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異世界料理道  作者: EDA
第九十章 群像演舞~十ノ巻~
1548/1686

    サトゥラス伯爵家の晩餐会(下)

2024.10/8 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

「では、森辺および《銀星堂》の料理人による心尽くしをいただくとしよう」


 ルイドロスのそんな言葉とともに、扉の外から数々の料理が運び込まれた。

 若き貴婦人たちは、こらえかねたように嬌声をあげている。そしてレイナ=ルウのもとには、リーハイムがひとりで近づいてきた。


「あらためて、今日はありがとうな。申し訳ないけど、マーデルの連中のお相手を願えるかい? あっちは初めて森辺の料理を口にする人間が多いから、もう期待で破裂しそうになってるんだよ」


「そうですか。見覚えのない方々が多いように感じていたのですが、やっぱり普段の祝宴には参席しておられなかったのですね」


「普段の祝宴は、もっと名のある連中で枠が埋められちまうからな。マーデルぐらいだと、第一息女のセランジュでぎりぎりだったんだよ」


 そんな風に語りながら、リーハイムはにやりと不敵に微笑んだ。


「ま、俺と婚儀を挙げさえすれば、マーデルの格式も跳ね上がる。今後は他の家族連中も、祝宴に招かれる機会が増えるだろう。今日なんかは、その前哨戦みたいなもんだよ」


「そうですか。貴族の作法には、まだ理解の及ばない部分も多いですが……セランジュの家族とご縁を深められれば、嬉しく思います」


「そう言ってもらえたら、俺も嬉しいよ」


 と、リーハイムの笑顔が屈託のないものに切り替わる。彼がこういう表情を見せてくれるようになったからこそ、レイナ=ルウも絆を深めることがかなったのだった。


(そういう意味では、ロイとちょっと似てるのかな)


 ロイはレイナ=ルウにつきまとったりはしなかったが、かまど番として大きな対抗心を抱いていた。それに、皮肉屋で、言動が荒っぽくて、根っこにいささか脆いものを抱えているという点も、どこかリーハイムと似通っているのだ。年頃も、それほど離れていないように思われた。


(まあ何にせよ、今ではどっちも大切な存在だ)


 そんな思いをひそかに抱きながら、レイナ=ルウはジザ=ルウとともにマーデル子爵家の面々のもとを目指すことになった。

 卓に並べられていく料理に注目していた人々が、顔を輝かせながらこちらに向きなおってくる。リーハイムは、取りすました面持ちで一礼した。


「みなさんのために、今日の厨の責任者であるレイナ=ルウ嬢とジザ=ルウ殿にご足労を願いました。ともに料理をいただきながら、細かな解説をうかがいましょう」


 普段は粗雑な物言いであるリーハイムだが、その気になればいくらでも丁寧な口をきけるのだ。レイナ=ルウが初めてそれを耳にしたのは、和睦の晩餐会の場であった。


 かつてレイナ=ルウに贈り物を拒まれたリーハイムは遺恨を抱え込み、シン・ルウ=シンにちょっかいをかけた。叔父たるゲイマロスとシン・ルウ=シンで剣技の勝負をさせようと画策したのだ。

 しかし勝負の場でゲイマロスが卑劣な罠を仕掛けたため、サトゥラス伯爵家の当主たるルイドロスが謝罪をする羽目になった。その場でレイナ=ルウはリーハイムの真情と気弱な本性を知ることになり――それから少しずつ悪縁を解きほぐして、現在に至るのだった。


「今日は5種の料理と菓子を準備してくださったそうですね。菓子についてはのちほどリミ=ルウ嬢からお話をうかがうとして、料理の説明を願えますか?」


 と、こちらにまで丁寧な言葉を使われると、レイナ=ルウも面映ゆい心地になってしまう。それに耐えながら、レイナ=ルウが「はい」と応じると――みっつの人影がこちらに近づいてきた。


「失礼いたします。まことに恐縮ですが、我々にもレイナ=ルウのご高説を拝聴させていただけますでしょうか?」


 そのように告げてきたのは準礼装姿のロイであり、彼のかたわらに控えるのはセルフォマとカーツァであった。

 マーデル子爵家の当主が小首を傾げると、リーハイムはすました顔で説明をする。


「名のある料理人ほど、レイナ=ルウ嬢の手腕は見過ごせないのでしょう。ここは寛容なるお心でもって、了承を与えるべきではないでしょうか?」


「ええ、もちろんです。みなさんも、ご遠慮なくどうぞ」


 当主がにこにこと笑いながら快諾すると、ロイたちは恭しげに一礼した。

 そうして頭を下げながら、ロイはこっそりレイナ=ルウに片目をつぶってくる。レイナ=ルウが微笑をこらえながら別なる卓のほうをうかがうと、そちらではシリィ=ロウがサトゥラス伯爵家の面々に取り囲まれていた。


(あっちの面倒を、シリィ=ロウに押しつけてきたんだな。晩餐会が終わったら、また大変な騒ぎになりそうだ)


 そちらの卓では、レイナ=ルウの弟妹たちも歓談に加わっている。今日はレイリスも参じているので、シン・ルウ=シンとは積もる話もあることだろう。ゲイマロスの子たるレイリスは確執を乗り越えて、シン・ルウ=シンと絆を結ぶことになったのだ。つくづくルウ家とサトゥラス伯爵家というのは、込み入った運命の果てで手を携えているのだった。


「それでは、ご説明させていただきます。本日は晩餐会でありましたので、なるべくジェノスの流儀に沿うように5種の料理と菓子を準備いたしました。それほど厳密に区分したわけではありませんが、肉料理、野菜料理、シャスカ料理、汁物料理、副菜に該当する内容になっています」


 気を取り直して、レイナ=ルウは料理の説明を開始した。


「肉料理はギバ肉の香味焼き、野菜料理は野菜と茸の蒸し料理、シャスカ料理はかれーぴらふ、汁物料理はトライプのくりーむしちゅー、副菜はそぼろ煮込みという献立になっています。肉料理とシャスカ料理の辛みが強いので、他なる料理で舌を休めながらお楽しみいただければと思います」


「レイナ=ルウは、とりわけ香草の扱いが巧みですものね。今日はどのような仕上がりか、とても楽しみです」


 セランジュは当主たる父親に負けないぐらいにこにこと笑いながら、そう言ってくれた。

 この場で初めて挨拶を交わした面々などは、レイナ=ルウ本人と料理のどちらに関心を向けたものかと思い悩んでいる様子だ。もちろんレイナ=ルウとしては、料理に集中してほしいところであった。


「どうぞ、お好きな料理からお召し上がりください。……リーハイムも、どうぞ」


「ええ。この副菜が前菜にあたるのでしょうが、自分は肉料理からいただきましょう」


 リーハイムはレイナ=ルウの心情を察してくれた様子で、小姓に料理の取り分けを命じた。さらにセランジュもシャスカ料理を要求すると、他の家族たちも次々に声をあげ始める。それでようやく、食事が開始された。


「おお、これは香りに違わぬ、不可思議な味わいです! こちらの肉料理には、東の王都の食材が使われているのでしょうか?」


「はい。香味焼きに、キバケやアンテラを使っています。そちらの食材は、もうご存じでしょうか?」


「ええ。いちおうわたくしどもの屋敷でも、それらの食材を買いつけさせていただいたのですが……しかし、これほど見事な料理は初めてです! わたくしの屋敷の料理番は、まだまだ新しい食材を使いこなせていないのでしょうな!」


 そのように語っているのは、当主の弟にあたる人物である。やはりこれまで、森辺のかまど番が手掛けた料理を口にする機会がなかったのだろう。ここ最近の祝宴に招かれていれば、この香味焼きでそれほどの驚きに見舞われることはないはずであった。


「このかれーぴらふという料理にも、キバケの香りを感じますわ。それに、辛みが強烈ですわね」


 今度はセランジュが熱っぽい笑顔で発言したので、レイナ=ルウは「ええ」と応じる。


「キバケはイラ系の香草と相性がいいという話でしたので、ギラ=イラとともに組み込んでみたのです。舌が痛むようでしたら、汁物料理をお召し上がりください」


「ああ、温めたカロンの乳は、辛さを洗い流してくれるという話でしたわね。このくりーむしちゅーという料理でも、同じ効果を期待できるのですか?」


「はい。くりーむしちゅーにはカロンの乳をふんだんに使っていますし、熱い煮汁だけでも辛さを溶かすのに有効であるそうです」


 それらはいずれも、アスタやプラティカから学んだ知識である。

 他の面々も満足そうに料理を食しているので、レイナ=ルウはほっと息をつきながらロイのほうに向きなおった。


「ロイは、如何でしょうか? どうか忌憚のないご意見をお願いいたします」


「ええ。自分はこちらの野菜料理に感銘を受けました」


 ロイの丁寧な物言いは、リーハイムと同じぐらい落ち着かない。しかし、貴族の目がある場ではしかたないだろう。そしてレイナ=ルウは、その言葉の内容のほうが気になった。


「野菜料理ですか。そちらはジュエの花油を塗った野菜を蒸し籠で蒸しただけの、きわめて簡素な内容であるのですが」


「それだけの細工で、素晴らしい味わいになっています。また、花油と調味液の調和も見事であるかと思います」


 後掛けの調味液は、アスタ直伝のポン酢である。蒸した野菜をポン酢でいただくというのは古きの時代から教わっていたので、そこにジュエの花油を加えただけのことだ。味のほどに自信はあったが、もっとも細工が少ないことは事実であった。


「……そんな不満げな顔をすんなよ。キバケやアンテラを使った見事な料理はこの前の祝宴で味わわさせてもらったから、今日は本当にこの野菜料理が新鮮だったんだ」


 と、ロイは苦笑をこらえているような面持ちで、こっそり耳打ちしてきた。


「ついでに言うと、俺はまだ肉料理と野菜料理にしか口をつけてないからな。シャスカ料理や汁物料理も楽しみでならねえよ」


「そうですか。急かしてしまって、申し訳ありません。他の料理のご感想も心待ちにしています」


 そうしてレイナ=ルウが身を引くと、カーツァが慌ただしく発言した。


「こ、こちらの副菜も、素晴らしい味わいです。こちらの料理には、ティティの果実酒が使われているのでしょうか? ……と、仰っています」


「はい。ティティの果実酒はママリアの果実酒と似たところがありますので、森辺ではさまざまな置き換えが研究されています。そちらのそぼろ煮という料理は果実酒でなくニャッタの蒸留酒が使われていましたが、もともとタウ油を主体にした煮込み料理には果実酒が使われていましたので、上手く調和するのではないかと期待をかけて研究を進めた次第です」


「じ、実に素晴らしい味わいだと思われます。ジャガルの食材たるタウ油とティティの果実酒がこうまで調和することにも驚きを禁じ得ません。また、具材の選定にも不備はないかと思われます。……と、仰っています」


「具材は、レギィとドーラとネルッサ、それにドミュグドとニレですね。味がしみこみやすい具材としみこみにくい具材を両方もちいることで、多少なりとも変化をつけられればと考えました」


「は、はい。煮汁がしみこんだドーラと清涼な味わいを保ったニレの対比が、素晴らしい調和をなしているように見受けられます。副菜といえども細かな配慮を欠かさない姿勢に、心からの敬服を捧げさせていただきます。……と、仰っています」


 すると、当主の弟の伴侶にあたる貴婦人が瞳を輝かせながら割り込んできた。


「そちらのセルフォマは、シムの王城の副料理長という身分であられるのでしょう? レイナ=ルウは、そんな御方から賛辞をいただけるほどの手腕であられるのですわね」


「は、はい。森辺には優れた料理人が数多く存在いたしますが、レイナ=ルウはその中でも群を抜いています。彼女ほどの腕があれば、王城の料理番として働くことにも不足はないでしょう。……と、仰っています」


「素晴らしい評価ですわね。そんな御方の料理を口にすることができて、心から光栄に思いますわ」


「こちらこそ、光栄です」と、レイナ=ルウは一礼する。

 セルフォマの言葉も貴婦人の笑顔も、レイナ=ルウの心を深く満たしてくれた。


「そして我々は、《銀星堂》の料理も心待ちにしていたのです。よろしければ、そちらのご説明もお願いできますでしょうかな?」


 と、今度は当主の弟がそのように告げてくる。

 ロイは恭しげな面持ちのまま、「承知いたしました」と応じた。


「こちらはあくまで余興のひと品となりますが、この素晴らしき晩餐会を彩る一助になれれば幸いに存じます」


 そうしてその場の面々はしずしずと移動して、次なる卓を囲むことになった。

 そちらには、ロイの料理、シリィ=ロウの菓子、そしてリミ=ルウの菓子が並べられている。貴婦人がたは菓子に瞳を輝かせていたが、まずはロイの料理からであった。


「こちらが自分の準備した肉料理となります。森辺の料理との食べ比べをお楽しみになりたいというお話でありましたので、ギバの肉を使っております」


 ロイのそんな言葉が、レイナ=ルウをいっそう奮起させた。レイナ=ルウはギバ料理を期待していたし、ロイはその期待に応えてくれたのだ。


 なおかつそちらは、『ギバ・カツ』の作法を取り入れた料理であった。

 彼は以前から、『ギバ・カツ』とヴァルカスの手腕を結合させることに腐心していたのである。そして、その意欲的な品に触発されたレイナ=ルウも『ギバ・カツ』に香草を組み込んで、ジャガルの王子ダカルマスが開催した試食会に供したという立場であった。


「ほうほう。これは、見慣れぬ色合いをした料理でありますな」


 当主の弟が率先して声をあげると、ロイは悠揚せまらず「ええ」と応じた。


「こちらは揚げ物の衣に、バナームの黒いフワノを使っています。黒いフワノならではの食感をお楽しみいただけたら幸いです」


 それはレイナ=ルウも、ひと目で察していた。こちらの揚げ物料理はいかにも黒フワノらしい暗灰色の衣に包まれていたのだ。

 しかも、二重の意味においてである。『ギバ・カツ』の衣には通常のフワノと、いったん焼きあげてからひと晩置いて固くなったフワノを削った粉の2種を使うものであるが、その両方が黒フワノであったのだ。


(森辺では、黒いフワノはぎばかつの衣に適さないっていう結論になったけど……ロイは、上手く使う手法を見出したんだ)


 レイナ=ルウは胸が高鳴ってならなかったが、貴族よりも先に手を出す非礼はつつしまなくてはならない。そうしてうずうずと身を揺すりながら、ようやく皿を受け取ることになった。


 小さく切り分けられた揚げ物料理からは、香草の香りが匂いたっている。

 いかにもヴァルカスの弟子らしい、複雑な香りだ。香りだけでは、如何なる香草を使っているかも判別することは難しかった。


 そうして入念に香りを検分したのちに、レイナ=ルウはいざその料理を口に運ぶ。

 すると、暗灰色の衣は想像以上の軽やかさで、くしゅっと砕け散った。これこそ、普通のフワノよりも軽やかな食感を持つ黒フワノの恩恵であろう。


 ただその軽妙に過ぎる食感こそが、『ギバ・カツ』には不似合いだとされていたのだが――レイナ=ルウは数々の香気とギバ肉の旨みが口内に広がるのと同時に、別なる食感を知覚していた。


 通常のフワノよりもさらに歯ごたえのある食感が、口の中で弾けている。

 これは、細かく砕いたラマンパの実の食感であった。暗灰色の衣の内側には、ラマンパまでもがまぶされていたのだ。


 その心地好い食感と複雑な香りとギバ肉の味わいが、同時にレイナ=ルウの口を蹂躙してくる。

 香草は辛みと香ばしさを前面に押し出しつつ、わずかな甘みと酸味でひそかに味を支えている。きっと何らかの果汁も使っているのだろうし、ジュエの花油で揚げているのだろう。衣にまんべんなく行き渡った甘い風味が、複雑な香りを優しくくるんでいるような趣であった。


「ロイは……ついに、こちらの料理を完成させたのですね」


 レイナ=ルウが懸命に言葉を振り絞ると、ロイはどこか曖昧な表情で微笑んだ。


「自分は長らくこちらの料理の研究に行き詰まっていましたが、ジュエの花油とアンテラの薬酒のおかげで、ついに光明を見いだせました。ただ、それらの食材を組み込んでからまだ日が浅いので、さらなる改善の余地があるのではないかと懸念を覚えています」


「いやいや、これは素晴らしい仕上がりですぞ! 《銀星堂》こそが城下町で一番の料理店という評価は、決して間違っておりませんでしたな!」


 当主の弟は昂揚した面持ちで、そのように言い切った。

 その伴侶は朗らかな笑顔で、「そうですわね」と追従する。


「レイナ=ルウの料理があまりに素晴らしかったので、さしもの《銀星堂》の料理も霞んでしまうのではないかしらと心配していたのですけれど……そんな考えは、杞憂でしたわ」


「いや、まったく! 味比べの余興などを行っていたら、どちらに星を入れるべきか悩み抜いていたところでありますぞ!」


「本当ですわね。それにわたくしは、どちらが森辺の料理なのかしらと判じかねていたと思いますわ」


 セランジュが驚嘆の面持ちで言葉を重ねると、そのすぐそばに寄り添っていたリーハイムが得意げな笑顔で答えた。


「確かにこちらは、森辺の料理と見まごう仕上がりですね。かつて口にした経験がなければ、わたしも思い悩んでいたことでしょう」


 セランジュは、「まあ」と口もとをほころばせる。どこか、リーハイムの礼儀正しい物言いを楽しんでいるような様子である。


「リーハイム様は、以前にもこちらの料理を口にされていたのですか? やはり、《銀星堂》におもむいた際にでも?」


「いえいえ。店主のヴァルカスも、さすがに自らの店では弟子に任せることはありません。以前に晩餐の準備を申しつけた際にこちらのロイが名代としてやってきて、これに似た料理を供していたのですよ」


 そう言って、リーハイムはロイに向きなおった。


「しかしあれはずいぶん昔の話なので、こちらの料理もすっかり見違えました。あなたもたゆみなく研鑽を積んでいたということですね」


「はい。師ヴァルカスのもとで、学ばせていただいています」


 かしこまったロイの姿を横目に、レイナ=ルウはとてつもないほど対抗心や競争心をかきたてられていた。それぐらい、こちらの料理は素晴らしい出来栄えであったのだ。


「た、確かにこちらの料理には、森辺の作法とヴァルカスの作法が同じだけ活かされているように感じられます。それも、マルフィラ=ナハムとはまったく異なる切り口で、驚嘆を禁じ得ません。また、ヴァルカスの料理は驚きが先に立ってしまう面もあるかと思われますが、こちらの料理にはそういった弊害もないように感じました。……と、仰っています」


「過分なお言葉、光栄です。ただそれは、自分の腕が師に追いついていないという証拠でもあるのでしょう。師ヴァルカスに負けない大きな驚きと喜びを両立できるように、今後もたゆみなく研鑽を積みたく思います」


 セルフォマの評価に対しても、ロイは如才がなかった。

 そうしてレイナ=ルウがひとりで闘志の炎を燃やしている間に、貴族の面々は菓子を取り分けさせている。それで、新たな嬌声がわきたった。


「菓子も、素晴らしい出来栄えですわね。こちらも味比べなどをしていたら、さんざん思い悩んでいましたわ」

「わたくしは、やっぱり森辺の方々の菓子かしら……でも、《銀星堂》の菓子も捨てがたいですわね」

「《銀星堂》の菓子はとても優雅だし、森辺の菓子はとても鮮烈だし……わたくしも、やっぱり選べそうにありませんわ」


 そんな貴婦人たちのはしゃいだ声を聞きながら、レイナ=ルウも2種の菓子を食した。

 リミ=ルウが準備したのは、チャッチ餅に似たノマであんこをくるんだ、風変わりな饅頭である。ぷるぷるとしたノマをかじると甘いあんこがあふれかえる、見た目も食感も楽しい品であった。


 いっぽうシリィ=ロウが準備したのは焼き菓子で、生地に練り込まれた果汁がやわらかな甘さをかもしだしている。マホタリやエランなど、比較的目新しい食材がふんだんに使われているのだろう。東の王都の食材は使っていないようだが、シリィ=ロウの手腕が如何なく発揮された出来栄えであった。


「どれも素晴らしい品々であったね。あらためて、感謝の言葉を捧げさせていただくよ」


 と、いつの間にかこちらの卓に近づいていたルイドロスが、そんな言葉を投げかけてきた。


「菓子に関しては、リミ=ルウやシリィ=ロウから話をうかがうといい。それに、わたしの家族たちもみなさんとの交流を心待ちにしているよ」


 ルイドロスの言葉にうながされて、マーデル子爵家の面々はサトゥラス伯爵家の面々やリミ=ルウたちが集っている卓に向かっていく。

 そしてルイドロスは、レイナ=ルウにこっそり微笑みかけてきた。


「マーデル子爵家の面々は今日という日を心待ちにしていたので、ずいぶん世話をかけさせてしまったね。こちらの家族の面倒を見る前に、ひと息ついてくれたまえ。……ジザ=ルウは、こちらに如何かな?」


「うむ? レイナだけを休ませよということであろうか?」


「ああ。きっとレイナ=ルウは、他なる料理人たちと積もる話があるのではないのかな」


 ルイドロスがゆったりと微笑むと、ジザ=ルウは苦笑をこらえるように口もとを引き結んだ。


「妹への気づかい、感謝する。……この広さであれば目は届くので、危険はなかろう。ひと息ついたら、レイナもこちらに来るといい」


 そうしてその場にはレイナ=ルウとロイ、セルフォマとカーツァのみが残されることになった。


「そっちはすっかり、ご当主の覚えもめでたいみたいだな。さすが、第一子息の婚儀の厨を任されるだけはあるぜ」


 貴族の目がなくなるなり、ロイは気安い口を叩いた。


「それにしても、第一子息殿のかしこまった物言いには笑っちまいそうになるな。さすが婚約者のご家族の前では、口をつつしむ必要があるってわけか。まあ、俺も人のことはどうこう言えねえけどさ」


「……ロイは、料理の話題を避けようとしているのでしょうか?」


 レイナ=ルウが指摘すると、ロイは苦笑しながら頭をかいた。


「そんなつもりはねえけどさ。お前は気合が入るとどれだけおっかない目つきになるか、自覚したほうがいいんじゃないのかね」


「あれだけの料理を口にしたならば、とうてい平静ではいられません。もしも肉料理で味比べをしていたならば……勝利していたのは、ロイでしょう」


「なんでだよ。どっちに星を入れるべきか決めかねるって、さんざん言われてたじゃねえか」


「それでも香味焼きとぎばかつでは、細工の度合いが違っています。仮に同程度の完成度であったのなら、きっと最後には細工の多いぎばかつが選ばれることでしょう」


 そうしてレイナ=ルウが唇を噛むと、ロイは溜息をつきながらセルフォマに向きなおった。


「レイナ=ルウはこんな風に言ってるけど、副料理長殿はどう思いますかね?」


「は、はい。私も肉料理に関しては、どちらが上などと順番をつけることはできそうにありません。レイナ=ルウは細工の少ない香味焼きで、細工の多い揚げ物料理にも引けを取らない仕上がりを実現させていたと思います。……と、仰っています」


「ほら見ろ。細工のあるなしより、大事なのは味なんだよ。細工の少ない品で互角だったら、お前のほうが上をいってるってことじゃねえか。それで俺がにらまれる筋合いはねえや」


 そう言って、ロイは不敵に微笑んだ。


「でも、お前にそんな目でにらまれるのは、光栄なこったよ。死に物狂いで頑張った甲斐があったってもんだ」


「死に物狂い? ……ロイも今日の晩餐会に、それほどの意気込みであったのですか?」


「そりゃあそうだろ。何せ、お前の料理と食べ比べをしてみたいなんて依頼だったんだからな。ここで燃えなくて、いつ燃えるんだよ?」


「…………」


「それに、お前に俺の料理を食べてもらうのは、ずいぶんひさびさだったからな。そんな目つきでにらまれて、俺としては感無量だよ」


 不敵な笑みをたたえつつ、ロイの瞳には明るく温かい光が灯されている。

 それでレイナ=ルウの内に燃える激情の炎も、人肌の温もりまでやわらげられることになった。


「……ロイにおかしな目を向けてしまっていたのなら、お詫びを申しあげます。わたしも今日はひさびさにロイたちの手腕を味わえるということで、とても楽しみにしていたのです」


「そんな風に言ってもらえたら、幸いだ。……なんかこう、この屋敷には因縁があるんだよな」


「因縁? とは、どういう意味でしょう?」


「ここは以前に、森辺の民との和解の晩餐会が開かれたお屋敷だろ? 森辺の側はお前とシーラ=ルウとトゥール=ディン、城下町の側はシリィ=ロウと俺が料理を準備することになったんだよな」


 もちろんその話は、レイナ=ルウもはっきり覚えていた。シン・ルウ=シンとゲイマロスにまつわる悪縁を解きほぐすために、この屋敷で和解の晩餐会が開かれたのである。


「あとはさっきも第一子息殿が仰ってた通り、俺がヴァルカスの名代として厨を預かることがあったんだよ。それで俺が不出来な料理を出して貴族に文句をつけられたら、《銀星堂》から追い出すって条件でな」


「ああ、それもこの屋敷での話だったのですか……ロイがヴァルカスのもとに留まることができて、本当に幸いであったと思います」


「まったくだな。……で、今日はひさびさにお前と一緒に厨を預かるって幸運に恵まれたわけだ」


 そう言って、ロイはいっそう不敵に微笑んだ。


「あらためて、お前の手腕に感心させられたよ。アスタやトゥール=ディンの手助けがなくったって、お前は伯爵家の厨を任せられるぐらいの手腕なんだ。こっちのほうが、にらみたいぐらいだぜ」


「ありがとうございます。……最近のロイは競争心というものをあまり表に出さなくなったように見受けられるので、わたしは相手にされていないのではないかという思いもあって、つい感情的になってしまったのかもしれません」


「そんな役割は、シリィ=ロウに任せるよ。……でも、どんなにすました顔をしてたって、お前を軽んじることはねえさ。内心では歯噛みしてるから、せいぜい勝ち誇ってくれ」


 ロイの気安い物言いに、レイナ=ルウはつい笑ってしまった。

 それと同時に、ロイの気づかいに感じ入っている。やはり彼は皮肉屋として振る舞いながら、その内に人間らしい優しさを秘めているのだった。


(それに、かまど番としても一流だ。師匠のヴァルカスがすごすぎるから、どうしても影になってしまうけど……もしかしたら、ロイやシリィ=ロウはもうダイアを追い抜いているのかもしれない)


 少なくとも、レイナ=ルウは先日の祝宴で供されたダイアの菓子に、今日ほど驚かされることはなかった。ロイの料理やシリィ=ロウの菓子に比べて、ダイアの菓子には物足りなさが感じられたのだ。


 しかしまた、ダイアがここで終わるとも思えない。ダイアはヴァルカスやミケルとも異なる彼女ならではの作法を体得しているのだ。続々と増えていく食材をしっかり使いこなせるようになったならば、また驚くべき手腕を発揮させるのではないか――と、レイナ=ルウはそんな期待をかけていた。


「ジェ、ジェノスには、素晴らしい手腕を持つ料理人が数多く存在します。私は星読みをたしなみませんが、燦然ときらめく星の海を目前に迎えたような心地であるのです」


 と、カーツァがいきなりそんな言葉を口にした。いつの間にか、セルフォマが東の言葉で語っていたのだ。


「だ、だからこそ、私はジェノスに滞在する道を選んだのです。お手数ですが、これからもご指南のほど、よろしくお願いいたします。……と、仰っています」


「つっても、あんたは森辺の民にご執心なんだろ? 城下町の料理人には、見向きもしないじゃねえか」


「い、いえ。森辺と城下町では技術交流がされているのですから、どちらか片方に寄りすぎても正しい答えは得られないように感じました。それもひとえに、先日の祝宴と本日の料理が素晴らしかったためとなります。今後は城下町においても見学の申し出をさせていただきますので、何卒よろしくお願いいたします。……と、仰っています」


 ロイは「へえ」と口の片端を吊り上げた。


「じゃ、うちの店にも出向いてこようって算段なのかい? もしもそうなら、こっちもあんたの手腕をめいっぱい学ばせてほしいところだね」


「は、はい。私はいずれ故郷に戻る身ですが、この短い期間だけでもジェノスに渦巻く星の海に加われたら光栄に思います。……と、仰っています」


 セルフォマのそんな言葉が、またレイナ=ルウの心を深く満たしてくれた。

 ジェノスに渦巻く、星の海――アスタは『星無き民』などと呼ばれているが、もっとも眩い星のひとつだろう。自分もそのかたわらにひっそりと光を灯しているのだとしたら、そんな誇らしい話はなかった。


「じゃ、貴族様のもとに参じる前に、もうちょい意見交換をしておかねえか? けっきょくさっきは野菜料理の感想しか伝えられなかったからよ」


 不敵な笑顔で語るロイに、レイナ=ルウは「はい」と笑顔を返す。

 そうしてその日もレイナ=ルウは、大きな充足と達成感を胸に過ごすことがかなったのだった。

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― 新着の感想 ―
黒っぽい灰色の蕎麦粉衣風に、中に砕いたピーナッツをまぶしたトンカツ、な感じかな? 噛んで咀嚼する音と歯応えが小気味良さそうだ。
ロイがめちゃくちゃいいお兄ちゃんになってる!! 結果的に行動がそんなに変わって見えなくても、それが思いやりが加わったおかげだってすてき
毎度ながらダイアを褒めつつナチュラルに下に見る森辺の料理人…通常業務に加えてマンパワーとダイア以外の料理人の質にも左右されるんだからさぁ
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