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異世界料理道  作者: EDA
第九十一章 慶祝の黄の月(上)
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エイラの祝福③~宴~

2024.12/25 更新分 1/1

「……今日はジョウ=ランとユーミのために集まっていただき、心から感謝している!」


 大歓声の中でそんな声を張り上げたのは、ジョウ=ランの父親たるラン分家の家長であった。


「ユーミはラン家に嫁入りする身であるため、誓約の儀式は森辺の祝宴にて執り行わさせていただくが、町の人々にも祝福の場を与えたく思い、こうして宿場町の広場を借り受けることに相成った! この場に集っていただいた面々にも、祝宴の準備を受け持ってくれた面々にも、広場の使用に許しを与えてくれた貴族の面々にも、深く感謝している! 何も格式張った場ではないため、思うぞんぶん祝宴を楽しみながら、両名を祝福してもらいたい!」


 ラン分家の家長が声をあげるたびに、新たな歓声が巻き起こる。

 その間、新郎新婦と他なる家族たちはじっと静かにたたずんでいた。


 立派な衣装を着込んだサムスは仏頂面で窮屈な襟もとを気にしており、シルは穏やかに微笑んでいる。ジョウ=ランの母親は菩薩像のように半眼を閉ざして、この場の熱気をしみじみと噛みしめている様子であった。


「それでは祝宴を始める前に、見届け人たる貴族の面々からも言葉をいただきたい!」


 その言葉に、これまでとはいくぶん異なるどよめきが重ねられた。この場にはすねに傷を持つ者も多数押し寄せており、貴族とそれを警護する衛兵たちに恐れをなしているはずであるのだ。


 そんな中、広場の北側に待機していたトトス車から、続々と貴族たちが現れる。

 ジェノス侯爵家の第一子息メルフリード、ダレイム伯爵家の第二子息ポルアース、トゥラン伯爵家の当主リフレイア――そして、サトゥラス伯爵家の当主ルイドロス、第一子息のリーハイム、婚約者のセランジュという顔ぶれだ。宿場町を統括するのはサトゥラス伯爵家であるため、そちらに比重が置かれているようであった。


「サトゥラス伯爵家の当主、ルイドロスである。まずはめでたき日を迎えた両名に、祝福の言葉を捧げさせていただきたい」


 いかにも貴族然とした風貌のルイドロスは、朗々たる声音でそのように言い放った。


「そしてまた、森辺に嫁入りする最初のひとりが宿場町の領民であったことを、わたしは心から誇らしく思っている。もちろん本人はそんな栄誉などと関係なく、すこやかな行く末を歩んでもらいたく思うが……それでもやっぱり、この胸に宿された感銘をおさえることは難しい。そして、ようやく結び合わされた宿場町と森辺の絆がさらに深まることを、心から祈っている」


 そんな調子で、残る面々も貴族らしい言葉でジョウ=ランとユーミを祝福してくれた。それでいくぶん堅苦しくなった空気を打破したのは、我らがポルアースである。


「まあ、我々は森辺の祝宴にも招待されているので、この場では身をつつしもうと思うよ! 皆々と一緒になって屋台を巡ったりはしないから、どうぞご安心を! そして、婚儀の祝いとして何十樽もの果実酒を捧げさせていただくからね! この後に仕事を控えていない皆々は、存分に味わってもらいたい!」


 大歓声に最前までの熱気が舞い戻ると、ポルアースも満足そうに笑みをこぼした。

 そうして貴族の面々は、トトス車に舞い戻っていく。あとは車中から、この場の賑わいを見届けるようである。さすがに無法者も参じたこの場では、自由に動くこともできないようであった。


 やがて他なるトトス車から運び出された酒樽が日時計の脇に積み上げられていくと、いっそうの歓声がわきおこる。

 その歓声に負けない声音で、ラン分家の家長は最後の言葉を解き放った。


「それでは、婚儀の祝宴を開始する! めでたき日を迎えたジョウ=ランとユーミに、祝福を!」


「祝福を!」という怒号のごとき歓声が、広場中から巻き起こった。

 本当に、復活祭の祝日もかくやという熱気である。それで俺が胸をいっぱいにしていると、相方のヤミル=レイがクールな声音で「やれやれ」とつぶやいた。


「いったい、なんて騒ぎかしら。これがみんな、ユーミや親たちの友であるというの?」


「ええ。過半数は、そうであるはずですよ。無関係の人間でも入場を制限されることはありませんけど、そんなのはごく一部でしょうからね」


 それもまた、宿場町の婚儀の習わしである。宿場町の婚儀の祝宴では無関係の人間がふらりと立ち寄って、宴料理を楽しむことも許されるのだ。ただもちろん、宴料理を口にしたならば相応のご祝儀を支払う必要が生じるわけであった。


「でも、わたしたちはやってくる人間の素性もわきまえていないわよね。銅貨も払わずに料理を食べようとする不埒者を取り締まるすべはない、ということかしら?」


「はい。すべては相手方の倫理観にかかっているわけですね。まあ、婚儀の祝宴で不埒な真似をしたら月神エイラの怒りを買うので、たいていの人間は身をつつしむそうですよ」


「ふうん。まあ、銅貨の管理をしなくて済むのはありがたい限りだけれど……それがただ楽なだけの話でないことは、すでに思い知らされているものね」


 ヤミル=レイの言葉を理解しかねた俺はそれを聞き返そうとしたのだが、それよりも早く賑やかな一団が突撃してきた。ベンとカーゴを筆頭とする、ユーミの悪友たちである。


「よう、アスタ! ユーミのやつ、すげえ格好だな! 森辺では、あんな立派な花嫁衣裳を着込むのかよ?」


「ええ、あれが一般的な花嫁衣裳ですね。俺もすごく、感慨深いです」


「感慨深いどころの話じゃねえな! こんな小汚い格好で近づくのが、申し訳なくなっちまうよ!」


 宿場町の婚儀の祝宴では新郎新婦とその親族のみが着飾るという習わしであるので、それは致し方ないところである。ベンたちも遠慮なく、ユーミたちを祝福してあげてほしいところであった。


「ま、今はあっちも忙しそうだからな! とりあえず、アスタたちの料理で弾みをつけさせていただくよ!」


 そう言って、ベンは子供のように笑った。他なる面々も、ひたすらはしゃいでいるようだ。これでこそ、この祝宴を開いた甲斐もあったというものであった。


(この中で夜の祝宴にまで招かれてるのは、ベンとカーゴだけだもんな)


 しかし他なる面々も、かつての交流会ではさんざん森辺の若衆とご縁を深めている。ユーミと縁が深ければ深いほど、交流会にも積極的であったはずなのだ。そういった面々も、2年ばかりも前からジョウ=ランと親しくしていたわけであった。


「それじゃあ、料理を取り分けてくれよ! ……あ、祝いの銅貨ってのは、どれぐらい必要なんだっけ? なにせ仲間内の婚儀なんざ、レビに続いてまだ2回目だからよ!」


「相場は、1食につき赤銅貨2、3枚だそうですよ。俺たちも、2枚で損にならないように準備してきました」


「じゃ、悪いけど2枚でな! こっちも貧乏暮らしなもんでよ!」


「ありがとうございます。銅貨は、そちらの壺にお願いします」


 屋台の手前には、広場で準備された壺が置かれている。小分けでご祝儀を払う人間は、そちらに銅貨を投じていただくのだ。ユーミの悪友たちは、みんな笑顔で銅貨を投じていった。


 そしてこちらは、いよいよ業務の開始である。といっても、持参した木皿に料理を取り分けるだけのことだ。俺の屋台はギバ肉の豆乳煮込み、レイ=マトゥアの屋台は海鮮仕立てのギバ・カレーであるので、現地における調理は必要なかった。


 しかしまた、こちらは宴料理であるので、俺なりに贅を尽くしている。豆乳煮込みには牡蠣に似たドエマやマツタケに似たアラルの茸もふんだんに使って最高の出汁を取っているし、具材も材料費ではなく組み合わせの相性を最優先した品々だ。


 ギバ・カレーも新旧を問わずに海鮮の具材をどっさり盛り込んで、最高の仕上がりを目指している。ドエマとホタテガイに似た貝類の出汁の調合に成功したことで、これまで以上の味わいを目指すことがかなったのである。ただ費用を惜しまなかったというだけでなく、俺はユーミとジョウ=ランのために最高の宴料理を準備したつもりであった。


 その甲斐あって、ベンやカーゴたちも大喜びだ。今日という日の大事な思い出に俺たちの料理が少しでも彩りを添えることができれば、本望であった。


 しかし次々と人が押し寄せるため、見知った面々の姿はすぐに見えなくなってしまう。銅貨のやりとりが必要ないので、普段以上に回転が速いのだ。そうして俺がひたすら料理を取り分けていると、ふいに頭の中で記憶の蓋が開帳された。


(ああ、『アムスホルンの寝返り』のときも、ジェノス侯爵家の依頼で料理を無料配布することになったんだっけ。さっきヤミル=レイが言っていたのは、そのことか)


 銅貨を受け取るというワンクッションがなくなるため、料理を配る側は息をつく間もない。それで料理の無料配布をしていた時代にも、ヤミル=レイはくたびれきった姿をさらしていたのだ。そしてあれは、ユーミとジョウ=ランの話が持ち上がってすぐの時代のことであったのだった。


(たしか、そのせいでスドラとランの婚儀も延期されたんだもんな。招待される予定だったユーミも、ずいぶんやきもきしてたっけ)


 そんな感慨を噛みしめながら、俺は作業に従事した。

 そうしてさまざまな相手に笑顔と料理を届けつつ、ふっと広場の中央を見てみると――そこには、大変な人だかりができていた。参席者の数多くが、新郎新婦とそのご家族にお祝いの言葉を伝えているのだ。


 なおかつ、その過半数は森辺の民である。

 夜の祝宴に招かれていない人間は、みんなこの場でお祝いを済ませなければならないのだ。さらに同じ場所では酒樽の果実酒がふるまわれているため、大変な騒ぎであった。


「うーむ! あのような騒ぎをただ眺めていては、身体が疼くばかりだな! ヤミルはいつになったら、この場から動けるのだ?」


 忠犬よろしく屋台の裏に控えていたラウ=レイがそのように言いたてると、ヤミル=レイは料理の取り分けにいそしみながら「何を言っているのよ」と素っ気なく言い捨てた。


「仕事は始まったばかりじゃない。わたしにはかまわず、果実酒でも何でも口にすることね」


「ヤミルが一緒でなければ、楽しさも半減ではないか! とにかく、その仕事はいつ終わるのだ?」


「知らないわよ。そんな話は、アスタに聞いてちょうだい」


「あくまで目安だけど、下りの二の刻までには料理が尽きると思うよ」


 俺の返答に、ラウ=レイは「なんだと!?」と悲嘆の声を振り絞った。


「ではまだ二刻近くもあるではないか! それまで俺に、何も食わずにじっとしていろというのか?」


「だから、誰もそんなこと言っていないじゃない。……誰か、なんとかしてくれないかしら?」


 俺たちは背後を振り返るいとまもないが、その場にはアイ=ファとジバ婆さんと護衛役の3名も控えているはずであるのだ。その中から声をあげたのは、ジザ=ルウであった。


「実はさきほどルティム分家の女衆がやってきて、こちらの屋台を手伝っている。そうしてリミはターラたちとともに、ユーミのもとに向かったのだ」


「なに? だったら――!」


「うむ。リミも祝福を捧げたのちは、すぐに戻ってくる約束になっている。その後は、ララとヤミル=レイも順番に手伝いを頼めばよかろう。……望むならば、アスタもな」


「お気遣いありがとうございます。俺は大丈夫ですので、よければ皿洗いを受け持ってくれた人たちをお願いします」


「うむ。取り仕切り役とは、かくあるべきであろうな」


 ジザ=ルウはそんな風に言ってくれたが、俺はただそんなに慌てずともユーミたちの側から顔を見せてくれるだろうと期待しているだけのことであった。今は大変な騒ぎであるが、新郎新婦は宴料理を準備した人間をねぎらう意味もあって、屋台を巡る習わしであったのだ。


(それにやっぱり、今は夜の祝宴に来られない人たちを優先してもらいたいからな)


 宿場町で夜の祝宴に招かれているのは、ユーミの友人のごく一部とシルの妹の一家ぐらいであるのだ。ユーミも明日からはしばらくランの集落で森辺の作法を学ぶことになるのだろうから、宿場町の数多くの人々にとってはしばしの別れの時であったのだった。


「そーいえば、ジバ婆も城下町の連中の料理を食ってみたらいいんじゃねーの? 夜にはロイたちも宴料理を出すらしいけど、この場の料理はここでしか食えねーんだからなー」


「そうだね。それじゃあリミが戻ってきたら、あたしが他の屋台を巡ってくるよ」


 ルド=ルウとララ=ルウは、そんな風に言葉を交わしている。こんな忙しい折にも、大切なジバ婆さんに対する心づかいは万全であるようだ。


「やー、アスタ! ユーミのやつ、すっごく綺麗だったねー! なんかもー、見てるだけで泣けてきちゃったよー!」


 と、屋台の正面からは、そんな言葉が投げかけられてくる。ディアルとラービスがやってきたのだ。そしてディアルはその言葉の通り、目もとを赤くしていた。


「うん。ユーミもジョウ=ランも、すごく似合ってたね。ディアルはもうお祝いしてきたのかい?」


「うん! 居ても立ってもいられなかったからねー! ユーミのやつ、すました顔しちゃってさ! 夜には、絶対泣かしてやるんだから!」


 そんな風に言いながら、ディアルも心から幸せそうな笑顔である。そうして俺が木皿を差し出すと、それを受け取ってから屋台の裏側に回り込んできた。


「おー、みんなもこっちにいたんだね! ちょっとの間、僕たちも休ませてくれる?」


「うむ。仕事の邪魔だけは、せぬようにな」


「するわけないじゃん! いやー、ユーミは本当に嫁入りするんだねー! なんだか、やっと本当に実感できた気分だよー!」


 直情的なディアルは、誰よりも昂揚をあらわにしているようである。その熱気を背中で受け止めながら、俺はひたすら作業にいそしんだ。


 それからしばらくして、ルティム分家の女衆がこちらにやってくる。リミ=ルウとララ=ルウのお祝いが済んで、ヤミル=レイの順番が巡ってきたのだ。ラウ=レイはとても嬉しそうであったし、ヤミル=レイにとってもいいインターバルになりそうなところであった。


「そっちもお疲れ様。今日は当番から外れてたんだね」


「はい! この祝宴を見届けた後は集落に戻って、明日の商売の下ごしらえです!」


 ルティム分家の女衆はまだ若年だが、さまざまな場面で取り仕切り役を担う立派なかまど番であるのだ。本日はルウの三姉妹が夜の祝宴にまで出向くので、その留守を預かる役割であるようであった。


 そうして彼女が参ずるなり、最初の鉄鍋が空になってしまう。

 俺は屋台に押しかけていた人々にお詫びの言葉を伝えつつ、革袋に準備しておいた二杯目を鉄鍋に投入した。本日は、合計四杯分の料理を供する予定であるのだ。


「まだ半刻は経ってないよね。これなら、下りの二の刻より早く終わりそうかな」


「広場が使えるのは、二の刻の半まででしたっけ? それなら、慌てずに帰り支度をできそうですね」


 俺たちがそのように語らっていると、アイ=ファが「アスタよ」と呼びかけてきた。


「手が空いたのなら、こちらを食するがいい。ララ=ルウが、我々の分まで料理を運んでくれたのだ」


 俺が振り返ると、屋台の裏でルウの面々とターラとドーラの親父さんが石畳に敷物を広げて食事を楽しんでいた。


「ありがとう。その前に……レイ=マトゥア、そっちはどうかな?」


「はい! 間もなく、最初の分が終わります!」


 こちらもあちらも同程度の量を配っているので、同じタイミングで料理を補充することになるのだ。そうすると、屋台の前に並んでいた人々はルウやディンや《キミュスの尻尾亭》の屋台に散っていき、少しばかり周囲の熱気が緩和された。


「それじゃあ、レイ=マトゥアたちも食事をいただきなよ。ちょっとおなかに入れておくだけでも、疲れ具合が違ってくるだろうからさ」


「はい! ありがとうございます!」


 ということで、俺たちも交代で宴料理をいただくことになった。

 そちらに準備されていたのは、軽食と菓子だ。前者はサトゥラス伯爵家の料理長、後者はヤンの手による品であるとのことであった。


 軽食は皿を使わずに済むように、パイのように仕上げたフワノの生地に具材がのせられている。なおかつ、軽食でありながら、その具材はいかにも果実らしい青紫色に染めあげられていた。


「城下町の料理というのは、やっぱり奇妙な味わいだねぇ……ロイたちは、ずいぶん森辺の民に気づかってくれていたんだろうねぇ……」


 ジバ婆さんは、そんな風に言っていた。サトゥラス伯爵家の料理長は、ヴァルカスの影響が強いようであるのだ。複雑にして豪奢にして力強いというのが、俺の抱いている印象であった。


 然して、そちらの軽食も俺の印象を裏切る品ではなかった。この青紫色はブルーベリーに似たアマンサで、甘みと酸味を受け持っていたのだ。具材は細かく刻んだギバ肉にドミュグドにノ・カザックなどといった品であったが、数々の香草によって実に奇妙な味と香りが加えられていた。


「きっと俺たちは、ずいぶん城下町の料理に食べ慣れたのだろうな。最長老は、かつての俺たちと同じように面食らってしまったようだ」


 ジザ=ルウは落ち着いた面持ちでそのように語りながら、菓子のほうを指し示した。


「しかし最長老も、こちらの菓子は問題なく口にすることができた。ヤンが作る菓子は、森辺の民の好みに合致しているのだろう」


「そうですね。つきあいが長くて深い分、おたがいの好みが反映しあっているのだと思いますよ」


 ヤンが準備したのは、焼き菓子だ。ただその上面は、半透明の被膜に覆われている。かねてよりチャッチ餅を焼き菓子に組み込んでいたヤンは、今回も寒天に似たノマを活用したようであった。


 ノマはほんのり桃に似た風味を漂わせており、その内側には黄色いマンゴーを思わせるエランを主体にしたジャムが隠されている。そして土台は黒フワノの生地であり、その軽やかな食感も心地好いばかりであった。


「これは美味ですね! 疲れがいっぺんに吹き飛んでしまいました!」


 俺と一緒に菓子をつまんだレイ=マトゥアも、ご満悦の様子である。

 するとそこに、大量の料理を抱えたラウ=レイとヤミル=レイも舞い戻ってきた。


「残るふた品も運んできたぞ! どちらも、悪くない出来栄えであるようだ!」


 ラウ=レイは、道中ですでに食したらしい。そうして彼らが敷物に置いたのは、新たな軽食と筒状のお好み焼きであった。


「まったく。屋台の端から端まで巡ったものだから、余計な時間がかかってしまったわよ。でも、そちらもちょうどひと息ついたところであったようね」


「はい。今は二杯目を温めなおしています。屋台の端から端ということは……《西風亭》とボズルの料理ですね」


 お好み焼きは、《西風亭》の自慢の料理であるのだ。焼きたての生地を作りおきの生地でくるんで食べる、昔日よりの人気の品である。ただし本日は婚儀の祝宴ということで、ギバ肉の他に魚介やキノコなどもふんだんに使われていた。


 そしてボズルの軽食は、フワノの生地に赤褐色の具材がのせられている。豆板醤に似たマロマロのチット漬けが使われていることはさきほど確認していたが、もちろんそれ以外にもさまざまな香りが入り混じっていた。


「ああ……これは、あたしでも文句を言わずに食べられる味わいだねぇ……」


 歯の弱いジバ婆さんは、木匙ですくった具材だけを食している。残りの分は、ルド=ルウがひと口でたいらげていた。

 俺もひとついただいてみたが、これは確かに森辺の民でも問題なく食べられる味わいであろう。数々の香草に魚醤や貝醬まで加えられて複雑な味わいであったものの、ボズルの料理には南の民らしいストレートな力強さが込められているのだった。


「俺も、美味しいと思います。今日はジョウ=ランの婚儀ですから、ボズルもいっそう森辺の民の好みに合うような献立を選んでくれたのでしょうね」


「ああ……ありがたいことだねぇ……」


 すると、表のほうから別なる人影がやってきた。誰かと思えば、ミシル婆さんと孫の若者である。彼らは祝宴が始まると同時に、この場を離れていたのだった。


「やっぱりここに腰を据えていたのかい。まあ、年寄りがうろつくには、難儀な騒ぎだね」


「まったくだな! よければ、ミシル婆さんたちもくつろいでいくといい!」


 そうして新たな顔ぶれに場所を譲る格好で、俺とヤミル=レイも屋台に戻ることにした。

 俺たちが御礼を伝えると、ルティム分家の女衆は笑顔で立ち去っていく。ギバの豆乳煮込みはふつふつと煮えたっており、ちょうど食べ頃であった。


「みなさん、よければこちらの料理もどうぞ」


 料理の配布を開始する前に、俺は人数分の小皿を敷物にお届けする。おおよその人々はまとめてご祝儀を払っていたので、アイ=ファだけが銅貨を差し出してきた。


「これは、私の分だ。悪いが、壺に投じてもらいたい」


「うん。アイ=ファから料理のお代をいただくなんて、奇妙な心地だな」


「うむ。……しかし、お前が手掛けた料理であることに違いはないからな」


 アイ=ファは優しい眼差しで、俺の心を満たしてくれた。

 そうして意気も揚々に、俺は作業を再開させる。

 すると、三つの人影がふわりと接近してきた。プラティカとセルフォマとカーツァのトリオである。


「先刻、客入り、激しかったので、遠慮しました。三つ、お願いします」


「承知しました。お口に合えば、幸いです」


 俺が笑顔で木皿を差し出すと、プラティカたちはおのおの無表情にそれを受け取る。その後も料理を求める人々が殺到したので、感想は後のお楽しみであった。


 祝宴の開始から半刻ていどが過ぎたが、広場の熱気は静まる気配もない。森辺の民に、ユーミの悪友たちに、《西風亭》にご縁のある人たちに、通りがかりの無関係な人々――誰もが昂揚を剥き出しにして、この場の熱気を織り上げていた。


 トトス車に引きこもった貴族の面々も、胸を熱くしながらこの光景を見守っていることだろう。これはジェノスにおいてもっとも猛々しい森辺の民と宿場町の民に相応しい祝宴であった。


 そうして二杯目の鉄鍋が半分ほどの量になったとき、俺たちのすぐ正面から盛大な歓声が巻き起こった。

 そして、人垣がモーゼのようにふたつに割れていく。その向こう側から近づいてくるのは、勇壮なる花婿と美麗なる花嫁であった。


「アスタ、すっかり挨拶が遅くなってしまいました。今日は俺たちのために、ありがとうございます」


 ジョウ=ランは落ち着いた面持ちであったが、その明るく輝く瞳にすべての内心が表されていた。

 そしてユーミは、玉虫色のきらめきの向こう側から俺を見つめ返してくる。その顔には、ちょっぴり気恥ずかしそうな表情が浮かべられていた。


「やっぱりこんな立派な衣装は、落ち着かないもんだね。……滑稽なことはわかってるから、笑わないでよ?」


「何も滑稽なことはないさ。すごく似合ってるよ」


 俺が万感の思いを込めて答えると、ユーリは同じ表情のまま「ありがとう」とつぶやいた。

 誓約の儀式を行ったわけでもないので、ふたりはまだ宙ぶらりんの気持ちであるのかもしれない。これだけ豪奢な衣装を纏いながら、ふたりのたたずまいに大きな変化は感じられなかった。


 ただ、ふたりの周囲だけほんのり明度が増しているように感じられる。

 ユーミの纏った玉虫色のヴェールが、そんな作用を生み出すのだろうか。しかし俺は、月神エイラの伴侶である太陽神アリルがひそかに祝福してくれているのではないか、と――そんな柄にもない考えを噛みしめることになった。


「アスタ、あたしからもお礼を言わせていただくよ。こんなに立派な祝宴を開くことができて、あたしも感無量さ」


「ふん。ゴロツキどもも、貴族の目を恐れて縮こまっているようだしな」


 と、ユーミに付き添ったシルとサムスも、普段と変わりのない面持ちでそう言った。

 やはり、婚儀の本番は夜であるのだろう。現時点でも、俺は胸がいっぱいであったのだが――儀式の火の前で誓約を交わすふたりの姿を目にしたならば、全身全霊で涙をこらえることになるのだろう。それに失敗することになっても、今日ばかりはアイ=ファに容赦してもらうしかなかった。


「うむ? 何やら、あちらが騒がしいようだが……ああ、傀儡の劇が始められるようだな」


 と、ジョウ=ランの父親たるラン分家の家長がそのように言いたてた。屋台の裏からは確認できなかったが、リコたちが準備を始めたようである。


 レビとテリア=マスの婚儀でも、リコたちは劇の披露を依頼されていた。ただし、あのときの演目は婚儀の日に相応しい『運命神ミザの祝福』という物語であったが――このたびは、『森辺のかまど番アスタ』の第一幕が披露されるのだと聞いている。森辺の外から嫁入りするユーミにとっては相応しい一面もあるのやもしれないが、俺やアイ=ファにとっては気恥ずかしい限りであった。


「……ごめんね。挨拶に来たばかりだけど、あたしたちもあっちを拝見してくるよ」


 と、ユーミは普段通りの朗らかさで白い歯をこぼした。


「あたしもアスタを手本にして、立派な森辺の家人を目指すからさ。今日の婚儀もその後も、どうぞよろしくね」


 胸が詰まってしまった俺は、「うん」とうなずくことしかできなかった。

 そうしてユーミは玉虫色の輝きをひるがえして、賑わいの向こうに消えていき――俺はまた、この日を彩るための作業に没頭したのだった。

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「何も滑稽なことはないさ。すごく似合ってるよ」  俺が万感の思いを込めて答えると、ユーリは同じ表情のまま「ありがとう」とつぶやいた。
俺が万感の思いを込めて答えると、ユーリは同じ表情のまま「ありがとう」とつぶやいた。 ユーリになってます。
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