白くて小さな花のように(下)
2024.10/25 更新分 1/1
「それじゃあ、作業を始めようか。美味しいお菓子を作って、リミ=ルウに喜んでもらおうね」
そんなアスタの優しい言葉とともに、ケーキ作りの作業が始められた。
ダレイムではなかなかケーキを手掛ける機会もないので、ターラはアスタの言いつけに従うのみである。フワノの粉を取り分けて、カロンの乳やキミュスの卵や砂糖などを混ぜ合わせていると、ターラの胸にはふつふつと温かい気持ちがわきたっていった。
2年前も、ターラはこうしてアスタとともにケーキを手掛けることになったのだ。
あの日のリミ=ルウの輝くような笑顔が、ターラの胸をどんどん温かくしていく。リミ=ルウの特別な日にお祝いの菓子を準備できるというのは、ターラにとってまたとない喜びであった。
「そういえば、ターラもずいぶん髪がのびてきたみたいだね」
と、アスタにふいにそんな言葉を投げかけられて、ターラは頬が熱くなるのを感じた。
「う、うん。リミ=ルウが髪をのばすなら、ターラものばしたいなって思って……やっぱり、おかしい?」
「ちっともおかしくなんてないよ。ターラも綺麗な髪の色をしているから、長くのばしたらもっと素敵になりそうだね」
「そ、そんなことないよぅ」と答えながら、ターラは顔だけでなく全身が熱くなる思いであった。
これまでは、髪をのばそうなどと考えたことはなかった。髪を長くしても邪魔なだけであるのだから、男の子に見間違われないていどにのばしておけばいいというぐらいの気持ちであったのだ。
然して、昨年の生誕の日から、リミ=ルウは髪をのばし始めた。森辺の女衆は、10歳の年から髪をのばすという習わしであったのだ。
それでターラは、数年後のリミ=ルウを想像した。赤みがかっていてふわふわと波打つ髪を腰までのばして、レイナ=ルウやララ=ルウのように美しく成長したリミ=ルウの姿を思い浮かべると――ターラは俄然、羨ましくなってしまったのだった。
(わたしが髪をのばしたって、あんなに綺麗にはなれないだろうけど……)
しかし、宿場町で仲良くしている《キミュスの尻尾亭》のテリア=マスも、ターラよりは長く髪をのばしている。そうして普段は三つ編みにしているが、レビと婚儀を挙げる際にはそれをふわりと垂らしており――それが、うっとりするぐらい綺麗であったのだった。
(わたしがそんなことを考えてるって知ったら、アスタおにいちゃんにどう思われるだろう?)
そうしてターラがもじもじしていると、アスタはにこにこと笑いながら言葉を重ねた。
「もう少し長くなったら、無理なく結えそうだね。俺なんて癖っ毛の上に猫っ毛だから、ちょっと放っておくとぼさぼさになって、もう大変なんだよ」
それは、ターラを茶化そうなどという考えは微塵も感じられない表情と物言いであった。
ターラはほっとしながら、アスタの黒い髪を検分する。長くも短くもないアスタの髪は、いつでもあちこち毛先が跳ねていた。
「猫っ毛って、猫みたいな毛ってこと? アスタおにいちゃんの髪って、リミ=ルウみたいにふわふわしてるもんね!」
「うんうん。でも俺がリミ=ルウみたいに長くのばしたら、大変なことになっちゃいそうだろ?」
「あはは! ちょっと面白いかも! 花飾りとかつけたら、かわいいんじゃない?」
ターラが笑い声をあげると、アスタも可笑しそうに笑ってくれた。
やっぱりアスタは優しいし、とても楽しい人間であった。アスタももうすぐ20歳になるという話であったが、大人っぽい部分と子供っぽい部分を両方持っている。そしてターラと接するときも変に子供あつかいしたりはせずに、自分の子供っぽい部分をさらけだして対等に扱ってくれるのだった。
「よー、やってんなー。腹ぺこだから、さっさと頼むぜー?」
と、窓の外が暗くなってきた頃、いきなりかまど小屋の戸板が開かれた。
ターラが笑顔で振り返ると、その人物も「よー」と笑顔を返してくる。その朗らかな声から察せられた通り、それはリミ=ルウの兄のひとりであるルド=ルウであった。
リミ=ルウには3人もの兄がいるが、ルド=ルウは特別な存在だ。
それは、リミ=ルウとターラの両方にとってという意味であった。
ターラにとって、ルド=ルウはアスタとアイ=ファに続いて3番目に口をきいた森辺の民となる。実はリミ=ルウよりも、出会った時期は早いのだ。なおかつ口はきいていなかったが、その場には一番上の姉であるヴィナ・ルウ=リリンも同行していたはずであった。
当時のターラはまだ森辺の民に怖いものを感じていたが、アスタとアイ=ファのおかげで勇気を振り絞ることができた。
そうしてルド=ルウと初めて出会った際には、キミュスの肉饅頭を分け与えることになったのだ。
ターラが肉饅頭を差し出すと、ルド=ルウは手も使わずに肉饅頭をかじり取った。
そうして口にした言葉は、「何だよ、美味くねーじゃん」である。
愛想のかけらもない物言いであったが、それは森辺の民らしい率直さであるのだと、のちのち理解することができた。
そしてその場でルド=ルウは、「アスタの料理のほうが美味い」と言い放っていたのである。
そのときのルド=ルウは、実に自慢げな顔をしており――当時のターラはまだ森辺の民に対する怖さをぬぐいきれなかったが、今では印象が一変していた。
ルド=ルウは、本当に根っから素直な人間なのである。
たとえ相手に失礼であっても、決して言葉を飾ったりはしない。森辺の民は虚言を罪としているが、もっとも明け透けであるのはルド=ルウなのだろうと思えてならなかった。
人によっては、ルド=ルウの言動を腹立たしく思うのかもしれない。
しかしターラは、その率直さこそを好ましく思っていた。決して気持ちを偽らないルド=ルウであるからこそ、こうして屈託のない笑みを向けられたとき、本当に楽しい気持ちでいるのだと信ずることができるのだ。
残るふたりの兄であるジザ=ルウとダルム=ルウのことも、ターラはもちろん好ましく思っている。リミ=ルウが彼らと仲良さげに接しているさまを見守っていると、とりわけ温かい気持ちを授かることができた。
しかし、リミ=ルウがもっとも親しくしているのは、年の近いルド=ルウであり――ターラもまた、ルド=ルウのことを特別に思っていた。ルド=ルウが笑っているだけで、ターラは心から幸福な気分であったのだった。
(でも、ルド=ルウももう18歳になっちゃったんだっけ……)
年が近いと言っても、末妹のリミ=ルウとは七つも離れているのだ。リミ=ルウと同い年であるターラも、それは同じことであった。
ダレイムにおいても森辺においても、18歳の人間はもう子供とは呼ばれない。親と同じぐらいの仕事を果たす、立派な大人であるのだ。
ターラはこの3年でずいぶん背がのびたはずであるが、ルド=ルウとの背丈の差はあんまり縮まっていないように感じられる。15歳であったルド=ルウも、少しずつ背がのびているのだろう。まだアスタのほうが長身であったが、それでも出会った頃よりはうんと大人びているのだろうと思われた。
しかしまた、ルド=ルウは出会った頃からどこか大人びた雰囲気であったし――18歳となった現在でも、アスタ以上に子供っぽい部分を残していた。
森辺の男衆は13歳で森に入り、15歳には一人前と認められると聞き及ぶので、ルド=ルウは出会った頃からすでに一人前であったのだろう。
しかしルド=ルウは今も昔も、無邪気で子供っぽい。すごく強くて、こんなに頼もしいのに、コタ=ルウよりも子供じみた発言をすることが多く――それがまた、ターラの心をひきつけるのだった。
「じゃ、あとは晩餐でゆっくりとなー」
と、しばらく語らったのち、ルド=ルウは立ち去っていった。
おもに語られていたのは、ユーミとジョウ=ランの婚儀についてとなる。雨季が明けたならば、いよいよそちらの話が本格的に進められる手はずになっていたのだった。
ターラにとっても、ユーミは親しい相手である。もともとはアスタたちの屋台で出くわすだけの仲であったが、いつしかともに森辺に招かれるような間柄になっていたのだ。
そんなユーミが、ついに森辺に嫁入りする。
それを想像すると、ターラの胸には得も言われぬ昂揚がわきたってやまなかったのだった。
◇
それからしばらくして、祝いの晩餐が開始された。
まずはリミ=ルウにひとりずつお祝いの言葉を告げて、花を捧げる。ターラもこの日のために、畑から少し離れた場所に咲く白くて小さな花を摘んできていた。
「リミ=ルウ、おめでとー! これでまた、いっしょの年だね!」
「うん! ターラに追いついた!」
髪も装束も花だらけになったリミ=ルウが、またターラの手をぎゅっと握りしめてくる。
その幸せそうな笑顔を見ているだけで、ターラも幸せな心地であった。
そうして全員が祝いの花と言葉を届けたならば、すみやかに晩餐が始められる。
ドンダ=ルウとジザ=ルウも無事に森から戻ってきて、家族の全員が広間に居揃っている。婚儀を挙げたヴィナ・ルウ=リリンとダルム=ルウは家を出てしまったが、その代わりにルディ=ルウという新たな家族が増えており――ルウ家の賑やかさは、ターラが最初に訪れた日から何ひとつ変わっていなかった。
それに、森辺で口にするギバの料理は、屋台の料理よりもさらに美味である。屋台では高価な食材をたくさん使うことができないため、こういった祝いの晩餐のほうがさらに手が込んでいるという話であるのだ。
しかし、そうでなくとも、リミ=ルウたちと一緒に晩餐を囲んでいるというのが重要であるのだろう。森辺の民のかもしだす熱気の中に身を置いていると、ターラは自分までもがその一員になれたような心地であったのだった。
(それで、アスタおにいちゃんやマイムたちは本当に森辺の民になっちゃったし……ユーミおねえちゃんもこれから、そのひとりになるんだ)
夕刻にも覚えた熱い疼きが、再びターラの胸に押し寄せてくる。
さらに晩餐のさなかには、また祝宴について語られることになった。東の王都の人間がジェノスに居残るならば、ターラたちはまだ身をつつしまなくてはならないのかと、そんな不安を夕刻に告げてしまったためである。
しかしルウ家の人々は、何も気にする必要はないと言ってくれた。
プラティカなどもジェノスの民に入り混じって森辺の祝宴に参じていたのだから、このたびの2名もそれと同じようなものだという話であったのだ。それでターラは、心から安堵の息をつくことができた。
ただの祝宴であるならば、ターラもまだ我慢することはできる。
しかし、ユーミとジョウ=ランの婚儀の祝宴だけは、どうしても自分の目で見届けたかったのだ。ただユーミと仲がいいというだけではなく、宿場町の民が森辺に嫁入りするという話が、ターラにとっては特別に感じられてならなかったのだった。
「それじゃあそろそろ、菓子の準備をしようか」
祝いの料理が尽きてきた頃合いで、アスタがそんな風に呼びかけてきた。
ターラはアスタやアイ=ファとともに、かまど小屋に向かう。幸いなことに、昼からずっと続いていた雨はやんでいた。
かまど小屋には、綺麗に焼きあげられたフワノの生地と、クリームの材料が並べられている。ターラはアスタの指示で、淡いアロウの色合いをしたクリームを懸命にかきまぜることになった。
とろりとした液状のクリームが、じょじょにふわふわの質感になっていく。
たくさんの空気を取り込むことで、そのように変化するという話であったのだ。アスタはこのように、さまざまな調理の知識をターラに授けてくれたのだった。
ターラが仕上げたアロウ色のクリームはへらで生地に塗られていき、その後にアスタが仕上げた白いクリームが綺麗な形で盛られていく。そこに甘く煮込んだアロウの実を添えれば、完成であった。
「よし、完成だ。雨のほうは、大丈夫かな?」
「うむ。母なる森の加護やもしれんな」
燭台を掲げたアイ=ファを先頭に、3人はルウ家の母屋を目指す。
リミ=ルウはどれだけ喜んでくれるだろうと、ターラはひそかに胸を躍らせ――そうして玄関の戸板が開けられたならば、期待を上回る笑顔が向けられてきた。
「すごいすごーい! それ、アロウのケーキなのー?」
「うん。トゥール=ディン直伝の仕上がりだから、味のほうもばっちりのはずだよ」
アスタはリミ=ルウのために、まだルウ家では供されたことのない菓子を準備していたのだ。それでリミ=ルウは、今日一番の笑顔を見せることになったのだった。
淡い水色の瞳が、星のようにきらめいている。
そしてその目が、アスタとターラの顔を見比べてきた。
「ターラもアスタも、どーもありがとー! リミはぜったい、今日のことを忘れないよ!」
「こっちこそ、喜んでもらえて嬉しいよ。でも来年は、もっと立派なケーキを準備できるように頑張るよ」
「うん! ターラもがんばる!」
ふたりがそのように答えると、リミ=ルウもいっそう幸せそうに笑ってくれた。
他の家族の面々も、口々に感心の声をあげている。ルウ家の家族は10名以上にも及ぶので、こちらのケーキも大変な大きさであったのだ。それこそ、ルディ=ルウが眠る草籠にも匹敵するような大きさであった。
アスタの手で切り分けられたケーキが、各人のもとに配られていく。
真っ先にそれを受け取ったリミ=ルウは、すべてのケーキが行き渡るまでうずうずと身を揺すっていた。
そうしてアスタの手伝いを終えたターラが腰を落ち着けようとすると、ミーア・レイ=ルウが笑顔で呼びかけてくる。
「そろそろターラもリミの隣に来たらどうだい? ……いや、リミから出向いたほうが手っ取り早いかねぇ」
「うん! ドンダ父さんも、許してくれる?」
ドンダ=ルウは勝手にしろとばかりに、手を振った。
リミ=ルウは両手でケーキの小皿を掲げて、ターラのもとに駆けつけてくる。ターラだったら皿の中身をこぼしてしまいそうな勢いであったが、小さく切り分けられたケーキは倒れもせずに無事な姿を保っていた。
アイ=ファが優しい面持ちで腰をずらすと、それで生まれた隙間にリミ=ルウが座り込む。
身に触れずともリミ=ルウの体温が伝わってきて、ターラもいっそう幸せな心地であった。
「このけーき、すっごくおいしそー! リミね、このアロウのくりーむ、大好きなんだー!」
「うん! すごく綺麗だし、いい匂いだよね! ターラもすごく楽しみにしてたの!」
そうしてそちらのケーキを口にしたターラは、また異なる幸せを噛みしめることになった。
アロウの香りがするのに、アロウとは異なる味がする。酸っぱさなどはまったく感じられず、これまで味わったことのないような風味と甘みが口に広がり、夢のような美味しさであった。
「このけーき、すごくおいしい。コタ、だいすき」
コタ=ルウの言葉に、アスタが「あはは」と笑い声をあげる。
「コタ=ルウにも気に入ってもらえたなら、何よりだよ。リミ=ルウもすぐに作り方を覚えるだろうから、これからはいつでも味わえるよ」
「うん。ルディもはやくたべられるようになるといいね?」
心優しいコタ=ルウは、草籠で眠る妹の頭をそっと撫でた。
その間も、リミ=ルウは赤みがかったふわふわの髪を揺らしながらはしゃいでおり、その向こう側からアイ=ファが優しく見守っている。
他の家族たちも、しきりにケーキの美味しさを褒めたたえていた。
目からも耳からも舌からも、リミ=ルウの温もりを感じる肌からも、幸福な感覚が伝わってくる。ターラは幸福なあまり、何だか涙をこぼしてしまいそうだった。
そうして幸せな時間は、ゆっくりと過ぎ去って――ついに、就寝の時間であった。
ターラはリミ=ルウやアイ=ファとともに、ジバ=ルウの寝所で眠るのが通例である。そして本日はコタ=ルウがアスタとともにルド=ルウの寝所に招かれて、とても嬉しそうにしていた。
寝所には、すでに4名分の寝具が敷かれている。アイ=ファに手を引かれて寝具の上に腰をおろしたジバ=ルウは、「ふう……」と満足げな吐息をついた。
「今日もターラたちのおかげで、楽しい祝いの晩餐だったねぇ……リミも、大満足だろう……?」
「うん! 次は復活祭で、ターラの番だね!」
リミ=ルウに手を握られながら、ターラも笑顔で「うん!」とうなずく。西の民は年明けとともに齢を重ねる習わしであり、この3年間はずっとリミ=ルウとともにその時間を迎えることができたのだ。
「まだまだ先は長いけど、楽しみなことだねぇ……あたしも元気だったら、またダレイムにお邪魔したいと思ってるよ……」
「うん! その前に、またおうちにも遊びに来てね! 母さんたちもミシルおばあちゃんも、みんな楽しみにしてるから!」
「まったく、ありがたいこったねえ……そのときは、アイ=ファたちも一緒に来てくれるのかい……?」
「どうであろうな。セルフォマたちの去就が定まらない限り、こちらもなかなか目処がつかんのだ」
そのように答えながら、アイ=ファは髪をくくっていた革紐をほどく。すると、金褐色の美しい髪が腰まで流れ落ちて、ターラをうっとりとさせた。
「そうでなくとも、雨季が明けたならば城下町で屋台を出すという話が進められるようであるし……また、ユーミとジョウ=ランの件もあるのでな」
「それはルウ家にとっても、他人事ではない話だねえ……リミは何か、話を聞いているのかい……?」
「うん! レイナ姉はすぐにでも屋台を出すんだーって、はりきってるよー! あと、ユーミとジョウ=ランの婚儀では見届け人を出すみたい!」
そう言って、リミ=ルウはターラに笑顔を向けてきた。
「だから、リミも行けるようにお願いしてるの! 一緒にユーミたちをお祝いしてあげよーね!」
「うん! ……でも、ターラは本当におまねきしてもらえるのかなぁ?」
ターラが思わず弱音をこぼすと、アイ=ファが優しく「大事あるまい」と言ってくれた。
「ユーミが森辺に招かれる際には、おおよそターラもともにあったのだ。ランの者たちが、そういった絆を軽んずることはなかろうよ」
「うん……でも、ユーミおねえちゃんはお友達もいっぱいいるし……ターラがおまねきされなかった日にも、森辺に来てたから……」
「ああ、フォウの血族にまつわる祝宴では、ターラではなくテリア=マスが招かれていたのだったな。しかし、テリア=マスよりも古くから森辺の民と絆を深めていたのは、ターラであるのだ。ターラほど見届け人に相応しい人間は、他にいないように思うぞ」
「そーだよねー! それどころか、ターラはユーミよりも早くアイ=ファたちと仲良くなったんでしょ?」
「うむ。絆を深めていたのは、おおよそアスタだが……ともあれ、ユーミと縁を結んだのは屋台の商売を始めてからとなるので、もっとも早くから縁を結んだのはターラとドーラ、そしてミラノ=マスということになろうな」
「あ、そっかそっか! ミラノ=マスが、屋台を貸してくれたんだもんねー!」
「うむ。しかしそちらはカミュア=ヨシュが繋いだ縁となるので、やはり最初の相手はターラとドーラということであろう」
そのように語りながら、アイ=ファはいっそう優しい眼差しを浮かべた。
「まあ、出会った時期を競っても詮無き話であるが……ターラは森辺の民ともっとも深い縁を結んだひとりであり、ユーミの大切な友でもあるのだ。ユーミ自身もランの者たちも、ターラをないがしろにすることはあるまいよ」
「うん……ありがとう、アイ=ファおねえちゃん」
ターラが心からの笑顔を届けると、アイ=ファも「うむ」と微笑んでくれた。
そして、ジバ=ルウも顔を皺くちゃにして笑う。
「なんだか、懐かしい話ばかりだねぇ……その頃は、あたしも話で聞くばかりだったけど……日を重ねるごとに町の人間とも交流が深まっているようで、あたしは毎日驚かされていたよ……」
「うむ。我々にしても、あの頃はギバ料理を売るために町の人間との確執を解きほぐさなくてはならないという心持ちであったのだ。それが、友と呼べるほどの間柄になり得たのは……やはり、ターラたちのおかげであろうと思うぞ」
「うん! ルドなんかも、すっごく楽しそうにターラのことを話してたしねー!」
リミ=ルウのそんな言葉に、ターラはドキリとしてしまった。
「ル、ルド=ルウが、ターラのことを話してたの? ターラがルド=ルウと仲良くなれたのは、けっこう後になってからだと思うんだけど……」
「うん! リミぐらいちっちゃい子にキミュスのおまんじゅーをもらったんだーって自慢してたよー! 美味しくなかったって言ってたけど!」
ターラはますます、胸を騒がせてしまう。
すると、アイ=ファが苦笑しつつ口をはさんだ。
「ターラが手にしていた料理を無作法にかじりとりながら、ルド=ルウはそんな言葉を発していたな。ドーラがずいぶん青い顔をしていたので、私は溜息をつきたいところであったぞ」
「あはは! でも、ルドはルドだから、しかたないよー!」
リミ=ルウはにこにこと笑いながら、ターラの腕を抱きすくめた。
「ターラと初めて会ったときは、ルドが話してた子だとはわかってなかったんだけどさ! あのときも、楽しかったよねー!」
「う、うん。アイ=ファおねえちゃんは肩を怪我してて、大変そうだったよね」
「ああ、ふたりがあまりにはしゃいでいるものだから、私は身の置き所がなかったのだ。しかしあれも、絆を深めるための大切なひとときであったわけだな」
「うんうん……何もかもが、今に繋がってるってわけだねぇ……」
ジバ=ルウの垂れ下がったまぶたに半ば隠された目が、ひどく透き通った光をたたえた。
「話を戻しちまうけど、ジョウ=ランとユーミの婚儀っていうのは……あたしも見届けたいと考えているよ……」
「うむ? ジバ婆が、血族ならぬ者たちの婚儀に立ち合おうというのか?」
「ああ……だってこれは、森辺の一大事だろう……? 森辺では、もう6名ばかりも外の人間を迎えているけど……婚儀を挙げるのは、シュミラル=リリンに続いて二人目だし……それにユーミは、まぎれもなくジェノスの民なんだからねぇ……」
「うむ。ジェノスの民が初めて森辺に嫁入りするということで、貴族たちの関心を集めるだろうという話であったな」
「あたしだって、それに負けないぐらい関心を寄せているつもりだよ……ジェノスの民と確かな絆を結ぶことができなかったあたしたちの罪が、またひとつ贖われるってことなんだからねえ……」
アイ=ファは優しく微笑みながら、ジバ=ルウの骨張った指先を手に取った。
「ジバ婆よ、何度も言っている通り、80余年もの昔の話に心をとらわれる必要はない。また、どのような形であれ、先人がこの地で暮らす資格を勝ち取ったからこそ、今の幸せがあるのだからな」
「うん……あの頃のあたしたちには、それが精一杯だったのかもしれないけれど……道を間違えたことに変わりはないからねえ……」
「そうしてジバ婆は今を生きる同胞とともに、正しき道を見出したのだ。母なる森に抱かれた先人たちも、胸を撫でおろしていることであろう」
アイ=ファが優しい微笑みとともに言葉を重ねると、ジバ=ルウも「うん……」と微笑んだ。
燭台の光にぼんやりと照らされるふたりの横顔が、とても神々しい。まるで、ターラがもっと幼い頃に読み聞かされた御伽噺の一幕であるかのようだ。その美しさに胸を詰まらせながら、ターラは小さく息をつくことになった。
「やっぱり……森辺のみんなは、すごいよね」
ターラがそんなつぶやきをこぼすと、リミ=ルウがきょとんとした顔で振り返ってきた。
「どーしたの、ターラ? なんだか、寂しそうなお顔になってるよ?」
「寂しい……わけじゃないけど……」
リミ=ルウは小首を傾げながら、身体ごとターラに向きなおってきた。
その髪や装束には、まだたくさんの花が飾られている。森辺のみんなが贈ったミゾラの花と、ターラが贈った名も知れぬ花だ。ターラはその中でひときわ立派なミゾラの花を見つめながら、言葉を重ねた。
「森辺の民は、みんなこのミゾラみたいに立派で綺麗だけど……ターラは、そうじゃないから……」
「そうかなー? でもリミは、ターラがくれたこのお花も大好きだよ! ターラみたいで、可愛いからね!」
リミ=ルウは髪にさされていた花を抜き取って、両手でそっと抱え込んだ。
白くて小さな花弁がいくつも重ねられた、ささやかな花だ。その花を鼻のあたりにあてがいながら、リミ=ルウはにこりと微笑んだ。
「ほら、こんなにいい香りがするし! リミはミゾラも大好きだけど、この花も同じぐらい大好きだよー!」
「うむ。確かにそちらの白い花は、ターラのように可憐なようだな」
と、アイ=ファも優しくターラに微笑みかけてきた。
「確かに森辺の民と町の人間は、ミゾラとこの白い花ぐらい種類が違っているのだろう。だからこそ、おたがいにひかれあうのではなかろうかな」
「……こんなに立派なミゾラの花が、こんなにちっちゃい花にひかれるの?」
「うむ。ミゾラの花は花弁も大きいし、鮮やかな色合いで、香りも強い。だが、この白い花のようにたくさんの花弁は備え持っていない。森辺の民には、森で生き抜くための強き力が備わっているが……町の人間と比べると、多くのものが欠けているように思うのだ」
「へえ……アイ=ファもそんな風に考えるようになったんだねえ……」
ジバ=ルウが穏やかに口をはさむと、アイ=ファもまたやわらかな面持ちで「うむ」とうなずいた。
「アスタもまた、かつては町の人間であったのだからな。私ほど、町の人間の持つ力をわきまえている人間はそうそういないのではないかと思うぞ」
「うん! 屋台のことも、トトスのことも、猟犬のことも、みーんな町の人たちが教えてくれたんだもんね! 町の人たちだって、すごいよー!」
リミ=ルウは輝くような笑みを満面に広げながら、白くて小さな花を握った手でターラの手も握ってきた。
「だからね、森辺の民と町の人たちが仲良くなったら、ミゾラみたいに大きな花びらが、この白い花みたいにぶわーっていっぱい咲くんじゃないかなー!」
「うむ。そのためには、どちらの花も欠かすことはできないということであろうな」
「ああ……どんな立派な花が咲くのか、楽しみなところだねえ……」
リミ=ルウとアイ=ファとジバ=ルウの優しさに包まれながら、ターラは「うん」とうなずいた。
ターラとリミ=ルウの手の中では、白くて小さな花がひっそりと揺れている。
その豆つぶのように小さな花弁がすべてミゾラのように立派になったら、いったいどのような有り様になるのか。ターラには、まったく想像がつかなかったが――それはターラの内に存在する名も知れぬ不安感をそっと優しくくるんでくれる、温かな希望のように感じられてならなかったのだった。




