新たな商売④~見えざる運命~
2024.12/5 更新分 1/1
屋台の裏手におけるミーティングが終わりを迎えると、鉄鍋を抱えたユン=スドラが近づいてきた。
「アスタ、こちらの屋台は料理を売り切りました。それでちょっとご相談があるのですが、よろしいでしょうか?」
「うん。いったいどういう相談かな?」
「実はユーミと、婚儀の日の話を詰めておきたいのです。何か食い違いでもあったら、大変ですので」
そんな風に語りながら、ユン=スドラは眉を下げた。
「ただ、今日はアスタに取り仕切りを任されている立場ですので……やっぱり、商売が終わるのを待つべきでしょうか?」
「いや。それなら、俺が代理で話を聞いてこようか? ご覧の通り、俺は身体が空いてるからさ」
「え? でも、わたしはアスタの代理で屋台の商売を取り仕切っているのに……今度はアスタがわたしの代理で、ユーミのもとに向かうということでしょうか?」
「うん。そのほうが、ユン=スドラとしてもすっきりするんじゃないかと思ってさ」
ユン=スドラは鉄鍋を抱えたまま、「ありがとうございます」とはにかんだ。
「いささか奇妙な心地ですが、確かにそのほうがありがたいかもしれません。お手数をおかけしますが、お願いできますか?」
「うん、いいとも。それで、何を聞いてくればいいのかな?」
「宿場町で準備する料理の数に関してですね。この数日で何度か話が変わっているので、最終確認をしておくべきだと思ったのです」
ユーミとジョウ=ランは、これまでに例のない形で婚儀の祝宴を挙げるのだ。それで準備をする人間のほうも、常にない苦労を抱えているのだった。
「なるほど。それは俺の作業にも関わってくることだから、いっそう話がしやすいね。他に何か、確認事項はあるかな?」
「あとは……念のために、当日に集まる刻限に関しても確認をお願いできますか? こちらから、ランの女衆を送る手はずになっていますので」
「了解したよ。それじゃあちょっと、行ってくるね」
そうして俺がきびすを返すと、目の前にバルシャが立ちはだかった。
「ちょいとお待ちよ。アスタはひとりで宿場町をうろつかないように言いつけられてるんだろ? あとでアイ=ファに恨まれたくないんで、あたしもご一緒させていただくよ」
「え、いいんですか? レイナ=ルウたちは、こっちに居残るんですよ?」
「こっちにはジルベを残すから、問題ないだろうさ。護衛役も、おたがいの仕事を肩代わりってこったね」
「わかりました。ありがとうございます」
そうして俺がバルシャとともに足を踏み出すと、今度はひょろ長い人影が立ちふさがった。
「やあやあ、アスタにバルシャ。城下町での初仕事、お疲れ様。ずいぶん忙しそうだったから、声をかけるのは控えていたんだよ」
それはカミュア=ヨシュであり、手にはトゥール=ディンの屋台のラマンパ饅頭が握られている。そしてその長身の陰には、弟子のレイトもひっそりと控えていた。
「なんだ、あんたも覗き見してたのかい。相変わらず、ギーズよりも気配を感じさせない野郎だね」
「ええ。本当は城下町で料理を買わせていただこうかと思っていたのですけれど、これは売り切れは必至かなと思って自重した次第です」
カミュア=ヨシュは飄然と笑い、バルシャは勇ましく笑う。両名が語らう姿を見るのはずいぶんひさびさだが、かつてはトゥラン伯爵家の打倒のために手を携えた間柄であった。
「そういえば、宿場町で屋台を出したらどうかって最初に提案してくれたのは、カミュアなんですよね。それを思えば、今日の俺たちがあるのもみんなカミュアのおかげです」
俺が真心を込めてそのように伝えると、カミュア=ヨシュはチェシャ猫のように笑いながら「いやいや」と手を振った。
「あの頃の俺は、森辺の民と宿場町の民の縁を取り持って、ついでに自分も仲良くなりたいって下心を抱えてたんだから、そんな感謝の言葉は不要だよ。それに、アスタたちの商売がここまで大成功するだなんて、まったく想像もつかなかったしねぇ」
「それでも、カミュアのおかげだっていう事実に変わりはありません。森辺でもちょっと忘れられがちな話なので、あらためて周知させていただきますね」
「だから、そんな気遣いは無用だってば。さては、俺を困らせて楽しんでるんだね?」
「あはは。やっぱり、バレましたか」
俺とカミュア=ヨシュは、顔を見合わせながら笑うことになった。
ひとしきり笑ったのち、カミュア=ヨシュは「それで」と言いつのる。
「アスタたちは、これからユーミのところに出向くのかい? せっかくだから、俺もお祝いの言葉でも伝えさせてもらおうかな」
「婚儀の3日前に、気が早いこったね。あんただって、祝宴に招かれてるんだろ?」
「いやいや。俺が出向くのは、エイラの広場だけですよ。俺もユーミとは知らない仲ではありませんが、そうまで深い間柄ではないですからねぇ」
というわけで、俺はずいぶん物珍しいカルテットで宿場町の往来を突き進むことになった。まあ、これだけの顔ぶれであれば、アイ=ファを心配させることもないだろう。
「そういうバルシャは、祝宴にお招きされているのですか? 今回は、けっこう人選が厳しいようだって話でしたよね」
「ああ。なんの間違いか、あたしも出張ることになっちまったね。正直、ユーミとはそんなに関わりもなかったんで、ちっとばっかり面食らってるよ」
ならばと、俺が補足説明を受け持つことにした。
「ユーミは森辺に嫁入りするにあたって、俺やマイムやシュミラル=リリンからあれこれ話を聞きほじっていたんですよ。それでマイムも招待したいって意見したから、それなら一家総出でお招きしようって話に落ち着いたんでしょうね」
「なるほど。外から森辺の家人になった先達たちに、ご高説をうかがっていたわけだね。それじゃあバルシャも、祝宴の場で心構えでも語ってあげたら如何ですか?」
「婚儀の祝宴で、野暮なことを言いなさんな。あたしはミケルと、広場の隅っこで酒と料理を楽しませていただくよ」
今日のバルシャは町の装いであるし、連れだっているのがカミュア=ヨシュであるためか、森辺の家人になる前の時代を想起させてやまなかった。最近は森辺の装束のほうが見慣れているので、実に新鮮な心地である。
そうしてしばらく歩くと、宿屋の関係者の屋台が寄り集まった区域に到着する。俺が勝手に屋台村と呼んでいるスペースで、軽食を扱う屋台が10軒ばかりもひしめきあっているのだ。ユーミの生家である《西風亭》ばかりでなく、《南の大樹亭》や《アロウのつぼみ亭》、《ランドルの長耳亭》や《ゼリアのつるぎ亭》など、俺が見知っている宿屋の屋台も多数含まれていた。
こちらも森辺の屋台に劣らず、お客で賑わっている。
そしてその一画で、ユーミも元気に働いていた。
「あれ、アスタじゃん! 今日はずいぶん、珍しい組み合わせだね!」
俺の接近に気づくと、ユーミは陽気に笑いかけてくる。手伝いのビアも、おずおずと微笑んでくれた。
「でも、今日は城下町で初仕事だったんでしょ? それでその顔ぶれってことは……まさか、何かあったとか?」
「嫌だなぁ。それじゃあまるで、俺が凶運を呼び込んでるみたいじゃないか」
カミュア=ヨシュがおどけた調子で答えると、ユーミも愉快げに「ははん」と応じた。
「別に、そうは言ってないけどさ。《守護人》ってのは、荒事の専門家でしょ?」
「ジェノスに滞在してる期間は、骨休めだよ。それもいよいよ、残りは3日限りだねぇ」
カミュア=ヨシュの軽妙な物言いに、ユーミは不意を突かれた様子で口をつぐむ。そこで俺が、事情を伝えることにした。
「実はユン=スドラに、伝言を頼まれてさ。宿場町で準備する料理の数に関して、二転三転してるんだって? その最終確認をしたいそうだよ」
「ああ、その話かぁ。うん、あれこれ話が転がったから、ユン=スドラに心配させちゃったんだろうね。もういい加減に腰を据えなきゃいけないから、昨日伝えた通りの数で決定って伝えてもらえる?」
「うん。そんなに変動があったなんて、俺は知らなかったよ。正確な数値は、明日聞くことになってたからさ」
「どこまで人が集まるか予想しきれない部分があったから、ちょっとバタバタしちゃったんだよ。ま、酒さえ足りてれば、文句を言う人間はいないだろうからさ。これでよしってことにしておくよ」
俺たちが語っているのは、宿場町のエイラの広場における祝宴についてであった。
ユーミはラン家に嫁入りするので、もちろん婚儀の祝宴は森辺で開かれる。しかしユーミは友人の数が多いし、そのすべてを森辺の祝宴に招待することはかなわなかったため、日中に宿場町でも宴料理を振る舞うことになったのだ。
元来、宿場町の民が婚儀を挙げる際には、夕刻から式が執り行われて、その後にエイラの広場で祝宴が開かれる。レビとテリア=マスの婚儀では、俺も式と祝宴の両方に参加させていただいたのだ。その祝宴の部分だけを、日中に開催するわけであった。
「これは本当に、今まで例のないことだろうねぇ。やっぱりジェノス侯爵家やサトゥラス伯爵家が、特例として認めてくれたということなのかな?」
カミュア=ヨシュの問いかけに、ユーミは「さあ?」と肩をすくめる。
「特例っていうか、お試しの実験でしょ。これで上手くいくようだったら、今後も続けようってことなんじゃない?」
「今後か。今後も森辺に嫁入りを願う娘さんが出てくるのかねぇ」
「そりゃー、まったくいないってことはないでしょうよ。森辺の民ってのは、こんなに魅力的なんだからさ」
そう言って、ユーミは白い歯をこぼした。
婚儀を前にして、さまざまな不安を抱えているのであろうに、そんな内心を覗かせることはない。あるいはこうまで日が迫ると、覚悟が固まるものなのだろうか。ユーミは俺よりもひとつ年少であるのに、実に立派な立ち居振る舞いであった。
「あと、ユン=スドラは当日の集合時間も確認しておきたいって言ってたね」
「当日は、上りの六の刻でしょ? こっちは待ってるだけなんだから、早くっても遅くっても文句はないよ。……本当に、お世話をかけるばっかりだよね」
当日はランの女衆が《西風亭》まで出向いて、花嫁衣裳の着付けを担当するのだ。それが宿場町と森辺の両方でお披露目される場面を想像すると、俺も胸が弾んでしまった。
「ユーミの婚儀も、3日後か。ここまで来るのに、長かったけど……いざ話が進められると、あっという間だったねぇ」
「あはは。本当は、雨季の前にやるつもりだったんだからねー。……おかげであたしも、しっかり覚悟が固まったよ」
そんな風に言いながら、ユーミはふっと目をそらした。
やっぱり、不安がないわけではないのだろう。生家である《西風亭》を出て、森辺の集落で暮らすことになるのだから、そこにはひとかたならぬ思いが生まれるはずであった。
しかしユーミはそんな不安も呑み込んで、新たな人生に挑もうとしている。
ユーミと長いつきあいである俺もその姿をしっかり見守りながら、婚儀の当日はめいっぱい祝福しようという所存であった。
◇
「……そうか。城下町の屋台もまずは満足な結果を得られたというのなら、何よりの話であったな」
その日の夜である。
俺の報告を聞き終えたアイ=ファは晩餐を食しながら、厳粛なる面持ちでそのように述べたてた。
「それで……アスタは城下町の市井においても、若い娘から人気を博しているということか」
「ええ? 今日の報告を聞いて、まず取り沙汰するのがその話なのか?」
俺が慌てた声をあげると、アイ=ファは「冗談だ」とやわらかく目を細めた。
「もとよりお前が異性からもてはやされることは、わきまえている。私が今さらそのような話で心を乱すことはないので、案ずる必要はない」
「うーん。そっくりそのままお返ししたいような台詞だなぁ。それに、アイ=ファがそんな冗談を口にするなんて、ちょっと珍しくないか?」
「うむ。城下町の商売が満足な結果を得られたと聞いて、私もいささか浮かれているのやもしれん。お前がそのためにどれほど力を尽くしてきたかは、私もわきまえているつもりであるからな」
そう言って、アイ=ファはいっそう目を細める。
アイ=ファの情愛を真正面から浴びせかけられて、俺は何だか胸が詰まってしまいそうだった。
「それに、黄の月も半ばに達したので、ますますそういった思いも募るのであろうな」
「うん? それはつまり――」
「町でギバ肉を売りに出して、間もなく2年に至るということだ。あれはちょうど、お前の生誕の日に始められたことであったからな」
「なるほど」と、俺も感慨を噛みしめることになった。
ギバの生鮮肉を販売することが正しい行いであると認められたのは翌々月の青の月のことであったが、俺たちはその前から実績作りに勤しんでいたのだ。生誕の日の朝方に肉の市まで出向いた記憶は、もちろん俺の心にもしっかり刻みつけられていた。
そして、その日の夜――アイ=ファは俺に、いつか自分を伴侶に迎えてほしいと宣言したのである。
1年後か、5年後か、10年後か――いつになるかはわからないが、アイ=ファが狩人としての仕事をやり遂げたと判じたときに婚儀を挙げてほしいと、アイ=ファはそのように言ってくれたのである。
あれから間もなく、2年が経とうとしているのだ。
あの日に味わわされた喜びと幸福感は、それこそ心のもっとも奥深い部分に刻みつけられている。いきなりそんな記憶を引っ張り出された俺は、座ったまま眩暈を起こしてしまいそうだった。
そんな俺の内心も知らぬげに、アイ=ファは優しげな眼差しで食事を進めている。
雨季が明けたので、アイ=ファも渦巻き模様の胸あてに丈の短い腰巻という平常の装束だ。雨季が明けてしばらくはその露出の多さに心を乱されてしまうのが通例になっていたが、5日が過ぎた現在は俺もようよう平常心でアイ=ファと向かい合えるようになっていた。
しかしまた、どのような格好をしていようとも、アイ=ファの魅力の本質に変わりはない。
俺がアイ=ファに抱いているのは、友愛と家族愛と恋愛感情の複合体であるのだ。アイ=ファは誰よりも頼もしい同胞であると同時に、誰よりも大切な家族であり――そして、誰よりも愛おしい存在であったのだった。
(もうすぐ2年が経つとしても、俺は焦ったりしないぞ。というか……それまでは、アイ=ファと婚儀を挙げることなんてあきらめてたんだからな。アイ=ファがそんな気持ちを抱いてくれたっていうだけで、俺は死ぬほど幸せなんだ)
俺がそんな想念を噛みしめていると、アイ=ファはどこかくすぐったそうな面持ちで微笑んだ。
「アスタよ、何を考えているのかは知らんが、そのような目で私を見るな」
「うん。どんな目になってるのかは、自分でもわからないんだけどな」
「であれば、アルヴァッハたちから授かった手鏡とやらで確認してみるがいい」
アイ=ファが幸せそうな面持ちで微笑んだので、俺も同じ心持ちで微笑むことになった。
そこに「なうう」という声が響き、黒猫のサチが俺の膝に頭をこすりつけてくる。たちまちアイ=ファは凛然とした表情を取り戻して、「それはさておき」と発言した。
「城下町の商売については引き続き様子を見る他ないが、2度目の商売の翌日はユーミとジョウ=ランの婚儀だな。まったく今さらの話だが、実に慌ただしいことだ」
急速に薄らいでいく甘やかな空気を未練がましく見送りながら、俺も「そうだな」と応じてみせた。
「だけどまあ、商売の当日とはずれてたんだから、どうってことないさ。まあ、そこで重なったら商売のほうをずらすだけだけどな」
「うむ。しかし屋台の商売に関しては、前日の下ごしらえも肝要なのであろう? そちらに、問題はないのか?」
「ああ。婚儀の祝宴に招かれる人間は限られてるから、人手に問題はなかったよ。前日の下ごしらえは、俺がいなくても問題なく進めてもらえるからな」
「まったく、頼もしい限りだな。……バードゥ=フォウやランの家長などは、なかなかの慌ただしさであるようであったぞ。これはヴェラとの婚儀を上回るほどの大ごとであろうからな」
それは確かに、その通りなのだろう。族長筋の眷族たるヴェラとの婚儀も十分に大ごとであろうが、そちらは森辺の内部で完結する話であるのだ。宿場町の民を嫁に迎えるとあっては、対外的な苦労が段違いであるはずであった。
「かえすがえすも、フォウの血族は大変な役目を負ってるよな。シュミラル=リリンやマイムたちを家人に迎えたルウの血族も大変だっただろうけど、あっちは族長筋だしな」
「うむ。友たるフォウの血族がそのような大役を担うのは、誇らしい限りだ。それで……ユーミのほうにも、変わりはないのであろうか?」
「うん。ちょうど今日、ユーミと婚儀の段取りについて話し合うことになったよ。やっぱり不安はあるんだろうけど、弱気なところはまったく見せようとしなかったな」
「そうか。まったく新しい生に足を踏み出すというのは、誰にとっても大きな試練であろう。やはりユーミは、気丈だな」
と、凛々しい面持ちのまま、アイ=ファがまたふっとやわらかな眼差しになる。
もしかして、今後の自分と重ね合わせているのかと、俺はまた胸を騒がせることになり――そこでまた、サチに「なうう」と文句をつけられることになった。
(いかんいかん。今日は何だか、そっち方面のことを意識しすぎだな)
俺たちが誓約を交わしたのは俺の生誕の日であったが、何も生誕の日にその約定が果たされるわけではない。どれだけ生誕の日が近づいても、俺が心を乱す理由はないはずであった。
しかしまあ、今はユーミとジョウ=ランの婚儀を目前に控えているために、余計にそちらに気が向いてしまうという面もあるのだろう。とりわけユーミというのは俺にとってつきあいの長い相手であるので、大いに情緒を乱されているのだった。
「ユーミと出会ったのは、屋台を始めて数日後の話だったんだよな。だからまあ、アイ=ファとルウ家とルティム家の面々に、ディガ=ドムとドッド、カミュア=ヨシュとレイト、ドーラの親父さんとターラ、ミラノ=マス、《銀の壺》、ジャガルの建築屋の人たち……その次に出会ったのが、ユーミたちってことになるわけだ」
「うむ? いったい何を勘定しているのだ?」
「うん。数えてみたらけっこうな人数だったけど、それでもやっぱり最古参のひとりだなと思ってさ。俺はその後、何百名って人たちに出会ってるわけだしな」
「出会ってからの歳月の長さだけが、重要なわけではないのだろうが……ユーミとは、浅からぬ交流を紡いでいたのであろうしな」
「うん。ユーミのほうが積極的だったから、やっぱり町の人たちの中では屈指の交流の深さだろうな。だからユーミは森辺のみんなともすぐに仲良くなれて……ジョウ=ランとも、こういう関係に落ち着いたんだろうしさ」
「うむ。最初のきっかけは、ルウ家で行われた親睦の祝宴であったな。それで森辺の若衆が、宿場町の交流会というものに参ずることになったのだ」
それもまた、2年前の家長会議の直前のことである。生鮮肉の販売を開始して、王都の監査官を迎え撃つことになって、それを契機に西方神の洗礼を受けることになって、赤き民たるティアと出会うことになって――と、その時期は慌ただしさの極致であったのだった。
(だけどまあ、慌ただしいのは今も同じか)
俺たちは東の王都の使節団の出立を見送ってすぐ、こうして城下町の商売に着手することになった。そして3日後にはユーミとジョウ=ラン、月の終わりにはリーハイムとセランジュの婚儀だ。そうして黄の月が終わったならば《銀の壺》や建築屋の面々をジェノスに迎えて、ファの家は大々的な増築の工事である。退屈するいとまなど、どこを見回しても見当たらなかった。
「……あの頃は、せいぜいダレイム伯爵家の舞踏会や茶会といったものに招かれるていどで、まだ城下町の祝宴にも参じていなかったはずだ。それからの2年足らずで、城下町で屋台を出すことになったわけだな」
と、アイ=ファが話題を引き戻した。
俺も「そうだなぁ」と、しみじみ感慨にひたる。
「その年の復活祭の直前に、俺たちは初めて城下町の広場や商店の区域に足を踏み入れることになったんだよ。そういえば、そのとき初めてガーデルと出会うことになったんだよな」
「うむ。デヴィアスの素顔を目にしたのも、おそらくその日であろう。フェルメスが開いた仮面舞踏会なる祝宴では、実に珍妙なる姿をさらしていたからな」
「ああ、銀獅子のかぶりものか。アイ=ファは姫騎士のゼリア、俺はかまど神の精霊だったっけ」
「余計なことは思い出さずともよい。……ガーデルやフェルメスとも、さらに確かな絆を結んでおきたいところだな」
ガーデルはいまだ病床に臥せっており、フェルメスは東の王都の使節団が帰国するまで多忙の極みであったのだろうと察せられる。東の王家にまつわる騒乱を経て、そちらの両名とはいささか縁が薄れてしまった印象であった。
「東の賊の一件ではフェルメスも大活躍だったけど、それが一段落したら裏方にひっこんじゃったもんな。まあ、ポワディーノ王子や使節団への応対が忙しくて、俺たちにかまっている余裕がなくなっちゃったんだろうけどさ」
「うむ。なおかつフェルメスは、脆弱であるからな。また疲労を重ねて寝込んでいても、私は驚かんぞ」
フェルメスは聖域の民や邪神教団にまつわる騒ぎの際にも無理をして、のちのち熱を出すことになったのだ。このたびの騒ぎはひときわ長きにわたったので、フェルメスの健康が心配なところであった。
「なおかつフェルメスは、じきに西の王都に戻ることになるやもしれん。その前に復調してもらい、なんとか絆を深めたいところだ」
「うん。俺もかねがね、そう思ってたけど……アイ=ファもずいぶん、そういう気持ちが強まってきたみたいだな?」
もともとは、アイ=ファもどちらかというフェルメスを忌避する傾向にあったのだ。それはフェルメスが、俺の『星無き民』という立場に強い執着を抱いていたがためであった。
しかしその後の復活祭を機に、フェルメスも気持ちをあらためてくれた。俺に忌避されるのは忍びないと、どこか頑是ない幼子のような態度でそんな真情を告げてくれたのだ。それ以来、アイ=ファもフェルメスに対する見方を変えたようであるが――ただ、フェルメスが俺に執着している事実に変わりはないので、基本的には複雑な心境を抱えているはずであった。
「……あやつは本心が見えにくいし、本質的に森辺の民とは気質が合わないのだろうと思う。それでもティアの一件に関しては強く感謝しているし……あやつは誰より、アスタが抱える運命の重さを理解しているのであろうしな」
「うん? 俺の運命の重さ?」
「言うまでもなかろう。『星無き民』なるものの伝承についてだ」
アイ=ファが自らその名を口にするのは、きわめて珍しい話である。
それで俺がびっくりしていると、アイ=ファはそれをなだめるように優しい目つきをした。
「もちろん私にとって、そのような伝承は重要ではない。お前は『星無き民』である以前に、ファの家のアスタであるのだからな。しかし、お前が本当に『星無き民』であるというのなら……この世でただひとりの、特別な運命を抱えているということであろう。『星無き民』は、同じ時代にふたりは生き残らないという話であったのだからな」
「う、うん。それはその通りなんだろうけど……」
「案ずるな。私はお前がそのような運命を乗り越えて、心安らかに生きていけることを願っているだけだ」
そのように語るアイ=ファは、やっぱりとても優しい眼差しをしていた。
なんだか今日は思い出話に花を咲かせてしまったし、思いも寄らない話題にまで及ぶことになった。城下町の新たな商売に、ユーミたちの婚儀という常ならぬ出来事が、俺たちの意識にも何らかの作用を及ばせたということなのだろうか。
しかしべつだん、それを忌避する必要はないのだろう。
アイ=ファの優しい眼差しが、俺にそんな結論を与えてくれた。
そしてその夜は、しんしんと更けていき――俺たちは、また騒がしい日々に埋没することになったのだった。




