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異世界料理道  作者: EDA
第九十一章 慶祝の黄の月(上)
1565/1695

新たな商売②~開店~

2024.12/3 更新分 1/1

「で? この後は、どうするんだっけ?」


 城下町の広場を前に、バルシャが御者台から呼びかけてくる。

 小さからぬ感慨にひたっていた俺は大急ぎで頭を切り替えながら、「はい」と答えた。


「まずは、いったん広場を通り抜けてください。ちょうどこの場所の向かいにあたる位置に別の出入り口があって、その先に屋台を貸し出す店があるはずです」


 ここからは、事前にシェイラから伝え聞いておいた知識も頼りとなる。屋台を貸し出す店は、広場を抜けた先の通りの西から3軒目で、朱色の縁取りの看板を掛けているとの話であった。


 人で賑わう広場を通り抜けて、建物の数を数えていくと、まさしく3軒目に朱色の縁取りの看板がうかがえる。そしてその内側には、ミケルから習った通りの『貸出屋』の文字が刻みつけられていた。


 宿場町では宿屋が屋台の貸し出しを受け持っているが、城下町には専門の店舗が存在するのである。それと同時に、屋台の出店の受付も担当しているのだという話であった。


「それじゃあ、俺とレイナ=ルウで手続きをしてきますね」


「おいおい。ここであんたたちを放っておいたら、あたしが出張ってきた意味がなくなっちまうだろ? こっちにはジルベっていう頼もしい護衛役がいるんだから、あたしが付き添うよ」


 ということで、ギルルの手綱はスフィラ=ザザに託されて、俺たちは3名で屋台の貸出店に足を踏み入れた。

 石造りの建物は実に立派であったが、扉を開けてみると四畳半ていどの小さな部屋が待ち受けている。そこで書面に目を走らせていた品のいい男性が、「いらっしゃいませ」と顔を上げ――そして、驚きに目を見開いた。


「あ、いや、どうも……もしかして、ご予約をされていた森辺の方々でしょうか?」


「はい、どうも初めまして。俺はファの家のアスタ、こちらはルウの家のレイナ=ルウにバルシャと申します」


 俺たちも慌ただしい日を送っていたので、来店のアポイントメントは人づてで頼むことになったのだ。よって、こちらのご主人と相対するのも初めてのことであった。


 城下町の民というのは、総じて小綺麗な身なりをしている。髪や髭などもきちんと整えられていて、衣服もまったく古びていないのだ。ロイやシリィ=ロウなどはそういう身なりを隠すために、城門から出る際には旅用のフードつきマントをかぶっているわけであった。


「ご丁寧に、ありがとうございます。わたしは森辺の方々にお会いするのも初めてなのですが……いやはや、風聞を上回るご立派な姿でございますな」


 まったく嫌味や皮肉ではない調子で、ご主人はそのように言いつのった。おそらくは、レイナ=ルウの容姿の秀麗さやバルシャの勇ましい風貌に感じ入っているのだろう。森辺の民というのはのきなみ旺盛な生命力を発散させているので、身なりの粗末さよりもまずはそちらに心を奪われるはずであった。


(まあ、バルシャは俺と同じく外の生まれだけど、もともとマサラの狩人だもんな)


 そして城下町の民というのは、森辺の民を忌避する気持ちを携えていない。森辺の民がさまざまな相手から忌避されていた時代にも、安全な石塀の内側で暮らす城下町の民にとっては他人事であったのだ――というのが、初めて城下町を散策した際に抱いた印象であった。


 しかしそれも、もはや1年以上前の話となる。俺たちが初めて自分の足で城下町に踏み込んだのは、一昨年の復活祭の直前であったのだ。

 よって、城下町でも日々情勢は移ろっており――その事実を、こちらのご主人が笑顔で告げてきたのだった。


「ですがわたしは、傀儡の劇を拝見いたしました。ファの家のアスタ……確かにあなたは、あの劇の主人公そのものです。お会いできて、心より光栄に思います」


「え? あ、はい……そうか、城下町でもあの劇はしょっちゅう公演されていたのですよね」


「はい。あれは、素晴らしい劇でした。そしてわたしも、自分の迂闊さを思い知ることがかなったのです」


 ご主人は受付台から身を起こし、しみじみとした面持ちで自分の胸もとに手を置いた。


「森辺の方々が生命を懸けてギバ狩りの仕事を果たしていたからこそ、ジェノスの繁栄があったのですね。恥ずかしながら、わたしはそんな自覚もなく安穏と日々を過ごしておりました。このたびは森辺の方々と商売できることを、心から嬉しく思っております。どうぞ今後とも、よろしくお願いいたします」


「はい。そのように言っていただけることを、こちらこそありがたく思います。城下町については知識が足りていない面もあるかと思いますが、失礼のないように取り計らいますので、どうぞよろしくお願いします」


 俺が頭を下げると、レイナ=ルウもつつましい面持ちで一礼した。

 ご主人はにこやかに微笑みながら、卓上の呼び鈴を持ち上げて軽く打ち鳴らす。それに呼ばれて、別室から若い娘さんが姿を現した。


「ご予約の、森辺の方々だ。いま手続きを済ませるので、その後は倉庫への案内をよろしく頼むよ」


「は、はい。承知いたしました」


 そちらの娘さんは恐縮しきった面持ちで、俺たちの姿を見回してくる。

 まずはバルシャの勇壮なる姿に首をすくめて、そののちに俺とレイナ=ルウの姿を見比べると、何故だか頬を赤らめてうつむいてしまう。何にせよ、こちらも好意的な印象を抱いてくれたようであった。


「それでは、こちらの貸出票に代表者のご記名をお願いいたします。2台の屋台を、上りの六の刻から下りの二の刻までの三刻で、間違いはなかったですね? 屋台の貸出料と広場の場所代の合計で、ちょうど白銅貨1枚となります」


 白銅貨1枚というのは赤銅貨10枚に該当し、俺の金銭感覚でいうと2000円ていどとなる。宿場町では日割りにすると赤銅貨4枚であるので、2・5倍の価格になるわけだが――それは、宿場町のほうがとりわけ割安なのだろうと思われた。


 そしてその後は、屋台を破損させた際に生じる弁済や、貸出時間の延滞料についてなども細かに語られる。森辺の民に対して何らかの感慨を抱きつつ、商売は商売としてきちんと割り切ってくれているのだ。これこそ、森辺の民が望む公正な取り扱いというものであった。


「また、城下町の居住者ならぬ方々におきましては、通行証を発行した御方が後見人というお立場になります。森辺のみなさんにとっては、ダレイム伯爵家のポルアース様がそれにあたるわけですね。何か不測の事態が生じました折にはポルアース様にすべての責任がふりかかってしまいますので、どうぞそのようにお心置きください」


「はい。何も問題を起こさないように、心がけます」


「森辺の方々に限っては、そのような心配もご無用でありましょうな」


 と、ご主人は最後にまたにこやかな笑顔を見せてくれた。


「それでは、倉庫にご案内いたします。どうぞ、よきご商売を」


 屋台の貸し出しの手続きを無事に終了させた俺たちは、建物の裏手へと案内された。

 宿場町の屋台の倉庫も立派なものであるが、城下町となるとその立派さに拍車が掛けられる。何せこちらは建物も石造りであるし、敷地面積が広いばかりでなく、3階建てであった。


「……こちらは2階や3階にも、屋台が保管されているのでしょうか?」


 レイナ=ルウが落ち着いた声で呼びかけると、案内役を受け持ってくれた娘さんはまた真っ赤になりながら「いえ!」と上ずった声をあげた。


「に、2階は椅子や卓や壁掛けなどの調度類、3階は貸衣装の倉庫として使われております。そういったものを貸し出すのが、わたしどもの商売ですので……」


「ああ、屋台ばかりでなく、さまざまなものを貸し出しているのですね。……でも、椅子や卓や壁掛けなどというものは、どういった理由で貸し出すことになるのでしょうか?」


「お、おおよそは、祝い事の席となります。貴族の方々であれば立派な衣装や調度なども自前で買いそろえておられるのでしょうが、市井の人間では費用がかかる上に、保管場所を確保する苦労まで生じますので……」


「なるほど。承知いたしました。ご丁寧に、ありがとうございます」


 レイナ=ルウは相手を刺激しないようにと、熱情を抑えてつつましく振る舞っている。しかし貸出屋の娘さんは、すっかりレイナ=ルウの秀麗な容姿に心を奪われている様子であった。


(まあ、アイ=ファみたいな王子様要素はゼロだけど、レイナ=ルウだってとびきりの美人さんだもんな)


 俺がそのように考えていると、娘さんの熱い眼差しが俺のほうにも向けられてきた。


「そ、それであの、そちらはファの家のアスタ様ですよね……? ア、アスタ様にお会いできて、心より光栄に思っています」


「え? あ、そうですか。でも俺は、様よばわりされる身分ではありませんので……」


「いえ! アスタ様はジェノスで一番の料理人と認められた御方ですし、傀儡の劇も拝見いたしました! ……実物は、こんなに凛々しい殿方であられたのですね」


 と、娘さんはいっそう赤くなってうつむいてしまう。

 俺が返答に窮していると、バルシャがにやにやと笑いながら囁きかけてきた。


「アイ=ファにいい土産話ができたね。できればあたしも、アイ=ファがどんな顔をするのか見届けたいところだよ」


「いやぁ、なんと申しますか……異性の容姿をみだりに褒めそやさないようにと注意するべきでしょうかね」


「野暮なことを言いなさんな。最近は、外の人間に森辺の習わしを押しつけすぎないようにって風潮なんだろ?」


 バルシャは愉快げに笑いながら、俺の背中をどやしつけてきた。

 そんなこんなで、倉庫の入り口に到着である。娘さんが頑丈そうな錠前を開けると、その内側には立派な屋台がずらりと並んでいた。


「え、ええと、みなさんにお貸しするのは、5番と6番の屋台ですね。破損がないか、ご確認をお願いいたします」


 娘さんの指示に従って、俺たちは3人がかりで屋台のチェックをさせていただいた。

 基本の造りは、宿場町の屋台と大差はない。ただ、木材が艶々と照り輝いているので、やっぱり立派な様相だ。あと、こちらの屋台はきちんと引手がついているので、運搬に便利そうであった。


「はい。問題ないようです。下りの二の刻までにお返しすればいいのですね?」


「は、はい。刻限を告げる鐘が鳴る前に、お願いいたします。……まあ、多少はお目こぼししてもらえるはずですが……」


「いえいえ。そこは公正にお願いいたします」


 俺が堅苦しくならないように気をつけながら伝えると、娘さんはまた真っ赤になってしまう。最近はこういうリアクションとも縁がなかったので、なんとも落ち着かない心地であった。


(まあ、貴婦人の中にはこういう人もいなくはないけど……それ以上に、アイ=ファの人気が絶大だからなぁ)


 そして俺は、アイ=ファに心を捧げた立場である。今日の出来事を隠し立てすることはできないが、くれぐれも誤解のないように取り計らわなくてはならなかった。


「それでは、お借りします。また二の刻に」


 そうして俺とレイナ=ルウは1台ずつの屋台を引いて、街路に舞い戻ることになった。

 そちらで待ちかまえていたスフィラ=ザザたちと、ようやくの合流である。再会の挨拶もそこそこに、俺たちはいざ広場を目指すことにした。


「さっき、六の刻の鐘が鳴ってたようだね。ちっとばっかり、出遅れちまったわけか」


 俺の隣を闊歩しながら、バルシャがそのように告げてくる。宿場町よりも車輪の回転がなめらかな屋台を引きながら、俺は「そうですね」と応じた。


「貸し出しの手続きで、少し時間をくっちゃいましたね。次回からは、同じ時間で問題ないと思います」


「でも、二の刻きっかりには屋台を返さないといけないから、普段よりも早めに商売を終える必要があるわけだね」


 それも、バルシャの言う通りである。宿場町の屋台の貸し出しは時間無制限であるが、城下町では三刻限りという条件で2・5倍の値段になるわけであった。


(それが、物価の違いのあらわれなんだろうな。石塀1枚をはさんだだけで、それぐらいの違いが生じるわけだ)


 またそれは、屋台で売りに出す料理の価格にも直結している。事前に相場を調べたところ、城下町における屋台の料理は宿場町のおよそ2倍の価格であったのだ。同じ数の料理を売れば、倍の売り上げになるわけであった。


(まあ、そのぶん屋台の貸出料と場所代がかさむわけだけど……そっちは一律なんだから、やっぱりけっこうな儲けだよな)


 さしあたって、ルウとファで売りに出す料理は一食分の三分の一という見当で、価格は赤銅貨2枚。委託販売であるトゥール=ディンの菓子は、ひと口サイズで赤銅貨1枚。数量は、すべて150個ずつである。赤銅貨10枚の手数料で赤銅貨750枚の売り上げを見込めるのであれば、やはり割のいい商売であった。


(まあ、それも完売が見込めたらの話だけどさ)


 そんな思いを胸に、俺は立派な広場へと足を踏み入れた。

 宿場町でもなかなか見られないぐらい広大な広場で、当然のようにすべてが石造りである。外周の石段はベンチのように座れる仕様になっており、今もそこでくつろぎながらおしゃべりに興じている人々の姿が多数見受けられた。


 あとは、子供たちがはしゃいでいたり、行商人らしき人々が荷車や台車を運んでいたり、ご老人がひなたぼっこを楽しんでいたり――そういうところは、宿場町と変わりはない。ただ、人々の身なりが小綺麗で、どことはなしに落ち着いた雰囲気を感じるていどである。


 ただ特筆するべきは、そこに屋台が出されていることと、異国人の姿が少ないことであろう。宿場町の広場は特別な日にしか商売をすることが許されないし、広場でも街道でももっとたくさんのシムやジャガルの人々が行き交っているのだった。


(城下町に足を踏み入れるには、通行証が必要なんだもんな。異国の行商人は貴族の伝手がない限り、足を踏み入れられないってことだ)


 そんな感慨が、1年以上ぶりに去来する。

 そしてそこには、貴族に伝手のある鉄具屋のディアルが待ち受けていたのだった。


「あー、来た来た! ちょっとこっちも遅れちゃったから、ひやひやしてたんだよー! アスタたちも、ずいぶんゆっくりだったんだねー!」


 子犬のように元気なディアルが、ちょこちょこと駆け寄ってくる。そして従者のラービスが飼い主のように追いかけてくるのも、いつも通りの光景だ。ただ、それを城下町の市井で目にするのは初めてであるはずであった。


「やあ、ディアル。わざわざ本当に来てくれたんだね」


「あったりまえじゃーん! 記念すべき、商売の初日なんだからさ! あっちこっちで、貴族のみなさんも目を光らせてるはずだよー!」


「確かにね」と、バルシャが分厚い肩をすくめた。


「この広場に戻ってきてから、視線がうるさくてしかたないよ。あの車に、あの車も……紋章なんかは掲げてないけど、手綱を握ってるのは腕の立つ剣士だ。きっとお忍びの、貴族連中だろうね」


 俺が視線を巡らせると、確かに妙にゆったりとした足取りでトトス車を引いている人間の姿がいくつか見受けられた。取り立てて不審なわけではないが、いかにも所在なさげな挙動である。


「貴族のみなさんですか。約束通り、料理を買いにいらしたんでしょうかね」


「いやー、リフレイアなんかは遠慮するって言ってたよ! さんざん宴料理を口にしてる貴族より、町の人たちが森辺の料理を味わうべきだろうってさ!」


 おひさまのような笑顔で、ディアルはそう言いたてた。


「でも、リフレイアもどこかの車から覗き見してるはずだよー! アスタたちの晴れ姿を見届けないわけにはいかないだろうしね!」


「そっか。それは料理を買ってもらうのと同じぐらい、ありがたいことだね」


 なおかつ、陰からこっそり見守るというのは、森辺の民が貴族に優遇されているという誤解を生まないための配慮であるのだろう。それもまた、俺たちにとってはありがたい限りであった。


「それに、注目してるのは貴族連中ばかりじゃないようだよ。さっさと準備を始めたほうがいいんじゃないのかね」


「そーそー! どうも町の人たちにも、アスタたちが屋台を出すって評判が出回ってるみたいだよー! だから僕も、大急ぎで駆けつけたってわけさ!」


「そっか。それもそれで、ありがたい話だね」


 ともあれ、開店の予定時刻はとっくに過ぎているのである。取り急ぎ、俺たちは所定のスペースを目指すことにした。

 広場で屋台を出すスペースは厳密に取り決められており、そちらは石畳の色を変えることで示されている。そちらのスペースでは、すでにいくつもの屋台が商売を始めていた。


 過半数は軽食の屋台だが、飾り物や織物などを販売する屋台もあちこちに見受けられる。そしてやっぱり同系統の店舗が寄り集まっているようであったので、俺たちは美味しそうな匂いを辿る格好で自分たちの居場所を定めることになった。


(他の軽食の屋台と軒を並べるっていうのは、初めての体験だな)


 宿場町ではいつも北の端のスペースに陣取っているし、隣で屋台を出すのはいつも軽食ならぬ店であったのだ。闘技場でも食器を扱う関係から他の屋台の邪魔にならないように距離を取っていたので、このように隣接するのは初めてのことであった。


 他なる屋台を見習って、屋台1台分のスペースを空けて、俺たちは腰を落ち着けた。

 荷車は、屋台の裏で待機である。この場所には木も茂っていないので、ギルルは早々に丸くなってしまった。


「さあ、それじゃあ準備を始めようか。スフィラ=ザザ、よろしくお願いします」


「はい。よろしくお願いいたします。まずは、何から始めましょう?」


「それじゃあ、こちらの木箱と蒸し籠を屋台のほうに運んでから、火の準備をお願いします」


 その間に、俺は持参した樽から鉄鍋に水を注ぎ入れた。城下町の井戸までは距離があったので、水と樽まで持参することになったのだ。

 内部の火鉢に火が灯された屋台に水を張った鉄鍋を設置したならば、さらに4段の蒸し籠を重ねていく。あとは、料理が温まるのを待つばかりである。


 いっぽうレイナ=ルウのほうは、鉄板が温まるのを待っている。あちらは集落で調合した具材を現地で焼きあげるという、『ケル焼き』や『ポイタン巻き』と同じスタイルだ。手間がかかるのはあちらのほうなので、菓子の委託販売はこちらで受け持つ手はずになっていた。


(うーん。やっぱり屋台を2台だけ並べてると、宿場町で商売を始めた頃のことを思い出しちゃうな)


 開店当初は屋台も1台きりであったが、数日後には2台に増設することになったのだ。あの頃は、ヴィナ・ルウ=リリンとシーラ=ルウとララ=ルウ、そして交代要員のリィ=スドラとともに商売に励んでいたのだった。


(それに今日も商売の初日だから、余計に印象が重なるのかな。俺が初めて屋台を開いた日は……《銀の壺》の団員のひとりが最初に料理を買ってくれたんだっけ)


 俺がそんな感慨を噛みしめていると、東の民ならぬ南の民のディアルがさっそく屋台の前に立ち並び――そして、広場のあちこちからわらわらと人が集まり始めた。


「失礼します。こちらは森辺のギバ料理の屋台ですね? 本日は、どういった献立であるのでしょう?」


 ディアルの肩越しに、壮年の男性が問いかけてくる。いかにも穏やかな物腰であったが、その目は好奇心にきらめいていた。


「はい。今日の献立は、シャスカ料理と香味焼きと焼き菓子です。料理は一食分の三分の一という見当で赤銅貨2枚、菓子はひと口ていどの大きさで赤銅貨1枚となりますね」


「ふむ。ひと口ていどで赤銅貨1枚というのは、なかなかのお値段であるようですが……それが試食会で優勝したという、トゥール=ディンなる御方の品なのでしょうかな?」


 すると、スフィラ=ザザが身を乗り出しつつ「はい」と応じた。


「こちらの菓子は作りあげるのに小さからぬ手間が生じるため、その値段に定められました。また、こちらはきわめて濃厚な味わいですので、食後に食するにはひとつかふたつで十分かと思われます」


「なるほど。どういったお味なのか、気になるところでありますな」


 そんなやりとりをしている間にも、どんどん行列はのびていく。そしてルウの屋台で調理が開始されると、たちまち倍する勢いで人が寄り集まってきた。


「通行の邪魔にならないように、列は横に並んでいただきたい!」


 と、どこからともなく出現した衛兵たちが、行列の整理を開始する。城下町ではこれが通例であるので、お客の管理に人員を割く必要はないと事前に言い渡されていた。


 それにしても――これは、なかなかの集客である。

 宿場町の屋台でも3、40名のお客が待ちかまえているのが常であるが、それとも比較にならない人数だ。なんとなく、宿場町で評判を得た直後を思わせる賑わいであった。


(やっぱり最初は、あれこれ関心を集めるんだろうな。おかしな騒ぎにならないように、大々的な告知は避けてたけど……あんまり意味がなかったみたいだ)


 まず、貴族の間では開店の日取りも知れ渡っていたし、貸出屋の線から情報がもれることもあるのだろう。それで風聞が行き渡り、この事態を招いたというわけであった。


(だけど重要なのは、今日来てくれたみなさんにご満足いただけるかどうかだ。料理が期待外れの出来栄えだったら、次回からは閑古鳥だろうしな)


 俺がそのように考えていると、隣の屋台からレイナ=ルウが呼びかけてきた。


「アスタ、こちらも準備ができました。いつでも始められます」


「うん、了解。それじゃあ、開店しよう」


 俺がそのように告げると、目の前のディアルが嬉々としてラービスの腕を引っ張った。ラービスは不愛想な無表情のまま、銅貨の詰まった布袋を取り出す。


「では、こちらの料理を2点お願いいたします。……菓子も、こちらで購入できるのでしょうか?」


「はい。菓子は、おいくつにしますか?」


 俺の合図で、スフィラ=ザザが木箱の蓋を取り除く。

 そこに詰め込まれていたのは、四角く切り分けられた淡い褐色の焼き菓子――栗のごときアールを使った、ガトー・アールであった。


「わー、ちっちゃい! こんなの、ひとつじゃ満足できないよ! 僕とラービスに、みっつずつね!」


「それじゃあお代は、赤銅貨10枚ですね」


 この時点で、俺の感覚的には2000円に該当する。そもそも俺たちはシャスカ料理と香味焼きとガトー・アールをひとつずつで満腹になるという計算であったのだが、南の民というのはおおよそ西の民よりも健啖家であるのだ。そしてこのディアルは大柄なラービスと同程度の胃袋を備えていることを、俺はずいぶんな昔から思い知らされていた。


(これでレイナ=ルウの香味焼きをひとつずつ買ったら、合計赤銅貨14枚か。まあ、ディアルだったら痛くも何ともない出費だろうけど……ひとり頭1400円って考えると、なかなか豪勢なランチだなぁ)


 それはひとえに、人並み以上の食欲を有するディアルが菓子を多めに購入したためである。ガトー・アールはきわめて濃厚な味わいであるため、食後の菓子としてはひとつかふたつで十分であるのだ。食の細い女性や老人や幼子などであれば、料理の片方とひとつまみのガトー・アールで満足できるはずであった。


 ともあれ、商品が売れたことに文句をつけるいわれはない。スフィラ=ザザが銅貨を受け取るのを見届けたのち、俺はふたつの料理を差し出した。


 俺が準備したシャスカ料理は、ギバのミソ煮込みを封入したおにぎりである。

 こちらはかねてより、城下町の商売に備えて考案していた料理のひとつであった。シャスカはフワノよりも割高であるために宿場町では扱いづらく、それで城下町の屋台で初めてお披露目することに決めたわけであった。


 なお、森辺でもっとも好評であったのはオムライス仕立てのおにぎりであったが、雨季が明けたばかりである現在はまだトマトのごときタラパが使えない状態であるため、こちらの品を準備した。


 ただしこちらも準備期間の長さを活かして、さまざまな細工を追加している。

 特筆すべきは、シャスカをタウ油仕立ての炊き込みシャスカに仕上げたことであろう。俺の故郷では白米のおにぎりが主流であったが、屋台の料理で売りに出すにはもう少し彩りが必要であろうと思案した結果であった。


 炊き込みシャスカは、ニンジンのごときネェノン、凝り豆から作りあげた油揚げ、ブナシメジモドキ、シイタケモドキという具材を使っており、炊きあげたのちに軽くホボイの油を馴染ませている。こちらの品は作り置きであるので、シャスカの水分が逃げすぎないようにという措置である。そのホボイの油も風味がくどくならないように、南の王都から届けられる上等な品を使っていた。


 そんな炊き込みシャスカの中にギバのミソ煮込みを封入したのち、おにぎりに仕上げて、卵の皮を巻いている。わざわざ蒸し籠で温めているのは、ジェノスにおいては温かい料理のほうが好まれているためだ。城下町においても、黒フワノのそばは冷たいつけそばよりも温かいかけそばのほうが圧倒的な人気であると聞き及んでいた。


「それではわたしは、料理と菓子を3個ずつお願いいたします」


 ほくほく顔のディアルが場所を空けると、開店前に語りかけてきた男性がやわらかな笑顔でそう告げてきた。


「料理と菓子を3個ずつですね。こちらのシャスカ料理はけっこうお腹にたまるかと思われますが、大丈夫でしょうか?」


「ご丁寧に、ありがとうございます。あちらに連れを待たせておりますので、問題ありません」


「それは失礼いたしました。料理と菓子が3個ずつで、お代は赤銅貨9枚となります」


 そんな調子で、炊き込みシャスカのおにぎりとガトー・アールは続々と売れていった。

 レイナ=ルウの仕上げた香味焼きのほうも、出足は好調なようである。あちらは鉄板で料理を仕上げている分、その刺激的な香りがいっそうお客の関心をひいているはずであった。


 レイナ=ルウもこの日に備えて数々の試作品を作りあげていたが、けっきょくは香味焼きに行き着いた。

 ただそれは、雨季の関係でタラパが使えないのと、俺がシャスカ料理を受け持ったことに由来する。レイナ=ルウは他にも数々の素晴らしい料理を考案しているので、それは時期を見てお披露目する予定であった。


 それにこちらの香味焼きも、もちろん宿場町の屋台で出している品とはまったく内容が違っている。材料費に倍の値段をかけられるため、いっそう豪奢に仕上げられているのだ。


 それにレイナ=ルウは、新しく出回ったばかりである東の王都の食材を扱うことにも意欲的であった。それで、すでに完成していた香味焼きにアンテラ風味の油やゼグの塩漬けなども盛り込んで、さらなる進化を目指したのだった。


(まあ、ゼグの塩漬けなんかは前々から研究してたみたいだけど、アンテラ風味の油なんかはつい最近になって知ったんだもんなぁ)


 なおかつそれは、俺がレイナ=ルウに伝授した話であった。アンテラに似たトリュフは、俺の故郷において油に漬けて香りを移す手法が存在したような気がする――と、雨季が明ける前後ぐらいに、そんな話を伝えたのである。


 俺が思い出したのは、トリュフオイルという品である。トリュフの香りがするオイルを料理にまぶすだけで、たちまち風味が一変する――といった話を、どこかで聞いたような覚えがあったのだ。ただ俺はその品を味わった経験もなかったので、アンテラを手にした当初はすっかり忘却の彼方であったのだった。


 なおかつ、アンテラを油に漬けて香りを移すという手法に関しては、もともとセルフォマから伝授されていた話でもある。ただし、東の王都では使用している油が異なっているため、ジェノスに存在するレテンやホボイやラマンパの油ではどのような仕上がりになるかも不明であるという話であったのだ。それで、俺がトリュフオイルのことを思い出したのをきっかけに、レイナ=ルウが果てなき探求心を発露させたわけであった。


 結果的に、このたびの香味焼きはまた新たな魅力を獲得することになった。

 焼き上げるのにアンテラ風味のレテンの油を使い、それに合わせて香草の調合を微調整した香味焼きは、またこれまでと一風異なる味わいに仕上がったのである。


 レイナ=ルウは2ケタに及ぶ香草を使用しており、その中にはハバネロのごときギラ=イラも含まれている。それでもぎりぎり幼子でも口にできるぐらいの辛みに抑えられており、それがトリュフのごときアンテラの複雑な香気で華やかに彩られているのだった。


 具材は、ギバのバラ肉、カニのごときゼグ、パプリカのごときマ・プラ、長ネギのごときユラル・パ、レンコンのごときネルッサ、生鮮のウドのごときニレ、ゴーヤのごときカザック、マツタケに似たアラルの茸といった感じで、味のベースはオイスターソースのごとき貝醬と魚醤とタウ油、さらにはホタテガイに似た貝類の出汁も使われている。さまざまな時期にさまざまな地から届けられた食材が、まんべんなく使われているという印象であった。


 そしてさらに、その具材をくるむのは黒フワノの生地であり、そちらには豆乳やトビウオに似たアネイラの出汁が使われている。レイナ=ルウはかつてシャスカを具材のように扱うという目新しい料理を考案していたが、バナーム城の料理番たるカルスに食べ心地が重いと評されたのをきっかけに、黒フワノの生地の開発に執心するようになったのだ。その成果が、こちらの香味焼きにも活用されたわけであった。


 やはり3ヶ月以上も準備期間があると、試行錯誤の度が過ぎてしまう印象も否めなかったが――しかしレイナ=ルウはその飽くなき執念でもって、こちらの香味焼きを素晴らしい味わいにまとめあげた。これは城下町の民に好まれる複雑さと森辺の民に好まれる力強さをあわせ持った品であろう。レイナ=ルウの気合が空回りすることなく幸福な結実を遂げたことを、俺はひそかに喜ばしく思っていた。


 そんな中、トゥール=ディンだけは昔ながらのガトー・アールである。

 まあ、昔と言っても栗に似たアールを手中にしたのはごく近年であったが、トゥール=ディンは雨季に入る前からこちらの菓子を考案していたのだ。それからはひたすら微調整を繰り返すばかりで、取り立てて大きな変化は見られなかった。


 しかしまた、そういう作業を苦にしないのはトゥール=ディンの美点であろう。トゥール=ディンは次々と目新しい菓子を考案し続けながら、既存の品にも余念なく手を加えているのだ。そうしてトゥール=ディンであるならば、考案したばかりの目新しい菓子よりも入念に微調整を施した菓子のほうが商品として扱うのに相応しいと考えるのかもしれなかった。


 まあ何にせよ、レイナ=ルウもトゥール=ディンも頼もしい限りである。

 そして、俺を含むかまど番の苦労は、今まさに目の前で報われようとしていた。屋台の前にできた行列はいっかな短くなる様子もなく、料理は飛ぶように売れていったのだった。


「……これは、ずいぶん早々に売り切れてしまいそうですね」


 料理の温めなおしが追いつかなくなって手が空くと、スフィラ=ザザがそんな風に囁きかけてきた。

 俺は満ち足りた思いで、「そうですね」と答える。


「でも、勝負はこれからです。今日の料理で満足してもらえなかったら、次からは同じ客足も見込めませんからね」


「ええ、それはわかります。……ですが、答えはもう出ているのではないでしょうか?」


 と、スフィラ=ザザはクールな面持ちのまま、目もとだけで微笑んだ。

 屋台の周囲では、たくさんの人々が料理を頬張っているのである。そちらから感じる賑わいが、俺とスフィラ=ザザの心を満たしているのだった。

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― 新着の感想 ―
ティアルが来るだろと思いました ジェノス中でも今まであまり触れなかった場所を感じさせました。そして色々新しい縁が出来そうな予感ですね。
おにぎり食べたくなってきた
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