⑧旅のお供と倹約家
2015.1/6 更新分 1/1
2015.1/7 誤字修正 2016.8/8 誤字修正
《玄翁亭》における仕事が正式に取り決められた日の、3日後。
青の月の22日のことである。
営業後、カミュア=ヨシュとトトスの所有をめぐっての問答を交わした後、俺はかねてより気になっていた「旅人の食生活」について尋ねてみることにした。
「ふむ。旅人の食生活というのは、それはもう質素なものだよ。町と町が1日以上離れている場合は、どうしたって携帯食糧で腹を満たす必要が出てくるからね。以前にも話したかもしれないけど、宿場町で売られている干し肉というやつは、その携帯食糧の代表格であるわけさ」
場所は、《キミュスの尻尾亭》の食堂である。
俺のかたわらには護衛役のルド=ルウが控えており、カミュアのかたわらには弟子のレイトが控えている。
「もっとも一般的かつ安上がりなのは、水で煮たポイタンに、干したアリアと干した肉を混ぜこむ食べ方だろうねえ。少し金銭的に余裕がある者ならば、そこに岩塩などの調味料もつけ加えるところだけども、まあ、お味のほうは推して測るべしだ。宿場町でもっとも安価な軽食だって、そんなポイタン汁なんかに味で劣ることはないだろう」
「へーえ、煮込んだポイタンに、アリアと干し肉か。それってアリアや肉が生だったら、森辺で食べるギバ鍋とまったく同じ作り方だな」
椅子には座らず壁にもたれて話を聞いていたルド=ルウが、横から口をはさんでくる。
カミュアはそちらを振り返り、いつもの調子でにんまり笑った。
「それはきっと、森辺の先人らが町から得た知識なのだろう。そうでなくっちゃ、森辺の民だってどの野菜をどれぐらい食べれば健やかに生きていけるのか、知るすべがなかっただろうからねえ。モルガの森に移り住むまでは、町の野菜を買う機会なんて1度としてなかったんだろうからさ」
「なるほど。それで、もっとも安価でもっとも栄養価の高いアリアとポイタンが森辺の常食となったわけですか。言われてみれば、納得ですね」
俺の言葉に、カミュアは「そうだろう?」と楽しげにうなずく。
「人間は、さしあたってアリアとポイタンと肉を食べていれば、健康を害さずに生きていくことができる。おまけに値段はどの野菜よりも安いんだから、言うことなしさ。干し肉と干しアリアを混ぜこんだポイタン汁ってのは、旅人だけじゃなく兵士たちの常食でもあるんだよ」
「兵士?」
「そう。戦場で戦う兵士たちの、ね。もちろんその指揮官たる貴族の皆様がたは、安全な砦でもっと美味しい料理に舌鼓を打っているのだろうけどもね」
カミュアの軽口は適当に流しつつ、俺はもう1度「なるほど」と、つぶやいてみせた。
「だけど、どうしてアスタが旅人の食生活なんかに興味を寄せているんだい? まさか、ジェノスを捨ててジャガルやシムに出奔する心づもりなのではなかろうね?」
「そんなわけないでしょう。いや、実は、そろそろシムの商団の人たちにギバの干し肉を売り渡す時期なんですけど。売られた干し肉がどのように食べられるのか、というのが気になっただけなんです」
「ふうん? だったらそれはその商団の人たちに話を聞くべきなんじゃないのかなあ? 東と西では携帯食糧の流儀も異なるかもしれないよ?」
「いえ。その人たちは自分で食べるのではなく、旅先でその干し肉を転売する予定なんです。そうすると、それを実際に購入して口にするのは西の民、ということになりますから、カミュアの意見を聞いてみたかったんですよ」
すると今度は、カミュアのほうが「なるほど!」と手を打った。
「転売かあ。転売ねえ。確かにまあジェノスを離れれば離れるほどギバ肉に対する偏見の目は薄らいでいくだろうから、そいつはなかなか上手い商売かもしれない」
「そうなんですかね? でも、よく考えたら、その人たちはカロンの干し肉と同じ値でギバの干し肉を購入してくれるんですよ。それを他所で売って儲けを出そうとするとなると、自然、カロンの干し肉より高い値で売ることになってしまうのですよね。それで商売になるのでしょうか?」
「そいつは心配いらないよ。このジェノスではカロンもキミュスも格安だからね。大きな牧場を抱えていない町なんかでは、肉の値段は倍近くに跳ね上がってしまうのさ」
なるほど、と今度は心の中で唱えておくことにした。
口惜しいことに、聞けば聞くほど有益な情報が蓄積されていく。1年の半分以上は旅人として世界中を放浪しているというこのカミュア=ヨシュという人物の知識量は、やっぱりちょっと並大抵ではないようだった。
「カロンやキミュスというのは、牧場で育てられているんですね。だから値段もあまり崩れないわけですか」
「そうそう。カロンの大牧場で有名なのは、隣り町のダバッグだけどね。ダバッグなんて、トトスを走らせれば半日ていどの距離だから、毎日莫大な量の肉がこのジェノスには届けられているんだよ。……もっとも、宿場町で口にできるのは、カロンの足肉ぐらいだけどねえ」
「え?」
「足よりも柔らかくて美味とされている胴体の肉なんかは、ほとんど城下町で買い占められてしまっているんだよ。だからいっそうこの宿場町ではカロンの肉も安価なわけさ」
それはちょっと聞き捨てならない話であった。
「すみません。それじゃあ、この宿場町で売られているカロンの干し肉も、すべて足の肉なんですか?」
「それはそうだろう。干し肉なんて、旅人と兵士ぐらいしか食べないんだからさ。足は足でも、後ろ足よりさらに安価で固い前足ぐらいしか使われていないんじゃないかなあ。……どうしたの? 何だか険しい顔をしているみたいだけれども」
「いえ。ただ、最近うちの店では、ギバのバラ肉――つまり、胸の肉の干し肉しか取り扱っていなかったんです。脂身の少ない足や肩の肉では、干し肉もいっそう味気ない仕上がりになってしまうようだったので」
それなのに、今ひとつ売り上げが振るわないのは、何故なのだろう。
そのように思い悩む俺の顔色を見てとったのか、カミュアは愉快げに細長い下顎をなですさる。
「確かに、以前アスタから頂いたギバの干し肉は、宿場町で売られるカロンの干し肉よりも、うんと美味しく感じられた。だけど、干し肉を買い求める旅人たちは、味の如何など求めてはいないのではないかな? だって、食べるときはけっきょくポイタン汁でふやかすわけだから、ちょっとした味の違いなんて台無しにされてしまうんだよ」
「だったら、煮詰めて粉状にしたポイタンを常備食にする、というのはどうでしょう? それなら旅先で、焼いたポイタンを食べることもできます。で、干し肉とアリアだけ水炊きにすれば、どちらも美味しく食べられそうじゃないですか?」
「うん。それは素晴らしい案だけどね。でも、ポイタンをいったん粉にして、フワノのように焼きあげるという技術は、今のところ森辺の民しか獲得していないんだよ?」
「ああ、そうでしたね。だったらこの技術を宿場町でももっと広げて――」
「いや、それはどうだろうね、アスタ?」
と――カミュアの口調が、少しだけ変わった。
その笑顔も、いつものすっとぼけた感じではなく、ひどく穏やかで老成したそれへと切り替わっている。
「アスタは今、ギバの料理を宿場町で売りに出している。それが100食売れれば100食分、200食売れれば200食分、カロンやキミュスの肉が売れなくなる結果となる。それでもアスタたちが誰の妨害を受けるでもなく商売を続けていられるのは、何故だと思う?」
「何故って――それは、森辺の民が町の人たちに怖れられているから、でしょうかね?」
「たぶん、違うね。さっきも話した通り、町で肉を売っているのは、ダバッグの人間なんだ。もちろん屋台で軽食を売っているジェノスの人々も、売り上げが落ちて腹を立てているかもしれないが。でも、軽食の屋台なんてのは、宿屋のおかみさんか何かが家計の足しにするために開いているような店がほとんどだから、たとえ店を閉めることになったって、そうそう路頭に迷うことはないのさ」
「はあ……」
「同じように、ダバッグの人間にとっても、目くじらを立てるほどの損失ではないだろう。彼らの商売相手はジェノスだけじゃないんだから、1日に何十頭と売りさばいている内の数頭、しかも安価な足の肉の売り上げが落ちるだけだ。少しは癪かもしれないが、もとより文句をつけられる話でもないから、舌打ちのひとつもすれば済んでしまう。……だけど、ポイタンで商売を広げるのは、もう少し慎重になったほうがいいと思うよ」
どうしてですか? と、俺は目で問うてみた。
カミュアは木の卓に片方の肘をつき、静かに微笑む。
「フワノの実を栽培しているのは、城下町の人間だからさ。安価なポイタンは町の民に栽培され、高価なフワノは城の民に栽培されている。もしも町の人々がポイタンの美味さを知り、フワノを一切食べなくなってしまったら、北の農園を管理している貴族の誰かが大損害を被ることになる。それがどれほど危険なことであるかは、まあ何となく想像がつくだろう?」
「それはまあ――わからなくもないですが……」
「いや、別に、絶対に駄目だと言っているわけではないんだよ? ただ、これから城の人々と縁を結びなおそうとしているこの時期にそんな真似をするのは危険だ、と言っているだけさ。少なくとも、ポイタンを美味しく食べられる調理法というのは、貴族に対しての刃になりうる存在なんだっていうことは、心の片隅に留めておくべきだと思う」
「…………」
「生きていくために、刀が必要な時はある。でも、使う時期を誤ると、それは味方をも傷つけかねないからね。取り扱いは、慎重にするべきだ」
そう言って、最後にはにんまりと笑うカミュアであった。
◇
カミュアと別れを告げた後、ファの家に戻ると複数名の女衆が待ちかまえていた。
「やあ、ずいぶん早いご到着ですね。……うん? 何ですか?」
「はい。約束の干し肉です」
それは、《銀の壺》に卸す干し肉の作製を頼んだ氏族の女衆たちだった。
商団《銀の壺》からは、40キロもの干し肉の発注を受けている。で、これは富を分配するいい機会だと思い、俺は肉の調達だけでなく、干し肉の作製そのものを各氏族に依頼することに決めたのだ。
「ありがとうございます。それじゃあ1人ずつ確認させていただきますね」
リィ=スドラとともに商売道具を運搬しつつ、女衆らを屋内に招く。
集まっていたのは3つの氏族、フォウとラッツとガズの女衆たちだった。あまり家の近くないラッツとガズの女衆は、実はこれが初のお目見えだ。
「ではまず、わたしから」と、フォウの女衆が、野菜を入れるための麻のような袋を差し出してくる。
口を開けると、中には干し肉がゴロゴロと転がっていた。
手の平サイズぐらいに切り分けられたその内のひとつを無作為につかみとり、まずは小刀で端を削る。
ピコの葉と塩で限界まで水分を抜き、しかるのちに燻煙でいぶった、木材のように固い肉塊である。
その切れ端を口の中に放り入れると、強い塩の味と、香草の風味と、凝縮された肉の旨味がじんわりと広がった。
味は、問題ない。きちんと血抜きをした肉を使ってくれたようだ。
では、と今度は干し肉を板の上に置き、小刀でゴリゴリと真ん中から断ち割っていく。
本当に、ものすごい固さである。
それはまた、中までしっかりと干し固められている証左でもあった。
「はい、ばっちりですね。お疲れ様でした。……ええと、ちょっと待ってくださいね」
今日の売り上げから銅貨を選り分けて、それをフォウ家の女衆に手渡す。
「白銅貨と赤銅貨が7枚ずつです。お確かめください」
「……はい」と、女衆は干し肉と同じぐらい固い顔になってしまっていた。
白銅貨と赤銅貨が7枚ずつ。
ギバの角と牙に換算すれば、およそ6頭分の代価である。
これほど大量に干し肉が売れることは、そうそうない。だから、これほどの代価を得られる機会も、今後はそうそうない。あったとしても、次回は別の家に仕事を斡旋する。
それは仕事を依頼する際に口がすっぱくなるぐらい言い置いたことであるが、それにしても、破格の報酬であることに間違いはないだろう。
「では、次の方、お願いします」
ラッツとガズの女衆が携えてきた干し肉にも、問題はなかった。
女衆らは、喜びよりも安堵の表情で、それぞれ銅貨を押しいただいた。
「アスタ。明日にはスドラからも干し肉が届くと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします」
かたわらに座したリィ=スドラが、折り目正しく頭を下げてくる。
その時――家の戸が、外から叩かれた。
「アマ・ミン=ルティムと、ルウの眷族の女衆4名です。アイ=ファかアスタはいらっしゃいますか?」
おや、またアマ・ミン=ルティムか、と俺は腰を上げる。
昨日も一昨日も、アマ・ミン=ルティムはファの家を訪れている。昨日は3頭のトトスを引き連れて、一昨日は1頭のトトスを引き連れて、だ。
まさかまた新たなるトトスが発見されたのではあるまいな、と俺は慎重に戸板を引き開けたが、幸いなことに、そこには森辺の女衆の姿しかなかった。
が、約1名、意外な顔があった。
褐色の髪をタマネギのような形に引っ詰めた、細っこくて小さな女の子――ルティムの家人、ツヴァイである。
「やあ、どうも。3日連続でお会いできるとは思ってもいませんでした。今日はどうなさったんですか、アマ・ミン=ルティム」
「はい。今日はこの家人ツヴァイの付き添いでやって参りました。どうしてもアスタに問い質したい儀があるとのことで。……ですが、まずはこちらの者たちの仕事を果たさせていただけますか? 干し肉が完成したので、届けに参ったそうです」
それは、ルウの眷族でも俺にはまったく馴染みのない、リリンとムファとマァムの女衆たちだった。
干し肉作製の仕事を割り振るにあたって、できれば生活に困窮している氏族を優先させたかったのだが。フォウとラッツとガズとスドラしか、期日までにギバの血抜きを成功させることがかなわなかった。ので、残りの分はルウ家に依頼したのである。その仕事を、ルウやルティムほど豊かではない眷族に回したのは、むろんミーア・レイ母さんの配慮だった。
「はい、問題ないですね。皆さん、お疲れ様でした。また機会があったら、どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、ありがとうございました。……あの、ファの家のアスタ、このままあなたの仕事を見学させていただくというのはご迷惑でしょうか……?」
そう言ってきたのは、マァムの女衆だった。
「かまいませんよ」と応じてから、俺は無言のツヴァイを振り返る。
「その前に、君だよね。俺に話って何だろう?」
まさか、スン家にまつわる重大な話か何かなのだろうか。
ツヴァイは「フン!」と鼻息を噴いて、細っこい腕を細っこい胸の前で組む。
「言っておくけど、アタシの話は長いヨ? 日が暮れるまでかかるかもしれないけど、それでもいい?」
「それは困るなあ。俺は明日のための仕込み作業と、それに晩餐の準備をしなくちゃならないんだよ」
「だったら、仕事をしながらでも聞いてほしいところだネ! 納得のいく答えを聞くまで、アタシはルティムの家に戻る気もないから!」
ますます不穏な様子である。
仕方ないので、俺は作業の準備を整えて、まずはアリアをみじん切りにしながら、ツヴァイの弁を拝聴することにした。
「ファの家のアスタ。アンタは今回、7つの氏族に干し肉を作るっていう仕事を任せたんだよネ? その内容を、ちょいと確認させてほしいんだけど」
「え? 話って、干し肉の仕事の話なの?」
「そうだヨ。他に何の話があるってのサ?」
ツヴァイの祖父でもあったテイ=スンの死から、まだ6日ほどしか経ってはいない。だから、どういう内容にせよ、その一件にまつわる話なのだろうと、俺は半分がた覚悟を固めていたのだが。どうやら、まったくの思い過ごしであったらしい。
「その仕事の報酬は、白と赤の銅貨が7枚ずつだったんだよネ? それでもって、その干し肉を作るには、大きめのギバ2頭分の胸の肉が必要だった。……それで間違いはない?」
「うん、間違いないね」
各氏族に依頼した干し肉の量は、およそ6キロ弱である。
で、6キロの干し肉を作製するには、およそ15キロばかりのバラ肉が必要になるのである。十分な保存性を得るには、それぐらい徹底して水分を抜き取る必要が生じる、というわけだ。
「……だったら、アンタはどうしてルウの家に赤銅貨12枚しか払ってないのサ?」
「え?」
「ルウの家は毎日のようにギバをまるまる1頭分、ファの家に売ってるんでショ? その代価が赤銅貨12枚ぽっちなのに、干し肉はどうして胸の肉だけで赤銅貨77枚にもなるのサ? いくら何だって、おかしすぎる数字じゃないか?」
キイキイとした甲高い声でさえずりながら、白目の目立つ大きな目で、ぎろぎろと俺をにらみつけてくる。
アリアを刻みつつ、俺は「えーっとね」と頭の中で計算を巡らせた。
「まず、最初に言わせておいてもらうと、ルウへの代価が低すぎるってのは、俺もずっと気になっていたんだ。だけどギバ肉にはまだ市場価格ってものが存在しないから、とりあえずギバ1頭分の角と牙の代価を、そのまま肉の値段にあてはめてみたんだよ」
「……それで? 干し肉の値段は、どう決めたのサ?」
「干し肉の値段は、町で売られているカロンっていう動物の肉と同じ値段に定めたんだ。今回みんなに頼んだ全部の量で、白銅貨60枚。その内の約1割を仲介料や手間賃としてファの家が頂戴して、残りを7つの氏族で割った、っていう形なんだけど」
「7つの氏族に77枚ずつの赤銅貨で――合計は赤銅貨539枚、ファの家の取り分が61枚ってことネ。フン、なるほど、そっちの計算に間違いはないみたいネ」
俺たちを取り囲んだ8名もの女衆らは、このあたりで目を白黒させ始めていた。たぶん計算がおっつかないのだろうし、そもそもそのような計算をする意味や理由が見いだせないのだろう。
そんなことはつゆほども気にせずに、ツヴァイはいっそうの勢いでまくしたててくる。
「だったらサ、生の肉の値段だって、町の値段に合わせるべきなんじゃないの? そのカロンとかいう動物の肉は、いったいいくらで売られてるのサ? まさか、赤銅貨12枚ぽっちで1頭分が買えるわけじゃないんでショ?」
「俺はまだ肉屋と顔を合わせたことはないんだけどね。肉の値段は、個人の家で買うか、宿屋なんかの店で大量に仕入れるかで、倍以上も値段が違ってくるんだよ。それでももちろん、赤銅貨12枚ってわけじゃあないけれど」
「だから、そいつはいくらなのさ?」
こいつはまた暗算能力が試される時間だった。
カロンの肉を個人の家で買う場合の値段は、100グラムで赤銅貨1枚弱であったはずだ。
それが、《南の大樹亭》などでは、100グラム赤銅貨0.37赤銅貨まで引き下げられていた。
で、俺がルウ家から買い付けているギバ肉の値段は、まあおおよそで40キロで、赤銅貨12枚である。
と、いうことは。
個人宅で買う場合は、1キロで赤銅貨10枚、40キロなら400枚。
業者価格なら、1キロで赤銅貨3.7枚、40キロなら――148枚か。
これまたずいぶんな差であるが、そもそも個人で40キロもの肉を買うことはないだろう。大量に購入することができないからこそ、割高になっているのだろうから。
「とりあえず、業者価格なら、148枚という数字が弾きだせたよ」
「だったらアンタは、10分の1以下の値段でルウ家から肉を買い叩いてるってことになるジャン!」
そんな風にわめいてから、ツヴァイは疑り深そうに目を細めた。
「それに、赤銅貨148枚でも、まだ少なすぎない? おんなじ量の干し肉だったら、いったいいくらになるってのサ?」
「干し肉は、作る過程で重さが半分以下に減ってしまうからねえ。生鮮肉と干し肉の値段の比較がしたいなら――ちょっと待ってね」
カロンの干し肉の価格は、たしか100グラムで1.5赤銅貨だったはずだ。
で、生鮮肉の業者価格が、0.37赤銅貨ということは――
「うん、干し肉は、生の肉の4倍ぐらいの値段だね」
「4倍!? 何でそんなに高いのサ!」
「干し肉を作るには岩塩も必要だし、原材料費を考えれば、そんなもんなんじゃない? あとは作製の手間賃と、それに、作る人間と売る人間が別々だったら、そこでもいくらかの上乗せがされてしまうんだろうね」
「……納得いかない。騙されてる気がする」
そうですか。
だったら、徹底的に計算してやろうじゃないか。
たとえば、10キロの生鮮肉から、干し肉を作製するとする。
まず、生鮮肉は、ピコの葉に漬け、塩に漬け、最後に燻煙でいぶすことによって、4キロぐらいに縮んでしまう。
で、使用する岩塩は、肉の重さの5パーセントほどの分量なので、10キロの肉に対して、500グラム。価格としては、赤銅貨3枚だ。
生鮮肉10キロが赤銅貨37枚なので、それに岩塩の値段を加算して、原材料費は40枚ジャスト。
そして、干し肉の価格は100グラムで1.5赤銅貨なのだから、4キロならば赤銅貨60枚。
原価率は、材料費40÷売り値60×100で、66パーセントである。
売り値が高いどころか、至極良心的な価格設定ではないか。
以上の結論を、俺は正確な数字とともに、ツヴァイへと提示してみせた。
「生の肉なら赤銅貨37枚、その肉で作った干し肉なら赤銅貨60枚――岩塩の代金を差し引いても赤銅貨20枚の儲けなのに、それでも安いっての?」
「ジェノスでは、安すぎるってわけもないのかな? ここは薄利多売が基本みたいだし。たとえば俺の屋台の料理で使うギバ肉にカロン肉と同じ材料費をあてはめて計算してみても、儲けの度合いは同じぐらいだったよ」
そう、試しに『ギバ・バーガー』の材料費に肉の値段をつけ加えたら、原価率は65.8パーセントに跳ね上がってしまったのだ。
それはすなわち、他の屋台の軽食屋では、これぐらいの原価率が当たり前、ということである。
「ふーん……それでアンタは、もっと儲けを出したいから、ルウ家から買う肉の値段を買い叩いてるってわけ?」
「それは誤解だね。俺はもっと高い値で買い取りたいって何度も交渉したんだけど、ミーア・レイ=ルウが頑として応じてくれなかったんだ。どうせ余ったら森に返すしかない肉なんだから、とか言ってさ」
もしかしたら、これは森辺内部におけるギバ肉の適正価格を定める好機なのだろうか。
森辺の民とは思えぬぐらいの経済観念を有する少女を前に、俺はそんなことを考える。
「それじゃあ、ツヴァイ、それに、アマ・ミン=ルティムも。これを機会にギバ肉の値段を改めたいっていう旨をミーア・レイ=ルウに伝えてもらえませんか? これからは、ルウ家からだけではなく、他の氏族からも肉を買い取りたいとも思っているので、今度こそきちんとした値段を定めたいんです」
「へーえ、それじゃあカロンってのと同じ赤銅貨148枚にするっての? 一気に10倍以上の値段になっちゃうジャン?」
「俺はそれでもかまわない。というか、むしろそうするべきだと思う。ゆくゆくは、その値段で町の人たちにもギバ肉を買ってほしいっていうのが、俺の目的でもあるわけだからね」
ツヴァイはようやく黙りこみ、アリアを刻み終えた俺の姿を上から下までにらみ回してきた。
「……わかったヨ。アンタは本当に、自分が稼ぐんじゃなく、森辺の民の全員が稼げるような状況を望んでるってことなんだネ」
「そりゃあそうだよ。ものすごく不遜な言い方になってしまうけど、ファの家はこれ以上の銅貨を稼いだって、使い道が思いつかないぐらいなんだから」
「だけど、銅貨さえあれば何でも買えるじゃないか?」
「そうかな。人との縁や信頼なんかは、銅貨じゃ買えないと思うけど」
冗談めかして俺が言うと、ツヴァイは盛大に「フン!」と鼻を鳴らした。
「日が暮れるまでアンタを問い詰めてやろうと思っていたのに、話が終わっちまったネ」
「それは何よりだ。とても有意義な話ができて俺も満足だよ、ツヴァイ」
お世辞でも社交辞令でもなく、俺はそんな風に述べることができた。
森辺において、ここまで銅貨に執着するツヴァイは、異端者であろう。
しかし、森辺がさらなる豊かさを求めるならば、ツヴァイのように経済観念の発達した人間は、絶対必要になると思う。そもそも異端といえばこの俺こそが最大の異端者であるのだから、俺にしてみれば同じ目線で語れる同胞を初めて目の当たりにしたような気分でもあった。
このような異端者がルウの眷族となったことを、俺はこっそり心中で寿ごうと思う。
「アタシの用事は済んじまったヨ。この後はどうするの、アマ・ミン=ルティム?」
「そうですね。急いで帰っても仕事は残っていないでしょうから、私たちもアスタに調理の手ほどきをしていただきましょうか」
アマ・ミン=ルティムは、とても満足そうに微笑んでいた。
そんな笑顔を向けられて、ツヴァイは少し居心地が悪そうに身体をゆすっている。
そのとき――何の前触れもなく、戸板が外から引き開けられた。
そのような真似が許されるのはその家の住人だけであるので、もちろんそれはアイ=ファであった。
今日もまた60キロ級のギバを担いだアイ=ファが、鋭い眼差しで屋内の様子を睥睨してくる。
「おかえり、家長。今日も収穫があったのか」
2日前に狩人の仕事を再開させて、これで2頭目の収穫である。今はそれほどギバの多い時節でもないはずなのに、呆れるばかりの優秀さだ。
そんな家長を、俺は笑顔で出迎えたのだが、当人はきわめて冷ややかな面持ちだった。
で、「今日も楽しそうだな、お前は」などと言い捨てて、中にも入らぬまま、ぴしゃりと戸板を閉めてしまう。
何が楽しそうなのだろう?
心当たりは、まったくないのだが。
ただ、普段と違っている点があるとすれば――俺の周囲に、9名もの女衆が集ってしまっている、ということぐらいであろうか。
複数名の女衆が集まるのはいつものことだが、この人数はさすがに規格外であるかもしれない。
「……申し訳ありません、アスタ」と、アマ・ミン=ルティムには頭を下げられてしまった。
「え? あ、いや、アマ・ミン=ルティムに頭を下げてもらういわれはないと思われますが」
「そうなのでしょうか?」と小首を傾げてから、アマ・ミン=ルティムは俺の耳もとに口を寄せてきた。
「でも、私とスドラの女衆以外は、全員未婚の若い女衆です。アイ=ファにしてみれば、それが面白くなかったのかもしれませんよ?」
俺はちょっとびっくりして、至近距離からアマ・ミン=ルティムの顔を見返してしまう。
いつでも清楚で折り目正しいアマ・ミン=ルティムは、珍しくも年齢相応の無邪気な微笑をたたえて、俺の顔を見つめていた。
そんな感じで、青の月の22日も、きわめて和やかに過ぎ去っていったのだった。
明日の更新をもちまして、書きため期間に入ります。
が、今回の書きためは数日です。数日書きためて、2~3話分を更新し、そのあと第24章の本格的な書きため期間に突入する予定です。
再開の予定日は活動報告にてお知らせしておりますので、気になる方はお気に入りユーザの登録をお願いいたします。登録すると、活動報告の更新が通知されるようになります。
また、活動報告をご覧になっていない方々のために、この場をもちまして「異世界料理道」の書籍化が決定されたことをお知らせいたします。
これもひとえにご支援を下さった皆様のおかげであります。
重ねて御礼申しあげます。
今後も書籍化の作業とあわせて本編のほうもなるべく変わらぬペースで更新していきたいと思っておりますので、変わらぬおつきあいをいただければ幸いでございます。