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異世界料理道  作者: EDA
第九十一章 慶祝の黄の月(上)
1570/1688

婚儀の前日③~前夜~

2024.12/8 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

「……そうか。祝宴の準備も滞りなく進められているのならば、何よりであったな」


 その日の夜である。

 その日も俺はアイ=ファと差し向かいで晩餐を楽しみながら、本日の出来事をのきなみ報告することになった。


 粛々と食事を進めつつ、アイ=ファも満足そうな眼差しである。先刻のかまど小屋に生じた熱気を少しでも伝えることができていれば、俺としても本望であった。


「まあ、本当の本番は明日だけどな。ユーミたちの晴れ姿を想像すると浮かれちゃいそうで、気を引き締めるのがひと苦労だよ」


「ふふん。お前は存分に集中しているように見受けられるがな。まあ、そこで慢心しないからこその集中であるのだろう。その調子で、ぬかりなく仕事を果たすといい」


「うん。明日は、アイ=ファが背中を守ってくれるしな」


 もちろん明日はアイ=ファも狩人の仕事を休息として、朝から晩まで俺に同行してくれるのだ。アイ=ファと同じ場ですべてのさまを見届けられるのだから、俺は嬉しくてならなかった。


「しかし、こうまで仕事が立て込んでいるならば、広場の祝宴を見届けようという森辺の民はごく限られるのであろうか?」


「いや、そんなことはないんじゃないかな。特に男衆なんかはかまど仕事もないから、けっこうな大人数が駆けつけると思うぞ。俺もみんなの話から推測してるだけだけど、最近の復活祭に負けない賑わいになるんじゃないのかな」


「そうか。広場の祝宴には無法者も数多くやってくる恐れがあるとのことであったので、心強いことだな」


「あはは。でもその無法者も、《西風亭》の大事なお客なんだろうからな。おかしな騒ぎを起こすことはないだろうし、そんな真似をしたらサムスも黙ってないと思うぞ」


「うむ。……ユーミやその家族たちは、どんな思いでこの夜を過ごしているのであろうな」


 本日は、ユーミが両親と過ごす最後の夜であるのだ。

 もちろん森辺での生活が落ち着けば、いくらでも里帰りが許されるのであろうが――何にせよ、忘れがたい夜になることだろう。情感ゆたかなユーミやぶっきらぼうなサムスがどんな顔で過ごしているのか、俺には想像することも難しかった。


(今日ぐらいは、素直に仲良くしてるのかな。それとも案外、普段通りに働いてるのかな)


 俺がそのような考えにひたっていると、アイ=ファは「ともあれ」と言いつのった。


「明日はジバ婆も宿場町に下りるので、私もなるべくそばに控えていたく思う。お前から目を離すことはないが、そのように心置くがいい」


「うん、了解。きっとリミ=ルウも、広場のほうを担当するだろうからな。みんなで仲良く、俺たちの仕事っぷりとユーミたちの晴れ姿を見守ってくれよ」


「うむ。これは森辺で婚儀を挙げる際、眷族の家を巡るようなものであるのであろうな。この近年では、すっかり廃れた習わしであろうが……私も心して見守らせてもらおう」


 その習わしが廃れたのは、祝宴で立派な宴料理を準備するようになったためである。女衆はのきなみかまど仕事であるため、眷族の家を巡っても男衆や幼子ぐらいしか居残っていないのだ。それでもルウぐらい眷族が多ければ、まだしも巡り甲斐があるのやもしれないが、眷族の少ないフォウの血族ではすっかり廃れてひさしかった。


「そういえば、俺たちは3回もフォウの血族の婚儀に招待されてるんだよな。その内の2回は、ユーミもご一緒してるわけか」


「うむ。ユーミとフォウの血族は、おたがいを見定めなければならない立場であったからな」


 最初に行われたのは、チム=スドラとイーア・フォウ=スドラの婚儀である。あの頃はまだユーミとジョウ=ランも知り合っていなかったので、招待されることもなかったのだ。

 その後に行われたスドラとランの婚儀、およびフォウとヴェラの婚儀では、ユーミも優先的に招待されている。アイ=ファが言う通り、ユーミとフォウの血族は血の縁を結ぶべきかどうか入念に吟味する必要があったのだ。スドラとランの婚儀などは、たしかユーミとジョウ=ランがおたがいの存在を意識し始めてからすぐの時期であったはずであった。


「あれももう、2年近く前の話になるんだろうな。これだけじっくり時間をかけたんだから……ふたりは、幸せになれるはずさ」


「うむ? アスタはユーミたちの行く末を危ぶんでいたのか?」


「いや、そんなに心配してたわけじゃないけど、ジョウ=ランはああいう個性的な性格だからさ。それに、俺も何回か相談を受ける立場だったしな」


「ああ」と、アイ=ファは苦笑した。ジョウ=ランが俺などを相談相手に選んだのは、耐え忍ぶ人間の先達としてであったのだ。アイ=ファに対する想いを胸に秘めながら生きる俺であれば、ジョウ=ランの苦悩を理解してくれるのではないか、という――大雑把に言えば、そんな論調であった。


 しかしそれも、今は昔の話である。

 ここ最近のジョウ=ランはきわめて落ち着いており、ただ明日に迫った婚儀を泰然と待ちかまえているように見受けられる。雨季の前にはまた先延ばしにされるのかと少々心を乱していたようだが、それでも婚儀そのものが決定する前に比べれば可愛いものであった。


「最初はどうなることかと思ったけど、今となっては似合いのふたりだもんな。森辺に嫁入りってのは大変な話だろうけど、ユーミだったらしっかり乗り越えられるだろうし、俺も全力でフォローしてみせるよ」


「……ふぉろー?」


「あ、ごめん。補佐とか補助とか、そんな意味だよ。謝るから、おしおきは勘弁してくれ」


「うつけもの」と、アイ=ファは笑いを含んだ眼差しで手をのばし、俺の頭を優しく小突いた。


「まあ、ランとは家も近いしな。水場などで顔をあわせることもあろうし、私も余計な干渉にならないていどには――」


 と、アイ=ファはそこで眉をひそめて、玄関のほうを振り返った。

 それと同時に、土間でくつろいでいたジルベもぴょこりと首を起こす。そちらから物問いたげな眼差しを送られて、アイ=ファは「よい」と手を振った。


「これは、森辺の狩人の気配だ。おそらくは……ジョウ=ランあたりであろう」


「ええ? どうしてジョウ=ランが、ファの家に?」


「それは、本人に問い質す他あるまい」


 アイ=ファはふわりと席を立ち、戸板が叩かれるよりも早く駆けつけて、かんぬきを引き抜いた。

 そうして戸板を開くと、まぎれもなくジョウ=ランがきょとんとした顔で立ち尽くしている。その左手は、戸板を叩くために上げられた状態で固まっていた。


「ど、どうも、夜分に申し訳ありません。アイ=ファは何を、そのように急いでいるのですか?」


「子犬たちの眠りを妨げたくなかっただけだ。用があるならば、さっさと広間に上がるがいい」


 広間の出入端にはちょっとした仕切りが作られて、母犬ラムと3頭の子犬たちが身を休めているのだ。その愛くるしい姿をこっそり覗き込んでから、ジョウ=ランは広間に上がり込んできた。


「晩餐のさなかに、申し訳ありません。俺は晩餐を済ませていますので、どうぞかまわず食べてください」


「言われるまでもない。……お前をファの家に迎えると忌まわしい記憶が蘇るのだが、また何か面倒事を持ち込む気ではなかろうな?」


 忌まわしい記憶とは、ジョウ=ランとユン=スドラの間で揉め事が生じた際のことであろう。あの日もジョウ=ランは夜遅くにファの家を訪れて、アイ=ファに対する想いを切々と語っていたのだった。


「はあ。こうして夜分に押しかけるだけで、十分に面倒なのでしょうけれど……どうか怒らずに、話を聞いていただけますか?」


 俺とアイ=ファを横から眺める位置取りで膝を折ったジョウ=ランは、ほのかに眉を下げながらそのように言いつのった。ここ最近では珍しい、ちょっとへこたれた面持ちである。婚儀の前夜に、これはのっぴきならない事態であった。


「いったいどうしたのさ? まさか、今さら婚儀を挙げるのは不安だなんて言い出さないだろうね?」


 俺がそのように呼びかけると、ジョウ=ランは同じ面持ちのまま「はい」と首肯した。


「もちろん明日の婚儀は、楽しみでなりません。……ただ、その度が過ぎているのです」


「うん? 楽しみの度が過ぎているというと……?」


「あまりに明日が楽しみすぎて、胸の高鳴りがやまないのです。これでは、眠ることもままなりません。……俺は、どうしたらいいのでしょう?」


 食べかけの皿を手に取ったアイ=ファは、がっくりと肩を落とした。


「お前は、何を言っているのだ……そんな話は、婚儀の重みを知る親や血族を頼るがいい」


「親にも本家の家長にもバードゥ=フォウにも、いいからさっさと身を休めろと言い渡されました。でも、こんな状態で身を横たえても、眠れるわけがありません。だから……アスタに話を聞いてほしいのです」


「だからどうして、お前はアスタばかりを頼るのだ……」


 と、アイ=ファはいっそう肩を落としてしまう。ジョウ=ランは以前もこんな調子で、俺を相談相手に任命したのだった。


「アスタは以前、俺が町の人間に似ているようだと仰っていました。アスタの故郷では、俺のように考える人間も少なくないような気がする、と。だから、俺みたいな変わり者の真情を察することができるのは、アスタだけなのではないかと思って……以前も俺は、アスタに相談することで気を安らがせることができましたし……」


「……それはアスタとて、道理を知る人間であろうからな」


 そんな風に言いながら、アイ=ファは口もとをごにょごにょさせた。こんな状況でも、俺が賞賛されるのは嬉しいのだろうか。それで俺が心を温かくしていると、頬を赤くしたアイ=ファに座ったまま足を蹴られてしまった。


「何をおかしな目つきをしている。……お前の故郷には、本当にジョウ=ランのような人間があふれかえっていたのか?」


「うーん。そこまで一般的かどうかはわからないけど、それほど的外れだとは思わなかったんだよな」


 俺がジョウ=ランに重ねたのは、恋に悩む若者の姿である。森辺では異端かもしれないが、俺の故郷ではごくありふれた姿ではないかと思えたのだ。それで俺も肩肘を張ることなく、自分の価値観に基づいてジョウ=ランと語らうことになったのだった。


「それにもちろん、ジョウ=ランの力になれるなら喜んで協力したいけど……俺は、何をすればいいのかな?」


「まずは、アスタのご意見をお聞かせください。婚儀を目前にした男衆が夜も眠れないほど胸を高鳴らせていることを、アスタはどう思いますか?」


 何事につけても率直であるジョウ=ランは、こういう際でも呆れ返るぐらい直球勝負である。俺は冷めかけた肉団子を咀嚼しながら、「えーと」と考え込んだ。


「ちょっと待ってね。いきなりそんなことを言われても、なかなか見当がつかないから……だけどまあ……そこまでおかしなこととは、思わないかな?」


「本当ですか?」と、ジョウ=ランは正座をしたまま身を乗り出してくる。

 俺は「うん」と応じてから、アイ=ファの顔色をうかがった。


「ただ、なんていうか……アイ=ファの前だと、ちょっと話しにくいかもなぁ」


「なに? 私を邪魔者あつかいする気か?」


「いや、そういうわけじゃなくって……俺がジョウ=ランと同じ立場だったら、たぶん寝付けないだろうなあとか思ったんだけど……痛い痛い痛い」


 顔を赤くしたアイ=ファに耳をひねられた俺は、悲鳴まじりの声をあげることに相成った。


「わかった。そんなに込み入った話をしたいのならば、好きなだけするがいい。ただし、私のいない場でな」


 と、アイ=ファは猛烈な勢いで晩餐を食べ終えると、ほぐした木串で歯を磨き、水瓶の水で口をゆすぎ、とっとと就寝の準備を整えてしまった。


「くれぐれも、大きな声で語るのではないぞ。このような戸板一枚では、筒抜けになってしまおうからな」


 そうしてアイ=ファが白猫のラピを引き連れて寝所に引っ込もうとすると、ジョウ=ランが腰を浮かせながら謝罪の言葉を申し述べた。


「あ、あの、けっきょく大事な晩餐の時間を邪魔してしまい、申し訳ありません。よければ、俺を殴ってくださいませんか?」


「……言うに事欠いて、何を言っているのだ、お前は?」


「だ、だって、明日はユーミとの婚儀ですから……アイ=ファに不愉快な心地のまま、明日という日を過ごしてほしくないのです」


 アイ=ファは深々と溜息をついてからこちらに向きなおり、ジョウ=ランの姿を見下ろした。

 いかにも厳格なる面持ちであるが、その目に怒りの感情は見られない。そしてアイ=ファは、幼子を諭すような調子で言いつのった。


「確かに私は楽しからぬ心地だが、ランは大事な友であり、お前はランの家人のひとりだ。そして今日はお前にとって特別な夜なのであろうから、その心情を慮りたいと考えている。明日まで不愉快な心地を持ちこすことはないので、かまわずアスタと語らうがいい」


「ほ、本当にそれでいいのでしょうか?」


「よくなければ、とっくに家から追い出している。……アスタよ、ジョウ=ランが帰った際にはかんぬきを掛けるのを忘れるのではないぞ」


「うん、わかったよ。アイ=ファも、ゆっくり休んでな」


 アイ=ファは「うむ」と最後に優しい眼差しを閃かせてから、寝所に消えていった。

 遅ればせながら、俺はすべての食事を胃袋に詰め込んで、空いた食器を鉄鍋に重ねていく。そうして俺がもとの場所に座し、サチが膝の上で丸くなったところで、ジョウ=ランは切々と語り始めた。


「俺はまたアイ=ファを怒らせてしまい、そしてその度量に救われました。アイ=ファは本当に、立派な家長ですね」


「うん。ジョウ=ランが相手だと甘い顔は見せないけど、アイ=ファだって明日の婚儀を本当に楽しみにしてるんだよ。だから内心では、ジョウ=ランのことを思いやってるはずさ」


 サチのなめらかな背中を撫でながら、俺はそのように答えた。


「さあ、それじゃあ何でも話しておくれよ。とりあえず、さっきの質問に関しては納得してもらえたのかな?」


「あ、はい。アスタもアイ=ファと婚儀を挙げることになったら、やっぱり眠れぬ夜を過ごすことになるわけですね?」


「本当に、直球勝負だなぁ。……うん。想像するしかないけど、そうなったって不思議はないように思うよ」


「そうですか。アスタの故郷において、それは普通のことなのでしょうか?」


「……ジョウ=ランは、ずいぶん俺の故郷にこだわるよね。それは、どうしてなんだろう?」


 俺が反問すると、ジョウ=ランはきょとんと小首を傾げた。


「どうしてと言われると困ってしまいますが……たぶん、アスタの故郷では俺のような人間も珍しくないと言ってもらえたのが嬉しくて、安心できたのだと思います」


「でもそれは、遠く離れた異国の話だよ?」


「はい。でも、アスタの故郷ですからね。アスタやアスタのかつての同胞と似ているというのなら、俺は嬉しく思います」


 こういう際にも、ジョウ=ランは言葉を飾らない。決して深刻ぶることなく、ただ真情をさらしているという趣であるのだ。これだから、俺もジョウ=ランを放っておけなくなってしまうのだった。


「そんな風に言ってもらえるのは、嬉しいよ。ただ俺も、自分の拙い知識を想像で補ってるだけだから……なんだか逆に、申し訳なくなっちゃうな」


「想像? 俺に似たような人間を見たわけではない、ということでしょうか?」


「うん。俺も故郷では、そんなに友人の多かったほうじゃないからさ」


 ジョウ=ランは「ええ?」と身をのけぞらせた。


「それこそ、想像がつきません。アスタはこの森辺やジェノスにおいて、とほうもない人数と絆を結んでいるではないですか?」


「うん、まあ、故郷でもお店に来るお客さんなんかとは、仲良くやらせてもらってたつもりだけどさ。学校とかでは、つきあいもよくなかったから……あ、いや、学校って言っても伝わらないのか」


 俺が思わず言いよどむと、ジョウ=ランはまた小首を傾げた。


「がっこうというのは、よくわかりません。それは、学舎に類する存在なのでしょうか?」


「え? ジョウ=ランは学舎ってのを知ってるのかい?」


「はい。宿場町でもとりわけ豊かな家の子供は学舎という場所でさまざまなことを学ぶのだと、かつてユーミから教えていただきました」


 そういえば、俺もそんな風に聞いた覚えがある。であれば、話も早かった。


「そうそう。俺の故郷でも、その学舎みたいな場所があってさ。家が豊かじゃなくっても、14、5歳まではそこに通うのが義務だったんだよ。だから、子供にとってはその学校っていうのが居場所の半分ぐらいを占めてたんだろうけど……俺は、そっちでのつきあいが悪かったんだよね」


「どうしてでしょう? アスタであれば、如何なる相手とも絆を深められるように思うのですが」


「それは俺が、料理に夢中だったからさ。学校の友達と遊ぶより、店の手伝いをするほうが楽しかったんだよ。この森辺やジェノスでこんなにたくさんの人たちと仲良くなれたのは、俺が朝から晩までかまど番として生きることを許されたからなんじゃないのかな」


「そう……なのですね」と、ジョウ=ランは心配げに眉を下げた。


「それではアスタも故郷では、孤独な生を送っていたのですか? だから、同じような境遇であったアイ=ファと絆を深めることがかなったのでしょうか?」


「いやあ、アイ=ファと比べられるのは恐れ多いよ。俺は学校でも愛想よくしてたから、友達がいないわけじゃなかったんだ。ただ、学校の外では一切のつきあいがない、浅い関係だったってことさ」


「浅い関係……それで、友と呼べるのでしょうか?」


「うーん。俺の故郷と森辺では、友人って言葉の重みが違ってるのかな。それなら、知人って置き換えてもいっこうにかまわないよ」


「知人……ではやはり、ひとりの友もいなかったということでしょうか?」


「ズバズバくるなぁ。俺がもっと繊細な人間だったら、傷ついてるところだよ」


 苦笑しながら、俺はそのように答えた。

 しかしそれは認識の違いであったので、俺が傷つくいわれはない。森辺においては浅い関係だと見なされようとも、学校のクラスメートは俺にとってまぎれもなく友人であったのだ。休み時間などには馬鹿話で盛り上がっていたし、班行動などであぶれることもなかったし、マンガや映画のDVDなどを貸し借りする相手にも事欠かなかったし――ただ一点、学校の外ではほとんどつきあいがなかったというだけの話であった。


「まあ、親友と呼べるぐらいの相手がいなかったのは事実だけどね。そんな風に言えるのは……せいぜい、幼馴染ぐらいかな」


「幼馴染? 家族ではない血族ということでしょうか?」


「いや、血の繋がりはなかったけど、母親同士が友達だったんだよ。それで、向こうの親御さんがけっこう多忙だったから、小さい頃からその娘さんを預かる機会が多くってさ。俺にとっては物心がつく前から一緒にいる、家族みたいな存在だったんだ」


「娘さん……女衆なのですか」


 と、ジョウ=ランはちらちらと寝所の戸板のほうをうかがう。

 そんなジョウ=ランに、俺は「大丈夫だよ」と笑いかけた。


「そいつのことなら、アイ=ファにも伝えてるさ。おかしな誤解でも招いたら、大変だからね」


「ああ、そうですよね。……では、その娘がアスタにとってもっとも大切な友であったということですか?」


「うん。さっきも言ったけど、家族づきあいしてたからね。友達とか親友とか言うのは、むしろよそよそしく感じるぐらいで……森辺の価値観に照らし合わせると、直接的には血の縁が存在しない血族って感じなのかなぁ」


「ああ、俺にとっての、ヴェラの次姉のようなものですか。それなら、多少はわかるような気がします」


「うん。そういう相手と、物心がつく前から一緒にいた感じかな。だからあいつは俺にとって、家族同然の存在だったんだよ」


 俺の脳裏に、玲奈の無邪気な笑顔が浮かんで、消えた。

 あいつは確かに、俺にとってかけがえのない存在であったのだ。俺が異世界に飛ばされて、唯一の心残りは――玲奈と親父に俺の死に目を見せてしまったという慙愧の思いに他ならなかった。


「そうですか……ではその娘が婚儀を挙げる前に、俺のような姿を見せていたということでしょうか?」


「いやいや。だからそれは、想像の産物なんだってば」


「想像の産物……しかしアスタはその娘以外に、親しき友もいなかったというのでしょう? それでどうして、そのような想像をすることがかなうのでしょうか?」


 それはなかなかに、うがった質問である。

 ジョウ=ランの思いに応えるために、俺もめいっぱい頭を振り絞ることになった。


「それはたぶん……色んな作品が世間に出回ってたからなんじゃないかなぁ」


「色んな作品?」


「うん。リコたちの傀儡の劇っていうのは、生きている人間そのままの姿を見せてくれるだろう? 俺の故郷では、ああいう物語が山のようにあふれかえってたんだよ。だから友達が少ない俺でも、色んな人間の考え方を想像できるようになったんじゃないかな」


 考え考え、俺はそのように答えた。


「俺は友人に恋愛相談された覚えもないし、身近な相手が婚儀を挙げることもなかった。でも、そういう物語をあちこちで見かけた覚えがあるんだ。だからそういう机上の知識で、もっともらしいことを言えるんだと思うよ」


「なるほど……確かに、リコたちの劇は見事です。アスタと数日ばかり言葉を交わすよりも、あの劇を目にしたほうがアスタの存在をしっかり理解することだってできそうですね」


 ジョウ=ランが納得してくれたようで、俺はほっとした。


「ジョウ=ランが気を悪くしないで、よかったよ。いくら偉そうなことを言ったって、俺は料理の他に取り柄もない朴念仁だからさ」


「そのようなことはありません。アスタがどれだけ親身になってくれていたかは、俺もひしひしと感じていました。もしかしたら、俺は……アスタがそうまで親身になってくれることが嬉しくて、ついつい甘えてしまうのかもしれません」


 そう言って、ジョウ=ランは無邪気な笑顔をさらした。

 俺も嬉しくなって、つい口もとをほころばせてしまう。


「そんな風に言ってもらえて、俺も嬉しいよ。それに俺も、これまでこんな風に頼られることはなかったからさ。それが嬉しくて、親身になっていたのかもね」


 婚儀を控えた年少の友人に、相談を持ちかけられる――わずか17歳で故郷を失うことになった俺が、そんな経験を持ち合わせているわけがないのだ。そして第二の故郷たるこの地においては、みんなしっかりしていて、俺が力を添える余地などどこにも見当たらなかったのだった。


(レビのときには、ちょっと口出しすることになったけど……レビだって、町の人間だからな。それで俺には、理解しやすい部分があったのかもしれない)


 そしてジョウ=ランは、森辺の男衆らしからぬ感性を有する若者である。彼は町の人間と似通った感性を備え持っているからこそ、俺を頼ることになり――そして、ユーミとも恋に落ちたのかもしれなかった。


「ずいぶん前置きが長くなっちゃったね。そろそろジョウ=ランの話を聞かせておくれよ」


 俺がそのようにうながすと、ジョウ=ランは無邪気な面持ちのまま「はい」と首肯した。


「だけど俺は、アスタと語らっているだけで心が安らぐようです。よければもう少し、アスタの話を聞かせてくださいませんか?」


「物好きだなぁ。そんな風に俺のことを聞きほじる人間は、これまでいなかったように思うよ」


「そうですか。でしたら俺も、変わり者に生まれついた甲斐がありました」


 そうして俺とジョウ=ランは、その後も睡魔に見舞われるぎりぎりまで語り尽くすことになり――婚儀の前夜という大切なひとときを、ともに過ごすことに相成ったのだった。

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ジョウ=ランの犬感よw
ここにきてジョウ=ランが親友ポジに……。
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