわまりない味が組み立てられていたが、ジバ婆さんの笑顔に変化はない。これだけ複雑な味わいで食べやすいというのは、マルフィラ=ナハムに通じる手腕であった。
(まあ、このおふたりはマルフィラ=ナハムのことも意識してるもんな)
そうして俺たちが敷物でくつろいでいる間にも、続々と人が押し寄せてくる。その中にラッツの家長の姿を発見した俺は、「どうも」と声を投げかけた。
「おお、アスタにアイ=ファにルウ家の面々か! ……最長老も、おひさしゅう!」
「ああ、そっちも元気そうだねえ……」
ジバ婆さんとラッツの家長は数えるぐらいしか顔をあわせていないはずだが、おたがい見忘れていなかったらしい。まあジバ婆さんのほうはともかくとして、ラウ=レイに匹敵するほど猛々しいラッツの若き家長も、それなりに印象的な人物であるのだ。
「なかなかに、立派な婚儀であったな! あのユーミという娘も、実に立派なたたずまいだった! 普段の騒がしさが、嘘のようだな!」
「ま、婚儀で騒ぐ花嫁はいねーだろ。明日からは、これまで通りなんじゃねーの?」
「それはそれで、いっこうにかまうまい! 俺はランの家に出向く用事もないので、あやつの成長を見届けられないのが残念なところだ!」
ひさびさの祝宴ということで、ラッツの家長も思うさま昂揚しているようである。しかし、ラウ=レイよりは自制のきく御仁であるので、俺も懸念を抱くことはなかった。
そんな家長のかたわらでは、ラッツの女衆がやわらかく微笑んでいる。やはり本日も、宴衣装の姿だ。俺より年長とはいえ二十代の前半であろうから、いつ婚儀の話があがっても不思議のない艶やかさであった。
「わたしはかまど番としてファの家に出向いていますので、家長よりは顔をあわせる機会もあるかと思うのですが……でもきっと、しばらくはランやフォウの集落に留まるのでしょうね」
「ええ。下ごしらえの仕事を頼むとしても、フォウのかまど小屋でお願いしているトゥランの分になりそうですね。あとはランの方々の判断で、ファの家に出向くかどうかが決められるかと思います」
「その日が、楽しみですね。ラン家の方々を、羨ましく思います」
「そのぶん、気苦労も多かろうがな! まあ、愉快な心地がまされば、文句をつける人間もおるまいよ!」
ユーミ=ランとそれほど深い関係を結んでいないラッツの家長の言葉が、俺にはとても頼もしく聞こえた。
まあ、彼はとりわけ勇猛な気質であるので、森辺の民の一般的な意見と見なすことはできないのかもしれないが――それでも多くの人々は、こうしてユーミ=ランの存在を快く受け入れているのではないかと期待をかけることができた。
(グラフ=ザザやデイ=ラヴィッツ、それにベイムの家長なんかは、もっと厳しい目で見てるんだろうけど……ユーミだったら、きっと大丈夫さ)
俺がそんな思いにひたっていると、ルド=ルウが「さて」と腰を上げた。
「じゃ、次の料理をいただくとするかー。今日はのんびりしてるから、なかなか腹に溜まらないぜ」
「そいつはみんな、あたしのせいだねえ……迷惑をかけちまって、申し訳なく思ってるよ……」
「こんなもん、迷惑の内に入らねーだろ。どーせ最後には、腹もふくれるんだからよ」
考える間もなくそんな言葉を返せるのが、ルド=ルウの美点である。リミ=ルウやターラも、そんなルド=ルウのことをとても明るい眼差しで見守っていた。
「それじゃあ、俺たちはいったん失礼しますね。よかったら、あとでこちら料理の感想もお聞かせください」
ロイやプラティカたちに別れを告げて、俺たちはまた熱気の渦巻く広場に繰り出した。
ジバ婆さんを抱えて歩きながら、ルド=ルウは「でもさー」と声をあげる。
「ジザ兄は護衛役の代わりを見つけたら貴族のところに行くとか言ってたけど、他に目ぼしい狩人なんていないんじゃねーの? ダン=ルティムはどこかで大騒ぎしてるんだろうし、シュミラル=リリンはまだまだ頼りねーってんだろ?」
「うむ。今日の顔ぶれであれば、安心して任せられるのはダルム=ルウぐらいであろうな」
「あー、ダルム兄かー。でも、ダルム兄はどうせシーラ=ルウと一緒だろー? ひさびさの祝宴で、あっちは楽しくやってるんじゃねーの?」
「うんうん! シーラ=ルウがよその氏族におまねきされるなんて、すっごくひさしぶりだもんねー! ダルム兄も、喜んでると思うよー?」
リミ=ルウもそのように言い添えると、ジザ=ルウは「そうだな……」と沈思した。
「もとよりこれは、俺が受け持つと決めた仕事であるし……それを余人に託すならば、ガズラン=ルティムと役目を交代するべきかもしれんな」
「あー、ガズラン=ルティムも、そろそろ伴侶や子供の顔を見たい頃合いかもなー」
「よし。それでは、ガズラン=ルティムと交代するとしよう。次のかまどに到着したならば、しばらくアイ=ファにも助力を願えようか?」
「……家人を抱えた私にその役目は務まらないという話ではなかったか?」
アイ=ファがむっつりとした面持ちで応じると、ジザ=ルウは柔和な面持ちのまま「うむ」と首肯した。
「気を悪くしたのなら、謝罪しよう。しかしそちらも、ガズラン=ルティムに同行を願ったほうが望ましいのではないか?」
「いや、我々も決してジザ=ルウは忌避したりは――」
「冗談だ」と、ジザ=ルウは事もなげにアイ=ファの言葉をさえぎる。そうして次なるかまどのそばに敷かれた敷物にジバ婆さんが腰を落ち着けるのを見届けて、ジザ=ルウは早々に立ち去っていった。
「ジザ=ルウも、ずいぶん気安くなったではないか。出会った当初からは、考えられないほどだな」
シン・ルウ=シンがひさびさに発言すると、アイ=ファは玉虫色のヴェールを揺らしつつ嘆息をこぼした。
「それはそうかもしれんが、ジザ=ルウは内心をつかみにくい。あちらこそ、我々を忌避していなければいいのだがな」
「だいじょーぶだよ! ジザ兄だって、アイ=ファたちのことが大好きだから! それに、ユーミ=ランのこともね!」
「うむ。宿場町の民が森辺に嫁入りするなど、以前のジザ=ルウであれば決して平静ではいられなかったところだろう。ジザ=ルウは北の狩人たちに劣らず、森辺の掟や習わしを重んじる気質であるのだからな」
言われてみれば、その通りである。俺とてジザ=ルウに出会った当初は、森辺を出て町で暮らすべきではないかと詰め寄られた立場であったのだった。
「それはユーミが――いや、ユーミ=ランが長きの時間をかけて、理解を深めたゆえであろうな。その期間で、ジザ=ルウを始めとするさまざまな人間がユーミ=ランの覚悟を見定めることがかなったのであろう」
アイ=ファの言葉に、シン・ルウ=シンも「そうだな」と同意する。俺も口は開かないまま大きく首肯して、賛同の意を表明した。
「……よって、ジザ=ルウにも劣らぬほど慎重なあやつにも、意見をうかがいたいところだな」
そんな風に言いながら、アイ=ファは簡易かまどのほうに視線を向ける。
そこは俺が準備した宴料理を振る舞う場で、リリ=ラヴィッツとダイの女衆が働いており――そしてその背後に、禿頭の狩人が傲然と立ちはだかっていたのだった。
「あー、アスタたちが準備した料理だねー! それじゃあ、リミとターラがもらってくるよー!」
リミ=ルウとターラは、野兎のように駆けていく。しかしふたりきりで運ぶのは大変であろうから、俺も後を追うことにした。
「どうも、お疲れ様です。何も問題はありませんでしたか?」
俺が挨拶をすると、リリ=ラヴィッツはお地蔵様のような笑顔で「ええ」とうなずいた。
「これぐらいの作業でしたら、わたしたちの手に余ることもありません。料理を口にされた方々は、誰もが満足そうなご様子でありましたよ」
「それなら、よかったです。……本当に、交代しなくて大丈夫ですか?」
「ええ。余所の氏族から招かれた女衆の中でもっともユーミ=ランと縁が薄いのは、わたしたちでしょうからねえ」
すると、一緒に働いていたダイの女衆も「そ、そうです」とうなずいた。
「リリ=ラヴィッツはまだしも、わたしなんて日が浅い上に、挨拶ていどの言葉しか交わしたことがないぐらいなのですから……このような祝宴に招いていただけただけで、光栄な限りです」
ダイは屋台の商売を手伝い始めたのもこの近年であるし、なおかつ手伝っているのはルウの屋台であった。それでも何かと二の次にされがちな立場であったため、本日は家長ともども招待されることになったのだ。それは族長たちの判断であったのだから、何も恐れ入る必要はないはずであった。
「デイ=ラヴィッツも、お疲れ様です。昼の祝宴では、長兄にご挨拶をさせていただきましたよ」
「……ふん。そちらも、たいそうな騒ぎであったようだな」
相変わらず、デイ=ラヴィッツは不愛想の極致である。その禿げあがった額には、早くもひょっとこめいた皺が刻まれていた。
「まあ、あの娘が本当に森辺の民に相応しい人間であるかを見定めるのは、これからのことだ。生あるままに婚姻の絆を絶ち切るなど、そうそうある話ではないが……もしものときには、やむをえまい」
それが、デイ=ラヴィッツの見解のようである。
まあ、それぐらい厳しい目にさらされることも、重要であるのだろう。その上で、森辺の同胞と認められたからこそ、俺も胸を張って生きることができているのだった。
(そうだ。デイ=ラヴィッツがユーミ=ランの歌を楽しみにしてるかもしれないって話を、きちんと伝えておかないとな)
デイ=ラヴィッツがユーミの歌を耳にしたのは、いったいいつの時代だっただろう。おそらくは、二度目の復活祭の少し前ぐらいであったように思うのだが――あれは、スドラとランの婚儀であったかもしれない。それぐらいの時代から、デイ=ラヴィッツは厳しい目でユーミのことを検分していたはずであった。
(きっと宿場町での様子なんかは、リリ=ラヴィッツが逐一報告していたんだろうからな。……こんなにたくさんの人たちに見守られるっていうのは大変なことだけど、やっぱりありがたい限りだよ)
かつての自分と重ね合わせながら、俺はそのように考えた。
その間に焼きあげられた料理を、リミ=ルウたちが受け取っている。遅ればせながら、俺もそれに続くことにした。
「それじゃあ、ひとまず失礼します。あちらの敷物でいただきますので、何かあったら声をかけてください」
俺たちが敷物に舞い戻ると、アイ=ファたちは変わらぬ姿で座していた。
ジバ婆さんと3名の護衛役という構図であるが、アイ=ファは美しい宴衣装の姿だ。シン・ルウ=シンたちの凛々しさも相まって、なんだか一幅の絵画を思わせる姿であった。
「お待たせ。デイ=ラヴィッツは、相変わらずだったよ。俺たちのときと同じぐらい、厳しい目で見守ってくれているみたいだ」
アイ=ファは「そうか」と、何かを懐かしむように目を細めた。かつては家長会議の場で、さんざん論議を交わした相手なのである。その末に、俺たちは町で商売をする正当性を認められることになったのだった。
「それじゃー、食べよー! ほらほら、すごく美味しそうな香りだねー!」
「うむ。やはりミャームーの香りというのは、胃袋を刺激してならんな」
アイ=ファは目もとで微笑みながら、リミ=ルウの赤茶けた髪にぽふっと手を置く。リミ=ルウは嬉しそうに笑い、ターラはどこか羨ましそうであった。
そんなわけで、俺が準備した宴料理は『ミャームー焼き』である。
もともとは屋台で出していた料理であるが、ケルの根を手にしてからは『ケル焼き』に切り替えられた。こちらはそもそも豚の生姜焼きをイメージして考案した料理であったので、生姜に似たケルの根を活用することになったのは至極自然な成り行きであった。
よって、多くの人々にとっては懐かしさを覚える献立となるだろう。
しかしもちろん、昔のレシピをそのまま再現したわけではない。あの頃は調味料も塩とピコの葉と果実酒ぐらいしか存在しなかったため、なかなかに簡素な味わいであったのだ。優秀な香味野菜であるアリアとニンニクに似たミャームーの強烈な風味によって、なんとか納得のいく味わいに仕立てることがかなったというのが実情であった。
のちのちナウディスと面識を得て醤油に似たタウ油を手中にしてからは、いっそ理想的な味わいを目指すことがかなったが――その後はケルの根の台頭によって、『ミャームー焼き』はなりをひそめることになった。それをこのたび、表舞台に引っ張り出すことに相成ったのだ。
この近年で、俺たちは数えきれないぐらい数多くの食材を手にしている。調味料だけでも、砂糖に魚醤に貝醬にマロマロのチット漬けに、各種の酢や酒や香草と、枚挙にいとまがないのだ。それらをじっくり吟味して、俺は懐かしさと目新しさを兼ね備えた新たな『ミャームー焼き』を作りあげたつもりであった。
味のベースとなるのは、やはりタウ油とミャームーで、魚醤や貝醬やマロマロのチット漬けは隠し味ていどに控えている。そちらの主張を強めると、これまでに考案してきた中華風の料理と印象がかぶってしまうのだ。俺が目指すのはあくまで『ミャームー焼き』の復権であったので、簡素な力強さというものを重視する必要があった。
あとは最近の『ケル焼き』でも活用しているシャスカ酒を調理酒として扱い、いくつかの香草も隠し味として活用している。その微細な匙加減が、この料理の胆であった。
あくまでミャームーの風味を主役として、それを補強する。そのために、俺は長きの時間を費やしたのだった。
結果――俺は理想的な献立を仕上げることができた。
具材はギバのバラ肉と、白菜に似たディンファ、チンゲンサイに似たバンベ、アスパラガスに似たドミュグド、そしてキュウリに似たペレというものになる。
具材はのきなみ調味液に漬けたが、ペレだけは焼きあげる直前にまぜあわせる格好だ。ペレの瑞々しさは、新たなる『ミャームー焼き』の強烈な味わいに好ましい清涼感を加えてくれたのである。当初は生鮮のウドに似たニレを使用していたが、吟味の末にペレを採用した次第であった。
苦労の甲斐あって、敷物のみんなも満足そうに『ミャームー焼き』を食している。ジバ婆さんはやわらかい具材だけを選んで食する必要があったが、それでも幸せそうな笑顔を見せてくれていた。
「これ、すっごく美味しいねー! リミ、ケルやきより好きかもー! アイ=ファは晩餐で、この料理を食べたこともあるの?」
「うむ。味見の品として、何度かな。アスタもユーミ=ランのために力を尽くしていたので、いっそう素晴らしい味わいに仕上がったようだ」
リミ=ルウに答えるアイ=ファの言葉が、俺の心を深く満たしてくれた。
そこに、待ち人がやってくる。ジザ=ルウと交代したガズラン=ルティムに、ユーミ=ランとジョウ=ランである。彼らがいっぺんに登場するとは思っていなかったので、俺は思わず泡を食ってしまったが、こちらが口を開くより早くユーミ=ランが「あーっ!」と声を張り上げた。
「それ、アスタの料理だね? 悪いけど、移動する前にあたしたちも食べさせてよ!」
「それじゃー、リミが持ってきてあげるねー!」
ターラの手をつかんだリミ=ルウが、かまどのほうにぴゅーっと駆けていく。それを横目に、ルド=ルウが肩をすくめた。
「顔をあわせるなり、騒がしいこったなー。そんなに腹が減ってたのかよ?」
「ううん! 挨拶の間もどっさり料理が運ばれてきたから、けっこうもう満腹だよ! でも、これはもういっぺん食べておきたかったんだー!」
ユーミ=ランはまた、普段通りの元気さになってしまっている。しかし、美麗なる花嫁衣裳でも違和感が生じないのは、さすがユーミ=ランといったところであった。
「確かにこちらの料理は、きわめて美味でした。……ですが、ただそれだけが理由ではないようですね?」
ひさびさに見るガズラン=ルティムがゆったり問いかけると、ユーミ=ランは元気に「うん!」とうなずいてから、笑った目つきで俺をにらみつけてきた。
「それもみーんな、アスタのせいだねー! 最初にその料理を届けられたときは、涙をこらえるのが大変だったんだよー?」
「あはは。それじゃあ、俺の意図も汲み取ってもらえたのかな?」
「当たり前じゃん! 気づかないほうが、どうかしてるよ!」
同じ目つきのまま、ユーミ=ランは勇ましく腕を組む。
彼女が初めて口にした、ギバ料理――それこそが、『ミャームー焼き』であったのだ。
森辺の屋台に文句をつけにきたユーミ=ランは、味見用の品を口にした上で、『ミャームー焼き』を購入してくれた。そうして何のためらいもなく、美味いものは美味いと認めてくれたのだ。その切り替えの早さに、俺も多少は面食らったものであるが、それでもやっぱり嬉しい気持ちのほうがまさっていた。
それまで屋台の料理を買ってくれていたのは、《銀の壺》とジャガルの建築屋の一行と、ドーラの親父さんおよびターラのみであったのだ。
顔見知りでない西の民の中で、初めて屋台の料理を買ってくれたのが、このユーミ=ランなのである。だからこそ、俺はその思い出を大切にしており――この夜には、なんとしてでも『ミャームー焼き』をお届けしたいと願うことになったわけであった。
「お待たせー! ちょうどできたてだったよー!」
リミ=ルウとターラの手から、3枚の木皿が配られる。
玉虫色のヴェールをかきわけて『ミャームー焼き』を食したユーミ=ランは、「ああ……」としみじみ息をついた。
「やっぱり、美味しいなぁ。……もしもこの料理があたしの好みに合わなかったら、いったいどんな人生を送ることになってたんだろうね」
「あはは。そんなもしもは、あんまり想像したくないところだね」
俺が気安く応じると、ユーミ=ランは涙がこぼれるのをこらえるように目を細めながら、「あたしもそう思うよ」と言った。




