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異世界料理道  作者: EDA
第九十一章 慶祝の黄の月(上)
1571/1695

エイラの祝福①~下準備~

2024.12/23 更新分 1/1

・今回は全7話の予定です。*12/25追記・全8話に変更いたします。

 その日の朝――俺は玄関の戸板を叩く乱暴な音色で、目覚めることになった。

 俺がねぼけまなこで半身を起こすと、ふわりと甘い香りが鼻先をよぎっていく。本能的にそちらを目で追うと、きっちりと髪を結いあげたアイ=ファの魅惑的な後ろ姿が俺のねぼけた心を陶然とさせた。


 アイ=ファが土間に下りると、たちまちブレイブたちが鼻をすり寄せていく。アイ=ファがそれらの頭を撫でくり回しながら閂を引き抜くと、森辺の男衆の荒々しい声が響きわたった。


「このような早くから、申し訳ない! 実は、ジョウ=ランが――」


「ジョウ=ランは、そちらで身を休めているようだが」


 アイ=ファは凛然たる面持ちで、俺のほうを指し示してくる。

 俺のすぐそばでは、ジョウ=ランがすやすやと寝息をたてていたのだ。その姿に、戸板の外の男衆――ランの家長が、跳び上がった。


「やはり、ファの家であったのか! ジョウ=ランよ、何も告げずに余所の家で夜を明かすとは、何事だ! しかも今日は、お前の婚儀であるのだぞ!」


「うーん……騒がしいですね……あ、みなさん、おはようございます……」


 と、横たわったまま首だけ上げたジョウ=ランが、ふにゃんと赤ん坊みたいな笑顔を見せる。ランの家長はわなわなと肩を震わせて、アイ=ファは素っ気なく肩をすくめた。


「何がどうでもかまわんが、静粛にな。朝から子犬たちを脅かしたくはない」


「……承知した。ジョウ=ランよ、とっとと身支度を整えるがいい。婚儀の前に、お前の性根を叩きなおしてくれるわ」


「はあ、よろしくお願いいたします……あ、アスタも、おはようございます」


「うん、おはよう。ついに、ユーミとの婚儀だね」


 まだ眠そうな目つきをしたジョウ=ランは、心から嬉しそうに「はい」と微笑んだ。

 俺たちは昨晩、深夜に及ぶまで語り尽くして、そのまま広間で寝落ちしてしまったのだ。責任の半分は俺にあるのだろうから、ランの家長には申し訳ない限りであった。


 そしてそれは、アイ=ファに対しても同様であったが――俺とジョウ=ランの腹には、薄手の毛布が掛けられていた。きっとアイ=ファはどこかで目を覚まして、広間で眠る俺たちの世話を焼いてくれたのだ。それで俺がおずおずと視線を向けると、アイ=ファは苦笑をにじませた目つきで優しくにらみつけてきたのだった。


 ともあれ――黄の月の20日、ジョウ=ランとユーミの婚儀の当日である。

 思わぬ騒ぎで開幕してしまったが、それもまたジェノスと森辺の常識をくつがえすこんな日には相応しいのかもしれなかった。


                   ◇


 ジョウ=ランがランの家長に引きずられるようにして帰宅したのちは、いつも通りに朝方の仕事である。

 昨日の晩餐で使用した食器と調理器具を引き板に積んで水場に向かうと、そちらではフォウの血族の面々が婚儀の話題で盛り上がっていた。


「あ、アスタにアイ=ファ、おはようございます。ついにこの日が来てしまいましたね」


 そのように笑いかけてくるユン=スドラはまだしも落ち着いたたたずまいであったが、その瞳にはやっぱり普段以上の明るい光が宿されていた。

 フォウの血族にとってこそ、本日は一大事であったのだ。森辺において初めて外界から嫁を迎えるという一大イベントであるのだから、それは血もたぎろうというものであった。


「わたしたちは血の縁もない立場となりますが、今日という日に立ちあえることを心から嬉しく思っています!」


 そのように述べたてたのは、屋台の当番としてフォウの集落に滞在していたドーンの末妹であった。かつてはフォウとヴェラで血の縁が結ばれることになったものの、それは他なる血族に血の縁が及ばない婚儀であったため、ドーンはフォウともランとも無関係であったのだった。


 しかしそれでも彼女やダダの長姉は、本日の祝宴の手伝いに駆り出されていた。それはすなわち、祝宴の参席も許されたということである。彼女たちはこの先も定期的にフォウの集落に滞在するため、その血族となるユーミとは絆を深めるべきであろうという判断であった。


「いっぽうわたしはフォウの家人ですから、ユーミとはまぎれもなく血族という立場になるのですよね。なんだか、不可思議な心地です」


 と、フォウに嫁いだヴェラの次姉は、ゆったりとした笑顔でそう言った。嫁に入ってフォウの家人となった彼女だけは、サウティとフォウを親筋とするすべての氏族と血族であるという話になるわけであった。


 他の血族に血の縁が及ばない婚儀というのもまだ新しい取り決めであるため、やはり色々な部分が未整理で収拾がついていない。それはこのさき長きの時間をかけて、整えていく必要があるのだろう。

 そしてそれは、今日の婚儀に関しても同じことである。外界の人間を嫁入りさせて、何か支障は生じないか――それはユーミとジョウ=ランを始めとするすべての人々が一丸となって、正しき道を探さなければならないのだった。


(本当に、ユーミたちは大変な道に踏み込んだよな)


 外界から森辺の家人となるのは、ユーミで7人目となる。俺、シュミラル=リリン、マイム、ミケル、ジーダ、バルシャ――すでに6名もの人間が、正式に森辺の家人となったことを認められているのだ。

 そんな俺たちとユーミの違いは、ただひとつ。外の世界に家族を残しているか否かである。俺とシュミラル=リリンは天涯孤独の身であったし、マイムたちは家族ぐるみで森辺の家人となったため、外の世界に一切のしがらみを残していなかったのだった。


 まあ、シュミラル=リリンには家族同然の団員が9名も存在するし、商団の仕事も継続しているのだから、ある意味ではユーミよりも大きなしがらみと言えるだろう。それでもやっぱり、外界に家族を残して嫁入りするというのは、それとも種類の異なる一大事であったのだった。


(それにシュミラル=リリンは、遠いシムの生まれだったからな。それで、西方神に神を移して故郷を捨てたわけだから……立ち位置としては、俺に近いんだ)


 いっぽうユーミは、遠からぬ宿場町に家族を残している。

 だからこれは、言ってみれば――森辺と宿場町そのものが血の縁を結んで血族になるという、そんな意味合いまで付加されるのではないかと思われた。


 万が一にもユーミとジョウ=ランの結婚生活が上手くいかなかったならば、周囲に小さからぬ影響を与えかねない。やっぱり森辺の民というのはジェノスの領内にありながら、外界の人間とは調和しない異端の存在である――などという評価が下される恐れすらあるのだ。


 もちろん俺個人は、そんな大仰なことを考えているわけではない。ユーミとジョウ=ランはあくまでひとりの個人としておたがいの存在を見初めたのだから、上手くいこうといかなかろうと個人間の問題であろうと思うのだ。

 しかし世間は、そう見ない。だからこそ、ジェノスの貴族たちもこれをジェノスの一大事と考えて、多数の見届け人を参席させるべしと申しつけてきたのだった。


(だけどまあ……そんな騒ぎは立場あるお人たちに任せて、ユーミとジョウ=ランには今日の幸せを噛みしめてほしいところだよな)


 そんな思いを胸に、洗い物を終えた俺はファの家に引き返すことになった。

 その後もいつも通りに森の端に入って、ラントの川で身を清めつつ薪と香草の採取作業、そしていよいよ祝宴と商売の下ごしらえである。


 俺はエイラの広場で行われる祝宴、マルフィラ=ナハムは宿場町の屋台の下ごしらえを取り仕切る。今頃は、ラッツのかまど小屋でもトゥランの商売の下ごしらえが進められていることだろう。さらにはフォウの集落でも、ユン=スドラの取り仕切りで夜の祝宴の準備が開始されたはずであった。


 俺はガズの血族を主体としたメンバーに指示を出して、屋外のかまどで『ギバ肉の豆乳煮込み』を作りあげた。レイ=マトゥアは屋内のかまどで『ギバ・カレー』、マルフィラ=ナハムは『ギバまん』と『ケル焼き』と『ギバの玉焼き』の下ごしらえだ。屋台のほうではルウが皿を使う汁物料理と煮込み料理を担い、祝宴で香味焼きのポイタン巻きをふるまう予定になっていた。


「マルフィラ=ナハム、そっちの進行はどうかな?」


 俺が窓の外から呼びかけると、マルフィラ=ナハムは「ひゃい!」と跳び上がった。


「こ、こ、こちらも問題なく進められているかと思います。け、け、決して不備が出ないように取り計らいますので、どうかご容赦ください」


「容赦の必要なんてないはずさ。マルフィラ=ナハムのことを信頼してるから、どうぞよろしくね」


 相変わらず、マルフィラ=ナハムはつつましさの極致である。しかし彼女も雨季の間にひっそりと経験を積み重ねて、ついに単独で宿場町やトゥランの商売を取り仕切れるぐらいに成長を果たしたのだ。以前はレイ=マトゥアとツートップにして俺の留守を預けたりもしていたものであるが、もはやそんなフォローも必要なくなっていた。


「今日は、アスタがこちらであったか」


 と、こちらが作業を開始するなり姿を消していたアイ=ファが、ひょっこり戻ってきた。アイ=ファはフォウの集落に、人間ならぬ家人たちを預けに出向いていたのだ。


「やあ、ずいぶん遅かったな。サリス・ラン=フォウと話し込んでたのか?」


「うむ。あちらもちょうど、幼子の面倒を見る当番であったのでな。すでにスドラの幼子たちもやってきていて、大層な賑わいであったぞ」


 スドラの幼子とは、すなわち家長夫妻の間に生まれた双子である。黄の月の終わりで2歳となる双子は、もはや赤子ならぬ幼子であったのだった。


「今日はあちこちから赤子や幼子が集められるみたいだから、夜が楽しみだよ。……こっちはそろそろ準備できそうだけど、アイ=ファのほうは大丈夫かな?」


「うむ。必要であれば、荷車の準備をするぞ」


「ありがとう。助かるよ」


 そうして四半刻も経たない内に、すべての下ごしらえが完了した。

 俺たちが総出で積み込みの作業に励んでいると、別なる荷車が道のほうからやってくる。それは、トゥール=ディンが指揮するザザの血族の精鋭たちであった。


「ああ、どうも。みなさんも、お早かったですね」


「はい。せっかくですので、みなさんとご一緒できるように参じました」


 そのように応じてくれたのは、モルン・ルティム=ドムである。彼女やスフィラ=ザザは夜の祝宴のみトゥール=ディンの作業を手伝う手はずになっていたが、それとは別に宿場町の祝宴にも参席しようという心づもりであったのだった。


 もちろん祝宴のパートナーとして、ゲオル=ザザとディック=ドムも参じている。彼らはポワディーノ王子たちの送別の祝宴にも参じていたので、ちょうど10日ぶりの再会であった。


「トゥール=ディンから、話を聞いたぞ。城下町で売りに出す料理や菓子の数を増やしたいそうだな。いちいち親父の顔色をうかがわず、お前たちの裁量で決めてしまえばよかろうに」


 再会の挨拶もそこそこに、ゲオル=ザザが勇猛なる笑顔と言葉をぶつけてきた。


「いえいえ。俺たちは一個人ではなく、森辺の民の代表として商売に取り組んでいるのですからね。族長たちからはくれぐれも銅貨を無駄にしないようにと申しつけられているので、きちんとこちらの言い分を理解していただけるように力を尽くすつもりです」


「それが、当然の話です。あなたこそ、次代の族長として立場をわきまえるべきでしょう」


 スフィラ=ザザがすかさず声をあげると、ゲオル=ザザは同じ面持ちのまま「ふふん」と鼻を鳴らした。


「これが、森をつついてギバを招くというやつか。準備ができているなら、さっさと出発するぞ」


「そうですね。……あ、今日はマルフィラ=ナハムが屋台の取り仕切り役を担ってくれるから、どうぞよろしくね」


 俺が声をかけたのは、雨季が明けて屋台の正式な当番となったドムとジーンの女衆である。普段は1名ずつ参加してもらっているが、今日は人手不足であるために青空食堂の手伝いを依頼させていただいたのだ。


「承知いたしました。わたしたちも商売を終えた後、広場で合流する手はずになっていますので」


「うん、了解。それじゃあ、出発しよう」


 ゲオル=ザザたちが駆けつけたので、普段以上の大所帯である。そうしてルウの集落に出向いてみると、そちらもなかなかの人出であった。


「おお! アスタたちも、ひさしいな! 今日という日を、心待ちにしていたぞ!」


 そんな言葉を投げかけてきたのは、ダン=ルティムである。さらには、ガズラン=ルティム、ディム=ルティム、シュミラル=リリン、ギラン=リリン、シン・ルウ=シン、ラウ=レイ、ジィ=マァムといった錚々たる顔が居並んでいる。やはり誰もが、宿場町の祝宴に駆けつけようという意気込みであるようであった。


 そうしてアイ=ファがさりげなく視線を巡らせると、探し求めていた人物が人垣の隙間から姿を現す。それはルド=ルウに車椅子を押された、ジバ婆さんであった。


「アイ=ファにアスタも、ご苦労だったねぇ……あたしもこっそり、ユーミの晴れ姿を拝見させていただくよ……」


「うむ。このようにめでたい日をジバ婆とともに過ごせることを、心から嬉しく思っている」


 アイ=ファが目もとで微笑みかけると、ジバ婆さんも顔をくしゃくしゃにして笑った。

 荷車の数は、一気に三倍増だ。他なる氏族は祝宴の開始である中天に合わせてやってくるはずであるが、ルウの血族は所有する荷車をのきなみ引っ張り出して、ともに出陣するようであった。


(森辺の民がこんなに大勢やってきたら、宿場町の人たちもびっくりするだろうな)


 しかしこれこそが、ユーミの人徳というものであろう。ルウの血族のおおよそは、ジョウ=ランよりもむしろユーミとご縁を深めていたのだ。屋台で働くかまど番は言うに及ばず、ダン=ルティムたちも復活祭などで宿場町やダレイムに参じた折にユーミと交流を深めていたのだった。


(シン・ルウ=シンやラウ=レイなんかは、それよりも古くからつきあいがあるわけだし……最近は、城下町の祝宴でご一緒する機会も多かったもんな。宿場町でもっとも森辺の民と縁が深いのは、やっぱりユーミってことになるんだろう)


 そう考えると、ユーミが森辺に嫁入りすることも必然であるように感じられてしまう。

 そんな思いを胸に、俺は荷台に乗り込むことになった。


 そうして宿場町に到着したならば、まずは《キミュスの尻尾亭》だ。屋台を借りるばかりでなく、料理を積んでいない余剰の荷車はこちらで預かってもらう約束になっていた。


 そちらでは広場で屋台を出すレビとラーズの他に、テリア=マスも待ち受けている。ユーミと懇意にしている彼女も、もちろん祝宴に参ずるのだ。いつも通りの質素な身なりに髪飾りだけをつけたテリア=マスは、すでに感極まった面持ちであった。


「ついにこの日が来てしまいましたね。わたしは自分の婚儀のときと同じぐらい、胸が高鳴ってしまっています」


「はい。テリア=マスは、ユーミのことを一番近くから見守っていたひとりでしょうからね。せいいっぱい、ユーミをお祝いしてあげましょう」


 ユーミは友人が多いものの、ともに森辺まで参じていた顔ぶれには限りがある。そしてジョウ=ランとの一件が持ち上がって以来、ユーミの付き添いとしてともに森辺に招かれていたのはこのテリア=マスであったのだった。


「あ、よかったら、ラーズは俺たちの荷車にどうぞ。エイラの広場は、ちょっと遠いですからね」


 レビの父親たるラーズは足が不自由で、杖をついているのだ。ラーズは年齢よりも老けて見える顔に笑い皺を刻みながら、「いえいえ」と手を振った。


「いつもお世話になってる森辺の人らに、面倒はかけられません。どうぞあっしのことは、お捨ておきください」


「うるせえなあ。親父の足に合わせてたら、祝宴が終わっちまうよ。うだうだ言ってねえで、アスタの親切に礼でも言いやがれ」


 レビが荒っぽい言葉で気づかうと、ラーズはたいそう恐縮しながら荷台に乗り込んだ。


「それじゃあ俺たちは、広場に向かうよ。あとのことは、よろしくね」


「は、は、はい。ど、ど、どうぞそちらもお気をつけて」


 ぺこぺこと頭を下げるマルフィラ=ナハムに後事を託して、俺たちはいざエイラの広場を目指した。

 ルウ家はレイナ=ルウやマイムたちが屋台の班、ララ=ルウやリミ=ルウたちが祝宴の班となる。祝宴のほうでも皿洗いの人員が必要になるため、それにはルウの血族をあてがい、青空食堂の人手をザザの血族で補った格好であった。


 祝宴の場で屋台を出すのはファが2台、ルウとディンが1台ずつ、そしてレビたち《キミュスの尻尾亭》である。ユーミとレビとテリア=マスのご縁から、《キミュスの尻尾亭》も祝宴の宴料理を担うことになったのだった。


「こっちも奮発して、いつも以上の具材を準備したんだよ。いつもと同じ内容じゃ、酔っぱらったゴロツキどもにケチをつけられるかもしれないしな」


 屋台を押して歩きながら、レビも満面の笑みである。そもそもは、彼こそがユーミの悪友であったのだ。今この場にいる人間の中では、レビこそがもっともユーミと古いつきあいであったのだった。


「レビは、感慨深いだろうね。まあ、ユーミも同じ思いでレビたちの婚儀を見届けたんだろうけどさ」


「ああ。仲間内で、若い順番で婚儀を挙げてる格好だな。ベンやカーゴが焦りそうなところだぜ」


「なるほど! 俺も20歳になってしまったので、うかうかとしてられんな!」


 そんな大声で割り込んできたのは、レビに負けないぐらい楽しげな顔をしたラウ=レイである。レビはそちらに笑顔を返してから、いくぶん眉を下げた。


「婚儀の日にこの3人が集まると、どうしてもあの日のことを思い出しちまうな。……あのときは、本当に悪かったよ」


「うむ? お前はいったい、何を詫びているのだ?」


「何って、あれだよ。俺がぶん殴っちまったせいで、ラウ=レイは婚儀の日までひどい顔だったじゃねえか」


 ラウ=レイはしばしきょとんとしてから、レビの背中を盛大にどやしつけた。


「そんな話は、とっくに忘れておったわ! そもそもあれは俺のほうが先に手を出したのだから、お前が詫びるいわれはあるまい!」


「それでも事の始まりは、俺がアスタにひどいことを言っちまったことだからな」


 そうしてレビが俺にまで申し訳なさそうな眼差しを向けてきたので、俺もラウ=レイと一緒に背中を引っぱたくことにした。


「そんなの、レビとテリア=マスが結ばれたことで、帳消しだよ。レビは本当に、義理堅いんだな」


「いてえ、いてえよ、お前ら、力加減を考えろって」


 そうしてレビも、どこかくすぐったそうな顔で笑うことになった。

 レビはテリア=マスに別の若衆と婚儀の話が持ち上がったとき、自分の生まれ素性を理由に身を引こうとしていたのだ。それでユーミに後押しされた俺が、ラウ=レイをお供にしつつ事情を聞くことになり――レビの発言に腹を立てたラウ=レイが、頭を引っぱたいてしまったのだった。


(アイ=ファに熱をあげてるくせに婚儀を挙げようともしない俺に、うだうだ言われたくない……とか、そんな調子だったっけ)


 そうしてラウ=レイはレビに殴り返せと要請し、レビがその言葉に従った。それでラウ=レイは口の中を切ってしまい、それが化膿してしまったわけであるが――まあ、あれは怪我をしたのに辛い料理を食べまくっていたラウ=レイの自己責任であろう。何にせよ、今となってはすべて笑い話であった。


「レビたちが婚儀を挙げたのは、去年の白の月だったっけ。あと三ヶ月ていどで、1年が経っちゃうんだね」


「ああ。なんだか、あっという間だったよ。まあ、あちこちから貴族やら王族やらが集まったり、復活祭や鎮魂祭でバタバタしたり、雨季にはあんな騒ぎがあったりで、気が休まる日もなかったからなぁ」


 そんな風に言ってから、レビは白い歯をこぼした。


「でも、それ以上に大変だったのはアスタたちだもんな。ユーミのやつもその一員になって、これから騒がしい毎日を送るわけだ。せいぜい、こき使ってやってくれよ」


「あはは。俺がお願いするとしたら、商売の下ごしらえぐらいだろうけどね。でも、ファとランは近所だから、できる限り見守るつもりだよ」


 そうして楽しく語らっている間に、入り組んだ街路を抜けて――俺たちは、ついに目的の地に到着した。宿場町に存在する七つの広場のひとつ、エイラの広場である。


 エイラというのは月の女神で、婚姻も司っている。それで宿場町の民はここからほど近いエイラの神殿で婚儀を挙げて、エイラの広場で祝宴を行うのである。俺がこちらに足を運ぶのは、レビたちの婚儀に続いて2度目のことであった。


 その広場の入り口には衛兵の一団が立ちはだかり、入場の規制をしている様子である。が、屋台と荷車を運ぶ俺たちが近づいていくと、交差されていた槍がすみやかに開かれた。


「まだ半刻以上もあるのに、ずいぶんな人数だな。まあいい。こちらの人間を案内につけるので、所定の場所で準備を進めるがいい」


 そんな声をかけてきたのは、護民兵団の小隊長たるマルスである。本日も、彼が警護役に任命されていたのだ。

 俺たちは衛兵のひとりの案内で、エイラの広場へと足を踏み入れる。城下町の広場に比べれば小ぶりであるが、それでも数百名は余裕で収容できる規模であろう。その中央には大きな台座の上に日時計が設置されており、外周ではすでに何台もの屋台が準備を始めていた。


「アスタ、アイ=ファ、お疲れ様です」


 と、どこからともなく三つの人影が忍び寄ってくる。それは旅用のフードつきマントで立派な身なりと装飾品を覆い隠した、3名のシムの女性――プラティカとセルフォマとカーツァに他ならなかった。


「ああ、どうも。ちょっとおひさしぶりですね。城下町での見学は如何でしたか?」


「はい。有意義でした。森辺、城下町、ともに検分、することで、確かな経験、得られる、思われます」


 プラティカが率先して答えてくれるため、やることのないカーツァはわけもなくぺこぺこと頭を下げている。いっぽうラオの王城の料理番たるセルフォマは、本日も静謐なるたたずまいであった。


 ここしばらく森辺への来訪を差し控えていた彼女たちは、宿場町と森辺でおこなわる祝宴に両方参席することが許されたのだ。ひたすら優雅なセルフォマもひたすらつつましいカーツァも、初めて体験する森辺の祝宴にそれぞれ胸を騒がせているのではないかと思われた。


「お邪魔、申し訳ありません。どうぞ、準備、お進めください」


「はい。それでは、またのちほど」


 俺たちは衛兵の視線にうながされて、所定の位置とやらに腰を落ち着けた。

 すると今度は別なる屋台のほうから、別なる人影が近づいてくる。それはロイとシリィ=ロウのコンビであった。


「よう、そっちはゆっくりだったな。まあ、まだ半刻以上はゆとりがあるんだろうけどよ」


「はい。どうもお疲れ様です。ロイたちは、ボズルのお手伝いですか?」


「ああ。さすがにボズルひとりに任せて、遊んではいられねえからな」


 このたびは、《銀星堂》の3名も宴料理をふるまう予定になっている。ただし、宿場町での祝宴を担うのはボズルひとりで、ロイとシリィ=ロウは夜の祝宴を受け持つことになったのだ。よって、現在の両名は祝宴の参席者という立場に他ならなかった。


「他の連中は、とっくに準備を進めてるぜ。ま、あちらさんはそれぞれ威信ってもんを懸けてるんだろうからな」


「それは、わたしたちも同じことです。……まあ、ボズルのあの品であれば、他なる料理に引けを取ることもないでしょう」


 ロイはいつも通りの軽妙な調子だが、シリィ=ロウは普段以上に張り詰めた面持ちだ。実は本日は、サトゥラス伯爵家およびダレイム伯爵家からも宴料理が振る舞われるのである。


 その言い出しっぺは、サトゥラス伯爵家の第一子息たるリーハイムであった。これは宿場町の一大事であるのだから、この地を統括するサトゥラス伯爵家も積極的に関与するべきであろうと主張したのだ。


 そこに、《西風亭》の思惑が合致した。こういう祝宴では懇意にしている相手に宴料理の準備を頼む習わしであったが、森辺のかまど番にその一部をお願いするとなると、他の誰に頼んでも見劣りしてしまうのではないかという懸念を抱いたのだそうだ。そこで城下町の名のある料理人にお願いできれば、少なくとも物珍しさで負けることはあるまいと判じたわけであった。


 そうして担ぎ出されたのが、サトゥラス伯爵家の料理長とダレイム伯爵家の料理長たるヤンである。もとよりシリィ=ロウたちは別口から宴料理を出す約束をしていたので、それに見劣りしないのは伯爵家の誇る料理長のみであろうという判断であった。


(ただこれも、もとを辿ればユーミの人徳なんじゃないかな)


 ユーミはかつての試食会にエントリーされていたため、サトゥラス伯爵家の当主たるルイドロスやリーハイムとも面識を得ているのだ。さらに彼女はその頃から森辺に嫁入りする予定であったので、注目を集めていたのだろう。そうして注目された末に、リーハイムたちが義理以上の世話を焼きたいという思いにとらわれたのではないかと思われた。


 ともあれ――本日、宿場町の関係者で宴料理を準備するのは《西風亭》と《キミュスの尻尾亭》のみであり、あとは森辺および城下町の関係者となる。

 これは、それぐらい特別な婚儀であるのだ。

 ユーミとジョウ=ランには、彼らにしか味わえない幸福と充足を存分に噛みしめてもらいたいところであった。

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