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異世界料理道  作者: EDA
第九十一章 慶祝の黄の月(上)
1574/1693

幕間~歌姫と狩人~

2024.12/26 更新分 1/1

 その後も、広場の熱気は留まるところを知らず――下りの二の刻の四半刻ほど前に、俺はすべての料理を配りきることに相成った。


 見込みよりも、四半刻ほど早い終了である。しかしおおよその人々は腹を満たされた様子であるので、あとは果実酒を酌み交わしながら両者の幸せを願っていただきたいところであった。


 そうして俺たちが屋台の片付けに取り組んでいると、見慣れた面々がぞろぞろと近づいてくる。それは、宿場町およびトゥランの商売を受け持ってくれていた面々であった。


「ア、ア、アスタ、どうもお疲れ様です。しゅ、宿場町の商売は、無事に終了しました」


「トゥランの商売も、何も問題はありませんでした。あちらの責任者の御方が、アスタによろしくとのことです」


 取り仕切り役をお願いしていたマルフィラ=ナハムとラッツの女衆が、そのように告げてくる。俺は鉄鍋を荷台に戻しながら、「お疲れ様でした」と笑顔を返した。


「でも、トゥランはともかく宿場町の屋台もずいぶん早かったね。この時間に広場まで来られたってことは、普段より半刻以上も早かったってことか」


「は、は、はい。や、屋台の数が少なかったせいか、普段以上の目まぐるしさであったようです」


「それに、婚儀の影響なのでしょうか。往来のほうも、普段以上の熱気であるようです」


「そうですか。何はともあれ、お疲れ様でした。こっちもあとは皿洗いだけですので、特に助力は必要ありません。よければ、ユーミたちをお祝いしてあげてください」


「ええ。遠目に、ユーミの姿をお見かけしました。森辺の花嫁衣裳が、またとなく似合っているようですね」


 そう言って、ラッツの女衆はにこりと微笑んだ。そういえば、彼女は俺よりもわずかに年長であり――そして、若くして伴侶を失った未亡人であるのだ。彼女も一度は、婚儀の経験を持っているわけであった。


 そしてこの場にはフェイ・ベイム=ナハムも控えており、そのかたわらには伴侶のモラ=ナハムがたたずんでいる。ユーミたちを祝福するために、彼も集落から駆けつけたのだろう。そしてモラ=ナハムもまたかつて伴侶を失っており、こちらは二度の婚儀を体験した身であった。


 ラッツの女衆も現在は髪を長くのばしており、未婚の証である胸あてと腰巻の装束を纏っているので、再婚の意思はあるのだろう。

 しかし、彼女とモラ=ナハムがかつて大きな悲しみに見舞われたという事実に変わりはない。そんな彼女たちは、より真摯な思いで婚儀というものに向き合っているのではないかと思われた。


「あーっ! フェイ・ベイム=ナハムに、モラ=ナハム! みんなも来てくれたんだね!」


 と、元気いっぱいの声が響きわたり、俺をぎょっとさせた。そうして玉虫色のヴェールをなびかせて駆けつけてきたのは、ユーミであったのだ。先刻も普段とそう変わらないたたずまいであったものの、こうまで普段通りの元気さを全開にしてはいなかった。


 ユーミの後からは、ジョウ=ランもおっとり刀で駆けつける。花嫁と花婿の慌てふためいた姿に、周囲からは笑い声がわきたっていた。


「……どうしたのですか、ユーミ? 誓約の儀はこれからであるとしても、嫁入りする人間はもっと静謐に心を保つべきかと思います」


 フェイ・ベイム=ナハムが厳格なる面持ちで応じると、ユーミは「だってさー!」と同じ調子で言いつのった。


「今日はけっきょく、ふたりを夜の祝宴にお招きできなかったじゃん? ずっとそれを心苦しく思ってたのに、詫びる機会もなかったからさ!」


「詫びなど、不要です。ナハムからは、そちらのマルフィラが祝福に出向きますので」


「でも、あたしはふたりの婚儀にお邪魔しちゃったじゃん! それなのに、こっちの婚儀にお招きできないのが心苦しいんだよー!」


 フェイ・ベイム=ナハムは虚を突かれた様子で、目をぱちくりとさせた。


「それはまあ……でも、あれはあなたに婚儀の重さを知ってもらうための配慮であったのでしょうし……森辺には、婚儀に招き返すという習わしも存在いたしません」


「あたしはまだ、宿場町の民だからね! そんな習わしとは関係なく、心苦しいんだよ!」


「はあ……ですが、そもそもわたしたちは……それほど懇意にしていたわけではありませんよね?」


「それでもフェイ・ベイム=ナハムは、最初の復活祭の頃からのつきあいじゃん! どうしてフェイ・ベイム=ナハムたちをお招きできなかったのか、あたしにはさっぱりわからないんだよねー!」


 ユーミが憤然とした様子で腕を組むと、フェイ・ベイム=ナハムはどこか和んだ眼差しでそれを見返した。


「祝宴に呼べる人数には限りがありますし、あなたは親しき相手が多いのですから、致し方ありません。それに、明日の商売の下ごしらえにも人手が必要であったので、さまざまな氏族を交えた話し合いの結果、わたしとガズの女衆が参席を遠慮することになったのです」


「でも、フェイ・ベイム=ナハムたちは――」


「わたしたちは、こちらの祝宴に参ずることがかないました。あなたの麗しき姿を目にすることができて、心から嬉しく思っています」


 そう言って、フェイ・ベイム=ナハムはゆったりとユーミに笑いかけた。


「おめでとうございます、ユーミ。明日からは、あなたも森辺の同胞です。ともに、正しき道を進みましょう」


「……うん。こんな至らない人間だけど、どうぞよろしくお願いします」


 ユーミはヴェールを揺らしながら、深々と頭を下げる。

 そうして次に頭を上げたときには、彼女らしい朗らかな笑みがよみがえっていた。


「他のみんなも、わざわざありがとう。仕事の合間に駆けつけてくれて、本当に嬉しく思ってるよ。みんなを見習って立派な森辺の民を目指すから、どうぞよろしくね」


「は、は、はい。ど、どうぞよろしくお願いいたします」


「こちらこそ、よろしくお願いいたします。明日からが、とても楽しみです」


 マルフィラ=ナハムにラッツの女衆、それに他なる面々も、口々に祝福の言葉を口にした。


 それで俺も、ひそかに心を温かくしていたのだが――そこに何か、喧噪の気配が近づいてきた。

 遠からぬ位置にたたずんでいたアイ=ファが、さりげなく俺のもとに身を寄せてくる。いかにも酔漢らしいわめき声と、それを諫めようという人間の声が入り乱れて、こちらにじわじわと接近し――それがついに眼前に飛び出してこようとしたとき、モラ=ナハムがにゅっと長い腕をのばした。


 その骨張った指先がつかみ取ったのは、とある男性の襟首である。

 それは顔の下半面に髭をたくわえた、いかにも小悪党めいた風体の男性であった。酒のにおいをぷんぷんさせており、何故だかその髭もじゃの顔を滂沱たる涙に濡らしている。


「か、狩人さん! そいつも悪気があるわけじゃないんで、ぶちのめすのは勘弁してやってくれ!」


 その男性を追いかけてきた複数の男たちが、モラ=ナハムの前にまろびでる。そのひとりが屋台でよく見る常連客であったので、俺は慌てて声をあげることになった。


「あの、いったいどうされたんですか? そちらの御方は――」


「ああ、こいつは俺たちの連れで、しょっちゅう《西風亭》の世話になってたんだよ。それがちょいと、酒が過ぎちまったみたいで……」


「だってこんなの、ひどいじゃねえか!」と、モラ=ナハムに襟首をひっつかまれた男性が涙声でわめきたてた。

 その声が、意外に若々しい。南の民さながらの髭を除去したならば、二十歳そここそこの初々しい面相が出てきそうだった。


「俺のつまんねえ人生の中で、この娘っ子だけが大切な生き甲斐だったのに……それが宿を出ていっちまうなんて、あんまりだよ!」


「……あんたの顔は、よく覚えてるよ。でも、注文を聞く以外に言葉を交わしたことはなかったよね?」


 ユーミがうろんげに問い返すと、別の男性が「ああ」と応じた。酩酊した若者は子供のように泣き伏してしまい、まともに答えることもできなかったのだ。


「べつだんこいつは、お前さんに横恋慕してたわけじゃねえんだよ。ただ……いつもお前さんの歌を楽しみにしてたんだ」


「歌? このお人から、歌をせびられた覚えはないんだけど」


「ああ。そんな熱心に歌をせびるのは気恥ずかしいとか抜かして、いつも俺たちが代わりに声をかけてたんだ。それでまあ……お前さんが宿を出ると聞いて、こんな姿をさらすことになっちまったわけだな」


 モラ=ナハムに襟首をつかまれたまま、その若者はぐしぐしと泣いてしまっている。

 ユーミはひとつ溜息をついてから、モラ=ナハムの長身を見上げた。


「モラ=ナハム、どうもありがとう。もう大丈夫だから、そのお人を離してあげてくれる?」


「うむ……しかしこの者は、酒気で我を失っているようだ……くれぐれも、用心は忘れないように願う……」


「もしものときは、俺がユーミを守ります」


 ジョウ=ランが穏やかな面持ちで言い添えると、モラ=ナハムはその若者を解放した。

 若者は、そのまま石畳にへたりこむ。そしてユーミは膝を折って、その若者に語りかけた。


「あんたがあたしなんかの歌にそんな熱心だったなんて、知らなかったよ。でもさ、森辺に嫁入りしても家に帰れなくなるわけじゃないから……いつかはあたしも、また宿を手伝えるようになると思うよ?」


「いつかって、いつだよ! そんなの、わからねえじゃねえか!」


「うん。まあ、それはそうなんだけど……」


「俺はどんなに嫌なことがあった日でも、お前の歌さえ聞ければ幸せな心地で眠ることができたんだ! お前の歌を聞けなくなったら、俺の人生はお先真っ暗だよ! 俺は……俺にとっては、お前の歌がすべてだったんだ!」


 ユーミは困り果てたように、ヴェールごしに頭をかいた。

 すると、ジョウ=ランもその隣に膝を折って、ユーミににこりと笑いかける。


「ユーミの歌は、それぐらい素晴らしいですからね。これほど思い詰める人間がいても、不思議はないように思います」


「何を呑気なこと言ってんのさ? ほら、衛兵たちがちらちら見てるよ。このままだと、このお人が――」


「ええ。彼が罪人として捕まってしまうのは、あまりに気の毒です。せめてものたむけに、この場で歌ってあげたら如何でしょう?」


 ユーミは「はあ?」と目を丸くする。

 そちらにもう一度笑顔を返してから、ジョウ=ランは石畳にうずくまった若者に呼びかけた。


「ユーミはこれから森辺における生活を学ばなくてはならないため、しばらくは《西風亭》を手伝うこともできないでしょう。でも、いつかは必ず《西風亭》に戻ります。その日まで、今日の歌を心のよすがにしていただけませんか?」


「ちょっとちょっと、婚儀の祝宴で花嫁に歌わせようっての? 普通は見送る人間が、歌を捧げるもんなんじゃないの?」


 そんな風に言ってから、ユーミはしかたなさそうに笑った。


「だけどまあ、今のあたしにできるのはそれぐらいか」


「はい。もちろん俺も、力を添えますので」


 ジョウ=ランは立派な狩人の衣の懐に手を差し込み、横笛を引っ張り出した。


「あんたさ、なんでそんなもんを婚儀の衣装に隠し持ってるわけ?」


「俺はユーミと会うときには、いつもこれを携えているのです。おかげで今日も、役に立ちましたね」


「あーあ。あとで誰に何を言われても、あたしは知らないからね?」


 ユーミは玉虫色のヴェールとショールをきらめかせながら身を起こして、若者の背中に呼びかけた。


「今日はめでたい日だから、銅貨なしで歌ってあげるよ。……またいつか、あたしが宿に戻る日を待っててね」


 そうしてユーミは人目もはばからず、堂々と歌い始めた。

 曲目は、『月の女神の調べ』である。ゆったりとした三拍子で、明るさと哀切さが混在するユーミの得意な曲目のひとつであった。


 そしてこれは、この広場の主たるエイラに捧げられる曲である。

 婚儀を前にした女性が、月神エイラに永遠の愛を誓うという内容であるのだ。婚儀の場にはもっとも相応しい内容であるのかもしれないが、それを花嫁自身が口にするというのはあまりに直截的な話であった。


 しかし何にせよ、ユーミの歌の素晴らしさに変わりはない。

 そして、ユーミの歌声はとてもよく通るのだ。ユーミの歌声はのびやかに広がっていき、やがては広大なる広場のすべてが静まりかえることになった。


 ジョウ=ランは、横笛の演奏でもってその歌声を支えている。

 ジョウ=ランは宿場町の交流会で横笛の吹き方を学び、俺が参加した交流会の夜に初めてユーミの伴奏を務めることになったのだ。


 そしてふたりは、あの夜からおたがいの存在を意識し合うことになった。

 かつてジョウ=ランに恋心を抱いていたフォウやランの女衆に詰め寄られて、自分たちの気持ちを自覚することになったのだ。


 あれから、2年近い日が過ぎ去って――ふたりは、ついに結ばれるのである。

 俺はいっそうの感慨に見舞われることになったし、周囲にたたずむフェイ・ベイム=ナハムたちも感じ入った様子でまぶたを閉ざしていた。


 そして石畳に突っ伏した若者は、声もなく泣き伏している。

 きっとこの素晴らしい歌の邪魔をしないように、懸命に泣き声を押し殺しているのだろう。


 そうして歌の中の娘さんは、長い夜ののちに太陽神アリルの輝きに包まれて――『月の女神の調べ』は、終わりを迎えた。


 一瞬の静寂の後、エイラの広場は歓声と拍手に包まれる。

 それは、今日一番の熱気と活力に満ちみちた大歓声であったのだった。


                 ◇


「……やはり昼間の祝宴も、平穏無事には終わらなかったな」


 下りの二の刻の半――新郎新婦を乗せたトトス車がしずしずと退出していくのを見送ってから、俺たちも帰宅の準備を整えていると、ラヴィッツの長兄が忍び寄ってきてそんな言葉を投げかけてきた。


「あ、どうも。やっぱりいらしていたのですね」


「ああ。そんなに腹は減っていなかったので、城下町の者どもが準備した宴料理をいただいたのだ。あまり銅貨をつかってしまうと、親父殿がうるさいのでな」


 そう言って、ラヴィッツの長兄はにんまり笑った。


「そして夜は親父殿に出番を譲ることになったので、この場に出張るしかなかったのだ。……それにしても、大層な騒ぎだったではないか」


「はい。でも、あの男性も何とか最後には笑顔で見送ってくれたので、最善の対処だったんだろうと思います」


「ふふん。まあ、ふたりそろって胆が据わっていることは確かだろうな」


 ラヴィッツの長兄は咽喉で笑いつつ、早々に身をひるがえした。


「それではな。夜の祝宴でも歌ってもらわないことには、親父殿の鬱憤が溜まってしまいそうなところだが……俺がどうこう言える話ではないので、あとはそちらの判断にまかせる」


「あはは。デイ=ラヴィッツも、ユーミの歌声に心をつかまれているご様子ですもんね。承知しました。ユーミに伝えておきます」


 ラヴィッツの長兄は振り返らないままひらひらと手を振って、人混みの向こうに消えていった。

 あらためて、こちらも帰還だ。そうして俺たちが荷車と屋台を運んでいると、ひさびさにディアルとラービスが駆けつけてきた。


「あー、いたいた! 悪いけど、今日も相乗りをよろしくねー!」


「うん。でも、リフレイアと一緒じゃなくて、よかったのかな?」


「あっちはいったん、城下町に戻るんだよー! エウリフィアやオディフィアなんかと合流しないといけないんだってさ!」


 それらのメンバーも、夜の祝宴の参席者なのである。そしてディアルは俺たちに同乗して、そのままかまど仕事を見学したいと名乗りでていたのだった。


「東の人たちも、この時間から来訪する予定になってるからさ。くれぐれも、騒ぎを起こさないようにね?」


「わかってるって! いやー、夜の祝宴も楽しみだなー! 婚姻の誓約があるから、そっちが本番だもんねー!」


 ディアルは普段以上にはしゃいでいたし、根本の気持ちは俺も同一である。ただ俺は浮かれる前に、次なる宴料理を仕上げなければならなかった。


 人混みをかき分けるようにして往来に出たならば、まずは《キミュスの尻尾亭》に向かって屋台を返却する。同時に預けていた荷車を回収して、定員いっぱいの人数が集合したならば、いざ帰還であった。


 他なる荷車にはレビたちを乗せているし、ルウ家で準備した荷車のほうには《銀星堂》の3名も同乗しているはずだ。あとはプラティカたちが、自前のトトス車で参上する手はずになっている。雨季が明けてからはセルフォマたちに護衛の兵士が準備されるようになっていたが、本日はプラティカが同行しているために不要であるとのことであった。


 広場から主街道までが混雑していたので、森辺に帰りついた頃には下りの三の刻を過ぎている見当である。

 それでも俺はファの家に立ち寄って、明日の商売の下ごしらえが滞りなく進められていることを確認した。あとはフェイ・ベイム=ナハムとガズの女衆に監督役をお願いして、目指すは本日の会場であるフォウの集落だ。


 小さき氏族の中で俺の仕事を手伝ってくれるのは、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア、リリ=ラヴィッツ、クルア=スン、ラッツ、ダゴラ、ダイの女衆という顔ぶれになる。本日は招待客を厳選する必要があったので、あらゆる氏族の人々が頭をしぼって血族の代表者を選出したのだ。


 その結果、同じ血族の中から2名のかまど番を輩出したのは、ラヴィッツのみとなった。マルフィラ=ナハムは屋台の常勤である上に城下町でもユーミと親交を深めていたし、リリ=ラヴィッツも古参のメンバーであることと数少ない年配の女衆であることが決め手となって、参席を認められた次第であった。


「でもさ、建築屋のお人らの送別の祝宴では、すごい数の森辺の民が招かれてたじゃん? 今日は、無理だったの?」


「うん。宿場町や城下町からもそれなりの人数を招いてるから、自重することになったんだよ。あとは、族長筋からもけっこうな人数をお招きしてるみたいだからさ」


 招待客のリストを作成したのは、もちろん《西風亭》とラン家の両家である。ただしそこにはジェノスの貴族および三族長の意向も重ねられるため、なかなかに難渋したのだという話であった。


 ただ俺は、難渋の理由のおおよそはユーミにあるのだろうと考えている。

 端的に言って、ユーミは懇意にしている相手の数が尋常でないのだ。それで、フェイ・ベイム=ナハムたちもやむなく招待客リストから外されてしまったわけであった。


「なるほどねー! それでも僕は参席を許されたんだから、すっごく嬉しいなー!」


「うん。ディアルはユーミとのつきあいも古いし、宿場町と城下町の両方で交流していたからね。そのあたりのいきさつが考慮されたんだろうと思うよ」


 なおかつ、ラン家および親筋のフォウ家は、ユーミの紡いできた人の縁を重んじるという方針を立てていた。そして、森辺の民はどの氏族でも明日から同胞になるのだから、なるべく外部の人間を優先しようという考えであるようであった。


「それで森辺の何人かには、遠慮を願うことになったわけだからね。俺が恩着せがましいことを言える立場じゃないけど、ディアルたちにはその分までめいっぱいお祝いしてほしいかな」


「わかってるって! 僕だって、祝福の思いは誰にも負けてないつもりだよー!」


 南の民であるディアルは、きわめて内心が表にこぼれやすい。それで俺も、ディアルが抱いている喜びの思いを満身で感じ取ることがかなったのだった。


「到着したぞ。さすが、この時間から賑わっているようだな」


 アイ=ファが荷車をとめたので、俺たちは地面に降り立った。

 森辺の道には、すでに先行した荷車がずらりと並べられている。俺たちはファの家に立ち寄ったので、ほとんど最後であったようだ。そうして俺たちが列をなして広場に乗り込んでいくと、そこにはけっこうな人だかりができていた。


 そのおおよそは、先行した荷車の面々である。

 ただそれ以外にも、大勢の男衆や若衆が儀式の火のための薪や簡易かまどを組み上げている。手の空いている人間はみんなエイラの広場に駆けつけたのであろうから、婚儀の支度もこれからであったのだ。それらの面々も含めて、宿場町の熱気がここまで持ち帰られたような風情であった。


「みんな、おつかれさまー! これで全員、そろったね!」


 広場の片隅に形成された人垣から、リミ=ルウがぶんぶんと手を振ってくる。その逆の手は、ターラの手をしっかりつかんでいた。


 俺の仕事を手伝ってくれる7名に、ルウの血族はレイナ=ルウ、ララ=ルウ、リミ=ルウ、マイム、ヤミル=レイ。トゥール=ディンの指揮で菓子を手掛ける、スフィラ=ザザ、モルン・ルティム=ドム、ディン分家の女衆、2名のリッドの女衆。そして、参席者のジバ婆さんに、護衛役のジザ=ルウ、ルド=ルウ、シン・ルウ=シン、およびラウ=レイ。他にはガズラン=ルティムやシュミラル=リリンなども招待されていたが、客人たちに荷車を譲った関係でまだ到着していなかった。


 あとは外来の客人である、ターラ、レビ、テリア=マス、ベン、カーゴ、ルイア、ロイ、シリィ=ロウ、ボズル――そして、自前のトトス車でやってきたプラティカ、ニコラ、セルフォマ、カーツァ。この一画に集まっているのはそういった顔ぶれであり、それと相対しているのはバードゥ=フォウであった。


「ランの者たちは、ジョウ=ランに付き添っている。のちのちユーミの血族らとともにやってくるはずだ」


「そうですか。あちらも宿を閉めないといけないから、色々と準備があるのでしょうね」


「うむ。そしてその留守は、カミュア=ヨシュたちが預かるようだぞ。本来であればけっこうな銅貨が必要となるが、友人のよしみで引き受けたのだそうだ」


 宿を深夜まで空っぽにするというのは不用心であるし、《西風亭》は貧民窟に位置するのでいっそう用心が必要になるのだろう。そこで、親切なカミュア=ヨシュが名乗りをあげたのだった。


「カミュア=ヨシュが居座っているだけで、如何なる無法者も近づくことはできまい。サムスたちにも心置きなく祝宴を楽しんでもらえるように願っている」


「はい。俺たちも、協力は惜しみませんよ」


「うむ。皆々の親切に、心から感謝している。時間もずいぶん過ぎてしまったので、さっそく仕事に取りかかってもらいたい」


 バードゥ=フォウの誠実きわまりない眼差しに見送られて、俺たちは所定の仕事場に向かうことになった。

 この場に参じたルウの血族のかまど番の中で、レイナ=ルウは俺を、リミ=ルウとマイムはトゥール=ディンを手伝ってくれる手はずになっている。ララ=ルウとヤミル=レイは、もうじきやってくる貴族たちのお相手を務めるのだそうだ。


 それでけっきょく俺の組は9名、トゥール=ディンの組は8名という人数になる。外来のかまど番だけでけっこうな人数に及んだが、フォウの集落もこの近年でかまど小屋を増設したので、この人数でも問題なく働くことができるはずであった。


「雨季の前の祝宴でも思ったけど、ずいぶん立派な厨が増えたよねー! 僕が初めてお邪魔したときとは、比べ物にならないもん!」


「うん。フォウの広場は収穫祭やこういう祝宴で使われる機会が多いから、設備を整えることになったんだよ」


 でなければ、ランのかまど小屋まで使う結果になっていたことだろう。フォウの血族もサウティの血族の助力のもとに作業を進めているのだから、そちらだけでもずいぶんな人数であったのだった。


「それにしても、見物人だけでけっこうな人数だよな! あんたたちは、どこで作業するんだい?」


 と、ベンが呼びかけたのは、ロイである。彼らも間遠ではあるが、何度か祝宴をともにしているのだ。城下町の民だが言動の荒っぽいロイは、気安く「そうだな」と応じた。


「俺たちは、トゥール=ディンと同じ場所を間借りする約束になってたよ。それで、間違いなかったよな?」


「は、はい。わたしも、場所をお借りする立場ですが……」


「俺もシリィ=ロウも可能な限りは下準備をしてきたから、そうそう場所はくわねえよ。なあ?」


 シリィ=ロウは、いくぶんかすれた声で「はい」と応じた。俺は気をつかって声をかけないようにしていたが、シリィ=ロウはディアルよりもはっきりと目を赤く泣きはらしていたのだ。南の民とはまた異なる趣で情感が豊かな彼女は、ユーミの花嫁姿に涙腺が決壊してしまったのだろうと察せられた。


 シリィ=ロウたちがユーミと出会ったのは、おそらく最初の復活祭の直後に行われた親睦の祝宴であろう。俺はアイ=ファほど立派な記憶力は持ち合わせていなかったが、シリィ=ロウが《ギャムレイの一座》の座員に怯えている姿や、ユーミとケンケン言い合っていたさまは、はっきり心に残されていた。


 ディアルと同じように、シリィ=ロウも当初はユーミと衝突していたのだ。ディアルもシリィ=ロウも世間的には裕福なお嬢様という区分であるため、貧民窟育ちのユーミに対しては理解しがたい部分も多かったのかもしれなかった。

 しかしディアルもシリィ=ロウも、そう長い時間をかけずにユーミと仲良くなれたように思う。それは彼女たちの善良な部分が呼応した結果なのであろうが――やっぱりユーミの社交性と親切さが、もっとも大きな要因なのではないかと思われた。


 ユーミは不良少女と呼ばれる立場であり、誰に対しても遠慮がない。また、俺が屋台をオープンしたときは真正面から文句をつけにくるぐらい、勇猛果敢な気性であるのだ。

 しかし、自分に非があったと考えたならばすぐに態度をあらためられる素直さと柔軟性を持ち合わせている。それらをすべてひっくるめて、ユーミの強さであり、優しさであるのだった。


「それじゃあ俺たちは、まずロイやトゥール=ディンたちの仕事っぷりを拝見することにするよ。どうせアスタたちのほうは、大賑わいだろうからな」


 カーゴののんびりした声が、俺を追憶から引き戻した。


「それで、そっちのあんたはどうするんだい?」


「僕の名前は、ディアルだってば! ……そうだね。別にこの場で、東の民を避ける理由はないけど……そっちのちっこい子は、南の民なんていないほうが気楽なんだろうね」


「あ、い、いえ、私はあくまで、セルフォマ様の付き添いですので……」


「どんな立場でも、森辺の人たちにしてみれば同じ客人だよ。僕とラービスも昔は失敗することになったから、せいぜい気をつけることだね」


「あ、は、はい。ご、ご忠告ありがとうございます……」


 すると、ひとり静謐な態度であったセルフォマがやおら東の言葉で語り始めて、カーツァを慌てさせることになった。


「あ、あの、この場でユーミやジョウ=ランなる御方と友人ならぬ関係であるのは、きっと私たちだけなのでしょう。身をつつしむとお約束しますので、どうぞご容赦をお願いいたします。……だそうです」


 それは確かに、セルフォマの言う通りだろう。彼女も城下町の祝宴でユーミと出くわす機会はあったが、べつだん交流が深まったという様子はなかったのだ。

 そしてセルフォマは内心を隠すのに長けた人物であるが、その内側には善良な心根が存在するのだと俺は信じている。それで彼女はこの場の賑わいで、自分が異分子であると察したのかもしれなかった。


(まあ、貴族の人たちもそこまでユーミと交流が深いわけじゃないから、気まずいのは今だけさ)


 ともあれ、セルフォマが居心地の悪さを自覚するぐらい、この場にはユーミたちを祝福する思いが渦巻いているということなのだろう。

 その熱情が爆発する婚儀の祝宴まで、残りは三刻足らずであった。

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