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異世界料理道  作者: EDA
第九十一章 慶祝の黄の月(上)
1568/1695

婚儀の前日①~第二関門~

2024.12/6 更新分 1/1

 その翌日――黄の月の18日は、比較的穏便に過ぎ去っていった。

 しかし、城下町の商売は休業でも、宿場町とトゥランの商売は営業日である。なおかつ、翌日の商売に向けて下ごしらえの必要が生じる関係から、やはりこれまでよりは十分に慌ただしかった。


 ただこの期間、東の王都の料理番たるセルフォマおよび通訳のカーツァは、森辺の見学を差し控えている。新たな商売に着手した俺たちは多忙であったし、この後に控えた婚儀の祝宴ではしっかり見学者と招待客の資格を勝ち取っていたので、数日ばかりは身をつつしもうという考えに至ったようであった。


 しかしもちろん勤勉なるセルフォマがのんべんだらりと過ごしているわけはなく、その期間は城下町で調理の見学に励むつもりだと宣言していた。ジェノス城に貴族の屋敷に高名なる料理店と、見学のネタはいくらでも転がっているのだ。セルフォマは何より森辺のかまど番から学びたいと願っていたが、そちらに小さからぬ影響を与えた城下町の料理人も捨て置くことはできないと軌道修正を果たしたのだった。


 その見学行脚には、ゲルドの料理番たるプラティカにダレイム伯爵家の料理番たるニコラも同行するらしい。もとより彼女たちも調理の修練に大いなる熱情を携えていたので、セルフォマに便乗することになったのだろう。それでジェノスの立場ある面々も、これ幸いとばかりに案内役を申しつけたようであった。


 それらの面々との再会は婚儀の祝宴を待つとして、俺たちは日々の仕事である。

 これまでの仕事も手抜かりなく進めながら、城下町の新たな商売の成功を目指すのだ。俺もレイナ=ルウもトゥール=ディンもたくさんの人々に支えられながら、その仕事に邁進することになったのだった。


 そうしてさらに翌日の、黄の月の19日である。

 婚儀の祝宴の前日で、城下町の商売の2日目だ。その日も俺たちは山盛りの意欲と山盛りの料理を携えて、城下町に向かうことに相成った。


「いよいよですね。不備がないように努めますので、どうぞよろしくお願いいたします」


 城下町に向かう道中でそのように告げてきたのは、本日の相方であるユン=スドラだ。宿場町の商売はガズの女衆、トゥランの商売はマルフィラ=ナハムに取り仕切り役を任せて、ユン=スドラを第二陣に組み込んだのだ。なお、マルフィラ=ナハムはそれなりの研修期間を経て、トゥランの商売の取り仕切り役を担うことになった身であった。


「マルフィラ=ナハムはすごい腕を持つかまど番だけど、取り仕切り役は苦手みたいだもんねー。それでもトゥランの商売を取り仕切れるようになったんなら、立派なもんだよ」


 ルウ家の側の取り仕切り役であるララ=ルウは、笑顔でそんな風に言っていた。あとはレイの女衆にバルシャにジルベという、2日前と同じ顔ぶれだ。本日は、この5名で城下町の商売に挑むのだった。


「レイナ姉から聞いた感じだと、城下町ならではの苦労っていうのはそんなになかったみたいだねー。ただ、見知った相手がほとんど顔を見せなかったから、料理の評価がちょっと心配だって言ってたよー」


「うん。懇意にしてるのは、ディアルとラービスぐらいだったからね。あとは料理店の関係者が何人か来てたみたいだけど、そっちとは言葉を交わす機会もなかったからなぁ」


「そんなヒマもないぐらいの忙しさだったわけでしょ? 商売を始める寸前まで料理の手直しをした甲斐もあったってもんだね。ツヴァイ=ルティムもツンケンしながら、売れ残りが出なかったことに安心してたみたいだよ」


 そのように語るララ=ルウは、普段通りの屈託ない笑顔だ。彼女は胆が据わっているし、商売に関してはビジネスライクな一面も持っているので、取り立てて熱情を持て余すこともないようであった。


(まあ、こんな風にタイプの違う才能が集まってるのが、ルウ家の強みだからな)


 レイナ=ルウは美味なる料理に対する飽くなき探求心、ツヴァイ=ルティムはシビアな経済面、そしてララ=ルウは――どこか、それを統括する真の責任者めいた風格である。ララ=ルウは、町での商売が森辺の民の明るい行く末に正しく繋がることを最大の命題にしているように思われた。


(俺たちが町で商売してるのは、豊かな生活をキープすることと、町の人たちと正しい関係性を築くことが目的だもんな。きっとララ=ルウは、その初志を忘れないように心がけてるんだろう)


 わずか15歳という若年で、頼もしい限りである。

 そしてそんなララ=ルウも、あと2ヶ月足らずでまた齢を重ねるのだった。


「そういえば、家ではリミがずるいずるいってうるさいんだよねー。あいつはわりかし、城下町が気に入ってるみたいだからさ」


「あはは。初めて城下町をうろついたときも、リミ=ルウはすごくはしゃいでたからね。でもさすがに、取り仕切り役を任せるには若すぎるかな?」


「うん。ミーア・レイ母さんも、せめて13歳になってからだって言ってたねー。まあ、手伝いの仕事だったら何の問題もないんだけど、5名中の3名がルウ本家の家人ってのは、さすがに偏りすぎだからさ」


 そんな言葉にも、ミーア・レイ母さんに負けない重みが感じられる。ララ=ルウはただ親の言いつけに従っているわけではなく、自らも積極的に意見してさまざまな決定に影響を与えているのだろう。そもそもミーア・レイ母さんはここ近年で数えるぐらいしか宿場町に下りていないし、城下町には足を踏み入れたことすらないのだから、実務を担っている娘たちの言葉を重んじているはずであった。


 そんな頼もしいララ=ルウとともに、2日前と同じ手順で城下町に踏み込む。

 荷車が街路を進む際には、ララ=ルウもユン=スドラも熱心に町の様子をうかがっていた。城下町で準備されるトトス車には小さな窓しかないので、これほどまざまざと城下町の検分ができるのは自前の荷車で乗り込んだ際のみであるのだ。


「ドンダ父さんなんかは、もうすっかり見飽きたとか言ってたけどねー。まあ、ドンダ父さんたちはこのまま真っ直ぐ道を進んで、会議堂とかいう場所に出向くだけなんだろうけどさ」


 族長たちもこの近年は、自前の荷車で月に一度の会合に向かっているのだ。俺たちは、その顔ぶれに続いて通行証を授かった身であった。それ以外に通行証を所有しているのは、アリシュナのもとに通うことを許されたクルア=スンと、《銀の壺》の一員として取得していたシュミラル=リリンのみである。


「そういえば、シュミラル=リリンもいつかこの商売を見物したいって言ってたよ。自分たちにはできなかったことだから、なんか感慨深いんだってさ」


「ああ、《銀の壺》は商談の相手のもとを巡るだけで、屋台とかを出すことはできなかったって話だね。それって、どうしてなんだろう?」


「屋台を出すには、後見人の保証が必要だって話だったでしょ? サイクレウスはそんな親切を施してくれなかっただろうし、その後はジェノス侯爵家が責任をひっかぶって後見人を引き継いだって話だから、自分たちのほうが遠慮しちゃったんじゃない?」


 そういえば、《銀の壺》に通行証を発行したのは食材目当てのサイクレウスであったのだ。それでサイクレウスが没落したのちには、おおよその面倒事をジェノス侯爵家が肩代わりすることになったのだった。


「まあ、今ならシュミラル=リリンもジェノス侯爵家とそれなりにご縁を深められただろうけど、今のやりかたでも十分商売は成立してるから、今さら屋台を開こうなんて気にはならなかったんじゃないかなー」


「なるほど。それに、森辺の民がジェノスの貴族たちと正しい関係を結べるように頑張ってたから、商人の立場で干渉したくなかったって思いもあるのかもね」


「あはは。さすがアスタは、シュミラル=リリンの美点を見つけだすのが上手だねー」


「いやいや。俺が苦労するまでもなく、シュミラル=リリンが美点だらけってだけのことさ」


 本人がいない気安さで、俺はそのように答えることにした。

 シュミラル=リリンが商売の見学を差し控えているのは、自由に動ける休息の日が明日のユーミの婚儀の日に定められているためなのだろう。その後にいつかシュミラル=リリンにも商売のさまを見届けてもらえたら、俺としても感無量であった。


 そうして昨日と同じ道筋を辿り、荷車は広場に到着する。

 バルシャが御者台を降りて手綱を引き始めると、ララ=ルウも後部から飛び降りて自らの足で広場の石畳を踏みしめた。


「うーん、懐かしいなぁ。あたしもドンダ父さんと一緒で、リーハイムに招待されても真っ直ぐ屋敷に向かうだけだったからなー」


 ララ=ルウは軽妙な調子でそのように述べたてていたが、その青い瞳は何も見逃すまいと鋭く広場を検分しているのではないかと思われた。とにかくララ=ルウは、城下町の情勢をうかがうことに熱心であるのだ。


 いっぽうユン=スドラは来たるべき商売に対して頬を火照らせており、レイの女衆はゆったりと微笑んでいる。ふさふさの尻尾を振りたてているジルベも含めて、誰もが頼もしい限りであった。


 そうして広場を踏み越えたならば、そのまま徒歩で貸出屋に突撃だ。

 本日はユン=スドラに手綱を預けて、俺とララ=ルウとバルシャの3名で受付の部屋に乗り込むことに相成った。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりましたよ、森辺の皆様方」


 ご主人は、本日も善意あふるる笑顔で出迎えてくれる。

 その目がララ=ルウの姿をとらえて、「おや」と見開かれた。


「本日は、別なる御方であられたのですね。初めまして、わたしが当店の責任者にございます」


「あたしはルウ本家の三姉、ララ=ルウだよ。この前のレイナ姉と交互に取り仕切り役を受け持つ予定だから、よろしくね」


 さまざまな場所で鍛えられたララ=ルウは、誰が相手でも如才がない。ご主人は感心した様子で、見開いていた目を細めた。


「まだお若いのに、しっかりしていらっしゃいますな。森辺の方々と懇意にさせていただき、心より嬉しく思っております」


「こちらこそ。城下町の人とご縁を結べて、ありがたく思ってるよ」


 そうして挨拶が交わされたのちに、また娘さんの案内で倉庫にいざなされる。

 そちらの娘さんの反応はというと――頬を赤らめたりはしない代わりに、うっとりとした眼差しでララ=ルウのことを見つめていた。ララ=ルウも十分に容姿は整っているが、どちらかというとボーイッシュな印象であり、こういう場では気を引き締めているためか凛々しい雰囲気であるのだ。どんなに表情を引き締めても可愛らしさが先に立つレイナ=ルウよりも、むしろ大人びて見えるぐらいであった。


(それにララ=ルウは背もあるし、立ち居振る舞いも堂々としてるからな。それでもやっぱり、アイ=ファやレム=ドムとは違う凛々しさだけど……これはこれで、女子うけがよさそうだ)


 やっぱり顔ぶれが入れ替わると、俺の心中にもまた一風異なる感慨が生まれるものである。そしてそれは、ララ=ルウが漫然と過ごしていないことに端を発しているように思われた。


「ララ=ルウは、いい意味で気を張ってるみたいだったね」


 無事に屋台を借り受けて、同胞の3名だけで街路に戻るさなか、俺はそのように呼びかけてみた。普段の気安さを取り戻しつつ、ララ=ルウは「うん」とうなずく。


「だってアスタは、屋台を借りることでミラノ=マスと懇意になったじゃん? ここの人たちともどういう関係に転んでいくかわからないんだから、しっかり相手を見定めないとね」


「まったく、見上げたもんだねぇ。あんたがいたら、ルウの血族も安泰だよ」


 バルシャは陽気に笑いながら、そう言った。

 ルウ家ではなくルウの血族と称したのは、いずれララ=ルウがシン家に嫁入りするものと想定してのことであろうか。何にせよ、俺もバルシャと同じ気持ちであった。


 荷車のメンバーと合流したならば、いざ仕事場たる広場に逆戻りだ。

 初の参加となるララ=ルウとユン=スドラは、やはり意欲をみなぎらせている。こうしてみると、半数ずつ顔ぶれを入れ替えるというのはなかなか適切であるように感じられた。


「あー、来た来た! 今日は余裕があったねー!」


 と、広場ではディアルとラービスが待ち受けている。

 ともに屋台を開くスペースへと向かいながら、俺はディアルに笑いかけた。


「連続で通ってくれて、どうもありがとう。商売のほうは、大丈夫なのかな?」


「うん! 宿場町まで出るのはけっこう手間だけど、城下町だったら毎日だって通えるさ! ま、貴族や商談の相手と昼食の約束がない日に限るけどね!」


 ディアルも忙しく過ごしており、宿場町の屋台に姿を見せるのは数日にいっぺんのことで、タイミングが合わないと10日や半月も空くことがあるのだ。ディアルはこの広場に隣接する商店の区域で働いているのだろうから、ここから徒歩で宿場町に向かうのはずいぶんな手間であるはずであった。


「なんかねー、料理が売り切れて残念だったって話が、僕のところにまで聞こえてきたよ! 今日は、どっさり準備してきたんでしょ?」


「うん。まあ、それなりにね。料理は30食分ずつ、菓子は50食分、増やすことにしたよ」


「うーん、まだまだひかえめだねー! ま、僕は一番乗りでいただくから、関係ないけどさ!」


 そうして所定のスペースに到着すると、べつだんお客が待ちかまえているわけでもない。

 しかし俺たちが準備を始めると、瞬く間に行列ができた。どうやら広場でくつろぎながら、俺たちの到着を待ちかまえていた様子である。


「これは城下町でも、確かな評判を呼べた様子ですね」


 蒸し籠の準備をしながら、ユン=スドラがそっと囁きかけてくる。

 俺は安堵の思いを抱えながら、「うん」と応じた。


(でも、まだまだ2日目だ。本当の評価が下されるのは、これからだからな)


 そうして俺は慢心することなく、本日の商売に立ち向かった。

 屋台に並んでいるのはおおよそ西の民で、東や南の民はちらほらと入り混じっているていどである。そして、もっとも人数が多いのは壮年の男性であるが、初日よりはやや若い男女や幼子などが増えたようにも感じられた。


(これも、口コミの効果なのかな)


 こうしてじわじわと客層が拡大されていくのも、宿場町で商売を始めた当初を思い出させてやまない。そしてやっぱり、南と東の行商人が主体であった宿場町とは、ずいぶん趣が異なっていた。


 あの頃はジェノスの住人にギバ肉を忌避されていたため、異国の人々が呼び水となったのである。《銀の壺》と建築屋の面々が大騒ぎをしていなければ、町の人々もそうそうギバ料理には目を向けなかったのではないかと思われた。


 然して現在は、城下町にもギバ肉が流通している。2年前に始めた生鮮肉の販売は年々拡大されており、今では相当数の人々がギバ肉を口にしているはずであるのだ。

 なおかつ、城下町の人々は最初から森辺の民を忌避する気持ちを持ち合わせておらず、現在はおそらく傀儡の劇がいい影響を与えている。さらにはダカルマス殿下が開催した試食会の評判も広まって、森辺の料理人が手掛ける料理にはかなりの注目が集められているはずであった。


 あの頃とは異なり、屋台の商売の下地はしっかり出来上がっているのだ。

 だからやっぱり重要であるのは、その期待に応えられるかという一点であった。


(今のところは、その心配もなさそうだ。これで、第二関門をクリアってところかな)


 少なくとも、初日に来てくれた人々から悪い評判が広まることはなかったのだろう。明らかに、本日は初日よりも長い行列ができていた。

 あとはどれだけ、お客がリピートしてくれるかだ。物珍しさが消えたのちにも客足が減退することはないか、それが次なる関門であった。


 しかしそれは、商売を続けることで見定めるしかない条項である。

 よって今は、目の前の仕事に注力するしかなかった。


「料理を4食と、菓子を8食、こちらの皿にお願いいたします」


 と、その日は鞄から平皿や四角い容器を取り出すお客も少なくはなかった。

 これは、城下町ならではの流儀であるのだろうか。宿場町で皿を持参するのは、《ギャムレイの一座》や建築屋の面々がご家族をお連れした際など、ごく限られていた。


 そうして自前の皿や容器に料理をのせた人々は連れの人間と合流して、外周のベンチで食事を楽しんでいる様子である。見るからに仕事仲間という雰囲気であったり、あるいは家族連れと思しき顔ぶれであったりと、組み合わせはさまざまだ。これが城下町の広場における、一般的なランチタイムの様相であるのかもしれなかった。


 そしてまた、そういった人々は複数名分の料理を買いつけていくので、行列の長さから受ける印象よりも速やかに料理が売れていく。中天の鐘が鳴る頃には、およそ半数に近い料理がなくなってしまっていた。


(これだと、初日とほとんど変わらないぐらいの刻限に売り切れちゃいそうだな)


 俺がそのように思案していると、新たなお客に「おひさしぶりです」という言葉をかけられた。

 俺が顔を上げると、見覚えのある若者が笑顔でたたずんでいる。俺が「えーと」と言いよどんでいる間に、若者が正体を明かしてくれた。


「わたしはティマロの助手として、祝宴や試食会の折に何度かご挨拶をさせていただきました。遅ればせながら、開店おめでとうございます」


「ああ、ティマロの……申し訳ありません。つい失念してしまいました」


 ひとつ言い訳をさせていただくと、俺が見知っているのは白い調理着か準礼装や宴衣装の立派な姿のみであったのだ。俺が初めて見る日常的な装束に身を包んだ若者は、穏やかな笑顔のまま「いえいえ」と言葉を重ねた。


「アスタ殿はあれだけ大勢の方々に引きたてられているのですから、助手の人間まで見覚えるのは難儀でございましょう。……こちらの容器に、料理と菓子を8食分ずつお願いいたします」


「えっ、8食分ずつですか?」


「はい。先日は昼食のご予約が入っておりましたため参ずることもかないませんでしたが、本日は《セルヴァの矛槍亭》の店員一同で、森辺のみなさんの料理を味わわさせていただきます」


 虫も殺さぬ笑顔でもって、その若者はそう言った。


「そちらの料理は、作り置きの品を温めなおしておられるのでしょうか? でしたら、冷めたものでかまいませんよ。どうせ厨に戻った折には、温めなおすことになりますので」


「あ、お気遣いありがとうございます。……それに、ティマロのお店のみなさんに召しあがっていただけるのは、ありがたい限りです」


「あはは。これまでは主人とわたしぐらいしか森辺のみなさんの手腕を味わう機会もありませんでしたので、他の皆々も首を長くして待っていることでしょう。そしてしばらくは、これらの料理や菓子の吟味に時間を割くことになりましょうね」


 そうして若者はおにぎりとガトー・アールが詰め込まれた折箱のような容器を大事そうに抱えながら、今度はルウの屋台に並び始めた。


「実はさっきも、見覚えのある御方がたくさんの料理を買っていかれました。あれもきっと、誰かしらのお弟子であったのでしょうね」


 新しい蒸し籠を鉄鍋に積みながら、ユン=スドラがそのように告げてきた。


「宿場町でも宿屋の方々が味見にいらっしゃることは少なくありませんが、城下町では規模が違いますね。やはり、宿屋と料理店では調理に対する意気込みが違っているということなのでしょうか?」


「うん。きっとそういう面もあるんだろうね」


 ともあれ、そういった人々のおかげで、料理はいっそう急速に減じていくようである。

 そうして、下りの一の刻を四半刻ほど過ぎた頃――俺たちは、また早々にすべての品を売り切ることに相成ったのだった。


「いやー、これはレイナ姉に聞いてた以上の勢いだったね! つまりは、客足がのびたってことなんでしょ?」


 料理を買えなかった人々が残念そうに立ち去ったのち、ララ=ルウがそのように問いかけてきた。


「うん。今日はどんなに客足がよくても、一の刻の半ぐらいまではもつんじゃないかって考えてたんだけど……それ以上の勢いだったね」


「まとめ買いするお客の影響で、いっそう減りが早かったのかな。だけどまあ、焼きあげるのに時間がかかるから、こっちはこれがめいっぱいだよ。二刻と四半刻で180食分ってことは……三刻いっぱいで、どれぐらいの料理を売れる見込みなんだろ?」


「ちょっと細かい計算になっちゃいそうだね。まあ、ざっくり計算すると……四半刻を、0・25時間ってことにして……一刻で80食、三刻で240食ってことになるのかな」


「おー、さすがアスタは、ツヴァイ=ルティムに負けてないね」


「ありがとう。ただ、屋台を借りるのが六の刻きっかりで、二の刻きっかりには屋台を返さないといけないから、前後の準備で四半刻は使う計算にしたほうがいいだろうね。それを考えると、220食がめいっぱいかな」


「そっかそっか。あと、菓子のほうはいつ売り切れたの?」


「菓子は昨日とほとんど同じで、二の刻になる前に売り切れちゃったよ。細かい時間はわからないから、二の刻きっかりに売り切れたとすると……ざっくり275食っていう計算になるね」


 そんな風に答えてから、俺は小首を傾げることになった。


「でも、まだ最大量を考えるのは早いんじゃないかな? 売れ残りを出すよりは、早めに店じまいをしたほうが望ましいっていう方針だろう?」


「うん。でもやっぱり、半刻以上も早く終わるのは望ましくないだろうし、早めに出向かないと売り切れるなんて評判がたつのも避けたほうがいいんじゃないかな。食べたいと思ってくれる全員に食べてもらうのが理想なんだから、少しでも理想に近づけるように努力するべきじゃない?」


 ララ=ルウは凛々しい顔つきで考えこみながら、そのように言いつのった。


「たとえば……時間内でぎりぎり売れるだけの料理を準備して、余った分は森辺で配って食べてもらうとかさ」


「でも、それだと俺たちが食材費と人件費をかぶることになるよね。俺個人としてはまったくかまわないけど、族長たちからは銅貨を無駄にしないようにって厳命されてるだろ?」


「本当の無駄っていうのは、余った料理を腐らせちゃうことじゃない? 料理を買いたいのに買えないって人が屋台に来ることをあきらめちゃったら、こっちはその人たちとの縁が切れちゃうわけだよ。そういう人たちを繋ぎとめるためにたくさんの料理を準備するっていうのは、銅貨の無駄になるのかなぁ?」


 それはおそらく俺の故郷でも、さまざまな企業が吟味している部類の話なのだろうと思われた。多少の売れ残りが生じようとも、品切れを起こすよりは利益が出るというマネジメントの手法だ。


「うーん。俺はそういう方面に明るくないんで、なんとも言えないんだけど……余った料理を森辺で配ることに異論はないから、あとは族長と家長しだいかなぁ」


「うん。ちょっとドンダ父さんにも相談してみるよ。またややこしいことを言い出したって苦い顔をされちゃうだろうけど、こっちも妥協できないしねー」


 ドンダ=ルウやグラフ=ザザは、さぞかし辟易することだろう。ただ、ララ=ルウぐらい進歩的な考えをする人間が出てきたことは、森辺の民にとって寿ぐべき事柄であるはずであった。


「やっぱりララ=ルウは、大したもんだなぁ。……ユン=スドラは、どう思う?」


「わたしですか?」と、ユン=スドラはちょっともじもじとした。


「わたしは……ララ=ルウのように立派なことは言えないので、ちょっと気恥ずかしいのですが……」


「うん。でも、よかったら率直な意見を聞かせておくれよ」


「はい。わたしは……どれだけの料理を準備しても、売れ残ったりはしないんじゃないかと考えています」


 そう言って、ユン=スドラはにこりと微笑んだ。


「でもきっと、それは普段からアスタたちが売れ残らないような数を考案しているためであるのでしょう。今回も、それが実を結ぶのだろうと期待してしまいます」


「あはは。それはそれで、心強い意見だね」


 ユン=スドラの笑顔に触発された俺は、自分ももう一歩踏み込むことにした。


「それじゃあ、俺からもひと言だけ。……今日の勢いを見てると、200食分ぐらいは余裕でさばけるんじゃないかって手応えをつかめるね。あとはやっぱり始めたての商売だから少しは慎重さを残して、最大量の220食から10食を引いた210食ぐらいが理想なんじゃないかと思うよ」


「ああ、いきなりめいっぱいの量でって言うよりは、そっちのほうが伝わりやすいかも。……わかった。ちょっとそれで、ドンダ父さんに話してみるよ。アスタは、アイ=ファのほうをお願いね」


 そう言って、ララ=ルウは力強く笑った。

 やはりララ=ルウは、レイナ=ルウとまた異なる頼もしさを有しているのだ。そんな思いを新たにしながら、俺は城下町における商売の2日目を終えることになったのだった。

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