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異世界料理道  作者: EDA
第八章 徒然なる日々
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⑦玄翁亭(下)

2015.1/5 更新分 1/1

 翌日の中天過ぎ。俺たちはまた同じ顔ぶれで《玄翁亭》に集うことになった。


「お待たせしました。これがチット漬けを使った料理になります」


 無表情に立ちつくすネイルとシュミラルの前に、俺は2枚ずつの木皿を並べてみせる。


『チット鍋』は家で作ってきたのを温めなおしたもの、『ギバ・チット』はこの厨房で作りあげたものだ。


 チット漬けは、熱することによってその香りが爆発的に増幅される。ヴィナ=ルウとシン=ルウはお行儀のよい無表情を保ったまま、さりげなく窓際に退避していた。


「なるほど。生のチットを使った料理とはずいぶん仕上がりが異なるようですね。これは楽しみです」


 そんなことを言いながら、ネイルは『ギバ・チット』の木皿を取りあげる。


「しかし、チット漬けを私から買い上げる分、材料費がずいぶんとかさんでしまうのではないですか? これで貴方の利益になるのでしょうか?」


「はい。他の料理に比べると材料費は倍近くに跳ね上がってしまいますが。生のチットを使った献立を完成させるには少し時間がかかってしまいそうなので、今回はこれでいこうかと」


 生のチットの実を使えば、原価率はうんと下げられるだろう。だが、ネイル自家製のチット漬けを使用したこれらの料理に負けない献立をあみだすには、しばらくの研究期間が必要だと思われた。


 もちろん今日からは、その研究に取り組む所存である。ギバ肉を安価で手に入れることができるという現在の立場にあぐらをかいて、原価率を二の次にするつもりはない。


 しかしまた――シュミラルはあと半月足らずでこのジェノスを去ってしまうのだ。

 だったら、現時点で俺がベストと思える料理の味を味わってほしいではないか。


 そんな思いもあっての、『ギバ・チット』と『チット鍋』なのだった。


「では、賜ります」


 ネイルとシュミラルが木匙を取る。

 どちらも、まずは『ギバ・チット』からだった。


 そいつを一口食べるなり――シュミラルの切れ長の目が、今まで見た中で1番はっきりと大きく見開かれたような気がした。


 しかし、とりたてて感想を口にしようとはせず、『チット鍋』の器を取り上げる。

 木匙ですくったスープを一口すすり、今度はまぶたを閉ざしてしまう。


「いかがでしょうか?」と、俺は尋ねようとした。

 しかしそれは、「美味い!」という大声によってかき消されてしまった。


 もちろんシュミラルではなく、ネイルの声である。

 ネイルは、『ギバ・チット』の器を携えたまま、わなわなと震え始めてしまっていた。


「何と鮮烈な味付けでしょう! 確かにこれは私のチット漬けの味ですが、それだけではありませんね? ミャームーですか? ミャームーを付け加えたのですか?」


 ほんのつい先刻までシュミラルに劣らぬ無表情であったご主人が、驚愕の表情で俺を振り返る。


「あ、は、はい。あとは、タウ油も少々使っております」


「タウ油ですか! ううむ美味い! しかしやっぱり、決め手はギバの肉なのでしょうな! この肉は、実にチット漬けの風味に合います!」


 それからネイルは『チット鍋』の器をひっつかみ、ズズズと音をたてて飲んだ。


「こちらも美味い! 何と深みのある味でしょう! ただすり潰したチットの実を入れただけの鍋とは完全に別物です! まさかチット漬けにこのような食べ方があったとは……ああ美味い! これなら何杯でも食べることができてしまいそうです!」


「きょ、恐縮です」


 驚き呆れる俺たちの目の前で、ネイルはあっという間に『チット鍋』を食べつくしてしまった。

 興奮したせいか、あるいはチットの実の効能か、象牙色の顔が真っ赤に染まり、おまけに汗だくである。


「これは間違いなく、お客様にも喜んでいただけます! ああ、私のチット漬けにこのような食べ方があったとは! アスタ! 貴方は噂に違わぬ料理人です! 貴方と巡り会えた幸運を、私は西方神セルヴァと東方神シムの双方に感謝せねばなりません! この料理は本当に――」


 と、そこでネイルは我に返り、慌てふためいた様子でかたわらのシュミラルを振り返った。


 シュミラルは、変わらぬ無表情でじっとご主人を見つめている。


「も……申し訳ありません! 東からのお客様の前で、ついはしたなくも感情をさらけだしてしまいました……」


「問題、ないです。ネイル、大事な友です」


 シュミラルに穏やかに応じられ、それでもネイルは真っ赤なお顔のままうつむいてしまった。


「シュミラルのほうは、いかがでしたか?」


 沈黙の長さが気まずさを生みださぬ内に、俺はさりげなく言葉をはさんでみることにした。

 シュミラルは振り返り、ジザ=ルウよりも細く目を細める。


「とても美味です。……1番美味、思います」


 そして俺は、その薄めの唇がほんの少しだけ口角を上げ、とても柔らかい微笑を浮かべるのを、初めてはっきりと目の当たりにすることになった。


「私も、感情出す、恥ずかしいです。……でも、美味です」


「あ、ありがとうございます」


 俺は何だか、胸が詰まるような思いだった。

 そんな中、懐から取り出した手ぬぐいで汗をぬぐい、多少なりとも冷静さを取り戻したネイルが「いや、本当に驚きました」と声をあげる。


「どちらも美味です。私にはどちらかを選ぶことなどできそうにありません。できればこの2種類の料理を日替わりで提供していただけませんか?」


「それはかまいませんが、しかし、こちらの汁物のほうは、煮込むのに時間がかかってしまうのですよね。できれば俺が仕事を切り上げた後も、肉が柔らかくなるまで弱火で煮込み続けてほしいのですが……」


「かまいません。毎日30食分のチット漬けを買ってもらえるだけで私には利益が生じるのですから、それぐらいの仕事は喜んでお引き受けいたしましょう」


 どうやら分量も30食で確定されたようだ。

 これにて、《玄翁亭》における仕事も無事締結、である。


「あなたは不思議な人ですね、アスタ。どうして貴方のような料理人が宿場町にいるのでしょう? もしかしたら、出自はどこかの城下町なのですか?」


「いや、城下町なんていう大層な場所で生まれたわけではないんですが。俺の故郷では、料理屋なんて珍しいものではなかったんですよ」


「失礼ですが、お生まれはどちらで? 西の王国ではあるのでしょう?」


 その質問は、ひさびさだった。


「俺はこの大陸の出自ではないんです。日本という島国が俺の故郷なんですよ。それがどういったわけなのか、ある日、気づいたら、モルガの森の中で倒れていたんです」


「にほん……わかりませんね。そもそも海の外の民と繋がりがあるのは、北の王国マヒュドラだけですよね?」


「そうなのですか。俺もどういう経緯で自分がこの大陸にやってくることになったのかはさっぱりわからないのです」


 ネイルは不思議そうに首を傾げ、シュミラルは、物思わしげに目を細めていた。


 何だか、とても心配そうな目つきである。


「だけど、西の王国の生まれでないというのなら、納得できました。だからこそ、貴方は何の抵抗もなく森辺に住み、森辺の民と心を通い合わすことがかなったのですね」


 礼儀正しい無表情は取り戻しつつも、まだいくぶん饒舌気味のネイルがそんな風に言葉を重ねてきた。


「それは、素晴らしいことだと思います。私は若い頃にシムへとおもむき、その不可思議な文化に心酔したのですが、さすがに神を捨てることはできませんでした。しかし、思うのです。どうして四大王国の民は、もっとおたがいに歩み寄ることができないのか、と」


「はあ。でも、西の王国にとってはシムもジャガルも友国なのですよね?」


「それはその通りです。ですが、友はあくまでも友であり、たとえば家族になることなどは許されておりません。それでも子などを生してしまった場合は、父なき子、母なき子としてどちらかの神を選ばせなくてはならないのです」


 その話は、初耳だった。

 ネイルは、うっすらと苦笑気味の笑みをたたえる。


「だから私は、妻を娶るならば東の民と決めているのですが、自身が神を捨てる決心も、相手に神を捨てさせることを強要する決心もできぬため、このような年齢まで独り身をつらぬくことになってしまったのですよ」


 ならば、《南の大樹亭》のナウディスも、いささかならず複雑な出自を背負って生まれてきた、ということか。

 そんな話は、敵対国であるという西と北の間に生まれたカミュアのような人間だけが背負わされているのかと思っていた。


「そんな中で、種族の壁を越えて森辺の民として振る舞う貴方には、以前から強い興味を抱いておりました。有り体に言って、自由に振る舞う貴方を羨ましくも思っていたのですが――貴方は最初から、四大神の子ではなかったということなのですね」


 そう言って、ネイルはずいっと顔を寄せてきた。


「神を捨てるというのは、並大抵のことではありません。それゆえに、ジャガルを捨ててセルヴァの子となった森辺の民は、ああして不遇の生を与えられることになったのでしょう。その点に関しても、私はずっと心を痛めていました。アスタ、神を持たない貴方が森辺にやってきたことは、彼らにとって大きな転機になるはずです。どうか彼らにこれからも良き運命を――」


「……俺なんかにできるのは、料理を作ることぐらいですけどね」


「それで十分なのではないでしょうか」と、ネイルはこらえかねたように微笑した。


 それは、別に無理をして無表情をこさえなくても良いのではなかろうか、と思えるぐらい温かみのある笑顔だった。


             ◇


 その後はこれといった波乱もなく、俺たちはゆとりをもって《玄翁亭》を後にすることになった。


 表通りほどではないにせよ通行人の多い小路を歩きながら、シュミラルが静かに語りかけてくる。


「アスタ、大陸の人間、ないのですね」


「え? ああ、はい。今まではあまりそういうお話をする機会もありませんでしたね」


 何となく、シュミラルはあまり元気がないように見えた。

 日本という国の生まれである、という話はしたと思うが、それがこの大陸内の国ではない、とまでは説明していなかったはずなのだ、たしか。


「すみません。もっと早くにお話するべきだったでしょうか? 別に隠していたわけではないんですが……」


「いえ。生まれ、関係ありません。私、アスタ、異国の友、思っています。ただ、アスタ、不思議な理由、少しわかりました。……アスタ、星、見えなかったのです」


「星?」


「同胞、星、読みました。凶星、去る、知りました。だけど、アスタの星、見えなかったのです」


 すっと切れ上がったまぶたの狭間でとても綺麗に光る黒い瞳が、思慮深げに俺を見る。


「アスタ、行く末、心配でした。だから、同胞、アスタの星、読もうとしました。ですが、アスタの星、読めませんでした。……アスタ、存在しない、同胞、言いました」


「それは……」と反問しかけたが、後が続かなかった。

 普段は腹の底に押し込めてある不安感が、むくむくと膨れあがってきそうになる。

 それが明確な形を取る寸前に――シュミラルが、やおら俺の指先をつかんできた。


「だけど、アスタ、存在します。アスタ、大事な友です。……アスタ、許してくれるならば」


「……俺もシュミラルは大事な友人だと思っています」


 俺はこわばりそうになる顔に力を込めて、何とか笑みを浮かべてみせる。


「お客様を相手にこのようなことを言ってしまうのはどうかと思いますが、もうずっと前からそんな風に思っていました。あと10日ていどでお別れになってしまうのは、とてもさびしいです」


「離れていても、友です。《銀の壺》、またジェノス、戻ってきます。シム、帰っても、ジェノス、何度でも来ます。アスタ、会う、楽しみにしています」


 青の月が終わったら、シュミラル率いる《銀の壺》はジェノスを経ち、西の王国で行商を続けるのだ。


 最終的には王都まで出向き、ジェノスに戻ってくるのは3ヶ月後。その後、本国のシムに帰還する予定なのだという。


 生きてさえいれば、何度でも会う機会はあるだろう。

 生きてさえいれば――

 そして、俺の存在がここでない何処かに飛ばされたりさえ、しなければ。


(だけど、それでも――)


 俺は、この世界で出会った人々のことを、忘れたりはしないだろう。

 たとえまた異なる世界に飛ばされてしまったり、元の世界に戻されてしまったり――それで今度こそ終わりの業火に灼き滅ぼされることになったとしても、意識が消滅するその瞬間まで、俺は絶対にこの世界で出会った人々や、この世界での暮らしを忘れたりはしない。


 そんな思いを新たにすることで、俺はシュミラルに笑い返すことができた。


「ありがとうございます。どんなに離れていようとも、俺もシュミラルの無事を祈っています」


「……何だか、契の約定を交わした男と女みたいなやりとりねぇ……」


 と、いくぶんむくれた様子で、ヴィナ=ルウが横合いから口をはさんできた。


「それに、あなたたちはまだ10日以上もこの町に留まるんでしょぉ……?」


「はい。青の月、終わるまで、います」


 シュミラルはちょっと困った感じに目を細め、俺の指先から手を離す。


「残り、12日。アスタ、料理、食べられる、嬉しいです」


「はい。毎日美味しい料理をお届けできるよう、励みます」


 そういえば、ヴィナ=ルウのことはもういいのだろうか、と俺は余計な心配をかきたてられてしまった。


 そしてまた、思う。

 シュミラルとヴィナ=ルウは、神の異なる種族であるのだ。

 そんな2人が結ばれるには、どちらかが神を乗り換えるしかない。それがいかに難しい話であるかは、たったいまネイルに聞かされてきたばかりである。


 それに、シュミラルはジェノスの城や西の王都にまで繋がりのある商団の団長であり、ヴィナ=ルウはいまや森辺の族長筋の長姉であるのだ。神を捨てるということは、そういった立場や身分や――そして、数多くの同胞を捨て去る、ということでもあるのだろう。それは、生半可な話ではない。


(……って、シュミラルがヴィナ=ルウに恋心を抱いてるかどうかもわからないのに、俺が頭を悩ませる必要もないか)


 だけど、もしも万が一、俺の憶測ないし妄想が的を射ているというのならば、誰も悲しまないような結末を願うばかりである。


 神が異なると言ったって、同じ世界に住む住人同士ではないか。

 そんな人たちさえ幸福になれなかったら、俺の行く末なんて真っ暗だ。


 どうか俺の大事な友人たちに、悲しい未来など訪れませんように、と――そんなガラにもないことを、俺は心の中でこっそり願っておくことにした。

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