森の祝福②~宴料理~
2024.12/28 更新分 1/1
俺とアイ=ファは、とりあえずジバ婆さんと合流することにした。
宴料理の配布はリリ=ラヴィッツとダイの女衆が受け持ってくれたので俺も自由の身であるのだが、本日は接待の役目も免除されていたため、むしろ誰とご一緒するべきか悩むところであったのである。こんな贅沢な悩みは、ここ最近では珍しい話であった。
「町の人たちはフォウの血族が、貴族の人たちは族長筋の面々がもてなすって話だったから、俺の出番がなかったんだよ。それならやっぱり、ジバ婆さんとご一緒したいところだよな」
「うむ。ただジバ婆も、この賑わいでは車椅子を使うことも難しかろうな」
アイ=ファの言う通り、ジバ婆さんは広場の片隅の敷物にちょこんと座していた。
同席しているのは護衛役の3名、ジザ=ルウとルド=ルウとシン・ルウ=シン、それにリミ=ルウとターラのみである。貴族たちは別なる敷物に座していたので、こちらは静かなものであった。
「よー、アスタたちもひと休みかー? 今日は朝から、動きっぱなしだったもんなー」
「うん。ユーミたちのお祝いは、血族の人たちが優先だからね」
儀式の火の前に座したユーミとジョウ=ランのもとには、大変な人だかりができている。フォウの血族がお祝いをすませるだけでも、かなりの時間を要することだろう。その間に、俺も乱れた情緒をなだめたいところであった。
いっぽう敷物に座した面々は、平常通りのたたずまいだ。リミ=ルウとターラが普段以上に幸せそうな笑顔を見せているぐらいで、ジバ婆さんもしんみり感慨を噛みしめている様子であった。
「ジザ=ルウは、貴族の相手に出向かなかったのだな」
アイ=ファの問いかけに、ジザ=ルウは悠揚せまらず「うむ」と応じた。
「まずはガズラン=ルティムに、その役を担ってもらった。ダリ=サウティやゲオル=ザザも参じているので、俺が慌てる必要はなかろう」
「あとは、ララにヤミル=レイにスフィラ=ザザもなー。女は女同士のほうが、話も弾むんだろうしよー」
あとはきっとトゥール=ディンも、オディフィアのもとに参じていることだろう。そちらはそちらで、十分に楽しそうな場が形成されていそうなところであった。
「お待たせしました! こちらは、フォウの方々が準備した宴料理であるそうです!」
と、大きなお盆代わりの板を抱えたマイムとジーダがやってくる。もちろんマイムも森辺の宴衣装で、おさげを解いた髪に大きな花飾りをつけた姿がとても可愛らしかった。
「やあ、マイムも森辺の宴衣装はひさびさだね。とてもよく似合っているよ」
「い、いえ、とんでもありません」
マイムは恥ずかしそうに頬を染めながら、持参した料理を敷物に並べていく。「似合う」は森辺の習わしにも抵触しないので、俺がアイ=ファに小突かれることもなかった。
「あ、よかったらアスタたちもお召し上がりください。わたしたちは、また広場を巡ってきますので」
「いやあ、マイムたちの分をいただくのは申し訳ないなぁ。……みなさんは、しばらくこちらに腰を落ち着ける予定ですか?」
「うむ。最長老には、休息が必要であろうからな」
確かに、朝から宿場町まで出向いたジバ婆さんに無茶をさせるわけにもいかないだろう。それで俺とアイ=ファが顔を見合わせていると、リミ=ルウが子犬のように身をよじりながら発言した。
「アイ=ファたちは、いっちゃうのー? 昼間はお仕事であんまりおしゃべりできなかったから、リミは一緒にいたいなー! ジバ婆も、そう思ってるはずだよー!」
「そりゃああたしだって、アイ=ファと一緒にいたいのは山々だけどねえ……でも、アイ=ファは色んな相手と絆を結んでいるんだから、邪魔をしちゃいけないよ……」
「そんなことはない。私だって、ジバ婆やリミ=ルウを置いて立ち去る気にはなれんぞ」
と、アイ=ファはすぐさま敷物に膝を折ることになった。さすがにリミ=ルウとジバ婆さんの波状攻撃をくらっては、ひとたまりもないようだ。
祝宴の開始から敷物に腰を落ち着けるというのはあまり例のない話であったが、たまには趣向を変えるのもいいだろう。広場を巡る楽しさは、のちのち満喫すればいいだけの話であった。
「さー、とにかく食おうぜー。冷めちまったら、元も子もねーからなー」
ルド=ルウの号令に従って、俺たちはフォウの血族の心尽くしに手をのばした。
最初の品は、ギバ骨スープの料理である。いずれの氏族においても、定番の宴料理だ。圧力鍋の恩恵でかなりの時間短縮が可能になったものの、やはり通常の晩餐で手掛けようとするかまど番はそうそういないのではないかと思われた。
「お? なんかこれ、いつもと違う味じゃねーか?」
「うん。ギバ骨スープもこれまでよりは気軽に勉強会で扱えるようになったから、あれこれ試行錯誤してるんだよ。これは、豆乳とマロマロのチット漬けが使われているみたいだね」
豆板醤に似たマロマロのチット漬けを加えたことにより、どこか担々麺と似た味わいになっている。さらに豆乳でコクが追加されて、素晴らしい仕上がりであった。
具材はさまざまな野菜と、肉詰めのワンタンだ。麺を仕上げるよりは手軽であるし、ギバ骨スープとはとても相性のいい具材である。歯の弱いジバ婆さんも問題なく食しながら、満足そうに吐息をついていた。
「こういう宴料理を口にするのも、2ヶ月以上ぶりだものねえ……なんだか、幸せな心地だよ……」
「うむ。ルウの血族でもいくつか婚儀の話が持ち上がっているが、やはりタラパなどの食材が扱えるようになるまではと、時期を見ているさなかであるのだ」
ジザ=ルウが、穏やかな調子でそのように答える。タラパやプラが扱えるようになるのは雨季が明けてから半月後という見込みであるので、あと5日ばかりの辛抱であった。
「その点、ユーミたちは速攻だったよなー。ま、あいつらは何ヶ月も前から婚儀を挙げるつもりだったもんなー」
「うむ。ティカトラスやダカルマスたちが参じていなければ、もっと早々に取り組んでいたのであろうしな」
大変な熱気に包まれた広場の中で、ここだけルウ家の晩餐が持ち込まれたような風情である。
しかしまた、情緒を乱していた俺には心地好い和やかさだ。リミ=ルウとターラがきゃあきゃあはしゃいでいるだけで、活力のほどにも不足はなかった。
「そういえば、ミケルとバルシャはどうしたんだろう? ミケルもあまり、あちこち動き回るほうじゃないよね」
「あいつらは、ロイたちに引っ張っていかれたぜー。ま、ミケルは他の氏族の連中ともつきあいが薄いから、ちょうどよかったんじゃねーの?」
「そっか。どの氏族でもかまど番だったら、勉強会であるていどはご縁を結んでるはずだけど……逆に言うと、それ以外にはほとんどつきあいがなさそうだよね」
「あー。年をくった人間には、珍しくもねーさ。ジバ婆なんざ、うじゃうじゃ知り合いが増えてるけどなー」
「うん……こんな老いぼれがしゃしゃりでるのは、申し訳ない限りだけど……どうしても、じっとしていられないんでねえ……」
幸せそうに目を細めるジバ婆さんの姿を、アイ=ファも幸せそうに見守っている。俺がそのさまに心を和ませていると、また別なる人影が近づいてきた。
「失礼いたします。ルウ家の方々にご挨拶をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
それはアイ=ファの幼馴染たる、サリス・ラン=フォウであった。
ジバ婆さんはいっそう幸せそうに、「ああ……」と笑みくずれる。
「あんたも、ひさしぶりだねえ……昼間は忙しそうだったんで、声をかけずにおいたんだよ……」
「お気遣いありがとうございます。最長老もお元気なご様子で、とても嬉しく思っています」
サリス・ラン=フォウとジバ婆さんは、アイ=ファを架け橋にしてご縁が結ばれることになったのだ。そうしてこの場には、アイ=ファがもっとも慕わしく思っている3名の旧友が勢ぞろいしたのだった。
「今も幼子の面倒を見ていたのですけれど、ジョウ=ランたちに祝福の言葉を捧げるために出向いて参りました。それで最長老の姿をお見かけしたので、立ち寄らせていただいた次第です」
「親切に、ありがとうねぇ……あんたの子供も、元気かい……?」
「はい。毎日、すこやかに過ごしております」
そんな風に答えながら、サリス・ラン=フォウはちょっとおずおずとジザ=ルウのほうをうかがった。
「それで、あの……あなたがルウの長兄ジザ=ルウでいらっしゃいますよね? 以前はそちらのコタ=ルウに、大変お世話になりました」
「……ああ。貴女が、コタが絆を深めたという幼子の母であったのか」
と、ジザ=ルウもいくぶん居住まいを正した。
「こちらこそ、子たるコタが世話になったようだ。コタはそちらのアイム=フォウなる子にずいぶん心を寄せたようで、今日もこの場に参じられないことを残念がっていた」
「アイムも、同じように申しておりました。族長筋たるルウ家の、しかも長兄のお子に恐れ多い申し出ですが……よければ今後も、仲良くさせていただきたく思っています」
「うむ。幼子に、族長筋も何もなかろうからな。また、族長筋とてさまざまな相手と縁を結ばなければ、スン家と同じ末路を辿る恐れもあろう」
やはりジザ=ルウはこんな場でもいかめしいが、それでも多少ながら父親らしい顔が覗いているように感じられる。俺にしてみれば、喜ばしい限りであった。
そしてそれ以上に喜んでいるのは、アイ=ファであろう。サリス・ラン=フォウを見る温かな眼差しに、その思いがあふれかえっていた。
「他の家人は、町の客人の世話に忙しいようです。よろしければ、他なる宴料理をお持ちしましょうか?」
「いや。こちらも血族の者たちが世話をしてくれているので、問題はない。どうか幼子のもとに戻っていただきたく思う」
「承知いたしました。……アイ=ファたちも、よければ後でアイムに顔を見せてあげてね?」
最後に幼馴染としての顔を見せてから、サリス・ラン=フォウはしずしずと立ち去っていった。
ギバ骨スープを食べ終えて退屈そうにしていたルド=ルウが、「ふーん」と声をあげる。
「そーいえば、今日はヴィナ姉たちの赤ん坊も連れてきてるんだもんなー。いっそコタも連れてきちまえばよかったんじゃねーの?」
「それでは世話をする女衆の苦労がかさむばかりであろう。今日は婚儀の祝宴であり、幼子が縁を深める場ではない」
「じゃ、またコタを連れてファの家に押しかけるしかねーな」
「うん! そのときは、ターラも一緒にいこーよ!」
またリミ=ルウたちがはしゃいだ声をあげて、ジザ=ルウに嘆息をこぼさせる。しかし、俺の心は和むいっぽうであった。
そしてそこに、マイムとジーダが舞い戻ってくる。次なる宴料理は、やわらかく煮込まれた角煮のアレンジ料理だ。きっとジバ婆さんのことを思いやって、食べやすい料理を選んでいるのだろう。
「わたしたちはあちらでいただいてきましたので、どうぞお召し上がりください。……あと、血族の祝福は終わったようですよ」
「あ、そうなんだ。ずいぶん早かったね」
「はい。みなさん早急に駆けつけたため、早々に終わったようですね。もう血族ならぬ方々が出向いておられました」
それならば、俺たちもゆっくりとはしていられない。
ただし、そこまで慌てる必要もないはずなので、まずは宴料理を味わわさせていただいた。ミソに貝醬やドエマの貝の出汁まで使われた、立派な出来栄えである。さすがユン=スドラが取り仕切っていただけに、まったく不備は見られなかった。
「今日はアスタも、ひと品しか手掛けていないのであろう? フォウの血族にも、大層なかまど番が居揃っているようだな」
ずっと静かにしていたシン・ルウ=シンが、優しい眼差しでそんな風に言ってくれた。
「うん。フォウの血族は昔から、商売の下ごしらえの要だったからね。おかげで今日は、明日の下ごしらえの段取りを整えるのがひと苦労だったよ」
「ルウの集落でも、他なる女衆が明日の準備に取り組んでいたようだ。今日も明日も商売を休まないというのは、ずいぶんな苦労なのではないか?」
「うん。屋台を臨時休業にすると、お客さんから多少は不満の声があがっちゃうからさ。そんな不満が《西風亭》に向けられるのは絶対に避けたかったから、ちょっと頑張ってでも敢行することに決めたんだよ」
「さすがだな」と、シン・ルウ=シンは口もとをほころばせる。それだけで、今日までの苦労など吹き飛びそうなところであった。
そうして角煮を食べ終えたならば、いざ出陣である。
車椅子の使用は差し控えて、ルド=ルウがジバ婆さんの身を抱きかかえる。そして余人がぶつからないように、ジザ=ルウとシン・ルウ=シンとアイ=ファで強固なる壁を築くことになった。
俺はリミ=ルウやターラと一緒に、その後を追いかける。儀式の火の前には、確かに客人の身分である人々が群れ集っていた。
「よう、アスタ! どこに隠れてたんだよ? ま、こっちは至れり尽くせりで、なんの不便もなかったけどよ!」
と、花嫁たちの前に辿り着く前に、横から肩を小突かれる。俺が振り返ると、真っ赤に目を泣きはらしたベンが陽気に笑っていた。
「どうも、お疲れ様です。そっちも盛り上がっていたみたいですね」
ベンの周囲には悪友のカーゴに、ルイアとビア、それにミダ・ルウ=シンとラウ=レイとヤミル=レイが居揃っている。その姿に小首を傾げたのは、ジザ=ルウであった。
「ヤミル=レイは、貴族の相手をしていたのではなかったか?」
「あなたの頼もしい妹に、お役御免を言い渡されたのよ。理由は、まあ察してちょうだい」
見るも艶やかな宴衣装であるヤミル=レイのかたわらで、果実酒の土瓶をさげたラウ=レイがにこにこと笑っている。きっとラウ=レイが必要以上に場を騒がせたため、ララ=ルウに追い払われることになったのだろう。城下町で行われる日中の親睦会であればまだしも、森辺の祝宴の場でラウ=レイが大人しくしていられるわけもないのだ。そうと察したらしいジザ=ルウは、また嘆息をこぼしていた。
「まあ、他なる面々が居揃っていれば、問題はあるまいな。レイナも、参じていたであろうか?」
「レイナ=ルウは最初に挨拶をしてから、すぐに姿を消したわね。おおかた、城下町の料理人たちのところじゃない?」
「……承知した。俺ものちのち、挨拶に出向くとしよう」
かくも、気苦労の多いジザ=ルウである。
そして、宿場町の若衆に囲まれたミダ・ルウ=シンは、楽しそうに頬肉を震わせていた。無事にベンたちと旧交を温めることがかなったようだ。ルイアとビアはいくぶんミダ・ルウ=シンの巨体に怯んでいる様子であったが、それでも婚儀に対する熱情のほうが上回っているようであった。
そうして楽しく語らっている間に、前列の人々はひとりずつ離脱していく。
儀式の火が目前に迫るにつれて、俺の胸は高鳴っていき――それが最高潮に達したところで、花嫁たちのもとに辿り着いた。
花嫁と花婿は、丸太の壇に座している。
そのかたわらに控えるのは、おたがいの両親とバードゥ=フォウだ。サムスはベンよりも目を真っ赤にしていたが、いつも以上の仏頂面で傲然と立ちはだかっていた。
「おめでとう、ジョウ=ラン、ユーミ=ラン。心から、祝福するよ」
俺がそのように伝えると、ユーミ――あらため、ユーミ=ランは、玉虫色のヴェールの向こう側で白い歯をこぼした。
「ありがとう。まだその名前には慣れないけど、名前に相応しい人間を目指すよ」
今のユーミ=ランは、普段通りの朗らかさであるように思える。ちょっと神妙であったり、とても幸福そうであったり、今日はいくつもの顔を見ることになったが――そのどれもが、ユーミ=ランらしい姿であると思えた。
いっぽうジョウ=ランも、落ち着いた面持ちで微笑んでいる。過度に浮かれている様子もなく、変に心を乱している様子もなく、その立派な装いにふさわしいたたずまいだ。そしてジョウ=ランは同じ表情のまま、俺に呼びかけてきた。
「アスタ。あらためて、ありがとうございます。アスタのおかげで、無事に今日という日を迎えることがかないました」
「あー、そうそう。昨日はアスタのところで寝入っちゃったんだって? まったく、最後の最後までお世話をかけちゃったね!」
ユーミ=ランが陽気に笑うと、ジョウ=ランも嬉しそうに笑う。そうしてふたりが目を見交わした瞬間、これまでとまた毛色の異なる温かな空気がふわりと漂ったように感じられた。
「……あ、ラウ=レイも一緒だったんだ? うわー、なんか懐かしい顔ぶれだね!」
と、温かな空気を未練もなく振り切って、ユーミ=ランが元気な声を張り上げる。にこにこと笑っていたラウ=レイは、「懐かしい?」と小首を傾げた。
「うん。大昔にさ、この4人でアスタたちの屋台にひっついてたじゃん? なんだかすっげー顔ぶれだなーって、あの頃はひそかに感心してたんだよ」
この4人とは、アイ=ファにラウ=レイ、ルド=ルウにシン・ルウ=シンのことを指しているのだろう。屋台の商売を始めて間もない頃、こちらの4名が護衛役を務めていた時期があったのだ。
(あれは、テイ=スンとザッツ=スンが脱走したときだったっけ? ちょっと記憶があやふやだけど……でも俺も、この組み合わせは印象的だったんだよな)
それは森辺でもひときわ美形の4名が居揃ったためである。ユーミ=ランが曖昧な言い回しをしているのは、むやみに異性の容姿を褒めそやさないという習わしに従っているのだろうと思われた。
「なんのことだかわからんが、まあ俺もずいぶんな昔から宿場町に下りていたからな! アスタはずいぶん騒がしい女衆と懇意にしているのだなと、俺もそのように考えていたぞ!」
「あはは。ラウ=レイに騒がしいって言われたら、立つ瀬がないね。まあとにかく、みんなも今日はありがとう」
「ああ……こっちこそ、祝宴に招いてもらえて感謝しているよ……この先も、あたしが顔をあわせる機会はそんなにないだろうけど……いつでもあんたの幸せな行く末を願っているからね……」
ルド=ルウに抱かれたジバ婆さんの言葉に、ユーミ=ランは「ありがとう」と目礼をする。もうジバ婆さんも同胞のひとりであると自覚したならば、ユーミ=ランもいっそうの感慨に見舞われるはずであった。
「ユ、ユーミ……じゃなくて、ユーミ=ラン……今日はおめでとう。なかなかゆっくり話す時間もなかったけど……わたしは本当に、胸がいっぱいだよ」
と、今度はルイアが今にも涙をこぼしそうな面持ちで進み出る。
そちらに向きなおったユーミ=ランは、「うん」と微笑んだ。
「どうもありがとう。ルイアも来てくれて、本当に嬉しいよ。こっちは森辺、そっちは城下町で、今まで以上に顔をあわせる機会は減りそうだけど、あんたは死ぬまで友達だからね」
「……ありがとう」と、ルイアはこらえかねた様子で顔を覆ってしまう。
その隣のビアも、満ち足りた面持ちで微笑みながら、はらはらと涙をこぼしていた。
「ユーミ=ラン、おめでとうございます。《西風亭》に大変なご迷惑をかけてしまったわたしまで招待してくださって、心から感謝しています。これからも、決してみなさんの信頼を裏切らないとお約束しますので……どうか心配なくおすごしください」
「あはは。今さらそんな話を蒸し返すやつはいないよ。これからも、あたしが抜けた分をよろしくね」
「ふふん。そっちは明日から、森辺で寝起きするんだもんな。どんなにしんどくても、へこたれるんじゃねえぞ?」
「そうそう。お前の取り柄は、根性だけなんだからさ」
ベンとカーゴがはやしたてると、宿場町の道端を思わせる賑やかさが生まれ出る。
毎日のように顔をあわせていた彼らも、今日でしばしの別れとなるのだ。どんなに陽気に振る舞っていても、その裏側には友を見送る寂寥感がへばりついているはずであった。
(みんなは聖堂に預けられていた幼子の頃からのつきあいなんだもんな)
幼馴染の大切さは、俺も痛いほど身にしみている。
それで俺がベンたちの邪魔をしないように身を引こうとすると、ユーミ=ランが「あっ」と声をあげた。
「アスタたちは、もう行っちゃうの? あのさ、あとで一緒にヴィナ・ルウ=リリンたちのところに行ってくれない?」
「ヴィナ・ルウ=リリン? つまり、幼子が預けられてる家ってことかな?」
「うん。みんなもさっき挨拶に来てくれたけど、またこっちから顔を見せにいくって約束したんだよ」
それで俺が同行する理由はよくわからなかったが、もともとこちらもいつかは挨拶に出向くつもりであったので、是非もない。俺はアイ=ファに視線で了承をいただいてから、「わかったよ」と返事をした。
「ユーミ=ランたちが、自由に動けるようになったらだね。こっちも気にしておくけど、もし見かけたら声をかけておくれよ」
「うん、ありがとう。それまで、めいっぱい祝宴を楽しんでね」
ユーミ=ランとジョウ=ランの笑顔に見送られて、俺とアイ=ファは人垣から離脱した。
ほどなくして、ルウの面々とターラも近づいてくる。ベンたちは、まだ別れを惜しんでいる様子であった。
「ユーミおねえちゃん、すっごくきれいだったねー。なんだか、おとぎばなしのお姫さまみたい」
と、ターラはすっかり夢見心地である。ターラはかねがね、自分もこの祝宴に招待してもらえるかと不安がっていたのだ。そのぶん、今の幸せもひとしおなのだろうと思われた。
「さて。これからどうすっかなー。座りっぱなしじゃ尻が痛くなるから、このままかまどを回っちまうか?」
ルド=ルウの提案に、ジザ=ルウは「そうだな」と思案する。
「我々が交流を広げるには、出歩いたほうが望ましいのかもしれん。ジバは、問題なかろうか?」
「うん……世話をかけちまうけど、そうしてもらえたら嬉しいねえ……でも、ジザは貴族たちのところに出向かなくてもいいのかい……?」
「それにはどのみち、護衛の人手を確保する必要があるからな。途中で誰かに出くわしたら、その役目を託したく思う」
「……よければ、私が受け持ってもかまわんが」
アイ=ファが声をあげると、ジザ=ルウは糸のような目でそれを見返した。
「いや。警護役の人間には、最長老の安全だけを考えてもらいたく思う。アイ=ファには、家人の安全を守る役割があろう?」
「……そうか」と、アイ=ファは口もとを引き結ぶ。きっと口がとがるのをこらえているのだろう。何にせよ、愛くるしい限りであった。
「それじゃあ、しゅっぱーつ! まだまだおなかもぺこぺこだもんねー!」
ターラの手を握っていたリミ=ルウが、逆の手でアイ=ファの腕を抱え込む。かくして、8名から成る混成部隊は人で賑わう広場を闊歩することに相成った。
開始直後の熱狂は落ち着いたようであるが、それでも森辺の祝宴である。あちこちにかがり火が焚かれたフォウの広場は夜の闇を圧して、大変な熱気をたちのぼらせていた。
雨季の間も城下町では何度となく祝宴が開かれていたが、やはりこれは森辺の祝宴にだけ存在する熱気と活力であるのだ。そこに特別な婚儀という要素も上乗せされて、俺は目の眩むような思いであった。
そうして手近な簡易かまどに近づいていくと、見慣れた面々が腕を振るっている。宴衣装に身を包んだ、ユン=スドラとイーア・フォウ=スドラだ。俺たちが近づいていくと、ユン=スドラがぱあっと顔を輝かせた。
「アスタ、おひさしぶりです! ……あ、おかしな挨拶でしたね。どうも申し訳ありません」
「いやいや、今日は朝から顔をあわせる機会がなかったからね。ユン=スドラも、今日はお疲れ様」
「はい。アスタにルウ家のみなさんも、今日はありがとうございました。フォウの血族として、感謝の言葉を捧げさせていただきます」
ユン=スドラはつつましい態度を取り戻して、深々と頭を下げる。イーア・フォウ=スドラもやわらかく微笑みながら、それに続いた。
「ユーミ=ランに祝福を捧げてくださったのですか? でしたらあとは、存分に祝宴をお楽しみください」
「うん、ありがとう。ここではどんな宴料理を仕上げているのかな?」
「こちらは、あんかけの炒め物です。最長老には、少々食べにくいかもしれません」
「そうだねえ……あたしにはかまわず、みんな腹を満たしておくれよ……」
そちらにも小さな敷物が準備されていたので、ジバ婆さんと護衛役の3名にはそちらで料理の完成を待ってもらうことにした。
ユン=スドラとイーア・フォウ=スドラは、手早く具材を鉄板に広げていく。作り置きの料理ばかりでなく、出来立ての料理も振る舞っているのだ。そうして手間のかかる料理は自らが受け持つという、ユン=スドラらしい選択であった。
鉄板では、さまざまな具材が焼きあげられていく。アリアにネェノンにマ・プラに、アスパラガスのごときドミュグドやレンコンのごときネルッサなど、新旧の食材が分け隔てなく使われているようだ。調味液からはオイスターソースのごとき貝醬の香りが匂いたち、さらに寒天のごときノマを活用した半透明のあんも準備されていた。
貝醬を主体にした調味液にノマのあんというのはここ最近の勉強会の成果であるが、それを組み合わせるというのは新しい試みだ。オリジナリティに固執しないユン=スドラも、日々成長を果たしているのである。こうして行動を別にしたときこそ、俺はユン=スドラの成長を感じてやまなかった。
「今日は、いい式だったね。ユン=スドラもユーミ=ランとは古いつきあいだから、感慨深いだろう?」
「はい。あの頃のわたしはかまど仕事の上達にばかり目を向けていましたが、ユーミ=ランの側から交流を求めてくださったので、すぐに親しく口をきけるようになりました。きっと数多くの女衆が、ユーミ=ランの度量に救われているのだと思います」
「ええ。ユーミ=ランなら、すぐに森辺の生活に馴染むことでしょう。わたしたちも血族として、力を尽くしたく思います」
イーア・フォウ=スドラも柔和な笑顔のまま、そんな風に言ってくれた。
スドラがランの血族であるというのは、頼もしい限りである。もちろんフォウやランの人々が頼りないわけではないのだが、もっとも家人の少ないスドラにはひときわ素晴らしい家人が集っているのだった。
「これからは、ユーミ=ランも同胞として収穫祭をともにできるのですものね。きっとジョウ=ランは狩人の力比べでこれまで以上にはりきるでしょうから、アイ=ファも頑張ってください」
ユン=スドラが何気なく呼びかけると、アイ=ファは一拍おいてから「……そうだな」と答えた。
今の発言に何かおかしなところでもあったのかなと、俺はアイ=ファのほうを振り返る。するとたちまちアイ=ファの強靭な指先で額を弾かれて、「うごわ」とのけぞることになった。
「な、なんだよ? 俺はまだ何も言ってないぞ?」
「うむ。だからその前に、機先を制したのだ」
よくわからないことを言いながら、アイ=ファはつんとそっぽを向いた。
俺が額をさすりながら正面に向きなおると、ユン=スドラはやたらと温かな眼差しで俺を見つめている。そして、何かを詫びるように目礼してきたのだった。
(なんだよ、もう。さっぱりわけがわからないな)
と、俺は忸怩たる心地であった。
そのときのアイ=ファが何を想像していたのか、俺にはまったく見当がつかなかったのだ。もしもその見当がついていたならば――俺は、幸せなあまりに悶死していたかもしれなかった。




