森の祝福①~誓約の儀~
2024.12/27 更新分 1/1
三刻足らずの時間は、あっという間に過ぎ去って――太陽神は、東の果てに没した。
きわどいタイミングで作業を完了させた俺は、薄暗い広場の片隅で充足の思いを噛みしめている。そしてその広場には、爆発する瞬間を待ちかまえる熱気がふつふつと煮えたっているように感じられた。
もう誓約の儀式の開始は間もなくのはずであるので、予定されていた参席者はすべて顔をそろえていることだろう。
当然ながら、フォウの血族は勢ぞろいしている。フォウ、ラン、スドラの三氏族で、総勢は50名弱だ。
小さき氏族から参じたのは、俺とアイ=ファ、デイ=ラヴィッツとリリ=ラヴィッツ、ナハムの家長とマルフィラ=ナハム、ガズの長兄とレイ=マトゥア、スンの家長とクルア=スン、ベイムの家長とダゴラの女衆、そしてラッツおよびダイの家長と女衆という、ここ最近にしてはひかえめな顔ぶれになる。それはひとえに、族長筋のほうでけっこうな人数に至っていたためであった。
ただそれは、族長筋であることが理由なわけではない。むしろ族長たちは身分など関係なく、ユーミやラン家とつきあいの深い人間を優先するべきであると言いたてていたのだが――その結果が、これであったのだ。
ラン家とつきあいが深いと言えば、やはり収穫祭をともにしているディンとリッドであろう。その両家が族長筋の眷族であったのは、たまたまの話であるのだ。
そちらからは屋台の中核を担うトゥール=ディンを中心に、8名の男女が選出されていた。トゥール=ディンを除く3名の女衆ももちろん屋台のメンバーで、付き添いの男衆はゼイ=ディン、ディンの長兄、ラッド=リッド、リッド分家の長兄という顔ぶれであった。
他なるザザの血族は、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザ、ディック=ドムとモルン・ルティム=ドムの4名という控えめな人数となる。ザザの2名は見届け人として確定していたため、ユーミとのつきあいの深さから選出されたのはドムの若き夫妻であった。ユーミはそちらの婚儀に参席したばかりでなく、復活祭などでも入念に絆を深めていたのだ。それはひとえに、拳を痛めて狩人の仕事を休んでいたディック=ドムが頻繁に宿場町を訪れていた恩恵なのだろうと察せられた。
いっぽうサウティはヴェラとフォウが血族である関係から、多少の人数を割くことが許された。ユーミとのこれまでのつきあいではなく、これからのつきあいを重んじた結果である。そちらは見届け人たるダリ=サウティとサウティ分家の末妹に、普段からフォウの集落に滞在しているダダおよびドーンの兄妹たちという顔ぶれであった。
そうしてやっぱり圧倒的であったのは、ルウの血族であろう。
ユーミはしょっちゅうルウの祝宴に招かれていたし、ルウの血族はもっとも古くから屋台の商売に取り組んでいたので、自然とユーミとの仲が深まっていたわけであった。
その人数は、なんと22名にも及ぶ。
ルウの本家からは、ジバ婆さん、ジザ=ルウ、ルド=ルウ、レイナ=ルウ、ララ=ルウ、リミ=ルウ。分家からは、ダルム=ルウ、シーラ=ルウ、ジーダ、バルシャ、マイム、ミケル。眷族からは、ガズラン=ルティム、アマ・ミン=ルティム、ダン=ルティム、ツヴァイ=ルティム、ラウ=レイ、ヤミル=レイ、シュミラル=リリン、ヴィナ・ルウ=リリン、シン・ルウ=シン、ミダ・ルウ=シン――以上の顔ぶれであった。
特筆するべきは、やはりシーラールウとヴィナ・ルウ=リリンとアマ・ミン=ルティムであろう。かつてこういった祝宴において、赤子を持つ母親が招待されることはまずなかったのだ。どのみち彼女たちは家で赤子の面倒を見なくてはならないため、祝宴を楽しむ時間もごく限られてしまうのだった。
しかしユーミは、彼女たちを招待したいと強く願っており、族長たちもその言葉を無下にすることはなかった。
ユーミがそのように希望したのはごく単純な理由で、彼女たちが屋台の最初期のメンバーであったためとなる。ヴィナ・ルウ=リリンは文字通りの最古参であるし、シーラ=ルウはその数日後であったし、アマ・ミン=ルティムもごく早い段階から交代要員として抜擢されていたはずであった。
そういう早い段階からご縁を深めた相手には、やはり特別な思い入れというものが生じるのだろう。ともに過ごした時間だけで言えば、きっと最近の若い女衆のほうが上回っているぐらいなのであろうが――最初期に出会った人々が魅力的であったからこそ、その後の交流が紡がれたという面もあるはずであるのだ。
何にせよ、ユーミは彼女たちの参席を希望していたし、俺も不思議には思わなかった。ここ最近は顔をあわせる機会も減っているが特別な思い入れを抱いているという意味において、俺はまったく同じ立場であったのである。シーラ=ルウもヴィナ・ルウ=リリンもアマ・ミン=ルティムも、俺にとっては特別な存在であったのだった。
というわけで、森辺の民だけでもフォウの血族ならぬ客人というのは56名にも及ぶ。
そこに、森辺の外からの客人も加えられるわけであった。
宿場町からは、サムスとシル、シルの妹一家が5名。ユーミの友人たる、レビとテリア=マス、ベンとカーゴ、ビアとルイアで、総勢は13名だ。
城下町からは、メルフリードとエウリフィアとオディフィア、ポルアースとメリム、リフレイアとサンジュラ、リーハイムとセランジュとレイリス、フェルメスとジェイド。料理人の関係者は、ロイとシリィ=ロウとボズルに、プラティカとニコラ、セルフォマとカーツァ。個人的な友人として、ディアルとラービス。総勢は、21名となる。
そしてダレイムからはただひとり、ターラだけが招待されて――外来の客人は35名、森辺の客人を含めれば91名、フォウの血族を加えて総勢は140名前後という人数である。フェイ・ベイム=ナハムやモラ=ナハム、カミュア=ヨシュやレイトといった面々にご遠慮をいただいても、それだけの人数にのぼったのだった。
つまりはそれが、ユーミの人徳であるのだ。
もちろんジョウ=ランやランの家も、関わっていなくはない。ディンやリッドやサウティの血族などは、そちらの関係から招くことになったのだ。
しかしまた、それ以外の面々はおおよそユーミとのご縁であると言えるだろう。ラン家にはつつましい人間が多かったので、森辺の内外に拘わらず、そうまで交流を広げていないはずであった。
(ユーミがそういう人間だからこそ、森辺に嫁入りすることになったんだろうな)
俺はまた、そんな思いを新たにした。この数日だけで何度同じような思いを噛みしめたか、もはや数えきれないほどだ。やっぱり俺もユーミとはつきあいが古い分、思い出の材料には事欠かないのだった。
「……待たせたな。危うく花嫁よりも遅れるところであったぞ」
アイ=ファの凛々しい声に振り返った俺は、「やあ」と間の抜けた声をあげることになった。本日は婚儀の祝宴であったので、アイ=ファも宴衣装であったのだ。
普段よりも凝ったデザインである胸あてと腰巻きに、数々の飾り物と玉虫色にきらめくヴェール――何回見ても見慣れることのない、アイ=ファの美しい宴衣装だ。なおかつこれは雨季が明けて初めての祝宴であったので、少なくとも2ヶ月以上は経過しているのだった。
左のこめかみには透明な花の飾り物、胸もとには銀細工の装飾で彩られた青い石の首飾りという、俺が贈った品もぬかりなく装着されている。そちらに関しては城下町の祝宴でも活用されていたが、俺の喜びの思いに変わるところはなかった。
「アイ=ファは本当に、綺麗だねぇ……なんだか、あたしまで誇らしい気分だよ……」
車椅子に乗ったジバ婆さんも、一緒にやってきた。それに付き添うのは宴衣装のリミ=ルウとララ=ルウ、頭にちょこんと花飾りをつけたターラ、専属の護衛役であるジザ=ルウとルド=ルウとシン・ルウ=シン――そして今は、ミダ・ルウ=シンもひっついていた。
「ミダ・ルウ=シンと祝宴をご一緒するのは、ひさびさだよね。まあ、城下町でご一緒してない相手は、みんなひさびさなんだけどさ」
俺がそのように声をかけると、ミダ・ルウ=シンはいくぶん心配そうに「うん……」と頬をぷるぷる震わせた。
「でも……ミダ・ルウはあんまりユーミとしゃべったことがないから……もっと仲良しの人たちに、申し訳ないんだよ……?」
「シンの家にはユーミと親しい女衆も見当たらなかったので、ミダ・ルウを俺の付き添いに選んだまでだ。決めたのは俺なのだから、ミダ・ルウが心を痛める必要はないぞ」
シン・ルウ=シンがそのようになだめても、ミダ・ルウ=シンは「うん……」と伏し目がちである。そこで俺も、ひと肌ぬぐことになった。
「各氏族から2名ずつ招くっていうのは、森辺の習わしだからね。ラッツやラヴィッツの家長たちだってユーミやジョウ=ランとそこまで個人的なご縁は結んでいないはずだけど、仲良くしている女衆の付き添いで参席することになったんだよ。ミダ・ルウ=シンだけが、肩身のせまい思いをする必要はないさ」
「うん……」
「それに、ベンやカーゴたちはミダ・ルウ=シンが参席するって聞いて、喜んでたよ。ユーミの友達が喜んでくれるなら、ミダ・ルウ=シンがお招きされた甲斐もあるってもんさ」
すると、アイ=ファも「そうだな」と声をあげた。
「そもそも宿場町で悪さをしていたお前は、宿場町の民に忌避されていたのだ。その悪縁を乗り越えたからこそ、カーゴたちもお前に思い入れを抱くことになったのであろう。ユーミやその友たちと交流が足りていないと思うのならば、この夜に交流を深めるがいい」
「そうだねえ……あんたには、あんたにしか果たせない役割があるはずだよ……」
そうしてジバ婆さんまでもが優しく言い添えると、ミダ・ルウ=シンはこれまでと異なる感じに頬肉を震わせた。
「うん……みんなが優しくて、ミダ・ルウは嬉しいんだよ……? 祝宴に来られなかった人たちの分まで、ミダ・ルウは頑張るんだよ……?」
「ははん。変に気張らねーで、祝宴を楽しめばいいんだよ。そうしたら、周りの連中も勝手に楽しい気分になるだろーからよ」
と、ルド=ルウがミダ・ルウ=シンの丸太のごとき腕をぴしゃぴしゃと叩いたとき、細長い人影が広場の中央に進み出て人々に歓声をあげさせた。
「それではこれより、外来の客人の紹介をさせていただく! 手数だが、名前を呼ばれた面々はこちらに参じてもらいたい!」
薄紫色の薄暮の中で、バードゥ=フォウが朗々と声を張り上げる。その左右に居並んでいるのは、ライエルファム=スドラとランの家長だ。さすがに森辺の外から来た客人だけは、紹介が必要であるようであった。
30名以上に及ぶ客人たちが、1名ずつ紹介されていく。
ただし、フォウの血族にとって初見の可能性があるのはシルの妹一家にセルフォマとカーツァ、それにリーハイムとセランジュぐらいであろう。雨季の前の親睦の祝宴はフォウの集落で開かれたので、町の人々のおおよそはそちらで顔をあわせているはずであった。
(あのときは、今日以上の人数だったもんな。でも、婚儀の祝宴はなるべく厳粛に執り行いたいから、人数を絞ったんだろう)
それでも、総勢は140名前後だ。広場にたちこめた熱気は、もはや制御も難しいぐらい膨れあがりつつあった。
「本日は宿場町の民たるユーミをラン家に迎えるにあたって、これだけの客人を招くことに相成った。今日の喜びを分かち合いつつ、ふたりの行く末を祝福してもらいたい」
客人たちの紹介を終えると、バードゥ=フォウがそのように宣言した。
「それでは、誓約の儀を開始する」
その言葉と同時に儀式の火が灯されて、行き場を求めていた熱気が歓声として爆発した。
さらに広場の外周のかがり火も灯されていき、広場は昼間のような明るさに包まれる。
そして、家のひとつから4つの人影が現れた。
新郎新婦と、付き添いの幼子たちである。その壮麗なる姿に、いっそうの歓声がわきたった。
ユーミとジョウ=ランは、日中にも見た姿である。
だけどやっぱり太陽の下とかがり火の明かりでは、まったく雰囲気が違っている。そして森辺の婚儀の衣装は、この夜にこそ相応しいいでたちであった。
赤々と燃えるかがり火に照らされて、ユーミが全身に纏った玉虫色のヴェールとショールはいっそう豪奢にきらめいている。
まるで、ユーミ自身が光り輝いているかのようだ。これこそが、俺が知る森辺の花嫁の姿であった。
特別仕立てである狩人の衣を纏ったジョウ=ランも、日中とは比較にならない勇壮さである。
若くて容姿の整ったジョウ=ランは、まるで戦いの神であるかのようだ。仮面舞踏会でどのような扮装をしようとも、これほどの神々しさと勇壮さを両立させるのは難しいのではないかと思われた。
ユーミは褐色の長い髪をほどいて、森辺の宴衣装にたくさんの飾り物をつけている。
肌が黄白色をしている他は、これまでの花嫁たちと変わらない姿である。
そして、肌の色をことさら取り沙汰するのは、差別的であるのかもしれないが――この際には、その相違も重要であった。外界の人間を森辺に迎えたからこそ、今日は特別な婚儀なのである。同じく外界の生まれである俺は、その重さを誰よりも思い知っているつもりであった。
(……いや。俺なんかより、シュミラル=リリンのほうがよっぽどわきまえてるのかな)
シュミラル=リリンはユーミに先んじて、婚儀を挙げた身であるのだ。今はどこかでヴィナ・ルウ=リリンに寄り添いながら、この光景に胸を高鳴らせているはずであった。
狩人の衣を纏った男児と宴衣装を纏った女児の先導で、新郎と新婦は参席者のもとを巡っていく。そうして幼子たちの掲げた草籠に祝福の牙を投じるのが、森辺の習わしであった。
外来の客人たちは、銅貨に交換しやすい何らかのお祝いを投じていることだろう。俺はアイ=ファから預かったギバの牙を握りしめながら、両名の到着を待ちわびた。
大歓声の中、ユーミとジョウ=ランはこちらにゆっくりと近づいてくる。
そうしてようやくユーミの表情が視認できるぐらいの距離に至ると――玉虫色のきらめきの向こう側で、ユーミは大輪の花のように笑っていた。
その笑顔のあまりの無邪気さに、俺は胸を詰まらせてしまう。
俺が心配するまでもなく、ユーミはこの瞬間の幸福を噛みしめていた。
これから同胞となる森辺の民や、見届け人として参じた貴族たち、大切な家族や友人たちに見守られながら――ユーミは何の気後れもなく、ただ笑っていた。その真っ直ぐな熱情と強靭さに、俺は心から感服させられることになった。
いっぽうジョウ=ランも、落ち着いた面持ちで微笑んでいる。
昨晩の不安げな陰などはどこにも残されていないし、普段ほど屈託のない顔でもない。こちらはこちらで、ようやく今日という日を迎えることができた感慨を思うさま噛みしめているようであった。
そうして両名の姿に目を奪われた俺は、アイ=ファに腕を小突かれたことで自分のなすべきことを思い出した。
俺がいささか危ういタイミングで祝福の牙を投じると、それに気づいたユーミがこちらを振り返ってくる。
ユーミは輝くような笑顔のまま、「ありがとう」という形に唇を動かした。
日中の祝宴でも、聞かされた言葉だ。
俺は危うく涙をこぼしそうだったが――すんでのところで、こらえることができた。
すべての参席者から祝福を授かった両名は、燃えさかる儀式の火の前に進み出る。
いつしかそこには、新郎新婦の両親も立ち並んでいた。森辺の婚儀にそういった習わしはなかったので、きっと宿場町の習わしに順じたのだろう。
ジョウ=ランの父親たるラン分家の家長は厳しく引き締まった表情、母親は菩薩像のように穏やかな表情――そして、サムスは大きな手の平で顔を覆い、シルはにこにこと笑いながら、それぞれ滂沱たる涙を流していた。
傭兵あがりで荒っぽい気性をしたサムスが、肩を震わせて泣いている。
日中は普段通りの仏頂面をさらしていたが、ついに愛娘を嫁に出す実感に見舞われたのだろう。そして、その姿を目にした瞬間、俺もついに涙をこらえられなくなってしまった。
どのような立場であれ、森辺の婚儀で涙を流す男衆というのは見た覚えがない。それほどに、森辺の狩人というのは強靭であるのだ。
そして、俺は――父親の涙というものに、弱かった。それが普段は涙とも無縁であるような人柄であったなら、なおさらであった。
(もしも親父が、俺の結婚式に立ちあっていたら……あんな風に、泣いてたのかな)
そんな思いが一陣の風のように俺の心をよぎり、そして広場の熱気に溶けるように消えていった。
その間に、バードゥ=フォウたちが祝福の牙を草籠に捧げている。すべての仕事を終えた幼子たちはその草籠を丸太の壇に置いて、左右に退いていった。
花嫁と花婿はそれぞれの母親に導かれて、草籠をはさむようにして丸太の壇に着席する。
その姿を見届けてから、バードゥ=フォウが発言した。
「今宵、ジョウ=ランとユーミはおたがいを伴侶として結び合わされる。ランの親たるフォウの家長として、心から祝福の言葉を述べさせてもらいたい」
バードゥ=フォウのそんな言葉を耳にするのは、俺にとって4回目のことであった。
チム=スドラとイーア・フォウ=スドラ、スドラの男衆とランの女衆、フォウ分家の男衆とヴェラの次姉――俺がもっともと数多く婚儀に立ちあったのは、フォウの血族なのである。
「これは森辺のみならずジェノスにとっても、ひとつの大きな転機となろう。族長筋ならぬフォウの血族がそのような重責を担うのは、心苦しくてならないが……これも母なる森と父なる西方神の思し召しであろう。また、婚儀を挙げる両名は、今日に至るまでにその重みを味わい尽くしたと信じている。よって、これから先は重責など関わりなく、ただ伴侶として正しい絆を紡ぎ、自らの幸福を追い求めてもらいたい」
厳粛なる声音で述べてから、バードゥ=フォウはサムスとシルのほうを振り返った。
「この場で、サムスにもひと言もらいたいのだが……どうであろうか?」
「ちょっと亭主は口がきけないみたいなんで、あたしが代わりにしゃべらせていただきましょうかねぇ」
立派な装束を纏ったシルは頬の涙もそのままに、笑顔で進み出た。
「バードゥ=フォウの仰る通り、あたしと亭主もユーミと一緒になって、この婚儀のことを考え抜いたつもりですよ。あたしらなんかが宿場町の代表みたいな顔をするつもりはありゃしませんし、これを手本にしてほしいなんて偉そうなことも言えやしませんけれど……このふたりが幸せな行く末を求めるだけで、きっと十分なんでしょう。こっちは至らない人間ばかりですけれど、どうぞよろしくお願いいたしますよ」
そうしてシルが頭を下げると、広場に盛大な拍手が鳴り響いた。
これまでの婚儀で、拍手が鳴らされた覚えはない。きっと町の人々が手を打ち鳴らし、森辺の民が真似たのだろう。俺もまた、涙をふくいとまもないまま拍手を送った。
「それでは、誓約の儀を開始する。……ジョウ=ランとユーミが婚儀を挙げることに対して――また、ランとユーミの血族が血の縁を交わすことに対して、異議がある者は遠慮なく述べるがいい」
何とはなしに、俺は緊張してしまう。
しかし、拍手が鳴りやんだのちの広場で、声をあげる者はいなかった。
「それでは、婚姻の誓約を交わす。ジョウ=ランとユーミは、火の前に」
丸太の壇から身を起こした両名が再び儀式の火の前に進み出て、バードゥ=フォウのもとで膝を折った。
横合いの人垣からはバードゥ=フォウの伴侶が進み出て、儀式の火に香草を投じる。甘くて少しだけ刺激的な香りが、人々の思いを包み込むように広がった。
バードゥ=フォウの伴侶はおごそかなる手つきでふたりの草冠を外すと、それを香草の薫煙にさっとくぐらせた。
そして、ジョウ=ランがかぶっていた草冠はユーミに、ユーミの草冠はジョウ=ランの頭にかぶせられる。
身を起こした両名は、再び俺たちのほうに向きなおる。
ふたりとも、とても穏やかな笑顔であった。
「今宵、サムスとシルの子たるユーミはジョウ=ランの嫁となり、ユーミ=ランの名を授かった。両家の血族は絆を深め、いっそうの力と繁栄を森辺と宿場町にもたらすべし」
「ジョウ=ランは、森と西方神にユーミ=ランを授かりました」
「ユーミ=ランは、森と西方神にジョウ=ランを授かりました」
ふたりが誓約すると同時に、これまで以上の歓声が爆発した。
そしてそこに、拍手の音色も入り混じっている。俺も万感の思いを込めながら、再び拍手を送ることになった。
「母なる森と父なる西方神の前で、婚儀の誓約は交わされた! 両者の行く末を祝い、大いに宴を楽しんでもらいたい!」
歓声の隙間から、バードゥ=フォウの雄々しい声が聞こえてくる。
それで俺がいつまでも手を打ち鳴らしていると、いきなり顔面に織布が押しつけられてきた。
「……拍手の前に、涙をぬぐうがいい」
そんな言葉とともに、俺の顔面が荒っぽく織布に蹂躙される。もちろんそんな真似をするのは、我が最愛なる家長殿であった。
アイ=ファは苦笑をこらえているような面持ちで、俺の泣き顔を見つめている。
さまざまな感情に見舞われながら、俺はアイ=ファに笑いかけてみせた。
「俺的には、けっこう頑張ったつもりなんだけどな。でもまあ、やっぱり駄目だったよ」
「……まあ、お前だけを責めるわけにはいくまいな」
アイ=ファは俺の頭を優しく小突いてから、視線を巡らせていく。
俺がその視線を追いかけると、広場のあちこちで涙が流されていた。
シルの妹一家のご婦人がたに、ディアルやシリィ=ロウ、ルイアやビア、テリア=マス――それに、ルイアたちをからかうように笑いながら、ベンもぽたぽたと涙をこぼしていた。
「しかし、涙をこぼしているのは、町の客人ばかりだ。お前はれっきとした森辺の民であるのだから、しっかり同胞を見習うがいい」
「うん、善処するよ」
そんな風に応じながら、俺はベンたちの姿にいっそう情動を揺さぶられてしまう。
しかしこれは、誰に恥じることもない涙だ。婚儀で涙を流せるぐらい親しい友人がいることを、俺は心から嬉しく思っていた。
(おめでとう、ユーミ……いや、もうユーミ=ランなのか……まさか、君をそんな名前で呼ぶ日が来るなんてね)
森辺の屋台に難癖をつけるためにやってきた勇ましい少女が、森辺の花嫁衣裳に身を包んで儀式の火に照らされている。どんな腕の立つ占星師でも、こんな行く末を見て取ることはなかなかできないのではないだろうか。
そうして俺は新たに浮かぶあがった涙をぬぐいながら、祝宴の熱気に身を投じることになったのだった。




