新たな商売③~事後~
2024.12/4 更新分 1/1
結果――俺たちの屋台は、予定よりも一刻ばかり早く店じまいすることに相成った。
商売を開始して二刻足らずで、すべての料理が売り切れたわけである。そして、その頃にもまだ屋台の前には行列ができており、大勢の人々が悲嘆の声を響かせていたのだった。
「やはり、中天になる前に訪れるべきでしたな。無念の限りですが、次の出店を心待ちにしております」
そんな言葉を残して、人々はとぼとぼと立ち去っていく。
すると、まだ広場に居残っていたディアルが無邪気に笑いながら近づいてきた。
「やっぱり、予想通りの大人気だったねー! どうしてもっと料理を準備しておかなかったのさ?」
「いやあ、今回はとりわけ食材費をかけていたから、売れ残りだけはどうしても避けないといけなかったんだよ。族長たちからも、決して銅貨を無駄にしないようにって厳命されてたからね」
「ふーん。でも、料理が余ったらどこかの貴族がまとめて買いあげてくれたんじゃないの? サトゥラス伯爵家の第一子息なんて、すっかりごひいきなんだしさ」
「それはリーハイムの厚意に甘えるようなものだから、いっそう族長たちに叱られちゃいそうだね」
すると、どこからともなく「そうそう」という軽妙な声が響きわたる。
俺がびっくりして振り返ると、瀟洒な帽子と襟巻きで人相を隠したふたり連れが、屋台のすぐそばにたたずんでいた。
「ああ、やっぱりリーハイムとレイリスだったのですね。背格好から、そうなのではないかと思っていました」
スフィラ=ザザがやわらかな面持ちで呼びかけると、その片方が「はい」と帽子のつばの下で目を細める。こちらが、レイリスであったのだ。
「わたしも普段は顔を隠したりはしていないのですが、さすがにリーハイムとご一緒とあっては人目を忍ぶ他ありませんでした」
「ふふん。武官をぞろぞろ引き連れてたら、人目をひいてしかたねえからな。それで森辺の民が貴族の威光を利用してるなんて思われたら、腹が立つだろうがよ」
そのように語りながら、リーハイムは少しだけ襟巻きをずらしつつレイナ=ルウに笑いかけた。
「で、売れ残った料理を買いあげるなんてのも、おんなじこったろ。他の連中はそんな逃げ道もなしに、屋台で勝負してるんだからよ。同じ舞台で戦わねえと、満足な結果は得られねえよな?」
「ええ、まさしくリーハイムの仰る通りです。一刻も時間を余らせてしまったのはこちらの手落ちですが、わたしは満足しています」
そんな風に応じながら、レイナ=ルウはまだ真剣な面持ちだ。きっと、今日の結果に浮かれることなく、次回からの商売に意欲を燃やしているのだろう。
「レイナ=ルウは、そうでなくっちゃな。……それにしても、大した騒ぎだったなぁ。どこかに隙があったら、俺たちも味見をさせてもらおうと考えてたんだけど、それどころの話じゃなかったぜ」
「あ、それじゃあリーハイム殿は屋台の料理を買われていないのですね」
と、ディアルが口調を切り替えてそのように問いかけた。こう見えて、リーハイムはジェノスにおいて屈指の高貴な身分なのである。だからこそ、人前で森辺の民と接触するのは体裁が悪いわけであった。
「少々意外な気もしますが……でもきっと、リフレイアと同じ心持ちなのでしょうね」
「トゥランのご当主が何を考えてるのかは知らねえけど、俺たちは普段から森辺の民の手腕を楽しませてもらってるからな。これは町の連中に森辺の料理の味を伝えようって試みなんだから、貴族連中は隅っこに引っ込んでおくべきだろ」
「はい。正しいご判断かと思います」
口調は礼儀正しいが、ディアルはいつも通りの無邪気さでにこりと笑う。
リーハイムも「へへ」と笑ってから、あらためてレイナ=ルウに向きなおった。
「それに、レイナ=ルウには大仕事を任せてるからな。レイナ=ルウの手腕は、そっちでたっぷり楽しませていただくよ」
「はい。すべての力を尽くすとお約束いたします」
と、レイナ=ルウはいっそうの熱情をたぎらせる。黄の月の終わりには、ついにリーハイムとセランジュの婚儀の祝宴であるのだ。その日はレイナ=ルウが取り仕切り役を担い、俺はアイ=ファともども一介の招待客という立場であった。
「あとその前に、森辺でユーミの婚儀ですよね! リーハイム殿も、ご参席されるのでしょう?」
「もちろんさ。あのユーミってのは、宿場町の人間なんだからな。宿場町を取り仕切る俺たちが見届けずにいられるもんかよ」
「はい! わたしもユーミとご縁があって、招かれることがかないました! 今から、楽しみでなりません!」
と、ディアルもいよいよ輝くような笑顔になっていく。出会った当初はケンケンいがみあっていたディアルとユーミであるが、いつしか気の置けない友人関係になっていたのだ。
「わたしもその日は、リーハイムに同行することを許されました。スフィラ=ザザも、参席されるのですよね?」
レイリスは穏やかな眼差しのまま、スフィラ=ザザに問いかける。スフィラ=ザザもまた、ゆったりとした面持ちで「はい」と応じた。
「ザザからは、またわたしとゲオルが見届け人として参ずることになりました。これはジェノスにとってひとかたならぬ出来事でしょうから、心して見守りましょう」
「ええ。サトゥラス伯爵家の末席に名を連ねるわたしも、光栄な限りです」
そういえば、彼らはそれぞれの立場を重んじて、恋心を捨て去った身であったのだ。それでも、ユーミとジョウ=ランの婚儀を心から祝福できるぐらい、安らかな心持ちであったのだった。
「さて。それじゃあ、車で待たせてる連中が慌てない内に、帰るとするかな。そちらさんも、真っ直ぐ帰るのかい?」
「はい。これといって城下町に居残る理由はありませんので、宿場町で働いている面々と合流しようかと思います」
「そうか。それじゃあ、帰り道も気をつけてな。俺もあれこれ忙しくなってきたから、今後は屋敷で商売の無事を祈ることにするよ」
そんな気安い言葉を残して、リーハイムはレイリスともども立ち去っていった。
半月後に婚儀を迎える貴族として、きっと多忙な身であるのだろう。それでも彼は人相を隠してまで、この場に駆けつけてくれたのだ。それも、レイナ=ルウと確かな絆を結べたがゆえであった。
「じゃ、僕もそろそろ商談に向かわないとなー! あ、言い忘れてたけど、リフレイアがお疲れ様だってよー! 屋台の料理が売り切れるのを見届けて、リフレイアも帰っちゃったからさ!」
「そっか。リフレイアもユーミたちの婚儀で会えるはずだから、お礼はそのときに伝えることにするよ。ディアルも、わざわざありがとうね」
俺がそのように締めくくろうとすると、レイナ=ルウがすぐさま身を乗り出してきた。
「その前に、料理のご感想をお聞かせ願えますか? 城下町の方々にも喜んでいただけるようにと入念に吟味したつもりなのですが、如何だったでしょう?」
「んー? そりゃもう、最高の出来栄えだったよー! 祝宴の宴料理と遜色ない出来栄えだったもん! ラービスも、そう思うでしょ?」
「……はい。たとえ城下町でも、屋台でこれほど手のかかった料理を口にした覚えはありません。……あの香味焼きという料理は、いささか舌が痛くなってしまいましたが」
「そうですか。幼子でも問題なく口にできるようにと、香草の調合にはとりわけ注意していたつもりなのですが……これは、見直しが必要かもしれません」
レイナ=ルウが張り詰めた面持ちで考え込むと、ラービスは珍しくも慌てた顔をした。
「あの、わたしなどは料理に関して何もわきまえていませんので、そのように重く受け止める必要はないかと思うのですが……」
「いえ。ラービスもたびたび森辺の料理を口にされているのですから、その意見を二の次にすることはできません」
「……わたしは、辛みを苦手にしているのです。わたしの意見などを重んじていたら、他なるお客の不興を買う結果になりましょう」
そんな風に語りながら、ラービスはディアルのほうに向きなおる。これまた珍しいことに、ディアルを頼っているような仕草だ。ディアルはどこか嬉しそうな面持ちで、「あはは!」と笑った。
「そりゃー僕たちは、まだまだシムの香草を食べなれてないからね! でも、今日の料理は文句をつけるほど辛くなかったよ! ちょっと舌が痛くなったって、美味しいものは美味しいんだからさ!」
「はい。城下町には南の民も少ないのですから、まずは西の民の評判を気にかけるべきかと思います」
ラービスも懸命に言いつのると、レイナ=ルウは「そうですか」と息をつく。
「ただ今日は、みなさんの他に見知った方がおられないのです。城下町の料理店の方々も何名かいらっしゃったようなのですが、どなたとも言葉を交わす機会がありませんでした」
「あー、城下町で商売をしてる人たちは、そりゃー駆けつけるだろうねー! だけどまあ、商売敵ってことにはならないんでしょ?」
「はい。料理店が屋台を出すことはそうそうないと聞いていますので、商売敵という立場にはならないかと思います」
「それでも森辺のみんなが屋台を出すって聞いたら、じっとはしてられないだろうからねー! 今ごろみんな、自分の店で奮起してるんじゃない?」
そんな風に言ってから、ディアルは可愛らしく小首を傾げた。
「そういえば、東の王都やゲルドの料理番なんかは、姿を見せなかったみたいだねー。辛い料理に関しては、シムの人らに聞くのが一番だと思うけど……さすがに今日は、遠慮したのかな?」
「遠慮っていうか、プラティカやセルフォマたちは一昨日までしょっちゅう森辺に顔を出してたからさ。今日の料理も、とっくに味見は済んでるんだよ」
「なーんだ! ちょっとは謙虚なところもあるのかなーとか思ったのに、同情して損しちゃった!」
「あはは。ディアルは、同情してあげてたんだね」
俺がついつい笑ってしまうと、ディアルは「なんだよー!」と顔を赤くした。
「べつに僕は、あんな連中を気にかけてるわけじゃないんだからね! ジャガルとシムは、敵対国なんだからさ!」
「ごめんごめん。……でも、アリシュナにはちょっと気の毒だったかな。彼女も今日の料理に興味を持ってくれてたんだけど、ポルアースにしばらく遠慮してほしいってたしなめられちゃったみたいだからさ」
「えー? あいつこそ、しょっちゅうアスタにかれーを準備させてるじゃん! なんで今さら、遠慮が必要なの?」
「アリシュナにカレーを届けてくれているのは、ダレイム伯爵家の関係者だからさ。ポルアースはただでさえ後見人を引き受けてくれた立場だから、それこそ森辺の民を優遇しているわけではないって姿勢を示す必要が出てくるみたいだよ」
そしてアリシュナは城下町に住まう身であるが、占いの仕事が忙しいために自由な時間は限られるのである。それで、屋台の商売があるていど落ち着いたら、またシェイラが出向いて料理を届けるという手はずになっていたのだった。
「そっかー。あいつはジェノスの客分って立場だから、色々としがらみがあるんだねー。いざとなったら故郷に帰れる他の人間とは、わけが違うもんなー」
と、ディアルはいくぶん憂いげな顔になる。アリシュナもまた敵対国の人間であるが、ディアルとはずいぶん長いつきあいであるし、きっとそれなりの絆が育まれているはずであるのだ。俺も気安く笑うことは差し控えて、ディアルの優しさを静かに見守ることにした。
「あれ? そういえば、ロイやシリィ=ロウとかは? あの人たちだって、森辺の料理には興味津々のはずでしょ?」
「《銀星堂》は夜に仕事が入ってるから、日中も下ごしらえで抜け出せないって話だったね。ユーミの婚儀の日には仕事を空けることになるから、なおさら今日は抜け出せないんだってさ」
「あー、あの人らも祝宴に招かれてるんだっけ! うーん、いよいよ楽しみになってきたなー!」
と、ディアルが笑顔を取り戻したところで、どこからともなく鐘の音が聞こえてきた。おそらくは、下りの一の刻から四半刻が過ぎたという合図である。それを耳にして、ディアルが跳び上がった。
「わっ、商談に遅れちゃうよ! それじゃあ、明後日は貴族のお茶会にお呼ばれされてるから、次に会うのは3日後だね! ユーミの婚儀、楽しみにしてるよー!」
現れたときと同様の賑やかさで、ディアルとラービスも立ち去っていく。
それでようやく、その場には森辺の民たる5名だけが残された。
「まったく、慌ただしい限りだね。でもまあ、とりあえず商売は大成功だったんだろう? アスタもレイナ=ルウも、お疲れさん」
「はい。バルシャもお疲れ様でした。何もおかしなことはありませんでしたか?」
「ああ。のんびりしすぎて、あくびが出そうだったよ。さすが城下町は、平和だね」
俺たちがもたらした騒ぎが過ぎ去ると、広場にはまたもとの安穏とした雰囲気が蘇っている。活気のほどに不足はないのだが、やはりどこか上品で落ち着いた空気感であるのだ。それはきっと、俺たちが慣れ親しんでいる森辺と宿場町がひときわ蛮なる熱気に満ちているということなのだろう。
(こうしてみると……俺の故郷に一番近いのは、城下町なのかもな。まあ、俺の故郷にはトトスなんていないけどさ)
そんな感傷に似た心地を噛みしめながら、俺は貸出屋を目指すことにした。
予定よりも、半刻以上も早い帰還である。受付台で帳面と向かい合っていた主人も、「おや」と目を丸くしてから微笑んだ。
「ずいぶん早いお帰りでありましたな。ですが、その面持ちから察するに……本日のご商売は大成功といったところでありますか」
「ええ、今日のところは。それが実を結ぶかどうかは、次回の商売しだいですね」
「さすが、しっかりしておられる。では、返却の手続きをいたします」
また呼び鈴が鳴らされて、赤い顔をした娘さんが呼び出される。そちらの娘さんに屋台の状態をチェックしてもらい、なんの破損もないと確認が取れたところで返却の手続きも完了であった。
「では次は、2日後の19日ですね。またのご来店をお待ちしております」
最後まで折り目正しく、主人と娘さんは笑顔で俺たちを見送ってくれた。
徒歩で広場を通り抜けて、大きな街路に出たならば、荷車に乗っていざ帰還だ。しばらく静かにしていたレイの女衆が、そこでひさびさに口を開いた。
「ようやく仕事をやり遂げたという実感がわいてきました。これで次回も同程度の客入りが見込めれば、ひとまずは成功ということになるのでしょうか?」
「ええ。ですがあくまで、ひとまずの成功ですね。今はまだ物珍しさで集まっているお客も多いのでしょうから、ひと月やふた月は様子を見ないことには何も断ずることはできません」
レイナ=ルウの妥協なき態度に、レイの女衆は「なるほど」と首肯する。
「宿場町でも長きの時間をかけて、今の商売を成功させたのですものね。わたしなどは、すっかり客足が安定してから手伝うことになった身ですので……今回は商売の立ち上げに関われたことを、心から誇らしく思います」
「それは、わたしも同じことです。アスタが商売を始めた頃、手伝いの人間に選ばれたのは姉や妹たちでしたので」
と、レイナ=ルウは凛々しい顔をいくぶん和ませながら、俺のほうを振り返ってきた。
「あの頃は、ヴィナ姉やララのことが羨ましくてたまりませんでしたが……今はこうして、自分の手で新たな商売に取り組むことがかないました。ここまで導いてくださったアスタには、心から感謝しています」
「いやいや。それはみんな、レイナ=ルウが頑張ってきた成果だよ。サトゥラス伯爵家とのおつきあいに関してだって、俺はなにも関与していないからね」
「それでもわたしにかまど番としての手ほどきをしてくださったのは、アスタです。森辺のかまど番は誰もがアスタに感謝していますし、それが当然の話であるはずです」
「それを言うなら、こっちは俺みたいに得体の知れない人間を同胞として迎え入れてくれたことに感謝しているよ。そもそもドンダ=ルウが助力を許してくれなかったら、屋台の商売を始めることさえ難しかったんだからね」
「ええ。最後の決断をしてくれたドンダ父さんにも、それを後押ししてくれたアイ=ファやガズラン=ルティムにも感謝しなければなりませんね」
やはり、レイナ=ルウも小さからぬ感慨を抱いているのだろう。新たな商売を開始して、それが満足な結果で終わるというのは、やはりひとかたならぬ喜びであるのだ。
(まあ、俺たちはトゥランでも新しい商売を始めたけど……あれは屋台の商売っていうより、作業員の食事の世話を任されたようなもんだもんな)
そして、今はまだ新たな商売の一歩目である。レイナ=ルウが言う通り、本当の結果が出るのは先の話であるし――そのときこそ、俺たちはもっと大きな喜びを噛みしめられるはずであった。
「ジルベも今日は、お疲れ様。ずっと荷台の中で退屈だっただろうけど、次回からもよろしくね」
俺が背中を撫でてあげると、ジルベは何の不満もない様子で「わふっ」と応じてくれた。
そうして城門に到着したならば退場の手続きをして、いざ宿場町である。
この時点で、刻限はようやく下りの一の刻の半を回ったところであろう。露店区域にずらりと並べられた屋台はいずれも営業の真っただ中で、城下町とはひと味ちがう熱気と活力にあふれかえっていた。
「あ、アスタ! どうも、お疲れ様です! 城下町の商売は、如何でしたか?」
俺たちが大回りで屋台の裏側を目指すと、レイ=マトゥアが笑顔で呼びかけてきた。トゥランの商売は、もっとも遅く始まってもっとも早く終わるのだ。
「うん。初日としては、上々だったよ。レイ=マトゥアも、集落に戻らなかったんだね」
「はい! どうせ早く戻っても、勉強会が始まるまでやることもありませんので!」
雨季の間はお客も少ないし、本年に限っては研修生があふれかえっていたため、トゥランの当番は仕事を終えると集落に直帰していたのだ。もとより宿場町のほうも不足がないように人手をそろえているので、今後もトゥランの当番は直帰してかまわないと取り決めたばかりであった。
「城下町の屋台も、店じまいは下りの二の刻の予定でしたものね! 半刻ばかりも、早く売り切れてしまったわけですか?」
「移動にも時間がかかったから、店じまいは下りの一の刻だったよ。予定よりも一刻は早く売り切れちゃったわけだね」
「一刻もですか! それじゃあ、1・5倍の量を準備しても売り切ることができそうですね!」
「あはは。最初から最後まで大賑わいだったら、そういうことになるけどね。そこは慎重に取り決めようと思ってるよ」
そうして俺がレイ=マトゥアと語らっていると、スフィラ=ザザが菓子の販売に勤しんでいるトゥール=ディンのもとへと近づいていった。
「仕事中に、失礼いたします。菓子は問題なく、真っ先に売り切ることがかないました」
スフィラ=ザザがそのように告げると、こちらを振り返ったトゥール=ディンはぱあっと顔を輝かせた。
「ありがとうございます。スフィラ=ザザも、お疲れ様でした。……やっぱりみなさんの言う通り、もっとたくさんの菓子を準備するべきでしょうか?」
「それは、アスタたちと話し合うべきでしょう。よろしければ、わたしが屋台の仕事を受け持ちましょうか? いま話し合えば、集落に戻ってすぐに勉強会を始められますよ」
そんなスフィラ=ザザのありがたい提案によって、俺とトゥール=ディンとレイナ=ルウは屋台の裏で臨時の会議を開くことに相成った。
「少なくとも、今日よりは数を準備するべきだろうね。さっきレイ=マトゥアも言っていた通り、最初から最後まであの勢いだったら1・5倍の量でもさばけるだろうけど……最初はちょっと、様子を見るべきかな」
「はい。いきなり最大限の量を準備するというのは、あまりに早計なのでしょうね」
「わ、わたしもそう思います。品切れでお客を落胆させるのは心苦しい限りですけれど……族長たちにも、決して銅貨を無駄にしないようにと厳命されていますし……」
「そうだね。しかも城下町の屋台は営業時間を延長すると、そっちでも費用がかかっちゃうからさ。多少は品薄なほうが、プレミア感が――あ、いや、ありがたみも出るだろうから、今はまだ控えめな分量に留めるべきじゃないかな」
そうして三者の合議により、次回から料理の数は180食、菓子の数は200食ということに取り決められた。お客の中には菓子だけを買い求める人間もいなくはなかったし、そもそもひとりで1個に留めるお客のほうが少ないぐらいであったので、真っ先に売り切れてしまったのだった。
「そもそもトゥール=ディンの菓子には、ジェノス侯爵家の御用達っていう箔もついてるからね。一度は口にしてみたいって気持ちが、いっそうつのるんじゃないのかな」
「も、問題は、それが続くかどうかですよね。お客を失望させてしまわないように、今後も励みます」
と、トゥール=ディンはあくまで謙虚な姿勢である。
ちなみにこうして城下町で屋台を出す日には、オディフィアにもガトー・アールが準備されている。オディフィアに我慢を強いるのはあまりに気の毒であったので、使いの人間に宿場町まで取りに来てもらっているのだ。トゥール=ディンは今でも3日に1度のペースでオディフィアに菓子を準備しているので、それが隔日に変更されたわけであった。
「そういえば、もともと菓子を準備する日と城下町の営業日が重なった場合は、どうするのかな?」
「は、はい。そういう日も、がとーあーると別の菓子を両方お渡しすることになりました。片方は、夜に召しあがってもらえるそうです」
オディフィアの話題に及ぶと、トゥール=ディンの瞳に情愛の光があふれかえる。俺もまた、完璧な無表情を保持したオディフィアが透明の尻尾を振りたてながらガトー・アールを頬張っている姿を想像すると、心が和んでならなかった。
「きっと城下町の人たちも、オディフィアに負けないぐらい喜んでると思うよ。……あと、献立に関しては、やっぱりしばらく変更しない方向でかまわないかな?」
「ええ。まずは同じ品で、評判のほどをうかがうべきでしょう。……ただし、城下町では2種の料理しか扱えないので、あまり長きにわたると飽きられてしまう恐れがあるかもしれませんね」
「うん。頃合いを見て、違う料理を交互に出すようにするべきかな。まずはタラパが扱えるようになる時期まで、様子を見ることにしようか」
レイナ=ルウとトゥール=ディンは、それぞれ「はい」とうなずいた。
表にこぼれ出る気迫は比較にもならないが、その内に渦巻く意欲に関しては遜色ないのだろう。トゥール=ディンとて、森辺の代表として新たな商売を行うことには、大きな誇りと責任を抱いているはずであった。
まだまだ商売は始まったばかりで予断を許さないが、この顔ぶれだったら何の心配もなく突き進むことができるだろう。
そんな思いを噛みしめながら、俺は頼もしき同胞たちに笑いかけることになったのだった。




